どんど焼きは日本の国民的行事、そして世界の共有文化遺産

    小正月行事「どんど焼き」の全国・国際調査データ一覧2024年(令和6年)版

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日本と世界の小正月行事「どんど焼き」調査データ一覧表

【注】本調査のデータの引用元となる新聞社、テレビ局や公共機関、地域組織は各記事末か、この頁の最後に掲載。
どんど焼きに関する世界調査データの分析結果報告の要約は上記サイト・ナビの「HOME」に、データ分析の詳細報告は「考察編」に掲載しております。地域別の詳細なデータは下記の都道府県名、国名をクリックすると、 それぞれの集落別情報を参照することができます。
カテゴリ別 |北海道|東北|関東|甲信越|北陸|東海|
|近畿|中国|四国|九州|沖縄|
(※このページ内の市町村の詳細情報を検索するには Ctrl+Fでページ内の検索窓を開くと便利です)
北海道
秋田 青森
山形 岩手
福島 宮城
山口 島根 鳥取 兵庫 京都 福井 石川 富山 新潟 群馬 栃木
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鹿児島
沖縄
欧州・米国 インド・インドネシア アルゼンチン
韓国 台湾 中国 東南アジア


【北海道】

北海道
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
北海道札幌市、千歳市、恵庭市、江別市、石狩市 1月14日~20日 どんど焼き(古神札焼納祭) 札幌近郊各地の神社 氏子、地域住民  北海道の「どんど焼き」は正月飾りや古神札の焼納祭として、神社の行事となっている。14日ごろから始まり、20日にかけて、正月飾りを預かり、焼納する。
 西区の西野神社では、午前9時ごろ総代が神社に集まり、神楽殿に積み上げられていた焼納物を、どんど焼きの斎場である駐車場に運んだ。10時から「古神札焼納祭」の神事を行い、納め物に神火を点火し、燃やした。
一年の無病息災を祈る
北海道札幌市周辺 歳末から年始
繭玉飾り 家庭や企業 地域住民  歳末になると、商店では模造の「繭玉飾り」組み立てセットが正月用の縁起物として販売されるが恒例となっている。紅白の繭玉、飾りのミズキの木、千両箱や招き猫などが一緒に売りだされ、市民は家庭の正月飾りとして買い求める。 家庭の正月飾りとして買い求める
北海道釧路市 2010年1月15日 どんど焼き 鳥取神社 氏子、地域住民  神社では午前8時に焼納祭を行った後、市民が持ち寄った門松やしめ縄などの正月飾りを氏子が焼いた。市民らは火に向かって手を合わせながら無病息災を願った。 無病息災
北海道・美幌町 2008年1月15日 どんど焼き 美幌神社 氏子、地域住民 町民が持ち寄ったお飾りや門松を焚き上げる。 無病息災
北海道帯広市 2008年1月15日 どんど焼き 帯広神社 市民  神社には朝から飾り物を持った市民が訪れ、勢いよく燃える炎に投げ込んだ。同神社は環境を考え、飾り物はプラスチックの部品を外すなど、分別を呼びかけた。 お正月のしめ縄などを燃やして一年の無病息災を祈る。
北海道夕張市 1月15日
(2007年)
どんど焼き 夕張神社 地域住民    
北海道道南、函館市 2010年1月7日 どんど焼き 道南各地 地域住民  北海道のどんど焼きは15日が一般的だが、函館市や道南地域では、7日にどんど焼きを行う。正月飾りや前年の破魔矢などからプラスチックや金属部品を外して神社で焼く。 無病息災、家内安全
北海道苫小牧市高丘 2015年1月15日 どんど焼き 樽前山神社 地域住民  正月飾りや縁起物が2m以上に積み上げれた。神職がおはらいをし、清めの鈴を鳴らした後、たいまつの火により点火された。集まった参列者は、炎に向かって手を合わせ、それぞれ幸福を祈った。 一年の招福と無病息災

【東北】
     
青森
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
青森県津軽地方 小正月ごろ けの汁 各家庭 家族  [「けの汁」は青森県西部の津軽地方に伝わる小正月の郷土料理。さいの目に細かく刻んだ野菜や山菜、豆腐などをだしと一緒に大鍋で煮込んだ味噌仕立ての汁物。雪に閉ざされる小正月のころに食べる家庭料理として津軽の人々に親しまれている。
けの汁の起源は、もとは「粥の汁」と言っていたが、「かゆ」がなまって「け」となり、けの汁と呼ばれるようになったとされる。昔はコメは貴重でなかなか食べられなかったため、厳しい気候の津軽でも栽培できる根菜類や、夏に採って保存しておいた塩漬け山菜を材料にした具だくさんの大鍋料理として代表的な冬の郷土料理となったという。(この項:NIKKEI STYLE「おでかけナビ」による)
小正月に食べる家庭料理
青森県青森市長島2丁目 2020年1月7日 焼納祭(どんと焼) 廣田神社 地域住民の参拝客  廣田神社の焼納祭はどんと焼きともいい、この一年間の御神札や御守り、また破魔矢、熊手、縁起物に感謝を捧げて境内で焼納する神事。あわせて氏子崇敬者の家内安全、無病息災を祈願する。
青森市内では、神社が正月の松飾りや注連縄、古御守や古神札などを一箇所に集めてお焚き上げをする風習となっている。(出典廣田神社公式ホームページなど)
氏子崇敬者の家内安全、無病息災
青森県弘前市沢田地区 2018年3月2日夜 小正月行事「沢田ろうそくまつり」 沢田神明宮 県内外の参拝客2000人  「沢田ろうそくまつり」は、ろうそくに明かりをともして五穀豊穣(ほうじょう)や家内安全を祈る旧暦小正月の伝統行事。まつりは、450年以上前から続いていて、壇ノ浦の戦いで滅んだ平家の霊を供養したのが始まりとされている。10年前からまつり実行委員会が設立されている。
 参拝者たちは雪の参道を上り、ほこらの岩肌にろうそくを立てて、手を合わせた。かがり火がたかれた境内では、登山囃子(はやし)やたいまつ行列が行われた。今年の実行委員会のテーマは「繋(つながり)」。「人と人、地域と地域のつながりで社会を明るくしよう」との願いを込めた。
3日朝には、ろうの垂れ具合で今年の農作物の豊凶を占い、「雨や風が多く、豊作は期待できない」との結果が出た。
五穀豊穣や家内安全などを祈願する 
青森県八戸市 2015年2月17~20日 国の重要無形民俗文化財「えんぶり」 長者山新羅神社ほか市内の各所 市民、観光客 「えんぶり」は青森県八戸地方を代表する旧暦正月の伝統行事で、毎年2月17日から4日間行われる。国の重要無形民俗文化財。青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりに数えられていて、地域の一大観光行事になっている。
 えんぶりは、その年の豊作を祈願するための舞で、太夫と呼ばれる舞手が馬の頭を象った華やかな烏帽子を被り、頭を大きく振る独特の舞が大きな特徴。「えんぶり」という名は、田をならす「えぶり」という農具からきたものと伝えられている。
 えんぶりには、うたや仕草がゆっくりしており、優雅な舞である「ながえんぶり」、はうたも仕草もテンポが速く、勇壮活発な「どうさいえんぶり」の2つの種類がある。  えんぶりは組単位で行われ、「太夫」と呼ばれる舞い手が3人あるいは5人と、笛、太鼓、手平鉦(てびらがね)、歌い手など総勢20~30人で構成されている。
 えんぶりの舞は「えんぶり摺(す)り」と呼ばれる。一連の舞は、稲作の種まきや田植えなどの動作を表現している。「摺りはじめ」「中の摺り」「摺り納め」の三演目が主な神事儀礼的な演技として行われる。
 これら三演目の合間には、子どもたちが演じる「松の舞」「えびす舞」「えんこえんこ」女性が演じる「大黒舞」などの祝福芸が行われるほか、最後に、大事な 畦(クロ)から水が漏れないようにと、呪文の言葉を唱える「畦留め(クロドメ)」で、えんぶりは終わる。

2015年の日程 【2月17日】
●奉納摺り 長者山新羅神社
●えんぶり撮影会 長者山新羅神社
●えんぶり行列・一斉摺り・参拝 八戸市中心街で32のえんぶり組が参加。沿道の市民や観光客に演技を披露。合間に子どもたちが祝福芸を披露した。
●御前えんぶり 市庁前市民広場
●えんぶり公演(有料) 八戸市公会堂
【2月18日】
●史跡根城・えんぶり撮影会(有料) 史跡根場の広場 
●えんぶり公演(有料) 八戸市公会堂
【2月19日】
●史跡根城・えんぶり撮影会(有料) 史跡根城の広場
●えんぶり一般公開 市庁前市民広場
【2月20日】
●えんぶり一般公開 市庁前市民広場
【17~20日の毎日】
●かがり火えんぶり 市庁前市民広場
●お庭えんぶり(有料・要予約) 更上閣
 えんぶり期間中は、市内の各施設でもえんぶりを見ることができる。
 (出典八戸市役所公式HP)
豊作祈願
青森県八戸市 2008年1月12日 小正月行事「まゆ玉作り」 八戸市立白銀公民館 地域の親子 地域の伝統行事が次第に失われていることを懸念した同館が、郷土の歴史研究家の協力で開催し、伝統行事を継承している。  
青森県八戸市長者 2019年1月15日 焼納祭(しょうのうさい) 長者山新羅神社 氏子や地域住民 「焼納祭(しょうのうさい)」は正月のしめ飾りや古い札などを焼く小正月の伝統行事。八戸周辺では、「焼納祭」は「どんと焼き」や「どんと祭」などと呼ばれている地域も多い。
境内には地元住民が持ち寄った大量のしめ飾り、札などが置かれ、宮司が祝詞(のりと)を奏上し、関係者や住民の代表が玉串を供えた。宮司は祝詞の中で、「氏子や参拝者の幸福が訪れ、災害や事故の無い一年になるように」と願いを込めた。一連の儀式の後、納められたしめ飾りや札に火がつけられ、境内に集った住民や関係者約20人は燃え盛る炎に一年の幸福を祈った。
同神社の宮司によると、「氏子や一般の人が、正月の松飾を捨てるのではなく、神社に持ち寄って焼納祭で焼き上げる。焼納祭は消防署などと連携を取りながら行っている。年末は古い札を神社に納め、新しい札をお渡ししている。お札を受け取った人々の一年間の幸福を祈って祝詞を奏上している」という。
一年間の幸福を祈る
青森県三戸郡五戸町 2023年1月15日 「庭田植え」「ほがほが」 ごのへ郷土館 町内外から参加した約60人  「庭田植え」「ほがほが」は青森県内で小正月を祝い、五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災などの願いを込めた伝統行事。ごのへ郷土館は同館で開催した「小正月を楽しもう会」の中で、地域で行われていた行事として再現した。同地方では近年、小正月行事が薄らいで消えようとしているため、同館が小正月行事の体験イベントを開いた。町内外から参加した約60人が、餅つき、お庭田植え、木まじない、ほがほがなどの行事を楽しんだ。「ほがほが」は大豆の皮や蕎麦の殻などに酒かすなどを混ぜたものを、「ホンガホンガ」などと唱えごとをしながら屋敷の周囲にまいて歩く行事という。(出典:五戸町観光協会WEB版、デーリー東北デジタル) 地域の伝統文化に親しむ
青森県五戸町 2008年1月12日 小正月の風習である「ミズキ団子」作り ひばり保育園 保育園児と祖父母  保育園では父母らが餅をつき、食紅で着色したみずき団子を作った。祖父母と園児たちは一緒に細長く切った餅をミズキの枝に次々と巻き付けながら、今年一年の無病息災や家内安全などを祈った。
地域の伝統文化に親しむ
青森県平川市猿賀 2014年2月6日 柳からみ神事 猿賀神社 住民  「柳からみ神事」は旧暦の1月7日に行われている。柳の枝を床に打ち付け、枝が折れてこぼれる具合からことしの農作物の豊凶を占う伝統行事。
 この年は、「奉仕者」と呼ばれる占い役の60歳の男性が、約4mの枝を勢いよく振り上げて13回、拝殿の床に打ち付けた。「豊作間違いなし」との結果が出た。こぼれ落ちた枝は無病息災のお守りとされる。多くの市民が参詣に訪れ、枝を拾い集めて持ち帰った。
五穀豊穣
青森県むつ市大畑町 2008年1月11日 大畑どんど焼き 大畑漁港 市民
大畑町観光協会主催
 地域の人々が持ち寄ったしめ縄などの正月飾りを燃やす。会場では、神事の後、高く積まれたしめ縄や松飾り、お札などに火が付けられる。  今年一年の無病息災や五穀豊穣(ほうじょう)、豊漁、交通安全を祈願する。
青森県下北郡東通村(ひがしどおりむら) 2013年1月15日 田植え餅つき踊り 村内の各地区 村内の女性 餅つき踊りは「女の正月」といわれる小正月を祝う門付けの民俗芸能で、青森県無形民俗文化財に指定されている。
色鮮やかな衣装を身に着けた女性たちが家々を回り、踊りを披露して五穀豊穣や家内安全を祈った。
同村目名地区では午前9時に、目名婦人会のメンバーが目名神社に集合し、神楽に続いて踊りを奉納した。2015年には、神社で舞を奉納した後、地区の約50軒の家の前でも舞った。雪が残る中、小さな(手のひらに乗るような)臼を中心に輪になって「つけたか、つけたか、こらさのさ」の掛け声と、太鼓やかねの音に合わせ、杵(きね)を振り下ろすような仕草で踊った。
 
五穀豊穣や家内安全
青森県東北町柳沢 2011年1月8日 新春大般若祈祷会(きとうえ)・どんど焼き 報效寺(ほうこうじ) 地域住民や檀家 毎年恒例の行事で、法要では参列者が般若心経を唱えたり、寺僧の法話に耳を傾けた。続く餅まきでは、寺僧と一緒に園児が餅をまいて新年を祝った。
 寺の外では、どんど焼きが行われ、参列者が持ち寄ったしめ縄やお守りなどをたきあげた。参列者は振る舞われた甘酒を味わいながら、どんど焼きの煙を頭や体で浴びた。
家内安全や無病息災
青森県下北郡佐井村牛滝地区 2014年12月15日、2015年1月15日 奇習「おこもり」 牛滝神明宮 地域住民  「おこもり」は、神社にこもってご飯や八杯汁(はちはいじる=豆腐のすまし汁)を満腹になるまで食べ続け、豊漁や家内安全を祈る神事。江戸時代から続く伝統行事で、毎年12月15日と年明けの1月15日に行われる。
 2014年12月15日には、地区の老若男女約40人が参加。社殿に白飯、豆腐とキノコのすまし汁、ゼンマイのからしあえ、たくあんの4品が載った膳が並べられ、午後9時に長老と子どもによる一番膳が始まった。食べ手がご飯や汁をかき込み、空になったわんを突き出しながら「めしー」「しるー」と絶叫する。給仕役も負けじと「食えー」「飲めー」とせき立てた。おこもりは深夜まで続けられた。
豊漁や家内安全を祈る
岩手
岩手県陸前高田市高田町の川原地区

 
2014年1月12日

 
秋葉権現川原獅子舞
 
市内の仮設住宅や仮設店舗
 
川原祭組のメンバー、住民  川原地区は東日本大震災で被災したが、小正月の伝統行事「獅子舞」は休まず続けている。川原祭組のメンバー約70人が仮設住宅や福祉施設、東日本大震災犠牲者の追悼施設がある道の駅高田松原タピック45など12カ所を巡行した。
 あでやかな衣装の女性陣と獅子舞が笛と太鼓に合わせ、舞を披露した。震災犠牲者の鎮魂と1年の安全に願いを込めた。
 踊り手として参加した高田高3年の女子生徒は「卒業後は高田を離れるが、復興が早まり、地域の絆が深まってほしい」と思いを語った。
東日本大震災犠牲者の鎮魂と早期の復興、1年の無病息災を願った
 
岩手県奥州市水沢区黒石町
 
2016年20月14日深夜から15日早朝にかけて
 
黒石寺蘇民祭 黒石寺(こくせきじ)境内周辺 地元住民、全国から参加した参拝者   蘇民祭りは「蘇民将来信仰」に基づき、400年以上の歴史を持つとされ、日本3大奇祭といわれる伝統行事。氷点下の厳しい寒さの中、下帯だけの裸の男たちが、火たき登りや蘇民袋の争奪戦を繰り広げ、無病息災や五穀豊穣、厄よけを祈った。平成7年、岩手の蘇民祭は「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」として文化庁の選択を受けた。
  主催者の黒石寺によると「蘇民祭」は2024年2月17日の4年ぶり開催を最後に、2025年からは執り行わないことが決まりました。黒石寺は「関係者の高齢化と担い手不足によって祭りの維持が困難になった」と発表した。
   2016年の蘇民祭祭礼は14日午後10時ごろ、参加する男衆が氷点下の厳寒の中、下帯と足袋、わらじだけを身につけた「裸参り」で開始。地元ほか全国から参加登録した約140人の男衆が瑠璃壺川に入り、「ジャッソー、ジョヤサ」の掛け声とともに水をかぶる水垢離(ごり)で身を清めたあと、本堂を参拝する荒行を3回繰り返した。
 続いて午前0時頃には、「ジャッソー、ジョヤサ」の掛け声と共に松を積み上げてできたやぐらに火が放たれ、その上に男衆が登り気勢を上げる「柴燈木(ひたき)登り」が行われた。
 祭りが最高潮となるのは15日午前5時過ぎの蘇民袋の争奪戦。男衆は蘇民将来の護符である小間木(こまぎ)が入った麻袋を奪おうと、体中から湯気をあげて激しくぶつかり合い、夜を徹した男衆の熱き戦いが繰り広げられた。午前7時過ぎ、袋を握り続けた「取主」が決まった。
五穀豊穣や無病息災、厄よけ
岩手県奥州市江刺区伊手

 
2016年1月16日夜から17日未明にかけて

 
熊野神社蘇民祭 熊野神社境内など 地元住民、観光客  伊手熊野神社で行われる蘇民祭は、黒石寺の蘇民祭を手本に始められたといわれ、400年以上の歴史を持つ。祭礼は16日夜、ご膳上げを皮切りに、祈願者が角灯を手に行列を組み供物や祭りの道具を神社へ運ぶ四角登り、境内での例大祭、餅まき、奉納舞踊などが古式にのっとって行われた。祭りの呼び物の一つは「火たき登り」。丸太を約3メートルの高さに井桁積みにした歳戸木(さいとぎ)は岩手県内の蘇民祭で最大級とされる。
 火たき登りでは、飛び散る火の粉や立ち上る煙を浴びて身を清めた男たちは、「ジャッソー」「ジョヤサ」と気合の入った掛け声を境内に響かせた。男たちは燃え盛る歳戸木に登り、手に持った角灯などを力強く突き上げ、燃えさしを引き出し、神社の床や柱などに力いっぱいたたき付けて飛び散る火の粉で邪気を払った。
 別当が行列を従えて神社に蘇民袋を奉納する別当・袋登りや、鬼子登りに続き、麻袋に入った小間木(護符)がまかれると、蘇民袋争奪戦に突入。男たちは蘇民袋の口前をめぐって拝殿や境内、参道などで激しくもみ合いの争奪戦を繰り広げた。
 2020年には1月19日夜から20日未明にかけて開かれた。下帯姿の男衆約60人が参加。19日午後9時すぎ、祭りのハイライトの一つ「火たき登り」が始まり、丸太を約3メートルの高さに積み上げた「歳戸木(さいとぎ)」に火を放つと、厄年を中心とした男衆が次々によじ登り、火の粉と煙を浴び「ジャッサー、ジョヤサ」と繰り返し叫んだ。クライマックスの蘇民袋争奪戦は午後11時半ごろスタート。護符などが入った麻袋をつかもうと激しくもみ合い、会場は未明まで熱気に包まれた。(この項岩手日報など)  
無病息災や五穀豊穣、邪気払い
 
岩手県奥州市胆沢区 2017年2月11日(毎年2月第2土曜日) 全日本農はだてのつどい 胆沢野球場特設会場 園児と家族  「農はだて」は、正月の休みが明けて新年の農作業を始める日とされる。胆江地方では、「農はだて」で男性は縄をない、女性は稲わらを苗に見立てて田植えをし、一年の農業の豊作と農業の安全を祈った。同市ではこの旧暦小正月の行事を再興し、日本古来の文化の素晴らしさを見直すことを目的として、平成2年から開催している。
 2017年には、昔から継承されてきた「庭田植」の再現や、日本最大級の大臼による「福餅つき」、重さが8トンにもなる「福俵引き」などのイベントが行われ、地域に豊作と福を引き寄せた。
 大臼福餅つきは、同区若柳の出店田植踊保存会のメンバーが直径2・4メートル、高さ2メートルの大臼で新米約30キロをつきあげ、来場者に出来たての餅を振る舞った。福俵引きは、地元厄年連が巨大な福俵を引いて、豊作坂と呼ばれる斜面を駆け上がった。(この項出典:欧州市役所観光情報サイト、岩手日報など)
一年の農業の豊作と農業の安全を祈った 
岩手県一関市大東町大原

 
毎年2月11日  大東大原水かけ祭り 大原商店街 厄年の男衆、地域住民  「大東大原水かけ祭り」は、明暦3年(1657)江戸に大火があり、この日を厄日と定め火防祈願と火防戦伝を兼ねた祭りとして始まったものと伝えられている。大東大原水かけ祭り保存会が主催している。火防祈願、無病息災、大願成就を祈願し厄年の男たちは裸で町の中を走り抜け、町の人々は桶を持って待ち構え、諸々の願いをこめて男達に水を浴びせかける。先頭を切って走る厄男の持つ旗には「火防御祈祷」としたためられている。
2023年はコロナの感染防止のため、「火防祈願」「厄除祈願」の神事のみを行い、水かけまつりは中止となった。(出典:岩手県観光ポータルサイト)
火防祈願、無病息災、大願成就を祈願
 
岩手県一関市千厩町

 
2014年1月9日

 
「繭玉ならし」 奥玉保育園 園児と家族  小正月の伝統行事「繭玉ならし」は、かつての養蚕産地の一関地方の風習で、繭に見立てた団子をミズキに飾り、五穀豊穣や子どもたちの健やかな成長を願った。
 年長児ら約20人は、エプロンと三角巾姿で赤や白、黄など色とりどりの団子を作り、園児の家族が提供したミズキの枝に一つ一つ付けていった。

五穀豊穣や子どもたちの健やかな成長を願う 
岩手県宮古市

 
2014年1月11日

 
みずき団子づくり
 
シートピアなあど
 
地元の子どもたち10人余り みずき団子作りは宮古市のシートピアなあどが体験教室の一環として企画した。子どもたちは、赤、青、黄色など色とりどりの団子を手で丸めたあと、人の背丈より大きなみずきの木の枝に飾り付けた。
シートピアなあどは津波により施設が一時休止を余儀なくされ、毎年恒例だったこのみずき団子作りも震災後初めて開催した。
今年1年の家内安全を祈る
 
岩手県宮古市  2022年1月3日  国の重要無形民俗文化財「黒森神楽千願祭」
 
黒森神社
 
氏子、地域住民  黒森神楽は、正月になると黒森神社の神霊を移した「権現様」(獅子頭)を携えて、陸中沿岸の集落を廻り、家々の庭先で権現舞を舞って悪魔祓いや火伏せの祈祷を行う。夜は宿となった民家の座敷に神楽幕を張り夜神楽を演じて、五穀豊穣・大漁成就や天下泰平などの祈祷の舞によって人々を楽しませ祝福をもたらしている。この巡行は旧盛岡藩の沿岸部を、宮古市山口から久慈市まで北上する「北廻り」と釜石市まで南下する「南廻り」に隔年で廻村し、3月中旬まで巡行する。こうした広範囲で長期にわたる巡行を行う神楽は、全国的にも類例がなく、平成18年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
2022年の神楽巡行はコロナ禍で2年連続で中止となり、境内にある神楽殿で新型コロナウイルスの収束を祈り、人々の願いをかなえる舞いを奉納する「千願祭」を行った。舞は厳かな「清め祓い」に始まり、恵比寿様が鯛を釣り上げる「恵比寿舞」では客席とのやりとりで観客を楽しませた。訪れた人たちは神社の御神体で権現様と言われる獅子頭に頭をかじってもらい、今年一年の無病息災を祈った。(この項:宮古市公式ホームシック、岩手放送)
今年1年の無病息災、コロナ禍の収束を祈願 
岩手県石鳥谷町八重畑

 
1月13日

 
雪中田植え
 
地区の田んぼ
 
公民館の3世代交流・小正月行事 老人クラブ員がこどもを指導して、雪の積もった田に稲わらを植える。「縄ない」やもちつき、団子づくり、ミズキ団子づくりを体験して、会場に飾る。 その年の豊作を祈る。

 
岩手県盛岡市 2009年1月15日 どんと祭と裸参り 盛岡八幡宮 地域住民 どんと祭は正月、家々にやってきた歳神様を送る行事とされ、参拝者が持ち寄った正月飾りや古いお札、お守りが神職によって「忌火(いみび)」で焼かれる。この神火にあたると心身が祓い清められ今年1年、無病息災・家内安全に過ごすことができると言われている。
 夕方からは厳しい寒さの中を伝統の裸参りが行われた。背中にしめ縄を背負い、さらしにわらじ履き姿の人たちは、「挟(はさみ)」と呼ばれる細長い板を左右に振り分けたり、神様に供える酒や餅、野菜などを持って鈴の音とともに練り歩いた。
 2015年には、神事で神様を天に返す祝詞が読み上げられた後、点火された。2018年には、午後4時半から盛岡八幡宮までの参道を練り歩く「裸参り」が行われた。地元の消防団など5つの団体から100人余りが参加し、上半身裸に腰ミノ姿で、口に白紙をくわえ、「挟」と呼ばれる竿を手に、肴町商店街から盛岡八幡宮までの約1キロを、左右に大きく踏み出す独特の足運びで練り歩いた。午後5時の気温は氷点下2度。参道は裸参りの開始と共に本降りとなり、参加者は寒さに耐えながら、無病息災や家内安全を願い、ゆっくりと練り歩いた。2021年は新型コロナウイルスの影響で、人出が例年の3分の1程度にとどまり、どんと祭の開催に合わせて行われる「裸参り」が中止となった。
無病息災・家内安全
岩手県盛岡市 2009年1月15日 どんと祭と裸参り 盛岡八幡宮 地域住民 どんと祭は正月、家々にやってきた歳神様を送る行事とされ、参拝者が持ち寄った正月飾りや古いお札、お守りが神職によって「忌火(いみび)」で焼かれる。この神火にあたると心身が祓い清められ今年1年、無病息災・家内安全に過ごすことができると言われている。
 夕方からは厳しい寒さの中を伝統の裸参りが行われた。背中にしめ縄を背負い、さらしにわらじ履き姿の人たちは、「挟(はさみ)」と呼ばれる細長い板を左右に振り分けたり、神様に供える酒や餅、野菜などを持って鈴の音とともに練り歩いた。
 2015年には、神事で神様を天に返す祝詞が読み上げられた後、点火された。2018年には、午後4時半から盛岡八幡宮までの参道を練り歩く「裸参り」が行われた。地元の消防団など5つの団体から100人余りが参加し、上半身裸に腰ミノ姿で、口に白紙をくわえ、「挟」と呼ばれる竿を手に、肴町商店街から盛岡八幡宮までの約1キロを、左右に大きく踏み出す独特の足運びで練り歩いた。午後5時の気温は氷点下2度。参道は裸参りの開始と共に本降りとなり、参加者は寒さに耐えながら、無病息災や家内安全を願い、ゆっくりと練り歩いた。2021年は新型コロナウイルスの影響で、人出が例年の3分の1程度にとどまり、どんと祭の開催に合わせて行われる「裸参り」が中止となった。
無病息災・家内安全
岩手県盛岡市材木町 2015年1月10日 酒買地蔵尊お年越行事「成木責(なるきぜ)め」 商店街の各店や永祥院酒買地蔵尊 地域住民、子どもたち  材木町の『酒買地蔵尊』は商売繁盛のお地蔵様として知られている。小正月行事「酒買地蔵尊お年越行事」では子どもたちが「成木責(なるきぜ)め」などで地元商店の繁盛や、新年の無病息災を願った。
 成木責めには、地元の材木町第一・第二子供会や中学生約20人が参加。寒風が吹く中、商店を一軒ずつ回った。子どもたちは、わらを5色の布で結んだ「成木棒」を振りながら「甲斐性(かいしょう)すれば成るか成らぬか。甲斐性者なら成ろう成ろう(まじめに働けばどうなるか。うまく繁盛するはずだ)」と元気よく唱え、厄を払った。
 行事は、材木町の冬期間の活性化や景気づけの願いを込め、約40年前にスタートした。
 2017年の酒買地蔵尊お年越行事は1月14日に行われた。まず餅つきが行われ、地元の人につきたての餅が振舞われた後、子どもたちが厄を払うための「成木棒」を手に握り締め、商店街の店を1軒1軒訪ねて商売繁盛と無病息災を祈願する『成木責め』を行った。子どもたちは地域に「福」を呼び寄せようと「商売繁盛成るか成らぬか」など力いっぱいに『祝いの言葉』を唱えた。
地元商店の繁盛や新年の無病息災を願う
岩手県岩手郡雫石町 2019年1月20日 雫石裸参り・どんど焼き 町内の三社座神社〜永昌寺の県道 雫石裸参り実行委員会、地域住民 雫石裸参りは2018年2月20日に町無形民俗文化財に指定された。町民の暮らしの安泰と町勢の発展を祈って続けられている。裸参りのあと、三社座神社に住民が持ち寄った正月飾りなどを焚き上げる「どんど焼き」が行われた。
2019年には、頭に白鉢巻、口に懐紙をくわえ、裸に腰みのや横綱などわら装束をまとった10~40代の40人が午後1時、上町の三社座神社を出発。「東日本大震災復興」「無病息災」「五穀豊穣」などと大書したのぼりを掲げた男衆は、日中でも氷点下の厳しい寒さに耐えながら、約1.2Kmの道のりを一歩一歩踏みしめ、約2時間かけて下町の永昌寺に到着した。神社から寺まで歩くことで、『神』と『仏』を同時に祈願する意味があるという。裸参りは10年参加すると満願成就するとされる。(この項住民の方から情報提供がありました。感謝申し上げます。参照・岩手日報、町役場公式サイト)
町の発展、震災復興、無病息災、五穀豊穣
岩手県大船渡市三陸町吉浜地区 1月15日 にユネスコ無形文化遺産「吉浜スネカ」 地域の子供のいる家庭 地域の住民  吉浜の「スネカ」は国の重要無形民俗文化財で、大船渡市三陸町吉浜に伝わる小正月行事。地域の青年や中学生が、神の使いに仮装して家々を訪ね、厄払いや家族の無病息災、豊漁を願う「来訪神」行事。同市は同様の風習が残る全国8市町と共に、2016年にユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産への一括登録を目指して申請し、2018年11月に採択された。
 日の暮れた午後5時半から地域の青年たちが、「キリハ」と呼ばれる刃物を持ち、蓑藁をまとい鬼のような恐ろしい面をかぶったスネカにふんして、三陸鉄道吉浜駅に集結。スネカは、「ウォー、ウォー」とうなりながら、玄関をガタガタ揺らして子どものいる家庭に上がり込み「怠け者はいねが、泣く子はいねぇが」と声を張り上げた。恐ろしい形相の面をつけたスネカに驚き、親にしがみつく子どもは「悪いことはしません」と約束した。
 2014年は吉浜スネカ保存会と吉浜中の生徒合わせて27人がスネカに扮し、吉浜駅で出発式を行ったあと、約400世帯を訪問した。2016年には、吉浜中生を含む計20人がスネカに扮し、「言うこと聞がねぇわらすはいねがぁ」と約400世帯を巡った。2021年はコロナ禍で中止も検討されたが、「地域に幸せが訪れれば」と、24体のスネカが400軒を訪問した前年から、6体が20軒を訪問と、規模を大幅に縮小して行われた。
 スネカの語源は、いろりの近くにばかりいると、すねにできる火形の斑点(はんてん)を、鬼に皮ごとはぎとられてしまう「スネカワタグリ」の言い伝えからとされる。
冬場に家に閉じこもりがちな子どもたちをたしなめ、健やかな成長を願う
岩手県大船渡市猪川町 20151月11日 小正月行事のみずき団子づくり 上富岡地域公民館 地域の子どもたちと高齢者  公民館が主催し、地域の60歳以上でつくる「せせらぎ会」が協力した。地域の子どもたちや参加し、高齢者らの指導を受けながらみずき団子を完成させた。参加者はピンクや緑、黄色の団子をつくったあと、ミズキの枝に飾り付けた。最後は高齢者と一緒に全員で記念写真を撮るなどして、世代間交流を深めた。  
岩手県洋野町種市 2014年1月12日 なもみ JR種市駅前 林郷青年会と地区の親子 「なもみ」は三陸沿岸北部に伝わる小正月の伝統行事、無病息災や子どもの健やかな成長を願い、約200年の歴史があるとされる。もともとは洋野町大野の林郷地区に伝わる行事だが、町村合併を機に種市地区でも行っている。
林郷青年会のメンバーがお面とわらみのを着て鬼に扮し、太鼓に合わせてJR種市駅前に現れた。集まった子どもたちに「悪(わり)いわらし(子ども)はいねえがぁ」と、大声を上げて、子どもたちを捕まえては「テレビばっかり見てんなよ」「友だちとケンカすんなよ」「親の言うことをよく聞くように」と戒めた。子どもたちは泣きじゃくりながら、「いい子になります」「お手伝いもちゃんとします」「親の言うことを聞きます」などと約束した。
15日夜は、依頼を受けた林郷地区などの子どものいる家を回る。
子どもたちの健全育成や無病息災
岩手県岩泉町 2013年1月11日 ミズキ団子作り 小本保育園仮設園舎 園児と祖父母 園児は祖父母と一緒に団子をこねてから、ゆであがった色とりどりの団子を背丈を超える高さのミズキに差し、園庭に飾った。
小本地区のミズキ団子は、アワビの殻でもちをかたどったり、魚を飾ったりするという。
この一年の健康を願った
岩手県遠野市土淵町 2010年1月15日 オシラ遊び 民俗伝承施設・伝承園 地域の住民と児童  オシラ遊びは遠野地方に伝わる小正月の伝統行事。屋内神のオシラサマに各家庭で赤飯やお神酒などを供え、オセンダクと呼ばれる新しい着物を着せたり、米の粉で化粧をしたりする。
 伝承園では色とりどりの綿入れはんてん姿で訪れた土淵児童クラブの20人が、南部曲がり屋のいろりで、人の顔と馬の顔が彫られたオシラサマに新しい着物を着せ、おしろいを塗って遊ばせた。
 伝承園では2023年1月13日にオシラ遊びが行われ、地元の女子小学生8人が参加した。女児たちはいろりを囲み、語り部の立花和子さんの説明を聴きながら、色とりどりの布「オセンダク」を幾重もまとったオシラサマにおしろいと口紅をつけて、新しい布を1枚かぶせた。
 オシラサマは江戸時代、イタコが家の吉兆を占う際に「知らせる」を意味する「オシラ」と唱えたのが語源と伝わる。先祖供養の神、また「養蚕の神」として広まった。30センチほどの桑の木に馬や人の顔を彫った簡素なつくりが一般的と言う。オシラ遊びでは男性やよその家の者を交ぜてはいけないという言い伝えがあるという。(河北新報オンラインなど)  
子供達の健康を祈る
岩手県遠野市松崎町 2015年1月9日 小正月伝承行事・交流会「カラスよばり」 松崎地区センターなど 町高齢者クラブ連合会の高齢者と園児、小中学生ら200人  小正月伝承行事・交流会は市社会福祉協議会松崎支部が世代間交流のため開催した。餅つきをして色とりどりの団子を作り、繭玉や稲穂と共に高さ約5メートルのミズキの木に飾り付けるミズキ団子作り、稲に見立てた松の葉を雪に挿して五穀豊穣を願う「お田植え」、空に餅を投げてカラスによる食害防止を願う伝承行事「カラスよばり」などを高齢者の指導で子供たちが体験した。 五穀豊穣、子供たちの健康
岩手県遠野市土淵町 2014年1月15日 小正月伝承行事体験会 伝承園 土淵町老人クラブの高齢者と土淵児童館の児童23人  小正月行事体験は地域の子どもたちに昔の小正月を体験してほしいと、伝承園が開園した昭和59年から毎年続けられている。児童たちは土淵町老人クラブの20人に教わりながら、オシラサマに着物を着せるなどする「オシラアソバセ」や水木団子づくりに挑戦した。また、豊作を願い田んぼに見立てた雪上に松の葉を植える「冬のお田植え」、小豆もちを投げてカラスの食害防止を祈る「カラスヨバリ」を体験しながら五穀豊穣を願った。
老人クラブ会長は「私たちが子どものころに行われていた民俗行事はほとんど行われておらず、この行事はとても大切。絶やすことなく子どもたちに伝え、地域ならではの行事の大切さを学んでほしい」と願いを込めた
子どもたちは、「カーラス、カラス、小豆団子けっから来ーい、来ーい」の掛け声で餅を投げたりしたあと、最後はみんなであんこもちを食べた。(この項:遠野市役所ホームページ広報ブログ)
五穀豊穣、子供たちに伝統行事を伝える
岩手県遠野市松崎地区 2017年1月13日 ミズキ団子作り 松崎地区センター 地域の子どもやお年寄り約200人  ミズキ団子作りは松崎町の老人クラブが中心となって実施。保育園児や小学生は臼を使った餅つきに挑戦した。その後、子どもたちは五穀豊穣を願って作った団子をミズキ枝に取り付けた。 五穀豊穣を願う
岩手県釜石市平田の尾崎白浜地区 2015年1月15日 するめっこ釣り 地域の家々 地域の子どもたち  「するめっこ釣り」は漁師にふんした子どもたちが家々を回って大漁を祈願する伝統行事。2015年は東日本大震災からの復興も祈願した。
 2歳から小学6年生までの男の子15人が参加し、釣り竿を持って、被災を免れた高台の家や震災被災者の仮設住宅を訪れ、玄関先で「チューチュー」と「イカの鳴き声」をまねをしながら竿を振り、「するめっこ釣らせてけだんせ」と声をかけた。家の人から「なんぼ釣った」の問いに「満船(大漁)」と元気に返答。子どもたちは竿の節で、釣れたイカを数える。
 子どもたちはごほうびとしてお小遣いのほか、顔に墨を塗ってもらった。
一年の豊漁と無病息災
岩手県釜石市唐丹(とうに)町花露辺(けろべ)地区 1月15日 花露辺するめ釣り 地区の船主の家 地域の子どもたち  するめ釣りは花露辺地区で、一年間の大漁を願い、子供達が船主の家を訪れる小正月の伝統行事で、年の初めに豊漁を祝い願う予祝行事。子供たちは、篠竹で作った釣り竿に紙細工の大きなするめいかを釣り下げ、各家を「大漁、大漁」と、大声を出して福を授けて回る。船主の家では大喜びしてご祝儀を出し、子供たちの顔にいか墨などを塗る。地区の人たちは2005年に途絶えていた「花露辺するめつり」を復活させたが、2010年を最後に中止になっている。大震災後も復活していない。地区は防潮堤を建設せず住民は高台移転した。(この項:唐丹町漁業協同組合ホームページ、毎日新聞東日本震災10年特集など) 一年の豊漁を願う
岩手県花巻市東和町北成島 2015年1月12日 「カラスの小正月」と「どんと祭」 三熊野(みくまの)神社 地域の住民の親子  「カラスの小正月」は、同神社御神紋の「二羽カラス」に由来する。地元の親子が互いの顔に墨をつけ合い、一年の無病息災を願う。地元有志が、戦前に町内で行われていた魔よけの奇祭を、同神社で30年ほど前に復活させた。無病息災や家内安全、商売繁盛を祈る小正月行事の「どんと祭」に合わせて行われている。
 神社境内には約70人が集まり、児童らが各家庭から集めた正月飾りや門松などを燃やした。その後、父母らは筆や軍手に燃やした灰を混ぜた墨汁を浸し、子どもの顔を黒く塗った。子どもたちも大人に墨を付けようと対抗した。
一年の無病息災
岩手県花巻市矢沢 2016年1月2日 胡四王蘇民祭(こしおうそみんさい) 胡四王神社 地元住民、全国から参加する参拝者  胡四王蘇民祭は、無病息災と五穀豊穣を祈願する祭で、花巻地方に原因不明の難病が流行したことから蘇民将来の伝承説話に基づき、慶応元年(1865)から始められたと伝わる。戦後一時中断したが、昭和49年より胡四王氏子青年会の手によって復活した。平成7年に花巻市指定無形民俗文化財に胡四王蘇民祭保存会が保持団体として認定された。
 行事は1月2日朝、社務所前の餅つきに始まり、市民の無病息災、商工繁栄、家内安全と国家安穏、五穀豊穣を祈る祈年祭(としごいのまつり)を執行。このあと参り連はは水ごりで体を清めた後、午前10時に「裸参り」を開始。地元をはじめ、大阪や岡山などから約70人が下帯と足袋だけの裸姿で参加し、天狗(猿田彦命)を先頭に胡四王神楽、縁起物のこま(護符)が入った蘇民袋とともに、たいまつを手に雪の急坂を胡四王山頂まで練り歩いた。
 山頂では新年の祈祷の後、裸参り連はうず高くつまれた木の山にたいまつの火を一斉に移して、燃え上がる炎で境内内外を清めた。続いて境内で待ち構えた男衆の中に餅まきの直後、宮司が蘇民袋を投入すると、体を激しくぶつけ合いながらの「蘇民袋争奪戦」が繰り広げられた。大人に交じって子供たちも挑戦し、「ジャッソー」と気勢を上げた。
無病息災、商工繁栄、家内安全と国家安穏、五穀豊穣を祈る
岩手県花巻市大迫町 2019年3月17日 「春祈祷・早池峰神社蘇民祭」 早池峰神社 地域住民   「早池峰神社蘇民祭」は、3月17日の春祈祷(五穀豊穣を祈る春まつり)の行事として、1969年から行われるようになった。午前10時から神事のあと、厄除け、無病息災、五穀豊穣などを願い、上半身裸の男衆が雪の境内で蘇民袋を奪い合った。男衆に水が掛けられると辺りに熱気が立ち込めた。住民らが見守る中、男衆は威勢良く「ジャッソー」と声を上げ、約1時間もみ合った。袋の中には十二支の焼き印がある365個の駒が入っていて、押し合いながら参道を下り、参道の鳥居で袋の口を押さえている人に駒が与えられた。(出典:花巻観光協会、岩手日報web版) 一年間の無病息災、五穀豊穣を祈願
岩手県花巻市石鳥谷町猪鼻 2017年1月7日 ミズキ団子作り 八重畑振興センター 小学生と婦人会 地元の伝統行事を継承するため、八重畑婦人会が2015年から開催。八重畑学童クラブに通う八重畑小学校の児童30人が参加した。児童たちは婦人会員たちの手ほどきを受けながら白、赤、黄、緑の団子を作り、高さ2mほどのミズキの枝に飾り付けて地域の繁栄を願った。作業後の昼食会ではひっつみ汁と地元産赤米を使ったおにぎりを味わい、小正月の雰囲気を楽しんだ。 地域の繁栄を願う
岩手県花巻市笹間地区 2017年1月9日 小正月行事「ねずみっこ作り」 笹間振興センターなど 地区住民や子ども約120人  「ねずみっこ」は餅を使って、神さまの使いとされる白ネズミ2匹を作り、米びつに向かい合わせて置いて豊作を祈る風習。笹間地区コミュニティー会議が主催する3世代交流事業「小正月を楽しむ会」の体験行事として行われた。3代の交流行事の参加者は、餅つきやミズキ団子作りのほか、こま回し、かるた遊びや地区に伝わる昔話の紙芝居、童歌などの小正月行事を楽しんだ。 3世代交流で昔遊びを楽しむ、豊作を祈る
岩手県花巻市笹間地区 2017年1月9日 小正月行事「ねずみっこ作り」 笹間振興センターなど 地区住民や子ども約120人  「ねずみっこ」は餅を使って、神さまの使いとされる白ネズミ2匹を作り、米びつに向かい合わせて置いて豊作を祈る風習。笹間地区コミュニティー会議が主催する3世代交流事業「小正月を楽しむ会」の体験行事として行われた。3代の交流行事の参加者は、餅つきやミズキ団子作りのほか、こま回し、かるた遊びや地区に伝わる昔話の紙芝居、童歌などの小正月行事を楽しんだ。 3世代交流で昔遊びを楽しむ、豊作を祈る
岩手県花巻市太田地区 2021年1月10日 かせ踊り奉納 大田神社 姥宿稼踊り保存会の子供たちと住民  姥宿稼踊り保存会の子供たちが、太田神社でかせ踊りを奉納し、地域の多幸を願った。例年は、地区内のむらの家で開かれる「正月行事とかせ踊り鑑賞会」に坂杉かせ踊り保存会、折沼合戦踊り保存会とともに出演した後、地区内の家々を回って繰り広げているが、新型コロナウイルスにより行事が中止となったため、単独で太田神社と太田地区コミュニティ消防センターで父母や地域住民らに披露した。太田小学校の3~6年生6人が烏帽子(えぼし)をかぶり、笛や太鼓の音色に合わせて踊った。
 姥宿稼踊りは約400年前、岩崎の一揆の際に岩崎城に立てこもっていた稗貫氏、和賀氏の残党を討ち滅ぼした南部軍が戦勝祝賀の宴に踊ったのが始まりといわれ、明治以降は豊作踊りと呼ばれるようになった。
  2022年は1月15日、むらの家で「正月行事とかせ踊り鑑賞会」が地区の世代間交流事業として開催された。地区内2団体がかせ踊りを披露したほか、豊作や家内安全を願う正月行事やゲームが行われた。むらの家管理運営協議会が主催し、地域住民ら約100人が参加した。小正月行事では豊年を願い雪に稲わらなどを植える「庭田植え」をはじめ、果樹を威嚇して豊かな実りを促す「なり樹せめ」、臼ときねによる餅つき、ミズキ団子飾りなどを体験した。
 かせ踊りは、地元の坂杉かせ踊り保存会と姥宿稼踊り保存会に所属する子供たちが雪の積もった庭で披露した。同協議会の会長(77)は「新型コロナウイルスのために行事が減り、地域のコミュニケーションも取れなくなってきている。太田の伝統行事と親睦をこれからも継続していきたい」と話した。(この項:岩手日日新聞社電子版)
地域のこの1年の多幸を祈り、地区の世代間交流を図る
岩手奥州市胆沢区 2020年2月15日 「全日本農はだてのつどい」 胆沢野球場特設会場 農業者、観光客  「農はだて」は旧暦1月10日ごろの農家の仕事始めの行事をいう。昔の胆沢地方では男たちがモドツという24本の縄をない、女達は小さな藁を束にして苗に見立てて田植えを行い、この一年の豊作を祈願した。この藁仕事を終えると正月飾りのお供え餅を下ろして皆で食べたという。「全日本農はだてのつどい」は一年の農業の豊作と農業の安全を祈って行われていた年中行事「農はだて」を再興し、日本古来の文化の素晴らしさを見直すことを目的として、いさわのまつり実行委員会が平成2年から開催している。
 2020年には2月15日に開催され、農はだての行事として昔から行われてきた「庭田植」を再現されるほか、直径2.5m、長さ4m、重さ8tの福俵を厄年連が引っ張り、豊作坂を引き上げる「福俵引き」や、小学生縄ないチャンピオン決定戦、大臼福餅つきなどが行われた。
 2021年には新型コロナウイルスの感染拡大のため中止となった。(この項:奥州市役所公式ホームページ祭りイベント情報)
一年の農業の豊作と農業の安全を祈って行われていた年中行事「農はだて」を再興する
岩手県二戸(にのへ)市 2023年1月27日夜 国の選択無形民俗文化財「サイトギ神事」 似鳥(にたどり)八幡神社 地区住民  「サイトギ」は五穀豊穣と無病息災を願い、400年以上前から続く伝統行事。井桁に積み上げた木を燃やして火の粉の舞う方向と、合わせて本殿に供えられた「オコモリ」(雑穀で作る)の崩れ具合でその年の穀物の作柄を占う神事。神をまつる「祭(さい)」と神仏に供える食物の「斎(とき)」を表す「祭斎」がなまったとされる。毎年旧暦の1月6日夜に行われ、国の選択無形民俗文化財に登録された。2023年はコロナ禍の影響で3年ぶりの復活となった。
 午後8時、ホラ貝の音を合図に太鼓が打ち鳴らされた。沢の水で身を清め、境内で裸参りをした12人の男衆は、豪快に炎が立ち上る高さ約2・7メートルのサイトギを囲み、力いっぱい約4メートルの棒でたたき、揺さぶった。井桁が揺れる度に暗闇に火の粉が舞い上がった。
 占いでは火の粉が神社側に舞うと凶作、石段側だと豊作。この夜は火の粉はまっすぐ夜空に舞い上がり、「平年作」とされた。 長年にわたってサイトギに携わってきた住民は「天気予報も暦もない時代から地域に伝わってきた祭り。昔のまま、これからも継承していきたい」と話していたという。(出典:朝日新聞デジタル)
一年の五穀豊穣と無病息災
岩手県九戸(くのへ)郡野田村 2021年1月15日 どんと焼きと大黒舞 野田の村民広場 地区住民  野田村むらづくり運動推進協議会は15日、同村野田の村民広場で小正月行事を行った。正月飾りに火を付けるどんと焼きで無病息災を祈念し、村内各地区から集まった舞い手は五穀豊穣を願い大黒舞を披露した。新型コロナウイルス感染症拡大の影響を踏まえ、規模を縮小して開催。村民が持ち寄ったしめ縄などの正月飾りに火を付け、大黒舞の舞い手が金色の扇子と小づちを振った。(この項岩手日報など) 一年の五穀豊穣と無病息災
岩手県九戸郡九戸村(くのへ) 2017年1月15日 女正月 いろり庵 戸田元村自治会住民、小学生 「女正月」は、地区の男性が、年末年始も休みなく働いた地域の女性たちを招き、手料理で感謝の気持ちを伝える恒例の小正月行事。地区の男性と戸田小6年生約20人が集まり、午前8時から準備を開始。エプロンを身に着け、手打ちそばや餅、雑煮など9品のメニューを協力して作り上げた。もてなしを受けた女性は「手作りの味が毎年楽しみ。今日は男性陣に甘えてくつろぎたい」と話した。 女性を招き、手料理で感謝の気持ちを伝える
岩手県住田町上有住の恵山地域 2015年1月11日 かせどり 地域内の家庭 地元の小学生  「かせどり」は福の神に扮した地域の子どもたちが、各家を訪ねて、大黒舞を披露し、この1年、家々にたくさんの幸せがやって来るよう願う伝統行事。各戸を訪問して餅や菓子、祝儀などをもらい集める様子から、「稼ぎとり」が語源と伝えられている。
 恵山地域では、昭和期まで地元の青年たちが小正月の夜に行っていた。昭和50年代からは子供会と育成会を中心とした冬休みの活動として定着した。
 2015年は小中学生12人が参加し、小学生が赤い帽子とちゃんちゃんこ姿の福の神に扮した。中学生とともに2班に分かれ、地域内の40戸余りを訪ねて回った。子どもたちは玄関先で、元気に「かせどりかっこ、福の神が舞い込んだ。くださる物なら何でもいい」と口上を述べ、扇子を手に大黒舞を踊った。
家々にたくさんの幸せがやって来るよう願う
岩手県和賀郡西和賀町白木野(しろきの)地区 2024年1月19日午前9時~ 白木野人形送り 集落の境 平泉地区東日本鉄道OB会員、平泉観光協会や町、駅員ら20人余り  1/19(金) 19:28配信 IBC岩手放送 IBC岩手放送 で伝統行事の「白木野人形送り」が行われました。 西和賀町西部の白木野(しろきの)地区に江戸時代中期から伝わる「人形送り」は、わら人形に地域の疫病神を背負わせて地域の外へ送り出す行事です。 過去に一度だけ中止になった年は病気が流行したと言います。 19日は午前9時から住民14人が集まり、持ち寄った稲わらを使って言い伝えの人形を作りました。 身の丈1メートルほどの人形は刀を差した侍のような格好をしていて、子宝に恵まれるという願いもあります。 完成した人形は集落の境に担いで運ばれます。地区の外から病気が入るのを防ぎ無病息災を祈るもので、およそ1キロの道のりは決して後ろを振り返ってはならず、終着点で人形は森の高い場所にある木にくくり付けられました。 (参加者) 「いろいろ地震があったりとかしたので今年はこれ以上何もないように、災害がないように。ようやくコロナも収まったので元に戻るようにお願いしました」 新しい人形はこの場所でまた一年間、地域を守る存在として祭られます。(出典IBC岩手放送) 家内安全や幸せな1年を祈る
岩手県西磐井郡平泉町 2023年12月21日 ミズキ飾り JR平泉駅改札口前 平泉地区東日本鉄道OB会員、平泉観光協会や町、駅員ら20人余り  ミズキ飾りは岩手の小正月の風習。年末に帰省する人たちや世界遺産の中尊寺、毛越寺などへ初詣での参拝客を温かく迎えようと平泉地区東日本鉄道OB会が観光協会や駅員らと21日、飾り付け作業を行った。30年以上前から続けている。小正月当日の2024年1月15日まで展示される。
 飾り付け作業は駅の改札で、会員が刈り取ってきた長さ4メートル以上あるミズキの枝を天井からつりさげ、枝には赤や黄、緑に色付けしたつきたての餅を巻き付け、枝先に宝船や米俵、だるまなどをかたどった縁起物の飾りのほか「家内安全」「幸せな一年になりますように」などの願いが記された絵馬を結び付けた。(岩手日日新聞WEB版)
家内安全や幸せな1年を祈る
岩手県西磐井郡平泉町 2015年1月15日 「作様(さくだめし)」 毛越寺 僧侶、住民  「作様(さくだめし)」は農業の神様として信仰を集める常行堂の摩多羅神(またらじん)に今年の五穀豊穣と農作業の安全を祈る法要を行った後、毛越寺の執事長が「みくじ箱」を振って、引き出した竹の棒に書かれた数字で今年の作柄を占う新春の恒例行事。
 みくじ箱に入っているのは1から10までの漢数字が記された竹の棒で、数字が大きいほど豊作とされ、気象では雨や風が強くなるとされている。占いの結果、2015年の稲の早生で「9」が出たほか大麦や小豆、たばこでも「8」が出た。
五穀豊穣と農作業の安全を祈る
岩手県西磐井郡平泉町 2024年1月20日 常行堂二十日夜祭 毛越寺 僧侶、住民、一関、奥州両市の奉納宿宿泊者  常行堂二十日夜祭は、新型コロナウイルス感染症のため見合わせていた献膳行列や火の粉を散らしてたいまつをぶつけ合う火たきのぼり、蘇民袋の争奪戦、延年の舞などが4年ぶりに復活した。一年で最も寒さが厳しくなる頃とされる二十四節気の「大寒」に新年の五穀豊穣(ほうじょう)や除災招福を祈願する伝統行事。常行堂奥殿に祭る摩多羅神(またらじん)の祭礼(14~20日)が結願(けちがん)する日に行われるため二十日夜祭という。
 堂内では午後から一山の僧侶が本尊の阿弥陀如来に花献膳、摩多羅神に野菜献膳をそれぞれ奉納後、古式にのっとり常行三昧供(じょうぎょうざんまいく)の法要が営まれた。日没後には、町内3カ所と一関、奥州両市の奉納宿から集まった常行講信徒ら約300人の献膳行列が行われた。たいまつの明かりを先頭に下帯姿の厄男や鬼子と呼ばれる幼児を背負った行列が、ほら貝や太鼓の音を響かせJR平泉駅前から同寺までの約1キロを練り歩いた。
 同寺境内に入ると下帯姿の男衆が掛け声を上げながら燃え盛る大きなたいまつを抱えて激しくぶつけ合う勇壮な火たきのぼりが行われた。常行堂に到着後は蘇民袋の争奪戦が展開され、平泉町の40代の住民が今年の取り主となった。争奪戦後の堂内では、一山の僧侶や同寺ゆかりの子どもたちによる国重要無形民俗文化財「延年の舞」が奉納された。(出典:岩手日日新聞WEB)
五穀豊穣や除災招福を祈願する
岩手県西磐井郡平泉町 2016年1月10日 「きんこならし」 達谷西光寺御供所前庭 地域の親子  「きんこならし」は豊作祈願の小正月行事。達谷西光寺の近くに住む阿部力さんの主宰で、地域の親子が参加した。クリの木の枝先に、皮を剥いて実に見立てたカツノキや、薄く削って花の形にしたコシアブラの木を飾り付けた。枝もたわわになるほどに飾り付けられた様子に参加者は「豊作に間違いない」と太鼓判を押した。
 小正月行事は、阿部さんが還暦を迎えた3年前に、子供たちに地域に伝わる習俗を体験させたいと28年ぶりに復活させた。
豊作祈願
秋田
秋田県県北地域 小正月ごろ きゃの汁 各家庭 家族    「きゃの汁」は秋田県の県北地域を中心に県内の各地に伝わる小正月料理。かつて大晦日、正月と忙しく働いた家庭の女性たちがほっと息をつけるのが小正月から三日間の「女正月」。このときに台所仕事から解放されるため、大鍋に作り置く味噌仕立ての鍋料理が「きゃの汁」、または「きゃのっこ汁」と呼ばれたという。青森県津軽地方でも同じように大鍋料理が作られ、「けの汁」と呼ばれている。
 主な具材はすり潰した豆、塩漬けした山菜、きのこ、大根、にんじん、じゃがいも、こんにゃく、豆腐、油揚げ、ずんだなどを。入れる食材は各家庭で違うが、最低でも5種類から10種類と具だくさんなことが特徴。(この項:秋田県庁あきた食の国ネットなどによる)
女正月で家庭の女性たちが台所仕事から解放される
秋田県秋田市広面 2013年1月17日 三吉梵天祭(みよしぼんでんさい) 太平山三吉神社 町内会や企業、青少年育成団体など。2013年は67団体が計76本の梵天をおさめた。  梵天祭は江戸時代頃(開始年代不詳)に始まり、地元では「秋田県固有の神事」とされている。梵天と呼ばれる依代(よりしろ)を神社に奉納する。奉納する際の先陣争いの激しさから、「けんか梵天」とも呼ばれている。
 古くからの村(町)梵天は、成人となる若者が発起人となり、思い思いの梵天を前年の内に製作する。完成後お神酒等を供え、祭事を行って、入魂の儀式を行う。その後、清浄な場所へおまつりして、日々拝礼を行い、奉納に備える。
 祭り当日は地元を一巡した後、村札(団体名を書いた札)をかざし、道祓いをしながら徒党を組み神社を目指す。ほら貝を轟かし、梵天唄を響き渡らせながら神社に近づくにつれて、各団体が揃い、大きな押し合いとなり、梵天に付いた三角守(強い霊力が宿るとされる)を取ろうと手を伸ばす拝観者が一体となり、押し合う。
  鳥居をくぐると自分たちの梵天をいち早く納めようと揉み合いになりながら先陣を争います。他の町内を押しのけ、取っ組み合いになりながらも進んでいきます。10町内が次々と境内へと梵天を奉納していきました。他の町内会からも、無事に奉納を終えられたことに対する喜びの声が聞かれた。
2024年は51団体から56の梵天が奉納された。神社のある広面地区は、2023年7月の大雨によって多くの住宅が浸水被害にあった。被害の大きかった谷内佐渡(やないさど)町内会のみなさんも、威勢のいい掛け声とともに奉納を果たし、大雨災害からのさらなる復興へ決意を新たにした。(この項秋田朝日放送など)  
五穀豊穣や家内安全・産業発展
秋田県秋田市広面 2019年1月27日 どんと祭 太平山三吉神社 地域住民ら  三吉神社の「どんと祭」は、今年一年の無病息災や家内安全を祈願する小正月行事。地域住民らは、持ち寄った正月飾りなどの縁起物や古くなったお守りなどを燃やした。 無病息災や家内安全
秋田県秋田市仁井田地区 2015年1月15日夜 「火振りかまくら」 地区内の田圃(2015年は積雪で雪原となった) 地域の住民や見物客  「火振りかまくら」は300年ほど前から地域に伝わる小正月の伝統行事。神事をした後、参加者が稲わらの束に点火し、体のまわりを振り回し、神聖な炎でけがれを清め、1年の五穀豊穣や家内安全を祈願する。水田に落ちた火の粉が土を清めるとも言い伝えられている
 2015年には長さ約270センチの束縄の先に着火し、体のまわりを振り回すと、雪原に炎の輪が浮かび上がった。約500人の見物客が訪れた。
 2018年は1月16日夜、御野場中学校隣の水田で行われ、約住民ら500人が参加した。近年は同中生徒の高校合格を祈願する意味も含まれているという。
五穀豊穣や家内安全
秋田県秋田市下浜八田地区 2017年1月8日夜 伝承行事「やまはげ」 地区内の各戸 地域の住民や見物客  「やまはげ」は同地区に伝わる小正月行事。行事を承継する同地区の青年会が、6匹の「やまはげ」に扮(ふん)し、3組に分かれて約40世帯を回った。「なまはげ」に似た面と、ワラで編んだ「ケラ」と呼ばれる装束を身に着けた「山の神」が、御幣をぶら下げた棒などを手に携え、無病息災や家内安全、子どもの成長を願いながら、町内を回る。町外に居を移した当地区出身者も、行事に合わせて子どもを連れて実家に帰ってくるという。 無病息災や家内安全、子どもの成長を願う
 秋田県北秋田市七日市葛黒(くぞぐろ)集落 2017年2月19日夜 小正月行事「葛黒火まつりかまくら」(市無形民俗文化財) 葛黒集落の田んぼ 地域の住民や観光客 「葛黒(くぞぐろの火祭りかまくら」は集落の山から切り出した木(栗、ナラ)に稲藁や豆殻を巻き付けてご神木として立ち上げ、夜に点火。燃えさかるご神木に向かって「おーい、かまくらの権五郎(ごんごろう)」と叫びながら、五穀豊穣、無病息災、村内安全、悪霊払いを祈願する旧暦の小正月行事。約250年前、江戸時代の宝暦年間(1751年~1763年)から始まったと言い伝えられている。
 もともとは子供たちが主役の行事。子供たちは集落の各家々をまわり、ご神木に飾り付ける稲藁や豆殻などを集めてまわる。ご神木となる若木は大枝を残して、笹竹、稲藁、豆殻、山うつぎ、藤ツル、杉などを巻き付けて、会場に立てられる。稲藁は「稲作」、豆殻は「畑作」を代表して五穀豊穣を祈願すると考えられ、笹竹や山うつぎは点火した時に爆竹のような音を出して、厄を払うために飾り付けている。
 ご神木の立ち上げ作業は、高さ12m、重さ3トンを超える大木を200人がかりで約1時間かけて人力で立ち上げる。日が暮れた午後6時過ぎ、会場には多数のミニかまくらの中に火がともされ、幻想的な風景につつまれるなか、神木の下に巻きつけられた稲わらに点火すると、音を立てて燃え上がり、ご神木は火柱となる。この時、子供たちがご神木に向かい「おーい!かまくらの権五郎~!」と叫ぶ。子供たちは十数回におよび「権五郎!」と叫び続ける。焼かれた御神木をチェーンソーで切り分けたものを持ち帰り、祀っておくと防火のお守りになるといわれている。
 火祭りかまくらは、コンバインの普及に伴い、祭りに使用する稲藁の確保が難しくなり1999年を最後に途絶えていたが、2014年に北秋田市の市民団体「おさるべ元気くらぶ」が葛黒集落に行事の復活を働きかけたことをきっかけに、葛黒や周辺集落、鷹巣南小学校、首都圏で暮らす集落出身者や観光客の協力による実行委員会形式で復活した。
 2017年には、市の補助金が終了したため、運営費をインターネット上で資金を募るクラウドファンディング(秋田県信用組合の「FAAVO(ファーボ)秋田」)で計30万円を集めた。資金の提供者には金額に応じて、祭りを題材にした絵本や切り分けた神木などを送る。運営費不足に悩む地域の伝統行事や祭りは全国的に増えており、ネットを通じた資金調達は新たな解決手法として注目される。
 2017年は2月19日に行われ、特設テントでは、秋田北鷹高校家庭クラブがアレンジした「バター餅スープ」が数量限定で無料提供されたほか、七日市女性会がご神木をイメージして商品化した「ごんごろう餅」や「おしるこ」、「ご神木の台座セット」、地元葛黒産の「竹炭」などが販売された。
(出典:秋田県がんばる農山漁村集落応援サイト、北秋田市公式サイト、河北新報ほか)
五穀豊穣、無病息災、村内安全を祈願する
秋田県能代市浅内地区 2019年12月31日(大晦日)夜 ナゴメハギ 地区内の各戸 住民、観光客  「ナゴメハギ」は浅内(あさない)地区につたわる大みそかの伝統行事。 国記録選択無形民俗文化財に指定されている。番楽(バンガク、秋田・山形両県に伝わる山伏神楽)用の面と稲わらで編んだケラを身に着けた地元の青年たちが「いぐねわらし(悪い子ども)いねがー」と叫びながら家々を回り、災厄をはらった。浅内ナゴメハギ保存会の20~40代の12人が浅内神社でおはらいを受けて午後6時ごろ出発。作り物の包丁やおのを手にして「山の神」に扮し、地区内の約100軒を巡った。(この項秋田魁新聞電子版などによる) 災厄を払う
秋田県男鹿市 毎年12月31日(大晦日) 男鹿のナマハゲ 男鹿半島一帯の集落 住民、観光客  「男鹿のナマハゲ」は、男鹿半島一帯の民俗行事で、大晦日に家々を訪問し、新しい年の災厄を払い、無病息災や豊作をもたらす「神の使い」または「歳神(としがみ)」とされる。大正時代までは旧暦の小正月に行っていたが、昭和になってから大みそかに行われているという。国重要無形民俗文化財で、2018年12月1日に「日本の来訪神 仮面・仮装の神々」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録された。男鹿市内の約70~80の集落で行われているという。
2018年には、男鹿市脇本富永の大倉地区で中断していたナマハゲ行事が復活した。若い世代や迎え入れる家の減少により中断していたが、1年ほど前、町内会が住民アンケートを行い復活を決めて、準備を進めた。
当日は、20~30代の8人が大晦日の午後5時半すぎ、三嶋神社に集まり、大きな赤と青の面に稲わらで作った衣装「ケデ」を身に着けて神社を出発。二手に分かれて地区内の家々を回った。「まめにしてたが」「いい子にしてたが」と子どもたちに向かって、雄たけびを上げながら家に上がった。男鹿の住民たちは酒やお膳でナマハゲをもてなすのが風習となっている。
災厄を払い、無病息災、豊作、幸福をもたらす
秋田県男鹿市 2014年10月4、5日 国文祭「全国ナマハゲの祭典」 男鹿市民文化会館 国文祭参加者  「男鹿のナマハゲ」と全国の類似行事が集い、その実演を通して、それぞれの文化的意味を再確認し、次世代に繋げる目的で、国民文化祭男鹿市実行委員会が開催した。同様の行事を受け継ぐ全国の6つの保存会が集まって解説付きの実演を披露した。
 実演は、能登のアマメハギ(石川県)、遊佐のアマハゲ(山形県)、吉浜のスネカ(岩手県)、能代のナゴメハギ、潟上市のナマハゲ、男鹿のナマハゲ(秋田県)の6行事。平成21年、ユネスコの無形文化遺産に掲載されている甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県)に関する発表も行われた。
男鹿市HP http://www.city.oga.akita.jp/index.cfm/14,9842,150,html
男鹿市観光情報ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/ogasikankoujyouhou/12844400.html
観光客の誘致
秋田県男鹿市 2020年2月7日 「来訪神 仮面・仮装の神々」の保存会サミット 男鹿市民文化会館 国文祭参加者  サミットは「男鹿のナマハゲ」など、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された「来訪神 仮面・仮装の神々」の保存会関係者らが開き、保存や継承に向け意見を交わした。登録された8県10行事のうち、6県8行事の関係者が参加。市民ら約500人も傍聴した。
 シンポジウムでは、「登録以降、行事が復活した地区があり、メディアに出る機会も増えた」と前向きな声が上がる一方、行事は人に見せる目的で行われておらず、観光客が多く訪れても受け入れが難しいといった意見も多く出た。会場では「遊佐の小正月行事」(山形県)など4行事が披露された。(出典:共同通信47ニュース)
行事の保存や継承
秋田県男鹿市 2014年2月7~9日 なまはげ柴灯(せど)まつり 真山神社 観光客  「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、大みそかに行われる「ナマハゲ行事」と、真山神社の神事「柴灯祭」を組み合わせた観光行事。3日間とも午後4時開場。祭りの最初に伝統的な湯立て神事「鎮釜祭」が行われる。釜に湯を沸かし、神官がのりとを唱えながらわらぼうきで湯をかき回し海の荒れを鎮める。次に「なまはげ入魂」、そして神楽殿で大みそかのなまはげ行事の再現劇やなまはげ太鼓を披露するほか、クライマックスには、なまはげの行列がたいまつを掲げながら雪山を厳かに下る。男鹿市の新成人らが市内の各集落に伝わるなまはげに扮(ふん)し、境内を練り歩く場面もある。
 祭りを前に、なまはげ11匹が6日、秋田県庁を訪れ、まつりをPRした。なまはげたちは知事室や観光振興課などに乱入し、「ウオー、仕事しねーやついねが」「男鹿に予算付けてけろ」と叫び、佐竹敬久知事らを脅かした。職員には「男鹿に遊びに来てね」と声をかけた。
 「男鹿のナマハゲ」は2018年12月、ユネスコ無形文化遺産に登録された。このため、勇壮な「なまはげ」たちを間近で堪能できる観光行事として「なまはげ柴灯まつり」が人気を集めるようになった。
 2021年の「なまはげ柴灯まつり」は2月12日夜、真山神社で若者らが面を受け取る「なまはげ入魂」で開幕。神社から続く山に入りナマハゲへと変わると、たいまつを手に下山して境内を練り歩き、大みそかになまはげが家々を訪れる様子が再現された。新型コロナウイルス感染予防で入場数が1日1000人に制限され、ナマハゲ役は面の下にマスクを着用。まつりの内容も変更し、男鹿の神楽「湯の舞」の奉納や市内各地区のナマハゲと来場者が触れ合う行事を取りやめた。代替として「道の駅おが オガーレ」で映像をライブ配信し、無病息災を願った花火の打ち上げもあった。14日まで行われた。(この項:河北新報など)
観光客の誘致など
秋田県山本郡三種町浜田 2019年1月13日 大どんと焼き 浜田農村公園 住民  「大どんと焼き」は、元日に獅子舞巡行を行っている浜田獅子舞愛好会が開催した。会場には、竹などを使った高さ約5mのやぐらが組まれた。やぐらに点火されると、集まった住民ら200人余りはしめ縄や破魔矢、お守りなどを入れた紙袋を投げ入れ、無病息災を願った。 無病息災
秋田県県南地域 2019年2月9日から1週間 県南冬まつりスタンプラリー 県南地方の旧正月行事 観光客  「県南冬まつりスタンプラリー」は、秋田県仙北地域振興局が、観光周遊客を増やそうと、昨年から始めた。2月9日から約1週間、県南地方で行われる旧暦の小正月行事などを巡る。対象の七つの行事を訪れ、二つ以上のスタンプを獲得すると抽選で地域の特産品などの賞品が当たる。昨年の応募総数は67件。
 対象となる七つの行事は次の通り。▽犬っこまつり(9、10日、湯沢市)▽上桧木内の紙風船上げ(10日、仙北市)▽刈和野の大綱引き(10日、大仙市)▽川を渡るぼんでん(11日、大仙市)▽六郷のカマクラ(11~15日、美郷町)▽火振りかまくら(13、14日で、スタンプ台設置は13日のみ。仙北市)▽かまくら(15、16日、横手市)
旧暦小正月行事に観光客を誘致する
秋田県湯沢市駒形地区 2019年2月8日 雪中田植え 駒形小学校 全校児童  駒形小学校は、小正月行事「雪中田植え」を学校行事として取り入れ今年で16回目。全校児童75人が、田んぼに見立てた校庭の雪の中に稲わらと豆がらの束を植え豊作を祈った。田植えを前に、地元農家が校内で講話。米俵の編み方を実演し、コメ出荷用の俵や袋の変遷を実物を見せながら紹介した。 豊作を祈る
秋田県湯沢市 2月8,9日 小正月行事「犬っこまつり・どんど焼き」 中央公園広場 一般市民、観光客20万人以上(市と市観光協会主催)  「犬っこまつり」は、秋田藩佐竹南家の城下町で約400年続く伝統の民俗行事。湯沢駅前広場や商店街に犬っこやお堂っこの雪像が設置される。盗賊が現れないように米の粉で小さな犬っこなどを作り、旧小正月の晩に、家の入り口などに供え、願ったのが始まりとされる。
 2014年には、主会場の駅前広場には15基の大きなお堂や神社が作られた。観光客が参拝したり、子どもたちが犬の雪像にまたがったりして楽しんだ。商店街にはミニお堂っこが、別の会場にも市内の4中学校が作ったお堂があり、夜間にはろうそくが灯され、会場は幻想的な雰囲気に包まれた。
 どんど焼きは、雪上に穴を掘って松飾りなど正月飾りやお札などを燃やす。雪像を公園に陳列する犬っこまつりの関連行事。一般ゴミを投入する不心得者がいたり、近所から煙害の苦情があったため一時中止していたが、2003年に再開。
 2020年は少雪のため、一部イベントを中止としたり、サブ会場の中心商店街に毎年120基ほど並ぶ「ミニお堂っこ」が駅前のみの約20基になったりと、影響が出た。 しかし主会場では市内の建設業者らが皆瀬地域から雪を運び込み、「お堂っこ」1基と「犬っこ」2基のセットを例年並みの15組制作して、観光客の期待に応えた。(出典:秋田魁新報など)  
無病息災を祈願する
秋田県仙北市西木町上桧木内 2015年2月10日 小正月の伝統行事「上桧木内(かみひのきない)の紙風船上げ」 紙風船広場 地域住民、観光客  「上桧木内の紙風船上げ」は、五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災、家内安全などを祈る小正月の伝統行事。江戸時代に秋田に滞在した平賀源内の発案した遊びだとの説もある。一時途絶えたが、有志が1974年に復活させた。以前は五穀豊穣や家内安全を願う「虫焼き」(田圃に稲わらを積み火をつけるもので、どんと焼き、天筆とも呼ぶ)と同時に行われていた。この日は、雪降りしきる夜空に武者絵や美人画が描かれた巨大な紙風船が次々と夜空に打ち上げられた。真冬の夜空に灯火をつけた紙風船がきらめく様は「冬蛍」とも呼ばれている。
 風船は8つの集落の住民や小中学生が和紙を貼り合わせ、2015年には約100個を制作。高さは2~12m、直径3mの円筒形。会場では午後6時以降、3回に分けて打ち上げた。まず風船にガスバーナーで熱気を送って膨らませ、次に風船下部の輪に固定した、石油を染み込ませた布玉(タンポという)に点火すると、風船は次々に浮き上がった。
 2016年は2月10日夜に行われ、大小計約100個の紙風船が上げられた。このうち、同市の桧木内中学校と大仙市の大曲養護学校の生徒たちは自作の紙風船と、タイの祭りに使われる小型の紙風船「スカイランタン」を打ち上げた。
 2019年には、地元住民らが2カ月かけて約100個を完成させた。秋田県内外から1万人以上の見物客でにぎわった。
無病息災、五穀豊穣
秋田県仙北市西木町上桧木内中里地区 2019年2月19日夜 「中里のカンデッコあげ」と「虫焼き」行事 塞之神(さいのかみ)堂前 地域住民、観光客 「中里のカンデッコあげ行事」(県指定無形民俗文化財)は、子宝や縁結び、家内安全などを祈願する旧暦小正月1月15日の行事。地区住民でつくる中里カンデッコあげ保存会の主催。カンデッコとは、朴(ほお)の木で作った小型の鍬のことで、このカンデッコと男根をかたどったクルミの若木をしめ縄の両端に結んで一対にし、これを神木である桂(市指定天然記念物)に投げかけて、豊作、縁結び、子宝、家内安全などを願う。狙いどおりに掛かると願いが叶えられると言われ、またその掛かったものを外して、栗や柿等の果樹に掛けると多くの実を結ぶと伝えられる。 行事では、男性たちが集落にある塞の神堂にカンデッコを供えて参拝し,その後桂の御神木にカンデッコを投げ上げた。その後,近くの田んぼで稲わらを燃やす「虫焼き」が行われ,害虫や雑草を焼き払うことで豊作を願った。(この項出典:文化庁広報誌ぶんかるweb版2019年1月31日、 仙北市イベント情報web版など) 豊作、縁結び、子宝、家内安全などを願う
秋田県仙北市角館 2009年2月13、14日 火振りかまくら 2月13日(市営桜並木駐車場)、2月14日(角館町内30数ヶ所) 地域住民、観光客 約400年前から続く小正月行事。火振りは、炭俵に1メートルくらいの縄を結び、その俵に火を付けて縄の先端を持ち、自分のからだのまわりを振り回す。炎で邪気を払い、無病息災や田んぼの厄払い、五穀豊穣を願う。近年は観光イベントとして、開催日前日の13日にも見ることができる。当日14日夕方からは、各町内のおよそ30カ所で開催される。
 2021年は新型コロナウイルスの感染予防のため、すべてのイベントを中止し、観光客の「火振りかまくら」への参加も取りやめにしたころから2月14日、各町内の住民だけで行われた。横町町内会では「地元の言葉だが『とじぇねえ(さみしい)』、寂しいところもあるが、健康に1年を過ごせるように火を回させてもらった」と住民がかたっていた。使用された炭俵も、2021年は例年の3分の1ほどの量となった。
 2022年は2月14日夜行われ、市観光課が把握する36会場のうち21会場で実施され、無病息災や家内安全の祈りを込めた光の輪が夜の闇に浮かび上がった。規模の大きい主会場9カ所では、観光客の体験を中止した。  (この項:秋田魁新報電子版、秋田テレビなど)
無病息災、五穀豊穣
秋田県大仙市花館地区 2015年2月11日 「川を渡る梵天」 雄物川と神社 地域住民、観光客  「川を渡る梵天」は、雄物川の対岸にある神社に昔ながらの渡り舟を使って、小正月行事の梵天を運び、奉納する。150年以上前から伝わる伝統事。近くに橋がなかった時代の名残といわれている。五穀豊穣や家内安全を願って、2015年は町内会や企業から15本の梵天が奉納された。 五穀豊穣や家内安全
秋田県大仙市字刈和野地区 2023年1月30日 綱よい(刈和野の大綱引き) 地区の田んぼ 地域の小中高校生と大人約100人    100メートルを超える大綱を引き合う小正月行事「刈和野の大綱引き」が2月10日に3年ぶりに開催されるのを前に、1月30日大綱作りが行われた。この「綱よい」は、地域の大人と子どもが一緒に作業するのが伝統で、3つの綱を100人がかりで持ち上げながらねじって1本の綱に仕上げていく。大綱の製作には、稲わらを三つ編みにしたグミを33本作り、やや太い綱を作る。その綱を3つ合わせて大綱とする。大綱は雄・雌の2本で、完成した綱の重さはそれぞれ約10トン。使用される稲は昨年9月、地域住民により収穫された。
 500年以上の伝統があるとされる「刈和野の大綱引き」は、「大綱」を奉納して土に返すという、現代の「SDGs」の取り組みが地域で受け継がれてきた。参加した子どもたちは、共同作業を通じて連綿と紡がれる歴史の重みと地域住民の絆も感じたという。
 報道によると、刈和野大綱引保存会の会長は「地域を挙げて『みんなでまつりをやるんだ』という意識がないと続けていけないと思う。3年ぶりの事故のない安全な大綱引きを成功させたい」と語った。(出典秋田テレビWEB)
地域の絆と 伝統の重みを守り、この一年の豊作を祈る
秋田県大仙市字刈和野 2015年2月10日夜 刈和野の大綱引き 刈和野大町通り 地域住民、観光客  刈和野の大綱引きは、室町時代から500年以上の歴史がある旧暦小正月の伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。上町(二日町)、下町(五日町)と町を二分し、太さ2.2mの大きさの綱を「ジョウヤサノー」の掛け声で引き合い、その年の米の相場や豊作を占う。上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作になると伝えられている。
 引き合いに使われる大綱は、長さが雄綱64m(42尋)、雌綱約50m(33尋)、重さ各々10トンになり、国内の数ある小正月綱引き行事の中でも最大級を誇る。
 伝説によると、平将門の一族である長山氏が刈和野に土着し、長山氏の氏神が市場を守護する神「市神」であり、その祭事として綱引きが始められたのが由来といわれる。
 大網作りはそれぞれの町が行う。二日町が作る「雄綱」は、その先端が古代中国で生まれた思想である陰陽説の陽(男性)の象徴であり、「ケン」と呼ばれる。長さは男の厄年を表す42尋(約64m)。
 五日町の「雌綱」は、その先端が陰(女性)の象徴であり、 「サバグチ」と呼ばれる。長さは、女の厄年を表す33尋(約50m)ある。
 大綱は両町内境界の中心「ドップ」付近に飾られる。両綱とも大蛇がとぐろを巻いたように積み上げる習わしになっている。
 2015年の大綱引きは午後8時から、サバグチにケンを差し込む綱合わせを行った後、午後9時から引き合いが始まった。
 大仙市は芸能人柳葉敏郎さんの居住地で、大綱引きに住民として参加していることで知られる。
 2019年は、上町(二日町)と下町(五日町)の住民や観光客ら約8千人が参加した。(大仙市公式HP等による)
五穀豊穣や家内安全
秋田県大仙市大曲地区 2020年2月15日
毎年 2月第3土曜日
大曲の綱引き(県指定無形民俗文化財) 上大町交差点 地域住民  「大曲の綱引き」は同地区に伝わる小正月の伝統行事。地域住民らが上丁と下丁に分かれて綱を引き合った。引き合いに先立ち、厄年を迎える男性でつくる大曲昭和54年会の会員らが、長さ約130メートルの綱を引いて大町通りを練り歩いた。
 綱の中央部分には、倒して回せば財がもたらされるとされるご神木「財振棒(ざいふりぼう)」が取り付けられている。練り歩きの一行が商店や飲食店などの前に差し掛かると、棒を守る54年会と倒そうとする先輩がもみ合う「棒回し」が行われ、男衆が激しい攻防を繰り広げた。
 綱引きでは、上丁が勝てば「米」が値上がりし、下丁が勝てば「豆」が値上がりすると言われている。享保年間(1727年頃)から始まった長い歴史と伝統を誇り、秋田県指定の無形民俗文化財に指定されいる。毎年 2月第3土曜日(鳥子舞と同日開催) (この項:大仙市公式サイト、秋田魁新報電子版など)
財がもたらされる
秋田県大仙市大曲上大町 2020年2月15日
毎年 2月第3土曜日
どんど焼きと鳥子舞 諏訪神社 地域住民  鳥子舞はどんど焼き、鳥子舞、ご神木争奪戦までの一連の諏訪神社の小正月行事で、毎年 2月第3土曜日に大曲の綱引きと同日開催される。祭礼では午前8時から午後4時までどんど焼きが行われる。午後2時から祠の前に高く雪盛りした祭壇で神官たちが約1時間、舞を奉納した後、鶏の冠をつけた神官が御神木をその年の恵方に向かって投じる。境内には、この御神木を奪おうと若者が集まっており、投じられた御神木の争奪戦が繰り広げられる。御神木を商売繁盛を願う商店に持参すると、御祝儀に清酒がもらえる習わしとなっている。午後3時30分頃からふきどり餅が配られる。(この項:大仙市公式サイトなど) 商売繁盛を願う
秋田県大仙市太田町 2020年2月~4月5日 「太田の火まつり」台湾と交流 台湾・新北市 台湾市民  大仙市太田町で毎年2月に行われる小正月行事「太田の火まつり」の大型紙風船3個が、交流のある台湾・新北市(人口約400万人)の樹林駅広場で4月5日まで展示された。展示は3月1日まで約1カ月の予定だったが、好評だったため場所を変えて延長した。(この項:秋田魁新報) 国際交流
秋田県にかほ市象潟町上郷地区 毎年1月15日 国の重要無形民俗文化財「上郷の小正月行事」(サエの神の小屋焼き/嫁つつき) 集落内 地域住民、横岡サエの神保存会、大森サエの神保存会  「上郷の小正月行事」は横岡と大森の2集落で行われ、集落の子どもたちが主体となり、五穀豊穣、無病息災、安産祈願などを祈るもので、1月15日に行われている。「小正月行事」には「サエの神小屋焼き」「鳥追い」「餅もらい」「嫁つつき」など一連の関連行事が含まれている。また雪中田植えや門柳立ても行われる。平成10年(1998年)、国の重要無形民俗文化財に指定された。横岡では「サエの神行事」とも呼んでいる。
 横岡のサエの神は、集落を通る道沿い4か所に「男根」をかたどった姿で祭られ、女性の子宝祈願にご利益があるとされている。サエの神小屋は、1月11日ごろ、大人や子どもが青竹や雑木の柱を組んだやぐらをワラで葺いて作る。さらにワラで作った「ヌサ」といわれる「神の依り代」を吊るしておく。
 サエの神小屋焼きは15日の午前中に行われる、その後、子どもたちは午後から「鳥追い(一番鳥、二番鳥、三番鳥)」「餅もらい」を行う。「鳥追いの唄」や「サエの神の唄」を唄いながら、「一番鳥」で横岡の4か所のサエの神小屋の焼け跡の周りをそれぞれ3周する。「サエの神の唄」を以下に示す。
 サエの神のマーラーは、一尺八寸長った~
さーぎゃーきりきりきんのんだ、中~べんごす山形
山形のがーぎゃーだ、ハーネーの木をきったぎて
テーデーマーラーやぎゃーして、一文銭であめかって
二文銭でマラかって、くーつけ、くーつけ、くーつけ
だば、そごのあばよろこんだ。ブホ― ブホー

 子供たちは、夕方から「二番鳥」「餅もらい」と称して、集落の家々を「もちもらいの唄」を唄いながら集落の80軒以上ある家々を練り歩く。子供たちを待つ集落のみなさんは、お餅やみかん、お菓子を用意しています。「もーちくれ!」「もーちくれ!」と歌いながら次の家を目指す。
 新婚の初嫁がいる家を訪れる時は、「初嫁ではれ 初嫁ではれ」「つつくはいまだ つつくはいまだ」と「はつよめ家の唄」を歌って祝福する。全て回ったあと、小学生は自宅に戻り、中学生の2人は、大人と一緒に自治会館に宿泊し、翌日「三番鳥」として出発し、横岡の小正月行事は終わる。横岡ではサエの神様は、女性の神様なので、参加する子供は男の子じゃないと「嫉妬」してしまうと言われている。
 平成15年には、大森地区で、地域の小中学生がわらで作った「サエの神小屋」に火を付けて燃やした後、ご神体(木製で、直径約10cm、長さ約30cmの男根を形どったもの)を抱えて、集落を練り歩いた。子供たちは「あさどりほいほい おんどりほいほい」と唄い、地区の全37世帯を回った。
 地域で新婚夫婦がある家では、子供たちが新妻を囲んで棒で畳を突く「嫁つつき」が行われる。「嫁つつき」は新婚夫婦が誕生した時だけ行われる。平成16年には、座敷に上がり込んだ小学生6人が「初嫁出せじゃ」と叫びながら、タラの木で作った「嫁つつき棒」で畳をドンドンと突き、新婚夫婦が現れると、子供たちは新妻を取り囲み、「つつくは今だ」とはやし立て、さらに畳を激しく突いた。約5分後に新夫が「あど、やめでけれ」と懇願して、儀式は終了した。
 大森集落では平成23年には、1月15日に4年ぶりに新婚夫婦が子宝に恵まれることを願い、子どもたちが新妻を棒でつつくしぐさを繰り返す「嫁つつき」が行われた。
 2017年には、象潟町の大森、横岡集落で、「サエの神行事」が1月15日から16日朝にかけて行われた。雪がちらつく中、大森集落では午前10時から「サエの神小屋焼き」が行われた。山から切り出した雑木を組み合わせ、束にした稲わらで覆った小屋に火を付けた。男子小中学生6人が声をそろえて唄を歌い、住民ら20人が見守った。
 横岡集落では夕方から翌朝にかけて「鳥追い」が3度行われた。最初の「一番鳥」では、男子小中学生11人が太鼓の音に合わせて「鳥追いの唄」を歌いながら集落を練り歩き、朝に焼いた4カ所の小屋跡の周りを3周した。
 (この項:文化庁文化遺産オンライン、秋田県あきた未来創造部あきた元気ムラ!公式サイト、秋田魁新報WEBなど) 
無病息災や五穀豊穣、子孫繁栄を願う。嫁つつきは新婚夫婦が子宝に恵まれるようにと祝う。
秋田県にかほ市金浦地域 2012年2月4日 掛魚(かけよ)まつり 金浦山(このうらやま)神社 地域の漁師や児童、市内17事業所の代表  「たらまつり」とも呼ばれ、地域では300年以上続くとされ、立春の行事として行われる。漁師や児童、市内17事業所の代表が参加した奉納行列は、県漁業協同組合南部総括支所の荷さばき所を出発。地元に伝わる金浦(きんぽ)神楽を先導に、漁師が2人一組でタラを縄でつるした竹ざおを担ぎ、地域内を神社まで約2キロを練り歩いた。神社で37匹のタラを奉納した。神社前の勢至公園では市観光協会がタラ汁を販売した。
 漁師達は、先月下旬から続いたしけで、地元産のタラが用意できず、北海道から取り寄せた。
 2014年は地元の漁師や企業関係者ら82人が2人1組になり、41匹を奉納した。
豊漁や商売繁盛などを祈った。
秋田県にかほ市象潟町小滝の石名坂集落 2022年1月10日 来訪神アマノハギ、サイノカミ小屋焼きと鳥追い 集落の各戸 地域住民 1月10日夜、地域の来訪神「アマノハギ」が家々を回る小正月行事が行われた。同集落では昼間にサイノカミの小屋焼きを行い、日暮れから鳥追い、アマノハギ行事が行われた。わらなどで作ったケラや、長年伝わってきたお面を身に着けた3匹のアマノハギが地元住民の厄を払い、「悪い子はいねが」などと子どもたちを戒めた。同時刻には害鳥を追い払い、豊作を願う「鳥追い」も行われ、住民2人が太鼓を打ち鳴らしながら集落を練り歩いた。住民によると、数十年前までは子どもたちがアマノハギの行事を担ってきたが、少子化に伴い現在は大人のみで実施しているという。
 近年、小滝集落のアマノハギがNHKや雑誌サピオなど全国メディアから話題で取り上げられた。住民から「あまり子供を怖がらせないでほしい」との要望を受け、“鬼”が優しくなっているという話題だ。アマノハギの主催者側が事前に各家庭に電話連絡すると、訪問を拒まれることも多い。 140軒の集落で子供のいる家庭が15~16軒。そのうち家に入れてくれるのは今では5~6軒になってしまったという。(同市小滝集落のアマノハギの保存会の話)そこで子供を戒めるだけでなく、宿題の面倒を見る“オプションサービス”が登場したというのだ。アマノハギは子供たちに「宿題やったのか、どれ見せてみろ」などと優しい言葉をかけて、楽しげにテーブルを囲むこともあるという(2016年当時)。
 現在は、小滝自治会の中に「鳥海山小滝舞楽保存会」アマノハギ部を設置して行事を伝承している。アマノハギ部ではホームページ上で、「アマノハギが子供たちであれば、可愛いアマノハギだと言って家々に喜んで入れてくれたものだが、子供のアマノハギが姿を消し、大人だけになると子供たちに怖い思いをさせたくないという家庭が増え、要望があった家にだけ出かけて行くようになった」「学校以外で子供たちだけで活動をするのは「0」に近い昨今、集団の規律や、先輩、後輩の役割を学ぶには格好の行事と考え、実施日をずらす等の工夫をして、是非子供のアマノハギを復活させたい。子供たちを脅かすのではなく、躾を目的に悪い子には「恐さも見せながら」時には「やさしく」子供と問答するようにと心がけている」と近況を報告している。 (この項:秋田魁新報電子版、NEWSポストセブンWEB版「ナマハゲが優しくなって宿題の面倒まで見てくれる」(SAPIO2016年12月号)、鳥海山小滝舞楽保存会(アマノハギ部)ホームページ、NHK総合2017年1月12日「所さん!大変ですよ衝撃映像!あの“怖い鬼”が消えちゃった!」など)
豊作や子どもの健全育成などを願う
秋田県横手市 2010年2月13日~16日
横手の雪まつり/かまくら・ぼんでん 市内各地
【かまくら】主会場は横手地域局前道路公園、横手公園 他
【ぼんでんコンクール】
2月16日(木)横手地域局前おまつり広場
【旭岡山神社梵天奉納祭】
2月17日(金)、横手地域局前おまつり広場~旭岡山神社
地域住民、観光事業者、企業、観光客  小正月行事「横手のかまくら」は約400年以上の歴史があるという、水神様をまつる旧暦の小正月行事。かまくらの語源には、「かまどの形と似ている」「鎌倉大明神を祀った」「神座(カミクラ)がかまくらになまった」「鎌倉権五郎を祀る信仰」など諸説がある。横手市公式HP「四季の祭り-横手のかまくら」によると、横手のかまくらは約450年の歴史があるといる。藩政の頃、武家の住んでいる内町(うちまち)では、旧暦1月14日の夜、四角い雪の壁を作り、その中に門松やしめ縄などを入れ、お神酒や餅を供えてから燃やし、災難を除き子どもの無事成長を祈った小正月行事・左義長のかまくらが行われていた。
 一方、商人の住んでいる外町(とまち)では、旧暦1月15日の夜、町内の井戸のそばに雪穴を作り、水神様(おしずの神さん)を祀り、よい水に恵まれるようにと祈った。 また、当時の子ども達の間では、積もった雪に穴をあけて、その中に入って遊ぶ雪遊びがあった。
 これらの風習が長い年月をかけて融合し、現在のような「かまくら」になったといわれている。  旧暦小正月のかまくらの夜は、満月がかまくらを照らし、月明かりに浮かぶかまくらに内部からはローソクの火が映り、情緒深いものがある。子供たちは、月明かりに自分の影をうつして占ったり、雪下駄をきしませて歩いたものだという。
 本来の「かまくら」は見物するものでなく、中に入って、正面にまつられた水神様にお賽銭を上げて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するものであり、かまくらの中には、子どもたちが入っていて、「はいってたんせ(かまくらに入ってください)」「おがんでたんせ(水神様をおがんでください)」といいながら、甘酒やおもちをふるまう。
 かまくらのまつり期間中、市内には、100個ほどのかまくらが作られる。
 横手市では、2010年に初めての試みとして、4日間にわたり開かれた。2月15,16日の本番に2日間の前夜祭を加えた。同市では、2009年9月の第4回B級ご当地グルメの祭典「B1グランプリ」以来、週末の観光客が増加。約30万人の観光客が訪れる一大ページェントとなっている。土、日曜に当たる13,14日に前夜祭を開催し、受け入れ体制を万全にする狙いがある。
 「かまくら」は、市内の宿泊業者などが1999年から、「ウエルカムかまくら」という1日限りの前夜祭を開催してきたが、昨年で終了した。2010年はB1効果で観光客増加が見込まれるため、商業関係者らが継続を要望。「かまくらDEナイト」と名前を変え、横手市観光協会が主催することになった。
 13,14日の前夜祭は市内4カ所のかまくら会場のうち、横手公園と市横手地域局前の2会場に計約15基のかまくらを設営。午後6時から9時まで、かまくら内でろうそくの火をともし、観光客に甘酒などを振る舞う。
 15,16日には羽黒町(7基)と二葉町(12基)の2会場も合わせて約35基となる。企業や民家に作られるものも含めれば、市内全域で約100基のかまくらが観光客を出迎える。
 2014年にはインドネシア、フィリピン、台湾など6カ国・地域の関係者がそれぞれ専用のかまくらを構えて、観光客と交流するイベントを行うなど、地域行事の国際化を図っている。
平成24年の日程
2月11日(土)・12日(日)・14日(火) プレイベント がんばろう東北 ハッピーウェルかまくら
2月15日(水)・16日(木) 400年の伝統・かまくらまつり
2月16日(木) ぼんでんコンクール
2月17日(金) ぼんでん奉納

 2017年には「横手の雪まつり」と銘打ち、2月14日から17日の4日間にわたって、小正月行事かまくら、梵天(ぼんでん)奉納祭、ミニかまくら、レーザー光線によるプロジェクトマッピング映像ショーなどが合体した観光ページェントとして開催規模が拡大した。15日夜には、横手市役所本庁舎前公園、二葉町かまくら通りなどにおよそ100基のかまくらに明かりがともり、中に入った地元の小中学生が「よってたんせー」と優しく呼びかけながら、観光客に甘酒などを振る舞った。主催者によると、全国から約33万人が訪れた。
 また、横手南小学校校庭、蛇の崎川原では、市内の小中高校生が作った数多くのミニかまくらの中にろうそくがともされ、幻想的な光景が広がった。
 2018年の「横手の雪まつり」は2月14~17日の4日間の日程で行われた。2019年には2月3日のぼんでん唄コンクールから17日の旭岡山神社梵天奉納祭までの15日間行われ、市観光協会認定の「かまくら職人」15人や市内の事業所などが作ったおよそ100基のかまくらは、高さ約3メートル、直径約3・5メートルだった。
 2021年には、横手市観光協会は2月15、16日に行われる小正月行事「かまくら」について、観光客向けの行事を中止した。観光客向けのかまくらを作らず、誘客も行わない。新型コロナウイルスの感染が広がる中、観光客の安全が確保できないと判断したという。ただし、小正月の地域民俗行事としての住民による「横手のかまくら」を行ない、要請があった町内会・子供会や企業計10カ所などに熟練集団「かまくら職人」を派遣し、かまくらを制作した。今年の横手市の積雪は一時2メートルを超えて統計が残る1979年10月以降では過去最高を記録するなか、住民らが地域の中で楽しむ、普段とは違う静かな行事となった。また、同協会は観光イベントの代替案として、2月13日夜、WEB会議システムを使って横手の小正月行事や地域の魅力を伝えるバーチャルツアーを開催した。全国各地のおよそ200人がネットツアー客として参加したという。
 2023年はコロナ禍で中止されていた観光客の受け入れを3年ぶりに再開した。2月15日初日を迎えると、会場では秋田大学の学生が考案した「かまくらサウナ」が公開され、半袖短パン姿でサウナ浴を楽しんだ。学生たちは「雪を寒いというイメージではなく、外に出ても楽しめるイメージに変えたかった」と話していた。  (この項出典:横手市公式HP、横手市観光協会電子版、秋田魁新報、毎日新聞、秋田朝日放送など)
災難を除き子どもの無事成長、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛を祈る
秋田県横手市大沢 2021年2月17日 梵天奉納祭 旭岡山神社 町内などの男衆    梵天奉納祭は横手市内の各町内などの男衆が梵天を運び五穀豊穣や家内安全を願う、横手の小正月行事を締めくくる伝統行事。約300年の歴史がある。新型コロナウイルス対策として、2021年は恒例の押し合いを行わず、境内に見物客を入れなかった。各町内や企業が梵天15本とえびす俵2基を奉納。各団体は例年の市役所前に集結する「密」を避け、午前9時ごろののろしを合図に、神社へ至る山道の入り口から約3キロの雪道を歩いて拝殿に向かった。拝殿に近づくと「ジョヤサ、ジョヤサ」と叫び、静かに手を合わせて奉納した。市民の間では「ぼんでんが終わると春がやってくる」と言われている。(この項:ABS秋田放送、秋田魁新報などによる) 五穀豊穣や家内安全を願う
秋田県横手市 2011年10月30日 梵天サミット かまくら館 県内の梵天奉納団体関係者100人  梵天サミットは、県内各地に広く伝わる梵天(ぼんでん)奉納行事を後世に継承しようと開催され、関係者約100人が参加した。前日に9団体が参加して「秋田県梵天奉納団体連絡協議会」(打川敦代表世話人)が発足したことを受けて開催された。横手市や大仙市、秋田市の代表7人が意見交換した。
梵天奉納は少なくとも江戸中期からあったといわれ、「ジョヤサ」の掛け声とともに行うのは本県特有。県内では約100カ所で継承されており、後継者不足が共通の課題という。
ぼんでん奉納行事を後世に継承する
秋田県横手市大雄 2009年2月11日 雪中田植え、どんと焼き 阿気兜台(あげかぶとだい)神社 地域住民 行事は例年、「建国記念の日」に開催される。
雪深い境内であった雪中田植えは、みの・わら靴姿の男性氏子が神事で身を清め、しめ縄で囲った神域に入って苗に見立てた稲わらと豆殻を東西南北に12束植え込んだ。
どんと焼きでは正月の飾り物を積み上げ、住民らが勢いよく燃える火でササ竹に挿した餅をあぶった。この日食べると「病を焼く」とされる。
五穀豊穣、無病息災
秋田県横手市 2010年1月8日~中旬

2012年1月上旬~2月中旬

出前かまくら 神奈川県横浜市、名古屋市、兵庫県西宮市、茨城県那珂市、岩手県釜石市 横手市役所職員、かまくら職人  横手市が全国各地に出向いてかまくらを再現する「出前かまくら」の雪を積んだトラックの第1陣が7日、開催地の横浜市・八景島シーパラダイスに向けて出発した。
 雪の搬出作業は、同市赤坂の秋田ふるさと村駐車場で行われ、除雪車を使って積み込んだ。3台の10トン積みトラックに積まれた雪は八景島シーパラダイスに向け出発した。横浜では市職員とかまくら職人の計8人が、20トンの雪で横手市の本番と同じ直径3・5メートル、高さ3メートルのかまくら1基を作る。残る10トンは子どもたちが参加しての雪遊びやミニかまくら作りに利用する。
 出前かまくらは、観光PRの一環として2000年にスタート。県外の商業団体や企業などの要望に応じて、かまくらを製作している。今年は、名古屋市、西宮市などで順次開催される。
 2011年は1月8日(土)~1月10日(月) 神奈川県横浜市 八景島シーパラダイスで「出前かまくら」が行われ、ご当地B級グルメの「横手やきそば」もかまくらと一緒に出前した。
 2015年の「出前かまくら」用の雪を積んだトラックが8日、神奈川県横浜市・八景島シーパラダイスへ出発した。2月1日まで全国計7カ所でかまくらを披露する。雪の搬出作業は横手市の秋田ふるさと村駐車場で行われた。除雪車と10トントラックが並走。除雪車がシャトル部分からトラックの荷台に雪を飛ばし、荷台を雪で満杯にした。
市職員らが全国各地に出向いてかまくらを再現する
秋田県横手市 2010年1月22日から25日 海外出前かまくら 韓国ソウル市 横手市役所  今年で10年目を迎える横手市の「出前かまくら」が初めて海外へ進出、22日から3日間ソウル市に2基のかまくらが作られる。
 伝統行事の紹介だけでなく、韓国市場をターゲットに秋田県の地場産品の売り込みや観光客誘致を目指す。ソウル市の清渓(チョンゲ)広場に人工降雪機を使って作る。ベテランのかまくら職人3人を横手市から派遣、雪を積み上げたり、穴を掘ったりの作業に当たる。
 出前かまくらは「かまくらのまち横手」のPRを兼ねて1990年から始まった「出張かまくら」が前身。市が全額経費を負担していたが、出前かまくらでは開催地と共催とし経費を一部負担してもらうことにして、2001年冬に再スタートした。
職人が海外に出向いてかまくらを再現する 
秋田県横手市山内の南郷地区 2015年1月12日 百万遍念仏講 (旧山内村南郷)三ツ屋地区の3ヵ所 地域住民  「百万遍念仏講」は横手市山内の南郷地区などに200年以上前から伝わる小正月行事。住民が輪になって念仏を唱えながら長さ10メートルのタラノキで作った大きな数珠を回して3か所で合わせて100周させるのがならわし。
 中央の「長老役」の女性が鳴らすかねの音に合わせ「ナンマイダ、ナンマイダ」と唱えた。数珠をゆっくりと回し、1周するごとに長老役が盆の中に一文銭を1枚ずつ入れ、100枚になるまで続けた。数珠が1周すると念仏を1万回唱えたとみなして「百万遍」と呼ばれる。
1年の無病息災や地域の安全などを祈願
秋田県横手市大森町袴形 2016年1月3日 県無形民俗文化財「梵天(ぼんでん)奉納 三助稲荷神社 地域住民   同神社は「商売繁盛」「五穀豊穣」「家内安泰」の祈願で知られる。雄物川の船頭衆や農民の信仰を集めて、ぼんでん奉納は現在に引き継がれ、奉納神事の激しさから「けんか梵天」とも呼ばれる。
 後継者や参加者の減少などから梵天の奉納数は、2014年に5本まで減少していたが、今年は11本に増加。梵天奉納に先立ち行われたコンクールでは、川西地区の「松田集落」「下田集落」「二ッ森集落」が優秀賞を獲得した。当日は「梵天唄」も披露された。梵天(ぼんでん)奉納の後「えびす俵」から餅まきが行われた。
 梵天奉納は2007年から7年間、小正月行事として1月第3日曜に開催していたが、参加者の減少などを理由に2015年は1月5日に開催し、今年は1月3日となった。
「商売繁盛」「五穀豊穣」「家内安泰」
秋田県横手市平鹿町上醍醐、金屋両地区 2015年1月15日 小正月行事「たいまつ焼き」 (旧山内村南郷)三ツ屋地区の3ヵ所 地域住民  たいまつ焼きは、田んぼを挟んで隣り合う両地区で300年以上続く伝統行事。今年は両地区の男衆が稲わらで作った高さ約2・5mのたいまつ各5本が用意された。
 30戸が暮らす上醍醐地区では午後6時ごろから住民が集まり、花火の合図とともに続々とたいまつに点火した。燃え上がる炎が田んぼに積もった雪を照らした。金屋地区でも同時刻にたいまつに点火、住民らが「今年1年良い年であるように」と祈った。
五穀豊穣と無病息災を祈願
秋田県北秋田市綴子 2015年1月15日 小正月行事「雪中田植え」 大太鼓の館前広場 地域住民  「雪中田植え」は、今年の稲作の豊凶を占い、五穀豊穣を願い、JA鷹巣町青年部が引き継いでいる小正月行事。2月1日が「稲刈り」で、雪の台に植えた苗の傾きを見て豊凶作や風水害の有無を占うという。
 参加者は、水田に見立てた6尺(約1・8メートル)四方の雪の台に、田植え人の青年部員(33)がミノにすげがさ姿で上がり、稲わらと豆ガラを束ねた「苗」を4条、4列、計16束、丁寧に植えていった。
豊凶作や風水害の有無を占う
秋田県由利本荘市鳥海町 2015年1月11日 「雪中田植え」 市休養宿泊施設「鳥海荘」 由利本荘市と秋田市の年男と年女9人ほか観光客   「雪中田植え」は、鳥海山麓地域に伝わる、今年の稲作の豊凶を占い、五穀豊穣を祈る小正月の伝統行事。本荘由利地域で広く見られた正月の風物詩だったが、今では鳥海町八木山集落の稲荷不動神社が伝えている。神官が当日早朝、社殿前の雪原で営んだ後、鳥海荘を訪れて再現している。
鳥海荘では、広場に設けられた3メートル四方の雪の土台に、すげがさ姿の神官が四方を清めた後、雪中にアシを立てて昆布や炭を結び付け、年男と年女が加わって、2015年の恵方の南南東を向いて田植えの要領で稲わら12束を立てた。さらに、大豆の皮をまいてお神酒と餅を供え、豊年満作を祈願した。
 6月に72歳になる近所の畜産農家は「特産の秋田由利牛を育てている。さらなる販路の拡大を願って植えた」と語った。植えた後に降雪があり、実った稲穂のように稲わらが雪の重みで適度に傾けばその年は豊作になるという。
 2017年の雪中田植えは1月15日午後1時半に開始。鳥海荘では参加者を公募し、由利牛や日本酒、ワインが付いた豊作祈願交流会も含めて、参加費はひとり3000円。定員140人で、うち年男と年女5人ずつが田植えに参加した。
稲作の豊凶を占う。五穀豊穣を祈る
秋田県由利本荘市岩谷麓(ふもと)集落 2015年1月11日 ワタワタ 地区の新婚夫婦の家庭 住民と子どもたち  「ワタワタ」は地区に古くから伝わる小正月行事。住民約100人が新婚夫婦の家庭を回り、子宝や健康を願った。
 ワタワタは、火で清めた「セェワラゲ棒」と呼ばれる生木で、木臼をたたき、棒に宿る魂を新婚夫婦に注入し、子孫繁栄や無病息災を祈願する奇習。早く集落になじんでもらうための洗礼とされる。
 午後2時ごろ、子どもたちが集落の山に埋めていた24個の「サエの神石」を掘り出して広場に運び、日暮れ後、神石の上にわらを山積みして燃やした炎で棒を清めた。
 この後、集落の新婚世帯の3組の家庭を訪問し、生木で臼を激しくたたき、新婚夫婦の子宝や健康を祈願した。
新婚夫婦の子宝や健康を祈願
秋田県由利本荘市鳥海町 2020年1月2日 「本海獅子舞番楽」正月公演 市民俗芸能伝承館まいーれ 八木山、二階、猿倉の3講中(伝承団体)  「本海獅子舞番楽」は、由利本荘市鳥海地域に伝わる国指定重要無形民俗文化財。公演には八木山、二階、猿倉の3講中(伝承団体)が出演。市内外から訪れた約140人の観客を前に計6演目を披露し、家内安全や無病息災を祈願した。
 八木山講中の「祓(はら)い獅子」では、笛やかねの優美な音色に合わせて獅子頭の上あごと下あごを打ち合わせながら舞った。その後、獅子が舞台を降り、観客一人一人の頭をかむようなしぐさを見せて厄をはらった。二階講中と猿倉講中は、式舞の「翁(おきな)」と「三番叟(さんばそう)」をそれぞれ披露した。(この項秋田魁新報電子版)
家内安全や無病息災を祈願
秋田県由利本荘市石脇地区 2024年1月21日(日曜日)午前7時 から 午前11時 まで 裸まいり 新山神社 神社の氏子、町内外の男衆、住民  「裸まいり」は新山神社の伝統行事。コロナ下の休止を経て4年ぶりに開催された。石脇地区で約200年の歴史があり、修験者の「大寒」の荒行の名残りと伝えられる。降りしきる雨と寒風の中、水ごりを取った町内外の男衆が、白鉢巻、白腰巻に注連を巻き、白足袋にわらじ履きのいでたちで隊列を組み、法螺貝を鳴らして「ジョヤサージョヤサー」の掛け声とともに、標高148メートルの山頂にある新山神社を目指して約2キロの石段をのぼった。神社にたどり着くと、供え物を奉納し、五穀豊穣や家内安全など1年の幸せを願った。
 この日は朝から冷たい雨が降り注ぐ中、参加する男性たちがまず水を被って身体を清めた。「オヤー福招くダーヨー ジョヤサ、ジョヤサ」という掛け声をあげながら、街を練り歩きました。道中で「上町裸参りの歌」「石脇さんぶつ」などが披露された。(出典:秋田朝日放送WEB、利本荘市公式HP、由利本荘市観光協会HP)
五穀豊穣や家内安全、1年の幸せを祈願
秋田県大館市 2014年2月8~9日 アメッコ市 市中心部のおおまちハチ公通り 住民、観光客  「アメッコ市」はアメを食べてその年の健康や五穀豊穣などを祈る小正月行事で400年以上の歴史があるとされる。旧正月に農家がコメから作ったあめを枝に付け、稲穂に見立てて神前に供え、豊作祈願したのが由来。作ったあめを縁起物として町で売るようになり、市になったという。「この時季にあめを食べると風邪をひかない」との言い伝えがあり、あめを買い求める市民や観光客でにぎわった。
 商店街を通行止めにした会場には、定番の「枝アメ」や「からみアメ」など、ピンクや黄色のあめをミズキの枝に飾った縁起物を中心に100以上の露店が並んだ。
 2017年には、旧暦小正月の2月11、12日に、大館市、大館商工会議所、市観光協会の主催でアメッコ市が開催された。
この時季にあめを食べると風邪をひかない
秋田県大館市十二所地区 2023年2月14日夜 かまくらやき 十二所公民館前 住民、観光客  「かまくらやき」は炭俵を回しながら無病息災などを願う小正月行事。江戸時代の旅行家菅江真澄が1803年にこの地を訪れた際に「炭俵に落ち葉を詰めて振り回す行事を見た」と記録を残していたが、その後伝統が途絶えていたことから、2011年に地元の有志が復活させた。コロナ禍で中止されていたが、2年ぶりに開催された。
 地域の人たちが燃える炭俵を回しながら無病息災などを願った。また会場の希望者にも炭俵を渡して体験してもらっていた。(秋田朝日放送電子版)
無病息災を願う
秋田県上小阿仁村沖田面(おもて)集落 2016年2月20日深夜 小正月行事「裸参り」 友倉神社周辺 住民、観光客   「裸参り」は約300年前から伝わる小正月行事。習わしでは世帯代表の行事だったが、少子高齢化で自由参加になり、村内外の若者ら26人が荒行に挑んだ。さらし姿の男性と、白装束の女性が集落中心部の旅館に集結。気温プラス1度のなか、神社までの約1キロをわら草履で駆け抜け、清めの水ごりをした後本堂に参拝した。 五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災を願う
秋田県羽後町 2016年1月15日 みかんまき 西馬音内盆踊り会館 住民、観光客   西馬音内の「みかんまき」は、結婚や出産、新築などの祝い事のあった家々が旧暦の1月15日、健康や五穀豊穣を祈念して「ミカン」を見物客にまく小正月行事。戦前から同地区各所で行われてきたが、2005年に同会館がオープンして以降、近隣の家庭や企業から寄せられたミカンを同会館前で共同でまくようになった。
 当日用意したミカンは56箱。会場では、近隣に住む家族連れや年配者など約70人が開始予定時刻の午後6時の30分以上前から集まり始めた。西馬音内盆踊りのおはやしも披露された。集まった人々は、ミカンと一緒にまかれた紅白の餅や菓子などを競うように拾い集め、買い物袋に入れて帰路についた。
健康、五穀豊穣
秋田県美郷町千畑地区 2019年1月27日夜 どんど焼き 第一暁部落会館近くの田んぼ 住民 第一暁集落のどんど焼きが、第一暁部落会館近くの田んぼで行われ、正月飾りやお守りなどと一緒に願い事を記した天筆を燃やし、地域の安全や無病息災を祈った。 地域の安全や無病息災を祈る
秋田県美郷町六郷地区 2014年2月11~15日 六郷の「カマクラ行事」と「竹うち」 町内各所 住民、観光客  「六郷のカマクラ行事」は、約700年の歴史がある国重要無形民俗文化財。六郷のカマクラは天筆の掲揚や天筆焼き、害鳥を追い払う意味を持つ「鳥追い小屋」作り、竹うちなど5日間にわたって行われる小正月行事の総称。豊作祈願の「年ごい」と厄払い、吉凶を占う「年占い」が一体となっている。延暦21年(803年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が創建したといわれる「秋田諏訪宮」の小正月の神事として行われている。
伝承によると、この行事は、京都御所で行われていた正月の火祭“左義長(さぎちょう)”の吉書焼きの遺風をうつしたもので、鎌倉初期に二階堂氏が六郷の地頭となり、鎌倉幕府の“吉書初め”の行事をもたらしたものといわれている。
「カマクラ行事」は、子どもたちの書き初めの「天筆」に始まる。12日は市が開かれ小正月年越しの準備の日である。この日から天筆を長い青竹の先につけて戸外に立てておく。
13日あたりから、鳥追い小屋作りが始まる。鳥追い小屋と呼ばれる雪室は、雪を40cmくらいの厚さに四角に積み上げて、天井に茅を編んで作ったむしろを載せて作る。鳥追い小屋の中に「鎌倉大明神」が祀られ、子どもたちは互いに鳥追い小屋を訪問し合い、鳥追いの歌を歌うなどしてすごす。15日になると小正月の餅つきが始まり、柳まゆ玉を作って神棚を飾る。
 最終日の15日夜、町中心部の広場で大人が北軍と南軍に分かれて、長さ5~6mの竹を振り下ろして打ち合う「竹打ち」が行われる。非常に危険な祭礼のため、男衆はヘルメットを着けて参加する。3回勝負で、北軍が勝てば豊作、南軍が勝てば米価が上がるとされる。竹打ちの3回目の決戦の際に、正月の注連飾り、神符や門松とともに願い事を書いた天筆を一斉に焼く、「天筆焼き」が行われる。天筆が火の粉とともに夜空に高く舞うと、無病息災や家内安全などの願いが天に届けられてかなうのだという。

「六郷のカマクラを考える会」が、行事に来られない人の願いも届けたいと、2012年から天筆の代筆を行っている。東日本大震災をきっかけに、県外の人たちにも願い事を寄せてもらう形で参加を呼び掛けている。2014年には首都圏などから数多くの願い事が届き、2018年には、仙台市や東京都など県内外から74件の依頼があったという。
2020年の「六郷のカマクラ」の実行委員会(2月11~15日開催予定)は、会場の雪不足の影響で、衆が青竹で打ち合う「竹うち」と松飾りなどを燃やす「どんと焼き」、住民の願い事を書いた紙を掲げる「天筆掲揚」の中止を決めた。掲揚する青竹を固定するだけの雪がないなどの理由から。 (この項、秋田魁新聞電子版、wikipedia等)
豊作などを祈る
秋田県三種町上岩川 2020年2月1日 小正月行事「勝平鳥追い」 勝平集落 子どもたち、住民  勝平鳥追いは、農作物を食い荒らす鳥を追い払う鳥追い唄を子どもが歌い、五穀豊穣と無病息災を願う小正月行事。少子化で集落には昨春から小学生がいなくなったが、町内から琴丘小学校の児童19人が参加し、行事を盛り上げた。
 午後6時すぎ、勝平農村公園にかがり火がたかれ、住民ら約70人が見守る中、児童たちが鳥追い唄を歌った。拍子木を打ち鳴らしながら「男鹿の島ちけがら佐渡の島さボヤーレ、ボヤーレ(男鹿は近いから佐渡へ追い払え)」と声を合わせた。かがり火の周囲を3周した後、集落内を一巡した。(この項出典:秋田魁新報WEB)
五穀豊穣と無病息災を願う
秋田県県北部、南秋田地域 2015年1月上旬 小正月名物「ずんだ」 地域各所の商店、スーパー 住民  「ずんだ」は、秋田県・南秋田地域で小正月に食べる郷土食。青大豆を粉にしてから水で練って焼いたもので、山菜や野菜を煮込んだ「きゃのこ汁」に入れて食べる。時期になるとスーパーや商店に並ぶ。五城目町では朝市にもお目見えし、昔ながらの味を買い求める客でにぎわっている。
 県北部や南秋田地域では、正月の準備で疲れた女性たちのため、きゃのこ汁を作り置きし、小正月に数日がかりで食べる習慣がある。ずんだは一口大に切り、一緒に煮込む。同町の朝市では、焦げ目が付いたうぐいす色のずんだが店頭に並んだ。一緒に煮込むワラビやフキを扱う店もあった。
正月の準備で疲れた女性たちのため
山形
山形県酒田市

 
2014年1月11日

 
餅つきや「なし団子」作り
平田保育園
園児ら50人

 
 同園は、園児たちに伝統行事への理解を深めてもらおうと初めて開催。地元の伝統文化に詳しい元平田町中央公民館長が協力した。
「なし団子」は、1月の「小正月」に五穀豊穣を祈願し、「水不足にならないように」という願いを込めたミズキの木の枝に紅白の餅を飾り付ける。
この日は全園児を前に、公民館長が「お米がいっぱい採れるように稲の穂に見立てた枝に餅を付ける」「お年玉は昔、お金ではなく餅だった」と話をした後、年長児25人がきねと臼で餅つきを体験した。年長―年中児約計50人がつき上がったばかりの餅を団子状に丸めた。「願い事をしながら、しっかりと付けること」と指導を受けながら、園児たちは紅白の餅を枝に飾り付けていった。
五穀豊穣を祈願
山形県酒田市山元上千刈田

 
2020年1月11日

 
小正月行事を楽しむ会
古民家「旧阿部家」(市指定有形文化財)
市内の園児や小学生ら22人

 
 行事は「旧阿部家の四季を楽しむ会」が1986年から毎年この時期に開催。きねと臼でついた紅白の餅を丸めてミズキの枝に刺して豊作を願うなし団子づくりや、新雪が積もった庭を田んぼに、稲わらを苗に見立てて田植えを再現し、五穀豊穣を祈る神事の雪中田植えなど伝統行事を体験した。「旧阿部家」は1960年に建てられた古民家。 (この項毎日新聞WEB地方版2020・2・13) 五穀豊穣を祈願
山形県寒河江市幸生

 
2018年3月11日

 
病(やんまい)送り
地区内 住民  「病(やんまい)送り」は、家内安全や無病息災を願って住民が練り歩く伝統行事。銅山で同地区が栄えた明治初期に、はやり病を追い払うために行ったのが起源とされ、140年以上続いている。疫病神に見立てた鬼を描いた紙と、火事をイメージした赤南蛮などをぶら下げただんご木を、家の玄関付近に刺しておき、川に流して厄をはらう。
幸生小の全校児童16人を含め計約30人が、太鼓と笛を演奏しながら地区内約2キロを練り歩いた。玄関先に置かれただんご木を子どもたちが回収し、熊野(ゆうの)川に架かる立岩橋の上から流した。(この項出典:山形新聞オンラインなど)
家内安全や無病息災
山形県寒河江市平塩地区

 
2018年3月2日

 
御塞神祭
平塩熊野神社
神社の神職、氏子、参拝客

 
御塞神祭は、数百年前から続くとされる旧暦小正月の伝統行事。旧暦小正月の早朝、神社裏手の山から松の木を伐り出し、御塞神様の御神体となる男根を作る。男性を象徴する男根は小さいものは10センチ前後、大きなものは50センチ前後あり、夫婦和合という意味から大きさを揃えた2つが対にして作られる。例年作られるのは12対ほどで、仕上げるのに夕方までかかる。
  神社で祈祷して魂入れをした後、女性をかたどった石塚の御塞神様に奉納。午後8時半ごろ、神職や氏子総代などの一山衆(いさんしゅう)によって「まくぞー」の掛け声とともに、近隣から集まった参拝者の頭上高く撒かれた。
 ご神体を持ち帰った人には、子宝や子孫繁栄など様々なご利益があると言われ、激しい奪い合いが行われる。獲得できなかった人のため、御神体と同じ御利益があるとされている熊野神社の御札もまかれた。
 2019年には、2月19日に行われ、長さ15~60cmほどの大小の30体のご神体が用意された。午後9時ごろ参拝者に撒かれ、“大物”のご神体を獲得した同市白岩の男子高校生は「将来、立派な子どもを育てて親孝行したい」と話した。
 氏子らの風習では御塞神祭の前日に餅つきをする。また、お団子を作ってミズキの枝に刺した「だんご木」を座敷に飾る。旧暦小正月の祭礼当日には正月飾りの門松を各家の庭先で燃やして、御塞神祭に参加する。(この項出典:ダイドードリンコ日本の祭り、山形新聞オンラインなど)
子宝や子孫繁栄、家内安全
山形県西村山郡西川町大井沢地区 2023年2月16日 山の神様おんび 中村集落の各家 小学校入学を控えた園児2人と住民  「山の神様おんび」は小学校入学を控えた園児2人がご神体を納めた厨子(地元では「ほこら」という)を背負い、集落の家々を巡り、五穀豊穣や家内安全などを祈る伝統行事。少子化などの影響で中止を余儀なくされてきたが、今年8年ぶりに復活した。
 ご神体は、木像と石像の2体で、ともに高さ50センチほどの大きさ。90年ほど前から伝わっているという。年長児が成長した姿を地域住民に披露する意味合いが込められているという。
 子どもたちは背中をすっぽりと覆うほど大きなほこらをおんぶし、約2時間をかけて、雪道を踏みしめながら集落内の14軒を巡った。2人は玄関先で「山の神様、来ました」と大きな声であいさつし、家人がにこやかに出迎えてさい銭や餅を供えて手を合わせた。住民は「元気に、大きくなってね」「小学校に行っても頑張ってね」などとねぎらい、次の家庭へと送り出した。(山形新聞社msn.comによる)
五穀豊穣や家内安全などを祈り、子どもの成長をねぎらう
山形県飽海郡遊佐(ゆざ)町吹浦 1月1日または3日、6日 遊佐の小正月行事(アマハゲ)(国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産) 市内の神社 集落の各家  「遊佐の小正月行事」は、吹浦地区の女鹿・滝ノ浦・鳥崎の3集落に伝わる民俗行事で、アマハゲ、鳥追い、ホンデ焼きの三つの関連する行事をいう。1984年に国の重要無形民俗文化財に指定された。実施日は滝ノ浦では1月1日、女鹿は1月3日、鳥崎は1月6日に行っている。なかでもアマハゲが有名で、2019年にユネスコ無形文化遺産に「日本の来訪神」の一つとして登録された。
 アマハゲは、鬼や翁などの仮面をかぶり「ケンダン」と呼ばれるワラを編み込んだミノを着た異装の「神様」に扮した若者が各家を訪問し、餅を配りながら、子どもたちの怠惰を戒め、お年寄りの長寿を願い、家を清める。
 鳥追いはヨンドリ・ヨナカドリ・ヨアケドリ・アサドリの4回行われ、太鼓に合わせて鳥追い唄を歌いながら集落内を回り、豊作を願う。ホンデ焼きは門松(ホンデ)やしめ縄、アマハゲで使ったケンダンを焼く。この一連の風習を小正月行事と呼んでいる。
 2014年には女鹿集落では、3日夕から夜半にかけ、若衆8人が鬼のような形相の面をかぶり、「ケンダン」と呼ばれるワラの「みの」を幾重にもまとった姿で神の化身である「アマハゲ」に扮した。仮面は赤鬼、青鬼、赤じんじ、黒じんじ、がんぐつ―と呼ばれる5種の漆塗りの面を交代で着けてアマハゲになる。集落の神社で祈祷を済ませ、夕方から各戸を回る。
 太鼓の音を合図に奇声を上げながらアマハゲが家の中に入ると、小さい子供を抱き上げて脅したり、玄関に放り投げたりして暴れる。子供たちは泣き叫んだり、両親や祖父母らにしがみついていた。
 2014年には、海よりの強風にあおられた雨がたたき付ける中、アマハゲたちは4時間余で集落内の30戸ほどを回った。(この項:文化庁文化遺産オンライン、山形県文化財検索サイト「山形の宝検索navi、山形新聞WEB、河北新報WEBなど)
子供たちの怠け心を戒め、お年寄りの長寿を願う
山形県上山市 毎年2月11日 加勢鳥(カセドリ) 市内各地 住民、観光客、上山市民俗行事加勢鳥保存会  カセドリは、山形県上山市で毎年2月11日に開催される旧暦小正月の伝統行事。名称は「稼ぎ鳥」または「火勢鳥」に由来しているともいわれている。祭りでは五穀豊穣、商売繁盛や火伏せを祈願する。上山地方では寛永年間からこの祭りが行われており、1896年(明治29年)以降は途絶えていたものの、上山市でこの行事を復活させようと活動が始まり、1959年(昭和34年)に再現され、1986年(昭和61年)には上山市民俗行事加勢鳥保存会が結成され、現在に至っている。
 祭りでは、裸の若者たちが「ケンダイ」とよばれるわらで作った蓑(ミノ)を身にまとい、神の化身である「カセ鳥」に仮装する。2014年には29人の「カセ鳥」が上山城をスタートし、太鼓に合わせて、「五穀豊穣、商売繁盛、火の用心、カッカッカーのカッカッカー」と歌い、跳びはねながら市内を練り歩いた。
 沿道の住民たちや観光客は、カセ鳥めがけて、ひしゃくやバケツで勢いよく冷水を浴びせた。観光客から「寒そう」「頑張れー」と声が上がっていた。 この時期の上山市は厳寒期で、カセ鳥に浴びせた水が凍りつくこともあるという。踊り終えたカセ鳥たちは、住民たちから酒や祝儀を振舞われる。頭に手拭をくくりつけられることもあるが、これは商売繁盛の呪い(まじない)とされる。
 地元の人たちの言い伝えでは、そのケンダイから抜け落ちたワラ一本一本に神が宿ると考えられており、縁起物とされている。また、加勢鳥のワラで女児の髪を結うと、黒髪の豊かな美人になるという。
 2020年には男女34人が神の使いである加勢鳥となり、ポーランド人も参加したという。(この項出典:上山市観光物産協会、wikipedia日本語版、スポニチ、産経ニュースなど)
五穀豊穣、商売繁盛、火の用心
山形県米沢市

 
2010年1月15日~

 
かまくら村


 
小野川温泉・児童公園

 
小野川温泉観光協議会

 
 小野川温泉観光協議会が旅館宿泊客や観光客向けにかまくら5基の村を開設した。
 協議会は、宿泊客らに小野川の冬と雪を楽しんでもらおうと、2001年から毎年「かまくら」を作っている。今年は近くのほたる公園から雪約24トンを運び、重機も使って10日ほどかけて作った。例年は3基ほどだが、好評のため2010年は5基に増やした。
 かまくらは高さ3.3メートル、直径4メートルほど。内部は高さ2.5メートル、奥行き2メートルの広さ。テーブルといすを置き、4人が楽に座ることができる。見学は無料。温泉旅館14軒が、かまくら体験とラーメン出前、小野川名物の豆モヤシを使ったすき焼きを提供する宿泊プランを用意した。携帯電話による注文で、近くの食堂2軒から米沢ラーメンが1杯600円で届く。
 



 
山形県米沢市  2015年1月10日  さいと焼き 白布温泉中屋別館不動閣向い広場 

 
 白布温泉のさいと焼きは、藁や萱などを積み上げ、門松や正月飾り、御札などを一緒に燃やす。さいと焼きの火で焼いた餅を食べると、その1年無病息災でいられると言われている。 1年の無病息災
山形県米沢市  2019年2月9~10日  上杉雪灯篭(ゆきどうろう)まつり 上杉神社境内 

 
「上杉雪灯篭」では、参道を中心に高さ約2メートルの雪灯篭154基に明かりが入り、観光客は幻想的な世界を楽しんだ。市民グループや企業など約100団体が作り、ろうそくや有機EL照明の明かりがともされた。42回目となる2019年は雪不足で、会場外から雪を運び込み、雪灯篭の数を昨年より約70基少なくするなど規模を縮小した。雪灯篭の点灯は9、10の両日とも午後5時半~9時。日中はステージイベントなどの催しがある。 観光客の誘致
山形県米沢市笹野  2024年1月17日  笹野観音十七堂まつり「火渡り」 笹野観音十七堂 

 
 笹野観音十七堂まつりは、新年最初の縁日にあたる1月17日に行われる伝統行事。参拝者が素足で「火渡り」を行い、五穀豊穣、無病息災や家内安全を祈願した。境内では、山伏による法要のあと、杉の木を積み上げた護摩壇に火が入れられた。このあと「火渡りの荒行」が行われた。
 「火渡り」は心身の邪気を焼き払うとされる儀式で、山伏と一般の参拝者が火が残る護摩壇の上を次々と歩いた。(出典:さくらんぼテレビ)
五穀豊穣、無病息災や家内安全を祈願
山形県鶴岡市

 
1月15日  どんど焼き  荘内神社   地域住民  古いお札や門松などの松飾りやだるまなどを燃やす。竹を燃し木とする。スルメや昆布をあぶって食べると、1年間、無病息災でいられると言われ、参加者は長い竹ざおの先に付けたスルメなどを炎にかざして焼く。 家内安全や祈願成就を祈る 
山形県鶴岡市加茂 2023年2月16日 厄よけ豆まき行事  妙定寺   檀家、地域住民  「厄よけ豆まき行事」は日蓮上人の誕生日とされる2月16日に毎年行っている伝統行事。その昔、日蓮が村人を苦しめていた大蛇に小石を投げ、お経を唱えて退治したという言い伝えが由来。コロナの影響で3年ぶりの開催となり、今年は約60人が参列。僧侶が祈とうした大量の豆や餅など、約300キロがまかれ、参列者は持参した風呂敷などを広げ拾い集めて持ち帰った。「災害がいろいろあったので、厄払いと思って来た。豆は家族・離れた娘に送る」などと語っていた。(YTS山形テレビ) 豆を食べて厄払い 
山形県尾花沢市北郷地区

 
2016年1月11日  地蔵ころがし  荘内神社  地域の小学生と住民   「地蔵ころがし」は、200年以上前から伝わる、家内安全や無病息災を祈願する小正月の伝統行事。
 地元の小学生5人が30センチほどの木彫りの地蔵に綱をつけ、道を引きずって地区の全世帯およそ60軒を回り、地蔵についた雪を落として1年の無事を願う。ことしは暖冬の影響で雪が少なく、子どもたちはお地蔵さまに雪をまぶしたあと、玄関先にたたきつけ、雪を落としていた。
 落ちた雪が多いほどその家庭に幸せが訪れると伝えられ、地区の住民は落とされた雪に手を合わせ、地蔵さまの頭をなでて、家内安全や無病息災を祈願した。
家内安全や無病息災


 
山形県長井市・置賜(おきたま)地域

 
1月15日

 
ヤハハイロ(ヤハハエロ) 地区の広場  地区住民、観光客  「ヤハハイロ(ヤハハエロ)」とは「弥栄えろ(いやさかえろ)」の意味で、無病息災や五穀豊穣を願って正月飾りや古いお札を藁でつくった斎塔とともに燃やす神事。長井市をはじめ西置賜地方での新しい年の火祭りの名称をヤハハイロ、サイト焼き、オサイトなどと呼ぶという。
 地域の風習では、ちり紙、ティッシュなどの紙で体の悪いところを拭いた後、燃え盛る神火で燃やし、火に向かって「ヤハハイロー、目くそ鼻くそ飛んで行けー」、「ビンボー神を持っていけ 福を持って来い ヤハハ~イロ~」など大声で囃したてて厄払いとした。
五穀豊穣と無病息災を祈る
 
山形県長井市  2024年1月7日  だんごさげ  白兎集会センター  地区住民   「団子さげ」は、山形県の置賜地域などで五穀豊穣や豊作、家内安全、この一年の福を願い、ミズキ(だんごの木)に紅白のだんご、色とりどりのふなせんべいや折り紙など飾り物を下げて神棚や床の間などに吊るす小正月の伝統行事。ミズキは八方に枝が伸びる縁起の良い木。大きな木ほど喜ばれる。(長井市観光協会、山形新聞電子版) 五穀豊穣、家内安全、一年の福を祈る
 
山形県東置賜郡高畠町  2017年1月8日 わらじみこし祭り  町内の昭和縁結び通りなど  地区住民、観光客     「わらじみこし」は、小正月の恒例行事。出羽三山参りの道中安全や足の健康を祈願して、町民が同通りの大日如来像にわらじを奉納したのが始まりとされる。
 さらしにねじり鉢巻きをした上半身裸の若衆約50人が大きなわらじをかついで「わっしょい、わっしょい」と威勢良く街中を練り歩き、見物客から清めの水をかけられながら、無病息災を祈った。地元の保存会が県内外から担ぎ手を募って実施。最近の担ぎ手には女性も見られ、今年は台湾の女性も参加していた。
 大わらじは1足の長さが約3.5m、幅1.5m。重さは2足で計約400キロになり、水を含むと600キロほどになるという。  2024年は1月14日(日)に行われ、地元の若者や大学生などおよそ40人が参加し、重さ300キロを超える大わらじを担いで練り歩いた。夜には恒例のお斎灯焼きも行われ8mの高さに組まれたワラを燃やし、訪れた人たちは今年1年の無事を願っていた。(この項YTS山形テレビなど)
道中の安全、無病息災を祈る 
山形県西置賜郡小国町 1月15日 サエズ(サイズ、サエジ)焼き  町内各地の集落  地区住民   サエズ(サイズ、サエジ)焼きは正月飾りやお札を焚き、五穀豊穣、無病息災や厄除けなどを祈る小正月行事で、小国町独自の呼び名。サエズの火であぶった餅を食べると一年健康でいられるという。先人たちは土地に宿るカミを信じ、サエズの神火に一年の無事と集落の安寧を祈ってきたと言われている。(出典:小国町広報2022年1月号電子版) 一年の無病息災を祈る 
山形県東田川郡庄内町千河原 2018年1月14日  やや祭り 八幡神社  地元の子どもたちと住民   やや祭りは安産の神様を祭る八幡神社の歳越祭の異称で、小正月行事とされている。弥生時代に在位した第15代応神天皇の皇子・大山守命(おおやまもりのみこと)が後継ぎ争いで悪臣に追われ、千河原の妊婦にかくまってもらった際に「私はたとえ死んでも神となりおまえたちの身を守ってやろう。難産のときは私の名を唱えよ」と言い残した伝説が起源とされる。祭事では、上半身裸でわらの腰みのを着けた少年たちが冷水を浴び、健康を願った。
やや祭りの名前の由来は、若者が手にしたわらで互いにたたき合った風習の掛け声が「ヤー、ヤー」だったという説や、子どもを示す京都なまりの「やや」が元など諸説ある。今年は祭りの主役として4歳から小学校5年生までの男子11人と、社名旗持ちとして余目三小5年の渡會優成君が参加した。
神社社務所前に設けられた特設舞台では、「けんだい」という腰みのとさらし、白い鉢巻きを身に着け、両手にろうそくを持った上半身裸の少年たちが勢いよく冷水を浴びた。その後、少年たちは集落内を練り歩いて同神社に参拝した。
この1年の健康を祈る 
山形県東田川郡庄内町清川地区  2019年1月3日
 
清川塞(さい)の神とデグ様 歓喜寺と地区内民家
子どもたち、住民 「清川塞(さい)の神」は、五穀豊穣や子孫繁栄を願う伝統行事。塞の神は外部からの疫病や悪霊を防ぐとされ、地区内10集落ごとに継承している。祭礼では烏帽子(えぼし)形の「トンキン」をかぶった子どもたちが、着物を着た武家姿の木製人形「デグ様」を持って家々を巡りながら練り歩いた。各集落の子どもたちは、最初に地区内の歓喜寺を参拝した後、地域の民家を回った。太鼓の音が響く中、玄関先で「ござた、ござた(ごめんくださいの意味)」で始まる唱え言で一年の安寧(あんねい)を願い、家人から餅やおひねりをもらった。
 新屋敷集落では小中高校生の男子4人総出で回り、最年少の小学4年生が集落名の「新」と書かれた剣を持って先導した。(この項出典:山形新聞オンラインなど)
五穀豊穣や子孫繁栄を祈願
山形県西村山郡西川町大井沢  2015年1月12日  ゆきんこ祭り  伝承館   地元の住民   同町の12日の積雪は、平年よりも1m多い2m27cm前後もあった。伝承館では、その豪雪に負けず、小正月を楽しく過ごしてもらおうと8年前から住民とともに毎年開催している。
 ゆきんこ祭を訪れた人たちは、五穀豊穣や無病息災を祈願する縁起物「だんご木」を飾ったり、月山和紙の絵付け体験などを楽しんだ。会場ではうるち米の粉に砂糖水を混ぜて作る大井沢の伝統菓子「しろもち」作りも行われた。子どもたちは、手作りの輪ゴム鉄砲を使った射的コーナーなども楽しんだ。
 会場では、餅やおでんなども振る舞われた。
五穀豊穣と無病息災を祈る 
山形県最上郡最上町 2017年2月4日夜 大お柴灯(だいおさいど)まつり  赤倉温泉  20~30代の下帯姿の若者、地区住民や観光客

 
   「大お柴灯(だいおさいど)まつり」は、「鳥追い」と呼ばれる20~30代の下帯姿の裸となった若者10人が、たいまつ片手に雄たけびを上げながら温泉街を駆け巡り、家内安全や商売繁盛を祈願する小正月行事。
 「鳥追い」の若者10人は神社で採火したたいまつを掲げ、「鳥追いじゃー」と気勢を上げながら温泉街を駆け抜けて会場に到着。稲わらに古いお札や正月の縁起物、だるまなどが積まれた高さ約7メートルのお柴灯の周りを走って点火すると、大きな火柱が立ち上がった。会場ではミカンまきや開運大抽選会も行われ、多くの地区住民や観光客が楽しんだ。
 赤倉温泉のお柴灯は例年、1月中旬に行っているが、今年は赤倉温泉スキー場で全国中学校スキー大会のアルペン競技が開かれることから日程を変更、特別に花火も打ち上げた。
家内安全や商売繁盛を祈願
山形県最上郡大蔵村  2015年1月7日  「さんげさんげ」  肘折温泉  山伏と行者姿の一行

 
 欲を清め新年を迎える行事で、旧暦に合わせ毎年1月7日に行われている。白装束の山伏と行者姿の一行は、積雪2m以上になる温泉街の中を、「さんげー。さんげー。ろっこんざいしょー(六根罪障)」と唱えながら、ほら貝を吹いて練り歩いた。天気は雪で、一行は頭に雪を積もらせながら歩いた。 欲を清め新年を迎える 
宮城
宮城県

 
1月14日
 
どんと祭
 
県内各地の神社など
 
一般参拝客5万人以上

 
 どんと祭は14日、宮城県内の神社などで行われる。熱心な参拝者は白装束やさらしを体に巻いた姿で「裸参り」をするのが恒例となっている。
 仙台市青葉区の大崎八幡宮では松飾りやしめ縄などの正月飾り、お札などを燃やして正月に迎えた神々を送り出す送り火の神事を行う。午後4時半に火入れを行い、参拝客が御神火に正月飾りを投げ込み、火にあたる。体にさらしを巻いただけの「裸まいり」を行うグループ(100団体、約3000人)もあり、御神火を回って商売繁盛などを祈願する。東北最大規模を誇る。
1年の無病息災、家内安全、商売繁盛

 
宮城県仙台市青葉区八幡 毎年1月14日夜 どんと祭「松焚祭」 大崎八幡宮 参拝者、観光客  松焚(まつたき)祭は三百年の歴史があり、正月送りの行事として、地元では全国で最大級の行事と言われている。境内の一角に近郷近在の家庭より、持ち寄られた門松・注連縄・松飾りが積み上げられ、日没の頃「忌火」により点火され焚き上げられる。なお、神社側では、「御神火にはダイオキシン発生の元となるビニール等を入れぬようお願いします」と参拝者に注意を呼びかけている。
 この火は、正月の間に各家庭に訪れていた神々を送る「御神火」として、あたると心身が清められ、一年間無病息災・家内安全の加護を得るという言い伝えがあるという。
 2013年の松焚祭では、高さ約3メートルに積み上げられた飾りに点火されると大きな「御神火」の炎が上がった。東日本大震災で知人の親類が犠牲になったという仙台市の男性(60)は「二度とああいうことは起こらないでほしい」と願っていた。
 境内には大雪の中、「裸参り」をする人たちの行列ができた。裸参りは、江戸時代中期から行われているという伝統行事。白鉢巻き・白さらしを巻き、口には私語を慎む為に「含み紙」と呼ばれる紙をくわえ、右手には鐘、左手に提灯を持ち、市内各所より数千人が参拝する。杜の都・仙台の冬の風物詩として知られる。
 2015年の裸参りには御神火を目指して白装束姿の121団体の男女約3800人が参加。東日本大震災で被災した宮城県女川町のカキ養殖漁師3人は「芳漁丸」と書かれた旗を掲げて参拝した。「カキ処理場を復旧して昨秋、無事に出荷できた。復興支援に感謝の気持ちを示した」と語った。
御神火にあたると心身が清められ、一年間無病息災・家内安全の加護を得るといわれる。
宮城県仙台市泉区 2015年1月10日 チャセゴ 松陵地区の民家や商店 「松陵YOSAKOI隊」と子供たち  チャセゴは県内各地に伝わる小正月行事で、子どもたちが七福神の格好で地区内を練り歩いて踊る。新興の住宅地域にも根付かせようと、地元のよさこい踊り団体「松陵YOSAKOI隊」が始めた。2015年で13回目。
 4歳から11歳までの12人が参加した。「明けの方からチャセゴに来ました」と掛け声を上げながら民家や商店を回り「福が訪れますように」「(震災から)復興が進みますように」と口上を述べ、おはやしに合わせて大黒舞を踊った。
東日本大震災で被災した地域の復興やみんなの幸せ
宮城県仙台市
 
1月14日
 
もち花づくり 仙台市の家庭 地域住民
 
子どもたちがキャラメルぐらいの大きさの紅白もちを高さ約2mのミズキの枝に刺し飾りつける もちを木に飾って家をにぎやかにする
宮城県仙台市青葉区北根 2015年1月 どんと祭が消える 北根妙見神社    北根妙見神社では、御神火をたいていた広場が、ことしから使えなくなったため、どんと祭が取りやめとなった。道路の拡張工事に伴って約30年前、地元企業によって現在の場所に移されたが、昨年3月末、企業と町内会との無償貸借契約が終了。どんと祭が行われていた約100平方メートルの広場や社務所の建つ土地を企業側に返還したためという。
 神社のどんと祭には毎年約800人の地元住民が訪れ、甘酒やめざしの瓦焼きが振る舞われた。正月飾りは泉区の二柱神社などへ焼納するよう立て看板などで案内している。
 仙台市によると、市内のどんと祭開催場所は2005年が157カ所、10年が148カ所、ことしは143カ所と減少傾向にあるという。
 
宮城県気仙沼市弁天町 2014年1月14日 どんと祭 一景島神社 参拝者(震災前の住民)  東日本大震災で被災した一景島神社のどんと祭では、参拝客が豊漁などを祈願した。
 神社周辺は津波で壊滅的被害を受け、かさ上げ工事が進められている。街灯の復旧が進んでいないことなどから、安全を考慮し、昨年に続き、どんとの火入れは震災前より3時間早い正午に始められた。
 住民らは遠方の仮設住宅などから車で訪れ、御神火に縁起物を投げ入れ、手を合わせていた。同市幸町にあった自宅が流失した69歳の人は、移住先の宮城県登米市中田町から参拝に訪れた。「子どものころから親しんでいた神社なので愛着があった。顔なじみの人と会えてうれしい」と話していた。
東日本大震災で被災した地域の復興や豊漁、無病息災など
宮城県気仙沼市唐桑町の鮪立地区 2015年01月15日 伝統芸能の「鮪立大漁唄込」   震災前の住民  「鮪立大漁唄込(シビタチタイリョウウタイコミ)」は小正月に合わせ、340年前から続くとされる伝統芸能で、市の無形民俗文化財に指定されている。江戸時代の1675年、現在の和歌山県新宮市からカツオを追って北上してきた漁師が伝えたとされる作業歌だと言い伝えられている。カツオ漁の大漁を祝う意味もあり「看絆(かんばん)」と呼ばれる色鮮やかな衣装をまとい、旧暦のお盆には神社へ奉納されている。
 15日には地元の保存会メンバー30人ほどが大漁旗を掲げながら「ヘンヨーエス」という独特のおはやしをにぎやかに唱和し、東日本大震災の津波で被災した鮪立地区の復興とこの1年の幸福を祈った。
東日本大震災で被災した地域の復興や豊漁、無病息災など
宮城県気仙沼市浪板 2014年1月19日 「浪板虎舞(なみいたとらまい)」の初舞奉納 飯綱神社 「浪板虎舞保存会」のメンバーら約50人  「浪板虎舞」は300年の歴史を誇る郷土芸能で、市の無形民俗文化財に指定されている。「虎は千里往って千里還る」の故事にならい海洋に出漁している家人の無事寄港と大漁祈願を願って踊られる。本来は太神楽の獅子舞が虎に代わったもので、浪板虎舞は、三陸沿岸に多く伝承されている虎舞と同系統で、虎は三人がふんし、打ち囃子に合わせて、あやし手の虎バカシがつき演舞する芸態に特色がある。
 初舞奉納では、「浪板虎舞保存会」のメンバーらが、笛と太鼓の勇壮な音を奏でた。トラバカシは、打ち囃子に誘われた虎が神社の階段を上る様子を演じて、勇壮な舞を奉納。東日本大震災で大きな被害が出た地区の復興を祈願した。
 虎は子どもたちの健やかな成長を祈り、踊りながら一人一人の頭をかんで回った。
 震災前、保存会には地元の全約210世帯が加入していたが、津波で多くの家屋が全壊したため、現在は約150世帯に減った。この日は移住先の一関市や、遠方の仮設住宅などから駆け付けた会員もいた。
東日本大震災で被災した地域の復興や豊漁、無病息災など
宮城県石巻市 2014年1月7日 どんと祭と裸参り 市内の神社 地域住民  石巻市では30年以上前から「正月気分を早く抜け出そう」という新生活運動を受け、多くの神社が年中行事とする「どんと祭」を他の地域より早く、7日に開催している。
 2006年から続く恒例の裸参りは「石巻裸参りの会」の呼び掛けで行っている。2014年には男女40人が参加した。寒空の下、さらしや白装束を身にまとい、市中心部を練り歩き、二つの神社を参拝した。羽黒山鳥屋神社ではおはらいを受けた後、御神火の周りを歩いた。代表の40代男性は「仮設住宅で暮らす住民が一日も早く安心できる生活を取り戻せるよう願った」と震災からの復興への希望を話した。
 2016年1月7日夕方には、旧北上川沿いの大島神社で、境内下の河岸堤防に設置された「たき上げ場」に市民らが次々と正月飾りが入った袋を持ち寄り、燃え上がる炎に震災への復興に願いをこめて手を合わせた。大震災では津波が神社周辺に押し寄せたが、周囲より高い場所にあった本殿は無事だった。
 2017年の石巻裸参りには男女27人が参加。寒空の下、白装束で市中心部を練り歩き、羽黒山鳥屋神社など二つの神社を参拝した。代表の男性は「震災後も継続できていることに感謝。裸参りの風景が石巻に根付くよう、今後も続けていきたい」と話した。
東日本大震災で被災した地域の復興や無病息災など
宮城県石巻市長面 2019年2月10日 アンバサン 大杉神社 地域住民  「アンバサン」は、大杉神社で行われる、輪切りの大根の断面に塗ったすすを額や左右の頬にこすり付け、無病息災や大漁、五穀豊穣を祈る奇祭。長面地区は東日本大震災の津波で大きな被害を受け、災害危険区域に指定されて居住できなくなっている。この日は、山の中にある大杉神社に、移住先などから元住民ら約30人が集まった。玉串を奉じると次々に宮司に大根を押し当てられ、額と頬を黒くした参列者に笑顔が広がった。祭礼では、最後に全員が集落のあった方を向き「安波大杉大明神、悪魔をはろうてヨーヤナ」と唱えた。(この項共同通信などによる) 東日本大震災で被災した地域の復興や無病息災や大漁、五穀豊穣を祈る
宮城県石巻市名振地区 2019年1月24日 おめつき 地区内の通り 地域住民  おめつきは宮城県指定無形民俗文化財。毎年1月24日、江戸時代から続く「火伏せ祭り」として行われている(令和2年は中止)。一年間の無火災と家内安全・大漁を祈願して丁印しを先頭に山車が練り歩く。「おめつき」は、小休止で御神酒をいただいた若者たちが、その時々の社会問題などを面白おかしく「おもいつき」で即興劇を演じたことに由来する。(この項出典:石巻市観光協会など) 一年間の無火災と家内安全・大漁を祈願
宮城県石巻市北上町 2020年02月2日 「春祈祷」 本地地区の各戸 地域住民  「春祈祷(きとう)」は秋葉神社の例祭で行われ、毎年2月最初の日曜に行われる恒例行事。主催した本地自治会の今野勝実会長や同神社総代ら22人が神事をした後、本地獅子舞保存会のメンバー12人が演じる獅子舞が本地地区内の47世帯を訪問して一年の無火災や家内安全、厄除けを祈った。
 玄関前で笛や太鼓を鳴らす中、獅子舞が各部屋や台所などで舞い踊りながら火よけ、厄よけを祈願。家にいた住人の頭をかむしぐさをして健康や長寿を願った。訪問先では保存会メンバーに食事や飲み物が振る舞われた。(出典:河北新報オンライン2月5日付け)
一年間の無火災と家内安全を祈願
宮城県亘理郡山元町高瀬笠野 2014年1月14日夜 どんと祭 八重垣神社 地域住民  東日本大震災の津波で社殿などが流失した八重垣神社で、小正月の伝統行事「どんと祭」が3年ぶりに復活した。
 震災後、地域を離れた住民らがしめ縄などを抱えて集まった。午後6時、正月飾りに地元の消防団員が火を付けると、炎が震災で周辺が荒野となった境内を照らした。
 地元の笠野行政区の区長(66)は「震災後にたまった正月飾りを、ようやく地元の神社に納めることができた」と喜んだ。同神社は、損壊したみこしや鳥居を再建するなど、少しずつ再生の道を歩む。藤波宮司は「何かをすることで、かつての住民が再び集まってくれればいい」と思いを語った。
東日本大震災で被災した地域の復興や無病息災など
宮城県角田市 2014年1月14日夜 どんと祭裸参り 市内の神社 地域住民  下帯にしめ縄を着けた男女の約80人の一行が市内の各神社を巡り、商売繁盛や無病息災を祈った。市商工会青年部の企画で始まり、ことしで27回目。市内の企業や飲食店などを中心に、近隣市町の希望者も含めた男女が参加した。
 一行は午後6時半に出発し、市中心部の天神社や八幡神社、市南西の斗蔵山の斗蔵神社などを約2時間半かけて参拝した。参拝時には口に紙をくわえて、無駄口を言わないようにする習わし。
 参加者は鳥追い棒で地面をたたき「ヨー、ホイホイ」と大声を上げながら市内を練り歩いた。各神社には御神火や竹灯籠がともされ、住民らが振る舞い酒でもてなした。
東日本大震災で被災した地域の復興や無病息災など
宮城県東松島市宮戸の月浜地区 2014年1月14日夜 国の重要無形民俗文化財「えんずのわり」と中心行事「鳥追い」 東日本大震災で被災した地区の各戸 地元の小中学生4人  「えんずのわり」は意地が悪いという意味の方言で、田畑を荒らす害虫や悪霊の退散を願う小正月の鳥追い行事。江戸時代から続いていて、鳥追いとあわせて集落繁栄を祈願する。地元の男子が五十鈴神社参道脇の岩屋で約1週間、共同生活する。2013年、日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産」に選ばれた。「鳥追い」はその中心行事。
 地元の小中学生4人が、仮設住宅や民宿などを訪れ、玄関先で長さ約2メートルの松の棒で地面を突きながら「えんずのわーり、とーりょーば(意地の悪い鳥を追えば)」と独特の節回しで歌った。住民は祈とうが終わると、コメやご祝儀などを子どもたちに贈った。
 大将を務めた鳴瀬未来中1年の男子は「みんながけがをすることなく、安全に暮らせるように祈った」と話した。
 2016年は、宮戸、野蒜両小と鳴瀬未来中の小学2~中学3年の男子5人が、1月11~16日、神社境内の「岩屋」で共同生活を営んだ。5人は、岩屋で自分たちで食事を作り、一緒に食べる。かつては岩屋で寝食を共にしたが、今は近くの防災集団移転団地の集会所に寝泊まりする。毎日午前3時に起床。いろりで暖を取るため、まき集めをする。肉を口にしてはならない。子どもたちにとって厳しい規律の日々が続く。
 えんずのわりのメーン行事「鳥追い」が1月14日夜行われた。5人は午後7時すぎ、岩屋にろうそくをともし、神社を出発。住宅の軒先で松の棒を地面に打ち付けながら祝いの歌を歌う。「えんずのわーりー、とーりょーば」、「じいちゃん長生きするように」、「商売繁盛するように」。家々の暮らしに応じて願いを唱える。祝いの歌は「丘は満作、海は大漁…」と締めくくられる。
 2017年には、「えんずのわり」が存続の危機に陥っていると報道された(ヨミウリオンライン)。今年の「えんずのわり」は11日から始まるが、東日本大震災の影響で地区内から住民の転出が相次ぎ、行事を担う中学生以下の男子の参加予定者は過去最低の3人。昨年には地元の小学校が閉校するなど今後も子どもの増加は見込めず、来年以降も続けられるかどうか分からない状況だという。
 同地区はノリの生産や民宿業が盛んだが、津波被害を受けて、住民たちの転出が相次いだという。
東日本大震災で被災した地域の復興、豊漁や住民の健康、無病息災など
宮城県南三陸町歌津の寄木地区 2014年1月15日 町無形民俗文化財「寄木ささよ」 東日本大震災で被災した地区の各戸 地元の小中学生4人  小正月行事「ささよ」は、地区全ての男子小中学生が参加する習わしで、2014年は4人が参加した。法被姿の男子が漁船名や屋号を染めた大漁旗を先頭に「おらが寄木浜 あらよう 漁のある浜だ」「魚、授けたまえなー」「ササヨー、ヨイトコーラ」と海上安全と大漁を祈願する歌を歌いながら、漁港と仮設住宅の各戸を練り歩いた。年長の子が「大将」となって、家々の玄関で受け取った祝儀や菓子を異議のないように分ける。船頭が漁の成果を分配するまね事とされ、子どもたちは浜の習慣を身に付けていくという。
 寄木浜は四十数戸の集落。東日本大震災の津波で約8割の家が流された。それでも、「ささよは地区のまとまりの象徴」だとして、ささよは中断されなかった。「ささよ」は漁港を出発し全戸を訪れるのが伝統だが、家が流失したたため、震災後は寄木漁港と仮設住宅にとどめている。
 2014年には、仮設住宅で一行を待ち、用意していた旗の「さお」にお神酒を掛けてもらった漁師の男性は「来てくれてうれしい。大漁をお願いした」と話した。子どもたちのまとめ役を務めた中学生(15)は「早い復興と漁師の皆さんを応援するため、しっかり歌った」と語った。
 2015年は15日午後3時ごろ、男子4人が参加して、寄木漁港周辺で行われる。
東日本大震災で被災した地域の復興、大漁や海上安全を祈願
宮城県登米市東和町米川の五日町地区 2016年2月6日 「米川水かぶり」と「来訪神行事・東北寒(サミ)ット」 地区内の各戸、大慈寺山門広場、米川公民館 地域住民   米川の水かぶりは、東和町米川の五日町地区に江戸時代中期ごろから伝わるとされる火伏せ(防火)の行事。2000年に国の重要無形民族文化財に指定され、毎年2月初午(はつうま)の日に行われる。来訪神行事として、男鹿市の「なまはげ」などと一緒に2017年のユネスコ無形文化遺産登録を目指している。
この日早朝、米川五日町の12~63歳の男衆30人が代々、水かぶり宿を務める菅原家に集まり水かぶりの支度をした。男衆は裸になって、腰と肩にわらで作った「しめなわ」を巻き、「あたま」と「わっか」を頭から被り、足にわらじを履く。あたまの形は各自が工夫を凝らして作る。。水かぶり装束を身につけた男衆は、顔にかまどの煤(すす)を塗ることにより、神様の使いに化身し、来訪神となるという。
水かぶりの男たちは、「ホーホー」と奇声を発しながら、家々の軒先に用意された木おけの水を勢いよく掛けて歩いた。男衆が身に着けた藁(わら)は防火のお守りになるとされ、地元の子どもたちなどが手を伸ばして引き抜いていた。藁は家の屋根に上げて火伏せのお守りにされる。沿道には多くの観光客も訪れ、あたたかい豚汁が振る舞われたほか、水かぶり絵画コンテストと水かぶり写真展示、秋葉大権現火伏せお守り・水かぶり特製グッズが頒布された。
この日は特別催事として、ユネスコ無形文化遺産申請準備の来訪神行事と交流を図る「来訪神行事・東北寒(サミ)ット」が大慈寺を会場として開かれ、秋田県男鹿のナマハゲと山形県遊佐町小正月行事アマハゲの継承団体が参加し、それぞれの演技を披露した。
この1年の集落内の防火など
宮城県登米市 2014年1月14日夜 佐沼どんと祭 津島神社と佐沼大通り商店街 裸参り参加者と住民  みやぎ登米農協の職員や金融機関の従業員ら市内11団体の計約180人が参加した。腹にさらしを巻き、たいまつを掲げた若者の裸参りの一行が行列をつくり、商店などが並ぶ約500メートルを練り歩いた。終着点となった津島神社で、境内に積み上げた正月飾りなどに参加者が一斉にたいまつを投入。炎が燃え上がる中、餅まきなどが行われた。
 登米中央商工会青年部の主催で36回目。宮城県沖地震からの復興を願い、地震翌年の1979年から毎年1月14日に行われている。
東日本大震災で被災した地域の復興や無病息災など
宮城県登米市豊里町の二ツ屋地区 2014年1月16日 「けの汁」(カユの汁) 地区の各家庭の食卓 家族  「けの汁」は江戸時代後期に地区に移り住んだ盛岡藩の領民が始めたとされる固有の食習慣。小正月の風習として今に受け継がれている。
 「けの汁」は肉や魚を使わない精進料理。似た材料を使う同名の汁物が青森県の郷土料理として知られている。地区では「カユの汁」とも呼ばれ、大根、ジャガイモに加え、タケノコや焼き豆腐、油揚げ、ワラビ、インゲン豆など十数種類の材料を使う。味付けは家庭によって異なり、みそ味としょうゆ味がある。
 地区で暮らす農業佐藤さん方では同日朝、大鍋で煮込んだみそ味のけの汁が振る舞われた。同家では「この時期に欠かせない料理。これを食べると、本格的に年が明けたと実感する。先祖の供養にもなる」と話す。
 習慣が伝わるのは豊里町でも、約200世帯が暮らす同地区が中心。大量に作って数日間食べ続け、来客に振る舞うこともある。小正月の時期以外は作らないという。
 主な具材は各家庭でこの日のために前年から保存し、足りないものを住民同士が譲り合う。同日に墓参りをし、小分けにしたけの汁の具を墓前に供える家庭も多い。
 住民らによると、1830年代の天保の大飢饉(ききん)による飢えをしのぐため、数百人の盛岡藩領民がひそかに地区に移り住んだとされ、「当時の辛苦を忘れぬため米飯をやめ、正月16日だけカユと汁を食べ昔の苦をしのぶ所が今に残った」という。
先祖の供養、飢饉の辛苦を忘れぬため
宮城県栗原市築館 2018年1月14日夜 巨大紙風船の打ち上げ 通大寺 参拝客 巨大紙風船の打ち上げは通大寺の小正月行事として、どんと祭に合わせて毎年行っている。地域の安寧や東日本大震災で亡くなった人たちの鎮魂を願って行われる。風船は直径約3メートル、高さ約5メートル。地元有志が障子紙で作った。側面にはえとにちなみ犬の絵をあしらったほか、「諸願成就」と筆で書いた。打ち上げは、下部からガスバーナーで熱風を送って風船を膨らませ、最大で十数メートルの高さまで揚げた。訪れた市民は夜空に漂うオレンジ色の光に見入りながら、手を合わて祈りを捧げた。 地域の安寧や東日本大震災で亡くなった人たちの鎮魂を願う
宮城県栗原市一迫 2022年1月15日夜 寒中みそぎ 小僧不動の滝 13歳から72歳までの男性 寒中みそぎは滝に打たれ身を清める小正月の行事、13歳から72歳までの男性19人が参加した。2021年は、新型コロナの影響で中止となり、2022年は、参加人数を制限して2年ぶりの開催。滝つぼの水温は8度。参加者は、高さ10メートルほどの滝に身を打たれながら、1年間の無病息災、そして新型コロナの終息を願っていた。(この項:東北放送 1年間の無病息災、そして新型コロナの終息を願う
宮城県白石市小原 2022年1月10日 検断屋敷まつりとだんご刺し 県指定有形文化財の検断屋敷 地域住民 検断屋敷まつりは、県指定有形文化財の旧家「検断屋敷」で、だんご刺しと暁粥を食べて小正月を祝う伝統行事。新型コロナの影響で2年ぶりに開催された。地域住民などおよそ50人が参加し、臼と杵を使って餅つきをしたあと、つきたての紅白の餅をミズキの木に付けて小正月飾り「団子差し」を作った。団子刺しは作物の豊かな実りを見立てて、ミズキの枝に刺し、この一年の豊作を祈る。
 また、小豆と餅を加えた暁粥も振舞われ、参加者は今年1年の無病息災を願いながらできたての暁粥を味わった。(この項:khb東日本放送)
1年の豊作、無病息災を願う
宮城県白石市福岡長袋 2013年1月9日 だんご刺し 市北保育園 園児と沖自治会のお年寄りたち だんご刺しは小正月の伝統行事。
3歳以上の園児が、自治会のお年寄りたちと一緒に昔ながらの臼ときねを使って「ヨイショ ヨイショ」と掛け声を上げながら約4キロの餅をつきあげた。続いて、餅に赤緑黄の3色の食紅を混ぜ、小さなだんご状に丸めた後、宝船や米俵、タイなど縁起物と一緒に約2~3mのミズキの枝に飾り付ける「だんご刺し」を行った。
1年の健康を願う
宮城県蔵王町小村崎地区

 
2014年12月

 
「小村崎春駒」


 
小村崎コミュニティセンター

 
小村崎伝承芸能保存会

 
 「小村崎春駒」は江戸末期、養蚕の豊作を願い、村娘が小正月から彼岸にかけ踊ったのが始まりという。春駒は養蚕が盛んな時代に、蚕の守り神と信じられていたことから生まれたとされる。東北地方に伝わるオシラサマ伝説と関連があるとみられる。宮城県内で春駒が今に伝わるのは小村崎だけとみられる。全国的には新潟県佐渡市、山梨県甲州市の一之瀬高橋地区の3つの「春駒」が知られている。
 現在は地区に住む小中学生11人が引き継ぎ、町の産業まつり、敬老会など年5回ほど披露する。
 小村崎春駒は、かれんな法被や花笠を身をまとった女子が横一列に並び、馬の頭などの造形した「春駒」に乗り、歌に合わせて鈴を振り、舞い踊る。担い手の確保が課題となっているという。
豊作を願う


 
宮城県蔵王町宮 2013年01月08日、14日 「暁祭り」(百貫しめ縄、どんと祭) 刈田嶺神社 氏子役員や地元住民  2013年には刈田嶺神社で14日夜行われる小正月行事「暁祭り」を前に、8日、町立宮中学校体育館で地域住民らが「百貫しめ縄」と呼ばれる大しめ縄を作った。
 百貫しめ縄は長さ約10メートル、太い部分で直径約30センチ、重さは約375キロ(1貫=3・75キロ)とされる。氏子役員ら地元住民はもち米の稲わらで、まず直径約25センチのしめ縄3本を編んだ後、白いさらしを巻き上げて1本に寄り合わせ、約3時間かけて百貫しめ縄を仕上げた。
 2015年1月14日夜の「暁祭り」では、今年で数え42歳の厄年を迎えた男衆30人が担いで、町内の商店街を練り歩いた後、境内の樹齢500年余とされるご神木「夫婦杉」に奉納した。どんと祭や神楽の奉納もあり、多くの住民でにぎわった。
厄払いや無病息災など祈願する
宮城県刈田郡蔵王(ざおう)町遠刈田(とおがった)地区 2024年01月14日夕方 チャセンコ 地区の各家庭   遠刈田地区は古くから湯治場で知られる温泉街がある。「チャセンコ」は子どもたちは「歳徳神(福の神)」として家々を周り、福をもたらし、厄を落とす小正月の伝統行事。かつては宮城~岩手を中心とした各地で普通に行われていた。他の地区では「チャセゴ」「サセゴ」「カセドリ」などと呼ばれていた。
 子どもたちは大きな袋を抱えて、旅館や店舗、住宅をまわり、「アキの方から“チャセンコ”に来した」と元気な声で門付けを行う。アキの方とは福の神がいる方角のことで、家の人は「ことしはどっち?」というと「東北東です」などと掛け合いが行われた。家々では、福の神の来訪に感謝して、また子どもの健やかな成長を願い、お供え物(お菓子)を渡した。子どもたちはお祝いのお菓子で袋をいっぱいにしながら、街を練り歩いた。(蔵王町歴史文化財公式HPどきたんドットコム、NHK宮城 NEWS WEB) 
家々に福をもたらし、子どもの健やかな成長を願う
宮城県加美郡加美町(旧宮崎町)の柳沢集落 2014年1月12日(2015年は1月11日) 県指定無形民俗文化財「柳沢の焼け八幡」 八幡神社 地域住民 「柳沢の焼け八幡」は、この地域に600年前から伝わる、豊作と火伏せを祈願する伝統の小正月行事。午前4時。さらし姿の男衆が、町を練り歩く。男衆は家々を回り、お神酒を振る舞いながら家内安全を祈願する。本来、新婚の女性の顔に、かまど墨を塗り、火伏せや家内安全などの神の加護を願うのが習わしだが、2014年はいないため、家族で実家に戻ってきた女性が選ばれた。
 2015年は11日早朝に行い、夜明け前に若者講と呼ばれる男性約18人が集会所で酒を酌み交わした後、下帯姿で地元の八幡神社を参拝。雪が降り続き、凍える寒さの中「ヨイサー、ヨイサー」と掛け声を上げながら、集落の約40戸を訪問し、木おけに入れたお神酒を振る舞った。
 八幡神社では午前6時ごろ、竹とわらで作った「御小屋」(おゆや)に火を付け、燃え盛る炎に五穀豊穣(ほうじょう)を祈願した。また、炎の勢いで今年の作柄を占い、豊作を祈った。
 前日の10日には、同神社で月数を示す12束のわらで作った灯籠(とうろう)を焼き、わらの燃え方からことしのコメの作柄を占った。若者長が「豊作に間違いなく、米価も少し上がる。最後の束が残ったので、昨年と同様、雪が降るのが早いと思う」と話した。
豊作と火伏せや家内安全など祈願する
宮城県加美郡加美町宮崎地区の切込集落 2016年2月20日夜 小正月行事「切込の裸カセドリ」 集落の各家庭 地元住民  「切込(きりごめ)の裸カセドリ」は火伏せと厄払いを祈願する伝統行事。カセドリは「火勢を取る」という意味で200年以上続いているとされ、県の無形民俗文化財に指定されている。
 下帯だけの裸姿の男衆約10人が「へそび」と呼ばれる釜のすすを顔に塗り、水をかけられて出発。「ホー、ホー」と奇声を発しながら集落の各戸を回った。男衆は訪れた家に上がり込み「ご祝儀、ご祝儀」と言って家の人たちの顔にすすを塗り付け、料理や酒でもてなされた。1歳8カ月と生後2カ月の子ども2人とすすを塗られた会社員は「子どもたちの元気な成長と、家族が無事健康でことし1年を過ごせるよう願った」と話した。
 2021年には2月中旬に予定されていた「切込の裸カセドリ」が中止になった。担い手不足が深刻化し、継承団体は今年3月ごろの解散を決定。200年以上の歴史を誇る伝統が存続の危機に立たされている。
 カセドリは火よけと厄払いを願う風習で、初めての参加者などはわらの束をかぶり、ほかの者から水を浴びせられる。カセドリの中止は、コロナ禍での感染防止という事情に加え、決定的なのは担い手不足だという。行事では、「宿」と呼ばれる主催者の家に男衆が集まって、各戸を回る。しかし、近年の参加は「宿」の家含めて2軒。訪れる家は1軒だけとなった。だが、その1軒も昨年、地区外に移り、中止を決めたという。(この項:朝日新聞asahi.com宮城などによる)
火伏せ、厄払いや無病息災など祈願する
福島
福島県会津若松市城東町 2014年1月30~3月27日 東北の伝承切り紙(きりこ)―千葉惣次コレクションを中心にして― 福島県立博物館 来館者  切り紙・網飾りは、東北地方の神社で神主が、何枚も重ねた紙を小刀で縁起物などの形に切って作る正月飾り。岩手、宮城両県の三陸沿岸、内陸の北上、栗駒では「オカザリ」とも呼ばれる。これらの切り紙は、新年に近所の神社でいただき、翌年の正月まで家の神棚や居間に飾り、どんど焼きで燃やされる。そして、また新しい切り紙をいただいて帰る。
 切り紙展では伝承切り紙の美しさに心ひかれ、岩手、宮城、福島などの東北各地をめぐり集めた千葉惣次さんのコレクションを中心に展示している。
 東日本大震災で、各地の神社や神社の関係者が被害を受け、型紙が流出したため、切り紙文化は大きな打撃を受けたという。
無病息災など様々な祈り
福島県会津若松市 毎年1月13~16日(開催会場による) 伝統の火祭り「歳の神(さいのかみ)」 市内の温泉場など各地 市民、観光客  「歳(さい)の神」は、前年神棚にお飾りしたしめ飾りや供え物をお焚き上げして歳神様を天に送る会津若松の伝統行事。今年一年の五穀豊穣、無病息災を願う。この「歳の神の火」にあたると、病気にならないと言われている。明治以前は旧暦の大晦日に行われていた行事で、その頃には「塞ノ神」と表記されていたという。現在では新暦の1月13~16日の間に実施されることが多い。会津若松市では、会津東山温泉や芦ノ牧温泉などで行われている。
 会津若松では、1月10日の十日市で新しく縁起物を購入し、去年まで飾られていただるまやしめ飾りなどの正月飾りなどが、小正月の日にお焚き上げにされる風習があるという。
 「歳の神」の火で団子刺しをかざし、あるいはスルメを炙って食べると、健やかな一年を送ることができると言われている。
 五穀豊穣や無病息災を願う
福島県会津若松市 2015年1月14日 団子さし 市内の幼稚園 會津復古會と子どもたち  だんごさしは、ミズキの枝を「稲」に、団子を「稲の花」に見立て、五穀豊穣や無病息災、家内安全を願う小正月の伝統行事。
 市内の老舗の商店などでつくる會津復古會は、伝統行事の意味を知り、理解を深めてもらおうと、団子さしを行っている。幼稚園児が色とりどりの団子をミズキの枝先に挿していった。
 五穀豊穣や無病息災、家内安全を願う
福島県会津若松市 2020年3月17日 赤枝の彼岸三匹獅子 市内大町通り 磐梯町の若者や観光客  赤枝の彼岸三匹獅子は磐梯町に伝わる郷土芸能。彼岸獅子は春の訪れを告げると言われている。彼岸の入りに合わせ、会津若松市で披露された。赤枝彼岸獅子は、会津地方に伝わる彼岸獅子の中でも特に、動きが大きく荒々しく舞うのが特徴。三匹の獅子に扮した若者が笛や太鼓の音色にあわせて躍動し、五穀豊穣と家内安全を祈願した。(この項福島中央テレビ電子版などによる)  五穀豊穣や家内安全を願う
福島県会津若松市 2021年2月12-13日 会津絵ろうそくまつり 鶴ケ城など 観光客など    会津絵ろうそくまつり(実行委主催)が12日夜、鶴ケ城、会津松平氏庭園「御薬園(おやくえん)」などで始まり、13日までの2日間開催された。鶴ケ城では、会津本郷焼の瓦灯(がとう)や、会津塗の燭台(しょくだい)など明かりがともされ。会場全体で約1万本のろうそくがともされた。
 絵ろうそくは、和ろうそくの胴に花模様を描いた会津の伝統工芸品で、約500年の歴史を持つという。祭りは絵ろうそくの明かりでまちを活性化させようと、市民有志らが2000年に始めた。 2021年の第22回会津絵ろうそくまつりのテーマは、新型コロナウイルス感染症が流行し、各種行事は中止が相次ぐなかで、感染防止対策を行いながら「絵ろうそくまつり」を開催し、ロウソクの小さなともし火から大きな炎として会津から元気を発信したい、と掲げた。感染対策として開催時間を短縮した。(この項:会津絵ろうそくまつり公式サイト、毎日新聞電子版など)
 絵ろうそくの明かりでまちを活性化する、コロナ禍の中で会津から元気を発信する
福島県郡山市逢瀬町 2022年1月16日 寒中みそぎ 多田野本神社 地域住民    「寒中みそぎ」は神社境内の禊(みそぎ)道場で、参加者が冷水を浴びて心身を鍛錬し、無病息災や新型コロナウイルスの収束を祈った。小学生から60代まで24人が参加。白いふんどしと鉢巻きを締め、マスク代わりの覆面をした参加者らは旗を掲げて境内を周回した後、禊(みそぎ)道場で和歌を唱和して「エイッ、エイッ、エイッ」と力強く雄たけびを上げながら冷水をおけにくんで一気に全身に浴びた。 一年の無病息災や新型コロナウイルスの収束を祈る
福島県本宮市白岩字塩ノ崎 2013年1月7日 「八ツ田内七福神舞」 通称・八ツ田内(やっとうち)地区地区の各戸 地区の10戸でつくる七福神保存会が主催し、地域住民が参加  「八ツ田内七福神舞」は市無形文化財。地区の10戸でつくる七福神保存会が毎年3戸ずつで行っている。このうち石橋さん方では、三味線や笛の音色が響く中、会員が面と色鮮やかな衣装をまとい、七福神やひょっとこに扮してにぎやかに舞った。白岩小1年から4年の子どもたちが大黒天、弁財天、布袋、寿老人、福禄寿を演じ、一年の家内安全や五穀豊穣を祈った。 一年の家内安全や五穀豊穣を祈る
福島県本宮市和田地区 2020年1月3日 大梵天(ぼんてん)祭 岩角寺 地区の10戸でつくる七福神保存会が主催し、地域住民が参加  大梵天祭は約三百五十年の歴史がある正月行事。一年の安全や福を祈願する大勢の参拝者が訪れた。大梵天は青竹の先に白や金色の紙を付けた縁起物で、梵天の一部を手に入れると、家内安全や無病息災のご利益があるとされる。
 男女別に行われた恒例の梵天争奪戦では、岩角山奉賛会員が梵天を掲げて境内に入ると、参拝者が一斉に駆け寄り、青竹を引き倒して梵天を奪い合った。(この項福島民報WEBによる)
一年の一年の安全や福、家内安全、無病息災を祈る
福島県福島市飯坂町湯野 2021年1月14~17日 うそかえ祭・どんと祭 西根神社 地域住民、参拝客  西根神社で14~17日、高畑天満宮「うそかえ祭」が同神社「どんと祭」と併せて開かれている。うそかえ祭は小正月の行事で、1年間の悪い出来事を身代わりとなってうそにし、良いことに替えるという木彫りのお守り「鷽鳥(うそどり)」が販売され、参拝客の人気を集めている。合格祈願のお守りとしても好評で、疫病や災難よけなどにも御利益があるとされる。高畑天満宮は西根神社の境内にあるもう一つの神社。病気平癒、難除け、学問の神様として信仰され、うそかえ祭には毎年数万人が訪れるという。
 どんと祭では、正月飾りやお札、お守りなどをたき上げる。県新型コロナウイルス感染症対策本部の指導を受け、感染症予防対策を徹底して開いている。神社では開催に当たって、センサー式自動アルコール噴霧消毒機器などを境内各所に設置し、新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)の活用を促すため、QRコードを掲示した。参拝客にはマスク着用に加え、雪・雨の備えと、人と人との距離を保つべく傘の持参を呼び掛けた。時間は午前9時~午後9時(17日は同5時)という。(この項:福島民友新聞みんゆうNETなどによる)
1年間の悪い出来事を身代わりとなってうそにし、良いことに替える。合格祈願、疫病や災難よけのお守り 
福島県福島市上名倉 2009年1月12日 団子さし 福島市民家園 同市教委が主催し、地域住民が参加 伝統行事を再現するボランティア団体「民家園のつどい」の協力で、同市教委が毎年開催している。参加者は松飾りやしめ縄などを燃やし、正月に来た神様を送り出す「どんど焼き」を見学。ミズキの枝に紅白の団子をつけ稲穂に見立て豊作を祈願する「団子さし」も体験した。  
福島県福島市 2018年1月8日 だんご市 福島稲荷神社 地域住民 福島稲荷神社で8~15日まで、小正月の縁起物を売る「だんご市」が始まり、五穀豊穣や家内安全を願い、参拝に訪れる市民らでにぎわった。
境内には縁起物などを販売する露店約10店が軒を連ね、シダレヤナギの枝に色鮮やかなタイやだるま、小判などで飾り付けされた団子挿しなどが販売された。
一年の五穀豊穣や家内安全
福島県福島市佐原 2012年1月9日 「どんど焼き」、「団子さし」 民家園 地域住民 「どんど焼き」では、参加者が各家庭から持ち寄ったしめ縄や松飾り、お札や書き初めなどをたき上げた。子どもたちは、火の周りで餅を焼いて食べた。 一年の無病息災や家内安全、習字の上達
福島県いわき市平


 
2016年1月8日夜 鳥小屋

 
大國魂神社前の広場


 
地域住民


 
「鳥小屋」は 正月送りの伝統行事。竹や葦(ヨシ)で作った高さが4メートルほどの鳥小屋が広場に作られ、午後7時、点火された。もともと「鳥小屋」は田畑を荒らす鳥を追い払う人の詰め所だったが、いつの頃からか、しめ縄や正月飾りを納めて燃やす正月送り行事となった。
 この日は、約100人の家族連れが集まり、無病息災などを祈った。鳥小屋を燃やした火で餅を焼いて食べると、風邪をひかないといわれている。
1年の無病息災を祈る
福島県福島市宮町


 
2021年1月11~17日 だんご市(どんど焼き)

 
福島稲荷神社


 
地域住民


 
 小正月恒例の「団子刺し(だんごさし)」を売るだんご市は11日から17日まで行われ、境内に露店が並んだ。「だんごさし」は柳やミズキの枝に、もち米で作ったピンクや白などのまゆ玉だんご、小判、鯛、恵比寿、宝船などを飾り付けたもので、家内安全、交通安全、商売繁盛などを願って神棚や玄関に飾られる。1本1000~3000円のものが売れ筋だという。参詣客は「コロナと雪のため、少し遅めの初詣に訪れた。神棚に飾ってコロナの収束を願いたい」と話していた。
 神社境内では正月飾りが山のように納められるが、環境保護のため最近ではどんど焼きを中止されているという。 (この項:読売新聞オンライン福島版などによる)
1年の家内円満や無病息災、家内安全、交通安全、商売繁盛を願う
福島県南相馬市鹿島区  2018年1月13日 火伏せ祭り 区内各所  鹿島御子神社の氏子、住民、消防団員   「火伏せ祭り」は防火と無病息災を祈願する奇祭。氏子や厄年の住民、消防団員など約100人が参加した。祭りは、魔王が鹿島御子神社の仮宮に火を放ったところ、神社の使いである鹿が、水に浸したササで火を消した、との伝説に基づいて、毎年小正月行事として開催されている。
 白足袋に法被姿となった参加者が、「火伏せー」と掛け声を上げ、民家の屋根などを目がけてひしゃくで水をかけながら、街を練り歩いた。
防火と無病息災を祈願
福島県いわき市勿来町(なこそまち)関田地区 2024年1月7日(日) 裸神輿と酉小屋 (はだかみこしととりごや) 伊勢両宮神社、海岸 神社の氏子、住民   裸神輿と酉小屋は小正月の伝統行事。午後5時半ごろから地域の厄年の方などが裸になって神輿を担ぎ、町内を練り歩いた。その後、伊勢両宮神社で厄払いを海中で身を清め、砂浜に建てた酉小屋を焚き上げた。酉小屋では地域住民が正月飾りなどを持ち込み、焚き上げた。(出典いわき市公式観光サイト) 厄払い
福島県双葉郡広野町 2024年1月7日(日)夕方から8日早朝 小正月行事の酉(とり)小屋と現代アートのコラボ 曲田地内、観音寺地内の2会場 アーチスト2人、地域住民  広野町の小正月行事に国内外のアーティストが参加して実現した。同町は交流人口を増やすのを目的に、アートによるまちづくりを進めており、その一環として「アーティスト・イン・レジデンス」の企画に応じた2人が、伝統行事「酉小屋」に合わせて作品を展示し、8日の夜明け前に雪の積もった田んぼで焚き上げられた。
 ドイツのナディン・バルドウさんと山形県の青木みのりさんのアーティスト2人が参加。2023年暮れから町に約1カ月滞在した。バルドウさんは人と自然の関係をテーマに、近くの海岸から流木や竹を運んでインスタレーション作品を仕上げ、タイトルを「儚い顕現」“Ephemeral Emergence”と名付けた。二人の作品は酉小屋とともに燃やすことで完成したという。(出典広野町役場公式HP、日経新聞電子版)
町の交流人口を増やす
福島県田村郡三春町西方地区  2014年1月1日 「西方水かけまつり」(別名泥かけまつり) 新婚の家や地区の田んぼ  西方若連会   婚姻の儀式も兼ねて400年近く行われている伝統行事で、町指定無形民俗文化財。地元の西方若連会の主催。
2014年は会員2人が昨年結婚したことから、数年ぶりに、結婚した人の家を酒を酌み交わす「宿」にして実施した。結婚した2人を含め、数え年35歳以下の若連会員6人が参加した。
 一行は、宿となった新婚宅で酒を飲み体を温めた後、近くの大滝根川で身を清め、塩釜神社に参拝した。その後、水を張った田んぼに入り、威勢よく田んぼからバケツにくんだ泥水を互いに掛け合った。参加者は泥だらけになって水しぶきを上げた。
五穀豊穣(ほうじょう)や子孫繁栄、震災からの復興などを祈願
福島県大沼郡三島町  2014年1月15日夜 国指定重要無形民俗文化財「サイノカミ」
町内町内11地区でそれぞれ行われた


 
地域住民


 
 サイノカミの起源は1803年(享和3年)に遡り、以来、五穀豊穣、無病息災、商売繁盛を祈願するお祀りとして平成20年、国の重要無形民俗文化財に指定された。1月15日に町内各所でこの伝統行事が行われる。
 サイノカミ行事の前夜の14日には、年中行事「鳥追い」が行われる区もある(2011年桧原地区と滝谷地区)。桧原地区では午後7時に地区集会所に地区の小学生や大人たちが集まり、「今日はどこの鳥追いだ 長者さまの鳥追いだ ホヤー ホヤー」と鳥追いの歌を歌いながら、集落を歩いて回る。厄年の家族がいる家では、「歳祝い」と呼ばれる祝い金をもらうのが習わしとなっている。
 サイノカミ当日は、朝から恵方の方角に出かけて、男性だけで切り出したスギなどをご神木として立ち上げ、サイノカミとしててっぺんに「おんぺい(御幣)」を取り付け、幹にわらを巻きつけて飾り付けを行う。回りには古くなったお札や正月飾りなどを積み重ねた。
 夕刻から「サイノカミ」の火祭が始まる。地域の住民が総出で、燃える火にこの年の五穀豊穣・無病息災・厄落としを祈願した。
 2015年には、川井地区で、地区内から切り出した高さ約12メートルのスギにわらを巻いて神木として立てた。回りには古くなったお札や正月飾りなどを積み重ねた。午後7時に町長らがたいまつで神木に火をともした。
 2022年は1月15日町内の各所で夜行われ、町民らは炎を囲みながら新型コロナウイルスの早期収束などを願った。
五穀豊穣(ほうじょう)や子孫繁栄、震災からの復興などを祈願
福島県耶麻郡西会津町群岡  2020年1月12日 小正月の火祭り「歳の神」 同町下野尻集会所裏の畑 下野尻自治区住民   「歳の神」は今年1年の無病息災、五穀豊穣を祈る伝統行事。下野尻の歳の神は「爺さま」「婆さま」と呼ばれる2本の神木に、前年の稲わらを三つ編みにして巻き付ける。神木も年男を中心に住民が「ムラ山」から神酒をささげて切り出すという伝統を受け継いでいる。地元では神木に三つ編みのわらを巻くのは近隣町村でも下野尻区だけと言われている。
祭礼では伐り出された神木の周りに正月飾り、古い縁起物を積んで準備を整えた。夜になって区長と根拆神社氏子総代が地域の安寧を願って御神火で点火。神木は火柱を上げ、家族連れらが燃えさかる炎で持ち寄った餅やするめをあぶり、今年1年の健康長寿を祈願した。(この項福島民友20201.14)
五穀豊穣、健康長寿を祈願
福島県大沼郡会津美里町  2022年1月15日 「だんごさし」 伊佐須美神社 住民、子どもたち   「だんごさし」は「稲」に見立てたミズキの枝に団子をさし、たわわに実る稲を表現した飾りを作って、五穀豊穣や無病息災を願う「小正月」の伝統行事。行事には地元の小学生12人が参加し、神社の関係者から手ほどきをうけながら、米粉で作った団子に食紅などで色を付け、「みかん」や「桃」、「にんじん」の団子を作り、一つずつミズキの枝にさした。神社では「だんごさし」を行う家庭が年々、少なくなっているため、子どもたちに、伝統行事に触れ、理解を深めてもらいたいと話している。(この項:福島中央テレビ) 五穀豊穣、無病息災を祈願
福島県大沼郡会津美里町雀林地区  2020年1月7日 「へびの御年始」 地区内の各戸 住民、子どもたち   「へびの御年始」は地区に百年以上前から伝わる伝統行事。子どもたちがワラで作られた大蛇を担いで練り歩き、五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災を願った。地域が水不足に陥った際、水神である五龍王神をかたどったワラの大蛇をまつり、災難を振り払ったという故事に由来する行事で、町の無形民俗文化財に指定されている。
 子どもたちが法用寺仁王門にしめ縄として奉納されたワラの大蛇を担ぎ、太鼓の音とともに「オー、オー」と声を上げて家々を訪れた。玄関先では住民が手を合わせたり、頭をかんでもらったりして一年の健康を願った。(この項福島民報web2020.1.14)
五穀豊穣、無病息災を祈願

【甲信越】
筒粥神事では「世の中」は2018年から4年間「三分五厘」が続き、御柱年の22年に「三分六厘」に上がり、2023年は再び「三分五厘」に下がった。2024年は一厘上がったことを踏まえ、神職は新年早々に能登半島で大きな災害が起きたが、「これ以降は平穏無事にいくのではないか」との見立て。全体的にかゆの状態や入り具合が良かったとし「作物はあらゆるものが豊かに実るのでは」とした。
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
新潟
新潟県新潟市西蒲区 2013年1月9日 まゆ玉飾り講習会 市中之口農業体験公園管理棟 幼児を含む市民13人が参加  まゆ玉飾りは、小正月の伝統行事。養蚕地の繭の豊作を祈願して江戸時代から小正月に飾られたと伝えられている。
 養蚕業の衰退とともに本来の行事は廃れたが、小正月の縁起物として団子や餅、せんべいなどに食用着色し、家庭の玄関や座敷に飾るようになった。
 講習会では恵比寿、大黒、ダルマ、大判、小判、宝船などを「まゆ玉」に見立て、水木の枝につるした。
 
新潟県新潟市西区 2013年1月5日 どんど焼き「さいの神」作り 市立笠木小学校 児童ら 「さいの神」作りは小正月行事。児童20人が、地域のお年寄りと一緒に伝統的な農業の技術「とば編み」でわらを編み、高さ約6メートルのさいの神を作った。
「さいの神」を焼く行事はどんど焼きなどとも呼ばれ、竹などで作った土台にわらを巻き、正月に飾ったしめ縄などを一緒に燃やし、地域の無病息災や豊作を祈る。
この日は、笠木地区の人たちがさいの神作りに協力。集まった児童ら参加者は、最後は棒の先に付けたするめを炎であぶった。
「とば編み」は、1本の縄にわらを編み込みながら束ねていく。かつては収穫した稲穂などを雨から守るためにかぶせるなどして使われていたという。
無病息災や豊作を祈る
新潟県新潟市中央区 2019年1月17~18日 第5回新潟春節祭 新潟市音楽文化会館 新潟華僑華人や県民 新潟春節祭は、中国の旧正月「春節」を祝うとともに、新潟と中国の交流を深めようと毎年、小正月の時期に開催されている。主催は、中国駐新潟総領事館、新潟華僑華人総会、新潟県、新潟市、新潟県日中友好協会、新潟大学中国留学生学友会で構成する「新潟春節祭実行委員会」。  今年は、内モンゴルのフルンボイル大草原からアーティストおよび内モンゴル自治区・中国無形文化遺産継承者を招き、特別ステージを行う。 中国の旧正月「春節」を祝うとともに、新潟と中国の交流を深める
新潟県新潟市秋葉区 2022年1月13日 「滝打たれ」 『白玉の滝』 一般参加者   「滝打たれ」は 阿賀野市の市民団体「健魂」がかつては山伏が修行していたといわれる故事にならい、2004年から毎年開催している。新潟市内外の男女22人が参加。白装束に身を包み、新型コロナウイルスの感染予防で午前9時半から4人ごとに時間を区切って挑戦した。気温2度、水温4度のなか、白装束の参加者は「ヤー!イシカホノリ!イシカホノリ!」など声を出して気合を入れ、1分間にわたって15メートルの高さから流れ落ちる滝に打たれ、新年の決意を新たにしていた。(この項:新潟日報モア、新潟県観光協会にいがた観光ナビ) 新年の決意を新たにする
新潟県新潟市中央区一番堀通町 2024年1月13日 ぜんざい振る舞い 白山神社 参拝客   新潟の小正月には、無病息災を願って餅(鏡餅)を入れた「小豆粥(あずきがゆ)」や「おしるこ」を食べる風習がある。白山神社のぜんざい振る舞いは、1月11日の神社鏡開きで割った鏡餅をぜんざいにして参拝客に振る舞う風習。新型コロナウイルスの影響で中止が続いていましたが今年は4年ぶりに実施された。
小豆の赤い色は邪気を祓うとされ、さらにぜんざい(善哉)は「よきかな」と読めることから、一年間いいことがおこる縁起物として、当日午後2時から先着600名に無料で提供された。参拝客らは家族の無病息災、家庭円満を祈った。(BSN新潟放送WEB版、白山神社公式ページなど)
無病息災を願う
新潟県十日町市大白倉 1月14日 バイトウ 大白倉公民館前の雪原 大白倉集落住民の総出  形状は「木の幹と藁で作られたほんやらどう」。前日に祭場となる雪原を除雪しておく。秋のうちに地元の山から切りだし保存しておいた木の幹(ケヤキ)や枝を骨組みに、米の収穫時に保存していた稲藁で周りを囲む。バイトウの形は円錐形で直径8mから12mにもなる巨大なもので、数十人が内部に座れる。
 完成すると内部の囲炉裏に火を入れ、午後5時から集落の住民や遠方からの参加者などに、お酒、甘酒、ジュースや豚汁などが振る舞われ宴会が行われる。
宴会が盛り上がった午後8時頃、魚沼地方でお祝いの席に欠かせない「天神囃子」が唄われ、午後8時30分頃に宴会が終了し、全員が外に出るのを確認すると、周りの稲藁に火を付け「バイトウ」を燃やす。この時の「バイトウ」の燃え上がる炎の形で、その年の稲作の出来具合を占う。
地域資料デジタル化研究会の全国調査によると、小正月行事で「おこもり小屋(年籠り小屋)」を作る事例は、山梨県甲府盆地東部の峡東地方などで「道祖神小屋」として作られるなど、甲信越地域などにみられ、その中でも大白倉のバイトウは最大規模である。 (この段落出典新潟県庁十日町地域振興局のホームページ2008年1月時など)
 2020年は2月23日、小正月伝統の「バイトウ」行事が行われた。今年は記録的な少雪で雪の土台がつくれず、2度の延期を余儀なくされた。過疎化や住民の高齢化で大がかりなバイトウづくりは今年が最後になった。
 今年は、集落中心部の空き地に円形の土手状に盛った雪の基礎をつくり、その上にケヤキとわらで高さ約9メートル、底部の直径約7・5メートルの竪穴式住居のような小屋をつくる。今回は住民や集落出身者、市観光協会職員ら延べ40人余りが参加した。 バイトウ内部は、夕方から囲炉裏の火を囲んで豚汁や竹筒に入った酒、ジュースなどが振る舞われた。午後9時ごろ、囲炉裏にわら束をくべて点火すると、高さ20メートル超の火柱とともにまもなく燃え落ちた。火柱がまっすぐ上がったため、「今年は豊作」という。
 朝日新聞記者の取材に答えたバイトウ実行委員長の男性(67)の話では、集落は現在は11世帯26人だが、かつては70世帯近くあり、4基のバイトウが催されたこともあった。住民の大半が80代以上で、大がかりなバイトウづくりは限界などとして区切りをつけた。来年以降は身の丈に合った形で続けるという。(この段落出典朝日新聞デジタル新潟2020年2月25日付け)
その年の五穀豊穣を願う
新潟県十日町市松之山地区 1月15日 むこ投げ・すみ塗り 松之山温泉の薬師堂 地域の男性と新婿  略奪結婚の名残からきた小正月の伝統行事。約300年前から続き、よその男に集落の娘をとられた男たちの腹いせが、形を変えたものといわれる。前年に結婚した婿を男たちが、薬師堂から約5メートル下の雪の中へ放り投げる。
 2013年は、東京都大田区の会社員・夫(31)と会社員・妻(24)ら2組の夫婦。妻は松之山出身で昨年1月に結婚した。2人の婿は高台の薬師堂から投げられ、雪まみれになりながら嫁の元にたどり着くと、大勢の見物客に祝福された。
夫は「投げられて、とても気分が良かった」、妻は「地元の伝統を守れてうれしい」と記者に語った。
 また、午後に「すみ塗り」が行われる。賽の神(どんど焼き)を燃やした灰と雪を混ぜ、「おめでとう」と言いながら互いの顔に塗りあう。
よその男に集落の娘をとられた男たちの腹いせ
新潟県十日町市川治 1月11日夜 鳥追い 集落内 地域の大人と子供  地域住民や子供たち約60人が「鳥追いの歌」を歌いながら町内を練り歩く。
 同地区下町の有志でつくる下町倶楽部が主催し、2004年が7回目。「農村の伝統行事を子供たちに引き継ぎたい」との思いから鳥追いを復活させた。
1年の豊作を祈願する。
新潟県十日町市本町 2023年1月15、22日 節季市(チンコロ市) 越後妻有交流館キナーレ敷地内 住民、観光客  節季市は農家の人々が、主に冬期間の副業として竹やわら等で作った生活用品、民芸品を持ち寄って始めた市場に由来している。なかでも犬や十二支を型どった小さなしんこ細工の「チンコロ」が人気で、別名「チンコロ市」とも呼ばれています。
 ちんころは新粉(しんこ)とも呼ぶ米粉を原料に子犬などをかたどった縁起物。ひびが割れるほど縁起がいいとされ、十日町市で小正月の縁起物として昔から親しまれている。(この項: 十日町市観光協会My trip TOKAMACHI )
小正月の縁起物として販売
新潟県上越地域 、2020年1月11日から14日 さいの神 地区内 地域の住民 無病息災や子孫繁栄を祈る小正月行事「さいの神」が、上越市・妙高市各地の町内会や団体の主催で行われた。上越地方でさいの神は、左義長、どんど焼き、オーマラなど、いろいろな呼び方がある。竹や稲わらで組んで作ったやぐらに、家庭などから持ち寄った門松、しめ縄、お札、だるま、お守り、書き初めなどをくくり付けて燃やし、火でスルメ、餅などを焼いて食べる。
 本来は小正月行事として1月14日に実施されていたが、近年では前後の土、日を選んで行われる。2024年は1月7日(日)から、新年の無病息災などを願う小正月行事「さいの神」が行われた。本年1月1日に能登半島地震が発生し、住民らは燃え上がる炎に、新年の家内安全や被災地復興などを祈った。
 上越地域消防局によると上越、妙高両市で227件の実施の届け出があった。年明け最初の実施日となった7日、上越市東城町3丁目町内会は、雪の降り積もった関川河川敷でさいの神を行った。昨年秋に刈り取ったかやと竹を組み合わせ、高さ10m以上のさいの神を設置し、300人近くが参加。年男、年女の子供らと町内会の役員が点火役を務めた。町内の出丸稲荷神社を参拝し、トーチに火をもらい受ける「採火式」を行った後、午後1時30分に点火。住民らは火を囲み、甘酒や焼いたスルメを味わっていた。
 上越地域のさいの神の実施は1月14日がピークで、2月下旬まで予定されているという。 (出典:上越タウンジャーナルなど)
無病息災や子孫繁栄、地震被災地の復興などを祈る
新潟県上越市西横山地区 2022年1月14日夜 西横山の小正月行事  地区内 地域の大人と子供 西横山地区の小正月行事は450年以上前から伝わる上越市の無形文化財。14日と15日の2日間行われた。少子化により、現在はこの地区に住む子どもがいないため、近くの小学校やNPO西横山小正月行事保存会の協力を受けて開催した。
行事は毎年2日間に渡って、鳥追い、みそぎ、嫁祝い、オーマラと4つの催事が行われる。 14日の夜は、行事の始まりとなる鳥追いが白山神社で行われた。今年参加したのは、近くの谷浜小学校や地域のNPOスタッフの子どもたちで、3歳から小学4年生までの8人。鳥追いは午後8時に始まり、子どもたちはフカグツを履いて、わらの蓑と身にまとい、太鼓の音に合わせて「コーリャどこの鳥追いだ」と歌いながら集落の雪道を練り歩いた。歌は、田畑を荒らす害鳥を佐渡へと追い払い、五穀豊穣を祈る内容。
「コーリャどーこの鳥追いだ。ダイロウドンの鳥追いだ。シロオ(しり尾)切ってかしら切って、コンダワラ(小俵)へほうらいこんで佐渡ヶ島へホーホ、こうもりも鳥のニンジョ(仲間)でホーホ~♪」 (この項:上越妙高タウン情報)
この一年の豊作祈願と、鳥を追い払う農耕儀礼
新潟県上越市西横山地区 2022年1月15日 小正月行事「嫁祝い」 地域の新婚家庭 新婚の嫁と子供 小正月行事の「嫁祝い」は、上越市の無形文化財。集落に嫁ぎ、初めての正月を迎えた花嫁が子宝に恵まれるよう願う、450年以上前から伝わる伝統行事。
15日の昼、嫁祝いが集落にある古民家で行われた。嫁祝いでは太刀に見立てたヌルデの棒を持った子どもたちが、玄関先で祝儀を載せた盆を両手に持って出てきた花嫁の周りを取り囲む。子どもたちは花嫁の頭上で太刀を打ち鳴らしながら、嫁祝いの歌「男まけ 子まけ 大の大人が十三人 ひとつ祝いましょ もひとつ おまけに祝いましょ」と声を合わせて唄った。参加した児童は「子どもをたくさん生んで幸せになれるようにと思った。とてもめでたいと思う」と話していた。
15日の夜には、行事のフィナーレとなる火祭り行事「オーマラ」が行われた。 (この項:上越妙高タウン情報)
初めての正月を迎えた花嫁が子宝に恵まれるよう願う
新潟県上越市西横山地区 2015年1月15日夜 市無形民俗文化財「さいの神オーマラ」 地区内の田んぼ 地域の大人と子供  さいの神「オーマラ」は450年以上の歴史があるとされる小正月行事。市の無形民俗文化財に指定され、地元の保存会が守り伝えている。オーマラは男性のシンボルを意味する。住民は火の付いたたいまつを振って周囲を照らし、子孫繁栄や無病息災、五穀豊穣を願う。
 子どもたちが昼間、集落の家々を訪ねて、わらなど材料を集め、住民が雪に覆われた田んぼに高さ5メートルほどに積み上げて「さいの神オーマラ」を作った。
 午後8時ごろ、麻のたいまつを手にした約20人の男衆が「オーマラ、オーマラ」と大声を上げ、互いにヘルメットの上からたたき合った。前年結婚した男性や就職する男性に対しては集中的にたたいて祝った。その後、たいまつに点火され、振り回されると、暗闇に幻想的な光景が広がった。最後にたいまつがオーマラに投げ入れられると、盛大に燃え上がった。住民は餅やするめを焼いて味わった。
子孫繁栄や無病息災、五穀豊穣
新潟県上越市西横山地区 2017年2月5日 横畑集落の古民家を活用した交流施設「ゆったりの家」 地域住民  「馬」は、上越市西部を流れる桑取川の最上流にある横畑集落だけに伝わる伝統行事。馬の跳ねる様子をまねて五穀豊穣を願う小正月行事で、若者と子どもが大馬、子馬に扮し、「今年は豊作だ」と願いを込めて、次々と跳ねた。
 かつては大人の大馬と子どもの子馬が小正月の夜に集落の家々を回り、茶の間で披露していたという。1978年に一度途絶えたが、地元有志が98年に復活させ、2003年からはNPO法人「かみえちご山里ファン倶楽部」が引き継いで、伝承保存に取り組んでいる。
 会場では、まず餅つきや小正月に飾るまゆ玉を作った。続いて地元潮陵中の生徒らによる馬が披露され、会場からの飛び入り参加もあった。「田ならし」役の男性の代かきが終わると、大馬役の8人が前足で踏みしめるように敷居を手でたたいて次々と入り込み、いろりを囲んで跳ね回った。
 2018年の「馬」は2月4日、「ゆったりの家」で開かれ、住民らが馬の鳴きまねをして勢いよく跳び回り、五穀豊穣を願った。
1年の五穀豊穣を願う
新潟県上越市吉川区原之町 2019年1月小正月ごろ月末まで 縁起物「ちんころ」作り 小浜屋菓子店 市内外の消費者 「ちんころ」は、大きさが3センチほどの安産の願いを込めたシンコ細工の菓子で、小正月の縁起物として家々で飾られる。犬や猿の赤ちゃん「さるぼぼ」など6種類の干支の動物をかたどっている。食紅を練り込んだ米粉の生地を丸めたり、つまんだりして形作り、最後に蒸してつやを出すためうちわで冷まして仕上げる。飾り物として処分するときは、どんど焼きで正月飾りと一緒に燃やしているという。吉川区では昭和30年代まで小正月に「ちんころ市」が開かれていたという。市はなくなって久しいが、小浜屋菓子店が「名物を守りたい」と作り続けているという。
同店によると、近年は地元の常連客よりも、区外や新潟市などから買いに来る人が多いという。1パック6個入りで千円(税込み)。販売は1月末まで。
農民たちの豊作祈願と、鳥を追い払う農耕儀礼
新潟県上越市中ノ俣地区 2021年2月3日 鳥追い行事の復活 集落の各家庭 大町小学校4年生 山間地にある中ノ俣集落は上越市の中心街から約15キロ離れた山間地にある。上越市立大町小学校の4年生39人が小正月行事の「鳥追い」を復活させた。児童は去年から毎月中ノ俣を訪れ、田植えや川あそび、森の探検などを通じて、自然や文化にふれてきた。その中で鳥追いが65年間行われていないことを知り、お世話になった中ノ俣への恩返しとして、伝統行事を復活させた。
 児童は去年暮れ、集落の人から鳥追いの方法や歌を教わり、学校で練習を重ねた。鳥を追い払うための鳴り物を空き缶やペットボトルで作り、この日に備えた。3日には4つのグループに分かれて、積雪の深い集落をくまなく回り、65年ぶりに鳥追いの歌を響かせた。 (この項:上越妙高タウン情報)
農民たちの豊作祈願と、鳥を追い払う
新潟県妙高市 2019年1月19日 ダイナマイトカーニバル in SUGINOSAWA 妙高杉ノ原スキー場ゲレンデ 杉野沢観光協会、地域住民、スキー客  「ダイナマイトカーニバル」は、杉野沢地区の家内安全、五穀豊穣、商売繁盛を祈願する伝統行事として行われてきたどんど焼きと花火大会を、妙高高原の冬の一大イベントにして、スキー客など多くの観光客に楽しんでもらおうと、地元の観光協会が一昨年から、妙高杉ノ原スキー場での開催に切り替えた。今年は午前11時半から地元飲食店の屋台村がオープン。妙高市の特産「かんずり」を使ったかんずりラーメンなども並んだ。
 午後6時半からどんど焼き神事に続いて、たいまつ滑走、どんど焼き点火、フィナーレに100発前後の花火が打ち上げられ(この項出典:上越妙高タウン情報など)
家内安全、商売繁盛、観光振興を願う
新潟県阿賀町 2015年1月 団子さし 西川小学校 小学校の児童  「団子さし」は新潟県東蒲原郡など各地に伝わる小正月行事で、1年の豊作などを祈る。「祝い木」と呼ばれるミズキの枝に団子を刺し、タイやヒョウタンといった縁起物の飾りをつるす。西川小学校のある上川地域では養蚕が盛んだったことから繭玉も飾る。
 団子さしは、昔は各家庭で行っていたが、最近は飾る家が少なくなってきた。西川小では地域の伝統行事に親しむ機会をつくろうと、1、2年生を対象に「団子さし」作りを体験授業を毎年行っている。
 2015年には1、2年生12人が、講師の地元住民に教わりながら、団子を丸め、ゆでて冷ました後、ミズキの枝に飾り付けた。
 
新潟県阿賀町石間 1月14日午後2時半過ぎ(2007年) どんど焼き 石間道の駅 道の駅を運営する第3セクター株式会社「阿賀の里」  140本の材木と260本の竹でやぐらを組み、神事のあと、火がともされる。3000人を超す観客が見守った。
 やぐらは高さ33mになり、建設会社の職人が8人がかりで製作した。主催者の調べでは日本一の高さだという。今回のどんど焼きをギネスブックに登録申請する方針だという。
 
新潟県糸魚川市大字青海 2013年1月15日 青海の竹のからかい
(国重要無形民俗文化財の小正月行事)
糸魚川市青海の青海駅前本町通り 地域住民や子どもたち  周辺の町内が東西に分かれ、顔に赤や黒、青などで隈(くま)取りと呼ばれる化粧を施し、腰にしめ縄を巻いた法被姿の地元の若衆が、勇壮に長さ約15mの2本の青竹を引き合う。江戸時代から伝わる豊年豊漁や無病息災を祈願する小正月行事。
 若衆は東西の陣営ごとに「チョウチョウ、サギノチョウ、菜の葉にとまれ」と恒例の「サギチョウ」の歌で気勢を上げ、青竹を頭上で交差させた後、「イチ、ニ、サン」と声をそろえて、お互いの竹を脇に抱いて、引き合いを繰り広げた。その後、青竹を浜に持っていき、賽の神(さいのかみ)焼きで焚き上げた。
 この日は青海地区以外にも、市内各地でさいの神焼きを行い、正月飾りなどを焼いて、一年の無病息災を祈った。
 竹のからかいの開催手順は次のように行われる。(糸魚川タウンセンター・ヒスイ王国館・いといがわベース参照)
1:お松とり 1月7日、小・中学生が早朝からそれぞれの町内を回り、門松・松飾り・しめ縄などを集める。15日の賽の神の朝、集めたものを青海の浜へ持っていき、「お松さん」として積み上げる。
2:竹伐り 1月10日前後に、若い衆が青竹を選んで切り出す。この竹は賽の神の依り代とされる。飾り竹用、勇み竹用、合わせ竹用、細工竹用の計4本が用意される。
3:飾り竹の準備 「飾り竹」は、15日の朝、竹の引き合いに先駆けて東と西の陣屋前に立てられる。この竹には賽の神が舞い降りるとされ、神への捧げものとして吹き流しや扇、八幡幣、しめ縄、お神酒樽などが飾り付けらる。
4:竹のからかい 15日昼過ぎ、「竹のからかい」が始まる。若い衆は法被姿に鉢巻きをし、腰にはしめ縄を巻いて顔に隈取りをする。会場警備の警察官も顔に隈取りをする。東西の若い衆はそれぞれの陣屋からまず「勇み竹」を会場の旧青海神社参道入り口まで持ち出し、立てた竹の周りを「左義の長(さぎのちょう)」を歌い輪舞する。
 その後勇み竹の根元を前にして進み、出した竹の中程が交差したあたりで若い衆が竹に飛びつき、東西の竹を重ねたまま抱え込んで計3回の引き合いが行われる。
5:飾り竹なおし 最後の引き合いを終えた若い衆が陣屋へ戻ると、陣屋前に立ててあった飾り竹を倒す。これを「なおす」といい、飾りものも取り外される。飾りもののうち、八幡幣は家の神棚の柱に縛っておくと魔よけになるといわれ、観衆が競って取り合う。
6:賽の神焼き 竹のからかいが終わると、飾り竹・勇み竹・合わせ竹などが浜へ持ち出され、既に積まれたお松さんなどの山に加えられる。お神酒をすえ、火がつけられると、若い衆は大火の周りを手を叩いて回りながら左義長(さぎのちょう)を繰り返し歌う。観衆はこの火で餅などを焼いて食べ、年中の厄病を払う。
 2017年の「竹のからかい」は1月15日に行われ、雪が舞う中、住民らが竹を引き合い、五穀豊穣(ほうじょう)や家内安全などを願った。今年は、特に前年暮れの市内の大火により中心街が壊滅的な被害を受けたことから、地元保存会会長が「大火の被災者にとって、今年が幸多い年であるように願います」とあいさつし、伝統行事が始まった。伝統を受け継いでもらおうと、小中学生による「からかい」もあり、最後に福餅がまかれた。
 2024年1月15日には、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止されていた行事が4年ぶりに開催され、会場には住民らの威勢のよい声が響いた。
豊年豊漁や無病息災を祈願する
新潟県糸魚川市能生藤崎地区 2014年1月17日 「藤崎観音堂裸胴上げ」
(市の無形民俗文化財の小正月行事)
藤崎観音堂 地域の若者と住民や参詣者  江戸時代から続くとされる伝統行事。身を清めて裸体に白い六尺ふんどしを締めた若者衆が、参詣者の中から厄年の人を「メッケター」(見つけた)と言ってつかまえ、大の字に持ち上げて「サッシャゲ、サッシャゲ」(差し上げる)と叫びながら堂内を練り歩き、「ヨイヤーサー」の掛声とともに天井高く胴上げをして厄を落とす民俗風習。この日は、例年より多い11人が胴上げされ、1年の無病息災、地域の安泰などを祈願した。
 2018年は1月17日に行われた。俳優の赤井英和さんが番組収録のために訪れ、高々と胴上げされる場面があった。 (この項糸魚川市役所WEB)
一年の厄落としや無病息災、地域の安泰などを祈願する
新潟県糸魚川市能生地区 2023年1月14日夕方~ 白山神社お筒粥の神事・献灯祭 能生白山神社 氏子、地域住民、参詣者  夕方から五穀豊穣、家内安全を祈願し大ろうそくが次々と奉納され、火が灯される。お筒粥の神事は、石臼でひいた米と葦を一緒に煮て粥を作り、葦に詰まった粥の具合でその年の作況を占う。(この項糸魚川市観光協会糸魚川観光ガイドWEB) 五穀豊穣、家内安全を祈願
新潟県長岡市川口和南津地区 2013年1月12日 小正月の伝統行事「鳥追い」 地区内の各家庭 住民組織「わくわく和南美」とPTA、子供たち50人  鳥追いは害鳥から農作物を守り、豊作を祈願する行事。日が暮れた雪深い集落を、すげぼうしをまとった子供たちが集落の家々を巡る。
 地区の子どもが少なくなり、長く途絶えていたが、住民組織「わくわく和南美」とPTAの協力で昨年復活した。ことしは行事再開を祝し、地元川口地域の住民がすげぼうしを手作りし、実施した。
 子どもたちは、お年寄りから鳥追い歌を教わり、道中を「鳥追いだー、鳥追いだー」と大合唱。約80軒の集落に拍子木の甲高い音と元気な声を響かせた。子どもたちの声を聞きつけた住民は「福の神が来てくれた」と家を飛び出し、笑顔で歓迎した。
害鳥から農作物を守り、豊作を祈願する
新潟県長岡市関原地区 2013年1月13日 サイノカミ 県立歴史博物館 地域住民  サイノカミは、ことしで13回目。同地区の県立歴史博物館が主催し、住民による「関原サイノカミ有志会」が秋から材料の竹とわらを集めて作った。今年のサイノカミは、高さ約18メートル。
 雪原に建てた巨大なサイノカミに子どもたちが点火。住民たちの「良い年になりますように」との願いを込めたかのように、真っ赤な炎が天高く燃えさかった。
 回りにはスルメをつるした竹竿を手にした人々が連なり、燃える炎を見上げた。参加者はスルメを焼いて食べるのが楽しみという。
五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災などを願う
新潟県長岡市山古志東竹沢の木籠地区 2010年1月10日 塞(さい)の神   地域住民  旧山古志村の小正月・伝統行事「塞(さい)の神」が10日に行われた。中越地震で人口減少や高齢化に拍車がかかる同地区では、住民は「大勢の人に参加してほしい」と新聞の取材に応えて、呼びかけた。
 午前10時から、地区の14戸約30人がカヤやワラを高さ約5メートルの円すい形に積み上げる。つきたての餅を食べた後、午後2時に点火する。火にあたると、体が丈夫になるなどといわれ、正月に使ったしめ縄や古札、子どもたちの書初めなども一緒に燃やされる。
 同地区の人口は震災前の25戸約70人から半数以下になった。塞の神もかつては15日に行っていたが、最近は人が集まりやすい休日に行っている。
五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災
新潟県燕市粟生津地区 2015年1月12日午前11時半~ 塞(さい)の神 粟生津保育園西側の広場 地区のコミュニティー組織「親栄会」と住民数百人  地域で行われていた塞の神を1995年ごろから親栄会が引き継いで行っている。青竹で組んだ塞の神は、住宅が近いこともあり、火が大きくならないように高さは約6メートルと小さめに作った。
 参加住民のため、豚汁やあげぱん、鶏肉のレモン和えを販売するテントも並んだ。地元のよさこいソーランチーム「風雅」の小学生がダンスや歌を披露し、来場者にふるまう餅を木の臼ときねでついた後、子どもたち10人ほどが先端に火を着けた竹の棒で塞の神に点火した。
 塞の神では、参加者が持ち寄った書き損じた書き初めや正月飾りを一緒に燃やした。火勢が衰えると竹竿の先につるしたスルメを塞の神の火で焼いて食べた。
五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災
新潟県燕市国上 2016年1月11日 さいの神 道の駅「国上」 市民約800人  さいの神は地元NPOが主催し2016年で11回目。当日は、雪が降る中、竹と稲わらで作った高さ約10mの「さいの神」を燃やし、参加した市民は、無病息災や五穀豊穣を祈った。さいの神の火で焼いた物を食べると健康でいられるとされ、竹ざおにスルメイカをつり下げ、焼いて食べる市民も多くいた。
 2023年は1月15日に開催された。午後2時に和ろうそく160本余りの奉納ろうそくに点火した後、国上寺の住職が祈とうし、塞の神に添加された。塞の神は当日に設置され、高さは約13メートルにもなる県内でも最大規模という。外側に編んだわらをかぶせてつくる。
 ほかにもステージイベント、無料の甘酒のふるまい、福するめの販売、寒ブリ解体ショーと即売会などが行われた。(三条・燕、県央の情報「ケンオー・ドットコム」など)
無病息災や五穀豊穣
新潟県三条市 2015年1月14日夜 献灯祭 八幡宮 地域住民  献灯祭は江戸末期の安政年間に始まったといわれ、翌朝まで夜通し大ろうそくの火をともし、揺らめく炎に商売繁盛や家内安全を祈願する小正月の伝統行事。
 2015年には、前年と同じ重さ8貫目(30キロ)のろうそく2本を最大に、5貫目30本、3貫目1本の計33本が奉納され、台に載せて拝殿に並べられた。午後7時から大ろうそくの献納者が列席して藤崎宮司が神事を行った。国定勇人市長を皮切りにろうそくの献納者は、世話方から火打ち石を打ってもらってから、点火用のろうそくを受け取り、それぞれの大ろうそくに火を移して点火した。1時間ほどでほぼすべてのろうそくに火がともった。午後7時半から境内奥の金山神社でも同様に神事と650匁(約2.4キロ)のろうそく約90本の点火が行われた。
 点火が始まると、参拝者は拝殿に上がり、鈴を鳴らし、さい銭を投げ入れ、手を合わせて商売繁盛や家内安全を祈願した。境内では、正月飾りのお焚き上げが行われ、スルメを焼いたり、飾り終えた正月飾りを次々に火の中に投げ入れた。
商売繁盛や家内安全
新潟県三条市西本成寺一丁目 2月3日(節分) 本成寺鬼踊り 法華宗総本山本成寺 僧侶や信徒住民、観光客  本成寺鬼踊りは、室町時代本成寺の僧兵と農民が力を合わせて盗賊を追い払ったという故事にならい、この一年の厄払いや幸せを願う節分大祈願会の一環として本堂で行われている。鬼踊りを演じるのは「本成寺鬼踊り奉讃会」の檀信徒たち。太鼓の音とドラの音が響く中で鋸・斧などの金物を持ち、赤鬼、青鬼、三途川婆(そうずかば)などのオニが「ウオー」とうなり声をあげながら荒々しく踊る。最後は鬼に豆を投げつけて退散させ、厄払いや平和、安全を祈る。
 2019年は鬼踊りとともに午前11時から地場産業振興祈願祭と事業繁栄特別祈願祭、午後1時から厄年・祝歳男女厄ばらい大祈願が行なわれる。鬼に抱かれた赤ちゃんは健康に育つという言い伝えがあり、毎年子ども連れでにぎわう。(この項:三条市役所、ケンオードットコムなど)
一年の厄払いや健康、商売繁盛や家内安全
新潟県佐渡市岩首集落 2019年1月14-16日(3日間) 小正月行事「賽の神、トウドヤ、炭塗り、鳥追い」 集落内の各家庭 地域の小中学生男子  岩首集落では小正月行「事賽の神(さいのかみ)、トウドヤ(どんど焼き)、鳥追い」が1月14日から16日まで3日間かけて行われた。いずれも五穀豊穣や無病息災を願って明治時代から続けられてきている行事で、集落の子供たちが主役となって行われている。
 1月14日は「賽の神」が行われた。子供たちはは各家庭を1軒ずつ回って、この一年の繁栄を祈願する「予祝と厄払い」を行った。子どもたちは各家の前で一斗缶や空き缶を棒で叩きながら次の祝言葉を唱えた。
 賽の神かんじん とうどや さんぎりちょう 大もうけ 小もうけ
    あっちの家は繁昌し こっちの家は上作し
 銭も金もわくわく 賽の子は13人 銭も金もわくわく
   各家では、子供たちが回ってくると、菓子や果物などを渡した。昔は、お茶碗にお米を入れ渡していたという。
 翌15日は地元では「トウドヤ」または「トウライヤ」と呼ぶどんど焼きが行われた。7日に子供たちが集落の家々を回り、正月飾りの松やしめ縄を集め、それらを浜辺で焼いた。この火で竹竿の先に巻いた針金に下げた餅とイカを焼き、病気災難を除ける、などと言って食べるのが習わしになっている。
 どんど焼きが終わると残った灰に水を加えて炭を作り、行事に参加した大人や子どもの顔に塗る。これもこの1年の健康を願って行われる習わし。
 16日は子供たちが田畑を鳥の被害から守ることを祈念して「鳥追い」が行われた。夜明け前の午前4時半から子供たちは集落を3周し、最後は神社で次の呪文を唱えた。
 京の鳥と 田舎の鳥と 渡らぬ先に 七草あてて トホンボー
 四郎左エ門の田の畦に 白い黒い寒鴉 追うて頼む 田の神さん トホンボー
 十六日は 月の出 粉餅のか欠片は 今朝ばかり トホンボー
(この項出典:佐渡市地域おこし協力隊サイト 記録服部綾子氏(岩首地区・佐渡棚田協議会)
五穀豊穣や無病息災を願う
新潟県佐渡市岩首集落 2016年1月6日 「旗振り」 集落内の各家庭 地域の男の子  「旗振り」は、男の子が中心になって行う小正月の伝統行事。旗のついた竹ざおを持って集落の家々を回り、玄関口で歌をうたい、ことしの豊作と大漁を祈願した。家の人たちはお礼にコメやお菓子などを渡す。集落の少子化により、ことしは2人の男の子が参加した。集まったコメは、1月10日に行われる「西の神の火祭り」で、甘酒にして振る舞われる。 豊作と大漁を祈願
新潟県佐渡市岩首集落 2015年1月16日早朝 鳥追い 集落内の田畑など 地域の子どもたち  「鳥追い」は田畑を荒らす鳥や害虫を追い払い、豊作を願う小正月の伝統行事。岩首集落では100年以上の歴史がある。
 16日は夜明け前の午前4時半から、小学1年生から中学3年生までの7人が1時間半かけて、鳥追い唄を歌って集落を3周した。早朝に行うのは、鳥がねぐらから飛び立つ前に追い払いたいという昔の人の思いが込められているからだという。
豊作と無病息災を祈る
新潟県佐渡市野浦地区 2022年1月10日 小正月行事の「旗振り」 集落の各戸 地域住民、子どもたち 「旗振り」は竹竿につけたのぼり旗を振って、その年の豊作や大漁などを祈願する伝統行事。集落の子どもたちと大人が竹竿につけた「西之神」「赤い七つ星」を描いたのぼり旗をかついで各家をまわり、玄関口で旗を振りながら縁起のよい言葉を唱えて、ことし1年の豊作や大漁、無病息災を祈願した。唱え言葉は「庭の隅から湧き出た、今年の作は上作だ、萬作だ」という。のぼり旗は招代(おぎしろ)として神さまが降りてくる目印となる。
集落の人々は子どもたちにご祝儀やお菓子が渡し、旗に向かって手を合わせ、いい年になるよう願っていた。(この項:TeNYテレビ新潟ニュースほか)
豊作や大漁、無病息災を祈願
新潟県小千谷市 2015年2月14日 山谷・坪野ほんやら洞まつり 県道山谷片貝線脇山谷~坪野間の雪原 地域住民、観光客  新潟県中越地方では、秋田県の旧正月行事「かまくら」と同様の雪洞や行事のことを「ほんやら洞」という。「山谷・坪野ほんやら洞まつり」は冬期間休眠する畑地と豪雪を活かしたイベントとして、1992年から始まった。
 山谷・坪野地区の住民が総出で、大量の雪の積もった雪原に、大小のほんやら洞(かまくら)をつくり、日暮れ時からろうそくを灯す。雪原に幻想的な光景が繰り広げられる。
 ほんやら洞つくりは、午後2時に住民が集合して始まる。ほんやら洞完成次第、ろうそくに点火される。午後7時半から花火の打ち上げも行われ、多くの観光客でにぎわう。
 (この項出典小千谷市役所公式HPなど)
 観光客の誘致
新潟県小千谷市 2015年2月28日(土曜日)~3月1日(日曜日) 「おぢや風船一揆」 市内雪原 地域住民、観光客  「おぢや風船一揆」は旧暦正月に行われる熱気球と花火と雪灯篭の観光イベント。2015年で第39回となった。
 期間中には紙熱気球「ぼこ」イベントが行われる。「ぼこ」は蚕・かいこを意味する。養蚕が盛んな時代には蚕を「ぼこさま」と呼び、形が似ていることなどが語源とされている。
 この項出典小千谷市役所公式HPなど
 観光客の誘致
新潟県魚沼市大白川 2019年1月13日 さいの神・婿いぶし 地区のさいの神 地域住民、観光客 「婿いぶし」は、地区内の家に婿入りした結婚間もない男性を「さいの神」の中に入れ、煙でいぶり出す小正月の伝統行事。無病息災や子孫繁栄を祈願する。2019年は、同地区に婿入りした対象者はいなかったため、たまたま東京から来ていた2人の高校教諭が大役を務めた。住民が木の枠組みにカヤやワラを巻き付けた高さ約3メートルのさいの神の小屋を作り、中に2人の男性がこもり顔を墨で塗られて待機すると、小屋に点火され、煙でいぶされた2人が飛び出した。 無病息災や子孫繁栄を祈る
新潟県南魚沼市寺尾 2024年1月14日夜 裸押し合いまつり 七尊観音堂 地域住民、観光客  裸押し合いまつりは4年に1度行われ、家内安全や豊年満作を祈願する伝統行事。最後の祭りが2024年1月14日夜行われ、江戸時代から続く奇祭の歴史に幕を下ろした。地区の少子高齢化に若者の出稼ぎなどで参加者の確保が難しくなり、今回で終了となった。最終回は、地元の男性や子どもら約50人がさらし姿で、激しく体をぶつけ合った。(出典:新潟日報デジタルプラス) 家内安全や豊年満作を祈願
新潟県出雲崎町 2021年1月10日~4月18日 小正月行事の「繭玉飾り」 北国街道妻入り会館 地域住民、観光客  「繭玉飾り」は五穀豊穣を願う小正月行事。出雲崎町尼瀬の北国街道妻入り会館で行われた。繭玉に見立てた赤、白、緑の餅や紙風船、縁起物の飾りを住民がミズキの枝に付け、この一年の豊かな実りを祈った。かつて町内の農家で行われていた伝統行事を伝えようと、同館を管理する住民グループ「妻入りの会」とNPO法人「ねっとわーくさぷらい」が毎年開催している。
 例年は地域の子どもたちも参加しているが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため両グループのメンバー10人で飾り付けた。(この項:新潟日報モア)
五穀豊穣を願う
長野
長野県飯山市
 
2016年1月9,10、17日日

 
道祖神祭り(どうろくじん祭り)

 
 市内各地区の田んぼ、千曲川河川敷  地域住民 飯山市の道祖神火祭りは小正月前後の土曜、日曜日に行われ、初子の祝い、厄年の祓い、良縁を祈願する伝統行事。市内には107区の集落があるが、そのうちの90以上もの集落で行われているという。
 祭礼の準備は前年の11月下旬ごろ雪が降り出す前に集落ごとに行われ、ブナの木などで高く円錐形の骨組みを作り、周りにカヤの束を巻きつけて道祖神(どうろくじん)と呼ばれるやぐらを作る。道祖神は大きいじじ道祖神、小さいばば道祖神の2体作られる。飯山は豪雪地帯で祭りの当日には地域全体が雪で埋まってしまい準備ができないので、事前に制作して祭りの当日に掘り出して火祭りを行う慣習という。
 火祭りの当日は、各戸が正月飾りを持ち寄って供える。道祖神の周りで火付けの攻防戦が行われる。本厄の人や大人が火消し役、子どもが火付け役を務めて攻防するのが見どころという。道祖神が燃え上がると子どもたちは書き初めを燃やしたり、切り餅を焼いて食べたりする。(この項:飯山市公民館ブログhttps://blog.goo.ne.jp/iiyama-kouminkan/m/201601などによる)  
初子の祝い、厄年の祓い、良縁を祈願 
長野県飯山市上町区  1月15日の小正月前後  道祖神祭り(どうろくじん祭り)  千曲川河川敷  地域住民  飯山市上町区の道祖神づくりは11月中旬~下旬ごろに行われ、大きいじじ道祖神の高さは15メートル以上もあるのではとされるほどで市内で最大級。芯となる木柱を3本建て、周囲にカヤをめぐらせて作るが、あまりにも大きいのでクレーン車も出動する。
 祭り本番では。集落内にある長男が生まれた家。日が暮れた頃、「初道祖神家」祝いの神事が神社で行われ、長男の健やかな成長を祈る。地区の若衆グループ「上南会(じょうなんかい)」のメンバーが、長男誕生を祝い「為○○君男児立志出郷関・・・」などと大書した書き初めののぼりを掲げ共に神事を見守った。神事が終わると、集落の大人やこどもたちが初道祖神家まで移動し、家の前で長男の誕生を祝う木遣り唄を歌った。
 このあと、集落の人々は千曲川河川敷の祭り会場へ移動し、午後7時過ぎから道祖神の火まつりが始まる。初道祖神家のお父さんが、区長さんの提灯からたいまつに点火し、2体ある道祖神の小さい方「ばば」に火をつける。子どもたちがその火をたいまつに移し、もう一つの大きい道祖神「じじ」に火をつけようとするが、それを阻止しようとする大人たちとしばらくの間攻防戦が行われる。攻防戦の後に道祖神が燃えはじめ、火まつりはクライマックスを迎える。この間、上南会の若衆が「初道祖神家」祝いののぼりを掲げて立っており、会場の雰囲気を盛り上げる。(この項:長野県飯山市役所 移住定住支援サイトによる)
「初道祖神家」を祝い、長男の健やかな成長を祈る
長野県下高井郡野沢温泉村
 
1月15日
(13日ご神木引き、14,15日社殿つくり) 
日本三大火祭り「道祖神火祭り」(国の重要無形民俗文化財)   会場は温泉街外れの「馬場の原」
 
地域住民、観光客  日本三大火祭りのひとつ(三大には諸説ある)。男の厄年を迎える42歳・41歳・40歳の3つの年代が「三夜講」と呼ぶ組織を編成し、この同じ仲間で3年間行事を行う。25歳の男の厄年が毎年加り、また、42歳にあたる者が幹事役を勤める。
 毎年、13日にご神木引きを行う。14,15日の2日間をかけて、高さ20mのブナ御神木を柱とする巨大な社殿つくりを行う。社殿には厄年が乗る部分を作り、高さは10数m、広さは8平方mある。15日夜、社殿の前で火付けの攻防戦を行う。
 火付けの攻防戦は、15日午後9時ごろから始まり、社殿を守る25歳と42歳の厄年の男衆と、社殿に火をつけようと松明(たいまつ)を振りかざして攻めてくる村人が攻防する。約1時間の攻防の後、手締めを行い、厄年の男衆が陣取っていた神殿を降り、社殿に火が入れられる。ここで、厄年の男衆は地域に伝承する「道祖神の唄」を歌う。
 焼け落ちた社殿は翌日まで燃えていて、翌朝餅などを焼いて食べる人が多い。ここで餅を焼いて食べると風邪を引かずに1年間健康で暮らせると言われている。
 前年に長男が誕生した家では、子供の成長を祈って初灯籠を作り、火祭りに奉納する。灯籠作りは、灯籠棟梁の指揮に従って親戚や友人たちが集まって作られる。灯籠の高さは5間(約9m)、中心柱は下段がミズナラ、上段が杉を使い、最上部にオンべ(御幣)、その下に傘、この傘の周囲に赤色の垂れ幕を巡らし家紋を付ける。傘の下には風鈴に、丸灯籠、白扇、ようらくを吊す。次に絵を描いた菱灯籠。そして竹ひごを柳の枝のように垂らし、中央に万灯籠を付ける。一番下には竹の輪を二重に吊し、親戚や友人たちから寄せられた書き初めを下げる。11日から火祭りまで自宅前に飾り、火祭りの晩に会場に移動し、燃やす。
 2015年には、外国人観光客の見物が多いことがテレビ報道された。「Nozawa Onsen’s Dosojin Fire Festival」として、来日する外国人観光客の人気を集め、2015年1月15日の祭典では、見物客の半数近くが外国人観光客で占めたと報道された。
 2023年はコロナ禍で縮小されていた祭事が本来の形で復活開催され、地元住民や海外からの宿泊観光客およそ3000人でにぎわった。テレビ朝日が、道祖神祭の一部始終をYOUTUBEでネット中継した。
 (※欄外に「道祖神の唄」)
五穀豊穣、家内安全、無病息災、良縁安産、商売繁盛などを祈願する。

 
長野県木島平村 2019年1月12,13,14日 道祖神まつり 村内各地 地域住民、子ども  木島平の道祖神祭は1月の3連休に各地区ごとに開催された。中村区では、祭場が積雪の中で行われ、道祖神に火を着けさせないようにする厄年の男たちと、隙を見て火をつけようとする子どもたちの熱い攻防戦が繰り広げられた。火が着けられた後は団子をあぶって食べた。(この項:木島平村役場ホームページ・フォトニュース) 子どもたちが1年間元気でいられるように
長野県栄村箕作 2014年1月15日 「箕作の道陸神祭り」県無形民俗文化財 豊高島神社前の道陸神場 地域住民、中学生以下の子ども  箕作の道陸神祭りは小正月の2日間にわたって行われ、箕作道祖神研究委員会が継承している。「オンベ」と「どんど焼き」の2つの祭事を行う。中学生以下の子どもが主役で、最年長の子は「おやかた」と呼ばれ、祭りの世話役をする。「オンベ」は木の棒に紙垂をつけた「御幣」のこと。
 子どもたちは、14日深夜から未明にかけて、オンベを持って集落内の全戸を一軒一軒訪ねて練り歩く。おやかたの「はじめ」の号令とともに全員が玄関で「道陸神の勧進用意(どーろくじんのかんじんようい)」と叫び、続いて「出せ出せ」と大声でくり返しながら、家の壁や床をオンベでドンドンと突く。これは祝い金を出せという意味と「災いを追い出せ」という二つの意味があると言われている。
 オンベの一行は、前年に結婚した新婚夫婦のいる家や、初孫の生まれた家では、特別行事を行う。嫁を迎えた家では、嫁の背中に布団をかけて、その上からオンベで突く。婿は、箕作地区の男衆が胴上げし、雪の中へ投げ込む。初孫のある家では、祖母がオンベで突かれる。道陸神による子宝授けや子孫繁栄を祈る意味があると言われている。
 15日朝になると、豊高島神社の前の道陸神に正月の松飾りを持って集まり、ここで松飾りやオンベを焼く。このどんど焼きの火にあたると風邪をひかない、この火で焼いた餅を食べると、夏やせをせずにすむともいわれる。また、厄年の人は、ミカンやお菓子をまき、集まった人たちが拾い合う。
(長野県の芸術・文化情報センターなどによる)
家内安全、無病息災、安産、子孫繁栄 
長野県長野市大岡の芦ノ尻地区 毎年1月7日 芦ノ尻道祖神祭り(県無形民俗文化財) 地区の道祖神場 地域住民で作る道祖神祭保存会  正月のしめ縄や松飾りを持ち寄り、無病息災を祈念して、道祖神の人面の神様を祀るお祭り。「神面装飾道祖神祭」ともいう。神面は、高さ2mほど。悪霊を追い払うとされ、石造りの道祖神に1年間飾る。1998年の長野冬季オリンピック開会式に登場し、世界中にアピールをしたことで有名。
 平成23年1月7日には、地元住民でつくる保存会の会員が地区の約35戸から集めた正月飾りのしめ縄を鼻や目に見立てて、石造りの道祖神に飾り付け、神面を形作った。近くの大岡小学校、大岡中学校の子どもたちも作業を手伝い、装いを新たにした道祖神に一年間の無病息災を祈った。
 作り手は毎年変わり、平成25年1月7日には40~70代の男性5人が担当した。「目元が鋭過ぎるなあ」「堂々とした面構えになってきたぞ」などと言いながら、同集落の約35世帯から持ち寄ったしめ縄で目や口、鼻、ひげを作って組み合わせ、約1時間半で新たな神面を完成させた。
 7日夜、道祖神のそばでどんど焼きを行う。松の木、栗の木、楢の木を3本伐ってきてやぐらに組み、一年間集落を見守ってくれた古い神面道祖神や道祖神に使わなかった正月飾りなどを焚き上げた。どんど焼きの熾き火で餅を焼いて食べると病にかからず腹痛を起こさないという言い伝えがある。(この項出典:ダイドードリンコ日本の祭りも参照)
豊作や無病息災を祈る
長野県長野市栗田 2012年1月9日 どんど焼き 栗田公園 地域住民100人以上 高さ3mほどのやぐらを四つ並べ、どんど焼きが行われた。午後5時ごろ、住民らは無病息災を願いながら、正月飾りやだるま、書き初めなどを燃やした。燃え始めると、竹のはぜる音が鳴り響き、子どもたちが歓声を上げた。火勢が収まると餅をアルミホイルに包んだり、網の上に乗せたりして焼いた。 無病息災
長野県須坂市 2017年1月9日夜 小豆焼き占い 小河原町公会堂 地域住民、小学生  「小豆焼」は、いろりの炭火の上に「カワラケ」と呼ばれる鉄製の小皿を置き、その上に乗せた小豆の回り具合で、その年の農作物の出来や天候などを占う小正月の伝統行事。最初に明神様と戸隠様の機嫌、続いて、苗代、リンゴ、ブドウ、モモ、プルーンの出来・相場、台風、雨、霜の有無など約30項目を占った。項目ごとに2粒の小豆を乗せ、回り具合を役員が「上々」「上」「中」などに判定した。
 カワラケに小豆を乗せる神主、みこ役は小学生がを務めた。区民や小学生らが見守る中、小豆が勢い良く回転すると「これはいいぞ」「豊作かな」などの声が上がった。
 須坂の小豆焼き占いは、各地で行われていたが、戦後、多くが途絶えた。同町区では1957(昭和32)年に復活させ、農家組合が中心となって行っている。公会堂に専用のいろりを設けている。若い世代に受け継ぐため、カワラケに小豆を置く神主・みこ役は小学生が務めているという。
その年の農作物の出来や天候などを占う
長野県木曽郡上松町(あげまつまち) 1月15日 賽の神行列 町内 地域住民  1年間の無病息災や家内安全を祈る。子供たちが武将の名前などを書いた幟旗を手に、町内を練り歩く。
無病息災、家内安全を祈る
長野県木曽郡上松町(あげまつまち)小川近所地区 2024年1月14日夜 お日待ち 東里農業生活改善センター 地域住民  お日待ちは上松町小川近所地区で今年一年の無病息災や五穀豊穣などを祈りながら古式に則り火おこしをする小正月の伝統行事。東里農業生活改善センターに設けた祭壇前で4年ぶりに行われた。地区の男衆が、ヒノキ板に開けられた穴に「ヒモミ」の別名で知られるムラサキシキブの幹を垂直に立てて両手をこするようにして動かした。
 その年毎に火の点く時間が違い、その年の運を占う。今年は30分ほどで小さな火だねを起きた。火だねはろうそくに移して祭壇に供えた後、ちょうちんに火を分けて各家庭に持ち帰った。この後小正月の初日の出を待つと言う事で「お日待ち」というそうである。(信州の地域紙 市民タイムズWEB)
一年の無病息災や五穀豊穣などを祈る
長野県松本市 2004年1月10日 三九郎 市内の田畑や河原 地域の大人や子供  「三九郎」は、長野県松本地方の各地で行われる小正月の伝統行事。PTAや育成会が地区ごとに角材や竹を組み、子どもたちが集めたしめ飾りや破魔矢、だるま、松の枝などを積み上げて作る。松本市中心部、縄手通り裏手を流れる女鳥羽川の河原では、2004年1月10日午後5時半に高さ約2mの三九郎に点火。勢いよく炎が上がると、子どもたちは「こんなすごい炎を見るのは三九郎の時だけ」と興奮していた。火が弱まると、米粉で作った「繭玉」を柳の枝の先に刺してあぶって食べた。三九郎の火で焼いて食べると風邪を引かないといわれる。2004年は10、11日に燃やす所が多かった。
 2014年には、教育委員会のまとめによると、1月11日に松本市内の河川敷や公園など245カ所、12日に183カ所で行われた。同市の浅間温泉第6町会は女鳥羽川の河川敷に、やぐらを設置。子どもたちが午前中に各家庭や旅館を回って、正月飾りやだるまを集め、河川敷に三角すい状に積み上げた。午後5時すぎに住民約70人が集まり点火した。一年間の無病息災を願いながら米粉の繭玉を枝に付けて、焼いて食べた。
2019年には1月12日からの3連休をピークに、松本地方の各地で「三九郎」が行われた。松本市街地を流れる女鳥羽川の河川敷では12日、正午過ぎから夕方にかけてやぐらに火が付けられた。松本広域消防局によると、松本、安曇野、塩尻の3市と東筑摩郡では12日、295カ所で三九郎が行われ、13日は338カ所、14日は32カ所で行われるという。(この項信州・市民タイムズWEB版など)
 
長野県松本市内田地区 2013年1月14日 市重要無形民俗文化財の伝統行事「おんべ祭り」 北花見(きたけみ)集落の公民館第5分館 地域住民  色紙のおんべ(御弊)を飾った御柱を道祖神の隣に建て、無病息災や五穀豊穣を願う伝統行事。
 住民は公民館第5分館で、青竹を割り、色紙を切っておんべと稲穂を模した飾り「ソバ」を31本ずつ作った。床の間に飾って祈願した後、近くの県道沿いにある道祖神の脇に移動。高さ約12mのご神木におんべなどを結びつけ、協力して御柱を建て、根元にソバを差し込んだ。
 同集落では27世帯で祭りを守り、毎年1月14日に御柱を建てている。住民は持ち回りで必要な物品などをそろえる当番の「当家(とうや)」を務める。
 内田地区のおんべ祭りは3集落で行われ、荒井、横山は既に御柱を建てた。20日に御柱を倒し、おんべ飾りを魔よけとして各戸に配る。
無病息災や五穀豊穣
長野県松本市筑摩地区 2023年1月14日 厄除け篝火神事 筑摩(つかま)神社 地域住民  松本地方では小正月火祭り行事を「三九郎」と呼ぶことが多いが、同神社では厄除け篝火神事としている。篝火にあたると、火が災厄を焼き尽くし、病気や災害を免れるとされる。日没後、境内のやぐらに点火されると、大きな炎が上がった。参拝客は縁起物のからし揚げと呼ばれる煮付けた油揚げを買い求めたり、かす汁を味わった。(出典市民タイムスWEB) 一年の無病息災を願った
長野県松本市 2024年1月14日 松本あめ市・塩取り合戦 中心市街地 地域住民、観光客  「塩取り合戦」は商都・松本の新春を彩る「松本あめ市」の2日目に行われた恒例の綱引き行事。中心市街地が歩行者天国となり、あめ市の由来となった「敵に塩を送る」の故事にちなみ、戦国武将の越後・上杉謙信と甲斐・武田信玄の合戦になぞえらえて綱引きで競う。
 中央2交差点から北を上杉方、南を武田方とし、一般から募った男女各40人と子供20人による3本勝負で勝敗を決した。男性は武田方、女性は上杉方が制し、1勝1敗となった後の最終戦は上杉方の子供たちが息を合わせた引きで勝って、2年連続で上杉軍の勝利となった。その他、時代行列などがあり、大勢の市民や観光客でにぎわった。  実行委員長を務める本町三丁目町会の会長は「年明けに悲しい出来事があったが、新年へ向かう姿勢として企画した。楽しい1日を過ごしてほしい」とあいさつした。(出典・市民タイムスWEB)
越後上杉、甲斐武田の合戦になぞらえて勝敗を決する
長野県東筑摩郡波田(はた)町(平成22年松本市と合併) 1月10日早朝 鳥追い 十二区(中波田) 地区の大人と子供 江戸時代から伝わる小正月行事。昔は松本平の各地で行われていたが、今も伝えている地区は珍しい。
 まだ暗い午前五時半。十二区分館前に、フライパンや鍋など思い思いの鳴り物を持った波田小の児童17人と大人5人が集結。子どもたちは、「今日は誰の鳥追いだ、次郎太郎の鳥追いだ、おれもちっと追ってやろ、ホンガラホーイ、ホンガラホーイ」。歌いながら鳴り物をたたき、約2キロ歩いて分館に戻る。
 PTA役員が付き添い、「厳寒の朝の伝統行事を大人になっても覚えていてほしい」と語った。
 波田町教育委員会によると、鳥追いは昭和40年代まではどの地区も、15日早朝に行なっていた。
 
長野県安曇野市豊科 2015年1月12日 市無形民俗文化財の「福俵曳(び)き」 市役所本庁舎 地域住民と新田、成相の両区の若衆  市無形民俗文化財の「福俵曳き」は小正月の伝統行事。例年は新田、成相の両区の若衆がそれぞれの区内を福俵を引いて回り、祝い事のあった家や店に納めるが、今年は新田区に市役所新本庁舎が今月完成するのを祝い、初めて両区合同で市役所に納めた。
 俵は長さ1メートル弱で、重さ数十キロ。綱を付けて水路で清めた後、若衆が「わっしょい」という掛け声で、俵を引きながら区内を練り歩いた。市民約200人が待ち構えた新本庁舎前では、習わしに従い、俵を引き込もうとする市職員らと、簡単に納めさせないとする若衆らが、綱引きのように俵を引っ張り合った。俵を囲むように4段の人間ピラミッドを作って盛り上げる場面もあった。
 2020年は1月13日に行われた。福俵は両区とも直径約50センチ、長さ約80センチ。若衆らが結わえた綱で福俵を引き回したり、地面にたたきつけたりして、商売繁盛や家内安全を願った。
福を引き込む
長野県北安曇郡松川村 2021年1月11日 三九郎 安曇野ちひろ公園 地区住民、子どもたち  安曇野ちひろ公園は小正月の伝統行事・三九郎を行い、昭和30年代に子供たちだけで作っていたやぐらを再現した。新型コロナウイルスの影響で行事が中止になった区の住民らが訪れて、正月飾りを燃やして無病息災を願った。公園の田に作られた高さ約5mの三九郎のやぐらに、各地区の住民が持ち込んだ正月飾りやだるまを取り付けた。公園内の体験交流館では繭玉作りも行われ、子供たちが柳の枝に色とりどりの繭玉を刺して準備した。
 昔のやぐらの再現に携わった川西地区の住民(73歳)が、5本の柱を立てて中で遊べる空間を作ったことなどを説明した。年男年女が火のついた矢を放ち、三九郎に点火した。  村内では約半数の区が三九郎を中止した。住民らは「子供たちに地域の伝統行事を体験させることも大事」と喜んでいたという。(この項:市民タイムスweb版)
今年1年の無病息災
長野県諏訪市 2017年1月8日 島崎一区、二区合同の小正月行事「どんど焼き」 高島公園 地区住民、小学生約300人 両区の育成会が中心となって開催。正月飾りなどの縁起物を燃やし、今年1年の健康を願った。子どもたちは早朝から、地区内の家庭を回ってしめ飾りやだるま、書き初めなどを集めた。園内の1カ所に積み上げると高さは2メートルほどになり、児童代表の3人が点火した。
子どもたちは、柳の枝に繭玉を付けて残り火で焼き、無病息災を願いながら食べた。
今年1年の健康、無病息災
長野県諏訪地域 2023年1月6日夜

 
カニの年取り  各家庭
 
住民   「カニの年取り」は、諏訪地域で「七日正月」の前夜に行う「六日年越し」の行事。1月6日夜、小川からサワガニを取ってきて食べたり、串に刺して戸口にはさみ、虫除け、魔除けのまじないにする。今ではカニの代わりにカニの絵を書いたり、門口に『かに』と書いた紙を貼る風習。
 もとは、川で捕ってきた蟹を串に刺し、かまどの火で『ナニヤクカヤクシジューニクサの作物食虫の口をやくやく』と三度唱えながら炙り、神棚に供えたり門口に飾ったという。(おたくま経済新聞WEB版「信州・諏訪で古くから伝わる正月の風習かにの年取り」https://otakei.otakuma.net/ )
虫除け、魔除けのまじない
長野県諏訪郡原村

 
1月14日夜

 
どんど焼き

 
まるやち湖畔
 
ペンションビレッジ住民やペンションのお客
 
 湖畔にモミや杉をつかった大きなどんど焼きのやぐらがペンションオーナー達の協力によって組まれ、正月飾りや、役目を終えたダルマが飾り付けられる。14日夜、ペンションの客やオーナー家族らが厄除けの繭玉のつけられた柳の枝を手に集合。
 どんど焼きに火がつき、樽酒や甘酒が振る舞われる。どんど焼きの火で繭玉を焼いて食べる。
厄払いのために厄年の男女がお金やお菓子を投げる。
一年間の無病息災
長野県上田市真田町長地区 2018年2月8日 国選択無形民俗文化財・道祖神祭り「戸沢のねじ行事」 地区内 地区住民、小学校入学前の幼児 「戸沢のねじ行事」は、小学校入学前の子どもたちが手作りのわらの馬を引いて、家族とともに地区内の道祖神にお参りし、無病息災を願う伝統の道祖神祭り。毎年2月8日朝に行われる。
また「ねじ」と呼ばれる餅を、他の家族と交換する風習もある。自家製のねじを3つずつわらづとに詰めて3俵、わら馬に背負わせ、これを引いて道祖神にお詣りに行く。ねじとは、うるち米の粉に湯を加えてこね、さらに茹でてこねたものに赤や緑の食紅で色をつけたもの。中に餡を詰めて野菜や果物、花、動物などをかたどる。
 2月8日の早朝から、幼児や、ねじの入った重箱を手にした母親が、わらうまを引いて道祖神の前へ集まってくる。道祖神のところへ着くと、重箱の中のねじを道祖神に供え、無病息災を祈る。供えられたねじは、誰が持ち帰ってもよい。お詣りを済ませると、居合わせた人同士で重箱の中のねじを交換する。ねじの交換を終えると、わら馬を引いて帰宅する。ねじを食べると風邪をひかないと言われている。
わらづとを外したわらうまは、「あらゆる災いを背負って天高く昇ってくれるように」との願いを込めて、家の屋根へ投げ上げて、子どもの健やかな成長を祈願する。(この項八十二文化財団も参照)
子どもの成長と無病息災を願う
長野県上田市市常磐城 2020年1月12日 小正月の伝統行事「鳥追い御幣(おんべ)」 西部公園 地区住民、保存会  鳥追い御幣は同市生塚(うぶつか)地区に伝わる田畑の害鳥を追い払い、五穀豊穣や家内安全を願う祭り。江戸時代に始まり、昭和に入り廃れていたが、地元保存会が平成元年の1989年に復活。近年は生塚自治会とともに毎年開いている。
 会場では和紙と竹で作った大小の紅白の御幣を住民が持ち、だるまなどの山を囲んだ。掛け声に合わせ、「あーれはどんの鳥追いで三つに割って味噌つけて佐渡島へホーヤラホイ」といった害鳥を追い払う節を口ずさみ、「ヨイトー、ヨイトー」の掛け声とともに御幣を上下に振った。御幣は鳥追いの後、だるまなどと一緒に燃やされ、家族連れらが「繭玉」をあぶって食べた。
害鳥を追い払い、五穀豊穣や家内安全を願う
長野県小諸市御影新田 毎年1月7日 御影道祖神祭り(県指定の無形民俗文化財) 地区内 地区住民、小学生  小学生が乗った上宿と下宿の2台の山車を集落の中央で互いに激しくぶつけ合う勇壮な祭り。350年ほど続いていると云われる新春の伝統行事。
 御影地区は江戸時代に江戸幕府の直轄地(天領)とされていたが、陣屋の役人を慰めるために山車祭りが始まったといわれている。
 山車は日暮れから両地区を出発。道中でミカンなどをまきながら進み、中間地点では「御影天領太鼓」の演奏が行われるなか、激しいぶつかり合う。
(平成24年1月7日の様子)
 日中の神事が済んだ午後7時過ぎ、2台の山車が上宿と下宿の道祖神を出発した。松や竹、ちょうちん、紅白の幕で飾られた高さ約5mの山車が、勢いをつけ「ガチーン」「ズシーン」と激突すると、沿道の観衆から大きな歓声が上がった。激突は約40分にわたり繰り返された。
五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄、家内安全
長野県小諸市萩区 1月15日
 
どんど焼き 地区内
 
地域住民
 
 正月飾りを焼き、その火で繭玉団子を焼いて食べる
 

 
長野県佐久市臼田 2012年1月9日 東信随一のどんど焼き 千曲川河川敷 地域住民  臼田町商工会青年部が開催。だるまなど縁起物を積み上げた高さ約10mの大きなやぐらを燃やし、繭玉を焼いて食べ、一年の健康を願った。
 青年部によると、やぐらの大きさは「東信随一」で、40年以上前から続いている。ことしは地域の「臼田弓道会」の4人が火の付いた矢を放って点火に挑戦した。
一年の健康
長野県南佐久郡川上村居倉 毎年1月13日 おんべきり 集落内 集落住民 川上村居倉集落特有のまつりで、道祖神まつりの一つ。上地区・下地区に別れ女性(上)・男性(下)に見立てた、大と小一つずつのおんべを作る。完成したおんべを担ぎ、太鼓の音頭とともに「道祖神の御年始、かみのかみのきりかんじ」と叫び、各戸をたずねまわり、無病息災、家内安全を祈る。
 クライマックスは、上・下のおんべが午前零時頃に地区の境で落ち合い、重さ60キロ以上にも及ぶおんべを回しながら、ぶつかるように勇壮な舞いを披露する。
この舞は悪いものを払い、子孫繁栄を願う意が込められている。
無病息災、家内安全、子孫繁栄、悪魔払い
長野県南佐久郡川上村原集落 毎年1月14日 お方ぶち 過去1年で集落に嫁入りのあった家 小学生と住民  おかたぶち(お方椽)は、原集落で行われる道祖神まつりの一つで、長野県の県指定無形民俗文化財。毎年1月14日に行われる嫁祝いの儀礼習俗。「お方」とは嫁に対する最高の敬称で、「おかたぶち」は、嫁の座を指す言葉に由来するという。おかたぶちの対象となるのは、1月14日までの過去1年間に嫁入りまたは婿入りのあった家。
 行事に参加するのは、地元の小学生で、6年生が親方、5年生以下が家来と呼ばれる。子供たちと住民は、1月14日夕までに各戸から注連縄や松飾りを集め、お仮屋をつくりあげる。14日夕方、子どもたちはお仮屋前へ整列したあと、地元では「おんべ」と呼ぶ御幣を持った親方を先頭に新嫁の家へ向かう。家では新嫁と付添い人の女性が一行を迎え、子どもたちは家の玄関で、太鼓を打ち「おかたぶち」と大声で言う。親方は各々御幣を持って座敷に上がり、嫁に黙礼して御幣を振りながら嫁のまわりを3周歩いてお払いをする。この御幣は、嫁を多産にする呪力をもつとされる。
(この項出典川上村役場、公益財団法人八十二財団公式サイトなど)
無病息災、子孫繁栄を祈る
長野県南佐久郡川上村大字御所平字坂下 昭和40年代(報告者の小学生時代)には、小正月の1月15日 かんがりや(かんがり)、どんど(どんどん)焼き、道祖神のご年始(獅子舞) 道祖神の祠が祭られていた大字御所平地区の公民館の広場 小学生の男子。地域住民  -「佐久の柵に桜咲く」さんブログ提供情報-2010年1月8日
 (※佐久の柵に桜咲くさんのブログに連絡先が見あたらないため、この欄でお礼を申し上げます)
 全国的にも珍しい「かんがり、かんがりや」という呼び名の行事を報告いたします。
 どんど焼きの「火祭り」は小正月の1月15日の夜に小字の住民が集まって行われました。

 地域の小学生の6年生が「親方」となり、それ以下の小学生男子が「子方」となって年末に大人に助けてもらって近所の山から枯れ木や木の株などをリヤカーで積み下ろし、正月の初めから広場の真ん中で太鼓を叩きながら焚き火を続け(夜は近所の大人が燠(おき)を持ち帰った?)、正月休みが終わると近所の大人が火の番を行いました。子どもたちは学校が始まってからも夕方になると広場に集まり、火の番を行いました。15日の朝、地域の各戸の戸口に出された松飾を子どもたちが集めてから、改めて獅子舞の道具を公民館の倉庫から取り出し「道祖神の御年始」と唱和しながら地域の全戸を廻り、獅子舞を披露し、獅子の口で住民の頭を噛み、無病息災を祈りました。そのお礼に子どもたちが共同でお年玉を受け、それを後日子どもたちで学年順に多寡をつけて分けました。
 15日は夕方から大人たちが山から集めてきた杉の葉と集めてあった松飾で「神社」型の「神殿」を作り、夕方6時頃にそれを焚き火の上に載せ「どんど焼き」を行いました。この「神殿」のことを「かんがりや」(神上がり屋、かんがりや)、隣村の南相木村ではこの行事を「かあがり」とも言うそうです)と呼んだように思います。
 母や祖母は、上新粉そのものと、それに食紅や緑の色素を混ぜ、白、紅、うす緑の「おまいだま(御繭玉)」という団子の一種を作り、木の枝に挿して稲の穂のようにして、神棚に祭ったものを、子どもたちがどんどん焼きに持ち寄り、炙って食べました。正月の切り餅を持ち寄ることもありましたし、また書初めを燃やしその燃えカスが天に昇れば昇るほど書が上達する、どんどん焼きの火に当たると風邪を引かないなどとと言い習わしました。

趣旨:現在はどのように行われているかはわかりませんが、厳寒の中、年末から小正月まで続く子どもたち(男子)が主体となって行う祭礼で、春秋の村社の祭礼と並んで盛大なものでした。小字単位で同時に行われたため、他の地区の祭礼の様子は互いにほとんど知らないままです。

 この祭礼自体道祖神の祠のそばで行われ、獅子舞を「道祖神の御年始」と唱えて各戸を回ったように道祖神のお祭りであり、「かんがり」と呼んだのは恐らく「歳神様」を天に「神上がり」していただくことに由来するものだと思います。川上村の「かんがり」「かんがりや」、南相木村、北相木村の「かあがり」については全国的にも類似の呼称はないようで、小正月行事の呼称としては珍しいものではないかと思います。このように道祖神、獅子舞、火祭りなど様々な信仰、習俗が習合したものだったように思います。
無病息災
長野県南佐久郡南相木村 毎年1月14・15日 かあがり(どんどんやき) 村内の各地区 子ども、地区住民  各地区で開催。子供たちが山から切り出した木やわらと一緒に正月の松かざりを集め火をもしつける。  2017年には、村内の日帰り温泉施設「滝見の湯」で、高さ約3m、幅約2mの巨大なだるまが展示され、来場者が「家内安全」「合格祈願」などと思い思いの願い事をだるまに書き込んだ。1月14日に行われた「かあがり」で正月飾りとともに燃やされた。 「家内安全」
長野県飯田市千代の法全寺区 2014年1月13日(小正月15日前後の日曜日)
 
どんど焼き、巨大おんべ

 
区の谷沢川沿いのどんど焼き会場1カ所

 
住民50人  山間部に位置する同区は少子高齢化が進み、昨年まで4カ所に設けていたどんど焼きのやぐらを今年は1カ所に統合した。やぐらの数は減らしても、高さが約13mにも及ぶ大型のどんど焼きを守り、継承していくという。
 この日は午前10時すぎ、住民約50人が集まり、区内を流れる谷沢川沿いに竹やしめ飾りを使って設けたやぐらに点火した。火が小さくなったところで、住民たちは竹に挟むなどした餅を焼いた。この餅をご飯と一緒に炊いて食べると、今年1年を健康に過ごせるとして、多くの住民が大切に持ち帰った。
 昨年までは区内の別の場所でどんど焼きをしていた男性(62)は「これまではライバル意識もあったが、一つにまとまることで継承していきたい」と話していた。
 2017年には、1月15日午前10時から、どんど焼きを行い、高さ14mの巨大おんべに点火した。一週間前の8日に、地区住民総出で神木を立て、松飾りや門松、だるまを積み上げ、おんべを支えるロープを旗で飾り、てっぺんには花笠を取り付けて、完成させた。地区住民は「これだけ大きなおんべは、県内にも、そうそうはない」と話しているという。
ことし1年の健康
 
長野県飯田市座光寺 2015年1月8日
 
「七草だるままつり」

 
元善光寺  住民、参拝客  山門近くの矢場に掘った穴に地元住民、参拝客から預かっただるまを積み上げ、本多住職らの般若心経に続いて弓の先で点火した。続く読経で家内安全や無病息災、商売繁盛を祈願した。住民から預かった古い熊手やおみくじ、正月飾りも供養してから燃やされた。
 寺では地域のどんど焼き(ほんやり、おんべ)が少なくなってきたことから、三十数年前から現在のような形になったという。
ことし1年の健康
 
長野県飯田市上郷黒田 2019年1月21日
 
「成り木責め」

 
農家の柿畑 飯田市農業振興センターと農家の人たち  「成り木責め」は、飯田下伊那特有の小正月行事で、特産品の市田柿の豊作を願う伝統行事。飯田市農業振興センターが産地をアピールしようと2012年から続けている。昭和40年代前半までは風習として続けている農家が多かったが、近年は廃れてしまったという。同センターは、同市下久堅の「三石家」の作法にならった。
 今年の「成り木責め」は柿畑で、剪定講習会の冒頭に行い、参加者ら約50人が見守った。柿の木に向って二礼二拍手一拝をした後、畑の園主が「成りそろ(候)か、切りそろか、成らなくば切ってしまうぞ」と声を張り上げ、斧で木の幹を切りつけた。センターの係長が柿に代わって「成ります、成ります」と答え、傷口を白かゆとお神酒で清めた。講習会には農家やシルバーセンターの会員などが参加し、柿の剪定技術を学んだ。(この項出典:南信州新聞WEB版)
市田柿の豊作を願う
 
長野県上伊那郡飯島町 2017年1月7日 小正月行事「繭玉作り、鬼よけの鬼木作り」体験会 歴史民俗資料館「飯島陣屋」 町内外の家族連れ約30人 町歴史民俗資料館が新年や小正月の行事を体験するイベントを開催した。町内外の子どもから大人まで約30人が参加。書き初めや繭玉作り、鬼よけの鬼木作りなどを行い、地域の伝統行事に親しんだ。 地域の伝統行事に親しむ
長野県上伊那郡箕輪町中曽根 2013年1月8日 ホンダレ様 地区公民館 地区住民有志 ホンダレ様は、米や穀物、繭の豊作を願い、小正月に農家で飾られていた。中曽根でも、昭和30年代までは、多くの家庭で飾られていたという。4年前から区住民有志が、ほんだれ様を後世に伝えていこうと毎年、公民館前に飾りつけている。
 地区住民が、地区の山から切ってきたヒノキを束ね、土台を作ると、そこに、サクラとタマツバキを差し固定した。高さ、およそ2メートルのサクラの木に、稲穂に見立て半分だけ皮を削ったクルミの木を飾り付けた。
 かつて養蚕が盛んだった地区という事もあり、米粉で作った繭玉を飾るのが、中曽根の特徴だという。
五穀豊穣
長野県上伊那郡箕輪町北小河内区 2015年1月11日 大文字建てと大文字おろし 漆戸常会の広場 地区住民  大文字建ては漆戸常会に伝わる小正月の伝統行事。天竜川の水害に悩まされていた住民が、氾濫を鎮めるため始められたといわれていて、町の無形民俗文化財に指定されている。およそ260年前から行われているという。
朝8時に漆戸常会35戸の住民が集まり、長さ10メートルほどの木柱に榊や松、縁起物の飾りを取り付け、大文字を建てた。住民は地区内の安泰や五穀豊穣を祈願した。
 大文字は1週間建てられ18日に下ろす。その時に太陽や稲穂を表す飾りものを住民が各家庭に持ち帰り、玄関に飾るのが習わしとなっている。
 2017年には「大文字」おろしが1月22日、行わた。住民およそ30人が集まり、区内の四辻に建てられた柱をおろすと集会所へ運んだ。長さ11メートルの柱に飾られた竹と色紙で作った花や御幣を飾りをおろし、厄除けとして家に持ち帰った。飾りは、今年1年間各家庭に飾られ来年のどんど焼きで燃やされる。 
地区内の安泰や五穀豊穣
長野県上伊那郡南箕輪村大泉地区 2015年1月15日 「ほっぽんや」とホンダレ様 西部保育園 園児と地域のお年寄り  「ほっぽんや」は地域の正月の伝統行事で、稲穂を食べ荒らす鳥を追い払うために農民たちが始めたとされていて、戦前まで各家庭で行っていたという。上伊那地方で「ほっぽんや」の伝統があるのは南箕輪村の大泉と辰野町の旭地区、小横川地区だけだという。現在は、西部保育園で毎年行われている。
 この日は、大泉高齢者クラブの会員が保育園を訪れ、ほっぽんやを園児と行った。皮を剥ぎ模様をつけた長さ30センチ程の木を持ち、カチカチと音を鳴らしながら歩く。この日は雪が降ったため、園児およそ90人がほっぽんやの歌を歌いながら保育園の廊下を歩いた。
 この日は他に、ほんだれ様とまゆ玉の飾りつけも行った。
五穀豊穣
長野県伊那市
 
1月14日~19日

 
どんど焼き、「せえの神」のホンダレ様

 
農業公園「みはらしファーム」

 
農業公園主催
一般住民が参加
 
 ホンダレさまはかつて各家庭で行われた小正月の伝統行事。高さ約3mの木を木束で支え、枝にまゆ玉のほか、わらに細かく切ったもちを付けた「稲穂」、長さ30cmのトウフノキ(コシアブラ)の枝の皮をむいた「あわ穂」「ひえ穂」を取り付けた飾り。14日に飾り付ける。ホンダレさまやしめ飾りは19日午後2時から、公園東側牧草地で開くどんど焼き「せえの神」でたき上げ、まゆ玉を焼いて食べる。 五穀豊穣
 
長野県伊那市西箕輪羽広 2015年1月18日 「せいの神」 はびろ農業公園「みはらしファーム」 地域住民  「せいの神」は、長野では一般的にどんど焼き、三九郎などと呼ばれる小正月の行事。西箕輪地区では正月飾りなどを意味する「歳神様」がなまり、せいの神になったとされる。同公園では2000年から行い、燃やされるやぐらの大きさは県内最大規模を誇る。
 2015年は地元の子どもたちが各家庭から持ち寄ったしめ飾りをはじめ、公園内に飾っていた縁起物「ほんだれさま」や西暦と同じ2015本の「〆の子」、門松、だるま、青竹などで高さ18メートル、直径7メートルの円すい形に組み上げた。
 施設関係者や区役員、地元児童代表らが点火し、地元住民らが手を合わせて1年間の無事を祈っていた。
 点火前には地元の羽広獅子舞保存会が会場で獅子舞を披露した。
五穀豊穣や家内安全を願う
長野県伊那市西箕輪羽広 2014年1月12日夜 羽広(はびろ)の獅子舞(市無形民俗文化財) 仲仙(ちゅうせん)寺本堂 羽広獅子舞保存会、地域住民  401年の歴史を持つとされる五穀豊穣や家内安全を願い、悪魔を追い払う伝統行事。雌雄2頭による舞い合わせを行い、それぞれ所作やお囃子(はやし)が異なる、口を閉じた「雄獅子」と口を開けた「雌獅子」が舞い合わせるのが特徴。1613(慶長18)年に仲仙寺の再興を祝って始まったという。
 地元の羽広獅子舞保存会の会員約50人が参加。笛や太鼓のお囃子に合わせ、「阿吽(あうん)の舞」と呼ばれる「肇国の舞」や剣を手に悪魔を切りはらう「剣の舞」「浄(きよめ)の舞」など五つの舞を繰り広げた。写真愛好家や地域住民らが静と動の舞を堪能し、15分ほどで終わった。
 奉納後は雄獅子と雌獅子が南北に分かれて区内の計45戸を回り、舞を行った。
 2018年は1月14日に行われた。
五穀豊穣や家内安全を願う
長野県伊那市西箕輪上戸(あがっと)地区 2015年1月14日早朝 小正月の伝統行事「でえもんじ」とどんど焼き 地区の道祖神場 地域住民  「でえもんじ」は厄よけと家内安全を願う小正月の伝統行事。「でえもんじ」とは「大文字」の意味で、願いごとを大文字で書いたことからきている。上戸の大文字は、室町時代から行われているといわれている。2015年には、上戸区実行部の約70人が参加し、飾りの付いた長さ約12mの木柱を集落中心部の男女双体道祖神脇に立てた。
 2015年は1月14日夜明け前、触れ太鼓を打ち鳴らす中、地区住民がもみ殻を詰めた約180個の色紙袋「きんちゃく袋」や、細く切った色紙を竹ひごに巻き付けた約140本の「色紙花」の飾りを持ち寄った。花飾りに使う色紙は6色あり、1本に2枚の紙を左回りに巻き付けて飾る。木柱の先端に青笹の竹と御幣をつけ、色紙袋のきんちゃく、花飾りと酒だるや「天下泰平」「五穀豊穣」「道祖神」などと書いた飾り箱などと一緒に取り付けた。「せーの」の掛け声で柱を起こし、さすまたも使って立てた。
 柱は20日早朝の「でえもんじ下ろし」で片付け、きんちゃくと花は持ち帰り各戸の神棚や玄関で1年間供えられる。古いきんちゃくと花は正月飾りとともに、20日近くの日曜日の日中に子どもたちがどんど焼きを行い、焚き上げる。(この項、科学映像館公開映像など)
厄よけと家内安全
長野県伊那市高遠町の引持地区 2020年1月12日夜 小正月行事「お日待ちの獅子舞」 引持生活改善センター 保存会、地域住民  地元の獅子舞保存会がおはやしに乗せて勇壮な演舞を披露。地域住民ら約50人が集まり、無病息災や家内安全、地域の安泰を願った。行事は300年以上続いているとされる。行事継承のため、2007年に引持獅子舞保存会を結成。集落ぐるみで伝統を引き継いでおり、この日は20代の若手も舞台に立った。
 演舞では、眠っていた獅子が「早く踊れ」と起こされ、悪魔払いの儀式へ。太鼓や笛のおはやしに合わせて、獅子とひょっとこが舞い、広間を所狭しと動き回った。(この項長野日報WEB版)  
無病息災や家内安全、地域の安泰
長野県上伊那郡南部から下伊那郡の一帯 1月14日夜 ホンヤリ 上伊那郡南部の飯島町、中川村あたりから下伊那郡にかけて小正月の火祭りをホンヤリと呼んでいる。 地域住民  各地の広場に山から切ってきた木を建てて、やぐらを組み、その回りに円錐状に正月の松や山から切ってきた木を積む。芯木の先にはダルマがいくつもつけられる。
 ホンヤリを焼いた火で餅をあぶって食べると健康になるという。
 燃え残りの木を家に持ち帰り、屋根にほおりあげておくと火事にならないとかいう。
無病息災
長野県下伊那郡根羽村

 
2018年2月15日 旧正月のどんど焼き 村内の各地区 地域住民

 
 根羽村では旧暦の元日の前日に当たる2月15日、村内の各地でどんど焼きが行われた。子どもからお年寄りまでが一堂に集まり、1年の健康や幸福を願った。根羽村から愛知県三河地方にかけて、旧正月に合わせてどんど焼きを行う風習が残っている。
 どんど焼きは主に各地区のPTAが主体となって実施。37戸と、村で最も人口が多い上町地区では、午後5時半ごろ始まった。他の地区では朝に行うのが慣例。子どもたちの書き初めを燃やした。「空高くまで上がると字がうまくなる」とのいわれがある。(この項出典信濃毎日新聞WEB)
1年の健康や幸福を願う
長野県下伊那郡阿南町

 
1月13日
 
早稲田人形神送り、ホンヤリ(どんど焼き)
 
西条地区内
 
地域住民

 
 早稲田神社神事。江戸時代に大阪方面から伝わったといわれる「早稲田人形芝居」(国選択無形民俗文化財)と地域の神事「事の神送り」が結びついて、三百年ほど前から始まった。
 神送りに使われる人形とみこしは、神社でおはらいを受けた後、笛や太鼓と行列を組んで、神社を出発。地区住民約20人が、幣束(へいそく)を持った人形「三番叟(さんばそう)」や、みこしを担ぐ人形など五体を操り、地区内を練り歩く。住民は道端で待ち構え、次々と供え物をみこしに献じた。地区の境まで来ると、供え物が下ろされ、厄を地区の外へと追い払う。
 その後、正月飾りを燃やす「ホンヤリ」(どんど焼き)を行い、住民らは一年の健康を祈る。 
疫病神を地区の外に送り出して、一年の無病息災と安全を願う
長野県下伊那郡下條村睦沢  2021年1月7日
 
小正月飾りの制作と設置  役場や小中学校の玄関  ふるさと匠の会    伝統継承団体「ふるさと匠の会」は7日、村役場や小中学校など村内の9施設に1年の豊作を願う小正月飾りを設置した。15人余の会員が参加し、餅をつき、餅花で稲、繭玉で養蚕、キンカンで柿を表現。ソヨゴやビンカ、ササダケの枝に、華やかな飾り付けで挿した。
 同会の会長によると、戦前には村内の各農家が小正月飾りを飾っていた。しかし、近年はほとんど見られなくなり、同会が伝統文化の継承のため制作している。「村に伝わる文化を少しでも後世に残していきたい」と、年末の門松とともに30年近く村内施設に設置している。役場には高さ約2メートルの小正月飾りを設置した。(南信州新聞WEB) 
1年の豊作を願う
長野県諏訪市双葉ケ丘 2024年1月17日 山の神祭 山之神社 南澤町、北澤両区の役員や区民ら約30人が参列  「山の神祭」は南澤町、北澤両区の役員ら今年の恵方である「東北東やや東」に向かって矢を放ち、地域の安泰や区民の安全などを祈願する、江戸時代から続くとされる伝統行事。不動尊管理者による読経に続き、代表者が玉串をささげた後、ヤナギの枝で作った弓を持ち、役員ら計8人が順に「山の神様さんぜんごおう」と唱えながらスズタケの矢を放った。恵方に矢が飛ぶと参列者から歓声が上がった。
 当番区・南澤町区の区長は「元日に能登半島で大地震があった。両区民の1年間の平穏無事や地域の安泰とともに、災害を防いでくれるよう山の神様にお願いしたい」と話したという。(長野日報WEB)
地域の安泰や区民の安全などを祈願
長野県茅野市本町区 2014年1月13日 「子どもお神楽」「悪魔払い(あくまっぱらい) 区内各所 永明小学校児童、住民  本町子ども会育成会が継承する伝統行事。地元の永明小学校児童ら100人近くによる6基の獅子舞が丁目ごとに繰り出し、個人宅や事業所など600戸以上で無病息災や五穀豊穣を祈った。
 子どもたちは朝から本町公民館に集まり、代々伝わるお面を着け、楽器などを持って出発。各戸の玄関先でおかめの面を着けた児童が「悪魔払い、おかめ様のご年頭」と唱え、他の児童が鈴や太鼓を鳴らしながら「お祝いなして、お祝いなして―」とはやしたて、6年生が操る獅子が舞った。健康を願って、獅子に体をかんでもらう区民もいる。どの家でも子どもたちにご祝儀を渡す。
この一年の無病息災や五穀豊穣を祈る
長野県茅野市泉野 2015年1月11日 小正月の伝統行事「炭売り」 地区の各家庭 地元の児童  2015年には下槻木地区の小学生たちが、前夜のどんど焼きで出来た炭や、燃え残ったまきを縁起物として集め、「炭はいりませんか、まきもあります」と大きな声を出して、地域の人たちに売り歩いた。炭は肥料袋に詰め1袋300円、まきは1束500円で売る。児童15人が2班に分かれて準備し、保護者の軽トラックに乗せて約50戸を回った。売り上げは道祖神に上げてから、子どもたちのお年玉として配分された。
 熾き火の掘りごたつを使う家庭は減ったが、畑の融雪用に炭を買う家もあった。まきは、ストーブの燃料などに喜ばれた。  2020年1月12日には、上槻木地区で、1~5年の14人が参加。上下2カ所の道祖神に分かれて保護者と一緒にどんど焼きの片付けをし、炭をバケツなどに入れた。炭は大が1杯500円、小が300円、まきは1束500円で販売。訪問先で「炭売りに来ました」と呼び掛けると、出てきた家の人に希望を聞いてから容器に移した。家人は「縁起物」と代金を余分に払ったり、お菓子をくれる家もあり、児童は満面の笑み。売り上げは、子どもたちで分けた。
 2022年は上槻木、下槻木地区とも1月9日、子どもが主役の「炭売り」が行われた。地元の小学生たちが、前夜にそれぞれの道祖神で行われた「どんど焼き」でできた炭や燃え残ったまきを集め、地域の人に売り歩いた。「どんど焼き」は昔は14日に行ったが小正月休みが無くなった20年ほど前から第2土曜日に行うようになった。炭は以前は掘りごたつ用で、今は畑にまいたりする。用途は無くても、縁起物、ご祝儀と毎年購入する住民も少なくないという。(この項:長野日報webなど)
 
長野県諏訪郡原村中新田 2014年1月12日 どんど焼き「きんちゃく落とし」 区内の農村公園 地域住民  「きんちゃく落とし」は、どんど焼きで厄年の区民らが奉納した「きんちゃく」を集まった地域住民が取り合って、厄落としを行う伝統行事。地域住民で厄を分け合って一年の無病息災を願う。
 どんど焼きは区内の農村公園で行い、2014年には、タオルなどの生活用品が入ったきんちゃくが2本のロープに約300個つるされた。ロープを結んだクレーンを操作して、手の届く位置まで下げると、集まった区民が一斉に手を伸ばして、きんちゃくをもぎとった。
 このほか、25歳と42歳の男性の厄投げもトラックの荷台からにぎやかに行われた。
無病息災を祈る
長野県上伊那郡辰野町唐木沢 2018年1月27日夜 やに回し 唐木沢グラウンド 地元の小中学生とその家族や住民 「やに回し」は地元に古くから続く伝統行事で、空き缶に松やにを付けた木の枝を入れ、火をつけて振り回す風習。地元の小中学生ら7人が参加し、真っ暗なグラウンドで、1年の学業成就や無病息災を願った。
やに回しは、学業の神様「天神様」に参る際の灯明が利用され、同町でも各地で行われていたとされる。現在は町内で唯一、唐木沢地区が、毎年この時期に実施。町公民館唐木沢分館と唐木沢育成会が共催している。
小中学生らは早朝から区内の天神様を参拝。代々受け継がれている版木で印刷したお札を区内26戸に配布し、小正月飾りを集めてグラウンドでやぐらに積み上げた。
日没後の午後5時30分すぎから、小中学生たちは、やぐらに点火。その火でアカマツの枝を詰めた空き缶に点火し、やに回しを開始。厳しい寒さの中、家族や地域住民らの声援を受けながら勢いよく振り回した。
 なお、他県では同様の小正月行事を「火振り」と呼んでいるところもある。
 
長野県上伊那郡飯島町日曽利 2016年1月10日夜 どんど焼き「かさんぼこ」 日曽利集会所前 地区住民、耕地育成会  「かさんぼこ(傘鉾)」は、日曽利地区に伝わる、竹傘を飾りつけた昔ながらのどんど焼き行事。44戸の小集落で守る伝統行事で、集まった地域住民らが焼け落ちた青竹の先から「かさんぼこ」の花飾りを拾い、1年間の無病息災を願った。
 集会所前では同日朝、正月飾りやだるま、魔よけとして家の軒先に祭ってあった昨年の花飾りが積み上げられ、中央には「かさんぼこ」を飾った高さ8mの青竹が立てられた。「かさんぼこ」の上には2.5mの花飾りが50本。正月飾りに火がつけられると、かさんぼこは10分ほどで竹は倒れ、住民らは先端についていた花飾りや、竹傘の燃えかすを取り、魔よけのお守りとして持ち帰った。炭になった燃え残りを家に持ち帰り、屋根にあげておけば火事にならないと言い伝えられているという。
 「かさんぼこ」は、行事を支えていた青年団の衰退とともに一時期消滅したが、公民館活動の中で1988年に復活。その後は地元の耕地育成会が中心となって継承しているという。
 2022年は1月9日夜「かさんぼこ」が行われた。地区内に小学生がいなくなった4年前からは自治会が受け継ぎ、コロナ禍の中、住民が顔を合わせる大切な機会になっているという。
1年間の無病息災
長野県上伊那郡辰野町沢底地区 2013年1月7日 繭玉の飾り付けと伝統食の凍りもちづくり 地区の入村ふれあいセンター 「さわそこ里山資源を活用する会」の20人 米粉を使って繭玉を作った。高さ1メートルほどに切ったミズブサの枝の先に70~80個ほどの繭玉を刺した繭玉飾りは小正月まで同センターに飾り、13日のどんど焼きで焼いて食べる。
凍りもち作りでは、25キロのもち米をふかして餅をつき、切った餅を和紙にくるんでワラで編み上げた。この後、3日間、水にさらし、1週間ほど屋外で凍らせる工程を2度繰り返すと出来上がるといい、2月末の地区の祭り「福寿草祭り」で販売する。
 
長野県下伊那郡阿南町新野 2023年1月13日~15日朝 国重要無形民俗文化財「新野の雪祭り」 伊豆神社、諏訪神社 地域住民、保存会  「新野の雪祭り」は、雪を豊年の吉兆とみて、仮面を着けた氏子ら住民が日本の芸能の原点となる多彩な民俗芸能で田畑の実りを願う祭り。13日朝、伊豆神社に収められている面形を諏訪神社に運ぶみこし渡御「お下り」から始まった。神社で面形に魂を入れる「面形化粧」、試舞等を経て14日夕、伊豆神社にみこし還御の「お上り」行列が到着して祭り本番。15日朝にかけ、田楽、舞楽、猿楽、神楽、田遊びなどが夜通し繰り広げられた。
「幸法(さいほう)」「茂登喜(もどき)」「競馬(きょうまん)」などの神々が繰り広げる「広庭の祭事」は15日未明から繰り広げられ、観衆を魅了した。
民俗学者で国文学者の折口信夫(おりぐちしのぶ)は、「日本の芸能を学ぶものは、一度見る必要のある祭り」と全国に紹介し「雪まつり」を命名した。雪祭りに使用する仮面=面形(おもてがた)は、墨・胡粉(こふん)・紅ガラだけで仕上げた素朴さが特徴で現在は19種の面があり、鎌倉時代の様式を今に伝えている。これに作り物の駒、獅子頭、馬形、牛形が加わり、仮面をつけることによって神の化身となる。
 祭りは、出番を待つ庁屋(支度部屋)の壁を見物人たちが薪などの棒で叩きながら「ランジョウ(乱声)、ランジョウ」と呼びかけることから始まります。悪霊を鎮める作法だったという。保存階によると、今年は雪祭りの日程が土日に重なったためか、地区出身の20~30代の若者が例年よりも多く参加した。 (出典:阿南町役場公式HP、南信州新聞HP)
 田畑の実りを願い、悪霊を鎮める
長野県諏訪郡下諏訪町 2010年1月14日夜から15日早朝 筒粥(つつがゆ)神事 諏訪大社下社春宮筒粥殿 神社の神職 束にしたヨシの茎44本を小豆入りの米と炊き、一本ずつの茎に入ったかゆの状態で稲、野菜など43種類の農作物と世相を占う。春宮境内にある筒粥殿で行われ、車座になった神職が炉を囲み、大はらいの言葉を唱えながら夜を徹して炊きあげた。
世相を占う「世の中」は五分満点の「三分四厘」。「過去10年で最低」とされた昨年の「三分五厘」をさらに下回った。
農作物の作柄と世相を占う 
長野県上高井郡高山村奥山田天神原 2009年1月11日 どんど焼き   地域住民 以前は1月15日頃に行われたが、近年は休日に行われるようになった。午前8時ごろ準備開始し、午後7時点火された。

※地元にお住まいのKさんがメールで写真情報を提供していただきました。感謝です。
 
長野県木曽郡木曽町三岳 2011年1月10日 どんど焼きまゆ玉飾りを作る講習会 地区の農産物加工施設「みたけグルメ工房」 地区の親子を対象  伝統の行事や技を見直してもらおうと同工房が初めて開催。1歳から11歳までの子どもたちが、保護者と一緒にバランスを考えながら紅白の団子を木の枝に付けた。
 まゆ玉は旧正月に合わせて作られ、家に飾ったり、地域のどんど焼きで焼いて食べたりする。 40年ほど前まで三岳地区のほとんどの家で作ったが、現在は作る家庭はごくわずか。講習会は来年以降も継続する考えという。
 
山梨
山梨県笛吹市御坂町成田 2018年1月2日~2月26日 シンボル展 よみがえる!甲府道祖神祭り 山梨県立博物館 来館者  山梨県立博物館が、甲府柳町二丁目にあった商家十一屋旧蔵で、平成27年に発見された道祖神祭礼用具29点と同博物館所蔵の幕絵2枚を、シンボル展として公開した。祭礼が廃止されてから、146年の時を経て、江戸時代末期の豪華な道祖神祭りの様子を再現した。
 江戸時代、甲府城下では旧暦1月13日から15日にかけて、道祖神祭りが賑やかに行われ、その盛大さは「当国一大盛事」とも評された、しかし、道祖神祭は、明治5年、に山梨県令により突如廃絶されてしまい、祭礼用具も日の目を見ることはなかった。
 公開された祭礼用具は、登り龍、降り龍、風神・雷神、四猿などの彫り物。展覧と合わせて小正月行事のお団子作り体験会、甲府城下町ツアーなどが行われる。
 
山梨県笛吹市御坂町成田 2022年1月2日~2月14日 冬のテーマ展示「招福! かいじあむのお正月」 山梨県立博物館 来館者  山梨で盛んな小正月行事の民俗資料をはじめ、正月にまつわる歴史資料など約40件を展示している。
  江戸時代、甲斐の「当国一大盛事」として小正月の甲府城下町で華やかに催された「甲府道祖神祭り」は、1872(明治5)年に禁止令が出され、途絶えてから今年で150年になる。今展では、道祖神祭の名物として、旧緑町1丁目(現甲府市若松町)の通りに飾られた初代歌川広重作の幕絵「東都名所 目黒不動之瀧」をはじめ、「見ざる」「言わざる」などを表現した四猿像のちょうちん飾りを展示し、かつてのにぎわいを伝える。
 甲府の道祖神祭りは途絶えたが、県内各地ではどんど焼きなどの小正月行事として今も続いている。富士河口湖町大石で33歳の厄年を迎えた女性たちが作って奉納する男女一対のサル型人形「さるぼこ」や、峡北地域で道祖神の火事見舞いとして稲わらで作られていた「藁馬」なども並ぶ。
 コロナ禍で、伝統行事を中止、縮小する地域もあるが、丸尾依子学芸員は「見えない災厄の脅威を実感している今だからこそ、かつての甲斐の人々が、華やかな祭りの裏に寄せてきた、ムラの安全や繁栄を祈る純粋な思いに共感できるのではないか」と話した。(この項:山梨日日新聞電子版)
展示で昔の道祖神祭のにぎわいやムラの安全や繁栄を祈る純粋な思いを伝える 
山梨県全市町村 2013年1月12日~11月10日 富士の国やまなし国文祭(第28回国民文化祭) 市町村の会場 全国からの参加者  「第28回国民文化祭・やまなし2013」(愛称「富士の国やまなし国文祭」)は、統一テーマ 「文化の風とあそぶ ~みつめる・こえる・つなげる」のもとに山梨県で初めて、年間を通じて全市町村で開催された。
 1月の開幕イベントに当たる<冬のステージ>(平成25年1月から3月)では、山梨県に残る「道祖神信仰」をキーワードに、人々の静かな祈りをテーマに開幕した。
 (1)キャッチフレーズ 「ふるさとの祈り、息づく。」やまなし国文祭第一弾『道祖神祭り・・』
 (2)オープニングイベント
●開幕式典・総合舞台 県芸術文化協会による創作舞台「かぐや姫2013~悠久の愛~」
日時 2013年1月12日14時から
会場 甲府・コラニー文化ホール
内容 式典と県芸術文化協会による創作舞台「かぐや姫2013~悠久の愛~」
●甲州市道祖神祭り<田野十二神楽>
日時 2013年1月12日18時00分頃から
会場 山梨県甲州市大和町田野 田野集会場
事業内容 道祖神祭りの前に、専門家による講演会開催。「田野十二神楽」の見学会開催
●甲州市道祖神祭り<藤木の太鼓乗り>
日時 2013年1月14日19時00分頃から
会場 山梨県甲州市塩山藤木 高橋山放光寺駐車場
事業内容 祭りの内容について、専門家による講演会、「藤木道祖神太鼓乗り」の見学会開催
●やまなし発見フォーラム「山梨から考える日本の道祖神~盛りあがる行事にみる人々の願い~」
日時 1月13日午後1時~5時
会場 甲府・山梨学院大
●道祖神幕絵展示
日時 1月10日~31日まで、終日展示
会場 JR甲府駅北口ペデストリアンデッキ
 
山梨県甲府市酒折町 2013年1月13日 「第28回国民文化祭・やまなし2013」やまなし発見フォーラム「山梨から考える日本の道祖神~盛りあがる行事にみる人々の願い~」 山梨学院大 県内外から約450人が参加 1月14日を中心に行われる道祖神祭りについて専門家らが意見を交わし、全国屈指の多様性を持つという県内各地の祭りの姿を紹介した。
 県立博物館の平川南館長が基調講演し、道祖神信仰を古代朝鮮半島までさかのぼって解説した後、パネル討論では、日本大教授の高山茂さん(甲府市出身)、同志社女子大嘱託講師の浅野久枝さんのほか、民俗学を研究している山梨県立博物館の堀内真さん、丸尾依子さんが参加。国立歴史民俗博物館名誉教授の福田アジオさんが司会を務めた。
 
山梨県のほぼ全域

 
2010年1月16日
 
小正月行事
 
     山梨日日新聞が「小正月行事が第2の存続の危機 県内保存会復活の担い手が高齢化」と報道。
 山梨県内各地で披露された小正月の民俗芸能は300以上あるといわれる。人口が都市部に流出した高度経済成長期の1950~60年代を中心に、山間部で民俗芸能の担い手が少なくなり、保存会が生まれた。しかし現在では「第1の危機」を救ったメンバーの高齢化が深刻になっていて、「第2の存続危機」を迎えている。。子どもがほとんどいない地域では「このままでは途絶えてしまう」という声が聞こえてくる。専門家は「長年の慣習にとらわれず、継承の在り方を見直すことが必要」と指摘している。
 その実例として、芸能伝承のため、地域外で公演活動を行う甲州市・一之瀬高橋春駒保存会を挙げている。(下欄参照)
 
山梨県のほぼ全域

 
1月14日
 
道祖神祭どんど焼き  各地の集落(隣組)を単位とした道祖神場など推定数千カ所  地域住民   山梨の道祖神祭は7,8日頃から始まる小正月行事。初めに集落の道祖神場に竹、わら、杉の葉などで作ったお小屋、おかりや等を作り、甲府盆地東部の峡東地方では8日頃、子どもたちがキッカンジョ、キッカンジ(木勧進)と称して、集落の各戸を回り、この一年の米、養蚕、果樹など作物豊穣、商売繁盛、家内安全を唱えて言祝ぐ。家人は子どもたちに祝儀を渡す。獅子舞で祝うところもある。8日頃には「お日待ち」と称して道祖神に捧げた神酒をいただく宴会を開き、集落の人たちが酒食をともにする。行事のクライマックが14日のどんど焼きで、正月飾り、書き初めとともに焼く。書き初めは火勢により空中高く舞い上がると、習字が上手になるという。繭玉だんごを焼いて、その場で食べる。
 地域によっては、道祖神場に「おやなぎ」「おやま」など竹竿の枝に切った色紙をはさんだ飾り付けを行う。
家内安全、五穀豊穣、商売繁盛を祈念する。どんど焼きで焼いた繭玉だんごを食べると虫歯にならない、病気にならないという。 
山梨県甲州市大和村田野地区 1月14日夜
(2013年から1月14日に近い休日に変更)
田野の十二神楽 田野地区公民館
(2013年は大和ふるさと会館)
地区の神楽保存会と地域住民  「田野十二神楽」は平成5年に山梨県無形民俗文化財に指定され、田野十二神楽保存会によって守られ受け継がれている小正月行事。明暦2年(1656)頃、当時流行していた伊勢参りができない人のために、伊勢の国から移したものといわれ、伝説では、天照大神が岩戸に隠れたとき祈祷に舞った神楽とも伝えられている。「十二神楽」の呼び名は、神楽の舞が十二段(獅子舞・幣束の舞・汐汲みの舞・菱組の舞・剣の舞・姫の舞・鬼の舞・鍾馗の舞・介者の舞・種蒔の舞・笹の舞・翁の舞)にわたって構成されているところから名づけられている
 地区の人口減少に伴い、神楽の存続を図るため、舞手を旧家の長男に限っていた風習を撤廃、家族が亡くなり服喪のため出演しない期間を1年から1週間程度に短縮。会社勤めの住民が多いことから、1月14日に定めていた小正月の奉納を、休日に変更した。
 2013年は第28回国民文化祭のオープニングイベントとして実施した。2013年の保存会長は平山甲子雄さん。2019年は1月13日に田野地区公民館で行われた。
 
山梨県甲州市塩山藤木地区 1月14日夜 藤木の太鼓乗り(市無形民俗文化財) 同地区の放光寺駐車場 地区住民。県内外の観光客、アマチュアカメラマンも多数参加  江戸時代から伝わる。毎年藤木道祖神祭り保存会の役員が、地区からその年の役者を選ぶ。地区から選ばれた役者は、藤木道祖神近くの放光寺を会場として、大太鼓の上に乗って、歌舞伎の名場面を演じる。3基の大太鼓が燃え上がるどんどん焼きの炎を挟んで置かれ、向かい合った大太鼓の上の役者が、歌舞伎の名場面を掛け合いで演じます。
 「太鼓乗り」は昔は「ちゃり狂言」と呼ばれたという。地域で起こった出来事や結婚、出産した家庭を報告したり、時には悪さを働いた人の見せしめも含めて地域に報告していた。それが歌舞伎を演じる現在の太鼓乗りの形になったという。
 2011年の祭では、役者に選ばれたのは5人。保存会の練習は1月4日からほぼ毎日行われ、祭りまで毎日2時間程度練習を行う。11日から本格的な演技指導を行い、直径1メートル弱ほどもある大太鼓の上で練習を行った。会員らが鐘と太鼓を打ち鳴らした後、向かい合った大太鼓に乗った役者が抑揚の効いた声でせりふを読み上げ、言い回しや所作などについて、会員が指導した。
 役者は11月中に歌舞伎の台本を渡され、読み込んできたという。
 2011年の演目は「勧進帳」と「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」。平成20年には「安達ヶ原三段目」「鈴ヶ森」のさわりを演じた。また、2014年には「鈴ケ森」「安達原三段目」の一場面を披露した。
 毎年、会場には「えと飾り」が設置される。2014年には体長約2.5mのわらや廃材などで形作り、茶色の木の皮やスプレーでたてがみも表現した「午」が奉納された。
 2011年にはダイド ー祭りドットコム2011に祭典に選定され、1月14日には同祭軍団座長を務める早稲田大学吉村作治名誉教授が会場を訪問し、祭典の様子をレポートした。この模様は地元YBSテレビで放映された。
無病息災、五穀豊穣を祈る。
山梨県甲州市塩山下小田原上条 2017年1月7日、14日 道祖神「おこやかけ」と「どんど焼き」 上条集落内 住民  上条集落は、甲府盆地を眼下に望む山麓に位置する山村集落。江戸時代中期から昭和にかけて建てられた地域独特の形式をもつ民家や蚕室がまとまって保存され、平成27(2015)年5月に国の文化審議会から「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
  1月7日、住民による道祖神の「オコヤかけ」が行われた。杉、ヒノキの枝などを材料に朝8時から午後3時の完成まで手間をかけてつくられ、小屋の前に鳥居が置かれた。翌週の1月14日に小正月行事の「どんど焼き」が行われ、オコヤは手際よく解体されたのち火にくべられ、その火で繭玉団子を焼いたり書初めを燃やしたりしながら、今年1年の無病息災を祈願した。
無病息災
山梨県甲州市塩山上於曽 2009年1月11日
2014年1月12日
一之瀬高橋の春駒(県指定無形民俗文化財) 甘草屋敷 一之瀬高橋の出身者で30歳~70歳代の約70人で作る「一之瀬高橋春駒保存会」  春駒は道祖神に感謝し、小正月の夜に無病息災を祈る行事。1976年に県の無形民俗文化財に指定されたが、過疎化の影響で92年以降、地元集落での行事は途絶えていた。
 一之瀬高橋地区で行われていた行事は、祭事の準備が1月3日から始まる。1月3日に別当(当番)が経費を集める「お紙集め」、1月11日に神かざり準備の「お神立て」を行う。1月14日になると、別当の家の門前の灯篭に火が灯されて春駒が始まる。集まった人たちに御神酒がふるまわれ、別当の家の座敷で、白馬の飾りを付けた馬役と、馬子の格好をした「露払い」が組みとなって、あでやかな衣装で馬のように飛び跳ね、舞い踊る。1月15日は「別当送り」といって、地域の人が別当の家に集まり春駒のために作られた色々な道具の解体作業などを行い、一連の春駒の行事は終わる。
 行事の復活は平成21(2009)年に地区出身者らでつくる一之瀬高橋春駒保存会が、芸能伝承と市民に見てもらおうと、地元集落の道祖神場から会場をJR塩山駅前の甘草屋敷(重要文化財旧高野家住宅)に移し、上演を復活した。会場には500人の市民などが詰めかけた。
  2014年には1月12日に行われ、甘草屋敷から塩山駅前南側にある道祖神場まで「ドウソウジン」と掛け声を挙げながら練り歩き、道祖神場のどんど焼き会場で「馬踊り」を奉納した。
2019年は1月13日に行われ、甘草屋敷で触れ太鼓が鳴り、主屋内で踊り始めた春駒はそのまま外に引き出され、塩山駅前の仮の道祖神場までお囃子のとともに移動した。道祖神場で再び春駒が舞われ、弁慶というお祝いの儀式も行われた。
 平成23年1月15日には、「子ども春駒」が同屋敷で披露され、市内の小学生2人が馬役の「駒」と「露払い」(馬子)に扮し、おはやしと掛け声に合わせて勇壮かつ繊細な掛け合いで踊りを披露した。(出典:甲武信ユネスコエコパーク推進協議会HP,山梨日日新聞WEB版など)
無病息災
山梨県甲州市(旧塩山市地域) 2010年1月 道祖神祭のキッカンジ(木勧進)とおこや作り 旧塩山市の各集落 住民 【キッカンジ】
 キッカンジ(木勧進)は、子どもたちが集落内の各家を回り、新年の祝福の言葉を述べて、ご祝儀をもらう小正月行事。キッカンジは、旧塩山市内の各集落を単位に正月の7日に行なわれているが。以前は11日におこわなれていたという。
 このうち、神金地区でキッカンジを行っているのは(2010年当時)、中子沢、藤原木、踊石、下小田原、一之瀬高橋のみであるが、以前はほとんどの集落で行われていた。中子沢集落のキッカンジは夕刻に子供たちが道祖神場に集まり道祖神、籠馬(カゴウマ)、棒振り(ボウフリ)などの役を決める。道祖神役は御幣(ゴヘイ)の御神体を持ち、カゴウマ役は竹の枠組に紙を貼った馬に乗り、ボウフリ役はその馬方となる。各家ではまず、御幣の御神体が「ドーソジンサン、ゴネンシ」と玄関に入り、その後皆で掛け声「商売繁盛、ハッコミショ、ハッコミショ、お蚕ドッサリオオアタリ」を唱えながら、家人から御祝儀をもらう。ハッコミショとは福を掃き込む意味であるという。大人も太鼓と双盤をならし、祝福を述べて回る。
 以前は、婚礼のあった家には、土足で座敷に上がり込んで、祝福するのが習わしであったという。子供が生まれた家では、新婚の家同様御祝儀をはずむ風習があるという。

 下切集落では、先の敗戦を境に一部を除き消滅してしまったが、戦前までは、各組ごとに13日を中心に行われていたという。11日の朝、集落内の中老・青年・子どもが、新別当の家に集まる。ここで中老たちによってご祝儀額の割当が決められる。この一年間、お祝い事があった家からははずんだ御祝儀が出され、一般の家からはオブッコミ(お打込み)料として、一定額を割当て、徴収する。家ごとの額が決まるごとに、シャン、シャン、シャンとお手打ちを勇ましく行う。集まったご祝儀は、道祖神祭の費用を差し引き、子どもたちに配分されるという。
 子供たちは集落内の各家を回り、檀紙、藁などの祭礼に使う物品を集め回る。この夜から、青年たちによるキッカンジの準備が始まる。籠馬、千俵、棒振り、灯篭(提灯のことを山梨では灯籠というのが慣例)、道祖神の御神体作りを行う。13日に作るお小屋、お山(オヤマ)立てに使う飾り物等の製作にも取り掛かる。
 13日の夕刻からキッカンジが始まる。別当の道祖神役になる者が、大御幣の付いた御神体をもって先頭に立つ。大灯籠をもった者がそれに続き、その後が太鼓である。太鼓はその年に嫁取りを行った新郎が背負う。さらに鉦、子供の籠馬、千俵、棒振り、と続き、そのあとに普通の灯籠をもった人たちが同伴した。この行列が、組内の各戸を回る。特に新婚の家ではドンドヤセという打ち方で景気よく叩き、はやし立てた。各戸で御酒が振舞われ、賑やかな光景は10時過ぎまで続いた。

 上条集落のキッカンジは、正月の7日に行う。その日の朝、子供がゴヘイ(御幣)を振り歩き、その後を女物の襦袢などを着た青年が、鉦・太鼓を叩きながら集落の各家を回る。祭り当番であるヤドの者が「道祖神」の札を配る。その折に、各戸では御祝儀を出した。小豆粥を振舞う家もあった。道祖神場には、御神酒やヤドで作られた御馳走が供えられ、人々には甘酒、蜜柑、お菓子などが振舞われる。ヤドは各戸の当番制で順次に回る仕組み。

【どんど焼きのオコヤ作り】
 オコヤ(お小屋)とは、道祖神祭のどんど焼きで燃やす青竹、杉、檜の枝、藁などで「道祖神場」に作られた小屋のことをいう。お小屋作りは、旧塩山市の集落では一般に十三日の早朝から始まる。道祖神場に集落の人たち(以前は青年)が集まり、道祖神の丸石を安置した土台石の全体を囲うようにしてお小屋が作られる。
 神金地区上条集落のお小屋作りは1月7日に行われる。早朝、まず山に行って杉の枝打ちを始める。お小屋を葺くための材料として、道祖神場に運ばれてくる。丸太で柱を立て、細木で枠組を作り、杉の枝葉で周りを葺き神殿(お小屋)ができあがる。神殿は氏神である金井加里神社を模したもので、大きさは一間四方。屋根に反りをもたせ、杉の枝葉で葺いた四方の壁も丁重に刈り込み、神殿の脇には隠居部屋を作る。完成すると周りに注連縄をはり、御幣を吊るす。
 松里地区では、オコヤの上部に長い棒を差し、棒の先端にヒノキの枝を付けるものが多く見られる。この棒は「象の鼻」などともいわれ、男性器を表しているという。道祖神の男神・猿田彦命を象徴しているとされる。
 玉宮地区ではオコヤではなく、オヤマという青竹の飾りが多くみられる。オヤマは青竹の枝に色紙や新聞に折り込まれてくる色刷りのチラシなどで作ったキンチャクやオコンブクロなどの飾りを吊るし、道祖神の近くに立てる。玉宮地区には15箇所の道祖神場があり、冬空にオヤマがたなびく様子は季節の風物詩となっている。
 ※この項の出典甲州市教育委員会「上条報告」第8号(平成22年1月)、第57号(平成26年2月)などによる。
商売繁盛、養蚕大当たり
山梨県甲州市塩山松里、上東地区 毎年1月7日夜 どんやっせ 地区内全戸 地区の子どもたちと住民 「どんやっせ」は道祖神祭の一環の行事。甲州市の他の地区では「きっかんじ(木勧進)」という。地区内の隣保組を単位に行われる。小中学生が、『家内安全』『交通安全』などと書かれた灯籠を手に持って道祖神場に集合した後、太鼓を打ち鳴らしながら、集落内の各家を一軒ずつ回って道祖神の祝福を行う。各家の玄関先で子どもたちは大きな声で「どーんやっせ どんやっせ 家内安全・商売繁盛 どんやっせ お祝申せ」と祝い言を述べて、家人から祝儀をもらう。どんやっせが終わり、集まった祝儀の金銭は最上級生の親方が調整して、子どもたちに配分される。
道祖神祭の最終日は1月14日夕方、道祖神場でどんど焼きが行われ、お小屋を燃やして、この火で正月飾り、古くなった神札やダルマを焚き上げる。また新年の書初めを燃やして、天高く上がれば習字が上達すると言って喜ぶ。各家庭で作った繭玉団子を持ち寄り、木の枝や竹棒の先に針金でつるして、熾き火で焼いて食べる。「どんど焼きの火で焼いた団子を食べると風邪をひかない」「虫歯にならない」という言い伝えがあり、住民は大事な風習として守っている。
家内安全、無病息災、商売繁盛、交通安全などを願う
山梨県甲州市塩山上於曽地下中区 2022年1月7日夜 きっかんじょ 地区内の各戸 地域の子どもたち、住民  地域の子どもたちと保護者の皆さんが「きっかんじょ、きっかんじょ、お祝い申せ、無病息災、家内安全」と言いながら、ふれ太鼓を打ち鳴らしながら、地区内の家々を回り、「道祖大明神」のお札を配った。小正月の14日には道祖神祭り、通称「どんど焼き」が行われる。地元の情報提供者Nさんは「少子化で行事を取りやめる地域もあるようですが、いつまでも伝えてほしい農村文化のひとつです」と語った。 1年間の無病息災、家内安全を祈る
山梨市牧丘町塩平地区 2017年1月14日 塩平の獅子舞 公民館、地区内の各戸 地域住民  塩平の獅子舞は350年以上の歴史があるとされる小正月行事。県の無形民俗文化財に指定されている。地元の保存会「塩平親郷会」が受け継いでいる。14日、公民館では「御幣の舞」が披露され、笛や太鼓に合わせて御幣を手にした会員が獅子舞いを見せた。獅子は家内安全や子孫繁栄を願って地区内を練り歩いた。その後、どんど焼きが行われ、地元住民らは、枝に刺した団子を焼いて食べた。 1年間の家内安全や子孫繁栄
山梨県山梨市牧丘町 1月14日
(昭和62年の様子)
どんどん焼き 西保地区道祖神場 地域住民  道祖神場にオカリヤを作る。上部に男根を模した棒状に束ねた藁を突き立てる。男根と女陰を併せて祀るところもある。赤芝のどんどん焼きでは、火の周りで獅子舞、剣の舞を奉納する。火祭りの最後にオカリヤを火に投じて盛大に燃やす。
 火祭りの後、村内祝いに移り、笛、太鼓、獅子方の列に子供の提灯行列が集落内の新婚夫婦の家に繰り出す。「オカッサン(奥さん)は内にか、ゴテーサン(ご亭主)は外にか・・・オユエもうす・・・」「きっかんじ(木勧進)、きっかんじ、おかた(奥方)はどこだ、納戸の隅でなにしてござる、ベベ(陰部)の毛をそろした、いく本かそろした33本そろした、まだ1本たりんぞ、おゆえもうせ」と囃しながら、歩く。
家内安全、五穀豊穣、商売繁盛
山梨県甲斐市下福沢地区(旧敷島町) 1月12日夜、13日昼(2004年)
2014年1月11日
道祖神祭り/「どんど焼き」、「七福神のねりこみ」、「氏子めぐり」(悪魔払い)を2日間かけて順次行う。 地区内全戸 地区住民  道祖神祭りは、地区青年部が行う。祭事の日程は毎年1月2日の初寄りで決める。道祖神祭りは「どんど焼き」と「七福神のねりこみ」、「氏子めぐり」(悪魔払い)が行われる。特に江戸時代から継承される「七福神のねりこみ」は有名で、七福神の諸役割と、行列の役割は次の通り決められている。
 神官(青年長)1名、恵比寿、大黒天、福禄寿、寿老人、弁財天、毘沙門天、布袋の各1名、御神輿2名、練御輿4名、神楽獅子1名、笛1名、太古1名、御供1名、田楽2名。
 1日目はどんど焼きを行い、このあと青年部が神官・七福神に扮して練り込みを行う。厄歳42歳と直前1年間の新婚家庭を訪れ、厄払い、おかた祝いとして、神楽獅子舞を行う。
 2日目は氏子参り・悪魔払いとして、青年部が神官、おかめ、ひょっとこ、獅子舞にふんして、地区の全戸(約20戸)を回り、「正一位道祖神」の札と「火の用心」の張り紙を配って歩く。各家庭では、繭玉だんごを木の枝に刺しただんご花を玄関や神棚に飾る。
 2014年は1月11日「七福神のねりこみ」が、8年ぶりに同地区で行われた。過疎化などの影響でねりこみの対象となる家が少なくなり途絶えていたが、今年は2軒あり、復活した。神官や大黒天などの七福神に扮した高校生から42歳までの男性でつくる青年会のメンバーが、数え年42歳の厄年を迎えた男性がいる家や跡取りが結婚した家、新築した家を訪ね、厄よけや家内安全などを祈願する。神楽も披露した。
 練り込みは、2011年に敷島公民館のイベントで披露したことはあったが、該当する家がないため2006年を最後に地元で行われることはなかった。「敷島公民館で披露した時とは違ったうれしさがある。やはり地元でできるのは格別な思い」と青年会長が語った。
家内安全、火の用心、悪魔払い
山梨県北杜市高根町箕輪海道地区 2014年1月13日 道祖神祭 地区内 地域住民 男性たちが道祖神をわらで覆った「オカリヤ(御仮屋)」(高さ約2.5メートル)を担ぎ地区内を練り歩いた。新築や新婚の家に出向き威勢良い声を上げながら庭の中で回った。 家内安全や無病息災
山梨県北杜市白州町大武川地区、大坊地区 1月14,15日 どんど焼き 地区内 住民  どんど焼きは1月15日に小正月行事として行われている。正月の松飾りや注連縄や書初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やし、無病息災などを祈る。 無病息災
山梨県北杜市白州町下教来石 2013年1月13日 下教来石獅子舞道祖神祭 地区内 下教来石獅子舞道祖神祭保存会  保存会の会員が、地区内を回り、300年以上も前から伝承されてきた獅子舞を奉納した。
 笛や太鼓の音色に合わせて、「幕の内」や剣を持って悪魔を払う「剣の舞」を披露。家内安全や無病息災などを祈願した。
家内安全や無病息災
山梨県北杜市長坂町長坂上条 1月14日夜 お獅子とおかめ 地区の世帯 地区の小中学生  太鼓の音に合わせて「お獅子とおかめが舞い込んだ」とはやしながら、はやしながら、家内安全や無病息災を祈り、居間などを練り歩いた。 家内安全、無病息災
山梨県北杜市明野町小笠原の厚芝地区 2016年1月10日 小正月行事「お柳さんのさるぼこ」飾り作り 厚芝公民館 主婦ら地区住民   北杜市明野町では、小正月行事「道祖神祭り」で「お柳さん」の飾り付けが行われる。お柳さんは、木の柱に柳のようにしならせた小割の竹を取り付け、色紙やチラシの紙などを切って色とりどりに道祖神場に飾る。無病息災や家内安全を願う伝統行事で、道祖神祭りが終わったあと、1月17日に解体されて、飾り竹は各家庭に配られる。家内安全の厄除けのお守りとなる。
 厚芝地区では、子孫繁栄などを祈って作っていた小さな赤ん坊の人形「さるぼこ」が約60年ぶりに復活し、お柳さんに飾りつけた。今回は、同所の主婦の発案で、作り手がいなくなったことで飾られなくなった人形「さるぼこ」を復活させることにした。
 「さるぼこ」とは猿の赤ちゃんの意味。明野のさるぼこは、体を屈曲させ、手と足をつけたデザインで、京都市東山の八坂庚申堂(やさかこうしんどう)の「くくり猿」と同じカラフルなデザインが特徴。また、岐阜県では手足を開いたサルの赤ちゃん人形が「さるぼぼ」と呼ばれ、伝統工芸品となっている。
 今回は、地区の女性が協力し、約40個を作った。お柳さんの製作作業は、地区住民が厚芝公民館で行い、7mのヒノキに52本の色紙で飾った小割り竹を取り付け、その竹の先に「さるぼこ」を糸でくくりつけた。お柳さんが道祖神前に立てられた。
家内安全、子孫繁栄
山梨県北杜市長坂町 2021年2月下旬 小正月行事「お柳さんのさるぼこ」の寄贈 北杜警察署 北杜市明野町小原の主婦  北杜市明野町小原の主婦小泉さん(63歳)が、新型コロナウイルスの早期収束を願い、地域の小正月行事に伝わる人形「さるぼこ」を手作りし、北杜署に贈った。道祖神をまつる小正月行事に向け用意したが、感染予防のため行事が中止となったことから奇贈した。交通安全の呼び掛けも兼ねて地域住民に配布されている。
 さるぼこは、北杜市明野町小笠原の厚芝地区の小正月行事「道祖神祭り」で飾られる「お柳さん」で用いられる人形。苦難や病気を除き子孫繁栄を祈る縁起物とされている。作り手がいなくなっていたが、この主婦が地元住民から作り方を教わり、2016年に地区の住民に呼びかけて伝統を復活させた。奇贈した人形は高さ6センチほど。綿を布地て包み、頭部や手足をかたどるように縫って仕上げている。新型コロナ感染の早期収東を願い、昨年から約70個手作りした。本来は地域の行事で使うが、中止になったため2月下旬に署に贈った。
道祖神は交通安全にも御利益があるとされることから、署は来庁者に啓発グッズとして配布している。 (この項:山梨日日新聞)
新型コロナウイルスの早期収束、交通安全
山梨県北杜市明野町 2019年1月13日 小正月行事「おやなぎさん」飾り作り 一本松公民館 主婦ら地区住民   「おやなぎさん」は、地区の道祖神祭りの一環の行事。五穀豊穣や家内安全を祈って道祖神場に飾る。住民約60人が公民館に集まって、柳の木に似せるように6本の竹を縦に細かく割き、短冊状に切った色紙を飾り付けた 五穀豊穣や家内安全
山梨県北杜市須玉町中小倉地区 1月14日午後から15日朝にかけて 筒粥 穂見諏訪十五所神社 地区住民  鍋に玄米とすだれ状の葦(よし)の筒を入れて炊き、筒に入った米粒の数で今年の作柄や景気など69項目を占なった。
山梨県甲府市丸の内地区 平成20年1月12日~2月14日 甲府道祖神祭り 幕絵コンテスト

道祖神祭り古典芸能鑑賞会
銀座通り商店街 一般  甲府商工会議所は、江戸時代の甲府で盛んに行われた「道祖神祭の幕絵」を平成20年の小正月行事として復活させた。同会議所は、甲府商店街の活性化を願って、幕絵コンテストを実施し、県内外の社会人や主婦、中学、高校の美術部などから10点の応募があった。
 幕絵は江戸時代、甲府道祖神祭のおりに、商家が軒先に幕絵を飾り、風流の趣向を競った。復活した幕絵コンテストでは、当時と同じ大きさの縦1.63m、横10.6mの幕に油彩などで色鮮やかに描かれている。
 コンテストの応募作品展示は、銀座通りの商店の軒先に掲げられ、1月12日から24日まで人気投票を受け付け、グランプリ作品を決定する。展示は2月14日まで行われた。

 甲府市中央の芝居小屋「桜座」では2月2日、落語などの古典芸能の鑑賞会が行われた。江戸時代の道祖神祭りでは落語家や歌舞伎役者が招かれていたことにちなんで、甲府商工会議所が主催した。
 会場では落語家の林家正雀さんが身延山参りの旅人が主人公で、現在の鰍沢町周辺を舞台とする落語「鰍沢」を語り、甲府市出身の太神楽師、鏡味仙三(かがみせんざ)さんが傘を回して玉を転がす曲芸などを披露した。
商店街の活性化
山梨県甲府市中心街 平成23年1月15日 広重の「甲府道祖神祭り幕絵」を鑑賞し、街を歩く会 甲府市丸の内、中央、相生 一般県民50人  山梨県立博物館、NPO法人「つなぐ」が開催。甲府市社会教育センター集合、午後3時30分スタート・午後5時30分終了
 旧柳町散策+甲府商工会議所でミニ講座+幕絵鑑賞。参加費/500円。約50人が参加。

 甲府市内で、江戸時代の甲府城下町で行われた道祖神祭りを再現するイベント。甲府城下町の道祖神祭りは、各商家の軒先に歌川広重らが描いた幕絵約100枚がつるされ、町を包んだ。幕絵は夜、ちょうちんの明かりで照らされ、昼夜を通じてお祭りムードに包まれたという。
 イベントでは、甲府商工会議所の前に飾った広重の「甲府道祖神祭り幕絵(複製)」を、江戸時代の飾り付けを想定して、後ろから提灯の明かりで照らし、幕絵を浮かび上がらせる幻想的な演出を行い、参加者が往時の光景に思いをはせた。参加者は、かつて実際に幕絵が飾られていたという甲府市社会教育センターから甲府商工会議所までの通りを歩いた。
 同会議所駐車場には、広重の実物とほぼ同じサイズ(横10メートル、縦1・5メートル)の広重の複製幕絵を設置。参加者は闇夜に浮かび上がる壮麗な幕絵を鑑賞した。
 
山梨県甲府市丸の内 平成23年12月25日~平成24年1月17日
道祖神幕絵飾り JR甲府駅ペデストリアンデッキ 第28回国民文化祭実行委員会  JR甲府駅北口と武田通りを結ぶペデストリアンデッキの通路に巨大な道祖神幕絵(縦1.63メートル、横10.6メートル)10枚がずらりと飾られた。
 2013年に県内で開かれる第28回国民文化祭の開幕1年前を記念し、同実行委が企画。甲府商工会議所が2007~10年に行った幕絵コンテストの作品を展示している。
 にぎわう商店街や祭り、山梨を象徴する富士山や桃、ブドウなどを、高校生の自由な発想で描いた色鮮やかな幕絵が並ぶ。
 駅北口の山梨県立図書館には、江戸末期の浮世絵師・歌川広重が描いた甲府道祖神祭礼幕絵「東都名所 目黒不動之瀧」の複製が飾られている。
 
山梨県甲府市 2013年1月10日~1月31日 国民文化祭・高校生幕絵甲子園 JR甲府駅ペデストリアンデッキ 第28回国民文化祭実行委員会主催、山梨県高等学校文化連盟共催  江戸時代、甲府城下町で道祖神祭りに飾られた「幕絵」を、高校生が制作することにより、協力して作品を作りあげる喜びを味わうとともに、文化活動の活性化を図り、山梨の幕絵を古くて新しい山梨の文化として全国に発信する。
 平成24年8月18日(土)午前9時~午後2時に舞鶴城公園で行った制作競技会の入賞作品を展示。
文化活動の活性化を図り、山梨の幕絵を古くて新しい山梨の文化として全国に発信する。
山梨県甲府市草鹿沢町 2008年1月13日 道祖神祭り 集落内 地区住民と出身者で作る「ふる里の会」、舞踏家の田中泯氏  ふる里の会は国際的な舞踏家である田中泯氏(甲斐市在住)とともに山村の景観保全と伝統芸能の復活に取り組み、40年ぶりに道祖神祭を復活した。
 祭りでは、同会や甲斐市の篠笛グループ「瑠璃の会」が参加、日暮れとともに、オヤナギ、コヤナギで飾り付けた道祖神前で神の舞を奉納し、この後太鼓と笛の音に合わせ、会員や住民が集落内を神輿を練り歩いた。
 同地区では山間の過疎化で30軒あった集落が現在は3軒になってしまった。
無病息災、家内安全を祈願
山梨県甲府市飯田 2008年1月12日 どんど焼き 地域の道祖神と空き地 飯田西部自治会  地域住民200人が参加し、子年生まれの子供2人と自治会長が道祖神で起こした神火をもって、空き地に竹などで作った高さ7mのやぐらに点火した。火勢が一段落すると、竹竿につけた繭玉だんごを焼いて食べた。 住民の平穏な1年を祈願
山梨県甲府市古府中町 平成24年1月13日 小正月行事体験学習 相川小学校 同小児童  地元に伝わる小正月行事である「獅子舞」、「どんど焼き」を体験し、児童らは小正月について学んだ成果を発表した。
 同小体育館に全校児童420人、地域住民らが集まった。3-6年生の代表がそれぞれ「繭玉」「獅子舞」などを研究した成果を発表した。また地元保存会が獅子舞を実演した。この後、伝統の「柳飾り」が設置された校庭で、児童らが作った繭玉だんごを焼いて食べた。
地域の伝統行事を学ぶ
山梨県甲府市湯村 2019年2月13~14日 塩沢寺(えんたくじ)厄除け地蔵尊祭り 塩沢寺 参拝客、観光客 「厄除け地蔵尊祭り」は、「厄地蔵さん」の愛称で「甲府盆地に春を呼ぶ祭り」と言われ、旧暦小正月の時期に行われる伝統の火祭り行事。寺の本尊の地蔵菩薩が毎年2月13日の正午から24時間の間だけ願いを聞き入れるという言い伝えから、江戸時代初期に始まったとされている。
祭礼では、地蔵菩薩がまつる本堂で、13日正午より14日正午まで、夜を徹して大護摩供(おおごまく)を行い、開運厄除・家内安全等を祈った。護摩供とは、本尊の前に祭壇を設けて護摩木を燃やして、願いがかなうよう祈祷する儀式。全国の各地から参拝に訪れた人たちが列を作り、手を合わせて願い事をした。また、厄年の男女が、年の数だけお団子をお地蔵様にお供えすると厄を免れるという風習も行われている。塩沢寺に続く湯村温泉通りには多くの屋台が軒を連ね、大勢の人たちで賑わった。3~5万人の人出が見込まれているという。(この項出典:UTYテレビ山梨電子版、YBS山梨放送電子版など)
甲府盆地に春を呼び、開運厄除・家内安全などを祈る
山梨県甲府市西油川町 2024年1月14日 道祖神祭り(丸石焚き上げ) 町内の田んぼ 住民  地区の道祖神にまつる丸石をどんど焼きのわらのなかに入れて焚き上げた。御神体である丸石を清める意味があると伝えられる。丸石は翌朝、元の道祖神に戻す。 丸石を清める
山梨県甲府市穴切地区 2024年1月14日 どんど焼きまゆ玉行事の復活 旧穴切小学校校庭 地区住民、子どもたち、山梨県立大学生  山梨県立大の学生が旧穴切小校庭で行われた穴切大神社のどんど焼きの開催に協力し、まゆ玉の伝統行事を復活させた。まゆ玉作りは新型コロナ禍で途絶え、作り手の高齢化も重なって再開が危ぶまれていた。
 まゆ玉作りに協力したのは、同大国際政策学部の安達義通教授ゼミの1、3年の計4人。自治会活動の担い手が不足する中、甲府市が神社と同じ穴切地区にある県立大に協力を依頼したことがきっかけ。学生は昨夏以降、地区を歩き、住民の話を聞くなどのフィールドワークに取り組み、「地域の活動に参加する若い人や子どもが少ない」と感じたという。
 コロナ禍以前のどんど焼きでは神社の婦人会が中心となってまゆ玉を作り、参加者に提供していた。県立大の学生は、まゆ玉を復活することで「子どもが地域の行事に参加しやすくなる」と考え、見た目も楽しく、食べやすいよう甘みをつけたいまゆ玉を作ることにしたという。
 提供されたまゆ玉は木の枝の先に挿して白のほか、緑、黄、ピンク色で、ハートや動物の形なども作られた。焚き火で焼いて食べるよう木の枝の先につけたマシュマロも提供された。参加した子どもや住民は無病息災など祈りながら食べた。
 どんど焼きの開催を住民に周知するため、ゼミの学生が中心となり、チラシも作成し、子育て世代が多いマンションなどに配布した。メンバーは「どんど焼きで顔を合わせてコミュニケーションを取ることで、次の自治会行事にも参加しやすくなるのでは」と思いを語った。(この項山梨日日新聞)
無病息災、住民のコミュニケーションを取ることなどを祈る
山梨県南アルプス市 2008年1月14日 稲穂(いねぼう)さん 地元の道祖神 地域住民  中野区第4町内会では、住民が山から伐りだしたクヌギやナラの枝で稲穂を模した「いねぼうさん」を作り、道祖神に奉納した。 この1年の米の豊作。五穀豊穣。
山梨県南アルプス市下市之瀬 2010年1月14日
2013年1月12日(土)
獅子舞(県指定無形民俗文化財) 地域内 下市之瀬獅子舞保存会  約300年の歴史がある伝統芸能。保存会の約20人が区内の厄年を迎えた人や新生児がいる家を回り、笛や太鼓の音色に合わせて「幕の舞」と「梵天(ぼんてん)舞」を披露した。
 2013年には、夜に地区の新成人を前に、近松門左衛門の「梅川忠兵衛」などの女獅子を舞って、新たな門出を祝った。
家内安全や無病息災を祈願
山梨県南アルプス市芦安地区 2014年1月14、15日
2013年1月12日(土)
どんど焼き観光ツアー 地域内 南アルプス市観光協会、首都圏の住民 南アルプス市観光協会は、都会では味わう機会が少ない冬の小正月行事を楽しんでもらおうと初めて企画した。参加者は東京都や神奈川県など都市部の住民。同地区の温泉旅館に宿泊し、市内に2日間滞在した。どんど焼きに参加するのは初日の夜。事前に行事で使う団子「繭玉」を自らの手で作り、実際に焼いて味わった。
 観光協会は「どんど焼きは田舎ならではの文化。都会では知らない子どもも多い」と語った。定員は20人で、参加費は宿泊費込みで1万円。
 
山梨県南アルプス市飯野地区 毎年8月20日に近い土・日曜日 夏の道祖神祭りと灯篭祭り 地区内の道祖神場と若宮神社境内 地域住民  若宮神社では、毎年8月20日に一番近い日曜日に、お灯篭祭りが行われる。慶長3年(1598)からはじめられたとされる伝統行事。平成30年には8月19日に行われた。この若宮神社お灯篭祭りの前夜祭として、18日夜、飯野地区の3区西北組、 4区東北組、6区郷地新居組では「夏の道祖神祭り」が行われた。各組の道祖神の前で、地域住民が集まり、「チョウマタギ」または「雨屋(あまや)」とよばれる、灯篭(提灯)、風鈴、花などで飾られた屋根付きの構造物を組み立てた。「チョウマタギ」とは提灯をつるす門型の木組みで、参拝者がその敷居を「ちょいっとまたぐからこの名がつけられたのでは」とも地元では言われている。昭和時代には飯野全地区の道祖神前でチョウマタギを建て、夏の疫病を退散させる祭事(夏の道祖神祭り)を行っていた。夏の疫病の流行を防ぐために日本各地で行われてきた祇園祭の系譜であろうと推測されている。
飯野地区ばかりでなく、山梨県内では道祖神祭で飾られる提灯のことを「灯篭」と呼ぶのが慣例となっている。その意味では、中国元宵節(陰暦1月15日)の灯籠祭と同様である。
日が暮れると提灯に明かりが入り、道祖神にお参りを済ませた住民らの酒宴が行われる。宴会が終わった後、ちょうまたぎの提灯は一旦外され、翌朝に若宮神社の参道に移動させ、再び飾りつけられる。 翌日の灯籠祭りでは、飯野若宮神社参道に飯野にある8地区のちょうまたぎが集合する。参道では住民らの酒宴や各地区の30個以上の灯籠を飾ったチョウマタギを見て回る見物客でにぎわった。(この項出典:南アルプス市ふるさとメールHP文化財課による)
疫病や悪霊を退散させる
山梨県中央市高部地区 2014年1月12日/2019年1月13日 「百万遍」 角川公民館 地域住民 「百万遍」は高部自治会角川常会が角川公民館で行う小正月行事。天井につるした「天蓋(がい)飾り」と、しめ飾りの下で住民が太鼓とかねを鳴らし、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀」と唱えて一年間の五穀豊穣と無病息災を願った。地域住民は長さ10メートルほどの数珠を輪になって回し、太鼓やかねの音に合わせて念仏を唱えた。14年は22人が参加した。 家内安全や無病息災を祈願
山梨県中央市 2013年12月~2014年2月9日 企画展「中央市田富・玉穂地区の道祖神祭り」 市立豊富郷土資料館 来館者 企画展では、市歴史文化ボランティアの会のメンバーらが撮影した両地区にある全ての道祖神の写真計108枚を展示している。丸石などの道祖神に加え、祭りに登場する獅子、どんど焼きの際にわらや竹で作ったご神体を覆うオカリヤ(御仮屋)などを紹介している。
平成に入り、団地などが新たに建設されるのに伴い設けられた2人の子どもが彫られたかわいらしい道祖神など旧田富町誌に載っていない道祖神の写真もある。また、祭りで燃やして出た灰を自宅の周りにまく風習など、道祖神にまつわる各地区の特徴を伝えている。
 同資料館の末木健館長によると、田富、玉穂両地区には計67基の道祖神が祭られている。田富地区では道祖神に幕やちょうちん、のぼりなどを派手に飾る。玉穂地区には昭和期の道祖神が多く、明治時代の廃仏棄釈で、神社などに数基の道祖神が集められているなど、地区によって特色がある。今年1月に開かれた豊富地区の道祖神祭りの展示に続いての開催。
家内安全や無病息災を祈願
山梨県中巨摩郡昭和町西条2区 2014年1月11日 どんど焼き「繭玉作り」 公会堂 社会福祉協議会担当者、地元の幼児と小学生約30人  社会福祉協議会など4団体の担当者が、地元の慣習を受け継いでもらいたいと、小正月行事に合わせて初めて企画した。子どもたちは大人の指導を受け、米粉を丸めて白とピンク色の繭玉を作ったり、丸めた繭玉をヤナギの木の枝に突き刺したりして、どんど焼きで焼いて食べる繭玉の作り方を学んだ。 家内安全、五穀豊穣
山梨県南巨摩郡富士川町 2014年1月14日/2013年も1月14日夜 どんど焼き 戸川河川敷 地区住民  河川敷には地区住民が組み立てた高さ約6メートルのやぐらが10基以上並んだ。住民は持ち寄った正月飾りを燃やし、一年間の無病息災を祈願。燃え盛るやぐらは20メートル以上の高さまで火柱を上げた。 一年間の無病息災を祈願
山梨県富士川町大久保 2011年1月13日 3世代道祖神「だんご花作り」 大久保公民館 地域の親子、祖父母の3世代  同地区では小正月の前にカシの木の枝に団子を刺した「だんご花」を作るのが習わし。だんご花は家に飾り、竹の先に付けて用意した団子は、14日の「どんど焼き」の際に火であぶって食べる。
 この日は同地区の高齢者らが紅白の団子約2千個や、カシの木と竹を100セット用意。会場の公民館には次々に家族が訪れ、カシの木などに団子を刺して、「団子花」を作った。
 
山梨県南巨摩郡早川町奈良田 2019年1月14日 おぼこ人形祝い 女子が生まれた家 地区住民  奈良田集落に伝わるおぼこ人形は、小正月の伝統行事として、正月14日に、はじめて正月を迎える女児に、成長と幸せを願い贈られる高さ10センチほどの木で作った人形。昭和35年に、山梨県文化財(民俗資料)「奈良田の生活用具」の一つとして認定された
 2019年1月2日、この地区に愛媛県から移住してきた若夫婦に三女が誕生した。過疎化が進み、人口30人の奈良田では、平成に入り初めての女児だとして、住民らがこの家に集まり、おぼこ人形を贈り誕生を祝った。
女児の成長と幸せを祈願
山梨県南巨摩郡早川町奈良田 2017年2月22日 小正月の魔除け「おほんだれ」 古民家カフェ{鍵屋」 鍵屋スタッフ  鍵屋は奈良田に伝わる風習で、小正月に魔除けとして玄関先に飾る木の枝「おほんだれ」をイメージした洋菓子フィナンシェを商品化した。2本1セット500円。
おほんだれは、約1mのヌルデの枝に男女の顔を彫り、団子や花を添えたもの。男女1対で小正月に玄関に飾る風習がある。同店では、「奈良田独特の文化や風習をお菓子を通じてたくさんの人に知ってもらいたい」として、長さ13cmのフィナンシェを、おほんだれに見立て、顔を描いたシールを張っている。
家内安全や交通安全、地域の幸せと安泰
山梨県南巨摩郡南部町 2019年1月14日 湯立祭(ゆだてさい) 万沢浅間神社 宮司と地区住民  「湯立祭」は地区の小正月行事。クモの巣状に縄を編んだやぐらの中で、近藤宮司が酒と塩で清めた湯をササの葉で周囲の住民に振りかけた。湯煙が立ちこめ、参加者は熱さに耐えながら無病息災を祈願した。 一年間の無病息災を祈願
山梨県南巨摩郡身延町北川の長塩地区 2011年1月15日
2014年1月13日
長塩の獅子舞 地域内 長塩の獅子舞保存会  保存会のメンバー約20人が、地区内を獅子舞で練り歩き、地区内の4カ所の道祖神場で、笛や太鼓の演奏に合わせて獅子舞を奉納する。毎年、町外から大勢のカメラマンが参加し、行事の内容を記録している。
 長塩の獅子舞は、約230年前から伝わる伝統行事。1977年に地区全戸で保存会を立ち上げ、後継者育成と保存活動に努めている。
 
山梨県南巨摩市川三郷町落居 2011年1月15日
2013年は1月12日(土)に実施
七福神 網倉公民館 地区住民、網倉七福神保存会 網倉七福神保存会が小正月を祝う七福神を行った。会員が大黒天、弁財天、毘沙門(びしゃもん)天などの七福神や道祖神に扮した。道祖神役が住民代表に家内安全や交通安全を祈願するご神体を手渡した。また、七福神役が打ち出の小槌や三味線など神様にちなんだ宝物が授けられた。
七福神の行事には、決まったセリフや動きがないため、演者はアドリブや愉快な動きで住民を笑わせている。2014年には120人が参加し、メンバーの愉快な動きを見て、子どもたちは楽しそうにしていた。
家内安全や交通安全、地域の幸せと安泰
山梨県南巨摩市川三郷町落居の山田地区 2019年1月13日 山田の神楽獅子 道祖神前と公民館 地区住民、山田神楽獅子保存会 「山田の神楽獅子」は、300年以上前から続く、この一年の五穀豊穣や無病息災などを祈願する伝統行事。道祖神前と公民館で、獅子頭をかぶった舞手と舞手を助ける後舞が笛や太鼓の音に合わせて舞を披露した 五穀豊穣や無病息災などを祈願
山梨県笛吹市御坂町成田 2010年12月15日(水曜)から2011年1月31日(月曜) シンボル展 甲府道祖神祭り―江戸時代の甲府城下活性化プロジェクト 山梨県立博物館 来館者  町全体を浮世絵の幕で包みこむ-江戸時代の甲府城下町では、全国でも珍しいお祭りを毎年正月過ぎ頃に開いていた。こうした行事がいつ頃?なぜ?行われるようになったのか、そのナゾについて展示をとおして紹介した。
 現在わずか数枚しか確認されていない江戸時代の道祖神祭礼幕絵。そのうちの1枚は東海道五十三次でおなじみの歌川広重が描いた貴重なもので、展示と目玉となった。
 主な展示作品
歌川広重筆 甲府道祖神祭礼幕絵目黒不動之瀧(江戸時代,県立博物館蔵,山梨県指定文化財)
二代歌川広重筆 甲府道祖神祭礼幕絵 洲崎潮干狩(江戸時代,県立博物館蔵,山梨県指定文化財)


シンボル展甲府道祖神祭のイメージ

 
山梨県笛吹市春日居町熊野堂下区 2010年1月14日 道祖神祭/木勧進(きっかんじょ)とお祝い申せ 地域の各世帯を巡回する 地域住民、子供たち  顔を白く塗った子どもたちが「キッカンジョ、キカンジョ、オイワイモーセ」と唱えながら、地区の各世帯を回り、家の玄関で祝儀をもらう。お金をもらうと「家内安全、商売繁盛」、「農業大当たり」などのお祝いの口上を述べる。
 「キッカンジョ オイワイモーセ」とは「木勧進 お祝い申せ」の意味で、もともとはどんど焼きで燃やす焚き木を集めて回ることを指しているという。春日居町に隣接する山梨市や甲州市などでも「キッカンジョ オイワイモーセ」を行い、子どもたちがどんど焼きに先立って各家庭を回り、祝儀をもらって歩く。
家内安全、商売繁盛、農業繁盛
山梨県笛吹市石和町市部仲町 2008年1月14日 道祖神祭「オブネ   地域住民、子供たち  全長約6mの舟型の台に松やヒノキの枝で飾り、先頭にその年の干支を飾り、地区内を引き回す。  
山梨県笛吹市石和町川中島地区 2008年1月14日 道祖神祭「福亀」 地域内 地域住民、子供クラブの小中学生  地域の子供たちが、わらや松の枝で亀をかたどった「福亀」と呼ばれる台車を作製。夜になると台車に提灯灯籠をともして、「申せ、申せ、お祝い申せ」と掛け声を上げながら台車を引き練り歩いた。
家内安全、五穀豊穣
山梨県笛吹市芦川町 2014年7月14日 夏の道祖神祭どんど焼き 上芦川地区と中芦川地区の道祖神場 地域住民、子供たちなどおよそ40人 旧盆の7月14日夜、先祖送りの行事としてどんど焼きを行った。午後7時30分ごろ、「モミ」や「シラビソ」の枝を2mほどに積み上げられたものに火がつけられ「どんど焼き」が始まった。近隣住民らが集まり、燃え盛る炎に「無病息災」や「家内安全」を祈願した。
 農業や養蚕が盛んだった30年ほど前は住民らが「麦わら」や「桑の枝」を持ち寄り、どんど焼きは今の4倍ほどの規模で行われ、150人ほどが集まったという。また、どんど焼きの後の灰は翌朝、厄除けとして家の前に置かれた。
「無病息災」や「家内安全」、どんど焼きの灰を家の前に置くと厄除けになる。
山梨県富士吉田市下吉田 2010年1月14日 筒粥(つつがゆ)神事 小室浅間神社 氏子  筒粥は小室浅間神社で800年以上続くとされる伝統行事。神事をつかさどる「占人(うらびと)」が年間の農作物の出来具合を占う行事。米とアワを煮る大釜のなかに、ヨシで作った長さ17cmほどの24本の粥柱を入れ、中に入り込んだ粥の量で、この一年の稲、小麦、蚕、小豆、粟などの18種類の作柄を占う。2010年の稲は豊作の見通し。
2019年には1月14日午後9時過ぎから本殿で神事を行った後、占人8人と氏子総代らが境内の「筒粥殿」にこもった。午後10時ごろ、釜に火を着け、水が沸くと米や粟、粥柱を投入、何回も釜をかき回しながら午前1時ごろ粥が煮あがった。占人は引き揚げた粥柱を割って、粥の量を確かめ、2019年の農作物はやや豊作とでた。占いは午前3時過ぎまで続いた。
五穀豊穣
山梨県富士吉田市下吉田 2008年1月14日 子の神さんのどんど焼きナイトフィーバー 月江寺商店街子(ね)の神通り どんど焼き祭典の参拝客など  道祖神をまつる子の神神社で行われるどんど焼き祭典を、「本町大好きおかみさん会」が「冬場に人が集うイベントがあれば」とリニューアルして毎年開催している。
 通りには「吉田うどん」や焼き鳥、おでんなどの露店が並び、参拝客でにぎわう。来場者には無料でつきたての餅がふるまわれた。
 2011年には150メートルの小路に25軒ほどの出店が並び、ポップコーンやお汁粉、吉田のうどんなど飲食物を販売。古本市や占い、フリーマーケットなどのコーナーもあり、ちょうちんやたき火の明かりで照らし出される中、多くの人が行き交っていた。2024年は1月13日(土)の午後1時から5時まで開催され、昼間の行事となった。
「子の神」とは、十二支の「子」、ねずみを使いとする大国主命(大黒様)を意味し、農業生産などの神であることから、道祖神信仰と習合して祝われるという。
商店街の活性化
山梨県富士吉田市小明見向原(むかいばら)地区 1月13,14日夜(2010年)
2013、14年は1月13日
道祖神祭り(ご神木立て、ほうご、おかたぶち講) 地区内の新婚家庭 地区の大人と子供  地区では祭日に、「ご神木」を立ち上げる。てっぺんは笹を飾り付け、中間に「ほうご、ほうこ(這子)」と呼ばれる子宝と子どもの健やかな成長を祈願するためのぬいぐるみ人形数体をくくりつけて、立ち上げる。ほうごは、地区の婦人達が制作し、道祖神祭りが終わった後、子宝を願う夫婦に配られる。2014年には13日に行い、市内外の6組の夫婦の願いが、昨年中にかなったことを報告した。
 14日夜の「おかたぶち講」では、引率の大人と共に、中学生が天狗やおかめの面をつけ、道祖神の使いとなって、新婚夫婦の家庭を訪れ、祝儀をもらい、子孫繁栄と家内安全を祈願して御幣でお祓いをする。また嫁さんのお尻を丸い棒(先に御神体がある)でたたき、おかたぶちと呼ばれる。
 子供達は祝儀である「奉納金」をもらう際に、のし袋をのぞいて無言で首を横に振り、祝儀を載せたお盆をひっくり返し、ヒノキの枝を畳にたたき付ける。「ご祝儀が少ない」という値上げ交渉の意味で、家の人が奉納金を2回追加すると、道祖神はうなずいて受け取り、木の枝で夫婦をおはらいして引き揚げた。
子孫繁栄、夫婦円満や家内安全を祈願する。
山梨県富士河口湖町船津、河口、浅川、大石地区 2015年1月13日、2021年1月13日 御神木立て 各地区の里山 地域住民  富士河口湖町の御神木立ては、江戸時代から小正月に行われ、湖畔の各地区にある道祖神祭の神事として無病息災を願う風習。御神木は「どんど焼き」で神様が降り立つ目印ともなるといわれ、道祖神場に立てられる。2015年には船津地区では、本厄を迎える42歳の人からなるグループが1月3日に富士山世界遺産の構成資産の「船津胎内」周辺から高さ約20メートルのヒノキを切り出し、どんど焼きの会場に引き出した。御神木は1月13日、船津小学校校庭で飾り付けを行い、立てられた。
 2021年の「ご神木建て」では、住民が新型コロナウイルスの収束を願った。
 例年は町内4カ所で行われるが、今年は新型コロナウイルスの影響で船津地区のみでの開催となった。1月13日は、地域住民らが、町内で切り出された24メートルのスギの大木に、白い布や紙テープを飾り付けた。そして、厄年の男性たちの掛け声に合わせ、ご神木を立てた。
 住民らはおよそ1時間かけて、ご神木を立ち上げると、新型コロナウイルスの収束などを願った。ご神木は16日の朝まで船津小学校に立てられる。(この項:日テレNEWS24・2021/1/13付けなどによる)
 道祖神祭の準備と無病息災、新型コロナウイルスの収束を願う
山梨県富士河口湖町の各地区 2017年1月20日 道祖神祭「御神木倒し」 各地区道祖神場 地域住民 御神木倒しは、道祖神祭の「御神木」を倒し、各地での小正月行事に一段落を告げる。河口地区では早朝から「御神木保存会」会員や自治会などの役員らが御神木を倒した。その後、神木の飾りが取り外され、「厄よけ」として販売されたほか、地域の各戸にも配られた。受け取った家では、家内安全や無病息災を祈った。 家内安全や無病息災
山梨県富士河口湖町小立 乳ケ崎地区 2010年1月14日 おんべいわたし(御幣渡し) 地域の家庭 地域住民  400年前から伝わる伝統行事。氏子総代の住民が顔に墨でひげやまゆを描いて道祖神と神官に扮し、地域の新婚夫婦の家を訪問し、知り合ったきっかけなど、様々な珍問奇問をして答えられればオンベイ(御幣)を渡し、地区の金山神社の氏子として迎えられる(氏子入りという)。また、夫婦は道祖神の要求に応じて踊りや歌などの芸を披露する。2014年も同様に行われた。
2024年は1月14日、乳ケ崎公民館で開催され、道祖神、右大臣、左大臣に扮した氏子総代が「ものまねをしろ(やれ)」などと難題をふきかけ、参加者らはカエルの物まねなどを披露した。
新婚夫婦の和合、子宝安産を祈願
山梨県富士河口湖町大石地区(旧南都留郡河口湖町) 1月14日 十四日祭礼(どんど焼き)と「ご祝い申そう」 地区内 地域住民  13日、山から引いてきた高さ30mほどの御神木(杉)の飾り付けを行う。男根の象徴、籠、その年の干支を描いた紙などを飾り、女33歳の厄年一同がぬいぐるみの夫婦猿、男42歳の厄年一同が干支を描いた絵馬を飾る。飾り付けが終わると御神木立てを行う。
 14日夕刻から始まったどんど焼きのあと、午後6時ごろからお子供たちの「お練り」が始まる。その年の厄年の人と11歳から15歳の男児、厄年42歳の大人が太鼓役で参加し、「ご祝い申そう、ご祝い申そう」の掛け声で練り歩き、地区内の新婚、厄払いの家庭を訪れ、「火の用心」「家内安全」の祝言を門付けする。
 参加者は子供も大人も全員が、日の丸と「十四日祭礼」と染め抜いた鉢巻きを締める。子供たちは六尺ほどの竹にオンベと日の丸扇を付けた道祖神の「神体」神体や灯籠を掲げて、お練りを行う。450軒の地区内を練り歩くのは2時間ほどかかる。神体は祭りが終わった後、家に持ち帰り、1年間神棚に飾る。
火の用心、家内安全、子宝祈願
山梨県富士河口湖町船津 平成24年1月13日午後4時ごろ 道祖神祭り・御神木立て 船津小学校校庭 地域住民  小正月行事の道祖神祭りの準備のため、午後2時45分から校庭南東側で、地域住民が御神木を立ち上げ始め、午後4時に立ち上がった。
 それと同時に、地区住民から依頼を受けた花火業者が、御神木が立ち上がったことを地域に知らせるため、音を出す花火6発を校庭で打ち上げた。
 ところが、そのうち1発が不発となり、会場に居合わせた観客の近くに落ちて破裂した。このため、観客2人が鼓膜を損傷したり、転倒したことによる腕の軽傷を負った。当時、会場には約150人の来場者がいた。
 富士吉田警察署が安全管理に問題がなかったか、花火業者に事情を聴いた。
 
山梨県富士河口湖町船津 2012年1月14日、15日(2月19日までの土、日開催) 冬花火・湖上の舞 大池公園特設会場 冬花火・湖上の舞実行委員会 町内の道祖神祭りの開催に合わせて、花火の打ち上げを行う。大池公園の特設会場ではキャンドルイルミネーションを行い、ろうそくの炎で幻想的な光の演出を行う。  
山梨県富士河口湖町河口 2015年1月5日~14日 道祖神祭御神木立(ごしんぼくだて) 地区の山、道祖神場 河口の上、中、下の三町区の住民で構成する道祖神保存会 富士河口湖町では記録が残る江戸時代から小正月の1月14日に道祖神場などに御神木を建立(こんりゅう)する習わしがある。
 河口地区の住民で構成する道祖神保存会のおよそ80人は1月5日、地区の山で御神木の切り出しを行い、平成27年の道祖神祭の一連の行事が始まった。27年は樹齢65年・高さ30mを超える杉の大木を御神木として選び、河口浅間神社(あさまじんじゃ)の神職による神事を行った後、斧だけを使って手作業で切り出した。杉の大木には大綱をかけて、御神木立を行う道祖神場までの約1kmを80人の会員が引き出した。
 御神木立ては14日朝に枠建て(建立の支えとなる枠を建てる)、大木に御神木飾りを行う。五色の吹き流し、赤や紫の布で「不幸や難が去る」と伝えられる猿のぬいぐるみ「さるぼぼ」、三角形をした魔除けのお守りである「ヒイチ」、書き初めなどを飾った。この後、御神木を建立では、一本の綱で結ばれた長さ30mのスギの木を、引っ張る側と支える側の二手に分かれ、厄年を迎える団長の掛け声の下、立てていった。
 道祖神祭は14日夜に行われ、20日の御神木倒しで一連の行事が終わる。御神木を倒し、飾った御注連から各戸配布の花を作る。
厄除けや無病息災を願う
山梨県忍野村 2013年1月14,15日 道祖神祭「どんど焼き」/ヒイチ 地区の道祖神場10箇所 地域住民  忍草地区の御神木は青竹を束ねて使い、色とりどりの折り紙を飾付ける。夜になるとライトアップされる御神木観光客にも喜ばれている。
 内野地区では杉の大木を切り出して御神木とする。
 地域で出産・結婚・新築などおめでたい事があった家からは、ヒイチという三角形の座布団様袋に色鮮やかな房をつけたの縁起物を御神木に付けて奉納する。現在はヒイチを作ることができる人も少なくなったため、作り方を知る人や役員が製作を担当することも多い。
 ヒイチは正方形の布からできているが、布の大きさや素材に特に決まりはない。底部分には芯となる竹ひごを通し、重みのためにもみ殻を入れる。このヒイチは、富士山北麓地域の家庭で広く飾るが、形と名称が福井県の勝山左義長祭りで火災予防の縁起物として飾る「ヒウチ(火打ち)袋」と同様で、北陸、近畿方面より伝来したものとみることができる。
 忍野では、ヒイチは道祖神祭が終わると、縁起物として16日に子供達が各家を訪ね売り歩き、子供達のお小遣いとなる。各家では子供達から買ったヒイチを魔除けや災難除けとして1年間、門口や玄関などに飾る事が習慣になっている。
 1年間飾ったヒイチはお正月飾りとともに小正月の「どんど焼き」で正月飾りなどとともに焚きあげる。(写真上はお神木と富士山、下はヒイチ)(この項:山梨日日新聞富士山ネットhttps://www.fujisan-net.jp/などによる)


家内安全、商売繁盛、無病息災
山梨県山中湖村平野地区 2010年1月14日夕 どんど焼き/御神木祭り 地区の道祖神場 地域住民  村内各区でどんど焼きが行われ、平野地区の道祖神近くの広場では、区の小学生から消防団まで住民総出で高さ約30mのカラマツの木を御神木として「アラヨイサー」のかけ声で立てる。御神木には子どもたちが書いた書き初めや「家内安全」「商売繁盛」と書かれた「御神幣」を飾り付ける。道祖神場では米粉で繭型や小判型に作った紅白の団子を火で焼いて食べる。
御神木は19日まで飾られる。山中湖交流プラザ・きららには団子を木の枝に刺した「団子バラ」が飾られた。
家内安全、商売繁盛
山梨県山中湖村山中 2021年1月14日 団子バラ 山中の河内さん宅 家族  「団子ばら」はかつて養蚕が行われていたことから「繭玉」や農産物をかたどった団子を木の枝に飾り付け、疫病退散や五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する村伝統行事。河内さん方では白やピンク色などの団子をナラの木に飾り「早くコロナがなくなって、東京五輪を楽しみたい」と話した。 疫病退散や五穀豊穣
山梨県西桂町下暮地 2014年1月8日 どんど焼き「だんごばら」作り 西桂保育所 町をきれいにする会、園児 だんごばらは、絹織物が盛んだった同町周辺地域で、良い繭が生産できるよう願いを込めて繭玉に見立てた団子を飾る風習。14日のどんど焼きで繭玉団子を焼いて食べると風邪をひかないと言い伝えられている。
 園児はヤマボウシの木の枝に、同町をきれいにする会のメンバーが作った紅白の団子約250個やミカンを刺し、花を咲かせるように飾り付けた。
養蚕の豊作祈願
山梨県都留市 1月9日、14日 どんど焼き、だんごさし 市役所 市職員と保育園児 都留市と都留織物産地振興協議会が、子どもたちの無病息災と都留織物の復活を願って平成15年初めて催した。
「だんごさし」は小正月行事として1月9日に行った(平成15年)。うるち米でつくった紅白のだんごを「だんごばら」と呼ばれる飾り木に刺し、14日の小正月の「どんど焼き」で焼いて食べるのが昔の習わしだった。
市役所ロビーには高さ約5メートルのヤマボウシの飾り木が立てられ、園児たちが繭玉の形にだんごをつくり、枝に刺して飾り付けを行った。
無病息災と都留織物の復活を願う。
山梨県都留市法能宮原地区 2011年1月13日 道祖神祭りの梵天竿(ぼんてんざお)の飾り付け 地区の道祖神場 地域住民や都留文科大学生  今年1年の無病息災や子孫繁栄などを願う小正月の伝統行事で、地域では「宮原の梵天」として親しまれている。この日は祭りの保存に取り組む宮原祭り同好会のメンバーや三吉保育園の園児、都留文科大生ら約40人が参加。高さ8.5mの木柱に、柳と呼ばれる12本の竹飾りや7色の幣束などを飾り付け、立ち上げた。 年長組の園児は「色紙で作った飾りが風で揺れてきれい」と、うれしそうに見上げていた。 今年1年の無病息災や子孫繁栄などを願う
山梨県都留市十日市場 2008年1月14日 道祖神祭「梵天竿とヒイチ」 地域の道祖神場 地域住民  自治会の人々は1月13日、「ヒイチ」と呼ばれる布製の三角形の袋やバケツ、ロープなどでスギの木を飾った「梵天竿(ぼんてんざお)」を立て、厄よけなどを願った。梵天竿は、14日のどんど焼きが終わった後に倒され、ヒイチや飾りつけをはずして、17日以降に各家庭に配られる。玄関などで1年間飾られて、翌年のどんど焼きで焚き上げる。
 2017年には地域の婦人有志でつくる「ポプラの会」が前年の暮れに作っておいた「ひいち」約130個を、1月8日、住民らが梵天竿に飾り付けた。長さ10mのヒノキの木2本に「ひいち」などをくくりつけた後、住民ら約20人で道祖神近くの2箇所に立てた。15日まで飾る。
厄よけ、五穀豊穣、天下太平
山梨県都留市田野倉 2014年1月14日夜 どんど焼き梵天竿(ぼんてんざお) 地区の道祖神場 地域住民  14日夜、どんど焼きの炎を火事と見間違えた住民が119番し、消防車が出動する騒ぎがあった。田野倉地区では昨年のどんど焼きでも同様の誤報があった。
 都留市消防本部によると、同日午後7時ごろ、地区住民から「火事ではないか」と通報が入り、消防車や救急車など緊急車両が次々と出動。「現場」を調べたところ、どんど焼きの真っ最中で、ほかに火の気や通報がなかったことなどから誤報と判断した。同本部の担当者は「移住者など地域の行事を知らない人が、どんど焼きの炎を見間違えるケースが考えられる」と説明。同地区内での誤報は2年連続という。緊急車両の到着で「現場」は一時騒然となった。
 
山梨県都留市鹿留地区 2014年1月14日 どんど焼き梵天竿(ぼんてんざお) 地区の道祖神場 地域住民 鹿留の梵天竿は高さ約10mあり、14日のどんど焼き後、17日まで立てておく。倒した後は、さおに飾られていた布でできた三角の縁起物である「ひいち」を地区の各戸に配る。 豊作祈願と厄除け
山梨県大月市賑岡町強瀬 2011年1月15日 小正月飾りの「門道神」や「俵神」の飾り付け 同地区の奈良さん宅    奈良さん宅では、上野原市西原地区などに伝わる小正月飾りの「門道神」や「俵神」を制作して、玄関に飾り付けている。
 西原地区出身の奈良さんが毎年手作りしている「門道神」は、高さ約50センチのヌルデの木に墨で顔を描き、玄関の両脇に男女1対で飾るもの。竹で作ったくわや鎌が差し込まれ、細い枝を使って模したヒエやアワの稲穂を首からさげている。
 このほか、太さ5センチほどのヌルデの幹を積み上げた「俵神」も作った。
奈良さんによると、もともと豊作を願い、毎年1月11日のくわ入れに合わせ各家庭で作り厄よけの意味もあった。同地区では昭和40年ごろまでは残っていた伝統だが、現在ではほとんど見られなくなったという。
豊作祈願と厄除け
山梨県大月市猿橋町藤崎 2019年1月13日 どんど焼き 久保地区の広場 住民約60人 同地区の「どんど焼き」は、正月飾りを燃やして無病息災を願う伝統行事。住民が門松やしめ縄などを1か所に集めて燃やした。参加者は梅の枝先に刺した米粉の団子をどんど焼きの火であぶって食べた。自治会長は「子どもの頃は神楽やみこしが出た後に燃やしたので、夜までどんど焼きが続いた。今は人口が減って規模も小さくなったが、地域の伝統行事を大切に残したい」と話していた。 無病息災
山梨県上野原市鶴島駒門地区 1月14日
2013年は1月12日、14年は1月11日
俵転がし 地区内の各家庭 地区の大人と子供  「俵転がし」は江戸時代から続くとされる伝統行事。駒門地区育成会の小中学生が地区内の各戸を回り、「千俵(せんたーら)万俵(まんたーら)七福神が舞い込んだ」と歌いながら、地区の家々約100軒(2014年は約60軒)を回り、紅白のひもが付いた俵を玄関から家の中に向けて転がした。家に福を呼び込むためという。同地区の農業上條通さん(88)は「ずっと続いている行事に子どもたちが参加してくれるのはうれしい。病気やけががなく、いい1年を過ごせそう」と話した。 無病息災、商売繁盛
山梨県南都留郡道志村 2009年1月12日 第2回道志どんど焼き(団子さし) 道志体験農園広場 地域住民  道志村の郷土史を語る会が道志村の伝統行事である「どんど焼き・だんごさし」を復活させ、後世に伝承しようと実施した。
 広場には、村内及び観光客等およそ200人が集まり、だんごさしのいわれ等の説明の後、用意したヤマッカ(やまぼうし)の木の枝に紅白のだんごを3組に分かれて刺した。きれいにさしあがると、みんなで五穀豊穣・家内安全を祈願した。
 どんど焼きに移り、高く積み上げられたしめ飾りの山に点火、すこし火勢が落ち着いた頃、カツンボ(ヌルデ)の三又にさした「だんご」を焼いた。
 黒く焼きあがっただんごを食べると虫歯にならない丈夫な歯を作ると伝えられている。
 昔は、団子刺しはヤマボウシの小枝の先に紅白の団子をつけ、正月のお飾りとし、また、焼けた小石を奪い合って遊んだという。
(道志村の郷土史を語る会)
五穀豊穣・家内安全
山梨県北都留郡丹波山村 2013年1月7日 お松引き 村内各所 地域住民  正月を締めくくる伝統行事。各家庭から集めた松飾りを木製のそり「修羅(しゅら)」に積み上げて村内を進み、新年の無病息災、五穀豊穣を祈願する。江戸時代から300年以上続いている。
 平成25(2013)年1月7日は、新年の「えと」にちなんだ蛇をあしらった。修羅は高さ約5メートル、重さ約2トン。参加した村民や観光客約500人が「えいさ、おいさ」と声を合わせ、出発地から道祖神まで、約700メートルにわたって綱を引いた。
 25年の村人口は約640人。高齢化率により、祭り存続も一時危ぶまれたが、若手や観光客の参加でここ数年は人口に匹敵する人出で、行事の賑わいを取り戻した。
 平成27年のお松引きは1月7日、村内4カ所で行われ、このうち重さ2トンにもなる修羅が作られた宿地区では、住民や観光客が協力しながら大きな掛け声とともにそりを引いた。道祖神に集められた門松は14日の小正月行事、どんど焼きで焚き上げられる。
 平成29年には、1月7日にお松曳きを行い、えとの酉(とり)を飾った修羅は国道411号沿いの熊野神社を出発し、「やるというたら、やるわいな」の木やり歌にあわせ、住民や観光客が「よーい、よい」の掛け声とともに約400mを引き歩いた。国道沿いでは観光協会がお松引きの費用確保のため「ワンコイン寄付」を募った。寄付金500円を出した人に特製ナップザックが贈られた。
新年の無病息災、家内安全、五穀豊穣

【関東】
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
群馬
群馬県みどり市   市の重要無形民俗文化財「小夜戸(さやど)小正月飾り」 東町小夜戸区の集会場 地域住民、小正月飾りの会  小正月飾りは、小正月の恒例行事。養蚕が盛んだった頃の伝統行事を後世に継承しようと、小夜戸小正月飾り保存会が毎年開催。会場には、ヌルデの木で作った打ち出の小づちや大刀、小刀、粥掻(かゆかき)棒のほか、1本の木に12段の削り花を付けた十二神将(じんしょう)などを飾り付けた。
 繭玉飾りでは、早朝から集まった地区の女性が米粉をこね、ピンクや黄色などにした繭玉や小判型に成型し、トネリコの木の枝に差した。また、1年の無事を祈った小豆がゆも振る舞われ、集まった住民がおいしそうに食べていた。
 参加した子供たちは「小づちを振ってお金持ちになるよう願った」と笑顔。
五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を願う
群馬県高崎市石原町 2017年1月7,8日の夜 道祖神まつり 小祝(おぼり)神社や町内各所 地元の子どもたち  7日夜、小祝神社に4台の山車が集結し、神社を出発点に、山車に乗った地元の子どもたちが太鼓や笛のおはやしを披露した。町内をにぎやかに巡行した。冬の夜に行う山車まつりは全国的に珍しく、夏に開かれる高崎山車まつりのルーツとされる。
2019年は1月12日夜に行われ、4台の山車がにぎやかに巡行し、町内をにぎわせた。
 
群馬県高崎市棟高町 2013年1月14日 道祖神「おたきあげ」と世代間交流 観音寺東区区民センター 子ども育成会、長寿会、区役員と地域住民  観音寺東区は宅地開発に伴う人口増で観音寺区から独立した。住民が交流する機会を設けようと、子ども育成会、長寿会、区役員のメンバーが1998年から毎年「おたきあげ」を開催している。
周囲を住宅地に囲まれているため、道祖神小屋でなく、特設のおたきあげ所を設けた。
 2013年は降りしきる雪のなか、住民が各家庭から持ち寄った正月飾りを炎の中にくべたほか、商品券や日帰り温泉入浴券が当たるくじ引きを楽しんだ。
住民相互、世代間の交流
群馬県前橋市 2013年1月13日 小正月まんぞく教室繭玉飾り 県青少年会館 県内の親子27人  参加者は米粉の入った容器に熱湯を入れ、「熱い熱い」と言いながら、いろいろな形の団子を作った。白とピンク色の団子を蒸した後、ヤマボウシの枝先に刺して完成させた。60年以上繭玉飾りを作っている養蚕農家の女性(84)らが、繭玉飾りの手順やこつを指導した。 親子や参加者同士の交流を深める
群馬県前橋市 2019年1月15日 筒粥置炭(つつがゆおきずみ)の神事 総社神社 宮司や住民 筒粥置炭の神事は小正月の伝統行事。今年の農作物の作況や天候を占った。筒粥は、米粉のかゆを煮込んだ鍋にヨシの束を二つ入れ、かゆの染み込んだ量で、春と秋の農作物の出来、不出来を占う。置炭は、火に入れた炭が冷める際の色の変化によって毎月の雨量など天候を占う。 今年の農作物の作況や天候を占う
群馬県桐生市 2013年1月15日~19日 手作りの繭玉飾り展示 菱公民館 菱町風習地唄保存会  地区の恒例行事で、ことしは会員18人が参加し、米粉13キロと湯を練り上げて、繭の形に整えた繭玉だんごを、ふかし上げた。できた繭玉を高さ3メートルほどのヤマボウシの木に飾り付ける。
 
群馬県富岡市富岡

 
2017年1月7日(2021年は1月9日~17日)

 
繭玉飾り

 
富岡製糸場東置繭所  職員や観光客  「繭玉飾り」は地域の養蚕農家が繭に見立てただんごを木に飾り、繭の豊作を願う小正月の伝統行事。世界文化遺産の富岡製糸場では、観光客も加わり、東置繭所にヤマボウシの木を3色の団子で華やかに飾り付けられた。2017年には飾りは1月7日~15日まで同所に置かれた。
 2021年は1月9日に行われ、参加者は、高さ3メートルほどのヤマボウシの枝に、繭玉に見立てた赤や白、緑のだんご、およそ350個を刺して飾りつけた。飾りつけを行った「甘楽富岡蚕桑研究会」の会長は「新型コロナウイルスの収束と繭の豊作を願って、飾りつけを行いました。日常が早く戻って、多くの人が製糸場を訪れるようになってほしい」と話した。(この項:NHK首都圏ニュースweb版など)
繭の豊作を願う

 
群馬県安中市

 
1月12日

 
「道祖神どんどん焼き」と「鳥追い」

 
市内50カ所

 
地域住民が参加する。子どもたちに伝統行事の体験をさせようと各地区の子ども育成会などが開く。  市内では道祖神の祭礼としてどんどん焼きを行う。子どもたちに伝統行事の体験をさせようと各地区の子ども育成会などが開く。竹、杉の葉、わらなどを使い建てられた「道祖神小屋」とともに正月飾りや古いだるま、お札などを燃やす。早朝から、米の粉で作った繭玉飾りや松飾り、古いお札などを持った家族連れなどが集合。無病息災、厄よけなどを願って道祖神小屋を燃やす。
 参加者は残り火で繭玉だんごを焼いて食べる。育成会の父母らが甘酒やけんちん汁を作ってふるまう。
 2014年1月11日夜には、安中市原市地区で、隔年で開かれる小正月行事「鳥追い祭り」が行われ、華やかに装飾された四町の山車が各町内を練り歩いた。祭りは、県重要文化財の旧組合製糸「碓氷社」敷地内にある蚕の神様「絹笠神社」にも由来する。かつて盛んだった養蚕にちなみ、養蚕具や色紙で作った花を山車に飾り付けるのが特徴だった。いまはダルマなどの縁起物や日用品を飾っている。
 12日午前は、子どもたちのおはやしとともに山車が各町内を巡回。午後は上町、末広町、中町、下町の合同巡行があり、午後3時から碓氷病院駐車場でそろい打ちが行われた。
 2017年のどんどん焼きは1月14日、15日にかけて、市内62地区の小学校校庭などで、子ども会や自治会などが実施した。   
無病息災、厄よけなどを祈願する。

 
群馬県太田市 2017年1月14日 どんど焼き 生品小学校南側の田んぼ 地域の親子連れなど500人  生品保育園が「昔ながらの民俗行事を伝えよう」と2002年から始め、近隣住民も参加して、一年の無病息災を願う冬の恒例行事となっている。会場には、門松やだるまなどを積みあげて二つの「親子塚」が作られ、勇壮な太鼓を合図に火が放たれた。 一年の無病息災を願う
群馬県利根郡川場村門前地区 2018年2月11日 「春駒まつり」 地区内の100戸 住民  「春駒まつり」は、かつて盛んだった養蚕の繁栄、家内安全と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願する伝統行事。地区の吉祥寺境内にある養蚕の守護神・金甲稲荷神社の祭日にちなむ。明治時代は旅芸人親子により行われていたというが、今は地元の門前春駒保存会が引き継いでいる。
 2018年の行事では、父、母、娘2人の旅芸人一家に扮した8人の男性が4人1組の二手に分かれて、歌と踊りで地区内の100戸余りを回った。女性役はおしろいなどのお化粧をしたり、日本髪のかつらをかぶったりした。
一年の養蚕の繁栄、家内安全と五穀豊穣を願う
群馬県吾妻郡東吾妻町 2013年1月13日 伝統行事「古谷福の神」 地区の各家庭 古谷福の神保存会と住民  「古谷福の神」は江戸時代末期から続くとされる。養蚕や麻の不作に加えて疫病が流行し、困窮した住民が始めたとされる。2頭の獅子を先頭に、大人と子ども約20人が各戸を回って悪魔払いをした。
 かつては子どもの行事だったが、少子化で存続が難しくなったため、2002年に古谷福の神保存会が発足。地区全体で伝統を守っている。
 全32戸のうち不幸のあった家などを除く23戸を巡回。保存会の関芳男会長の合図で「あくまっぱれー(悪魔払い)」と叫んだ後、太鼓に合わせて「福の神はらいこめ、貧乏神はらい出せ」などと威勢良く声をそろえた。
 厄年の人や、結婚・出産などの祝い事があった家ではミカンや菓子が投げられた。
福の神が来ると病気にならない
群馬県吾妻町小泉地区
 
1月14日早朝(6時半) どんど焼き
 
日の出地区
 
約40戸の集落の住民
 
まゆ玉団子を焼く。厄年を迎えた人は、そこでミカンを配り厄落としをする。
 
厄落とし

 
群馬県吾妻郡長野原町川原湯  毎年1月20日の早朝5時~ 「湯かけ祭り」
 
川原湯温泉 王湯共同湯前
 
地域住民
 
 川原湯温泉は源頼朝が温泉を発見したとつたえられる。湯かけ祭りは、ふんどし姿で裸の若者たちが互いに温泉の湯を掛け合い、湯の神に温泉の恵みを感謝する祭り。紅白に分かれて湯を掛け合う。
 地元の伝承によると、温泉の発見から約400年が過ぎた頃、温泉が出なくなってしまった。困った村人たちは温泉がニワトリの卵をゆでたような匂いがしていたので、ニワトリを川原湯諏訪神社に奉納してお祈りしたところ、お湯が再び出てきた。温泉の復活をみんなで祝う事となり、「お湯わいた、お湯わいた」と言って喜んでいるうちに「お祝いだ、お祝いだ」と言って、みんなでお湯をかけあうようになったのが「湯かけ祭り」のはじまりという。(川原湯温泉公式サイト、omatsurijapan.comなど)
温泉の恵みを感謝する

 
群馬県中之条町入山
 
2019年1月15日 「おんべーや」
 
引沼地区の畑
 
地区の住民
 
「おんべーや」は引沼地区に伝わる小正月の伝統行事。「おんべ」と呼ばれる大小二つのやぐらを燃やし、火の粉が夜空に舞い上がると、七福神役の住民が福俵を投げて盛り上げた。行事はどんど焼きの一種で、無病息災や家内安全、五穀豊穣の御利益があるとされる。  無病息災、家内安全、五穀豊穣を祈る

 
栃木
栃木県那須塩原市 2014年1月14日 どんど焼き   地域住民 東京電力福島第1原発事故の発生以来、県内の8市町のうち、同市だけが放射性物質の拡散を防ぐため、各自治会に「どんど焼き」の自粛を要請してきた。しかし、2014年には放射性物質による空間放射線量率が低下してきたことから、市民の要望を受けて(1)地域住民の十分な理解を得る(2)材料はことしの稲わらなどを使う(3)灰は市クリーンセンターに持ち込み処理する(4)実施前後で空間放射線量率を測定し、周囲に影響がないことを確認する-の4項目を条件に3年ぶりにどんど焼きの再開を認めた。
14日は、黒磯地区9カ所、西那須野地区2カ所、塩原地区5カ所の計16カ所で「どんど焼き」を実施した。那須塩原のどんど焼きは、竹とわらなどで、通称「トリゴヤ(トリノス)」と呼ばれるやぐらを高さ10m以上に組み立てる。
西那須野地区の太夫塚では、竹などで組んだやぐらに、古いお札やしめ飾り、だるまなどを入れて点火。炎が舞い上がると、集まった住民らは無病息災を願った。
 太夫塚どんど焼き保存会の会長は「子供たちに地域の伝統行事を受け継いでもらうためにも再開できて本当に良かった」と話していた。
東日本大震災から復興と1年間の無病息災
栃木県高萩市秋山山手地区 2014年1月12日 どんど焼き 地区の田んぼ 地域住民  伝統文化を次世代に継承しようと、地域の有志が鳥追い祭り実行委員会が組織され、初めて企画した。
 竹やカヤで高さ約6mの円すい形の小屋を作製。中は6畳ほどの広さで、さい銭箱を置き野菜や果物などを供えた。夕暮れ近くになって、中学1年と小学6年生の2人が点火役を務め、小屋に点火。参加者たちは健康と豊作を祈った。
 実行委員会の委員長は「日本の文化だから若い人たちに継承してもらえれば」と話した。
1年間の無病息災
栃木県宇都宮市 2013年1月15日 春渡祭 馬場通り1丁目の二荒山神社 地域住民 「春渡祭」は、12月15日の「冬渡祭」と対をなし、平安時代末期から続く伝統行事。正月飾りやだるまなどを焚き上げ、その煙に当たると1年間無病息災であるといわれている。
 2013年は、残雪の影響で出足は例年に比べてやや鈍かったが、午前11時ごろには境内東側の焚き上げ所に、長い列ができた。
 参拝者たちは、正月の縁起物などを係員に手渡した後、火の周りを歩き、健康を祈願した。
1年間の無病息災
栃木県宇都宮市 2010年1月15日 どんど焼きと繭玉団子つくり 雀宮東小 全校児童  同校では総合的学習の一環としてどんど焼きを行っている。15日昼に体育館で繭玉作り、夜校庭でどんど焼きを行った。
 児童たちは保護者らと協力して、自らが学校農園で収穫したもち米240キロを使ってもちをついた。保護者がつきたてのもちを赤や青に着色して小さく丸めると、色鮮やかなもちをミズキの枝先に一つずつ刺していった。
 どんど焼きと繭玉作りは同校PTA主催で、児童の健全育成と無病息災を願い1975年から続く恒例行事。どんど焼きのやぐらの高さは約13メートルで、PTAが近くの神社のヒノキのご神木を軸に、竹を立て掛けて作った。
児童の健全育成と無病息災
栃木県日光市朝日町 2008年1月14日 最後のどんど焼き 東武下今市駅の北側会場 朝日町自治会育成会地域住民  三十年間続けてきた場所で、最後のどんど焼きを行った。今市中心部の自治会は宅地化が進み、代替地が見つからないため中止となった。
 市消防本部によると旧今市市内では12-14日の三日間で、54カ所のどんど焼き開催の届け出があった。
 
栃木県鹿沼市板荷(いたが)地域 2018年3月3日 市の無形民俗文化財「板荷のアンバ様」 日枝(ひえ)神社 地域の住民  「板荷のアンバ様」は地域に春を告げる伝統行事。安政年間から約150年間続く。大天狗(てんぐ)や小天狗に扮(ふん)した住民が各家を回り、矛をかざして悪魔払いをして家内安全を祈願した。
 江戸時代に疫病がはやり、現在の茨城県稲敷市阿波(あば)にある大杉神社の祭神の分霊を祭ったことが行事の始まりという。阿波が「アンバ」の語源と言われ、アンバ様は地域内にある日枝(ひえ)神社となった。
 日枝神社で神事を行った後、神輿(みこし)や大天狗、小天狗、獅子ら悪魔払いの一行は、お囃子(はやし)に合わせて地域内を練り歩いた。各家では天狗が座敷に駆け上がり、「アンバ大杉大明神、悪魔払ってヨイのヨイのヨイ」と呪文を唱え矛を振るった。払われた悪魔は屋外で待ち受ける獅子が飲み込んだ。
悪魔払いをして家内安全を祈願
栃木県鹿沼市樅山町 2013年1月13日 市指定無形民俗文化財の「日の出祭り」 樅山町の生子神社 氏子と子どもたち  氏子と子どもたちが神事の「献饌祭」や「弓取り式」を行い、魔よけや豊作を祈願した。
献饌祭は、1580(天正8)年、天然痘で愛児を亡くした氏子が42種の供え物を神前に供えて蘇生を願ったという故事に始まると伝えられている。
弓取り式は、破魔弓の神事にならい、大蛇の目に見立てた金銀の紙を貼った的に向けて、7歳の男子3人が矢を放ち、5歳の男子2人が矢を引き抜いた。
魔よけや豊作を祈願
栃木県足利市 2013年1月14日 神事「御筒粥」(市指定民俗文化財) 福富町の御厨神社 氏子  御筒粥は、江戸時代から300年以上続くとされる。氏子たちが大釜に、神前に供えた米、小豆を一升ずつと、農作物に見立てたヨシの筒31本を入れ、住民が持ち寄った正月飾りを燃やして炊く。筒の中に入った米と小豆の分量で収穫を占う。
 約1時間半後に粥が炊き上がると、占いの結果、米は「豊作」、トマトやキュウリなどの野菜は「例年並み」、タマネギなどの根菜類は「あまり良くない」などと出た。 
 
栃木県大田原市黒羽向町 2019年1月14日夕 黒羽どんと祭 那珂川河川公園 黒羽商工会青年部と住民 黒羽どんと祭は、黒羽商工会青年部が実施する正月飾りやだるまなどを集めてたき上げる小正月行事。会場の河川敷に木材と竹で組み上げた高さ7mのやぐらを設置。市長らが参列した神事の後、太鼓を合図に黒羽中弓道部の生徒7人が火の付いた矢を「扇の的」に放ち、やぐらに点火した。弓の名手・那須与一(なすのよいち)にちなんだ伝統行事。
どんと祭に参加した住民は、ミズキの枝に刺した「とんぼだんご」をどんとの火であぶって、一年健康に過ごせるようにと祈って食べた。黒羽のとんぼだんごは、『火事よけの御守り』とも言われ、玄関などに飾る縁起物とされている。
一年の健康と火事よけ
 
栃木県那須郡那須町 1月14日 とんぼ団子 地域の各民家 地域住民 とんぼ団子は、伝統の小正月行事で、魔よけや家族の無病息災を祈って神棚、座敷、玄関に飾り付けられる。米粉を熱湯でこねて白、ピンクに染めて、丸や楕円形に作り、蒸して作る。あかんじのき(ミズキ)の枝に刺して飾る。
とんぼ団子は14日夜、どんど焼きの火で焼いて食べる。
無病息災や厄よけ
 
茨城
茨城県水戸市 2013年1月14日 はねつき・破魔弓神事 水戸市八幡町の水戸八幡宮 新成人の代表、神社の関係者、水戸市弓道連盟有志  稲の豊凶を占う羽根突きや古式礼射などを行う。
 神事は、宮司が邪気払いの矢を放った後、新成人代表と水戸の梅大使によって、日立市在住で洋画家、菊池元男さんが揮毫した大羽子板が奉納された。
 女性神職や巫女(みこ)による年占羽根突きで今年の稲の豊凶が占われ、「全体的に見てやや良」との結果が出た。
 弓道連盟有志による古式礼射が行われた。
今年1年の除災招福を祈願
茨城県東茨城郡城里町孫根 2014年1月15日 「ワーホイ」 町立桂小 全校児童約150人  「ワーホイ」は、小正月を祝う伝統行事で、竹とわらで作ったやぐらとともに正月飾りを燃やし、無病息災などを祈る火祭り。門松、しめ縄、書き初めなど正月の飾り物をやぐらに掛けて燃やし、1年間の健康や学力向上を願う。旧岩船小で長く行われ、2011年に圷、岩船、北方3小の統合で誕生した桂小が引き継いだ。
この日は、同町の高齢者団体「錫高野(すずこうや)いきいきクラブ」の協力で、校庭に高さ約6mのやぐらを設置。やぐらの周りで各学年ごとに「ワーホイ、ワーホイ」と掛け声を上げた後、点火前に各学年の代表者が新年の目標を力強く宣言した。
 児童は勢いよく舞い上がる炎にそれぞれ願いを込め、最後はやぐらの残り火で、竹竿の先に付けた餅を焼いて味わった。
1年間の健康や学力向上を願う
茨城県日立市相賀町 2013年1月16日 浜の炊きあげ祭 会瀬海水浴場 地域住民  「浜の炊きあげ祭」は、会瀬学区コミュニティ推進会(柴田和彦会長)が主催し、地域住民が新年を祝う行事。
 会瀬小(川崎恭子校長)の児童を中心に発足したばかりの「会瀬浜太鼓同好会」の太鼓演奏が響く中、参加者は積み上げた門松やしめ飾りなどを燃やして無病息災を願った。
無病息災
茨城県取手市 2013年1月12日 どんど焼き 利根川河川敷 住民  竹で組み上げられた高さ約十五メートルのやぐらに、各家庭から集めた門松などの正月飾りや縁起物を積み上げて燃やす。
 火勢がおさまると、シノダケの先に刺した紅白の餅を焼いて食べた。
無病息災。残り火で焼いた餅を食べると、その年は風邪をひかない
茨城県取手市ほか県南地域 平成21年1月14日 あわの酉(とり)、ならせモチ 取手市 市内の各戸  毎年1月14日にモチをついて、ツバキの木の枝に刺していき、完成した枝を家の大黒柱に縛り付けて19日まで飾っておく。同日の夜には、近くの水田で正月の飾り物などを燃やす「あわの酉(とり)」という行事が行われた。
ここで「ならせモチ」用についたモチを焼いて食べると一年間病気にならないと言い伝える。
無病息災
茨城県取手市下高井 2019年1月14日 「あわんとり」 永山地区ちびっこ広場 地域の住民 「あわんとり」(どんど焼き)は無病息災を願う伝統行事。住民が竹を組み上げて高さ約10mのやぐらを構築。正面を5段に仕切り、近隣の住民らが持ち寄った旧年のだるまや正月のお飾りなどを奇麗に並べた。
 午後6時過ぎ、やぐらに点火し、取り囲んだ住民らが篠竹に刺した餅を火で焼いて食べ、健康を祈った。地元の永山区町内会が主催。永山青年会が竹を切り出し、やぐらを組むなど作業に当たった。
 2021年は1月14日夜、あわんとりを行った。今年は新型コロナウイルスの感染防止のため、無観客で実施され、その模様は動画投稿サイト「ユーチューブ」でライブ配信され、地域住民ほか世界で視聴できるようにした。地元の青年会が「40年以上続いてきた行事。途絶えさせたくない」と無観客での開催を決定。やぐら作りも手を抜かず、約10人で2日かけて製作。竹で10メートルの高さに組み上げた。(この項:毎日新聞https://mainichi.jp/などによる) 
一年の健康を祈る
茨城県取手市 2023年1月14日午後4時から午後7時 とりで利根川どんどまつり 取手緑地運動公園(利根川河川敷) 地域の住民  利根川河川敷では午前中に凧あげ大会が開催され、夕方から取手市の貝塚、上高井、米ノ井、永山地区合同で、どんど焼きが行わる。この地域ではどんど焼きの事を「あわんとり」とも呼んでいる。粟・稗などの穀物を荒らす鳥や虫の害を除き、五穀豊穣を願ったものが語源と言われているという。
どんど焼きのやぐらは、青竹と荒縄で作られ、昔は子供たちの役割として竹の切り出しから行っていたという。やぐらの高さは10mほどあり、各家庭で使われた正月の松飾り・しめなわ・書き初めなどが積み上げられる。観光協会のテントで紅白の福もちが販売され、併せて貸し出される5~6mの篠竹(シノダケ)の先端に餅を刺して焼くのが、この祭りの名物。どんどの火で焼いた餅を食べると無病息災で一年間、健康で過ごせる言い伝えがある。2023年は福もちの販売と餅焼きは中止された。(出典:取手市観光協会HPなど)  
一年間、健康で過ごせる
茨城県ひたちなか市 平成19年1月7日~14日 ワーホイ、鳥追い、三木長 市内の各地 地域住民  「ワーホイ」は,昭和30年代まで正月14日の晩に友だちの家に集まった子どもたちが,餅や雑煮,みそコンニャクを食べながら夜明かしをする行事。明け方になると家の門口で,正月飾り,書初めなどをナスがら,菊がらとともに燃やして「ワーホイ」と唱えたものと言われている。
 また、田畑では、竹で組みワラで囲んだ鳥追い小屋(三木長)の中で一晩を過ごし、明け方に燃やしたことから『鳥追い』と呼ばれている。
 また「繭玉餅」は「木綿玉」とも呼ばれる。養蚕や綿花を作る地方によって呼び名が異なる。楢の木の枝に刺して飾る。
 これらの行事は現在、お年寄りによる伝統行事の伝承活動や三代交流活動として復活し、自治会などを中心に行われている。

 

五穀豊穣、無病息災
茨城県龍ケ崎市 2013年1月14日 小正月の行事「ならせ餅」 川原代コミュニティセンター 市立川原代小学校区の住民組織「川原代コミュニティ活動推進協議会と住民  ならせ餅は、昭和中期まで各家庭で行われていた行事。最近は飾る家庭が激減したことからが、二〇〇八年に市立川原代小学校区の住民組織「川原代コミュニティ活動推進協議会」が学校区の行事として復活させた。 
 子供たちが、地区と学校に飾る高さ約五メートルのツバキの木二本に紅白の餅を飾り付け、「餅の花」を完成させた。用意された直径約六センチの紅白の餅は千個。枝に一個一個刺した。
五穀豊穣や無病息災を願う
茨城県土浦市 2013年1月12日 どんど焼き 土浦市佐野子の桜川河川敷 市民約600人  地元では、どんど焼きは「火にあたると風邪をひかない」という言い伝えを持つ新年行事。
 土浦市では高度経済成長の時代と前後して、どんど焼きが次第に行われなくなった。地域の伝統文化継承のため、市郷土資料館が1980年ごろ、どんど焼きを復活した。現在、市立博物館が毎年1月に実施している。
 市民らは、杉の葉を積み上げた竹製の円すい状のやぐらに、持ち寄ったしめ縄や門松などの正月飾り、だるまを集めて点火。炎の勢いが小さくなると、子どもたちがだるまを次々と投げ込んだ。さらに参加者が竹ざおの先に餅を付け、残り火で焼いて食べた。
 市立博物館主催のどんど焼きは、2018年に廃止された。その理由について、同館はホームページで「近年は、正月飾りにプラスチックなど屋外では燃やせない素材が多く使われるようになっております。すべてを分別して「どんど焼き」で燃やすことが困難になってきたため、実施しないことになりました。」と説明している。  
1年間の無病息災
茨城県守谷市 2015年1月17,18日 あわんとり 大井沢地区、西板戸井地区 地区住民  「あわんとり」は、地区自治会の住民交流行事として行われ、地域交流、世代間交流を円滑にしてくれていた地域行事の重要性を再認識し、もう一度復活させることが目的としている。
西板戸井地区では17日、広場に竹、木、わらなどで高く円錐形に作ったご神木やぐらを囲んで行事が行われ、市長、議会代表、衆院議員などが来賓として祝辞を述べるなど、自治会の公式行事としての性格をうかがわせた。この日は強風のため、ご神木の点火を見送り、参加した住民はじゃんけん大会や豚汁ふるまいを楽しんで解散。その後も強風が続いたため、24日に消防団が燃やした。
大井沢地区では18日昼に広場に竹、木、わらなどで円錐形に作ったご神木やぐらを囲み、市長、議会代表による祝辞のあと、市長がやぐらに点火した。やぐら倒壊までの時間予想クイズが行われ、当てた人に賞品が贈られた。火がおさまると住民らは竹竿の先に丸餅をさして、お餅焼きを楽しみ、日暮れととともに散会した。
1年間の無病息災
茨城県つくば市小田 2024年1月20日午前10時~ 午後4時半 どんど焼き 国指定史跡・小田城跡歴史ひろば 七色武士、地域住民  小田のどんど焼きは国指定史跡で行われる伝統行事。つくば市小田の有志団体である二十日会が長い間続けてきたが、メンバーの高齢化により継続が難しくなり、若い世代で構成し、つくば市で地方創生を目指す七色武士(なないろぶし)が引き継いだ。若いメンバーが主力となり、地域の協力のほか筑波大学や筑波高校のボランティアの協力も得て運営し、つくばの正月を代表する冬の風物詩へと発展しているという。
 どんど焼きの火入れの後には無病息災・五穀豊穣・家内安全・商売繁盛を祈り、餅を焼いて食べる。キッチンカーや飲食ブースも同会場に展開され、冬を楽しめる食べ物が集結する。
 当日は、ステージ、甲冑着付け体験、警察車両展示など「小田城冬の陣」も同時開催され、地域づくりのイベントとして企画されている。また、新型コロナウイルス対策として、正月飾り、お焚き上げしたいぬいぐるみ、手紙、掛け軸、だるま、お守り思い出の品の事前回収、出張回収、郵送受付サービス(有料)を行っている。(出典:小田のどんど焼き2024公式サイト)
無病息災・五穀豊穣・家内安全・商売繁盛を祈る
茨城県つくばみらい市

 
令和2年1月13日

 
あわんとり
 
小貝川河川敷
 
住民
 
  「あわんとり」とは「どんと焼き」のことで、つくばみらい市のほか、茨城県南地域での呼称。つくばみらい市ではNPO法人 古瀬の自然と文化を守る会が主催する「あわんとり」が毎年行われている。 由来は「あわ」と「とり」。大事な五穀の一つである「粟」をついばむ「鳥」を追い払い、一年の息災を祈念するものと言われている。(この項:つくばみらい市観光協会ホームページ)   粟をついばむ鳥を追い払い、一年の息災を祈る 
茨城県土浦市卸町

 
1月14日

 
ナラセモチ
 
土浦公設地方卸売市場
 
市場の出荷組合員
 
 高さ6メートル、太さ20センチのナラの木の枝に700個の紅白のもちを刺して飾る。各農家で続けられていた伝統行事だが、最近は飾る農家が激減しており、消えゆく伝統行事を惜しむ組合員らが卸売市場を会場に始めた。  14日に付けた紅白のもちを19日に外して食べ、五穀豊穣と無病息災を願う。 
茨城県鹿嶋市 毎年1月7日夜 白馬祭(おうめさい) 鹿島神宮 参拝者  白馬祭は、倉時代の初期頃から続く神事で、もともと宮中行事だったものを、鹿島神宮に移したとされている。“年の始めに白馬を見ると年中の邪気を祓う”という言い伝えがあり、毎年多くの参拝客で賑わう。明治の頃には地元の各町内が一頭ずつ持ち寄っていたが、馬が少なくなった現代では、乗馬クラブなどの協力で神事を行っているという。
例年、午後6時から「白馬祭修祓の儀」の神事が始まる。楼門前でお祓いを受けた神馬が、賑やかな笏拍子(しゃくびょうし)や神楽太鼓の音と共に本宮前を廻る。“御神馬が踏んだものを持っていると願いが叶う”とも言われており、参拝者は御神馬の通り道にハンカチやタオルを敷き、踏んでもらえるようにと、馬の足取りを見守る。2023年はコロナ感染防止対策のため馬踏みのしきたりが中止され、神事のみ行われた。(いこーよとりっぷHPなど)
新しい年の邪気を祓う
神奈川
神奈川県横浜市栄区田谷町
 
1月14日



 
どんど焼き


 
道祖神場



 
地元農家の子供たち。最近では参加者が減少している。  門松やしめ縄などの正月飾りを燃やした後、残り火を使って大人や子供たちが木の枝の先に付けた紅白と緑の三色の団子を焼いて食べる。子供たちが書き初めを焼いたり、大人には御神酒が振る舞われる。   
神奈川県横浜市栄区
 
2014年1月9日



 
繭玉飾り


 
本郷ふじやま公園の古民家



 
来園者  繭玉飾りは、その年の養蚕や豊作を願って小正月に各地で行われている行事。繭を模して丸めた餅を枝に付けるのが一般的だ。同園では開園以来、子どもたちの健やかな成長を願って、ウサギなどをかたどった「つるし雛」とともに、布で作った繭玉を飾り付けている。 養蚕や豊作を願う
神奈川県横浜市都筑区見花山

 
平成15年1月12日


 
2003どんど焼き IN MIHANAYAMA かりん公園


 
地域住民



 
 町内から持ちこまれた正月飾りや書初めを勢い良く燃やす。その後もちつきをしてお雑煮、あんころ餅、きなこ餅、からみ餅、甘酒等をふるまい、子供達は独楽回しなどの古来のゲームや射的、紙飛行機などを楽しむ。 町内の幸福と発展を祈願


 
神奈川県横浜市金沢区 平成15年1月11日 どんど焼き 海の公園砂浜 地域住民  「どんど焼き」は横浜金沢の冬の風物詩として市民。正月の門松やしめ縄、お守り、破魔矢、祈願成就した「だるま」などを持ち寄って焚きあげ、この一年の無病息災を願う。海の公園砂浜に高さ6-7mほどの青竹を柱にした「どんど」3基が作られ、“書初めや願い事”を竹に結び付けて燃やす。
 2023年はコロナ禍の影響が明けて1月21日(土)、3年ぶりに海の公園で開催された。火入れは午後1時から行われ、お楽しみ大抽選会、焼き鳥、焼そばなど、地元店の屋台も出店、金沢区木遣囃子連絡協議会の協力により、木遣・お囃子・獅子舞の演舞などが披露された。例年行われていた、小どんどでのお団子焼きの開催は見送られた。
 環境への配慮から正月飾りなどのプラスチック・金具などは取り外し、人形及びぬいぐるみ、神棚、仏壇などは出さないよう呼びかけた。(出典:横浜金沢観光協会WEBなど) 
一年の無病息災を願う 
神奈川県横浜市中区山下町 2015年2月19日~3月5日 「春節(しゅんせつ)祭」 横浜中華街 地域住民と観光客  横浜中華街発展会協同組合は、中国で盛大に祝う旧暦の正月「春節(中国語: 春节・チュンチエ)」を横浜中華街でも中国同様に楽しめるよう1986年より「春節」として開催している。爆竹やシンバル、太鼓、銅鑼(どら)の音、獅子舞や龍舞、皇帝衣装のパレード等中国の伝統文化を紹介する「春節」は横浜の観光を代表する行事となり、冬の風物詩となっている。
◎カウントダウン
「春節」を迎える2月19日の前夜、横浜中華街關帝廟と横浜媽祖廟の両廟でカウントダウンが行われる。
◎採青(ツァイチン)
 中華街全域では2月19日午後3時から同8時まで、「春節」伝統の獅子舞「採青」が爆竹や太鼓の音が鳴り響く中で行われる。白や黄色などに彩色された5頭の獅子が5コースに分かれ、各店舗の商売繁盛や五穀豊穣を祈って獅子舞を披露する。  獅子は銅鑼や太鼓に合わせて踊り、最後に後ろ足で立って伸び上がり、店先につるされた祝儀袋の「紅包(ほんぱお)」をくわえ取ると爆竹が鳴り響く。
◎春節娯楽表演(ごらくひょうえん)
 2月21日(土)、22日(日)、3月1日(日)には「娯楽表演」が中華街内の山下町公園で行われ、獅子舞・舞踊・中国雑技などの中国伝統芸能を披露する。春節の顔となっている勇壮な龍舞や躍動的な獅子舞に加え、中国舞踊、中国雑技など、「春節」ならではの華やか演技が楽しめる。
◎祝舞遊行(しゅくまいゆうこう)
 2月28日(土)午後4時から、春節祝賀のパレード「祝舞遊行」が行われる。華やかな皇帝衣装隊に加え、人気者の獅子舞や龍舞が中華街を練り歩く。
◎元宵節燈籠祭(げんしょうせつとうろうさい)
 3月5日(木)午後5時半から、春節の最後を飾る「元宵節燈籠祭」が横濱媽祖廟で行われる。メッセージ燈籠に書き込まれた人々の願いが天に届くように奉納獅子舞を披露する。元宵節は旧暦小正月にあたる。
 2024年は2月1日から「横浜春節祭」が始まった。横浜中華街のみで行われていたお祭りが、2022年から横浜中華街発展会協同組合と横浜市、関内・関内地区活性化協議会が共催して、横浜・みなとみらい地域全体で開催されるようになり、2024年は32カ所で、巨大なランタンオブジェの設置や春節祈願獅子舞、デジタルスタンプラリー、春節クーポンの配布などが繰り広げられる。
 1日は横浜市役所でオープニングセレモニーが開かれ、伝統の獅子舞が登場して盛り上げた。2月24日まで開かれる。(この項出典、横浜中華街公式サイトなど)
各店舗の商売繁盛や五穀豊穣を祈る
神奈川県川崎市高津区 2023年1月17日 どんど焼き 橘小学校の校庭 小学校児童と千年自治会住民  千年町会のどんど焼きは、橘小学校の校庭が会場。昔は休日に行われていたが、近年は学校と連携して平日の授業中に行われるようになった。約3000世帯が加入する自治会の千年町会と小学校が連携して、地域の住民のつながりを育み、伝統や文化、継承する行事となっている。
 会場には、早朝から地元消防団、町会役員等の関係者が集まり、竹の積み上げや放水の準備を行った。開始の時間になると、町会関係者約30人と同校の全校児童が集まり、自治会会長が新年のあいさつ。その後、町会の各家庭から持ち寄られた正月の縁起物の上に各学年の代表児童が書初めを納めて点火した。燃え上がる大きな炎の迫力に、児童らは歓声を上げた。
 千年町会の会長は「千年には、橘樹官衙(指定文化財)などの史跡もあり、町会では、文化や伝統なども継承していくとともに、多くの人に町会に加入してもらい、歴史あるこの地域を盛り上げていきたい」と取材記者に語っていた。(この項:タウンニュース川崎市高津区役所地域振興課)
地域住民のつながりを育み、伝統や文化、継承する 
神奈川県三浦市三崎 毎年1月15日 チャッキラコ(ユネスコ無形文化遺産、国指定重要無形民俗文化財) 海南神社 氏子や地域住民  チャッキラコは、約250年前の江戸中期に始まったとされ、豊作・大漁祈願、豊作・大漁祝いを含めた祝福芸として始まった。小正月の行事として伝承され、大人の女性の唄に合わせて少女達が優雅に舞を披露する。国の重要無形民俗文化財の第1回指定を受け、2009年(平成21年)にはユネスコの無形文化遺産の第1回登録が認定された。
 舞扇と「チャッキラコ」と称する綾竹の両端に五色の短冊と鈴を付けた20cmほどの道具を使い分けて踊る。踊りには「はついせ」「チャッキラコ」「二本踊り」「よささ節」「鎌倉節」「お伊勢参り」の6通りの舞がある。「ちゃっきらこ保存会」(昭和39年結成)により継承され、三浦の伝統文化として子ども達が受け継いでいる。
 当日、午前10時頃本宮の祠前で踊りを奉納、午前10時30分頃海南神社境内の社殿前で踊りを奉納する。午後からは仲崎・花暮両地区の「竜神様」と呼ばれる祠前で踊りを奉納し、旧家や老舗商店等を祝福して回る。2015年には白化粧に紅を引いた年中園児から小学6年の少女約25人が、朱色の着物と橙(だいだい)色の帯の晴れ着姿で踊りを奉納した。  
豊作・大漁祈願、豊作・大漁祝い
神奈川県伊勢原市神戸地区 毎年1月14日 どんど焼きと若者火中投げ入れ行事 鈴川の土手 地域住民  地区青年会は、毎年1月14日に各家庭の正月のお飾りや門松などで家の形をした「御仮屋(おかりや)」を作る。高さは約1・7メートルから2メートル。広さは3・3平方メートルほど。青年会のメンバーは地区内を練り歩いた後、午後8時ごろ、御仮屋を鈴川の土手に運んで燃やし、団子などを焼く。
 火勢が弱まったころ、青年会員が、仲間を担ぎ火の中に投げ入れる。対象者はこの1年に結婚したり子どもが生まれたりと祝い事のあった人のほか、新入会員や36歳になり退会する人など。
 手ぬぐいで頭を守り、燃えにくい洋服を着せる。そろいの法被を着たメンバーが背中や足を抱え、「ソーレ」や「あぶれ」の声とともに、2メートルほどの高さの炎に一気に投げ入れるので、大きな火の粉が飛び散る。毎年多少のやけどはあるが、投げ入れられた人は「熱かったなー」ともらす程度で済んでいる。
 投げられる人はたすきを掛ける。つかんで引き出す人も決めており、すぐ引っ張り出す。嫌だという人には無理強いはしないことになっているという。
どんど焼きの火に当たると丈夫になる。
神奈川県秦野市横野地区 2013年1月12日 伝統行事「子ども獅子舞」 地区の200軒の家庭 地元の小学4年生から中学生まで18人と地域住民  子ども獅子舞は江戸時代から続くとされ、一時途絶えていたものを昭和40年代に子ども会が復活させ、毎年行っている。
 地元の小学4年生から中学生まで18人が参加。鈴や太鼓を鳴らしながら、約200軒を回った。各家に着くと「舞い込め、舞い込め」と大声で唱え、獅子頭をかぶった子が玄関先や室内で、福が舞い込むよう口を動かして清めた。
 体の一部をかんでもらうと風邪をひかないとされる
子どもたちが家々を回り、福を呼び込み、無病息災、家内安全を祈る。
神奈川県秦野市菖蒲地区 2013年1月13日 道祖神行事「あくまっぱらい」 地区の家庭 子供たちと住民  無病息災と家内安全を祈る行事で、約200年続くと伝えられている。市内の数地区で継承されているという。
 菖蒲地区では、地元の小学1年生から中学3年生までの男子12人が参加。最年長の「大将」の指示で道祖神の石を清掃した後、獅子頭やひょっとこのお面をかぶって約200軒近くの家々を巡回した。
 玄関先や居間で「あくまっぱらい、あくまっぱらい」と大きな声で唱え、手作りの札を配った。
 大将を務めた中学3年生はいずれも小学1年生からの参加。「地域のつながりが深まる伝統行事なので今後も続けていってほしい」と話していた。
無病息災と家内安全を祈る
神奈川県秦野市菖蒲の上地区 2015年1月9~14日 道祖神行事「オンベ竹とまゆ玉飾り」 上地区公民館 子供たちと住民  上地区に伝わる昔ながらの小正月の伝統行事「オンベ竹とまゆ玉飾り」が1階ロビーに再現された。「オンベ竹」は高さ約4メートルの竹にだるまなどを飾り付けたもの、「まゆ玉団子飾り」は白や赤、緑などピンポン大の色とりどりの団子約200個がクヌギの枝に刺されたもの。地域のお年寄りたちが、伝統行事を伝えようと子どもたちと一緒に飾り付けをし、展示した。
 初日の9日には、市立上幼稚園園児18人が同館を訪れた。子どもたちは、郷土史研究家から「役目が終わったダルマや正月の松飾りなどで舟形に飾りつけられたものがオンベ竹」などと説明をうけ、その後地域住民らが朝から準備した、ピンクや黄色、黄緑など色とりどりの団子をコナラの枝にさして飾った。
 オンベ竹は、上地区で14日に行われたどんど焼きで中央に置いて焼かれ、無病息災や家内安全などを祈願した。
 上公民館では2017年1月10日から、伝統行事「オンベ竹とセエト焼き団子飾り」という名称でロビーに再現展示した。初日の10日には、幼稚園児8人が来館。88歳(2017年当時)の郷土史研究家が飾りの説明を行った。その後園児たちは、ピンクや黄色、黄緑など色とりどりの団子をコナラの枝に飾り付け、オンベ竹の仕上げをした。
 この行事のために毎年用意されるコナラの枝は、市内の住民(81、2017年当時)が制作している。十数mある木を切り倒し、先端に近い枝を団子飾り用に使い、幹は斧で薪割りのように割っていくという。割り終えたものは束にされ、団子飾りの土台として使用される。飾りは14日の午前中まで展示され、午後から上地区のどんど焼きで焼かれ、無病息災などが祈願される。
無病息災と家内安全を祈る
神奈川県秦野市西大竹地区 2015年1月8日 道祖神行事「石売り」 地区内の各戸 子供たちと住民  「石売り」は子どもたちが道祖神の石やお札を売って歩く小正月の伝統行事。明治時代中頃に始まったとされる。石を買った家では子どもに病気や災いが起きないとされており、毎年どんど焼きが行われる14日を前におおむね8日に行われている。
子どもたちは、年長の「大将」が引率して、地域の道祖神が彫られた石をリヤカーに載せ、家を一軒一軒を「こんにちは。石を売りに来ました」と訪ね歩く。石や手作りのお札を買ってくれた家には、お礼として小豆飯が入った「おひねり」を渡していく。同時にどんど焼きで焼く正月飾りの回収も行う。石は家に供えられた後、どんど焼きが終わるとまた子どもが取りに行き、元の場所に戻す。
 地域住民によると、村人を疫病から守るとされる道祖神の石を一時的に預かることで、その家の無病息災、子孫繁栄がかなえられるという。  2020年には1月8日に行われ、小学生14人が参加。石をリヤカーに載せ、東町(あずまちょう)と開戸町(かいどちょう)の二つの地区を回って「石売りに来ました」と声を掛け、300円から3千円程度で販売した。併せて、しめ飾りやお札も回収した。販売した石は15日に、参加者が元の場所に戻す。(この項神奈川新聞WEBなどによる)
無病息災と家内安全、子孫繁栄
神奈川県秦野市(はだのし) 2020年1月26日 トッケダンゴの紙芝居 落合会館 住民有志  「トッケダンゴ(取り換え団子)」は、1月14日の小正月に行われる「どんど焼き」で行われていた、焼いた団子を交換して食べる秦野市の風習。正月飾りなどを燃やす炎で団子を焼き、隣人と交換して食べると、その1年、無病息災で過ごせるとされた。
 トッケダンゴの風習は現在廃れているため、伝統行事が地元にあったことを、子どもたちに知ってもらいたいと、寺山地区などの市民有志が手作りした。落合会館で完成した紙芝居の読み聞かせが行われた。(この項出典神奈川新聞カナコロ 2020年02月25日、神奈川タウンニュースなど)
その1年、無病息災で過ごせる
神奈川県大和市下鶴間
 
2017年1月14日



 
どんど焼き


 
市立中央林間小学校の校庭



 
住民や子どもたち600人  同校では、児童・卒業生の保護者ら約40人で組織する「おやじ達の会」とPTAが共催し、近隣住民にも呼び掛けてどんど焼きを実施している。今年で11回目。会長は「子どもたちにいろいろな体験をさせたい。地域との交流の場にもなる」と話した。
 長さ6メートルほどの竹6本をやぐらに組んで、地域の人たちが持ち寄った正月飾りなどを積み上げた。準備の間、団子作りや餅つき体験、豚汁やお餅が販売された。やぐらに火が入ると、枝に刺した団子を焼いて1年の無病息災を願った。
1年の無病息災を願う
神奈川県大和市つきみ野  2023年1月14日  どんど焼き  つきみ野野球場 地域住民およそ1500人  つきみ野のどんど焼きは、正月のしめ縄や松飾り、書き初めなどの縁起物をお焚き上げし、一年の無病息災や商売繁盛、五穀豊穣を願う。地元の有志で組織される「中林小おやじ達の会」を中心に地元自治会らが協力して行われた。
 午前11時、関係者らによって火入れが行われるた。集まった人たちは手を合わせて祈ったり、スマートフォンで炎を撮影したりしながら、平穏な一年を祈願していた。(タウンニュースtownnews.co.jp)
平穏な1年を願う
神奈川県大和市内  2024年1月7日~14日  どんど焼き  市内各地の畑、広場など 地域住民  小正月の伝統行事「どんど焼き」が、2024年も大和市内各地で行われた。「第32回ふれあいどんど焼き」が1月8日、泉の森しらかし広場で開催された。主催は上草柳地区社会福祉協議会・上草柳地区ふれあい広場実行委員会。当日は子どもから大人まで2800人以上が来場した。古谷田力市長が参加して火入れを行った。会場では元日に発生した能登半島地震への義援金を募り、6万4125円が集まり、中央共同募金会を通じて被災地に送られるという。
 中央林間小学校校庭のどんど焼き会場では500人を超える地域住民らが訪れた。児童の保護者らで組織される「中林小おやじ達の会」が中心となって企画。会場では豚汁などの模擬店も設けられ、来場者をもてなした。午前11時30分、火入れがされると、立ち上る炎に手を合わせて安心・安全な一年を祈る人たちの姿が多く見られた。同会会長は「厄が去っていくような気がする」と参加者の健康を願っていたという。(タウンニュースtownnews.co.jp)
新年の無病息災を願う
神奈川県小田原市矢作(やはぎ)
 
1月10日
どんど焼き 矢作道祖神場 地域住民  会場中央に積み上げられた正月飾りや門松、しめ縄、だるまなどに点火してどんど焼きを行う。祭りばやし保存会の小学生による太鼓が打ち鳴らされる中、書き初めを火に投げ入れて習字の上達を願ったり、家から持ち寄った色とりどりの米団子を残り火で焼いて1年間の健康を祈願した。
 地元の住民が作った道祖神の名入り小田原ちょうちん(高さ1・2メートル、直径約50センチ)も飾られ、行事を盛り上げた。
無病息災
神奈川県中郡大磯町
1月14日夜 大磯の左義長(国の無形民俗文化財) 大磯海岸 地域住民  大磯の左義長はセエノカミサン(塞の神・道祖神)の火祭り。「左義長」の名は、明治時代後期に大磯に居を構えた元勲伊藤博文の側近によって変えられたという。「古来の行事名称が卑俗で、文明開化にふさわしくない」という理由で、上方の上品な名前に変えなさい」という理由だとされる。しかし、地元(港周辺)では今日でも「左義長」ではなく、古来の「セエトバレエ」「ドンドヤキ」「ダンゴヤキ」などの呼び名が一般的だという。
 祭事は、町内の「下町」に七つある道祖神にまつわる一連の祝祭で構成される。前年12月8日に子どもたちが地域の各戸を回り、子孫繁栄を祈る「一番息子」という行事から始まる。石に縄をつけ、子どもたちが家々を巡り、「○○さんにいいお嫁さんが来ますように、いちばーんむすこ」などと家人に頼まれた願いを唱えながら玄関先で石を地面に搗き、祝福する。
 また、この日12月8日は目一つ小僧という厄神が来て、村人の1年間の行いを帳面につけて回る日とされる。ところが夜が明けてしまい慌てて帳面をセエノカミサンに預け、そのまま帰ってしまい、帳面を預かったセエノカミサンは困り、自分の家とともに帳面を燃やしてしまった。それがセエトバレエの起源とされる。
 松の内(1月7日)が過ぎると子どもたちは正月のお飾りを集めて歩き回り、11日の早朝に松買いをして、青年たちはセエトの材料となる松や竹を調達する。町内各所に大竹やオンベ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンのオカリヤ(お仮屋)を作る。子どもたちは13日までオカリコ(御仮籠)といって、オカリヤに籠もる。
 お祭り前の数日間、地元の人たちはセエノカミサンにお参りして回る。特に七ヶ所のセエノカミを拝んで回ることを七所参り(ななとこまいり)という。今日では七ヶ所から一つ増えて「七所参って八所 (ヤアトコ )せ」などとはやす事もある。あげられた賽銭は子どもたちの小遣いとなり最年長の子が分配する。
 また町内によって子どもたちが歌い踊りながら家々を訪問して商売繁盛を願うオカリコという行事も行われる。
 14日夜、サイト(セエト)に火が付けられ、裸の男衆が綱を引き合う「ヤンナゴッコ」までの一連の行事を「左義長」という。
 祭り当日の14日朝、地域の人たちは町内各所のおんべ竹やお仮屋などを片付け、大磯北浜海岸に運んで9つの大きな円錐型のやぐらをつくる。これは「斎灯(サイト/セエト)」と呼ばれる。サイトには町民らが持ち寄った正月飾りや書き初め、だるまなどの縁起物が結わえ付けられる。日が暮れると、セエノカミサンの宮元や宮世話人が、9つのサイトにその年の恵方から火が入れられる。
 この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない、燃やした書き初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃えさしを持ち帰って屋根に載せておくと火災除けのまじないになるといわれる。
 サイトが燃え上がったころ、、若い衆が裸になってソリ状の台に載せたセエノカミサンの仮宮を壊して海に引き入れ、さらに浜方と陸(おか)方に分かれて綱を引き合い、豊漁を祈念する「ヤンナゴッコ」という綱引きが行われる。
 2014年には、祭りに先立ち12月9日~11日、地元の人たちは大磯の下町7カ所の「セエノカミサン」に参り、さい銭をあげて一年の健康を祈る「ナナトコマイリ」を行った。その3日間に行われる行事で、下町町内の子どもたちが歌い踊りながら家々を訪問して商売繁盛を願う行事「オカリコ」なども同時に行われた。
 しかし、新聞報道によると、2014年5月、地域住民の話し合いにより、祭事の規模縮小と観光客への大々的な告知をしないことを決めた。原因は地域住民の高齢化と世帯数の減少で、労力的にも財政的にも大掛かりなサイトを立てるのが困難になったためという。毎年サイトの材料費などに約200万円かかり、県や町の補助金約40万円を受けても、各戸から1千~6千円を徴収しなければ足りないという。2014年には、大磯左義長保存会が大磯限定のお酒「大磯左義長」を販売したが、左義長のための収益金は10万円にとどまったという。
(この項大磯町役場観光情報「イソタビドットコム」などによる)
無病息災。左義長の火で焼いた団子を食べると風邪を引かないといわれる。
神奈川県鎌倉市 1月15日早朝 左義長神事 鶴岡八幡宮 宮司、参拝客  神事の後、注連飾りを積み上げたやぐら2基を燃やす。参拝客は団子を焼いて食べる。  
神奈川県葉山町 1月9~14日 葉山のどんど焼き 町内各地 地域住民  葉山のどんど焼きは、新年の門松、お飾りや古いお札を焼いて1年の無病息災を祈る習わし。1月9日から14日にかけて、午前中に海岸の砂浜で行われる。
1月9日9:00~ 三ヶ浦町内会どんど焼き 場所:三ヶ浦海岸
9日9:00~  諏訪町どんど焼き 場所:諏訪町下海岸
10日9:00~11:00 一色海岸どんど焼き 場所:一色海岸
10日10:00点火~11:30頃まで 鐙摺どんど焼き 場所:鐙摺小浜海岸(あぶずりこばまかいがん)
10日 長者ヶ崎どんど焼き 場所:長者ヶ崎海岸
1月11日9:00~ 10:30   御霊神社どんど焼き 場所:長柄 御霊神社
1月14日8:00~ 森戸神社 左義長神事 場所:森戸神社境内
(この項NPO法人葉山まちづくり協会)
1年の無病息災を祈る
神奈川県横須賀市 2019年1月13日朝(小正月直近の日曜日) おんべ焼き 市内の海岸 地域住民  横須賀の「おんべ焼き」は正月の松飾りやお札など縁起ものを焼いて無病息災を祈る伝統行事。横須賀東海岸の野比・長沢・久里浜海岸などで行われる。地元では「どんど焼き」とも呼ばれる。
 浜辺に心棒の周りに青竹を組んだ高さ約10メートルのやぐらが立てられ、日の出の頃に点火される。地元の人たちは、門松やしめ縄、書き初めで書いた物などを持ち寄って焚き上げる。「おたき上げ」の火で餅を焼いて食べると、1年間風邪をひかないとの言い伝えもあり、書初めを燃やすと書道が上達するとも伝えられる。(この項:北下浦観光協会、横須賀経済新聞など)
1年の無病息災を祈る
神奈川県相模原市田名 1月 どんどん焼き 上田名幼稚園広場 半在家自治会の主催、地域住民  しめ飾りなど正月飾り、だるまなどを広場の中央に積み上げて、燃やす。火勢が弱くなると、参加者は木の枝や竹ざおの先につけたもちを焼いて、食べた。
 自治会婦人部が作ったとん汁も振る舞われ、参加者らは伝統行事を通じて交流を深めた。
今年一年の健康を願う
神奈川県足柄上郡山北町山北 2013年1月13日 道祖神祭どんど焼き 山北地区 山北連合自治会の主催。「庭」と呼ばれる地縁組織の住民総勢約400人が参加する。  山北の道祖神祭は、花車6台、みこし3基が町内各地を巡るという県西地域でも珍しい伝統行事。
 山北連合自治会によると、大正初期から続く子どもの成長や無病息災を祈る行事で、成人式に合わせて開催されている。
 山北町には、「庭」という地縁を中心とした組織があり、全10庭のうち9庭が花車やみこしを出す。主に大人が担ぎ手などになり、それに乗った小学生らが町指定無形文化財の「川村ばやし」を演奏する。
 12日の前夜祭でどんど焼きが行われる。
 2013年は花車6台、みこし3基が、それぞれの庭を回った後、午後1時にJR山北駅に集結。室生神社、樋口橋、萩原地蔵尊の順で同駅に戻る約5キロの「東ルート」を約5時間かけて回った。
 それぞれの花車には、赤や白、黄、青などの色とりどりの花飾りが取り付けられている。
 夕暮れ時には花ぐるまには約100個のちょうちんがつるされた飾りに付け替え、宵闇にちょうちんが浮かぶ光景が見どころ。
伝統文化を通して地域の人が交流し、子どもの成長や無病息災を祈る
神奈川県南足柄市和田河原地区 1月14日 どんど焼き 大芝原道祖神前の駐車場 氏子一同(100軒)  このどんど焼きはクヌギの木の枝にだるまを飾り、燃やすのが特徴。少子化や学校時間の関係で行事は大人が先行して行うようになってきたが、昭和30年代頃までは子どもが中心の行事だったという。
 昔のやり方では、大将になった子どもが、暮れの大掃除で使った煤払いの竹で、道祖神の頭を叩き大人から頼まれた願いごとなどを祈願した。また、『まいこんだ、まいこんだ、福の神がまいこんだ』と歌を歌いながら、氏子の家々を回りお賽銭などをもらったという。
 
東京
東京都西多摩郡日の出町 1月14日に近い日、祝日 どんど焼き 町の中央を流れる平井川河川敷 各自治会ごとの住民や子供たち  どんど焼きは、塞の神(さいのかみ)やセーノカミ(塞の神が訛ったもの)とも呼ばれる。日の出町では各自治会ごとにどんど焼きを行い、芯木の周りに青竹を円錐状に立てかけ、萱やスギの葉などを葺き、その中に正月飾りや去年のダルマなどを詰め込んで焚き上げる。元々は1月14日(小正月の前日)の早朝に行われていたが、近 年では成人の日の祝日や、その前後の日曜日などに行われる事が多い。どんど焼きの火で繭玉団子を焼いて食べると1年中病気をしない、風邪をひかない、無病息災などと言われている。書初めを燃やして高く舞い上がると字が上手になるとも言われている。(この項:日の出町役場ホームページ日の出町観光カレンダー) 1年の無病息災を祈る
東京都稲城市 2017年1月8、9日もしくは15日に近い土・日、祝日(予定) 塞の神行事 市内各地の小学校校庭、公園・空き地・田んぼなど 地域住民や子供たち  稲城市の塞の神は、青少年育成地区委員会や自治会等を中心に行われている伝統行事。塞の神の小屋は、竹で円錐形に骨組みをつくり、ワラなど囲んで小屋をつくる。まわりに正月の飾りものをつける。小屋が完成すると、中にドウロクジンの石を祀る。
 塞の神行事では、小屋を燃やした火で、まゆ玉団子を焼いて食べる。塞の神の火で焼いた団子を食べると病気をしないとか、火に書き初めをかざして高く舞いあがると字が上手になるとかいわれている。
 地域の伝承では、昔の「塞の神行事」は各地域の小字ごと、あるいは講中ごとに行われていた。塞の神の小屋づくりは、七草が過ぎた頃から、小中学生などの子どもたちが中心となって、小屋の材料となる竹・木・ワラなどを調達し、各家々を回って正月の飾りものを集めた。11日頃になると、塞の神の小屋をつくる。小屋が完成してから燃やすまでの数日間は、子どもたちが小屋の中に寝泊まりして、小屋を守った。他地域の若者がきて、小屋に火をつけたり、御神体のドウロクジンの石を盗んだりするからだという。
 行事が終わると、小屋の焼け跡の中からドウロクジンの石を取り出して、またどこかに埋めて隠したという。現在では小屋つくりは大人が中心で子どもが手伝いとなり、実施単位も地区を単位とするようになった。小屋に寝泊まりすることもないという。
(この項出典稲城市役所ホームページ児童青少年課文化財コラム)
1年の無病息災を祈る
東京都西東京市 2017年1月8日
平成28年度西東京市伝統文化等継承事業どんど焼き 明保中学校、保谷第二小学校、上向台小学校 地域住民、中学生ボランティア  西東京市では、伝統芸能、民俗芸能及び文化財を継承する事業に対して経費の一部(10万円を限度)を補助している。対象事業は、市民の郷土に対する認識と愛着の向上、担い手となる後継者の育成及び地域の連携を図ることが期待できる事業で、どんど焼きは、過去に西東京市で実施されていた事業で復活・発掘を行うことが必要と認められる事業として、補助が決まった。
 どんど焼きの実施は、地域住民が実行委員となり、故郷の文化として根付かせること、次の世代に継承すること、また地域社会の楽しいふれあいの場づくりとするために行っている。各会場では、お正月に家庭で使用した松飾りやダルマ、注連飾りなどの持ち込みを受け付ける。ただし、プラスチックや針金などでできている飾りの持ち込みは禁止されている。
 2017年1月8日のどんど焼き事業では、明保中学校(市内東町1丁目)で午前10時から松飾りを受け付けた。明保中と青嵐中の生徒らが受付でホッチキスや釘など金属類を仕分け、松など燃えるものを引き取った。地域の有志らが12月末から竹を切り出して作った櫓に、松飾りなどを積み上げて午後1時過ぎに点火。保谷和太鼓が響くなか、点火された。
 2022年はどんど焼き事業が1月9日に市立明保中学校(市内東町1丁目)と保谷第二小学校(柳沢4丁目)で実施された。明保中校庭には約1000人が集まり、正午過ぎから焚き上げた。保二小は受け付けのみ。午後4時過ぎから無観客実施となった。上向台小学校はコロナ感染のリスクを考慮して昨年に引き続き中止した。昨年は3カ所とも中止。今年は三者三様の対応になった。
 明保中学校の会場は、西門でマスクの着用などコロナ感染防止のチェックを受け、しめ飾りなどを受け付けに預ける。正午過ぎからボランティアで参加した明保中、青嵐中の生徒の司会で開会式が始まり、「やぐら用に40本の竹を切って用意した。これまで毎年、大変な作業をしていたと分かった」「ちらしを配ったら住民の方々が快く受け取ってくれた。地域に支えられていると実感した」と話した。
 このあと市消防団の出初め式から駆けつけた萱野洋副市長、木村俊二教育長、明保中の宮本尚登校長があいさつ。午後0時15分過ぎに点火した。コロナ感染防止のためお汁粉などの振る舞いは控えた。 (この項出典西東京市役所ホームページ文化振興課、ひばりタイムスskylarktimes.com)
どんど焼きを故郷の文化として根付かせること、次の世代に継承すること、また地域社会の楽しいふれあいの場づくりとするために行う。
東京都日野市 2016年1月10,11,17日(15日前後の土、日、祝日)
どんど焼き 市内の小学校校庭、神社、公園、河川敷、広場など十数箇所 地域住民  日野のどんど焼きは、農村地帯だった頃、サイノカミを祀り、旧年の災いを払い、これから一年の平穏と農作物の豊作を願って燃やしていた。住宅化が進んだ今も十数カ所の会場では、昔からの風習を今に伝えるどんど焼きが行われている。正月飾りや書き初め、だるまやお守りを燃やして、まゆ玉を焼いて食べたり、甘酒がふるまわれたり、無病息災を願う。
(この項出典日野市観光協会)
無病息災を願う
東京都府中市 2018年1月15日 どんど焼き 大國魂(おおくにたま)神社 地域住民  都内で最も古い神社とされる府中市の大國魂(おおくにたま)神社で15日午前11時から、初めての「どんど焼き」が行われ、市民が参加した。市内では多摩川河川敷や空き地などでどんど焼きが行われてきたが、住宅地が広がり、燃やせる場所が少なくなった。このため、神社が協力して境内で実施することになったという。
府中市中心部にある大國魂神社は、1900年以上の歴史があるとされる。神社では、近所の正月飾りなどを預かって境内で焼く「おたきあげ」をやっていたものの、市民が集まる行事ではなかった。どんど焼きができる場所が少なくなったこともあり、今回初めて、神職がおはらいをするなどして、神事として取り扱うことになったという。
府中市内では毎年この時期、地域住民と市が協力し、押立町5丁目の多摩川緑地と、四谷2丁目の四谷文化センター園庭の2カ所でどんど焼きを行っている。特に多摩川緑地のどんど焼きは高さ12メートル、直径7メートルと規模が大きく、2千人以上が集まる。今年は2カ所とも14日午前8時から行われた。
正月飾りなどを預かって焼く 
東京都羽村市、福生市、狛江市、大田区 1月14日
(2007年)
多摩川のどんど焼き 多摩川河川敷の宮の下運動公園、かに坂公園、多摩川緑地グラウンド、矢口の多摩川大橋緑地 地域住民  ワラや竹でつくったやぐらのもとに、松飾り・しめ縄・書き初めなどを持ち寄って燃やす。その火で焼いた餅をや団子を食べる。
 書き初めを焼いたとき、高く上がると字が上手になるという。
無病息災を祈る
東京都狛江市 2015年1月11日 多摩川のどんど焼き 多摩川緑地公園グラウンド脇 地域住民約千人  松飾りやしめ縄、正月飾り、書き初めの紙などを持ち寄り、カヤで作った円すい形の小屋(どんど)に積み上げて燃やし、今年一年の無病息災を願う。どんどの大きさは幅約5メートル、高さ約8メートル。
 1986(昭和61)年にボーイスカウト狛江第1団が小足立児童グラウンドで野営行事を兼ねてどんど焼きを行ったのをきっかけに、ボーイスカウト狛江1団、3団、5団により構成される「狛江ボーイスカウト連絡協議会」の主催で開催するようになった。どんどに使うカヤは前年12月までにボーイスカウト所属の子どもたちが多摩川河川敷から刈り取り、束ねて縄で縛り乾燥させておく。祭り前日には竹で作った骨組みの上にカヤをかぶせ、完成後は空洞となっているどんどの中で鍋を食べながら一晩を過ごす。
 どんど焼き当日は午前10時に点火する。残り火で、各自持ち寄った餅やスルメなどを焼いて楽しむこともできる。
無病息災を祈る
東京都羽村市

 
1月15日
午前8時神事、午前8時半おたきあげ

 
どんど焼き 宮ノ下グランド子ども広場
 
地域住民と子ども。主催は羽村市青少年対策西地区委員会

 
 広場に男塚、女塚、子供塚の計4基を父親と男子が一緒に作る。塚は竹の骨組に杉の葉、つげの葉、竹の葉で飾り付ける。塚とは別に竹で「おんべ」を作る。
 母親と女子は同じ日に紅白の「まゆ玉」作りを行う。併せてまゆ玉を樫の木の枝に刺した「まゆ玉飾り」を作る。これはどんど焼きの当日200円以上で縁起物として販売される。
 
東京都日野市高幡地区 2007年1月14日 どんど焼き 浅川河川敷 市立潤徳小学校の児童が参加する「浅川潤徳水辺の楽校(がっこう)」  竹の先につけた餅を焼いて伝統行事を楽しんだ。楽校の活動の一環として、40年ぶりに地域の行事を復活した。中断していたのは、どんど焼きができる田畑がなくなったため。会場を河川敷に変えて復活した。  
東京都あきる野市雨間 2011年1月15日 どんど焼き 市立南秋留小学校わきの田んぼ 地区住民と同小学校児童  正月のしめ飾りやだるま、書き初めなどを焼くどんど焼きが行われた。PTAや地元有志らが実行委員会を組織し、30年以上続く行事。
 校庭西わきの田んぼには高さ約10mのやぐら3基が設けられ、正月のしめ飾りやだるま、書き初めなどを積み上げた。約2000人が見守る中、いっせいに点火された。その後、おき火で焼いた手作りの団子や汁粉などを楽しんだ。

 

 
東京都町田市

 
1月10日
(2010年)
 
だんご焼き 熊野神社境内
 
地域住民(町内会主催)

 
 午後3時ごろから神社境内にて長い竹ざおの先に鉄製の三叉に分かれた金具のついたものに団子を差し、住民の持ち寄った正月飾りなどを燃やす火の上で焼く。団子は婦人会によって用意され、境内の一角には繭玉飾りが飾られる。繭玉飾りは団子とみかんを差したもの。団子といっしょにお神酒や豚汁もふるまわれ、大勢の人でにぎわう。
 『高ヶ坂第一町内会60周年記念誌』によると、もともとは14日の行事だったようで、戦前ま では豊繭を祈る行事であったと記されている。
 (地元のFさんから情報と写真提供がありました。感謝です。)
 
東京都多摩市内

 
2019年1月12~15日
(2010年)
 
どんど焼き 市内各地の小学校校庭、公園・空き地など
 
地域住民

 
  多摩市内では新春恒例の「どんど焼き」が各地で開催された。多摩市青少年問題協議会の各地区委員会や自治会が主催して一年の無病息災、五穀豊穣を祈り、正月の松飾りやしめ縄、書初めなどを持ち寄り、やぐらとともに焚き上げる小正月の伝統行事。
 1月12日に青少協落合地区委員会の主催で行われた東落合小学校では、やぐらの焚き上げの前に同小学校の太鼓クラブの演奏や獅子舞、鷹匠による放鷹術の実演が行われた。
 13日に乞田・貝取コミュニティセンター運営協議会の主催で行われた乞田・貝取ふれあい広場のどんど焼きは、市内最大規模の約10mの高さに組まれたやぐらが作られた。棟上げの前には地鎮祭をあげ、昔ながらの作り方で組まれたやぐらの中には、囲炉裏が設けられ、道祖神もまつられた。事前に内部も公開し、前夜祭も実施。当日の参加者も800人近い人たちが訪れた。
 14日に中組自治会の主催で行われた二反田公園のどんど焼きは、江戸時代から続くと言われ、長い歴史がある。以前は、どんど焼きを「せいの神」と呼んでいたという。同所では、蚕神のまゆ玉団子を作り神に供え、樫の木の枝太にさして「塞(さい)の神の火」で焼いて食べる風習を守り、当日も夕方から実施。自治会が振舞う「まゆ玉団子」を焼いて食べ一年の無病息災を祈った。
一年の無病息災、五穀豊穣を祈る
東京都杉並区大宮2丁目 1月15日午前10時~ 古神矢・古神札等焼納祭(とんど焼き神事) 大宮八幡宮境内
 
参拝客  同宮のとんど焼き神事は恒例の小正月行事。神前で「月次祭並び古神札焼納奉告祭」を行った後、古神矢・古神札等焼納祭(とんど焼き神事)が行われる。初詣の参拝者が納めた古い神矢やご神札・お守り・注連縄等を社殿前広場の特設斎場にうず高く積み上げ、お祓いをした後、火鑽(ひきり)神事が行われる。轆轤鑽(ろくろひきり)を使って古式そのままに火を熾(お)こし、この神火を用いて、積み上げられた古神矢・古神札等に点火され、燃え盛るお焚上げの前で神職・参列員等が大祓詞を奏上し、昨年一年間お護り戴いた感謝と今年一年の除災招福を祈る。
 この日は、大宮八幡宮敬神婦人会(りんどう会)の新春初奉仕として、参拝者に厄除けぜんざいを接待する。 (出典:大宮八幡宮公式ページ)
昨年一年間の加護への感謝と今年一年の除災招福を祈る
東京都北区赤羽西5丁目
 
2014年1月11日  どんど焼き「繭玉団子飾り」 北区ふるさと農家体験館
 
小学3年生から6年生までの子ども7名と保護者ら6名
 
 「繭玉団子」は、繭の形に丸めた団子を柳の枝に飾り付け、農作物・養蚕の豊作や無病息災を願う縁起物。ふるさと農家体験館では、子どもたちに日本の伝統や地域の歴史・文化を学んでもらおうと、かつて浮間地区で行われていた年中行事の体験教室を実施している。
 子どもたちは、上新粉にぬるま湯を加えてこねつけ、生地を耳たぶくらいの硬さにした後、せいろで蒸し、さらにこねてから食紅で色を付けていった。生地を小さくちぎって丸め、赤・緑・白の3色の団子が出来上がると、次は飾り付け。団子を繭の形にかたどり、古民家の大黒柱に結び付けた柳の枝に飾り付けた。
 子どもたちは「お花が咲いたみたい」と歓声をあげながら作業をすすめ、最後に枝の先にキンカンを刺して繭玉団子飾りが完成した。
養蚕の豊作や無病息災を願う
東京都世田谷区鎌田

 
2010年1月17日午前10時半~

 
どんど焼き 多摩川河川敷(二子玉川緑地運動場ピクニック広場)
 
鎌田南睦会 どんど焼き実行委員会

 
 広場では中心に「オンベラ棒」と呼ばれる三間半(約6.3m)から四間(約7.2m)ほどの太い竹を立て、上方の九尺(約2.7m)をぎっしりと縄で縛り下方を裂いて円すい形に広げて丸太の杭で固定する。竹の周りをわら、笹などで葺(ふ)いて、小屋がけする。棒の先にだるま・熊手・お札等を結び付け完成する。
 地域住民は繭玉団子や餅を持参して、どんど焼きの火で焼いて食べる。
 2011年には1月16日開催され、竹や河川敷のカヤで高さ約10mものやぐらを組み、家族連れらが持ち込んだ門松やしめ縄などの正月飾りを燃やした。地元町会の親子連れら約1200人がどんど焼きの残り火でもちを焼いて食べ、今年一年の無病息災を祈った。
 餅を焼く竹ざおと餅は主催者が無料配布している。子どもたちは長さ約4mの竹ざおの先にもちをつるし、残り火で焼いて味わった。
 以前は地域ごとに畑などで燃やしていたが、20余年前から世田谷区鎌田1~2丁目、3丁目と宇奈根1丁目の住民らで構成される自治会「鎌田南睦(みなみむつみ)会」が河川敷で催している。
 
東京都台東区浅草 2010年1月8日 鳥越神社とんど焼き 鳥越神社 地域住民、観光客  江戸の風習では、七種粥のお祝いとともに正月行事をすませた家々では、お正月飾りを取り払う習わしになっていたという。鳥越神社では、江戸の風習にしたがって、七草あけの8日に〆飾り、古いお札等を焼く「とんど焼き」を行う。とんど焼きの火によってお正月様(歳神様)を送る新春行事。
 とんどの火で書初めの清書を燃やして高くあがれば、字が上手になるとか、餅を焼いて食べると、一年中疫除の呪(まじない)になるとされる。
 お焚き上げの火や煙には、歳神様の力によって、1年間の様々な災厄を祓い清める力があるとされる。
 2010年には朝から氏子たちが約2000本ののしめ縄を持ち寄った。近所の子どもらが、竹ざおの先にもちをつるして焼き、今年1年の無病息災を祈った。
その一年の無病息災を祈る
東京都板橋区  毎年2月11日、13日  国指定重要無形民俗文化財「田遊び」 徳丸6丁目、北野神社境内、大門11丁目、赤塚諏訪神社境内 神社氏子と地域住民  「徳丸北野神社田遊び(2月11日)」と「赤塚諏訪神社田遊び(13日)」は国の重要無形民俗文化財に指定されている、旧正月にその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈願し神に奉納する行事。どちらも夕方から始まる。稲作の種まきから収穫までの作業内容を唱える言葉と所作を田の神に奉納し、豊作を祈願する予祝の祭りで、千年以上の伝統があるとされる。地元では都市化が進んで水田は消滅したが、古式に則り、民俗芸能が継承されているのは住民の熱意によるという。
【徳丸北野神社田遊び】
 境内に二間四方のモガリ(舞台)が作られ、四方に忌竹を立て、注連が張り巡らされ、その中央に大宮太鼓が据えられる。午後6時頃、このモガリの中に祭を主導する「大稲本」・それを補佐する「小稲本」・稲を象徴する「早乙女」・「鍬取り」が勢ぞろいする。諸役は「徳丸北野神社田遊び保存会」が担当している。「種まき」 太鼓の音やはやしうたの調子に合せて、四方に向かって種をまく。
「胴上げ」 子供が扮する早乙女を一人づつ順番に太鼓に乗せ、一同で胴上げ。苗の成熟と子供の成長、子孫繁栄を祈願する。
「稲むら積み」 太鼓の上に田遊びの用具一切を積上げて、みんなで手を添えて、稲むらをほめる。
【赤塚諏訪神社田遊び】
 境内にモガリ(舞台)が作られるのは北野神社と同様だが、祭事はモガリに限らず神社外でも行われる。午後7時過ぎから始まる。
「神輿渡御」 御魂の移った神輿を担いで入場し、田遊びが始まる。
「槍突き」 十羅刹堂の前で、細かく刻んだ千代紙を入れた花籠を取付けた槍を神輿の前に構え、太鼓の音に合せて「エイヨー、エイヨー」と振り立てると、松明や破魔矢が槍につきかかる。さらに紋付羽織袴姿に正装し、頭にとんがり帽子を被った幼児を乗せた駒が花槍に立ち向かう。幼児の駒は幾度となくささげ上げられ、このとき、花槍役はいっせいに「インヨー、インヨー(陰陽)」の掛け声で槍先を振り回す。すると花籠から五色の紙片が舞い散る。これは人間の生殖受胎を意味するという。このあと悪疫、悪霊、害虫をかみ殺すという獅子の「九字の舞い」が奉納される。
「天狗御鉾の舞」 狩袴を着た天狗が右手に大きな幣、左手に錫杖を持って、地鎮の舞を踊る。
「お篝り(おかがり)」(どんど焼き) 境内で旧年中の災厄や不幸を焼き払い、新年の家内安全と子孫繁栄を祈って、お篝りが行われる。
(この項出典板橋区役所公式サイト、NPO法人無形民俗文化財アーカイブズなど)
稲の豊作や子孫繁栄、悪疫払いを願う
東京都港区芝公園4丁目 2021年12月29,30日 横手の出前かまくら 東京タワー前  観光客  出前かまくらは、秋田の魅力を広く知ってもらおうと秋田県横手市が企画した観光宣伝イベント。会場の東京タワー前には、岩手県北上市の夏油高原スキー場から運んだ約20トンの雪で作った高さ3メートルのかまくらがお目見えした。(※横手市は市内の積雪が少ない場合、夏油高原スキー場と雪を提供してもらう契約を結んでいるという)
 会場は2日間の日程で、甘酒の振る舞いやミニかまくらづくり体験・横手の物産販売・増田まんが美術館のコーナーなども設置され、横手の味と観光を楽しむことができる。
 出前かまくらは2018年の東京タワー60周年を記念したのをきっかけに2年連続で行われていたが、2020年は新型コロナウイルスの影響で中止となった。2021年は、来場者のマスク着用と手指消毒の徹底・密集回避に努めるなど感染防止を図った上で開催することにした。 (出典:秋田テレビWEBなど)
首都圏の人に横手の観光を楽しんでもらう 
千葉
千葉県千葉市中央区寒川町 2018年1月14日(日)朝9時より どんど焼き 寒川神社  氏子、地域住民  寒川神社のどんど焼きは正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やす行事で「お焚きあげ」とも呼ばれる。どんど焼きの火にあたることで、無病息災等を祈願する。(この項:寒川神社ホームページ 無病息災等を祈願する 
千葉県千葉市緑区辺田町 2019年1月12日 どんど焼き 平山小学校隣接広場 地域住民  辺田町有志の会は毎年1月に1年の無病息災を祈って、「どんど焼き」を行っている。正月の松飾り・しめ縄などを家々から持ち寄り、積み上げて燃やす伝統行事。(この項:千葉市役所緑区役所ホームページ) 無病息災等を祈願する 
千葉県我孫子市 2019年1月12日 あわんとり  新木小学校体育館・校庭 小学校児童、地区住民   あわんとりは我孫子市や取手市に古くから伝わる伝統行事で、1月14日があわんとりの日とされている。子ども達の行事で、各家庭の正月用しめ飾りや門松の取り外したものをもらい受けて歩き、お餅やお菓子、お金などをもらったと言われている。竹や藁で小屋掛けして燃やし、子ども達は「あわんとりホーイホイ、アワ(粟)ノトリもホーイホイ、ヒエ(稗)ノトリもホーイホイ」とはやして鳥を追い払い豊作を祈る。 火がおさまると長い篠竹の先に丸餅をいくつも刺して焼き、それを食べると一年間無病息災に過ごせると言われている。
 2019年は我孫子市制施行50周年記念事業として、新木ふれあいあわんとりを開催し、正午から新木小校庭であわんとりに点火。餅・甘酒・豚汁の振舞い、ちびっこ餅つき体験・丸餅焼きなどが行われた。(この項:新木地区まちづくり協議会新木近隣センターだより第241号電子版)
鳥を追い払い豊作を祈る
千葉県東金市 1月14日 どんどっぴ(火) 市内各地の田んぼや空き地 地域住民  どんどっぴは市内各地で行われ、七草あけに子どもたちがお菓子やお小遣いをもらいながら、家々をまわり、大正月に飾った〆飾りや門松・竹・建前の鏡一式などを集めて、定められた所に積み上げておく。
 求名地区などでは、当日の昼間から、青竹などを四本たてて櫓(やぐら)に組み、周囲をわらなど葺いてどんど小屋を作る。その中に正月飾りなどをつめこみ、日が暮れる午後5時頃、子どもや大人が集まって来て焚く。
 書初めを焚くと、字が上手になるといい、この火に当たると若返えるとか、風邪をひかないとか、皮膚が荒れないとか言われている。この日、若餅という餅つきをし、大黒柱か石臼に、椎の木などを結びつけ、枝に小さな切餅をさす。木綿(きわた)という風習もある。どんどっぴの火勢が収まった後の熾き火になると、長い篠竹の先に丸餅をいくつも刺して焼き、食べると一年間無病息災に過ごせると言われている。
 焼いた門松は、持ち帰って門口に立てておくと、福運を招くなどといわれている。また、焚き上げの最中に、竹がはぜる音を発すると、その年の天候がよいとされている。(出典:東金市デジタル歴史館サイトなど)
この1年間の無病息災
千葉県印旛郡栄町 1月14日 どんど焼き  栄町竜角寺の体験博物館、県立房総のむら 事前予約した外国人を含む参加者  どんど焼きは、千葉県内の地域によって大火焚(た)き、お飾り焚き、上り正月など、さまざまな呼び名がある。
 どんど焼きは、「房総のむら」の人気演目。しめ縄や松飾りなどの正月飾りを中心に4m以上に積み上げ点火、勢い良く燃え上がり竹のはぜる音が会場に響いた。その後、参加者は、房総のむらでついたもちを竹ざおに刺し、おき火にかざし、焼きたてを食べた。
 
千葉県香取市 2013年1月16日 神事「星鎮祭」 香取神宮 神職役の烏帽子に直垂(ひたたれ)姿の射手4人  星鎮祭は同神宮の祭神、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が国を治めた際、最後まで抵抗した星の神を名乗る天香々背男(あめのかがせお)を討伐した言い伝えに由来。
 経津主大神の功績をたたえるとともに、星の神の霊を鎮めるために毎年同日に行っている。
 神職役の烏帽子に直垂(ひたたれ)姿の射手4人が2人1組となり、大的を目掛けて矢を放ち、砂で作った星塚の四方に竹串を刺して星の神の霊を鎮めた。
経津主大神の功績をたたえるとともに、星の神の霊を鎮める
千葉県成田市成田 2023年2月3日 節分会(せつぶんえ) 成田山新勝寺 参拝客  成田山新勝寺の節分会は邪気の鬼を払い、世界平和、万民豊楽、五穀豊穣、転禍為福を祈念する伝統行事。2023年は、政府のコロナ禍対策が緩和されたため、3年ぶりに通常の規模で行われ、NHKの大河ドラマの出演者や大相撲の力士らが参加して豆まきを行った。参加した著名人らは大本堂の前の舞台から境内の参拝客に向けて一斉に豆をまきました。
 新勝寺の豆まきでは、本尊の不動明王の慈悲が鬼をも改心させるとされ、「鬼は外」とは唱えずに「福は内」とだけ繰り返すのが特徴とされる。豆まきでは1日で合わせて1200キロ以上の大豆と落花生が使われ、集まった人たちは福を得ようと手をのばして、まかれた豆をとっていた。(NHKニュース、成田市観光協会公式サイト)
邪気の鬼を払い、福を呼び込む、世界平和、万民豊楽、五穀豊穣、転禍為福を祈念
千葉県佐倉市弥富地区・青菅地区
 
1月14日
「弥富・青菅のどんどやき」  地区内の各所
 
地域住民
 
 弥富・青菅のどんどやきは、毎年小正月(1月14日)に飾った門松やしめ縄、お札を一ヶ所に集め、高く積み上げて焼く。青菅地区では左義長といわれる行事。孟宋竹を割り、餅をはさんで焼き、これを食べると病気をしない、どんど焼きの燃えさしは魔除けになると言われ、家路に持帰り門口に立てておく風習がある。青菅のどんどやきは佐倉市指定文化財となっている。
弥富のどんどんやきは、岩富で2ヶ所、坂戸1ヶ所、七曲1ヶ所、西御門1ヶ所の計5ヶ所で行われる。 (この項:千葉県公式観光物産サイト2014年9月17日現在の情報)
病気をしない、魔除け
千葉県四街道市和良比
 
毎年2月25日(雨天決行) 和良比はだか祭り

 
皇産霊(みむすび)神社、和良比ヶ丘公園内神田

 
地元住民、観光客
 
 和良比はだか祭りは、「どろんこ祭り」として知られ、ふんどし姿の男衆が五穀豊穣と厄除けを祈る伝統行事。豊作を祈願する神事で始まり、裸衆祭礼(お祓い)、幼児祭礼(子ども参り)、泥投げ・騎馬戦、総代胴上げの行事で構成される。裸衆祭礼では神田(しんでん)で、しめ縄の藁わらを稲に見立て「田植え」をして、五穀豊穣を祈願する。幼児祭礼では、この日に備えて着飾った1歳未満の幼児を抱え、神田にて額に泥を塗ってもらうと厄除けになると言われている。騎馬戦、泥投げでは文字通り全身が泥だらけなる。(四街道市役所公式HP) 一年の五穀豊穣と厄除けを祈る
千葉県君津市大井戸
 
2019年2月4日
どんどやき  地区内の各所
 
地域住民
 
 君津市の「どんど焼き」は各家庭から持ち寄った正月飾りやお守りを燃やす民俗行事。君津地域では節分の前後に行われる。大井戸地区では大井戸諏訪神社の節分祭と連動して催される。2019年は12~84歳になる年男・年女9人が社殿から豆や紅白餅をまいた後、小学生と高校生6人が境内でたいまつに火をともし、約250メートル離れたどんど焼きの会場に移動して点火した。 高さ約13メートルに組み上げた竹と周囲に置いた正月飾りが巨大な火柱となって燃え上がった。(この項:千葉日報オンライン) 無病息災を願う
千葉県館山市茂名地区
 
2016年2月20日
国の重要無形民俗文化財「茂名の里芋祭り」

 
茂名地区の持ち回り当番宅、十二所神社

 
神社氏子、地域住民
 
 里芋祭りは、春先に一年の豊作や無病息災を祈願する旧小正月行事で、里芋を用いて作られる全国でも珍しい神饌(しんせん)が奉納される。国の重要無形民俗文化財に指定されている。19日夕、今年の当番宅に、各戸からふかした里芋を持ち寄り、ハギの枝に刺して30センチほどの高さまでかごに積み上げて、神饌に仕立てた。
 20日は午前10時半ごろから、里芋を入れた2つのかごを担いだ住民は、小雨の中、神官を先頭に山腹の神社まで運び上げ、おはらいの後、里芋は各家庭に配分された。21日に「オコモリ」と呼ばれる主婦の慰労会が開かれ、祭りは幕を閉じた。
一年の豊作や無病息災を祈願する
千葉県柏市船戸  1月20日直前の日曜日
 
市指定無形文化財「船戸のおびしゃ」  船戸会館
 
氏子、住民
 
 「おびしゃ」は関東地方、特に千葉県に多く、もとは弓を射て的に当てることで、その年の豊穣を祈る行事。船戸のおびしゃは、元和年中(1620年頃)から始まったとされ、天保7年(1836年)から毎年1月20日に行われるようになったという。「船戸のおびしゃ」では、現在は的射は行われていないが古い形態を持つ踊りとして貴重な存在とされる。
 かつては「天満宮」で神事を行い、その後4区域の旧家4軒で踊りと酒宴が行われていたが、大正7年(1918)からは、「医王寺」で神事・踊り・酒宴が行われるようになり、平成6年からは 「船戸会館」で行われるようになった。おびしゃの神事でお祓いと祝詞奏上が終了すると、余興として最初に行われるのが「三助踊り」。次に「三番叟」が舞われ、最後に「おかめ踊り」が登場する。おびしゃは、新年に当番を交代し、氏子当番の人たちが準備に当たっている。(この項千葉県柏市ホームページなどによる)
 
 
千葉県船橋市


 
1月7日


 
田喜野井、三山のオビシャ

 
田喜野井の子神社、三山の二宮神社

 
氏子、住民
 
 オビシャは年頭に行う弓射ち、または輪番のヤドによる神の受け渡しの行 事が中心で、「お歩射」「お奉謝」「お備社」などの字を当てる。弓射りを行う船橋市のオビシャは市内では三山、田喜野井、古和釜、八木が谷の4ヶ所。的の中央には“鬼”“虫”などの文字を記す。“鬼”は悪疫・悪魔など邪悪 なもの、“虫”は田畑の害虫などを指し、的を射抜くことでムラの平和と作物の豊作を祈願する。 村の平和と作物の豊作を祈願 
千葉県船橋市


 
1月13日


 
どんど焼き

 
古和釜中学校校庭

 
松が丘連合町会主催、地域住民
 
 骨組みは竹を使い、スポーツ健康大学OBや体育指導員たちの手で朝から作る。。そこに、住民が持参するしめ縄やお飾り、だるまなどが積み上げられ、5mほどの高さになる。中学校の校庭で行われた松が丘地区のどんど焼きは2015年を最後に中止されたという。  
 
埼玉
埼玉県蕨市 2016年3月20日 クルドの春分新年祭「ネウロズ」 蕨市民公園 在日クルド人約1000人  イランなどの世界文化遺産「ノウルーズ」は、クルドでは「ネウロズ」として春分の日に行われている。クルド人はトルコやシリア、イランなどに広がる山岳部に住む民族で、独立した国を持てず、少数民族として迫害を受けてきた歴史があるという。このため、世界の各地で難民として暮らしているクルド人が多いという。
 蕨市で行われたネウロズは、クルド日本文化協会が主催し、焚き火を囲んで新たな年の到来と「抑圧からの抵抗と自由」とをみんなで祝い、ダンスや歌を楽しむのが趣旨だという。「火」は自由の象徴とされる。この祝祭には、蕨市と川口市を中心に全国で暮らすクルド人約1000人が色鮮やかな民族衣装で参加した。
 祝祭ではクルド人を受け入れてくれている地域住民への感謝と、シリア内戦で戦っているクルド人同胞への祈りを捧げた。男性はクルドの緑、黄、赤、色の旗を振り、祝祭を盛り上げた。
(この項日経ビジネスweb版記者の目「なぜ埼玉県南部にクルド人が集まるのか?」参照)
焚き火を囲んで新たな年の到来と「抑圧からの抵抗と自由」とをみんなで祝う
埼玉県秩父市上宮地町 2017年1月12日夜 小正月恒例行事「虚空蔵尊縁日」 虚空蔵(こくぞう)禅寺 地域住民   虚空蔵尊は干支の丑(うし)、寅(とら)年生まれの人の守り本尊。小正月の縁日はかつて秩父の主産業だった養蚕の農家らが参拝したが、今は商売繁盛や学問成就を祈る市民でにぎわっている。参道はちょうちんの明かりがともされ、だるまやお飾りの露店が並んだ。縁日は13日昼まで行われた。 豊作、養蚕の繁盛、商売繁盛、学問成就
埼玉県秩父市三峯 2024年2月3日 ごもっともさま 三峯神社 地域住民、参拝客  「ごもっともさま」は節分追儺(ついな)祭の神事として行われる伝統行事。ごもっとも神事には五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いがこめられ、とくに子授けの奇瑞(きずい)があるといわれている。
 社殿で神事があり、裃を着た年男が「福は内、鬼は外、福は内」と唱えたのち、後方に控えた介添えの方々が「ごもっともさまぁ~」と大きな掛け声をあげ、ごもっとも様(檜のすりこぎ棒型、男性の象徴)を前方に突き出し、社殿から参拝者へと福枡の豆がまかれた。ごもっともさま棒は大小あり子孫繁栄を願い、毎年手に入れたいと多くの人が訪れるという。(秩父地域おもてなし観光公社WEBサイト)
五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いがこめられ、とくに子授けの奇瑞がある。
埼玉県秩父郡長瀞町 2020年1月16日 風布(ふうっぷ)の回り念仏 風布地区 地域住民   「風布(ふうっぷ)の回り念仏」は、数人が輪になり、太鼓とかねのリズムに合わせながら、大きな数珠を手渡しで回す、小正月とお盆に行う伝統行事。住民らは疫病の退散を祈願した。戦国時代の鉢形(はちがた)城(寄居町)の落城で命を落とした先祖を供養したことに由来するともされる。
 数珠の長さは約8メートルで、玉はキリの木で作られている。住民らは阿弥陀ケ谷(あみだがや)、蕪木(かぶらぎ)、大鉢形の三つの集落の十数戸を巡り、各戸の前で数珠を手に取って五周回した。(この項:東京新聞TOKYOWEB)
疫病の退散を祈願
埼玉県秩父郡長瀞町 毎年年明けから小正月にかけて 養蚕の小正月飾り作り「モノツクリ」   長瀞町の養蚕農家の瀬能さん  「モノツクリ」は長瀞町の養蚕農家の伝統行事。無病息災とともに養蚕倍盛を願う。かつて養蚕が盛んだった秩父地域の小正月は、繭や農産物の豊作を願い、繭玉や削り花などを飾る家が多かった。近年は高齢化と後継者不足の影響で、2024年現在の養蚕農家は瀬能さんと、秩父市の久米悠平さん宅の2軒のみ。瀬能さんは養蚕、原木椎茸、自家用の米を栽培。養蚕の文化を守るため小正月飾り作りを行っているという。
毎年年が明けて2日に山入りをして、小正月飾りに使う「ニワトコ」や「オッカド」の木を集める。3日からそれらの木や枝を使い、神棚に飾る長さ4mほどの「削り花」「粟穂(あわぼ)」「稗穂(ひえぼ)」「臼」、ニワトコの節間を削って花状にした「十六花(じゅうろくばな)」、トイレに供える魔除けの「守り刀」、小豆粥をかき混ぜる「粥かき棒」と食べるための「孕み箸」を作る。14日に正月飾りの松を外して飾り付ける。
削り花は長さ約4メートルのニワトコの枝を使用。「ハナカキ」と呼ぶ小さな鎌を巧みに使い、枝の表面をそぐように削る。枝を1回削ると、薄い皮はくるりと丸まり、白い木肌が輝くキクのような花々が咲く。養蚕の神様「十六善神」にあやかり、1本の枝に16カ所花を付けた。
15日の朝には、今年の歳徳神(としとくじん)の方角(恵方)を拝み、粥かき棒にまゆ玉をつけて小豆粥をかき混ぜ、まゆ玉への粥のつき具合を見て今年の作付けを占う。小正月飾りのうち、「十六花」に使う「ニワトコ」の枝は、1年で長く伸びることで縁起が良いとされている。節間約16箇所を薄く削り、花に見立て、玄関や神棚などに飾る。16という数字には、蚕の脚が16本あることからともいわれている。
 小正月にはモチを繭や繭籠、臼やウグイスの形にした「まゆ玉」などのめでたいものを神棚に供えて、その年の農作物の豊作を願う。「まゆ玉」は本来白いもののみを飾る。(出典JAちちぶホームページニュース、埼玉新聞)
無病息災と養蚕倍盛を願う
埼玉県秩父郡東秩父村 2015年1月15日 「削り花」作り講習会 東秩父村の「ふるさと館」 地域住民7人  「削り花」は小正月の時期に神棚などに飾る縁起物。伝統文化を絶やさないようにと村の公民館が主催した。
 削り花の講習ではニワトコの木を材料に、木の表面を一定間隔で鎌で薄く削って花のように仕上げる。豊作などの願いを込め、県内では主に養蚕が盛んな地域で飾られている。
豊作、養蚕の繁盛
埼玉県児玉郡児玉町児玉 1月12日 どんど焼き、道祖神祭り 小山川河川敷 地域住民や新成人。地元の大久保青年会が主催し、町観光協会や商工会などが協力  どんど焼きに使うやぐらは、高さが約12m。中心にアカシアの木を立て、12本の竹を円すい形に組み、松の枝と葉、ヒバなどでふいた。
 午後3時すぎ、八幡神社の宮司が祈とうを行って祭事がスタート。祈とう後、やぐらの周りから火が付けられ、勢いよく燃え上がった。しめ縄や松飾り、古くなっただるまなどが持ち寄られ、燃やされた。
 青年会会長は「どんど焼きは昔ながらの伝承に基づいて行っている。繭玉飾りやニワトコの木で作った花かきもみんなで持ち寄った。年々祭事が盛況で見学者も多くなっているのがうれしい」と話した。会場には消防車が待機し、豚汁や甘酒、焼き芋のサービスも行われた。
 参加者には家内安全、悪疫退散、交通安全と書かれた「道祖神御守護」が配られた。
家内安全、悪疫退散、交通安全
埼玉県秩父郡小鹿野町(おがのまち)藤倉馬上(もうえ)地区 2010年1月14,15日 クダゲエ(筒粥神事) 諏訪神社 氏子  地区の30戸程の氏子たちが守り、伝承している小正月の行事。14日夜、約10cmに切りそろえた篠竹45本を楮(こうぞ)の細縄ですだれ状に編み、米と水を入れた大鍋に入れ、囲炉裏で炊き上げ、木のわんに入れて神前に供えた。15日午前8時過ぎ、拝殿に日が当たり始めたのを合図に、長老らが篠竹の束をほぐし、1本ずつ割って内側の湿り具合を調べ、12カ月の天候と30種の農作物、雨、風、大世(おおよ)の吉凶を占った。本年の農作物の作柄はよいと出たが、社会情勢の大世は、あまり良くないと出たという。
五穀豊穣
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄の出原(いでわら)地区 2020年2月25日 「出原の天気占い」(県指定無形民俗文化財) 諏訪神社 氏子    出原の天気占いは、氏子らが白黒の的に矢を射て、向こう1年の天気を占う、諏訪神社の祭礼行事。県指定無形民俗文化財で、400年近く続くとされる。白と黒の同心円が描かれた直径約90センチの的に、6人の射手が計24本の矢を放つ。白は晴れ、黒は雨、的から外れると風が吹くとされる。今年の占いは、「晴れたり曇ったりの1年で、台風は2、3回来るかも。異常気象に見舞われるが、農作物の出来は良さそうだ」という。(この項:東京新聞TOKYOWEB) 五穀豊穣
埼玉県秩父郡小鹿野町河原沢 2024年1月20日夜 ドウロク神焼き(県指定無形民俗文化財) 橋詰地区の河原 地域住民  橋詰のドウロク神焼きは正月飾りなどで組み立てた小屋を燃やして災難よけを祈願する伝統行事。ドウロク神は、道路の悪霊を防いで行き交う人々を守るとされる。地域住民が河原にヒノキや竹を組み、高さ約8メートルの三角すいの小屋を制作。松飾りやだるまなどと共に、近所のドウロク神峠に祭られている二つの自然石(御神体)を小屋の中に納め、一緒に燃やして厄をはらった。
 当日の橋詰地区は、朝からみぞれ交じりの雨が降り続いたが、13軒の住民は数百年と続く伝統を雨でも雪でも毎年絶やさず行ってきた。午後5時ごろに点火が始まると、炎が天高く舞い上がり、「パンパン」と青竹がはぜる音が渓谷中に響き渡った。なお、東京都稲城市では塞の神の丸石をドウロク神と呼び、どんど焼きの小屋と一緒に焚き上げている。(出典:埼玉新聞WEBなど)  
災難よけを祈願
埼玉県日高市 1月9日 繭玉を飾る催し 市立高麗川公民館 高麗川地区老人クラブ連絡協議会会員と市立高麗川保育所の年長園児  老人クラブの会員が園児に繭玉作りを教えた。繭玉は団子を木の枝に刺して作る。日高周辺では養蚕農家が激減し、繭玉を伝える機会も少なくなっている。
 園児は紅白の米の粉を丸めて直径約二センチの団子にし、アドバイスを受けながら高さ約2.5mのコナラの枝に飾った。老人クラブ会長は、「繭玉は後世に伝えなければ自然消滅するかもしれない。孫に昔の風習を教える感覚で続けたい」と語った。
繭の豊作を願う

【東海】
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
静岡
静岡県静岡市清水区の吉原地区 2018年1月14日夕 御幣(おんべ)焼き 吉原公園 地域住民、子供たち 吉原の御幣焼きは小正月の恒例行事。12日、地元の吉原公園で準備が行われた。独特の形状の竹飾りは上から、松などで作る「神旗」、地区の子どもたちが書いた「書初め」、36本の竹が放射状に並ぶ「花笠」の3段構造で、高さ約7メートルに達する。吉原御幣焼き保存会の会員約15人が12日朝から山に竹を取りに行き、だるまやつるし飾りなどでカラフルに彩った竹飾りを製作した。
14日夕は根元に積んだ正月飾りに年男が火を付け、書き初めに火が回ったタイミングで竹飾りを倒した。住民は燃える竹飾りから飾りを取り出し、厄よけ、無病息災のお守りとして玄関先に1年間飾った。
厄除け、無病息災
静岡県静岡市 2014年1月12日 どんど焼き 市内の各所 地域住民  どんど焼きはこの日、市内の各所で行われた。駿河区の大谷海岸では、大谷町内会が実施。近隣の住民約500人が参加。無病息災と地域の安全を祈った。
 竹や和紙、新聞紙などで作った高さ10mの円錐の塔「おんべら」を海岸に設置。持ち寄った正月飾りを周りに積み上げ、一斉に点火した。竹竿に鏡餅やミカンを付けて、残り火で焼いて食べた。
無病息災と地域の安全を祈った
静岡県静岡市清水区草薙 2021年1月11日 どんどん焼き 草薙神社 地域住民  草薙神社は日本武尊(ヤマトタケル)を祀る古い神社。日本武尊東征のとき、草に火を放たれた尊が、剣で草を薙払い難を逃れた地と伝えられている。どんどん焼きは、お正月に飾った注連縄飾り、古いお札やだるまなどを、ご神火をもって焚き上げる神事。燃えあがる炎に身体を温め、餅や団子を焼いて食べると、一年間健康で過ごせると伝えられている。2021年はコロナ禍の影響でお焚き上げのみ行い、恒例の橙を焼いたり等の行事は自粛となった。 餅や団子を焼いて食べると一年間健康で過ごせる
静岡県伊豆の国市 2013年1月21日~3月10日 イベント「まゆ玉の里」 伊豆長岡温泉 観光業者、観光客  会場となる同市のホテルサンバレー伊豆長岡では、地域の女性でつくる「まゆ玉の会」のメンバーや市観光協会の職員らが、蚕の繭をかたどった白い玉や色とりどりの人形をつけた竹約25本を次々と運び込んだ。
 同協会によると、温泉周辺ではかつて養蚕が盛んに行われていて、豊作の願いを込めてまゆ玉を飾る風習があったという。
 伊豆長岡温泉ではおもてなしという言葉を中心にすえ、基本に立ち返った観光キャンペーンを行うことになり、住民が自ら観光客の皆様におもてなしという言葉をどう伝えるのか、そんなことを考えたとき、まゆ玉飾りを復活させることになった。
 近年は観光協会が旅館のおかみや芸妓衆から着物の提供を受け、まゆ玉を製作している。会場では、「まゆ玉飾りの展示」のほか、「まゆ玉販売」や、「まゆ玉作り体験」も行う。
 展示は21日から3月10日まで。入場無料。
 
静岡県伊豆の国市 毎年1月下旬の日曜日 鵺(ぬえ)ばらい祭 伊豆長岡温泉湯らっくす公園 観光業者、観光客  鵺ばらい祭は、伊豆長岡温泉三大祭りのひとつ。頭が猿、胴体が虎、尻尾が蛇の妖怪「鵺(ぬえ)」を源頼政が退治したという故事にちなんで開催されている。鵺を追い払い、福を招くとされ、あらゆる災難を鵺に託して退治する新年の厄払い行事、地元中学生たちが鵺踊りを披露する。その他、地元高校生弓道部による弓のデモンストレーションや伊豆長岡芸妓連による踊りの披露、餅まきなども行われる。(伊豆の国市観光協会HP) 鵺や厄を追い払い、福を招く
静岡県富士宮市
 
1月14日
 
道祖神祭どんど焼きとヤナギ、ハナなど  市内各所
 
地域住民   市内各所で1月14日、どんど焼き(どんどん焼き)が行われる。現在(2014年)は14日前後の土曜日や日曜日に行われることが多い。 道祖神がない内房地域など一部を除き、市内各地では、どんど焼きは道祖神の祭りとされている。現在は田んぼや空地で行われることも多いが、かつては道祖神の前で行われた。どんど焼きの際に道祖神の依代として隣にヤナギやハナと呼ばれる飾り物を立てる集落がある。他にも、正月飾りを積み上げておんべ竹(御幣竹)や御神木を中心に立てたヤマを作る集落があり、おんべ竹やご神木が道祖神の依代と考えられる。
どんど焼きの火で団子を焼いて食べると風邪を引かない、焦げたところを食べると虫歯にならないなどと言われる。市内では、「サンボンヤリ」「ミツマタ」と呼ばれる三又になった枝に、米粉で作った団子を3つ挿して焼く。白い団子を3つ挿したり、食紅で赤色・緑色に染めた団子を作り3色の団子を挿したりする。なお、内房の瓜島は市内の他の集落とは異なり、竹竿に角餅を挿して焼いている。
道祖神の飾り物として、どんど焼きの際、「ヤナギ」や「ハナ」などと呼ばれる飾り物を道祖神のそばに立てる場所がある。これは、竹を割いて柳の枝のように垂らし、紙で作った飾りをつけたもので、市内では根原・上稲子・人穴・芝山・杉田で作られている。集落によって形や呼び名は様々であり、根原・上稲子では「ヤナギ」、人穴・芝山では「ダシ」と呼ばれる。杉田では「ハナ」と呼ばれ、幟と共に道祖神の近くに立てられる。 根原では、ヤナギは道祖神の依代とされる。ヤナギを倒した後、輪に丸めて屋根に投げ上げ、火伏のまじないにする。古くなると道祖神の元に返され、翌年のどんど焼きで燃やされる。
 ヤナギ(ハナ)は山梨県の北部地域や富士川流域に広く見られ、富士宮と山梨県との関係が考えられる。また、富士地域では氏神のお日待ち(祭礼)の際に竹を割いて飾りをつけた飾り物を立てる集落があり、どんど焼きのヤナギ(ハナ)との関係が考えられる。
 どんど焼きを行う場所は道祖神の前とされる。道祖神(御神体の石)を火であぶるため、どんど焼きの場所が移動したためその時だけ道祖神を前に運んで行う集落もある。山宮・下蒲沢では、どんど焼きの火の中に道祖神を投げ入れる。現在は、道祖神が火で傷んで来たため、隣に祀った自然石を代わりに投げ入れている。他にも道祖神を焼く集落があり、また、かつて焼いていたと伝承する場所も多い。道祖神をどんど焼きの火で焼いたりあぶったりすることには、どんど焼きの神聖な火で道祖神を清め、疫病神を追い払う力を回復させる願いが込められている。 (この項出典:富士宮市公式WEBサイト・郷土資料館2014年08月12日掲載『富士宮市の道祖神 改訂版』報告)
風邪を引かない虫歯にならない。火伏せ。疫病神を追い払う  
静岡県富士宮市上井出
 
1月13日
 
どんど焼き
 
富士ミルクランド
 
地域住民、観光客  日本に残る風習を後世に伝えようと同ランドが初めて企画した。職員や住民らが持ち寄った門松やしめ飾り、お札、だるまなどを積み上げ、燃やした。火がおさまると、竹の先に付けたもちを火にかざし、「一年間、健康にすごせますように」との願いを込めて焼き、その場で食べた。 一年間の健康を祈る  
静岡県富士市・沼津市周辺  1月14日
 
どんどん焼き
 
市内各地  地元の住民  昭和の時代には正月になると子供たちが「どんどん焼きは14日、サルのケツはマッカッカー」と歌って行事を楽しみにしていたという。正月飾りや門松、書き初めなどを燃やし、その火で木の棒の先に付けた団子を焼いて食べると一年中風邪をひかないと言われている(この項:富士市広報昭和47年1月など】    
 
静岡県御殿場市 1月14日
 
さいと焼き(さぎちょうともいう)
 

 

 
御殿場在住のK様から、さいと焼きで燃やすやぐらのことを地元では「おんべ」と呼んでいることを情報提供してくださいました。メール連絡ができませんので、この欄で御礼申し上げます。   
 
静岡県御殿場市 2014年1月8日
 
小正月の風習「お宝の木」づくり
 

市立高根小

2年生の児童
児童が養蚕が盛んな時代の小正月に作られた宝の木づくりを体験した。
 
豊作を願う
 
静岡県伊東市 2015年1月6日 どんど焼き
伊東オレンジビーチ

地元住民と子ども
伊東オレンジビーチには地元の住民が正月飾りやだるまを持ち寄り、子どもたちが飾りの山に点火して燃やした。どんどの火で、子どもたちは書き初めの半紙などを丸めて作った「おんべ玉」を燃やした。子どもたちは浴びると願いがかなうと言われる「おんべ玉」の灰を体に浴びたり、竹竿に付けて焼いたお餅を食べたりして健康を祈った。
 
ことし1年の無病息災や学業成就を祈願する
静岡県三島市
 
2023年1月15日
 
どんどん焼き
 
三嶋大社  参拝客  三嶋大社の「どんどん焼き」は正月に飾られたしめ縄や古い御札などを燃やす伝統行事。訪れた人たちが神前でお払いを受けた「齊火(いみび)」で身体を温めた。どんどん焼きの火で餅や団子を焼いて食べると1年健康で過ごせるといわれ、無病息災を祈っていました。(出典テレビ静岡)   1年健康で過ごせる 
静岡県掛川市
 
1月13日
 
どんどん焼き
 
上西郷の美人ケ谷公民館
 
地域興しグループ主催、地域の子供や高齢者   門松や正月飾りを持ち寄りドラム缶で燃やす。子供たちは用意されたもちを竹くしに刺して焼き、食べる。
 
ことし一年の無病息災を祈る。
 
静岡県浜松市天竜区水窪町 2016年1月9日
 
小正月のお飾り「削り花」製作体験講座
 

交流施設「田楽の里」

2年生の児童
 削り花は直径1.5cm前後のコメやクルミの枝を小刀でそいで幾重にもひだを作り、花弁のように広げて花の形に整えた地域独特の小正月のお飾り。1月半ばから約1カ月、五穀豊穣などを願って家の中に飾られる。
 講座では同町の小塩勉さん(84)が講師となって、地元住民約30人が参加。枝に対して刃をななめに入れてひだを反らせ、花びらの自然な動きを表現するなどの技を学んだ。今では、小正月に削り花を飾る家は町内で4、5軒ほど。70代中心の講座参加者でも初めて作るという人がほとんどだった。
五穀豊穣を願う
 
静岡県浜松市天竜区水窪町 2023年1月12日、24日
 
田遊び  附属(ふぞく)寺 檀家、参拝客  小畑地区では附属寺の「田遊び」は正月を締めくくる伝統行事。新年の祈禱に続いて、境内で正月飾りをたき上げた。寺の住職が鈴(りん)を鳴らして読経し、檀家(だんか)が持参した松やしめ縄にろうそくで火を付け、消防団員が水をかけながら、火の勢いを抑えた。水窪では15日の小正月を祝う風習が残り、向市場、神原、小畑三地区で営まれる田遊びのうち小畑地区は最も遅く、小正月に門口で飾った割り木の「にゅうぎ(新木)」も持ち込まれた。
神原の観音堂では1月12日夜、田遊びが開かれ、地域住民が今年の無病息災を祈った。観音堂には寺の住職や地域住民らが集まり、無病息災や家内安全を祈願した。観音堂の隣では、地元の消防団員がだるまやしめ縄、お札など役割を終えた昨年の正月飾りを燃やした。田遊びは「どんど焼き」として地域に浸透している。(静岡新聞WEB、中日新聞WEB)
正月を締めくくり、無病息災を祈る
 
静岡県周智郡森町(もりまち) 2013年1月11日 どんど焼き 三倉小学校 全校児童14人  園児7人も加わって正月飾りや書き初めを持ち寄り、住民の協力で組み立てられたまきに向かって放り込んだ。みんなで手をつないで火を囲み、1年間の健康も祈願した。最後は餅を焼いて食べた。 1年間の健康
静岡県周智郡森町一宮 2011年1月16日 どんど焼き祭 小国神社 地区住民  正月飾りやお札など正月飾りなどを持ち寄った参加者は、長さ3メートルほどの竹の先に餅をつけて焼いて食べた。無病息災を祈った 無病息災
愛知
愛知県名古屋市西区稲生町 2016年1月10日 左義長 伊奴神社 地域住民、参拝客  左義長(どんど焼き)は、参拝客がしめ縄、古い神札や御守を神社に持参し、焚き上げる。焼納の浄火で焼いた餅を食べると、一年間無病息災で暮らせると言い伝えられている。 1年の無病息災
愛知県名古屋市 2019年01月12日~14日 第13回名古屋中国春節祭 久屋大通公園(エディオン久屋広場・エンゼル広場) 地域住民、参拝客  名古屋中国春節祭は、名古屋春節祭実行委員会と中華人民共和国総領事館が開催し、中日民間の交流を促進するために、中国伝統の旧正月「春節祭」を、小正月の時期に実施。伝統的な中国の祭事を通じて、中国文化を深く理解できるよう舞台芸術、文化、食べ物や物産販売を行った。 中日民間の文化交流を促進
愛知県岡崎市滝町 2023年2月11日 滝山寺鬼まつり 滝山寺(たきさんじ) 滝山寺鬼まつり保存会、地域住民、観光客  瀧山寺鬼まつりは、天下泰平・五穀豊穣を祈る伝統行事で、旧暦の正月元旦から始まる修正会の結願日にあたる旧暦正月7日目の晩(現在は旧暦正月7日に近い土曜日)に催される。まつりの起源は、源頼朝公の祈願から始まったといわれ、徳川三代将軍以後は幕府の行事として行われたという。
 当日は午後3時、本堂から1km離れた三門から巨大な松明を運ぶ行列から始まり、神前で長刀を振り、邪気を払う「お礼振り」、鬼塚供養(豆まき)、鎌倉時代から続く口上と農業の所作を再現する庭祭りなどが行われ、午後7時45分ごろから、クライマックスの「火祭り」が始まった。
 鬼神の面をかぶった「冠面者」3人が主役になり、白装束の男衆が国重要文化財である本堂に30を超える巨大な松明を持ち込んで、けたたましく半鐘やほら貝を鳴らし、燃え盛る松明の火の粉を撒き散らしながら乱舞した。
 滝山寺では、鬼は厄払いする「善い鬼」として伝えられている。回廊を1周した鬼は2周目から鏡餅を持ち、最後は回廊の欄干にある擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれる装飾の上で鏡餅を抱え、天下太平と五穀豊穣を約束した。  また鬼まつり当日は地元の常磐中学校の生徒たちが鬼面の土鈴を制作販売し、祭りに協力している。(出典:毎日新聞デジタル、愛知県公式観光ガイドなど)
天下太平と五穀豊穣を祈る
愛知県津島市 2023年2月20日夜 開扉祭(かいひさい) 津島神社 地域住民、参拝客  開扉祭(かいひさい)は「おみとまつり」とも呼ばれ、地域に春の到来を告げ、無病息災を願い、災いを払う火祭り行事。700年以上の歴史があるとされ、津島市指定民俗伝統文化財。
 地元の有志ら約40人が長さ7メートル、直径0・8メートルの燃えさかる大きなたいまつ2本を担ぎ、神社の楼門を駆け抜けた。新型コロナの影響により、3年連続で今年も参拝客の境内への入場は禁止された。このためYouTubeチャンネルなどでライブ配信した。(朝日新聞デジタルなど)
春の到来を告げ、無病息災を願い、災いを払う
愛知県犬山市宮山 2023年3月12日 豊年祭 大縣(おおあがた)神社 氏子、地域住民、観光客  豊年祭は、五穀豊穣と国家安泰を祈願する祭で、尾張に春を呼ぶお祭とされる。毎年3月15日以前の日曜日に斎行され、大鏡餅の奉納行列、稚児行列、無病息災を願う厄男による神輿などの神幸行列がある。また、別名「姫の宮まつり」「おそそまつり」とも呼ばれ、女性のシンボルをかたどったお多福様を載せた山車(飾りトラック)が巡行する。神社の境内には女性の守護神である姫之宮、女性のシンボルをかたどった姫石が祀られ、子授け信仰の対象となっている。祭礼で、性的シンボルを奉納するのは小牧市の田縣神社豊年祭と同じ。(犬山市観光協会HPなど) 五穀豊穣と国家安泰を祈願し、尾張に春を呼ぶ
愛知県小牧市田県町 2023年3月15日 豊年祭 田縣(たがた)神社 氏子、地域住民、国内外の観光客5万人(神社発表)  豊年祭は厄年の男たちが五穀豊穣や万物育成、子孫繁栄を願って、男性のシンボルを象(かたど)った「お供え物」を担いで街を練り歩いた後、神社に奉納する伝統の祭り。新型コロナ禍で昨年まで神事のみで続けたが、今年は4年ぶりに通常開催された。
 お供え物は毎年、ヒノキで作られる直径60センチ、長さ2メートル余り、重さ約400キロの大男茎形(おおおわせがた)と呼ばれる巨大な男性シンボル。海外からの参拝者も多く、「見くらべて 笑えこの梅 あのさくら」「野も山も みなほほえむや 田縣祭」と歌にもうたわれ、国境を越えてみな微笑むといわれる。
 男衆は大男茎形を載せたみこしを担ぎ、神社近くの熊野社の御旅所を出発。1時間ほど街を練り歩いて田縣神社境内に入り、みこしを何度も回転させ拝殿に納めた。
 変わった祭りを見ようと海外からの観光客も多く、スペインから新婚旅行で見物にやってきた夫婦は「人生を祝福してもらえた」と報道取材に答えたという。参道の屋台では男性シンボルをかたどったフランクフルトやバナナなどが販売された。(田縣神社公式サイト、TBS・JNN NEWS DIG、愛知県公式観光ガイドAICHI NOWなど)
五穀豊穣や万物育成、子孫繁栄を願、人生を祝福する
愛知県大府市横根町 1月12日朝 左義長      高さ6~7mの青竹を約30本束ねて立て、周囲にわらを積み上げた。しめ縄や門松飾り、お札などを置き、午前6時ごろに火が付けられると、火柱が高く上がり、夜明け前の空を染めた。
 火勢が衰えた後は、餅焼きを行い、「この1年健康に」という願いを込めて鏡餅などを焼いた。
この1年健康を祈願
愛知県大府市長草町 2016年2月21日 「どぶろくまつり」 長草天神社境内 氏子、参拝客  「どぶろくまつり」は、500年以上前から続くと言われる。どぶろくは長草地区の6組の氏子が、毎年交代で酒元となり仕込む。今年は前屋敷組が担当し、1月中旬から仕込みを始めて、約650リットルを造った。このどぶろくを飲むと、1年間無病息災で暮らせるという言い伝えがある。
 この日は、外国人も交えて、大勢の参拝客が訪れ、杯にどぶろくを注いでもらい、1年の健康を祈願しながら飲み干した。境内には赤い顔をした想像上の動物「猩々(しょうじょう)」も登場し、子どもたちの頭を竹刀でたたいて「福」と「徳」を授けた。
この1年間の無病息災
愛知県豊田市武節町 2016年1月11日 どんど焼き どんぐりの湯 東側田んぼ    豊田市稲武地区の小正月伝統行事。お正月に飾った門松・しめ縄・破魔矢や書き初めを持ち寄って「どんど焼き」をします。その火にあたったり、お餅を焼いて食べると『一年の無病息災』が叶うと伝えられている。 1年の無病息災
愛知県稲沢市 2016年2月20、21日 国府宮(こうのみや)はだか祭 尾張大国霊(おおくにたま)神社(国府宮)    国府宮(こうのみや)はだか祭は、正式には同神社の「儺追神事(なおいしんじ)」といい、毎年旧暦正月13日に行われる。2016年は2月20日にあたる。起源は、神護景雲元年(767年)に悪疫退散の祈祷を行うよう全国に勅令が出された際に、尾張国司が同神社で祈願したことが始まりと伝えられている。祭礼では、祈祷と神籤によって選ばれた神男(しんおとこ)に触って厄落としをしようと下帯だけの裸姿の男たちがもみ合う。
 はだか祭の20日には、8千人の裸男たちと8万人の参拝者が訪れた。神社発表によると、あいにくの雨のため、参拝者は昨年より12万人少なかったという。この日は裸男たちが儺追笹(なおいざさ)を奉納。午後5時すぎ、神男が参道に現れるという合図で、凍えるような雨の中を待ち構えていた裸男たちのもみ合いが始まった。今年の神男・池谷悟さんは喚声を上げる裸男たちに、揉まれ触れられ、人々の厄災を一身に受けて、1時間ほどで儺追殿にたどり着き、男たちの万歳と参拝者の歓声が境内にこだました。
 裸男たちが持つ「儺追布(なおいぎれ)」は厄払いのお守りとされ、参拝者がもらいうけて持ち帰った。
 はだか祭が終わって、翌21日午前3時に庁舎(ちょうや)で夜儺追神事(よなおいしんじ)が行われる。儺負人(なおいにん)となった神男に、天下の厄災を搗き込んだとされる土餅を背負わせ、御神宝の大鳴鈴(おおなるすず)や桃と柳の小枝で作られた礫(つぶて)にて追い立てて、境外へ追い出す。追い出された神男は、家路につく途中土餅を捨て、この土餅を神職の手により埋める事で、世の罪穢悪鬼を土中に還し、国土の平穏をもたらすとされる。
1年の無病息災、世の罪穢悪鬼を払う
愛知県知多郡南知多町 2023年1月22日 師崎(もろざき)左義長まつり 師崎海岸一帯 地域住民、若者   師崎の左義長まつりは、ふんどしとさらしを巻いた裸姿の若衆が「無病息災」「大漁」「商売繁盛」などの祈りを込め、10mもの大のぼりをどんど焼きの上に倒したり、起こしたりして、竹を燃やし尽くすまで盛大に祝う小正月行事(現在は1月の第4日曜日の昼に行われる)。厄落としの餅まきも行われ、竿の先に餅をつけて焼いて食べると病気にならないと言われている。起源は明らかではないが室町時代から行われているといわれている。
祭りは、師崎地区5箇所でおこなわれ、大漁祈願をかけた大のぼりを立て、正月飾りやお札といっしょに焼き尽くす。2023年は大のぼりの行事が中止された。 (南知多町観光協会HPなど)
「無病息災」「大漁」「商売繁盛」などを祈る
岐阜
岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目 1月17日昼 (2007年) 左義長神事 伊奈波神社境内 神社への参拝者  古いお札やお守り、しめ縄などの正月飾りを燃やす。昨年末から寄せられたお札などは5トントラックで2台ほどになった。一度では燃やせないため、3m四方を板で囲った場所で少しずつ燃した。
 最近は遺影や粗大ゴミなど神事とは関係ないものが持ち込まれ、神社側は困っている。
新年を無事迎えられたことを感謝する。
岐阜県恵那市三郷町野井地区 2016年1月4日、5日
なんまいだ 町内の家々 小学生と園児  子どもたちは大沢、宮の前など組ごとに分かれて、各家庭を訪れ、リーダー役が幣束がついた榊でお祓いしながら、「なんまいだーなんまいだー・こうみょうへんじょう(光明遍照)」と太鼓、拍子木など打ちながら子供たちが声を合わせて唱えます。光明遍照というのは仏教で「阿弥陀仏の救いの光があまねく全世界に及ぶ」という意味。各家庭の無病息災や五穀豊穣を祈りながら唱える。お祓いをしてもらった家ではリーダーにお祝儀を渡す。集まったお祝儀は1月10日のどんど焼きに振る舞われるミカンやおやつ、お神酒などにあてられる。 各家庭の無病息災や五穀豊穣を祈る
岐阜県恵那市三郷町野井地区 2016年1月10日
野井の鷺鳥(さぎちょう)どんど焼き 町内の組を単位とした田んぼ 住民  どんど焼きは別名左義長といわれるところから、野井のどんど焼きでは、その名前にかけた白い鷺鳥の模型と、幣束(へいそく)、ぼんでんが先についた3本の青竹が中心に立てられる。鷺鳥は空に舞い上がるよう羽を大きく広げて作られる。幣束は4日の「なんまいだ」で、組内の各家庭を回り無病息災や五穀豊穣を祈るために使用したもの。また、その当日各家庭の門松など正月飾りを子供たちや子供会の関係者などが集めに回る。
大沢組のどんど焼きでは、子供や大人たちがどんど焼きの前に整列し、二礼二拍手一礼をしてお正月中門松に宿っていた歳神様にご挨拶。子供の代表がどんど焼きに少しずつお神酒をかけて一周したあと、点火された。どんどが燃え盛るなか、子どもたちはお神酒やおやつをどんど焼きの参加者に振る舞った。また、書き初めを火に投じて書道の上達を願った。(この項:恵那市三郷地域自治協議会の三郷町まちづくり委員会ホームページによる)
各家庭の無病息災や五穀豊穣を祈る
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積地区 2019年2月18日 県重要無形民俗文化財の「谷汲踊」(豊年祈願祭) 華厳寺など 地域住民 「谷汲踊」は、春の訪れを祝い、この一年の豊年を祈って踊る旧暦小正月の伝統行事。800年ほど前から続くとされ、県重要無形民俗文化財に指定された。谷汲では、毎年2月18日の豊年祈念祭、4月上旬の谷汲さくらまつり、11月上旬のもみじまつりと、年3回奉納される。谷汲踊の特長は、鳳凰(ほうおう)の羽根に見立てた「シナイ」と呼ばれる4mほどもある大きな扇状の竹細工で、赤、青、黄色、白の鮮やかな模様が施されている。祭事では「シナイ」を背負った男衆が、腹に抱えた太鼓を打ち鳴らし、人々の思いを届けようと、シナイを天に向かって跳ね上がながら踊った。(この項出典:谷汲観光協会web版、wikipedia日本版など) 春の訪れを祝い、この一年の豊年を願う
岐阜県下呂市野尻地区 2011年1月12日 どんど焼き 地区の広場 地区住民  どんど焼きでは正月の門松やしめ飾り、古いお札などを焼く。子どもたちが、祭壇に供えられた餅を細長い竹の先に挿して焼いて食べ、家族の健康を祈った。

 

無病息災、五穀豊穣
岐阜県海津町 平成15年1月12日 どんど焼き 駒ケ江地区の駒ケ江神社 自治会主催、地域住民  自治会が「どんど焼きで世代を超えた交流を」と企画。平成15年、40年ぶりに復活した。お年寄りらが二日がかりで組んだ竹高さ約6m、直径約5mを、正月飾りや書き初めと一緒に燃やした。
 主婦たちはぜんざいを作り、炎で焼いたもちを入れて皆で味わい、無病息災を祈った。熱かんのお神酒を竹筒に入れてふるまった。
海津町は2005年(平成17年)3月28日に南濃町・平田町と合併して海津市が発足した。  
1年間の無病息災
岐阜県海津郡平田町今尾 2月11日 今尾の左義長、県重要無形文化財 秋葉神社 氏子組ごとの住民  左義長は400年前から継承される伝統行事。「どんど」とも呼ばれ、毎年2月11日に旧年の神札や正月用の門松やしめ縄を焼き、日(火)の神を迎え、大地を暖めて万物の成育を祈る正月の神事。青竹を枝や葉のついたまま鼓型にし、各氏子組ごとに作り上げ、当日は長襦袢に白足袋姿、化粧をした若衆連によって秋葉神社に青竹神輿がかつぎ込まれ、次々に点火される。轟々と燃え上がる炎の周りを若者たちが駆けめぐり乱舞する。
 燃え残りの青竹は火難・雷除けのお守り、残り火で焼いた餅は病魔除けになると言い伝えられている。 2020年現在では、2月の第2日曜に開催されている。(この項:海津市役所ホームページ文化財情報などによる)
平田町は2005年(平成17年)3月28日に南濃町・海津町と合併して海津市が発足した。
火難・雷除けのお守り、残り火で焼いた餅は病魔除けになる
岐阜県加茂郡東白川村 1月6日夜 六日の年取り 各家庭 住民  「六日の年取り」は「七日正月」を前に、1月6日の夜、大晦日のときと同じように神まつりをし、食事をして年を取るという風習。(東白川村公式サイト) 食事をして年を取る
三重
三重県四日市市東富田町 1月14日夜
(2007年)
どんど祭り 国道23号沿いの空き地 地域住民  100年以上前に大漁祈願の送り火として始まった。住民は祭事に先立ち1週間前からどんど作りを行った。竹15本とわら480束を円錐形に積み上げ、高さ9mのどんど15基を製作した。
 午後6時過ぎ、住民の代表が次々にどんどに点火した。火勢が弱まると、住民は持ってきた鏡もちを火に入れて焼き、食べた。
1年間の無病息災、大漁を祈る。
三重県伊勢市 12月31日 年越しのどんど火 伊勢神宮外宮、内宮、別宮 参拝客  伊勢神宮の外宮、内宮、別宮では、大晦日になると年越し参りの人々を迎えるため、かがり火が焚かれる。地元では、年越しの「どんど火」と呼び、人々は餅と焼き網を持参してお参りし、どんど火で焼いた餅を食べる。神宮では一般の参拝客にも「年越餅」が振る舞われる。どんど火で焼いた餅を食べると一年無病息災に過ごせるといわれている。
 神宮では、年越餅の由来について、古くから除夜、伊勢神宮の神苑大篝火で焼いて食べるお餅は、無病息災の奇瑞ありと伝承され、“年越餅”と呼ばれているという。
無病息災
三重県尾鷲市北浦町 2008年1月15日 どんど焼き 尾鷲神社 地域住民  市内外から正月のしめ縄を中心にお札や門松、鏡もちなどが持ち込まれ、境内で燃やされる。どんど焼きの煙に当たり、鏡もちを食べるとその1年は健康に過ごすことができるといわれる。 1年を健康に過ごすことができる
三重県尾鷲市北浦町 2023年2月1日~5日 尾鷲(おわせ)ヤーヤ祭 尾鷲神社 地元住民、男衆  尾鷲ヤーヤ祭は白装束の男衆が狭い通りで激しくぶつかり合う「奇祭」として知られ、豊漁と豊作を祈願する伝統行事。ヤーヤ祭の呼び名の由来は、武士が合戦時に名乗りをあげる「ヤーヤー我こそは…」からといわれる。戦国時代に遡り、当時の庄司・仲氏をはじめとする地侍衆が尾鷲神社の大神等の武運にすがり合戦に大勝利した事を後世まで語り継ごうと、鎌倉時代の頃から執り行われてきた神事(例大祭・大弓の儀など)が行われ、この神事を賑わそうと氏子が中心で行う祭事(練り、大名行列、手踊りなど)を取り入れて例大祭を行うようになり、300年以上前から続くと言われる。
 例祭は、「扉開き」から始まり2~4日にかけて3つの当務町で「チョウサじゃ」のかけ声とともに男たちが激しく練り(押し合い)が繰り広げ、町を練り回る。また毎夜、体を清めるのに裸で海に飛び込む。神事や子供が参加する華やかな大名行列及び道中踊りなども行われ、街は例祭の間活気に満ち溢れた状態になる。
 2023年はコロナウイルス感染症の影響により、神事のみ行われた。 (出典:三重県観光連盟HP、尾鷲神社HPなど)
豊漁と豊作を祈願する
三重県鳥羽市国崎町 2023年1月17日 ノット正月 の前の浜 地域住民、海女   ノット正月は江戸時代から続く、家内安全や海上の安全、豊漁などを祈願する海女の伝統行事。魔除けの[出天光鬼神」という文言を書き込んだ「ツメの札」と呼ばれる木札や、お神酒・小豆飯・なますを海に供える。その後、わらで長さ2メートルほどの舟をつくって火をつけ、海に送り出した。(出典中京テレビNEWS) 家内安全や海上の安全、豊漁を願う
三重県四日市市 2024年2月3日毎年節分の日 厄払行事「狐の嫁入り神事」 海山道神社(みやまどじんじゃ) 地域住民、参拝客  「狐の嫁入り神事」は、神使狐に扮した新郎新婦が、赤鬼と青鬼の先導で練り歩く「きつねの嫁入り道中行列」が終わると、舞台に上がった狐の夫婦が三々九度の盃を交わし、福豆をまいて厄払いを行う。新郎新婦の狐がまく祝儀袋の中には、『萬両』の焼印が押された榊の葉が入っているものがある。この榊の葉をお守りとして持っていると「お金が入る」という言い伝えがあり、多くの参拝者で境内が賑わう。(三重県観光連盟WEBサイト ) 厄払い、お金が入る
三重県名張市美旗中村 2010年1月10,11日 どんど焼き 美旗中村農村公園 地域住民、美旗中村どんど保存会  伝統行事「どんど焼き」では、竹でつくった骨組みにわらを巻き付けた「どんど」を燃やし、その火にあたったり、正月飾りや餅などを焼くことで、健康や豊作を願う。
 美旗地区では地域住民が毎年、高さ約17m、10mの2本のどんどをつくっている。10年は9日に設置し、10日の午後7~10時、小さい方のどんどを燃やす「宵どんど」を実施。甘酒や豚汁などが無料で振る舞われる。大きいどんどは11日の午前7時に点火する。
 美旗中村地区のどんど焼きは江戸時代に始まったとされる。少子高齢化で2005年に結成した「どんど保存会」が中心となり、大きいどんどは、竹12本を束ねて土台を作り、中心に長さ17メートルの竹を人の力で約7時間かけて立てたという。
 残り火で焼いた餅を食べると1年を健康に過ごせると言われ、参加者は長さ2mの竹に餅を刺し、家族分の枚数を焼いた。美旗中村どんど保存会では「家族の分だけ餅を焼いて食べると、1年間無病息災を期待できる」と新聞社の取材に話していた。
健康や豊作を願う
三重県松阪市小阿坂町 2024年1月13日午後6時~ どんど焼き、市指定無形民俗文化財「御火試(おひだめし)、粥試(かゆだめし)神事」県指定無形民俗文化財「かんこ踊り」 阿射加(あざか)神社 神職、氏子、参拝客  阿射加神社(松本明徳宮司)は、境内で市指定無形民俗文化財の御火試(おひだめし)、粥試(かゆだめし)神事を行い、今年の天候や稲作の作柄を占った。コロナ禍のため中止されていた県指定無形民俗文化財のかんこ踊り(同保存会・松本秋夫会長、32人)が4年ぶりに奉納された。
 この日はまずかんこ踊りが行われ、太鼓や笛のお囃子(はやし)と共に、法被や浴衣姿の子どもたちを含む地域住民約30人が輪になって、今年1年の平穏と、豊作を祈って踊りを奉納した。
 その後、社務所前に竹などを組んで作られた高さ約8メートルのやぐらにどんど火がたかれ、それぞれが持ち寄った正月飾りやお守りなどを焚き上げた。
 御火試と粥試は社務所隣の調舎(ちょうや)で行われた。御火試は、1月から12月までを書いた12本のカシの割木の先をいろりで焼き、その焼け具合に応じて今年1年の月ごとの天候を占う。灰の色が白ければ「晴れ」、黒い炭の状態であれば「雨」、その中間であれば「半晴れ(はんぱれ)」となる。
 粥試は、稲の早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)の印を付けた長さ15センチほどの竹筒を3本入れて小豆粥を炊き、筒に入った小豆や米粒の量によって作況を占う。早生と中生は「大々豊作」、晩生は「大豊作」となった。  その後、氏子たちは、食べると夏病みしないといわれる粥を分け合って食べた。(出典:夕刊三重WEB)
健康や豊作を願う

【北陸】
   
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
富山
富山県南砺市高宮 2021年1月14日日 柿の成木(なりき)責め
高宮の柿畑 地区干し柿農家  成木(なりき)責めは柿の木を脅して豊作を約束させる小正月の伝統行事。干し柿の産地、同市高宮の吉江干柿生産組合が約五十年ぶりに復活させた。柿畑では、みのを着てほおかぶりをした組合長(73)ら三人が「今年もたーんと実をならせ」「なるかならぬか、ならぬと切るぞ」と三本の三社柿を脅し、なたで少し樹皮を傷つけた。雪ん子の格好をした地元の喜志麻(きじま)保育園の二歳児十二人が柿の木に代わって「なります、なります、なりまーす」と声をそろえて答え、園児の代表が傷口に小正月で作った小豆がゆを塗った。
 成木(なりき)責めは昭和三十年代までは各農家で行われていたが、農業の機械化が進んで今では行われていない。今春、地元にあんぽ柿の加工施設が完成するのを機に、伝統行事を復活し、特産干し柿の発展を祈った。
柿の木を脅して豊作を約束させる
富山県高岡市伏木一宮 2022年1月15日 「氣多の火祭り」
氣多(けた)神社と境内横の「伏木ふれあいの杜」 氏子、地域の住民、子ども  神社の本殿では和宮司が火起こし器で種火を作り、御神火を奉賛会長のたいまつに移した。氏子の伏木小児童6人が奉賛会長から御神火のたいまつを受け、境内の越中総社跡を1周し、伏木ふれあいの杜に設置された縁起物の高さ約8メートルの竹のやぐらに点火した。従来の左義長は神社の麓の駐車場で行っており、採火、点火の神事は行っていなかったが、幅広い年代の氏子により神社に親しんでもらおうと、今年から本殿を中心に地元児童が参加する儀式とした。(この項:富山新聞デジタル) 幅広い年代に神社に親しんでもらう
富山県射水市の太閤山、中太閤山、南太閤山の3地域 2023年1月9日 第38回左義長まつり
県民公園太閤山ランド 地域住民、子ども  「第38回左義長まつり」は射水市の太閤山、中太閤山、南太閤山の三つの地域振興会が共催している。高さ15メートルになる竹のやぐらが組まれ、住民たちの正月飾りを焼いた。やぐらは各町内会メンバーら約100人が園内で伐採した竹を組んで作り、住民からしめ飾りや破魔矢、書き初めなどを受け付けた。
 神事の後、太閤山、中太閤山、歌の森の3小学校の児童8人がやぐらにたいまつで点火した。(この項:北日本新聞web版による)
正月飾りを焼く
富山県宇奈月町下立地区 1月14日 左義長「おんづろこんづろ」
下立神社 地区住民  竹で高さ約7mの骨組みが作られ、わらをかぶせた中に、こどもたちの書き初めや地元住民が持ち寄ったしめ縄などの正月飾りを入れて、燃やす。無病息災や五穀豊穣を祈る。
 火勢が収まると、もちとバターをアルミはくに包み、竹竿に針金でつるして焼いて食べる。「おんづろこんづろ」の名は、書き初めが舞い上がる様子を鳥の大ヅル、小ヅルに例え、それがなまったことが由来とされる。(宇奈月町は2006年、黒部市と合併。宇奈月温泉を除く地域は黒部市宇奈月町、宇奈月温泉周辺地域は黒部市宇奈月温泉となった)
無病息災や五穀豊穣。左義長の火で焼いた餅をたべると風をひかないという
富山県利賀村 1月12日、14日 初午(はつうま)国の無形民俗文化財 利賀村上村地区 地区の大人と子供  初午は約180年前、当時の村の中心産業として栄えた養蚕の増収と豊作を祈願する小正月行事として始まった。児童数の減少などで衰退し、現在では上村だけに伝承されている。
 12日には小学生9人がわらで作った馬の踊りなどを地区の27戸で披露した。
 子供たちは住宅に入り、神主役の女子小学生が祝詞(のりと)を読み上げた後、「乗り込んだ 乗り込んだ お馬が乗り込んだ」という元気な歌と太鼓に合わせ、馬役の二人がわらの馬を操りながら軽妙に踊った。最後に、小学生が福俵を重そうに転がしたり、縄で引き寄せたりし、豊作を祈った。
 初午は14日も行われ、役場や事業所を回った。
五穀豊じょうや招福を祈願
富山県下新川郡入善(にゅうぜん)町上野地区(旧邑町) 2011年1月9日 国重要無形民俗文化財「塞の神まつり」
地区の境に立つ塞の神石碑前の田んぼ 地区住民や子どもたち  同地区の旧地区名から名付けられた「邑(むら)町のサイノカミ」として2010年3月に国重要無形民俗文化財に指定された。江戸時代末期の安政年間から続くとされる。
 同地区では、塞の神まつりは、地区の境で村を守護する神様とされる道祖神の「塞の神」の祭りと、しめ飾りなどを小正月に燃やす「左義長」の両方が合わさった祭りと考えられている。
 塞の神まつりでは、地区の小学生が二人一組で二手に分かれ、最年長の児童が「オヤカタ」となって、墨で男神、女神の絵が描かれた拍子木を兼ねた一対の木製の人形「木偶(でく)さま」を胸に掲げ持って、集落内を練り歩く。その道中に大声で「塞の神じゃ、大神じゃ、じいじもばあばも、ほこほこじゃ、来年むけや、十三じゃ・・・」などと塞の神の唄を歌いながら、集落内の約120軒の家々を一軒ずつ訪問する。かつては男子児童だけで家々を回っていたが、少子化で近年は四年生以上の女子児童も参加している。
 各家庭の玄関先で木偶を打ち鳴らして訪問を知らせ、家の人が正月飾りと米や大豆、お金を手渡すと、子どもたちはサイノカミの唄を歌い、無病息災や五穀豊穣、家内安全を祈願する。合わせて、しめ縄、書き初めなどを収集する。
 子どもたちが家々を回っている間、大人たちは地区の境に立つ「塞の神石碑」前の田んぼに青竹や藁で高く組まれた円すい形のやぐらを作成する。子どもたちは各家庭を回って集めたしめ飾りや書き初めと男女一対の木製人形「でくさま」を、やぐらの火で、灰になるまで燃やして、災厄を焼き払った。
 サイノカミは塞の神まつり保存会と邑町壮青年会、邑町児童会が行い、毎年1月の第2日曜日に実施する申し合わせとなっている。2015年は1月11日に行われた。 参考【塞の神の歌】(入善町公式HPによる)
さいのかみじゃ おおかみじゃ
じいにも かあにも ぼくぼくじゃ
らいねんもきゃ じゅうさんじゃ
にょうぼう うんだら しょうぶした
おとこうんだら そ そ そだて
無病息災や五穀豊穣、家内安全を祈願
石川
石川県 2021年1月15日前後の土曜、日曜、祝日など 左義長 県内の神社 参拝者  石川県の左義長祭は小正月の伝統行事として毎年1月15日前後の土曜、日曜、成人の日などに各地の神社で行われている。 正月飾りや書き初め、古いお札お守りを「どんど」にて焚き上げている。
 石川県神社庁によると、左義長祭は、古くは、平安時代の宮中で正月十五日の朝に行われた悪魔払いの行事。昨今では、竹を立て、書き初めの清書・しめなわ・門松など正月の松飾りを各自が持ち寄って焼き、その火で餅を焼いて食べると無病息災が得られると言われている。石川県の神社では、毎年十五日に行われてきたが、近年、国民の祝日である「成人の日」が変更になり十五日以外に実施する神社が出ている。(この項:石川県神社庁ホームページによる)  
1年間の無病息災を願う
石川県金沢市 2021年1月15日、17日 左義長 尾山神社 参拝者  前田利家をまつる尾山神社の「左義長」は正月飾りなどを燃やしてことし1年の無病息災などを祈る伝統行事。正月飾りや絵馬などを燃やしてことし1年の無病息災などを祈願する。
参拝客は家から持ってきたしめ飾りや書き初めなどを境内の斎場の火にくべて、1年間の無病息災や習字の上達を願った。(この項:NHK石川NEWS WEBによる)
1年間の無病息災を願う
石川県かほく市瀬戸町 2014年1月13日 「柿の木いため」 町内の畑 地域の小学生13人  「柿の木いため」は、特産の紋平柿(もんべいがき)の豊作を願う奇習。傷を付けた木に餅を付け、ぜんざいの汁を塗り込むなどし、豊作を願った。
 同所の農業主(75)が「(柿が)なるか、ならぬか。ならねば切って燃やすぞ」と脅かすように木に語り掛け、なたで幹の皮を削り取った。木の精に成り代わった児童が、燃やされては大変と「なります、なります」と叫びなが ら木の周囲を駆け足で回った後、6年生の女子が木をいたわるように傷口に餅を付け、ぜんざいの汁を塗り込んだ。
特産の紋平柿の豊作を願う
石川県白山市三宮町 2021年1月15日 左義長祭 白山比咩神社 地域住民  白山比咩神社は左義長祭を営み、宮司が祝詞(のりと)を奏上、舞女(まいひめ)が神楽を奉納した。この後、北参道駐車場ではどんど焼きが行われ、わらで組み上げた高さ約10メートル、直径約6メートルの「どんど」に鶴来、北辰中の生徒が火を付けた。 同神社はどんど焼きについて、「お正月に歳神様(年神様)をお迎えするために飾った門松や松飾りを正月の終わる小正月(1月15日)に焼いて、歳神様をお送りする」という神様に感謝申し上げる神事と説明している。(この項:北國新聞、白山比咩神社ホームページによる)   今年一年の無病息災や書の上達を祈った
石川県鶴来町(松任市などと合併し白山市となる) 2004年1月15日 左義長祭 白山比咩(しらやまひめ)神社 地域住民、参拝客  左義長祭ははじめに拝殿で、神官がヒノキの台木にビワの棒をこすって忌火(いみび)をおこす神事が行われた。同町鶴来、北辰中の二年生九人が忌火を移したたいまつを手に持ち、北参道駐車場に青竹で組み上げられた高さ約十メートルの「どんど」に点火した。
 「どんど」は参拝者らが家庭から持ち寄った正月のしめ飾りや旧年の縁起物、書き初めの書が積み上げられたもの。
 鶴来町は2005年2月1日に、野々市町を除く石川郡を構成する町村及び隣接する松任市と合併し、白山市となった。  
今年一年の無病息災や書の上達を祈った
石川県河内村 1月20日 左義長 各小学校 全校児童、地元住民 竹やわらと書き初めを燃やす。もちや芋を竹や針金にさして焼いて食べる。  
福井
福井県内各地 1月15日(2015年は1月11日に実施) 左義長 県内各地 地域住民 左義長は小正月の火祭で、住民が正月飾りを持ち寄り、燃やす伝統行事。 一年間の無病息災を祈る
福井県坂井市丸岡町 2021年1月17日 どんど焼き 國神神社 地域住民  福井県では1月17日、小正月行事のどんど焼き(左義長)が各地で行われた。坂井市の國神神社では、早朝から住民らが持ち寄った正月飾りなどをたき上げ、1年間の無病息災、豊作を祈った。神社では今年、大雪や新型コロナウイルス感染拡大に配慮し、人が密集しないよう2週間前から、正月飾りの門松やしめ縄、熊手、お札、書き初めなどを事前に預かった。  丸岡町内の織物会社、造り酒屋、豆腐店、呉服店の4事業者でつくる、まちおこし団体「福井愛プロジェクト」は、神社のどんど焼きに合わせて毎年、ドーナツや油揚げ、甘酒などを来場者に無料で配っている。今年は油揚げ千個を振るまった。(この項:北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ) 一年の無病息災や豊作
福井県福井市下江守町 2011年1月16日(2015年は1月11日) 左義長まつり 同町内 左義長まつり奉賛会のメンバー  2011年には1月9日、小雨が降る中、左義長まつり奉賛会のメンバーら約60人が集まり、しめ縄や正月の縁起物などを焼く巨大な「飾り」を作り上げた。竹を組み、わらと縄で囲った飾りは高さ約8.5m、直径約5mのジャンボな円すい形。同町内の稲荷神社の宮司が神事を行い、無病息災を祈願した。
 2011年の左義長まつりは、左義長まつりは16日午前8時から行われ、点火式の後、お汁粉、甘酒なども振る舞われた。
   2015年には1月11日に行われた。町内の水田では住民ら100人が、持ち寄った正月飾りを燃やした。地元自治会員らでつくる奉賛会の主催で19回目。50人が青竹やスギの葉などであらかじめ作った円すい形の飾りに点火した。
無病息災
福井県福井市 2023年12月~2024年1月28日 福井城下の小正月行事「馬威し(うまおどし)」企画展 福井市立郷土歴史博物館    江戸時代に福井城下で小正月に行われていた行事「馬威し(うまおどし)」を紹介する企画展が福井市立郷土歴史博物館で2023年12月~2024年1月28日まで開かれた。「馬威し」は江戸時代、武士が燃え盛る左義長飾りの周りで行っていた馬術訓練に庶民が馬のおどし役として加わるようになり、階級を越えて繰り広げた「奇祭」として伝えられた。
 同館に展示されている屏風や絵巻には乗り手の武士たちが馬を上手に操り奮闘する様子やその馬を太鼓や銅鑼など鳴らして威したり妨害したりする庶民と激しく攻防する場面などが生き生きと描かれている。(出典:福井テレビ)
武士の馬術訓練
福井県福井市毛矢 2024年1月9日、10日 十日えびす祭り 毛谷黒龍神社 氏子、地域住民  十日えびす祭は、七福神のえびす様を祭り、この一年の商売繁盛、福徳円満を祈る伝統行事。同神社では、境内に西宮恵比須神社の社殿が再建された1989年から行われている。「商売繁盛笹もってこい」といわれ、福笹、福俵を求めて大勢の参拝者で賑わう。
このうち、商売繁盛を願う祭典のハイライトである「福餅まき」が1月10日、行われた。社殿近くに並んだ福娘や奉賛会会員ら約20人が約4千個の餅をまき、参拝客は福を授かろうと懸命に手を伸ばしていた。 (出典:福井新聞ONLINE、福井県HP「ふくい四季のしあわせ綴り」)
商売繁盛、福徳円満を祈る
福井県福井市松本 1月中旬(大寒の頃) 大寒願掛け 地区内の7つの神社 地域住民  大寒願掛けは簸川神社から護国神社まで、地区内の7つの神社を「願かけ男」が「願い布」を巻きつけて駆け抜けた後、水を浴びて禊を行う。地域の安寧と絆の強化を目的として、大寒に行う願掛け行事。(出典:福井県HP「ふくい四季のしあわせ綴り」) 願掛けと地域の絆の強化
福井県敦賀市相生町 2018年1月21日 「敦賀西町の綱引き」(国重要無形民俗文化財) 旧西町通り 農業、漁業関係者  400年以上続くとされる小正月の伝統行事「夷子(えびす)大黒綱引き」(敦賀西町の綱引き)が1月21日、2年ぶりに再開された。夷子、大黒神の面や衣装を着けた年男2人が町内を一巡後、漁業関係者が東の夷子方に、農業関係者が西の大黒方に分かれ、わらで編んだ大綱を引き合う。夷子方が勝てば豊漁、大黒方なら豊作になるとされる。国の重要無形民俗文化財だが、昨年は担い手や資金の不足から開催が中止となったが、今年は市内外から通りを埋め尽くすほどの人々が集結。誰でも飛び入りで参加できる。東の夷子方が5年ぶりに勝ち、「豊漁」との結果が出た。
 区内の夷子大黒会館で神事を終えると夷子神の石川与三吉県議と、大黒神の角野雅之さんが衣装と面を付けて、「夷子勝った、大黒勝った、エンヤーエンヤーエンヤー」の掛け声とともに区内を巡行した。お立ち台に到着すると綱引きがスタート。大綱の重さは500キロを超え、長さ約50メートル、直径は約30センチ。白熱した戦いに一帯は熱気に包まれ、2分ほどで決着した。
 綱引き行事の再開は、敦賀市が補助金で支援し、相生町や敦賀商工会議所など各種団体で綱引き伝承協議会を2017年10月に設立し、再開を決めた。
 (出典:福井新聞オンライン、読売オンライン福井地域2017年8月30日付)
漁業豊漁、農業豊作
福井県越前市国中町 2016年2月17日午後 「惣田正月十七日講」(ごぼう講) 地区持ち回りの宿主の民家 地域住民  「惣田正月十七日講」(ごぼう講)は、朱塗りのおわんに山盛りのゴボウを食べ、豊作を願う伝統の奇祭。江戸時代の1705年から300年以上続いている。 「ごぼう講」は年貢の取り立てが厳しかったため、ゴボウをおかずに白米5合を高く盛った「物相飯」を食べ、結束を深めたのが始まりと言われる。地域の民家が持ち回りで料理や会場を提供する。
 会場では、神主による豊作を祈る祝詞の後、1.5キロのささがきにしたゴボウのみそあえと、物相飯が1人ずつお膳に用意された。席に着いた男性たちは箸や手づかみで次々にゴボウを口に運んだ。食べきれなかったゴボウとご飯は持ち帰り、家族と食べるという。
一年の豊作を願う
福井県越前市(旧今立町)粟田部 2月11日 粟田部の蓬莱祀(あわたべのおらいし) 岡太神社と地区内 地域住民 「粟田部の蓬莱祀」は、岡太神社の神事のひとつで、1500年前の継体天皇伝説に結び付けられ、その即位を祝って始めたとされている。平成17年に国選択無形民俗文化財に選ばれ、同年に蓬莱祀保存会を設立された。かつては、同地区の岡太神社で旧暦正月13日に行われていた小正月行事だった。現在は2月11日に行われている。
今の蓬莱祀は、五穀成就・天下泰平を願い、町の子供からお年寄りまで大勢の住民が山車を曳いて町を練り歩きます。蓬莱祀の山車は、直径3mほどのワラ束で作った俵を台座として、継体天皇を勧請した御幣を奉る幣竹(にぎたけ)、岡太神社の尊神を勧請した鏡餅を挟む鏡竹(かがみたけ)のほか、養蚕や稲作の豊穣な実りを願うまゆ玉、餅花を飾り、御幣、鏡餅、鳥居などを飾りつけて、修羅(しゅら)に載せて完成する。祭礼の日は山車に音頭取りや太鼓囃子が付いて、地区内を曳き回し、終了後に飾られていた餅花が参加者に配られる。 (この項出典:福井県蓬莱祀保存会公式WEBなど)
継体天皇の即位を祝い、五穀成就・天下泰平を願う
福井県勝山市 2022年1月17日~2月下旬 「まゆ玉飾り」 織物博物館「ゆめおーれ勝山」 市内の保育園児や職員 福井の「まゆ玉飾り」は五穀豊穣(ほうじょう)などを願う縁起物。なかでも養蚕業が盛んだった奥越地方では小正月の飾りとして伝わる。五穀豊穣や商売繁盛の願いを込めて蚕のまゆや稲を模しただんごをヤナギやミズキの枝に刺して飾りつける。繊維産業が盛んだったころに市内の各家庭に飾られていたという。
 2022年は1月17日、「ゆめおーれ勝山」に市内のこども園の園児20人が訪れ、「まゆ玉飾り」の飾り付けを体験した。会場には長さ2メートルほどのミズキの枝3本が用意され、子どもたちは、本物のまゆやモナカの皮で作った直径2センチほどの色とりどりのまゆ玉や小判などさまざまな飾りを、願い事を唱えながらひとつひとつ丁寧に枝に取り付けた。
 完成した「まゆ玉飾り」が博物館の中に飾りつけられ、園児らは「1年生になれますように」「新型コロナ(ウイルスの感染拡大)が収まりますように」などと祈った。「まゆ玉飾り」は「ゆめおーれ勝山」で、2月下旬まで飾られる。(この項:NHK福井NEWS WEBなど)
五穀豊穣、新型コロナウイルスの収束
福井県勝山市 2月の最終土・日 勝山左義長祭り・どんど焼き      勝山左義長の始まりは、勝山三町(袋田町・郡町・後町)が成立した17世紀はじめか、勝山町が町として発展をはじめる時期か、小笠原貞信が藩主として元禄4年(1691年)に勝山に入封し、城下町として成立する時期か、などの見方がある。
 勝山左義長では、各町内に御幣、松飾りが建てられる。また各家々の軒下から町中の通りに色短冊、絵行燈を吊るして、街中を色彩豊かに飾り立てられる。松飾りには、扇や紅白の房がついた三角形のヒウチ(火打)袋をつるす。ヒウチ袋はドンド焼きの前に外されて、区長と年番が持ち帰り、魔除けとして門口や玄関などに翌年まで飾られる。
 土曜日には、左義長ばやしが行われる。やぐらの上で三味線・鉦・笛、太鼓による「おはやし」では、女物の長襦袢を着た若者が「左義長太鼓」を打ち鳴らす。派手な衣装の男衆は、お囃子に合わせ、ひょうきんな踊りを繰り広げる。
 一連の左義長行事が終わり、松飾り、櫓、短冊等の後片付けも無事すんだ事を感謝する左義長の締めくくりの神事として「どんど焼き」が行われる。日曜日の夜、九頭竜川の堤防で、注連縄・門松・御札などを御神体の松飾りに取り付けて焚き上げる。燃え盛る「ドンド」の炎で家内安全・五穀豊穣の祈願をし、春を迎える。
家内安全・五穀豊穣
福井県若狭地方 毎年1月15日前後 福井の戸祝いとキツネガリ 小浜と美浜、若狭、おおいの一市三町の三十三カ所 住民や子どもたち  「福井の戸祝いとキツネガリ」は、若狭地方で行われる祝福と害獣払い小正月行事。2019年2月8日の、国の文化審議会の答申で、国選択無形民俗文化財に選ばれた。現在は小浜と美浜、若狭、おおいの1市3町の33カ所で行われている。
 毎年1月15日ごろに、子どもたちが「バイ」などと呼ばれる、すりこぎのような小型の棒を手に集落内の家々を回り、玄関の戸などをたたくのが特徴。このとき、子どもたちは「今年の年はめでたい年で」などと祝福をもたらす歌や、害獣を追い出す歌を口ずさむ。
 福をもたらす歌を詠じて、五穀豊穣や無病息災を願うとともに、災厄を払う。「戸祝い」と「キツネガリ」として元は別々だった行事が合わさり、一つの行事になったとされる。(この項中日新聞web版など)
五穀豊穣、無病息災、災厄払い
福井県三方上中郡若狭町仮屋 2022年12月11日 おしたきどんど 八幡神社 住民や子どもたち  「おしたきどんど」は300年以上続くとされる山の神様の祭り。住民ら約30人が高さ約6メートルの円錐状に積み上げた竹や稲わらを燃やして、子どもの健やかな成長を願った。
 この行事は、その昔38人の子どもたちを引き連れて集落を訪れた人が亡くなり子どもたちが寒さに震えていたため、各家からわらを一束持ち寄りどんど焼きをして温めたことが由来とされる。おしたきは「お火焚(た)き」がなまった言い方とされる。
 同区では今年数えで5歳を迎えた児童が祈祷(きとう)を受けるなど、神事が営まれた。(出典:福井県「若狭湾観光連盟」公式サイト)
子どもの健やかな成長を願う
福井県小浜市小浜塩竈(しおがま) 2014年1月13日 どんど焼き 海岸 地域住民  塩竈のどんど焼きは、市内旧町の7区でつくる地域振興組織、小浜地区東部振興会が主催し、22回目。地域の住民が正月のしめ縄飾りや神社のお札などを持ち寄り、青竹や杉葉で作られた3m四方の井型でたき上げた。 一年の無病息災
福井県小浜市 1月11日 作り物(作り初め、もの作り) 各農家の田畑 農家  作り物(作り初め、もの作り)は農家が年の初めに行う予祝行事で、田の神を祀る伝統行事。神棚に供えたモチバナ(稲穂を模した餅)やユズリハ(トクワカ)を田に持っていき、土を数回耕した後にお供え物をして手を合わせ、1年間の実りを祈る。小浜市以外でも、若狭町や美浜町の一部地域で行われている。(出典:福井県HP「ふくい四季のしあわせ綴り」) 一年の農作物の実り
福井県小浜市 1月6日 六日講・二十日講の勧請綱行事 法海区、荒木区 農家  勧請綱行事の六日講は小浜市内の法海で正月6日に行われ、二十日講は荒木で20日に行われる伝統行事。集落の男性が集まり、持ち寄った稲藁で「蛇(ジャ)」と呼ばれる勧請綱をつくり、集落の境につるして、災厄が入ってこないように祈願する。(出典:福井県HP「ふくい四季のしあわせ綴り」) 災厄が入ってこないように祈願
福井県小浜市西小川 1月18日 数珠繰り 常福寺 地域住民  数珠繰りは長さ約20メートルもある大数珠を、車座になって回す正月の伝統行事。江戸中期ごろには行っていたとされ、現在の数珠は享保年間から使用されている。百回回すと無病息災などの願いがかなうとされている。
本堂の十一面観音立像を収めた仏壇を囲んで、長さおよそ20メートルに連なった数珠をたぐり寄せながら回し、特にご利益があるとされる一回り大きい大玉と中玉が手元に回ってくると、額に近づけ願いを込めた。(出典:福井県HP「ふくい四季のしあわせ綴り」、FBC福井放送)
無病息災などを願う
福井県坂井市坂井町島  1月上旬 合葉の祭り 春日神社 農家  合葉の祭りは約400年前から伝わる伝統行事で、神社境内の「アイバ様」と言われるほこらに祭られた御神体2体に、それぞれ直径20センチほどの大きなおにぎりと四つ割りにした大根を供えて豊作を祈願する。おにぎりが野鳥や猫などに食べられ、早くなくなるほどその年は豊作になるといわれている。(出典:福井県HP「ふくい四季のしあわせ綴り」) 豊作を祈願
福井県坂井市三国町新保 1月15日 舟祝い歌「いざき」 春日神社 地域の船主  舟祝い歌「いざき」は三国町新保地区に伝わる伝統行事。毎年1月15日に、1年間の航海の安全を祈る「舟祝い」が、各船主の家で行われていた。その時に祝いの歌として歌われていた。現在は1月15日に春日神社の祭礼に合わせ奉納が行われている。(出典:福井県HP「ふくい四季のしあわせ綴り」) 1年間の航海の安全を祈る
福井県三方郡美浜町日向地区 2023年1月15日(毎年1月の第3日曜日に行われる) 日向の水中綱引き たいこ橋下の運河 地域住民  日向の水中綱引きは、男衆が運河に飛び込んで、この一年の豊漁を祈願して綱が切れるまで引き合う伝統行事。午前中に、住民らが太さ30㎝・長さ40メートルもの綱を作り、日向湖と日本海をつなぐ運河に渡す。午後から色とりどりのハチマキ、さらしの腹帯、パンツ1つの格好をした若者たちが「たいこ橋」の欄干から縄切りの競い合いが行われた。
5:00~稲荷大神で綱作り(約3時間)
9:30~綱が出来次第、橋の欄干より投げ入れ、取り付ける。同時に大漁旗も取り付け。
12:00~宇波西神社へ豊漁祈願参拝。
14:00 村の青年たちが橋の欄干等から川へ飛び込み、東西に分かれて綱を引きちぎる(出典:若狭美浜観光協会WEB)
1年間の豊漁を祈る
【近畿】
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
滋賀
滋賀県内各地 2023年2月3日 節分祭 寺院と神社 地域住民、参拝客 節分の3日、滋賀県内各地で節分祭が開かれた。比叡山のふもとにある日吉大社(大津市坂本5丁目)の東本宮では、神事が執り行われ、厄魔(やくま)退散と開運を祈願した後、境内で福豆まきが行われた。福豆まきでは、かみしもを着た年男や年女ら12人が、拝殿から「鬼は外、福は内」のかけ声に合わせて、福豆(計5千袋)をまいた。ポリ袋を手にした約300人の参拝者らが、競うようにしてまかれた福豆を取った。宮司は「特にコロナの完全終息を願って、節分祭をご奉仕させて頂いた」と話した。(朝日新聞デジタル) 厄魔(やくま)退散と開運を祈願
滋賀県高島市朽木中牧 2023年1月22日昼 八幡社厄祓い祭 大宮神社 地区の厄年の男女と児童、住民  「八幡社厄祓(ばら)い祭」は厄年の人がお金をまいて厄を分かち合う伝統行事。祭りは旧朽木村の中牧と生杉、小入谷、古屋の4地区の氏子によって受け継がれている。参加者は、前厄と本厄、後厄の厄年の男女。水引の封筒に厄年分の硬貨を入れ、敷地内の八幡社の神前に供えた後、このお金を拝殿前の庭にまく。
 今年は、数え年で61歳の本厄の男性と60歳の前厄の男性、代理男性の計3人が参加。氏子や祭りに合わせて帰省した住民、近くの朽木西小学校の児童ら約30人が見守る中、男性たちが順番にお金や餅、菓子をまいた。児童たちは競うように集めて袋に入れた。(京都新聞web)
災いのない1年を願う
滋賀県高島市津町日置前 2014年1月10日昼 左義長 今津北小 全校児童112人と父母  1956年から毎年続く同小学校伝統の小正月行事。
 この日の天気は雪で、雪原となった校庭に組み上げた左義長は高さ約10m。青竹やヨシ、わらなどで作られ、授業での習作や書き初めなどがたくさんくくりつけられた。学年ごとの代表児童が全児童の前で「苦手の算数を頑張る」「人の話が聞けるように」「字を丁寧に書く」などと大声で新年の誓いを披露した。
 トーチで火が付けられると、児童たちは「大竹、小竹に松飾り どんどと燃えろ左義長。天まで上がれ、左義長」と唱和した。
 2015年は1月15日に行われ、各学年の代表2人がマイクを握って「今年の目標」を披露。続いて、竹や葦(よし)で組まれた高さ8メートルほどのやぐらに、火を入れた。竹には、「もち」「春の光」「光る海」など習字作品が結わえられ、火の粉と一緒に舞い上がるのをはやし立てた。この後、5年生が収穫したもち米で餅つきも行われた。 
 2018年は1月12日に、近所のこども園の園児も参加して行われた。
1年の勉学などの誓いの達成
滋賀県近江八幡市江頭町、十王町 1月14日昼 (2007年)2014年1月11日 子供左義長 町内 幼稚園児から中学生まで約100人  毎年3月日牟礼八幡宮一帯で開かれる「左義長まつり」の子ども版。山車は9つの町内会ごとに作られる。冬やすみを利用して、子どもたちは青竹や赤色の紙で山車8基(2007年)を製作した。2011年には山車は9基造ったが、少子化の波で巡行は7基にとどまった。
 江頭町の町内では2本の竹で心棒を作った後、わら束や杉玉を取り付けた山車に、子どもたちが中心になって、赤や黄の長さ約1メートルの色紙で飾り付ける。
 祭事では、江頭町の日枝神社から十王町公民館までの1.4キロを「サギヤレ、チョウヤレ」のかけ声を上げて練り歩いた。
 2014年には、少子化の影響で山車をひく子供の数が年々減少。子供がいないため、大人だけで山車をひいた奉納町もあり、また8基のうち3基は地元町内を巡行しただけで、十王町まで巡行したのは5基だった。関係者らは「年々寂しくなるが、やめたら伝統行事が絶える。何とか対策を」と頭を悩ませている。
 
滋賀県近江八幡市宮内町 3月中旬の土日 国の無形民俗文化財「左義長まつり」 日牟礼八幡宮 氏子、地域住民、観光客  400年余りの歴史を持つ「左義長まつり」は湖国に春を呼ぶ奇祭として知られる。近江八幡では、豊臣秀次が八幡山城を築いて城下町を開いたのと同時に、氏神八幡宮の祭礼として定着したといわれる。近江八幡の左義長まつりは江戸時代には1月の14日・15日に執り行われていたが、明治時代に入ってから、太陽暦の採用に伴い3月に変更され、昭和40年代からは3月14・15日に近い土日曜日に開催されるようになった。
近江八幡の左義長は、藁を1束ごとに揃えた約3mの三角錐の山車が胴体で、その上に数mの青竹に細長い赤紙や薬玉、巾着、扇などの飾りが付けられる。頭の上には「火のぼり」という御幣を付ける。
 左義長の中心には、「だし」と呼ばれる毎年の干支にちなんだ飾りものを付ける。「だし」は海産物や穀物等の食物で作り上げられ、コンクールで出来栄えを競う。
 土曜の午後、藁や杉などで作った高さ6mの左義長10数基が神社を出発する。揃いの踊り半纒を着て化粧した若者が、拍子木を持って赤い下駄を履いて「チョウヤレ」「チョウサヤレヤレ」「マッセ、マッセ」の掛け声をあげて、町内を御渡りする。翌日の日曜は、朝から各町内を練り歩き、午後8時頃から境内で順次奉火される。
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平成21年の日程
3月14日(土)
13:00 左義長宮入り(13基勢揃い)
左義長だしコンクール審査
14:00 左義長渡御出発
(旧市内を練り歩く)
17:30 左義長渡御還行 日牟禮八幡宮帰着
だしコンクール審査発表、表彰式
18:00~19:50 だし飾り(各町内 左義長宿)

3月15日(日)
10:30~ 左義長自由げい歩。「組合せ」(左義長のけんか)が行われる
14:00~17:00 お祭り広場(日牟禮八幡宮一帯)に左義長集合
20:00~22:40 左義長奉火(日牟禮八幡宮)
(5基一斉奉火後、順次奉火)火祭りはクライマックスとなる。
(近江八幡観光物産協会WEBなどによる)
湖国に春を呼ぶ
滋賀県彦根市戸賀町 1月14日 とんど焼き 八坂神社 氏子、地域住民  竹にわらをまきつけた高さ約三メートルの柱に火を付け、お札やしめ縄を一緒に燃やす。その後、小さく切った鏡もちに燃えるわらをかぶせて焼く。かゆやぜんざいに入れて食べる。350年前から受け継ぐ。 一年の無病息災を願う
滋賀県守山市勝部 2023年1月14日夜 勝部の火まつり 勝部神社 地域住民、松明組(たいまつぐみ)  勝部の火まつりは 大蛇に見立てたたいまつを燃やし、1年間の健康を祈る伝統行事。毎年、1月の第2土曜日に開催され、1958年、県の選択無形民俗文化財に指定された。1497年に再建された本殿は、国の重要文化財。
 火まつりの起源は鎌倉時代、土御門天皇が原因不明の病にかかり、占い師に相談すると近江国の大きな沼にすむ大蛇が原因とわかった。勝部神社で村人と共に天皇の回復を祈り続け、50日後に現れた弱った大蛇を焼き払うと天皇の病気が治ったという伝説に基づいて、始まったという。
 大蛇に見立てたたいまつは竹やハンノキ、住民が栽培した菜種殼で作られる。大蛇の胴体部分は束ねたハンノキの枝を三本の青竹で支え、縄で固く縛っている。頭は菜種殼、胴体のうろこはアカマツの板を使用している。 たいまつは、長さ5〜6メートル、重さ400キロもあり、12基作られる。
祭典は松明組(たいまつぐみ)という勝部町の若い男子が主役で、中学1年生〜34歳までの男子で構成された「松明組」が火祭りを担当している。 (出典:勝部自治会火まつり交流館HP)
たいまつを燃やし、1年間の健康を祈る
滋賀県守山市浮気町 2022年1月14日 松明祭(浮気の火まつり、県の無形民俗文化財) 浮気住吉神社 氏子、地域住民  松明祭の起源は土御門天皇の病気が重く回復しないのは、この地に棲む大蛇が災いしているということから、この大蛇を退治したところ病気が治ったといわれていることから始まる。大蛇の頭が浮気(ふけ)の地に、胴体が勝部に、しっぽが瀬田(せた)に飛んだといわれている。それ以来、家内安全、五穀豊穣、無病息災を祈願して1月第2土曜日に午前中神事、お弓式を行い、午後から大松明を奉納するしきたりという。800年以上続く伝統行事
 午後2時  太鼓を氏子約30人で担ぎ、町内を練り歩いて神社に宮入する。夜には「平癒」のかけ声とともに知新連中ならびに神事中の者がふんどし姿で、奉火するための火を奪い合う。毎年夜7時半前後に仮屋から一番火の手松明を手にした者が、大松明に点火する。  住吉神社の境内では1月22日に左義長神事が行われ、 午前10時に点火して、古いお札等を炊き上げた。(住吉神社火まつり保存会HP)
家内安全、五穀豊穣、無病息災を祈願
滋賀県湖南市石部町東寺 2021年1月10日 鬼ばしり 長寿寺 地域の大人や子供  長寿寺の「鬼ばしり」は本来、年初に五穀豊穣などを祈る「修正会(しゅしょうえ)」、節分に疫病退散を願う「追儺(ついな)」、地域の数え年15歳の男子の「成人式」の三つを兼ねた仏教の法要。住職が読経した後、太鼓やほら貝、堂内につるした大きな鈴の「鰐口(わにぐち)」が一斉に鳴り響き、鬼役の子ども2人が交互に登場。「やー!」と声を出し、太刀ややりを持って暴れる鬼を演じた。
かつては数え15歳の少年が鬼の役を務め、成人式の役割も果たした。赤や青の鬼の面をつけた子供3人が、国宝に指定されている本堂の中を走りまわった後、やりや太刀を振りまわした。集まった約100人の住民は子どもに手を合わせ、厄払いを祈願する。最近は子どもが減り、15歳に満たない子が鬼になる。
子どもが厄払いを祈願
京都
京都府京都市 1月15日 左義長神事(とんど) 市内の神社 地域住民  正月に飾った門松や書き初めをたきあげて、1年間の無病息災を祈願する。東山区の新熊野神社では、境内に長さ5mの笹竹を3本立て、しめ縄を巻き付けて左義長を作り、神火で炊きあげた。
 平岡八幡宮では境内で左義長や正月飾りを神火で炊き上げ、午前8時~午後1時ごろまで神前の鏡餅を焼いて、「左義長餅」として授与した。
 京都府京都市山科区には「西野左義長町」という地名がある。
 市内の各神社では、「古神札・しめ縄焼納祭」として正月飾りをたきあげた。
無病息災を祈る
京都府京都市 2月3日前後 京都の節分行事 市内の神社など 地域住民  旧暦の正月節にあたる立春の前日である節分になると、京都の各所で「節分祭」が開催される。旧暦で暮らしを営んできた古人にとってこの日は、一年の厄をはらい、来たる年の福を迎える大みそかのような日であったが、今でも、京都の人々はまるで初詣でで新年を祝うかのように、節分祭と翌日の立春を心待ちにしているという。
 古来季節の変わり目には邪気(鬼)が入り込みやすいとされ、立春に新年が始まるとされていた平安時代初期の宮中では邪気を払う「追儺(ついな)」という儀式を大みそか(春の節分、立春の前日)に行っていた。追儺は「鬼やらい」とも呼ばれ、7世紀末から8世紀初頭に中国から伝わった風習とされ、中世の鬼払いの豆まきの風習と混ざり合い、「節分に豆をまく」という風習が全国に広まったという説もあるという。

 〇左京区・吉田神社の節分祭(追儺式)
 吉田神社の節分祭は京都の節分行事として特に有名。京都御所の鬼門を守る厄よけ・開運の神様として知られている。節分祭は2月3日を中心に3日間にわたって開催される。2日と3日は参道や境内に約800の露店が並び、「福豆」(200円、家電製品など当たる抽選券付き)を目当てに例年約50万人の参拝者でにぎわうという。
 2日に行われる節分前日祭では、午後6時から追儺式が行われる。平安時代初期の宮中行事を継承したもので、一般的には「鬼やらい」と呼ばれている。境内で暴れる悪鬼を追い払う方相氏(ほうそうし)が手に矛と盾を持ち、たいまつを持った童子をともなって登場。方相氏は黄金に輝く4つの目と2本の角を持つ、古代中国の鬼神とされる。災厄を象徴する赤鬼・青鬼・黄鬼を追い詰めて弱らせる。最後は貴族たちが桃の弓で葦(あし)の矢を放ち、鬼たちを退散させて終了する。
 3日午後11時から火炉祭(かろさい)が始まる。左義長の焚き上げと同様に京都を代表する節分行事で、三ノ鳥居前に巨大な火床が設置され、参拝者は持参した古い神札やお守りなどを納めて焼く。浄火によって神霊を天にかえすといわれている。

 〇上京区・廬山寺(ろざんじ)の「追儺式鬼法楽(通称:鬼おどり)」  廬山寺の鬼おどりは、2月3日午後3時に開式。人間の三毒である「貪欲」「瞋恚(しんい、憎悪の意)」「愚痴」の化身とされる赤、緑、黒の鬼が境内の特設舞台に出現し、たいまつや剣、大おのなどを持って勇壮に踊る。僧侶らの護摩の法力と追儺師(ついなし)の法弓によって追い払われる。鬼法楽が終わると、僧侶や福娘たちによる豆まきが始まり、参詣者には豆と餅も振る舞われる。

 〇東山区・八坂神社の節分祭・豆まき
「祇園(ぎおん)さん」の愛称で親しまれる八坂神社の節分祭は2日と3日に境内の舞殿で開催され、京都の節分の風物詩とされる。4つの花街から舞妓や芸妓(げいこ)が参加し、舞踊を奉納してから豆まきが始まる。舞妓らは「福は内」と声を出しながら豆をまき、1年の幸せと無病息災を願った。各花街の歌舞会が別々に登場するので、舞妓・芸妓の豆まきは2日間で4回開催される。

〇西京区・松尾大社の節分祭
 松尾大社の節分祭は2月3日に行われる。当日は、島根県益田市の「石見神楽(いわみかぐら)」がおよそ2時間にわたり奉納される。主人公の素戔嗚尊(すさのおのみこと)がヤマタノオロチを退治する演目は、素戔嗚尊が松尾大社の御祭神・大山咋神(おおやまぐいのかみ)の祖父神にあたる由縁から、毎年奉納されているという。
 午後から、「追難行事」が行われ、宮司が豆まきで鬼を拝殿へと鬼を追い払う、拝殿で弓を構えた宮司が弦を三回引き、和歌を唱えて疫鬼の退散を念じる神事「四方奉射神事」が行われる。一連の神事の後は、その年の福男・福女による福豆まきが行われる。1日〜3日は福引券付きの福豆(300円)が販売される。(この項:公益財団法人ニッポンドットコム、朝日新聞デジタル&TRAVELなどによる)
邪気や厄を払い、この1年の幸せと無病息災を願う。火炉で古い神札を焼く
京都府亀岡市余部町 2014年1月13日 とんど焼き 走田神社 氏子と地域住民  神社の境内では、氏子や近くの住民が持ち寄った正月飾りや同神社の絵馬、書き初めなどが積み上げられた。宮司によるおはらいの後、点火された。書き初めは燃え残りの紙が高く舞い上がるほど書道の腕が上達するとされることから、書道作品を手にした子どもたちの姿も目立った。参拝者にはイモ煮の振る舞われた。 無病息災を祈る
京都府京都市上京区大宮通一条上ル
1月15日 どんと焼きと小豆粥  冨田屋(とんだや)。
国の登録有形文化財として西陣独特の京町屋の様式を残している。
予約客

 京都西陣では、正月の松のとれる15日に「どんと焼き」を行い、小豆粥をいただく行事が行われる。
 宮廷行事に始まったどんと焼きは、お正月の飾りを焼いて無病息災を祈る行事として庶民に定着したといわれる。14日の夜にはずした正月のお飾りを、翌15日の朝、庭で燃やして、その火で小豆粥を炊き、お餅を焼いて食べる。
 この餅を下げたもので、十二に割って食べることから十二の餅と呼ばれている。これをさらに家族の数だけにちぎって食べる。(以上は西陣くらしの美術館冨田屋ホームページの説明による。平成23年閲覧)
 冨田屋では、小豆粥と歳徳さんの御餅を召し上がっていただく体験プランを予約客に提供している。
 平成23年の体験プランは、「町家見学」+「しきたりのお話」+「小豆粥と御餅のお食事」。8,400円。

無病息災
京都府京都市東山区 1月12日 七福神巡り 泉涌寺 寺の参拝客  泉涌寺の七福神巡りは、全国の七福神巡りのルーツとされる。境内には布袋(ほてい)など七福神に加え、愛染明王、楊貴妃をまつる計9つの塔頭(たっちゅう)があり、福ザサに宝船やくま手など吉兆品を用意した。
 「ようおまいりやす」の掛け声が響く中、早朝から家族連れらが各塔頭寺院を訪れ、参拝する。
商売繁盛や家庭円満など開運招福を願う
京都府京都市右京区 2015年1月15日 小豆粥(がゆ)行事「初春を祝う会」 妙心寺塔頭(たっちゅう)、東林院 寺の参拝客  小豆粥は小正月に食べると邪気を払い万病を除くと伝えられ、1月7日の七草粥と同様、平安時代から続く新春の風習とされる。東林院では、無病息災を祈る「小豆粥(がゆ)で初春を祝う会」として31日まで行っている。
 初日は僧侶らが参加者に取り分けた粥を少しずつ集め、庭園の木々に供える「散飯(さんはん)式」が営まれた。読経の声が響く中、参加者約20人は小豆粥を振る舞われると、参加者は自分の食事を少し分かち衆生に施す禅の作法「さば」(生飯、施食)にのっとり、少量を戻した後、ゆっくりと味わった。
邪気を払い万病を除く
京都府京都市左京区 2016年2月23日 「五大力尊法要」 聖護院門跡山内にある積善院凖提堂 参拝客  五大力尊法要は平安時代に国家の安泰を祈るため行われ、その後、家内安全を祈る民間信仰としても広まった。境内では、聖護院の僧侶や山伏らが大般若経転読法要のあと山伏による柱源護摩供養、おふだやき、粕汁接待などが行われた、参拝者らは手を合わせ家内安全や無病息災を祈った。 国家の安泰、家内安全や無病息災
京都府京都市伏見区 2016年2月23日 「餅上げ力奉納」 世界遺産・醍醐寺 参拝客   餅上げ力奉納は不動明王をはじめとする五大明王に力を奉納して無病息災などの御利益を授かる「五大力尊仁王会(ごたいりきそんにんのうえ)」の行事の一つ。男女の部で、巨大な紅白の鏡餅を持ち上げ続ける時間を競う。餅の重さは男子の部約150キロ、女子の部約90キロ。18~68歳までの力自慢の男女52人が参加し、巨大な鏡餅に挑んだ。
 男子の部は大津市の公務員(49)が4分25秒で、女子の部は京都市山科区の主婦(40)が5分48秒でそれぞれ優勝した。
この1年の無病息災を授かる
京都府大山崎町円明寺 1月11日 鬼よけの弓神事 小倉神社 長岡京市友岡地区に住む氏子  同神社は、長岡京や平安京の裏鬼門にあたることから、古くから都の厄除けを担ってきたといい、弓神事は、江戸時代初期から始まったとされる。
 氏子の宮年寄たちは、神前に参拝した後、編んだばかりの「こも」の上に足袋はだしで立ち、各人1本の竹の矢に「いい年になりますように」との願いを込め、5mほど先の的を狙って順番に弓を引いた。的は「鬼」と書いた紙を裏側につるした直径約1mのもの。矢が次々に的に当たると「今年は豊作や」と、にぎやかな声が挙がった。
新しい年の豊作や厄よけを祈願
京都府舞鶴市小倉 2013年1月15日 どんど焼き 志楽小学校 全校児童383人  児童は、地域住民の指導で作ったしめ縄や自宅から持ってきた正月飾りを、校庭の隅に作られた高さ約1mの台に置いた。
 炎が燃え上がり、教員が束ねた書き初めを竹ざおの先に付けて入れると、手を合わせて「字がうまくなりますように」などと願っていた。
 2015年には、15日に実施する予定だったが、雨天のため延期となり、天候が回復した21日午後に開催した。
 児童らは生活科の授業として、どんど焼きを体験している。教室でどんど焼きについて学習した後、全校児童が家庭から持ち寄ったしめ縄や冬休みの宿題の書き初めなどを持って、校庭に組まれた薪の周囲に集まった。
 教師が火をつけた薪に、児童の代表が長い棒につるした書き初めなどを近づけると大きな炎が上がり、周囲を取り囲んだ児童から歓声が上がった。児童は手を合わせて、「字がうまくなりますように」と祈る姿も見られた。
字の上達や一年間の健康を祈願
京都府舞鶴市余部上 2017年1月16日 どんど焼き 中舞鶴小学校 中舞鶴小の児童約280人と市立中保育所の園児約65人  同小では小正月の学校行事としてどんど焼きを、毎年1月15日の前後に行っている。1年の無病息災を願い、書き初めを焼くと字がうまくなるとの言い伝えがある。同校の裏庭では、井桁状に組まれた薪40本の中に児童が家庭から持ち寄ったしめ飾りやお守りがおさめられ、児童の代表が点火。教諭らが学年ごとにまとめた書き初めの束を長い棒につるして火にくべた。
2019年は校長が、正月に迎えた年神が帰る「小正月」の意味を児童に説明し「どんど焼きは年神様を送る行事で、1000年前から行われているともいわれています。昔からの行事を大切にしたいと思います」と語った。
字がうまくなる、1年の無病息災などを願う
京都府宮津市今福地区 2018年1月19日午前 蛇綱(じゃづな)祭り 地区の各家庭を回る 住民  「蛇綱祭り」は江戸時代に疫病がはやった際、ワラで大蛇を作って村の入り口に掲げ、病を追い払ったとの言い伝えにちなむ伝統行事。大蛇に頭をかんでもらうと邪気が払われ、1年間、健康に過ごせるとされている。
 ほら貝の合図で長さ6メートルほどもある大蛇を地元の子供たちがかついで歩き出迎えた人たちは、大蛇の口に頭を差し入れて、1年間の無病息災や家内安全を祈願した。行事が終わった大蛇は地区の氏神「荒木野神社」の境内の木に巻き付けて1年間疫病が入って来ないよう町を見守るという。
 隣接する舞鶴市今田地区では、今福の蛇綱と同様の藁で作った大蛇を子どもたちが地区内を引き回す行事を「エントンビキ」といい、夏の悪魔払い行事として行っているという。
1年の無病息災、家内安全などを願う
京都府福知山市夜久野町(やくのちょう) 2024年1月14日 「コト(事)行事」 金尾地区公会堂 住民  小正月の風習「コト(事)行事」は古いしきたりにならって、地元の公会堂で餅つきをしたり、地区の中心にある桜の大木に手作りの「つくりもの」をつり下げたりして、今年一年間の厄除けと豊作、健康を祈願した。
 コト行事は、農事や祭事の始まりを祝う行事で、夜久野では戦前、ほとんどの地区で行われていたという。金尾は人口が11世帯20人ほどに減ったいまも、昔に近い形で守り続けている。結婚や新築など祝い事があった家を会場に、男性のみで催すのが習わしだったが、20年ほど前から会場を公会堂に移し、地元の女性や地域外に出ている人も帰郷し参加した。今回は新型コロナウイルスの影響で4年ぶりの開催となった。公会堂では、もち米20キロを蒸して、きねと臼で餅つき。白大豆を石臼で粗くひいてまぶしたり、ダイコンおろしをつけたりして味わった。
 つくりものは70~80代の男性4人が共同作業場で、稲わらなどを使って手作り。小さなきねと臼、十三膳の箸を付けた宝舟や、厄除けのため半分までしか完成させない80センチ四方の大きなわらぞうりと豆ぞうりを4メートルほどのひもでつなげ、桜の大木につり下げた。(出典両丹日日新聞WEB)
一年間の厄除けと豊作、健康を祈願
京都府福知山市大江町内宮 2024年2月3,4日 節分祭(三鬼打ち神事、盃(カワラケ)割り神事、立春祭) 元伊勢内宮皇大神社 住民、観光客  鬼伝説の大江山のふもとにある福知山市は「鬼のまち福知山」で知られる。その福知山にある元伊勢内宮皇大神社の節分祭は、豆まきを行い、人に災いをもたらす三鬼(病鬼・陰鬼・貧鬼)を神前に追い込み、お祓いをして病鬼を元気に、陰鬼を陽気に、貧鬼を富貴のお多福に変身させる。鬼のまちらしい伝統行事。
​2 月3日(土)午後2時~ 三鬼打ち神事午後3時~、盃(カワラケ)割り神事・布八つ裂き神事
2月4日(日)午前10時~立春祭
3日4日両日とも、福笹・厄除豆・立春大吉御神札を授与、甘酒の無料接待などが行われる。鬼がお多福に変わる神事は地元の有志により演じられ、今もなお地元のひとたちに愛されているという。(この項元伊勢内宮皇大神社公式サイト、福知山市公式サイト・シティプロモーション)
一年間の厄除けと鬼をお多福などに変身させる
京都府福知山市三和町大原 2024年2月3日 鎮火祭と節分祭 大原神社 住民  鎮火祭は午前10時半から、境内にある摂社「火の神神社」の前にお火焚きの祭壇が設けられ、神殿より採火された忌火で、火炉に点火される。白煙が立ち上るなか、宮司により「瓢(瓢箪に汲んだ水)」「埴山(川砂)」「川菜(若芽)」により鎮火する。一年の無火災を祈り、火難除けの御札が授与される。
追儺式(節分祭)は午後7時から神社本殿前で、境内を暴れ回る赤鬼、青鬼を「鬼は内! 福は外!」の掛け声とともに豆をまいて退治する。「鬼は内! 福は外!」の掛け声は全国的にも珍しく、鬼(厄)を清めて同神社に迎え、福を同神社から氏子の各家庭に送るという意味で使われている。鬼は地元有志がつくる「大原話し合いの会」が扮している。(この項大原神社公式サイト、福知山市公式サイト・シティプロモーション)
一年間の無火災、厄除けと鬼を清める
京都府南丹市園部町城南町 2011年1月15日 南丹そのべとんどまつり 園部公園スポーツ広場 市商工会園部支所が主催する恒例行事。市民約500人  広場では、市民がしめ縄や書き初めを持ち寄った。神事の後、竹や木で組んだ高さ約7mのやぐらに点火されると、「パン、パン」と竹が割れる音とともに炎が勢いよく燃え上がった。市民は、空高く燃え上がる炎や書き初めを見ながら、今年1年の無病息災を願った。
 会場では、ぜんざいや甘酒などが振る舞われた。
書道が上手になるように、また1年の無病息災。
京都府南丹市八木町日置 2024年1月14日 綱引き神事 大送神社 氏子ら  綱引き神事は氏子たちが力いっぱい綱を引き合い、勝敗でその年の豊作となる農作物を占い、地域の豊作と自分や家族の健康を願う小正月の伝統行事。今年は麦が豊作になるとの結果が出た。神事は、村を荒らして人々を苦しめていた大蛇を、武士が弓矢で討ち取った故事に由来する。同地区で100年以上前から続いており、京都府無形民俗文化財にも指定された。
 裃(かみしも)を身に着けた武士役の氏子が、大蛇に見立てた綱と的に向けて矢を3本放ったあと、約50人の地域住民が鳥居を挟んで南北に分かれて、「よいしょ」との掛け声で長さ約15メートルの綱を引き合った。地区の北側の住民が勝てば麦、南側が勝てば米が豊作とされ、7回の勝負の末、4対3で北が勝った。 (出典京都新聞web)
綱引きの勝敗でその年の豊作となる農作物を占う
大阪
大阪府各地 2015年1月15日
2013年は1月14日
小正月恒例の火祭り「とんど祭」 大阪各地の神社境内 地域住民  「とんど祭」は、神社で行われる小正月の行事。参拝者がしめ縄や松飾り、お札などを持って境内を訪れ、焚き上げる。燃え上がる炎に平穏な一年を願う。 平穏な一年を願う
大阪府吹田市 2014年1月12日
2013年は1月14日
「大とんど焼と焼きいも大会」 万博記念公園 家族連れなど観光客  正月らしい気分を味わってもらおうという恒例イベント「万博公園ニューイヤーフェスタ」(日本万国博覧会記念機構、産経新聞社主催)が開催された。
「大とんど焼と焼きいも大会」では、公園のシンボルの太陽の塔の前の広場で、竹で組んだ高さ約11メートルのとんどに点火された。その火で焼かれたイモが抽選で250人に振る舞われた。
お正月気分を味わう
大阪府箕面市 2014年1月15日
2013年は1月14日
「とんど祭」 瀬川神社 地域住民  「とんど祭」は、お正月に飾った注連縄や書き初めを燃やして、歳神様を炎と共にお見送りする「とんど」の行事。
 本殿で祝詞を挙げた後、人形(ひとがた)に立てられたやぐらに着火した。一通り火が回ったのを見計らって、やぐらが今年の恵方「東北東」の方向に倒された。
 竹筒に入れられたお神酒も、やぐらのすぐそばで温められ、今年1年の無病息災を祈って参拝者に振る舞われた。
1年の無病息災
大阪府東大阪市 2020年1月15日 「蹴鞠(けまり)奉納」 枚岡(ひらおか)神社 参拝者    蹴鞠奉納は枚岡神社の小正月の恒例行事。参拝者らが見守る中、平安貴族の衣装に身を包んだ京都の蹴鞠保存会のメンバーが、古くから伝わる蹴鞠を披露した。小正月の良さを伝えようと、平成17年からほぼ毎年開催されている。大化の改新を成し遂げた一人で、蹴鞠にまつわる逸話が残る中臣(藤原)鎌足ら中臣氏の祖神「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」をまつる縁で実施されている。(この項出典:ヤフーニュース・産経新聞web版) 小正月の良さを伝える
大阪市中央区高津 2010年1月10日
2018年に開催中止
「高津宮とんど祭とたぶん日本一の屋台達」 高津宮 関西の料理人、落語家、地域住民、観光客2万~3万人
 とんど祭は正月飾りなどを神社境内でたき上げる。同宮では恒例のとんど祭に加え、2005年から寄席や音楽などのイベントも実施している。
 「たぶん日本一の屋台」という個性豊かな屋台も多数出店する。屋台は、大阪の有名なレストランなどの名店が、朝から境内に1日限りで開設する。だんじり囃子(ばやし)やお好み焼きの大食い大会も行われている。
 2013年は、ホテルニューオータニ大阪のフランス料理店「サクラ」やミシュランに掲載されている大阪市中央区上町の居酒屋「ながほり」など高級店や人気店17店舗が参加。各店が自慢の逸品を300円から2000円の特別価格で提供。
 落語は午後1時半開演。桂文太さん、桂雀三郎さん、笑福亭仁智さんらが出演。席料は当日2800円。このほか「憂歌団」の木村充揮さんの青空ライブ。
 2018年には、「高津宮にかつての賑わいをもたらすように」との当初の開催目的を達成したとして、高津宮とんど祭り実行委員会が開催中止を発表した。その後高津宮行事として「とんど」を行い、1月15日、しめ縄・古い神札の焚き上げを行っている。
1年の無病息災
大阪市天王寺区 2015年1月15日 「とんど祭」 生国魂神社(いくたまさん) 地域住民  神社では午前6時半から左義長神事として「とんど」を斎行した。火入れ式では神職が拝殿で御神火を採火し、境内に高く積まれた正月飾りや縁起物に火を移してたき上げた。参拝した地元の女性(81)は「年明けに母親の百日法要を終えたばかりなので、身内に不幸がない一年となるよう祈願した」と話した。
 境内のテント内では巫女さんが一年の邪気を払うとされる小豆がゆを参拝者に振る舞った。
1年の無病息災
大阪府寝屋川市梅が丘2丁目 2020年1月13日夜 高倉とんど焼き・干支とんど 讃良川沿いの田んぼ 地域住民  高倉とんど焼きは高倉水利組合などが主催し、稲わらとともにお正月のしめ飾りや門松などを燃やし、1年の健康や豊作などを願う小正月の伝統行事。約40年前に一度途絶えたが、2010年に復活した。
会場では来場者に豚汁の提供があった。会場に設置された「とんど」は2種類あり、1つは干支にちなんで制作する「干支とんど」。今年はネズミで長さ6m、幅2m、高さ2mの巨大なもの。米作り農家にとってネズミは大敵なので巨大ネズミで小さなネズミを追い払う願いを込めて制作されたという。
もう1つは「大とんど」。竹の骨組みにわらを葺いて作った大きなやぐらで、中は空洞になっていて、一緒に燃やすお正月のしめ飾りや門松を入れる。手前には募金用の浄財箱が置かれていた。午後6時、水利組合長、保存会長、寝屋川市長らが挨拶を行い、干支とんど、大とんどの順に点火された。(この項出典マチコロ寝屋川)
 2023年1月22日、五穀豊穣・無病息災を祈願して高倉とんど焼きが行われた。本来は15日の開催予定が雨天で順延された。
主催者の高倉とんど保存会は、地域の伝統を子どもたちに知ってもらい、後世に残そうと、約40年前に途絶えた正月飾りやしめ縄などを焼いて五穀豊穣・無病息災を祈る「とんど焼き」を平成22年に復活させ、毎年「大とんど」と共に藁や青竹で干支の動物の造形した「干支とんど」の2種を焚き上げている。2023年は女性を中心とした保存会のメンバー16人が、地域の青竹、稲わらを使い、2022年10月16日から計5日間で制作した。うさぎ・とんど」は 高さ約3メートル、横幅約 1.4メートル、奥行き約 1.9 メートル。今年は12種の干支とんどが一巡し、ウサギとともに子(ね)、丑(うし)、寅(とら)のミニとんども作られた。これらの干支とんどは、2022年11月4日~6日まで寝屋川市の打上川治水緑地で初開催の「月見とランタンの夕べ」でお披露目が行われた。
 1月22日のトンド焼きは讃良川沿いのとんど焼き会場で行われ、ミニとんど、干支とんど、大とんどの順に燃やされた。大とんどはワイヤで今年の恵方の方角に倒して燃やされた。(この項号外NET 寝屋川市)
1年の健康や豊作などを願う
大阪府寝屋川市 2021年1月15日 焼納祭(とんど) 大利神社 地域住民 神社の焼納祭は正月のしめ飾りや門松、御礼や御守などを燃やし、1年の健康や豊作などを願う伝統行事(とんど焼き)。本殿で神事が行われた後、境内の一角に積まれた青笹で囲われた正月飾りなどに宮司が点火した。 (この項:寝屋川つーしん) 1年の健康や豊作
大阪府枚方市香里ケ丘 2022年1月9日 第32回とんど祭り 五常小学校運動場 地域住民、子どもたち  とんど祭りは五常校区コミュニティ協議会が主催し、2022年で32回を迎えた。五常小学校校庭に青竹を柱にしたとんどのやぐらを組み、当日の午前中に住民たちが正月飾りのしめ縄などを持ち込み、とんどとともに焼く。正月飾りは必ず針金・みかんなどの付属品を取り除くことが条件。
枚方市では、小学校区内の各種団体(自治会、防犯協議会、青少年育成団体などが結集する「校区コミュニティ協議会」が設置されている。
正月飾りを燃やす
奈良
奈良県奈良市 2015年1月24日 「大とんど」と「若草山焼き」 春日大社境内の飛火野、若草山 参拝者約500人(大とんど)、若草山焼きの観光客は19万人(2024年1月27日)  「大とんど」は古いお札やお守り、しめ飾りをはじめ正月飾りなどの縁起物を焼き上げ、1年の無病息災を祈る行事。春日大社の「大とんど」の火が「若草山焼き」の種火となる。このため、「若草山焼きは日本一のとんど」とも言われる。
 旧来、「大とんど」は、1月15日の小正月の行事として行われていた。奈良市では、成人式を終えた奈良の青年は、晴れ着姿で町に出て、夕方には花火と山焼きで祝ってもらうという習慣があった。小正月に、元服式に由来する成人式を行うことにも意味があったという。
 しかし、祝日法の改正などで小正月と成人式が分離され、「若草山焼き」行事の日程が、観光客が参加しやすいように1月第4土曜日に変更されたため、春日の大とんどの日程も、山焼きに合わせて変更された。
 2015年の大とんどは飛火野で午後1時から始まり、禰宜(ねぎ)の祝詞(のりと)奏上のあと、5メートル四方に組んだ火炉(かろ)に高く積まれた縁起物に、神職が火をつけた。参拝者らは燃え盛る火炉の周りを回った後、炎で温めたふるまい酒を楽しんだ。火炉での正月飾りの焚き上げは夕方まで受け付けた。ビニール類はボランティアが取り除いた。
 その後、「御神火奉載祭」(午後4時45分)で大とんどの火を採火、時代行列で若草山麓の野上神社に運ぶ。午後5時45分から同神社で山焼き行事の無事を祈る祭礼が営まれ、同6時15分からの打ち上げ花火に続いて若草山各所に火が放たれた。火は山頂まで一気に広がり、約33ヘクタールの山肌が燃え上がる。これを送り火とみて、「若草山焼きは日本一のとんど」と言われることもある。
1年の無病息災
奈良県奈良市雑司町 2023年3月1日~14日 東大寺「お水取り」「おたいまつ(修二会) 東大寺二月堂( 僧侶、参拝者  「お水取り」の名で知られる東大寺二月堂の「修二会」は、「練行衆」と呼ばれる僧りょたちが国の安泰を願って修行をする奈良時代から続く行事、2023年で1272回目となる。練行衆は1日6回の法要を行い、二月堂本尊の十一面観音に世の人々の罪や過ちを懺悔(さんげ)して、世界の平和と幸福を祈願する。法要がある14日間は毎夜、「お松明(たいまつ)」が二月堂に上がり、練行衆の足元を照らした。「童子」と呼ばれる練行衆の補佐役が、燃えさかるたいまつを二月堂の欄干から突き出して駆け抜けると火の粉が舞い、訪れた参拝者たちから歓声が上がった。
 12日夜は、毎夜の松明より大きい、長さ約8メートルの「籠松明」が二月堂に上がり、火の粉が激しく舞い落ちたが、新型コロナ対策のために非公開とされた。
 祈りの先導役である「大導師」が書いた「諷誦文(ふじゅもん)」の現在句冒頭では「三宝衆僧ノ御布施一裹 右志趣ハ世界ノ平和ト人類及ビ万物ノ幸福ヲ祈ランガ為 観音菩薩ノ御前ニ跪イテ 三箇ノ金鈴ヲ鳴ラスモノナリ」と本行の間毎夜読み上げられた。13日未明には二月堂下の若狭井から香水をくみ上げる「水取り」の儀式が営まれ、14日が満行となった。(NHK NEWS WEB、奈良新聞デジタルなど)
罪を懺悔し、天下泰平を祈る。
奈良県奈良市高畑町 毎年4月8日夜 「おたいまつ(修二会) 新薬師寺 僧侶、参拝者  「おたいまつ」は、本尊・薬師如来の前で、すべての人々の罪を悔いあらためる薬師悔過法要(やくしけかほうよう)が行われ、その後に長さ7mあまりの大松明(おたいまつ)が10本、籠松明が1本、僧侶が先導して本堂の周囲を回り、罪を懺悔し、天下泰平を祈る。
午後5時から薬師悔過と仏様の身体に具わる32の特徴を読み上げる三十二相の声明の法要が行われる。午後7時からたいまつに先導されて僧侶が入堂し、神名帳を読みあげて全国の神々を勧請し、天下泰平を祈る。(奈良市観光協会HPなど)
罪を懺悔し、天下泰平を祈る。
奈良県奈良市 2024年1月27日 大立山(おおたてやま)まつり2024 奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり 平城宮跡歴史公園・朱雀門ひろば 観光客  「大立山(おおたてやま)まつり2024 奈良ちとせ祝ぐ寿ぐ(ほぐほぐ)まつり」(実行委員会主催)は歴史や古代の正月行事「御斎会(ごさいえ)」をテーマにしたイベントで、4年ぶりに平城宮跡で開催された。朱雀門であったオープニングは、「御斎会」を再現。橿原市応援大使のタレント福本愛菜さんが称徳天皇に扮し、女官役らとともに登場した。
 朱雀門前のステージでは県内の伝統行事である「当麻太鼓 白鳳座」(葛城市)、「平城山相撲甚句」(奈良市)、「風流舞 奏楽」(田原本町)などを披露。人形(ひとがた)などの「造りもの」を身代わりに厄落としをする、奈良の風習「立山」も展示された。
 多くのテントが並び、ボタン汁やかも鍋、ホルモンの天ぷら、串こんにゃくなど県内各地の名物料理、特産品が販売された。まつりは28日まで行われ、奈良の世界遺産をテーマにトークショーが行われた。(朝日新聞デジタル)
古代の正月行事を再現
奈良県御所市(ごせし)茅原 2015年1月14日夜 「茅原(ちはら)の大とんど」(国選択「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」、県指定無形民俗文化財) 吉祥草寺(きっしょうそうじ) 住民や参拝客約5000人  茅原(ちはら)の大とんど」は昭和58年3月、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択され、県無形民俗文化財にも指定されている1300年以上前の飛鳥時代から続く小正月の伝統行事。修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が建立したとされる吉祥草寺で小正月の日に法要として行われている。吉祥草寺のとんど行事の起源にはいくつかの説話があり、「天智天皇の御代(在位:668年2月- 672年1月)に、役小角が天下泰平、四海静謐、五穀豊穣などを祈願して始めた」という説や、「文武天皇が御悩みの折、吉祥草寺に入御され、霊験があったために盛大な法要を行わせた」という説が、最も古くに行われたとする起源説話という。
 大とんどは、近くの玉手、茅原両区の住民約200人が青竹やわら、かやなどを組み上げて高さ6m、直径約3mの巨大な松明として雌雄2体を作る。朝顔のように上に開いた独特の形をしている。毎年1月14日午前7時ごろから、玉手区が雄のトンド、茅原区が雌のトンドと分担して作る。夕方には御幣を飾り完成する。
 午後7時頃、吉祥草寺がある茅原区の住民が玉手区を迎えに行き、午後8時頃、新賀橋で手打ち式、吉祥草寺参道にて手打ち、大トンド前で手打ちと、3度の手打ちを行う独特の風習がある。午後8時半ごろ、本堂で祈祷を行い、恵方より点火する。
 参拝者ら約5000人が、高さ約6メートルの雌雄2基の大たいまつを焚き上げると、この1年の家内安全などを祈った。トンドの火が燃えている間、山伏装束の修験者が、法螺貝を吹き、お経を唱え、祈願する。
 大とんどの行事が終わると、とんどの残り火を移した火縄が参拝者の方に配られる。自宅に持ち帰って、その火で翌朝あずきがゆを炊くという風習がある。
 トンドはその年の豊凶を占う行事でもあり、吉祥草寺を中心に御所市内各地で大小さまざまなトンド行事が行われ、御所の文化として根付いている。
(この項、奈良県歴史文化資源データベース、御所市教育委員会、毎日新聞等による)
家内安全、無病息災
奈良県桜井市三輪 2016年1月15日 「大とんど」 大神(おおみわ)神社 地域住民、参拝客  大神神社は、日本最古の神社といわれ、三輪山がご神体。大とんどは、しめ飾りや旧年のお札を焼く大神神社の伝統神事。神職が古式によりきり出したご神火をたいまつに移して祈祷殿前庭に運び、おはらいに続き、高さ1メートルほどに積み上げられた正月飾りなどに点火した。参拝者は竹ざおの先につるした網に餅を乗せ、燃え盛る炎にかざして焼き、煙にあたって無病息災を願った。とんどの火で焼いた餅を食べると、1年間を健康に過ごせるとされている。 山の保全を祈る
奈良県桜井市初瀬 2021年2月14日 だだおし 長谷寺 地域住民、参拝客  「だだおし」は仏前で過ちを悔い改め、心身を清める修二会の締めくくりの儀式で、千年以上前から伝わり、大和路に春を呼ぶ火祭り。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、初めて参拝者なしで行った。寺の開祖が閻魔大王から授かったとされる宝印「だんだ印」を参拝客の額に押し当てる風物詩は見られなかった。例年午後3時に始める法要を、入山時間終了後の同5時に繰り下げた。
 本尊・十一面観音菩薩立像の前で法要が営まれると、太鼓とほら貝の音が激しく鳴り響き、赤、青、緑の3匹の鬼に扮した男衆が登場。僧侶らが「牛玉札(ごおうふだ)」の威力で堂外へ追い出すと、追われた鬼たちは「ウオー」と大声を上げ、大たいまつとともに本堂の回廊を練り歩いて退散した。 法要やたいまつ行事の様子はインターネットで生中継された。(この項:共同通信、奈良新聞)
鬼払い、大和路に春を呼ぶ
奈良県五條市大津町 2020年1月14日夜 「鬼はしり」(国重要無形民俗文化財) 念仏寺陀々堂(だだどう) 地域住民、参拝客、観光客  念仏寺陀々堂「鬼はしり」は、鬼たちが振り上げる大たいまつの炎に1年間の無病息災を祈る小正月行事。鬼が人々を守る祖霊を表すという古い信仰を伝えている。鬼の面には「文明十八年」(1486年)と墨書してあり、室町時代から500年以上の伝統があるとされ、国重要無形民俗文化財に指定されている。
  2014年の行事では529回目を迎えた。午後9時、茅葺きの本堂から僧侶の読経、阿弥陀さんの肩たたきと呼ばれる板壁を棒打する音、大太鼓、ほら貝などが響き渡り、鬼の面を着けた地域の男性3人の行者が入堂。たいまつの炎で「水」の字を描く「火伏の行」の後、鬼のたいまつに火がつけられた。
 太鼓や板壁が打ち鳴らされる中、高さ1.2メートル、重さ約60キロの大きなたいまつが真っ赤に燃え上がり、たいまつを左手に掲げた3匹の鬼が堂内を3周した。
 夕方には「子ども鬼はしり」があり、地域の小中学生が伝承している。堂の板を棒でたたく音が鳴り響く境内で午後9時過ぎ、父と母、子の3匹の鬼が登場。重さ約60キロのたいまつを振り上げながら3回堂の縁を回った。
鬼のたいまつの炎で災厄を払い、新年の無病息災、幸福を祈る
奈良県川上村神之谷 2014年1月11日 山の神まつり 水源地の森の入り口に祭られた三之公山の神    山を守る人々の民俗行事「山の神祭り」が再現で公開された。県内外の計17人が参加し、玉串をささげた。その後、参拝者は、新年会を開き、雑煮などを食べて交流した。
 吉野川の源流で村が保全する約740ヘクタールの水源地の森の入り口に祭られた三之公山の神は、日本の山の神の総元締と言われる。1月、6月、11月の7日は川上村では山の神の日。
山の保全を祈る
奈良県吉野郡天川村 2024年2月2日、3日 「鬼の宿(神迎え神事)」と「節分祭」 天河大辨財天社  地域住民、参拝客  天河社社家は役行者(えんのぎょうじゃ)の供に祀られている前鬼・後鬼の子孫と言い伝えられており、節分祭宵の晩に『鬼の宿』として、鬼(神)を迎える。 夜更け、一番座敷に布団をひき、にぎりめし・梅干しを供え、縁側には澄みきった真水を手桶に張り一晩そのままにしておいて、節分祭の早朝手桶の水を見ると、鬼が手を洗ったのか足を洗ったのか底に砂が沈んでおり、鬼が泊まられたという証を賜って節分祭が執り行われる。
 鬼は大いなる御宝をもち、全ての意識を越えて物事を正しく見るという古来からの信仰から「神」として崇め奉られる。所願成就採燈護摩神事ではスギ、ヒノキの枝などを積み上げて護摩祓いが行われる。諸厄難を除き、家内円満にして、家運の隆昌、諸業繁昌、交通安全、入学祈願、健康祈願等を願い、年男による福豆まき・福餅まき、恵方巻、ぜんざい、長寿酒等のふるまいがある。福豆まきでは「鬼は内」「福は内」と唱えるのが特色。 (天川村役場HP、天河大辨財天社HPO)
諸厄難を除き、家内円満にして、家運の隆昌、諸業繁昌、交通安全、入学祈願、健康祈願等を願う
奈良県吉野郡黒滝村 1月14日夜(2010年) とんど焼き 寺戸区の河川敷 地域住民  『とんど』は神事の一つの火祭りで、地域では旧年のお札や正月飾り、注連縄等をお焚きあげする民間伝統行事として行われている。
 最初にお勤めをして、点火のための火をいただく。下で待つ人たちは焚き火を起こして暖をとっている。御神酒が振る舞われ、点火までしばらく談笑して待っている。お勤めで頂いた『御神灯』を藁に移して、高さ7mほどのとんどに点火。燃え上がった後、地方によっては、その年の『恵方』で倒す方向を決めている。
 (NPO法人和のK様より情報提供していただきました。)
http://www.npo-nagomi.com/
奈良県川上村東川 1月9日 祈年(としごい)行事の「弓祝式」 烏川神社と運川(うんせん)寺 地域住民  「弓祝式」の由来は、1100年余り前の延喜4(904)年が起源といわれる。この行事は神と仏が一つにまとまった神仏混淆(こんこう)・習合の形態を現在に残しており、古い祭の形を現代に伝えていることが評価され、平成12年に村の民俗無形文化財に指定された。
 昔、諸国に悪魔、怪物がはびこり、疫病が流行したとき、この山里で弓の名人・東弥惣(ひがしそうや)が神力を借りて、諸悪の根元であった悪魔の化身を見出し、弓矢で見事これを退治した、という伝説により、この日を「悪魔払いの祝いの日」と定め、祝いと供養を行うようになったという。
 祭事の初めは烏川神社で出立(しゅったつ)式を行う。社務所に射手を上座に迎えて、関係者が集い、宮守(神主)から悪魔祓いの祈祷を受け、運川寺へ向けて出発する。運川寺に到着すると、住職が射手に弓祝式のいわれを読み上げ、儀式について説明する。次に3人の射手が境内で東弥惣にならい約40m先の的めがけ、矢を放つ。途中で射手の一番年少者が薬師堂の前で祈祷を行う。砂の上に東西南北に三本線を入れ、その上に梅の箸を置き、洗い米と小豆を混ぜてばらまき、東と西に祈祷して再開する。
 射手による弓打ちの後、白装束の宮守が桑の弓、よもぎの矢で東西南北天地、最後に的を射る。次にもう一人の宮守が鬼に見立てた的を相手に小刀で格闘。さも戦っているように攻めたり引いたりする一人芝居の「千破美の踊り」を行う。最後に住職により悪魔の供養が行われ、弓祝式は終了する。神仏混淆の形態を守る伝統行事は全国的に少ないという。(川上村役場広報誌)
和歌山
和歌山県和歌山市秋月 毎年2月3日(節分の日) 節分祭とお焚き上げ祭(古神札焼納祭) 日前神宮 國懸神宮 地域住民、参拝者  日前神宮 國懸神宮では毎年2月3日に節分祭が午前9時から、古神札焼納祭が午後5時から行われる。同神宮の古神札焼納祭とは小正月に行われる「火祭り」のことで、お札やお守り、そして正月飾りなどを集めて神聖な火を以て 焼納する神事。同神宮の説明によると、古くは「左義長(さぎちょう)」とも呼ばれ、中国・後漢時代の明帝が道教と仏教の優劣をつけるため二つの経典を燃やしたところ、左にあった仏教の経典が残ったため「左の義、長ぜり」(左の方が優れている)といったことが起源を発する一因だと考えられているという。
 神聖な火に当たり、更にその火で餅を焼いて食べるとその年の無病息災をあやかるといわれ、これらの灰や焼け残りには厄除けのご利益があると語り継がれてきているという。
一年の無病息災
和歌山県橋本市隅田町垂井 2015年1月15日 小豆粥占い神事「管祭(くだまつり)」 隅田八幡(すだはちまん)神社 地域の氏子や住民  「管祭(くだまつり)」は毎年、小正月の15日に行われ、竹筒を小豆粥につけ、中に入った米や小豆の具合で今年の稲作の豊凶を占う。地域で300年続くとされる伝統行事。
 神社では前日に、正月飾りやお札などを燃やす「とんど」が行われ、その火を使って15日午前5時すぎから、神前に供えた米と小豆で粥を作る。煮えたぎる粥の中へ、「早稲(わせ)」「中稲(なかて)」「晩稲(おくて)」を表す長さ20センチ、太さ2・5センチの3本の竹が入れられる。数分後に引き上げたのち神前で二つに割られ、参拝者が、米のつまり具合などで今年の稲の品種に何を選ぶか決める参考にする。
 2015年の粥占いでは、神社の宮司ら神職により小豆粥が炊かれ、約1時間後に竹筒が釜のなかに入れられた。竹筒の米は、「早稲」の入りがやや少なく、「中稲」「晩稲」はほどほどの入り。小豆は3本とも同じ程度の入り具合だった。
今年の稲の豊凶を占う
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野 2022年1月16日(毎年1月第3日曜日)午前11時から午後3時 県指定無形民俗文化財・世界文化遺産「天野の御田祭」 丹生都比売(にうつひめ)神社 氏子、地域住民   天野の御田(おんだ)祭は丹生都比売神社楼門の下で行われ、起源は古く、平安末期から似た形のものがあり、変遷の上、江戸時代から現在の形ができたものといわれている。
 田人、牛飼、一石、早乙女、田づ女、礼の坊等により演じられる農耕儀式で、田作り、種まき、田植、稲刈り、休憩などの所作で、地元の御田祭保存会の人々が1年の稲作の様子を滑稽に演じ、五穀豊穣を祈る。午前11時から厄除行事、午後2時から御田(おんだ)の舞奉納、終了後福引きが行われる。(この項:かつらぎ町公式ホームページ観光情報)
今年一年の五穀豊穣を祈る
和歌山県白浜町 2012年1月14日 さぎっちょ 中の大浜 地域の子供や住民等60人  住民有志でつくる「中さぎっちょクラブ」が、どんど焼き「さぎっちょ」が2011年に小正月行事として55年ぶりに復活した。
 午後1時、地区の子供や大人が、竹組みの山車(高さ約5メートル)に門松やしめ縄、願い事を書いた短冊を入れ、地元の南白浜小学校4~6年生が歌う「さぎっちょの歌」のテープを流しながら中大浜前の道路を1キロほど引いた。
 「さぎっちょ さぎっちょ」と声を掛け、太鼓やほら貝の音も加わった。 強風の中、山車を浜辺まで引き出し、火をつけて一気に燃やした。
 火がおさまると正月に供えた餅を焼いて食べた。餅まきもあり、写真愛好者や地域住民ら約100人が集まった。
一年の無病息災
和歌山県上富田町生馬 1月15日 どんど焼き 富田川河川敷 ボランティアグループ「三兵衛虫の会」が毎年開催。地域住民が参加。 12日から青竹や木材で高さ約6メートル、底辺約4メートルの井げたが組まれ、しめ縄などの正月飾りを納める。訪れた人は、正月の神が来るという方角に向け、竹のササでつくられた「トンネル」をくぐり、正月飾りを納める。  
和歌山県田辺市芳養町境地区 1月12日夜 どんど焼き 境地区の子ども会の7人と境町内会の人  高さ約2mに積み上げた竹や梅の枝に、家々から持ってきたしめ縄や正月のお飾りを入れ、御神酒と赤飯を備えた。子どもらが、今年の恵方である甲(東北東)の方角から火を付け、今年1年の健康を祈った。 今年一年の無病息災を祈願う
和歌山県新宮市区 2023年2月6日夜 御燈祭り(おとうまつり) 世界遺産・神倉神社 地域住民  御燈祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されている火祭りで、“上り子(のぼりこ)”と呼ばれる、たいまつを持った2000人を超える男たちが、五穀豊じょうや家内安全などを願って、538段ある急な石段を駆け下りる勇壮な伝統行事。2023年はコロナウイルスの感染予防のため名物の上がり子行事は中止された。
 お燈まつりの起源は、熊野年代記に「敏達天皇三年(西暦574年)正月二日も神倉山が光を放ち、翌四年の正月六日夜、神倉火祭り始まる」とあり、記録に残っているだけでも1400年以上も前の飛鳥時代に始まるという。熊野神の来臨を再現し、家々に神の火を戴くという神事で、古くは祭礼で分けられた火が届くまで、各家で灯明を挙げるのを禁じていたことから、新年における「火の更新」を意味する祭りとして旧暦の正月6日に行われていた。
 古来の風習では、男性は下山後直ちに家に向かい、真っ暗な闇の中で帰りを待つ女性に火を届けた。女性はその神火を家に灯し、家族に熊野神の来臨を告げ無病息災を祈ると同時に、祝いの膳を準備し家族で喜びを分かち合ったという。その後、江戸時代に現在の祭礼のような形になり、現在は毎年2月6日に行われる。。
地元の歌「新宮節」に「お燈まつりは男のまつり 山は火の滝 下り竜」と歌われ、女人禁制で、祭礼に参加できるのは男子に限られる。「上り子」と呼ばれる参加者は、身を清めるために一週間前から精進潔斎のため、白飯、豆腐、はんぺん、しらす、かまぼこなど、白いものしか食べてはいけない、白いものだけ身に着ける、女性には触れないというしきたりになっているという。祭りの当日、上り子は白装束に腰から腹にかけて荒縄を巻き、祈願の言葉をしたためた松明を手にして熊野速玉大社、阿須賀神社、妙心寺を巡拝し、神倉神社の山上に向かう。
 神倉神社では午後7時ごろ、神職が神事とともに御神火をおこし、介釈と呼ばれる祭典の執行と警護にあたる役目の人々が御神火を大松明に点火したあと、その火を上り子たちは自分の松明に移す。午後8時ごろに介釈が山門を開けると、上り子たちが一斉に神倉神社の石段を駆け下る。その様子が「下り竜」と呼ばれる。(この項:NHKニュース、新宮市観光協会、南紀・熊野ええ旅ねっとWEB版など)
五穀豊じょうや家内安全などを願い、家々に神火を戴く
兵庫
兵庫県神戸市北区山田町 2014/1/13 とんど焼き 森林植物園 地域住民  同園や地元自治会など約20団体でつくる実行委が主催し、10回目。開催の趣旨は、阪神・淡路と東日本大震災の犠牲者を追悼し、1年の無病息災を祈るため。  高さ約18mの巨大とんどは、竹や間伐材で作られ、住民らが持ち寄った正月飾りや書き初めも入れられた。震災犠牲者に1分間の黙とうをささげた後、同園名誉園長の女優真野響子さんがトーチで火を入れた。三宮・東遊園地の「1・17希望の灯り」から分灯された。このトーチは、三宮・東遊園地の「1・17希望の灯り」から分灯された。燃え上がる火を住民ら約3500人が見守った。 阪神・淡路と東日本大震災の犠牲者を追悼し、1年の無病息災を祈る
兵庫県神戸市中央区南京町 2023年1月22日~29日 南京町春節祭 南京町商店街、広場 観光客  南京町では中国の旧暦の正月行事「春節」に合わせ、1987年から「春節祭」として開催している。1997年に神戸市の地域無形民俗文化財に指定された。2023年はステージイベントが3年ぶりに復活。中国の歴史上の人物にふんしたパレード「中国史人遊行」では玄宗皇帝、楊貴妃などが京劇の衣裳とメイクで街を練り歩いた。南京町広場では変臉(へんれん)&雑技が観光客を楽しませた。変臉とは変面とも呼ばれ、一瞬にして顔の面が変わる中国・四川地方の伝統芸能。春節祭期間中のみ特別に広場で商売繁盛の神様としても信仰される「関聖帝君」が祀られ、参拝公開された。また、獅子舞採青(祝儀とり)では獅子が駆邪招福のため、南京町内や元町商店街内の店舗を訪問した。 (神戸新聞NEXT、南京町 HP(熱烈歓迎!南京町)など) 中国の旧暦の正月行事「春節」を祝い、ことし一年の招福を願う
兵庫県赤穂市坂坂越鳥井町 平成26年1月13日(祝・月) 曳きとんど 木戸門広場からふるさと海岸広場 地域住民  「曳きとんど」は坂越、鳥井町に伝わり、住民が三味線、太鼓、鉦などの囃子にあわせて音頭を歌いながら、稲わらを円錐状に積み上げた「とんど」を引っ張り、町内から海岸まで曳き出して燃やす伝統行事。江戸時代の明和・安永年間(1764~1781)が起源とされるが、昭和60年を最後に途絶えていた。坂越地区住民による「坂越鳥井町曳きとんど実行委員会」が発足し、29年ぶりに復活した。
 曳きとんどの行列は、法被を着た住民、おけさ笠をかぶった着物姿の三味線女衆などが列を組み、午後4時10分木戸門広場からスタートし、午後5時45分到着した後、午後6時とんどに着火された。(出典赤穂市教育委員会文化財課HP)
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兵庫県赤穂市尾崎 1月15日 とんど焼き 赤穂八幡宮 地域住民 正月のしめ縄や書き初めを焼く ? 
兵庫県姫路市飾磨区阿成 2023年1月15日 阿成(あなせ)のとんど 市川の河川敷、小学校校庭 地域住民  「阿成のとんど」は阿成地域の伝統行事で、阿成の渡場・中垣内・下垣内の三町が河川敷を舞台に、高さ7メートルにもなる大きな円すい形の「とんど」を担いで、家内安全、無病息災を祈願して祭り屋台のように練り合わせる。「とんど」を担いで練り合わせるのは大変珍しいということで、姫路市は「阿成のとんど」を未来に引き継ぎたい優れた景観として「景観遺産」に選定した。
 しかし、県の河川拡張工事で河川敷が削られたため、今では3地域が別々に行うことになり、とんど練りは規模縮小、廃止の危機となったという。2023年は阿成渡場ではとんどが円すい形ではなく、四隅に竹を立ててわらで囲う略式となった。下垣内では河川敷でこぶりながら担げる「とんど」を作り、景観遺産を守っていく努力が続いているという。 (この項:サンテレビNEWS)
家内安全、無病息災
兵庫県姫路市書写 2023年1月18日 鬼追い会式「修正会」 (しゅしょうえ) 書写山円教寺 参拝客  鬼追い会式「修正会」は円教寺で世の平穏と五穀豊穣、疫病退散を願い、開祖の性空上人の没後、千年以上続くとされる伝統行事。赤鬼と青鬼がたいまつを振りながら厄災をはらう鬼の勇壮な舞が特徴。
右手に鈴、左手にたいまつを持つ赤鬼と、降魔の剣と呼ばれる宝刀を手にした青鬼は、それぞれ毘沙門天(びしゃもんてん)と不動明王の化身とされる。法要の後、鈴の音が鳴り響く中、床を強く踏みならしながら堂内を回った。
 摩尼殿で執り行う儀式はコロナ感染症対策のため3年連続で扉が開け放たれたが、100人を超える参拝客は煙の充満する堂内で、鬼の舞を見守った。儀式の後には無病息災になるとされる魔よけの「鬼の箸」も抽選で配られた。 (神戸新聞NEXT)
世の平穏と疫病退散、五穀豊穣を願い、厄災をはらう
兵庫県加古川市加古川町北在家 2023年1月8日 鬼追い会式「修正会」 (しゅしょうえ) 鶴林寺 参拝者  鬼追い修正会は平穏な1年や無病息災などを願い、鬼を追い払う伝統行事。千年以上続く伝統行事で、「鶴林寺鬼追い」として加古川市無形民俗文化財に指定されている。今年は、鬼追いの由来を伝える謡曲の奉納を3年ぶりに実施された。
前年の悪行を悔い改める悔過(けか)法要に続き、鬼追いが行われた。小学生4人がふんした子鬼が、柳のつえで本堂の床をたたいてリズムを刻むと、たいまつとおのを持った赤鬼と矛を持った青鬼が登場。四股を踏みながら本堂を巡り、時折、道具を打ち鳴らすなどして参拝者を脅した。
本来は鬼を罵倒して追い払うが、感染防止のため昨年に続いて大声は禁止。ただ、赤鬼と青鬼が参拝者の中に分け入ると、子どもたちから思わず「どいやしょー(悪いやつめ)」「あっち行け」の声があがった。鬼は本堂内外を7周半回り、立ち去った。589年、聖徳太子が16歳のとき、仏教を広めるための道場として建立されたと言われている。(出典:神戸新聞NEXTなど)   
平穏な1年や無病息災などを願い、鬼を追い払う
兵庫県明石市 2017年1月14日 「左義長」 市内各地 地域住民、子どもたち  市内各地でしめ縄や書き初めなどを燃やす火祭り「左義長」が行われた。同市魚住町清水、魚住小学校では、魚住まちづくり協議会が、子どもに伝統行事を知ってもらおうと、十数年ぶりに左義長を復活させた。円すい状に組まれた竹に点火され、子どもからお年寄りまで約450人が燃え上がる火に無病息災や家内安全を願った。近くの明石清水高校生によるたき出しや、餅つきが行われた。 無病息災や家内安全を願う
兵庫県加古川市加古川町北在家 2022年1月8日 鶴林寺鬼追い 鶴林寺 地域住民、子どもたち 鶴林寺の鬼追いは、天徳年中(957-961)に始まったと伝えられ、この一年の無病息災や五穀豊穣、国土安穏などを祈り、千年以上続く伝統行事。毎年1月8日に実施され、市が無形文化財に指定している。室町時代から江戸時代初期の形式を残す会式次第が現在まで伝わっており、それに基づいて行われている。
2022年は新型コロナウイルス感染防止のため、鬼を追い払う大声は禁止されたが、2年ぶりに本堂への立ち入りができるようになり、集まった親子らは心の中で厄よけを祈った。鬼追いの由来を伝える謡曲奉納や餅まきも昨年に続いて行われなかった。
 前年の悪行を悔い改める薬師如来の悔過作法(けかさほう)に続き、小学6年生4人がふんする小鬼が柳のつえで床をたたくと、たいまつと斧を手にした赤鬼と、矛を持った青鬼が登場した。鬼は災いの象徴であり、最初は本堂の中を回っていたが、途中で外に飛び出し、子どもに顔を近づけるなど脅して回った。鬼は本堂正面を東から西へ7回まわり、参拝者の祈りが届くと、最後の8回目は半ばまで行って戻って来るので、7回半踊るといわれている。市内では、このほか、報恩寺(平荘町山角)や日光山常楽寺(上荘町井ノ口)で鬼追いの行事が行われている。 (出典:加古川市教育委員会、神戸新聞NEXT)   
この一年の無病息災や五穀豊穣、国土安穏などを祈る
兵庫県加西市上万願寺町 毎年1月8日の夜 田遊び・鬼会 東光寺 地域住民、参拝客   儀式は、本殿拝殿で「田遊び」から始まり、福太郎・福次郎・田主が、種まきから収穫までのしぐさをして、五穀豊穣を祈る。兵庫県下では東光寺にだけ伝わっている非常に貴重な儀式。「田遊び」が終わると、引き続き「鬼追い」の行事となり、赤鬼がたいまつ、青鬼が矛を持って、堂内をあばれ回り、悪霊や災難を追い払います。
この福太郎・福次郎、そして赤鬼・青鬼には、厄年の男性が扮することで厄払いになると言われている。東光寺「鬼追い」での鬼は海のかなたや山奥から祝福のために人里に下りてくる神様のことだと言われている。(出典:加西市観光協会かさい観光ナビ)
五穀豊穣を祈り、悪霊や災難を追い払う
兵庫県城崎郡日高町田ノ口(2005年、豊岡市などと合併して新たに豊岡市が発足、日高町は廃止) 1月12日 賽(さい)の神 地区の林道入り口にあるサエノカミの祠 地域の住民  旅の安全と村の加護を祈るため、邪霊を防ぐ足の神「サエノカミ」にぞうりなどを奉納したのが始まりとされる。住民ら約三十人が昨年秋に刈り取った稲わらをお堂に持ち寄り、はさみで形を整えながら編んだ。約3時間で長さ約一・四メートル、幅約一メートル、重さ約三十キロの巨大なわらじとぞうりを作りあげた。近くの林道入り口にあるサエノカミのほこらまで運び、二本の杉の木に結びつけ、神事を行った。 旅の安全と村の加護を祈る
兵庫県豊岡市 1月18日昼
(2007年)
どんど焼き 豊岡小学校校庭 児童たち 正月の飾り物や書き初めを焼いた。 今年の目標や誓いの成就
兵庫県豊岡市日高町田ノ口地区 1月14日 「賽(さい)の神」大わらじと草履奉納   地域住民  賽の神は、同地区の自然の石などをご神体として祭っている。奉納の起源はわかっていないが、足の病気の治癒を願い、神の履き物として奉納するとされている。現在は、地区の安全や住民の健康を願い、受け継がれている。
 当日は、住民が集落内の観音堂に集合。持ち寄ったわらで縄をない、約三時間をかけて全長約1.5メートルのわらじと草履を一足ずつ編み上げた。完成後、約300メートル離れた二本の杉に結わえた。

 

足の病気の治癒を願う 
兵庫県豊岡市一日市(ひといち) 2023年2月3日(節分の日)の夕方から夜にかけて 豆もらい 地区内の家庭 地区の子どもたち  「豆もらい」は、節分の日に豊岡市の中心部で、子どもたちが地域の家々を巡り、菓子や飲料などをもらう伝統行事。かつては近所の人から鬼退治の豆を受け取る行事だったが、次第におやつやジュース、果物、カップ麺などをもらう行事に変化したという。
 豊岡市一日市(ひといち)地区では3日午後4時半ごろ、約30人の児童や園児らが地区内の三柱神社に集まり、巡回中の安全を祈願した後、大きな袋を携えて、家々を巡り始めた。
 同地区には約100軒が並ぶ。子どもたちは「豆もらいに来ました」と玄関先で声を張り上げると、家人が現れ、ポテトチップスやチョコレート、ミカンなどを差し出さした。お菓子を配った男性(79)は、小さな使者を待ちわびていた様子で「よそではやっていない、一日市ならではの伝統行事」と話した。児童らは「100個もらうのが目標。ずっと楽しみにしていた」。「一日市に住んでてよかった」などと笑顔で語った。(この項神戸新聞NEXT)
子どもたちが菓子、飲料などをもらって回る 
兵庫県豊岡市城南町 2月3日(節分の日) 「節分星まつり」と「どんど焼き」 京口庚申(こうしん)堂  地域住民   「節分星まつり」は節分の日に京口庚申(こうしん)堂で行われる厄除けの伝統行事。早朝にどんど焼きがあり、病気に良いとされる笹酒や甘酒が振る舞われる。日が暮れると、ほら貝を吹き、鈴を鳴らしながら市街地を巡り、各家庭から厄よけのための豆を集めて回る。夜になると、庚申堂で集めた豆を供養するという地域行事だ。2023年はコロナ禍の影響で中止となり、住民たちは来年の再開を心待ちにしているという。(この項神戸新聞NEXT)   病気に良いとされる笹酒や甘酒が振る舞われ、厄よけの豆を集める 
兵庫県丹波市山南町応地 2008年1月14日 小正月の伝統行事「蛇(じゃ)ない」 大歳神社周辺の地域 大人や子供  蛇ないは江戸時代から伝わるとされる行事。近くの加古川がはんらんした際、取り残された子どもを大蛇が助けたという言い伝えがあり、天災を鎮める意味もある。
当日の朝、保存会のメンバーが神社境内で、新しいわらを一本の綱状にない上げ、頭や胴体に仕上げていった。子どもたちも小ぶりな蛇を作った。
 続いて蛇を担ぎ、神社周辺の民家四十一軒を回った。玄関で蛇の頭をこすりつけ、御利益があるというわらを落としていった。
 2021年は1月10日に行われ、住民ら約25人が長さ約10メートルの大蛇を3時間近くかけて作り上げ、大蛇の口にお神酒を注いだ後は、男性5人が大蛇を抱えて神社に参拝。続いて近くの川へ向かい、凍った水面に大蛇の頭を付けて水を飲ませた。最後は同神社まで戻り、大蛇を参道の松の木に掛けて、無病息災や家内安全などを願った。コロナ感染症の拡大を防ぐため、各戸の訪問は取りやめとなった。(この項:神戸新聞NEXTなどによる)
無病息災や家内安全、五穀豊穣などを祈願
兵庫県三木市本町 2023年1月15日 三木鬼追い式 大宮八幡宮・月輪寺 参拝者  三木鬼追い式は赤鬼・黒鬼が現れ、燃え上がる松明を振りかざしながら境内を練り歩き、厄除け・無病息災を祈願する伝統行事。三木の鬼追い式は、鬼を追い払うのではなく、鬼が災厄をはらう善い役割を果たすのが特色。
 江戸時代の初め頃から月輪寺で、修正会(しゅしょうえ)追儺式として行なわれていたが、昭和14年に中断された。昭和38年に大宮八幡宮と月輪寺の協力で有志による三木鬼追い保存会が発足し、神仏習合の形で鬼追い式が復活した。毎年1月の第3日曜日に行われる。
 月輪寺で祈祷を受けた鬼は文殊堂、不動尊を回向し、大宮八幡宮拝殿に参拝し、ご神火を松明に移し、鳥居石段上から松明を打ち振るい、町と人々の安寧を祈願したのち、赤鬼、黒鬼の大鬼と子鬼の踊りが行なわれる。また、大鬼による餅つきや餅まきも行なわれる。鬼踊りは3回行なわれる。 (出典:三木市役所公式サイトなど)
厄除け・無病息災を祈願する
兵庫県三木市口吉川町 2021年2月7日 鬼踊り(追儺(ついな)式) 蓮花寺 参拝者  鬼踊り(追儺式)は、平安時代末期に始まったとされ、平和と豊作、厄よけを願うる伝統行事。明治初期以降に中断と再開を繰り返し、1966年に復活した。市無形民俗文化財に指定されている。2021年は新型コロナウイルス感染症対策のため無観客とし、関係者のみで開催した。
 式では、大般若経600巻の転読法要が行われた。17人の僧侶が経典を広げ、奉納者や鬼の面などを前に祈とう。赤、青、黒鬼からなる大鬼と子鬼が登場し、僧侶に導かれながら「鎮守堂」を参拝した。 大鬼と子鬼は本堂に戻ると、「清めの踊り」「餅切りの踊り」など12の踊りを披露した。大鬼は踊りの最後に、手に携えたたいまつを柱にたたきつけて消火し、本堂内には火の粉が舞った。4人の子どもによる子鬼は「四方拝」などを踊った。例年は餅まきなどが行われるが、2021年は感染症防止でで中止された。(この項神戸新聞NEXTなど)
平和と豊作、厄よけを願う
兵庫県三木市志染町四合谷 2015年1月13日 とんど焼き集会 自由が丘東小学校 学校区の住民や児童、自由が丘東幼稚園の園児ら  とんど集会は学校の恒例行事として行われている。PTAを中心に準備を進め、11日に青竹を切り、12日に高さ約5メートルの円すい形にやぐら組んだ。13日の集会では、児童や隣接する自由が丘東幼稚園の園児ら約340人が見守る中、代表の児童が火を付けた。児童らが持ってきた正月飾りや書き初めをたきあげた。  1年を健康で過ごせるよう祈る
兵庫県篠山市西野々 2015年2月14日夜 「雪花火」 地区内の空き地 地域住民ら   「雪花火」は、 中国や台湾などで上げる習慣があるという「フライングキャンドル」と呼ばれる不燃紙製の灯籠を夜空に浮かべ、花火を打ち上げるイベント。同市の福住地区まちづくり協議会が2年前から始めた。  フライングキャンドルは、色鮮やかな紙製の灯籠を、ろうそくの熱で空に浮かび上がらせる。イベントでは、約100基が夜空にゆらゆらと浮かび上がった。会場には地域住民による豚汁や中華がゆ、おでんなどの出店が並び、多くの人でにぎわった。
 イベントの当時はバレンタインデーだったため、会場では公募による「愛の告白」も行われた。応募してきた女性2人が、思いを寄せる男性にステージで告白。2組とも男性が思いを受け止め、大きな拍手を浴びた。
 愛の告白
兵庫県たつの市御津町岩見 2021年1月9日 とんどづくり 御津西部運動公園 伊津地区の住民ら約70人   新年飾りを集めて燃やす小正月の行事「とんど焼き」に向け、兵庫県たつの市御津町岩見ので9日、が高さ約12メートルのとんどを制作した。束ねた青竹を、ピラミッド状に組みあげた土台で支えて固定した。点火は16日午前6時半に予定している。  御津町ではとんど焼きが盛んで、青竹を天高く突き上げるのが特徴。伊津地区老人会長によると、稲わらで作る「胴巻き」や「はかま」の形が各地区で異なるという。
同地区自治会会長は「地元では炎の上がり方でその年の吉凶を占う。コロナ禍も天に昇って消えてくれたら」と願った。(この項:神戸新聞NEXT)
コロナ禍が消え、無病息災を願う
兵庫県明石市岬町 1月12日 左義長(とんど) 明石捕漁業協同組合前の広場 明石浦漁協職員と市民  明石浦漁港の伝統行事。張り子のタイ、タコなどでにぎやかに飾りつけた青竹を、広場で約十三メートルの高さに組み上げ、住民らが正月飾りを持ち寄って周囲に積み上げてとんどを作る。
 伊弉冊(いざなみ)神社の神事に続いて午前八時半ごろ、漁協職員らがわらを使って点火。火は一気に全体に広がり、炎と猛煙が天高く舞い上がった。トンドの燃え方で漁獲の吉凶を占い、一年の豊漁を祈る。残った灰は家の周囲にまくと厄よけになると伝えられており、持ち帰る人の姿も見られた。お神酒なども振る舞われた。
海上の安全と豊漁を祈願
兵庫県美方郡香美町香住区沖浦 2012年1月9日、2023年1月8日 山の神 集落の外れの山の神祠 子どもたち  「山の神」は室町時代から地域に祭られるという「山の神」に、今年1年の五穀豊穣、無病息災と地区の安泰を願う伝統行事。毎年、正月三が日が明けた最初の日曜日に執り行う。山の神は女性で、容姿端麗な人を見ると嫉妬するといい、男の子が墨で顔を汚して参加する。2012年には地区内の幼稚園児や小中学生計15人と関係者らが参加した。
朝、地区の公民館に集まった子どもらは墨汁をたっぷり含んだ筆で、互いの顔に「山の神」と文字を書き込んだり、ネコのひげのような文様を入れたり、顔に墨を塗りたくった。その後、青竹で作った御幣やわらじ、しめ縄、酒、 おにぎり入りのおひつなどなどの供物を持って公民館を出発し、「山の神のお祭りは 大きなお祭りで 大びつに一杯 小びつに一杯 あーらめでたや 後の御福は頼んだ」と唱えながら、県道沿いの祠まで約1キロを練り歩いた。山の神は食事する姿を見られたくないといい、お供えした後は祠を振り返らずに集落まで戻るのが決まりとなっているという。(神戸新聞next版)
1年の五穀豊穣、無病息災と地区の安泰を願う
兵庫県神崎郡市川町沢 2022年1月3日~2月3日 「寒水行」 延寿寺 檀信徒ら  同寺の開祖が近くを流れる市川で水行をしたことに由来し、約100年続くとされる伝統行事。二十四節気の一つ「小寒」の5日早朝、「寒水行」が始まった。粉雪がちらつく午前5時、水行の開始を知らせる太鼓が鳴った。温度計は2度。県内外から檀信徒ら13人は下帯や腰巻き姿で水行場へ順に入り、手おけですくった井戸水を何度も頭からかぶり、無病息災などを祈った。節分の2月3日まで毎日続く。(この項:神戸新聞NEXT)   無病息災などを祈る
兵庫県神埼郡福崎町東田原 2023月1月9日 追儺式(鬼追い式) 神積(じんしゃく)寺 地域住民、参拝者  鬼追い式は「山の神」が赤鬼、青鬼とともに舞い、たいまつの火で邪気を払う伝統行事。毎年成人の日に行なわれていた。地域住民ら約千人が集まり、山の神や鬼が投げるたいまつを拾い合って無病息災を願った。コロナ禍の影響で3年ぶりに開かれた。
 鬼追式では「山の神」とその家来である「赤鬼」と「青鬼」が燃え盛る松明(たいまつ)を持って登場し、本道や境内で邪気を払う儀式を行なった。起源はなんと鎌倉時代にまでさかのぼるという。(出典:神戸新聞NEXTなど)  
邪気を払い、無病息災を願う
兵庫県神崎郡福崎町高橋区 1月成人の日の前日~成人の日 法成就講(町指定重要民俗文化財) 高橋区内 全戸が参加して行う  兵庫では小正月の火祭を一般的に「とんど」と呼ばれ、福崎町では普通「おとう」と呼ばれている。しかし高橋区の火祭りは「法成就講(ほうじょうじゅこう)」といわれている。講の目的は地区の祭祀・親睦等を含めて講員の無病息災・五穀豊穣を祈る伝統行事。開講の年代は不明だが、連名帳の記録では文化2年(1805)が最も古く、それ以前に始まったと考えられている。昭和58年3月、町指定重要民俗文化財に指定された。
 運営には「おとう」と呼ばれる頭屋が毎年輪番制で選ばれ、食事の端々に至るまで古いしきたりに従って、成人の日の前日に行われている。わらや竹、杉、桧の枝などを積み上げた高さ10mほどの塔を燃やした際に、正月の飾り物や子どもたちのかきぞめを一緒に燃やす。
 近隣の鍛治屋地区では「ほちょじ焼き」とよばれおり、「ほうじょうじゅ」が音便により変化したものと考えられる。(この項:福崎町役場ホームページ観光文化財情報などによる)  
講員の親睦、無病息災、五穀豊穣
兵庫県神崎郡福崎町鍛治屋地区 1月成人の日の前日~成人の日 かくしほちょじ(ほちょじ焼き)兵庫県指定重要民俗文化財 鍛治屋地区 地区の全戸が参加して行う 毎年1月成人の日の前日の夕刻から翌日の早朝にかけて鍛治屋地区の全戸が参加して行われる。令和3年3月、県重要民俗文化財に指定された。祭礼では、「とう」「とうの親」「とうの親の親」等の役割が決められ「ほちょじづくり」「案内廻り」「酒宴と夕食」「ほちょじかくし」「諸神事」「狐追い」「ほちょじ焼き」等の諸行事が古式に則り行われる。『徒然草』にみえる“三毬杖''と“道祖神''の両者を兼ね合わせた行事という。
かくしほちょじは、成人の日の前日から当日にかけての「歳の当」で行われ、また 1 月 26 日の「宮の当」とあわせて、住民のなかから輪番で選ばれた 9 人の「当人」によって行事がなされる。
 この行事は、兵庫県播磨地域の小正月行事に多く見られる「トンド(ほちょじ)」と「狐追い(キツネガリ)」に加え、「サイノカミ」の祭りを行うオトウ行事が複合したものであり、当人が組み上げた「ほちょじ(トンド)」の塔を子ども達が半分に切って引きずり、藪の中などに「かくす」ことから「かくし」「ほちょじ」と呼ばれる。「ほちょじ」は大人が深夜に探し出し、再度塔を組んだ後、正月飾りなども入れて火をつける。
 また、「サイノカミ」のご神体の丸石を掘り出して祭り、帳渡しの儀の後、「無言の行」「狐追い」を行い、ほちょじの火に入れ、埋め戻す。
 明治 20 年からの「順番帳」が残されるとともに、福崎町教育委員会によって、伝承を含めた記録映像等を作成しており、これらの記録から、社会の変化とともに柔軟に行事の運用に変更を加えつつ、伝承していることがうかがえる。
 ほちょじ焼きは、地区総出で正月お飾りを一緒に焼き、また熾き火で青竹の先にはさんだ餅を焼いて食べ、無病息災、五穀豊穣を祈願する。とんど焼きとも言っている。火中に丸石を投じるのが、この地域の「とんど」の特徴。(この項:兵庫県教育委員会文化財課記者発表資料、福崎町役場ホームページ観光文化財情報などによる)  
家内安全、五穀豊穣

【中国】
   
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
岡山
岡山県岡山市 2024年1月14日 どんど焼き 市内の神社 氏子、地域住民  岡山市の神社では1月14日、正月飾りなどを焚き上げるどんど焼きが行われた。玉井宮東照宮では1月14日朝から参拝客が訪れ、正月飾りやお札などを火の中へ入れ、焚き上げた。参拝者はこの1年、無病息災で無事に過ごせるよう祈りを捧げていた。また、燃えたあとの灰にはご利益があるとし、空き缶に詰めて持ち帰る人もいた。訪れた人は「田舎の風習かもしれないが、家の周りに灰を撒くと厄除けになるのかな。ヘビが来ないというのもある」などとテレビ局の取材に話していた。
 神社によると火災につながる可能性から境内の狭いところや、街中の神社ではどんど焼きをしないところが増えたという。(OHK岡山放送)
1年の無病息災
岡山県岡山市上中野 2016年1月11日 どんど祭 宗忠神社 地域住民  「どんど祭」は、明治18年(1885)の宗忠神社鎮座当時から続く神事。正月の松飾りやしめ縄、お守りなどを燃やして一年の無病息災を祈願する。1991年に神社が地元住民と「どんど祭」として一般公開されるようになってからは毎年約1万人が訪れるという。
 廃材を用い、高さ約3m、幅約1.5mのやぐらを組み、式典が午前10時に始まると、宮司が祝詞を奏上した後、着火した。次々に訪れる住民や子供たちが、門松やしめ飾り、書き初めなどを投げ込んだ。
 約1万個の丸餅が用意され、訪れた人は餅を長さ約2・5メートルの竹ざおの先にはさんで「どんどの火」であぶり、ぜんざいに入れて味わった。お神酒、豚汁やぜんざいがふるまわれる。
1年の無病息災
岡山県岡山市北区金山寺 2024年2月3日夜 はだか祭り「会陽(えよう)」 金山寺 地域住民、観光客  はだか祭り・会陽は、まわし姿の裸の男衆が福を授かろうと激しく体をぶつけて宝木(しんぎ)を奪い合う岡山県の伝統行事。小正月の耐寒行事としての裸祭りは東北地方で広く行われるが、会陽と呼ばれる行事は、岡山・香川にしか見られないという。金山寺では2月3日県内でトップを切って、コロナ禍から4年ぶりに会陽が行われた。
 午後10時ごろ、寺の住職が仮本堂脇に組まれたやぐらから2本の宝木を投下。「うおー」と大声を上げた裸衆約360人は、降りしきる雨の中、体から白い湯気を立ち上らせ、もみ合いながら、一斉に手を伸ばした。4年ぶりに参加したという会社員は「まわしを締めると気が引き締まる。参加できてうれしい。家族が健康に過ごせるよう願った」と話していた。日中は小学生約40人による子ども会陽もあった。
 岡山県内では2月10日に安養寺(美作市)で、2月17日に西大寺観音院(岡山市)で会陽が行われる。(出典:山陽新聞デジタル,デジタル岡山大百科)
1年の福と無病息災
岡山県総社市 1月14日 どんど焼き 東公民館 地域住民  各家庭から持ち寄った正月のしめ飾りを焼く。書き初めや、竹にはさんだもち、ミカンを焼いて食べる。 一年の無病息災
岡山県真庭市 2024年2月4日 北房ぶり市 呰部(あざえ)商店街 地域住民  「北房ぶり市」は、海の魚を食べる機会が少なかった山あいにある真庭市の北房地域の人たちがごちそうだったブリを食べて旧正月を祝う伝統行事で、江戸時代に藩主が開かせたのが起源とされ、300年以上続くとされている。町人たちは「正月ぐらいは贅沢を」と当時、内陸部ではブリをこぞって買い求めたという。
 通りには天然物のブリを市価より2割ほど安く買える「ぶり小屋」が設置され、豪快にさばく実演販売が行われた。ブリの切り身が入った雑煮も販売され人気を集めたほか、ステージでは餅投げや神楽の上演などが行われ、多くの人たちでにぎわった。地元では「ぶり市」訪れるだけで「1年間かぜをひかなくなる、ぶり市の風に当たると縁起がいい」と言い伝えられているという。(出典:RSK山陽放送)
一年の無病息災
岡山県湯原町湯本 1月13日 温泉とんど祭り 旭川河川敷 地元住民、ホテルや旅館の宿泊客   家内安全、無病息災を祈る
広島
広島県広島市内 1月11日 とんど祭り 市内の各地 市民  中区鶴見町の竹屋小では、とんど祭りに合わせて、竹屋地区社会福祉協議会などが「三世代交流のつどい」を開いた。親子連れ約300人が参加。体育館で児童たちがお年寄りや父母から、はねつきやめんこ、おはじきを習い、一緒に遊んだ。
 最後に校庭でとんどに点火し、親子でもちを焼いたりして楽しんだ。
西区観音本町の観音小のとんど祭りには、約500人が参加した。中区の平和記念公園の「平和の灯」を採火して同小の児童十人が校庭まで約2キロを走り継ぎ、高さ11mのとんど一基に点火した。
広島県広島市中区 2023年1月15日 とんど祭 広島護国神社 参拝者  このとんど祭は毎年1月15日の小正月に広島市中心部で行われる新春恒例の盛大な火まつりとして知られている。本殿前に大量の青竹をしめ縄で束ねて、高さ10mほどの巨大なとんど櫓(やぐら)が作られる。初詣での参拝者が返納した多くの破魔矢やお守りを櫓に投入する。また住民などが持ち込む正月飾りなどもお焚き上げされる。
 午前10時頃から本殿にて神事が行われ、10時30分頃になると、神主が松明で櫓に火を放った。炎が勢いよく櫓を包んで燃え上がり、煙や灰が境内中に舞い散り、待機していた消防隊による神社施設への散水が行われた。例年、櫓の火が落ち着くと、紅白の餅が焼かれて参拝者へ振る舞うのが恒例となっているが、2023年はコロナ禍の感染防止のため中止された。とんどの火で焼いたお餅を食べると虫歯にならないと言われている
無病息災を祈願
広島県廿日市市宮島町 2024年1月14日 古札焼却式(とんど) 嚴島神社 参拝者  古札焼却式は古い御神札、御守や正月飾りを浄火でお焚き上げする伝統行事。嚴島神社の建造物の多くは国宝・重要文化財に指定されている。平成8年12月にユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されたので、貴重な世界遺産の小正月火まつり行事となった。
 宮島のとんどは、厳島神社本殿と大鳥居の間に、干潮で現れる砂州で行われる。このためお焚き上げが始まる時間は毎年時刻が変わる。2024年の干潮時間は午後6時頃となるため、式は午後3時から始まった。参拝者は正月飾りや古いお札、お守りを持って自由に参加できるので、遠方から参加する人が多い。厳島神社のとんどの火に あたるとその年は病気をしないといわれ、無病息災や商売繁盛を祈願する。(出典:厳島神社公式HPなど)
無病息災や商売繁盛を祈願
広島県福山市沼隈町能登原 2014年1月12日 能登原とんど(市無形民俗文化財) 地元6地区の各所 住民   能登原とんどは江戸時代から始まったとされ、高さ約10mの巨大とんど6基が勇壮なぶつかり合いを繰り広げる伝統行事。とんどは地元6地区の住民が昨年末から製作。竹やわら、松で組んだ土台に、地名の由来となった平家の弓の名手・能登守教経(のとのかみのりつね)にちなんだ弓の的をはじめ、華やかなウメやボタンの造花を飾り付けており、重さは約300キロ。毎年六基作られる。
とんどは朝から台車に載せられて、大人や子どもたちが各地区町内を引き回した後、午後2時頃、能登原小学校運動場に集結した。法被姿の男たちが「ほりゃ、とんどじゃよい」と威勢良く掛け声を発しながら担ぎ上げ、子どもたちが打つ太鼓に合わせて、激しくとんどをぶつけ合うと、集まった住民らから拍手と声援がわいた。
 その後、各地区に持ち帰り、正月飾りなどと一緒に燃やした。
1年の無病息災や五穀豊穣
広島県県北地域 1月9日 とんど祭り 県北の各地 県民  15日の左義長を前に、広島県県北各地で9日、子どもたちの健やかな成長と1年間の無病息災を願う「とんど焼き」が行われた。
 三次市十日市南4の高台でも、各家庭が持ち寄ったしめ飾り、門松などと共に、高さ約10mの青竹、杉の枝に点火。「字が上達するように」との願いを込めた習字作品や、正月の縁起物などが次々と焼かれ、炎が高く上がるたびに歓声が上がった。
 火が収まると餅焼きが行われ、。参加者たちは竹に挟んだ餅を残り火にかざしたり、金網の上で焼いて食べ、家内安全などを祈った。2014年には1月12日に行われた。
子どもたちの健やかな成長と1年間の無病息災
広島県庄原市口和町(くちわちょう) 2024年1月14日夜 トラヘイ 地区の各家庭 住民とこどもたち  「トラヘイ」は子どもたちがこしらえたわら細工の馬を持って家々を訪ね、家内安全、商売繁盛、牛馬繁栄、五穀豊穣などを願い、わら馬とお菓子や餅などを交換した。子どもたちが地域に幸せをもたらすという小正月の来訪神行事。新型コロナウイルス対策の緩和により、4年ぶりに行われた。口和郷土資料館によると、トラヘイは江戸時代の書物「芸藩通志げいはんつうし」には「とろべい」と記載されており、全国各地で行われていたという。
口和のトラヘイは地域の青年部や子ども会などによって現在も小正月(現在の1月15日頃)の前夜に行われ、子どもたちが班に分かれ「トラヘー、トラヘー」と叫んで各家を訪れる。玄関前にこっそりとわらで作った器「ワラスボ」を置き、その上にわら馬やわらで作った縄「銭つなぎ」を置く。家の人は、そのわら馬や銭つなぎを貰い、お礼として、餅、ミカン、お菓子などをワラス ボに入れる。子どもたちは物陰に隠れ、ワラスボにつなげた縄を手繰り寄せる。見つからずに返礼品を持ち帰ればトラヘイは終わるが、見つかると家の住民から勢いよく水を掛けられてしまう。
 返礼品で貰った餅は「トラヘイ餅」と呼ばれ、食べると病気にならない、牛に食べさせると良いなどといわれている。(出典:中国新聞デジタル、庄原市広報しょうばら2022.2号)
子どもたちの健やかな成長と1年間の家内安全、商売繁盛、牛馬繁栄、五穀豊穣などを願う
鳥取
鳥取県鳥取市気高町酒津 2015年1月10日 国の重要無形民俗文化財「酒津(さけのつ)のトンドウ」 酒津港周辺 地元住民、男子小中学生  「酒津のトンドウ」は、江戸時代後期の約130年前に始まったと伝えられる小正月の火祭り。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 トンドウは松の柱を中心に竹でつくった骨組みに稲わらで覆い、縄で巻いて、円錐型に整えた高さ4・5メートルの小屋。地区の各家庭から持ち寄った正月飾りを周囲に取り付けて
 10日午後に「コリトリ」と呼ばれる集落の各家庭を清める儀式が始まる。小学1年から中学2年までの集落の男児17人が、上半身裸ではだしとなって「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声と共に海藻を振り回しながら、トンドウの周囲を時計回りに3周。続いて3、4人の班に分かれて集落の約170戸を回り、数軒の玄関先で「払いたまえ清めたまえ」と唱えては、各戸をお清めして、再びトンドウに戻る所作を繰り返した。
 男児たちは集落内の自治会館で一夜を過ごし、11日午前5時ごろ「頭」を務める男子が火入れ役となってトンドウを燃やす。
1年間の無病息災を祈った
鳥取県鳥取市河原町渡一木 2014年1月7日 「七草がゆと鳥追い」 河原歴史民俗資料館 地元の小学生ら約20人  若い世代に伝統行事を伝承しようと河原町民俗行事を語る会と町中央公民館が毎年行っている。「鳥追い」は、農作物を食い荒らす害鳥獣を追い払い、五穀豊穣を祈る意味があるという。
 語る会の会員が行事の由来などを説明した後、「鳥追い」を実演した。まな板の上にセリやナズナなどの七草をそろえ、すりこぎと包丁を持ち、まな板を打ちながら「唐土(とうど)の鳥が 日本の土地に 渡らぬさきに 七草 ナズナ をそろえて ホーホー」と3回唱え、児童も体験した。
 最後は全員で温かい七草がゆを食べて一年の健康を祈願した。
1年の五穀豊穣、健康を祈る
鳥取県日野郡日南町霞 2024年1月14日午後3時~ 町の無形民俗文化財「霞のドンドさん」 霞の田んぼ 霞神社宮司、地域住民  鳥取の正月飾りを燃やす伝統行事は「とんど」と呼ぶ地域が多いが、霞地区では「ドンドさん」と呼ばれる。ドンドさんは江戸時代から続いていて、日南町の無形民俗文化財に指定されている。ドンドさんは高さ16mほどの青竹を組み立て、その根本に正月飾りや書き初めなどが置かれる。 青竹の頂上に松と杉の枝を飾り、四方に綱を張って固定する。綱には牛馬の神様である手足を縫い合わせた「猿のぬいぐるみ」という縁起物を吊り下げる。(他県では“くくり猿”“猿ぼぼ”とも)火が燃え上がると綱を切り、竹が倒れたときに縁起物の猿を取ることで一年の無病息災が叶うとされる。また、竹の一番上に吊るされた大きな猿は「天下」と呼ばれ、取った人は一年を幸せに過ごせると言われている。
 霞神社の宮司が神事を行い、正月飾りに点火された。竹が倒れると、人々は猿のぬいぐるみを取り合った。持ち帰った猿のぬいぐるみは各家の神棚で飾られ来年のドンドさんで燃やされるという。(中海テレビ放送WEB)
1年の健康、幸せを祈る
鳥取県日野郡日野町菅福地区 2024年2月3日夜 「ホトホト」 厄年を迎えた人がいる家 地域住民  「ホトホト」は鳥取県西部に古くから伝わる小正月の行事で、神様の使いとして「すげがさ」に「みの」をまとった人たちにバケツで水を浴びせかけることで厄払いをする。神様の使いが家の戸をたたく音が名前の由来とされている。
 3日夜は、レインコートなどの上に「すげがさ」、「みの」をまとった5人が、「ホトホト〜」と唱えながら厄年を迎えた人がいる家を訪れた。「ホトホト」たちは、しめ縄などの縁起物を「ざる」に入れ、縁側に置いて立ち去る。このあと家の人たちはご祝儀の酒などを「ざる」に入れ、それを取りに戻ってきた「ホトホト」に冷たい水を浴びせた。たくさん浴びせるほど、厄が落ちるとされ、「ホトホト」にバケツで何杯も水を浴びせかけていた。 還暦を迎えたという住民の男性は、「伝統の厄落としの習慣なので本当にありがたい。この1年は無病息災で健康に過ごしたい」などと話していた。(NHK鳥取 NEWS WEB)
厄落とし、1年の無病息災を祈る
鳥取県河原町下佐貫地区 1月12日 とんど焼き 千代川河川敷 地域住民約150人  高さ県内一をうたう竹で組んだ高さ11メートル、幅5メートルのやぐらに、地区内の各家庭の書き初めやしめ飾りをひとまとめにし、年々高くしてきたという。
 2004年は、あいにくの風で、当初予定した高さ20メートルの火柱とはいかなかった。子どもたちは、竹ざおの先につけた鏡餅を火で焼き、その場で食べた。
1年の無病息災を祈る
鳥取県米子市和田町 2020年1月12日 小正月の神送り行事「トンド」 町内各地 地域住民  トンドは、その年の福徳をつかさどる「歳徳神」を乗せたみこし行列が家々を巡って厄を払う伝統行事。鳥取県西部の弓浜半島一帯と島根県東部に江戸時代から伝わるといわれる。
和田町では三つの地区に分かれ、白装束に烏帽子姿で神職役を務める住民らが、太鼓や笛を鳴らしてみこし行列を練り歩いた。みこし行列は地区の全ての路地を一筆書きで回る決まりで、地図で確かめながら、約5時間かけて巡った。待ち受けた住民が手を合わせたり酒やミカンをふるまったりすると、足を止めて「清めたまえ、はらいたまえ」と唱えた。 (この項共同通信47ニュース)
家々の厄を払う
鳥取県倉吉市生田地区 2024年2月24日 市の無形民俗文化財 管粥(くだがゆ) 地区の旧家 自治会役員、地域住民  管粥はコメと竹筒を一緒に炊き上げて筒に入ったコメの量でことし1年の農作物の作柄を占う。旧暦小正月の伝統行事で、地区の旧家で行われた。
 この旧家では「神男」として行事を取りしきる住民がさんが、前日に大釜でコメと一緒に炊き上げた長さ20センチほどの竹筒12本を包丁で縦に割って並べた。
 竹筒にはそれぞれコメや麦、大豆などの作物が割りふられていて、自治会の役員などが最もコメが詰まっているものを「八」、やや隙間があるものを「七」などと判定した。作物が詰まっていればよい作柄が期待されるという。判定結果はお札に書き写され、地区のおよそ280世帯に配布されるという。(この項NHK鳥取NEWS WEB)
農作物の作柄を占う
島根
島根県各地 1月14日 とんど焼き   地域住民  吉賀町朝倉では、青竹で組み立てた高さ15mのやぐらの下に木箱を置き、各家庭から持ち寄った古いお札、しめ飾りを納めて、燃やす。
 火勢が弱まると、長い竹竿の先端に餅をつけてあぶり、女性たちがぜんざいにして参加者に「これを食べると病気にならない」と言って、サービスした。平成8年から地区のイベントとして続けている。
 島根県では地域によっては、するめやおもちをアルミ箔で包み、ご神火で焼いたものを皆で分け合って食べながらお神酒をいただくところもある。
無病息災を祈る
島根県出雲市 2014年1月13日 「亀山とんど祭」 出雲大社の北島国造館出雲教 氏子ら  高齢化や野焼きの禁止でとんど行事ができなくなる町内もあるなか、出雲教と古代出雲歴史博物館など4団体が「民俗行事を継承しよう」と、実行委ををつくって開催している。今年で5回目になる。
 御神殿で北島建孝国造が祝詞を読み上げたあと、馬場同志会が小雪が舞う中、「しゃぎり太鼓」を披露しながら広場まで行列。神職が12日夕に「火きり臼」でとった御神火で、うずたかく積まれたしめ縄や古い絵馬、お札などに点火した。
 とんどの火で焼いたモチやサツマイモが氏子に振る舞われた。
1年間の家内安全や無病息災を祈った
島根県出雲市大社町 2013年1月3日 「吉兆さん」と「悪魔祓い」 町内各地 地域住民  「吉兆さん」は大社町の正月行事。3日の朝、各町内会では小太鼓、笛のはやしで氏神の前に錦の赤いのぼり旗「吉兆幡(ばん)」を立て、続いて出雲大社、旧家を廻ってから地元に帰り、新年を祝う。
 「吉兆幡」とは「歳徳神」と大きく縫いとりをした高さ10m、幅1mほどの大幟のことで、これを持って笛や鼕(どう)の囃子と共に練り歩き、出雲大社本殿の前では神謡を詠う。(2013年は平成の大遷宮中のため御仮殿の前)
 吉兆さんが町内を練り歩いているときに、「番内」という白や赤の大きな鬼の面をかぶり神楽衣装を身に着けた42歳の厄男が、家々を回り、玄関先でササラになった青竹を持って地面を叩きふりかざしながら、「悪魔祓い(アクマンバライ)」と大声をあげて厄祓いをする。
 昔は「左吉兆」と呼ばれていたこともあるという。
今年1年の無病息災や五穀豊穣
島根県松江市八雲町東岩坂 2014年1月13日 「おおもっつぁん」 星上山頂の星上寺と那富乃夜(なふのや)神社(458m) 地域住民  古くから旧正月に行われる行事。地元の人たちが2本の竹にしめ縄でくくった直径1メートル近い大餅4枚と、小ぶりな天神餅2枚を、星上寺と那富乃夜神社に奉納する。この日は雪の降る中を地元住民が10キロの大きな餅を担いで参道を登り、山頂の寺社まで運んだ。
 隊列を組んだ約40人は午前8時半すぎ、山の麓を出発。祝い歌に声を合わせ、雪が深まる参道を登った。雪が積もった山頂で、大餅をぶつけ合い登頂を喜んだ。その後、餅は各寺社に奉納された。
大餅を担いだ安部さんは「餅をしっかり運べて良かった。高齢化が進む地区だが、これからも地元の伝統行事を継承したい」と話した。
五穀豊穣と無病息災を祈願
島根県松江市美保関町片江地区 2013年1月6日 「墨付けとんど」「婿投げ」 地区内 地域住民   墨付けとんどは松江市美保関町片江地区で毎年行われている伝統行事で、約250年前から続けられている。威勢のいいみこしとともに、墨を持った女性たちが地区内を練り歩き、沿道に集まった地区の人々の顔に手当たり次第に墨を塗っていく。同地区は漁業の町であるため、墨をもらうと、1年間は風邪をひかず、海難にも遭わないとされる。
 みこしは町内を一回りした後、海辺へと向かい、去年結婚した人らが海に放り投げられた。沿道に集まった人々は、顔に墨を付けてもらって、今年一年の無病息災を祈った。
 祭事は3日間かけて行われ、1日目は2本の孟宗竹を切って、神木(竹)迎えを行う。神木は上方を横竹で結び、先端に御幣、扇、掛け鯛(1メートル程の紙で作ったもの)を飾り、横竹の両端には籾米と大豆を入れた袋を各々つるす。米と大豆は祭りの後の田植え儀礼の早稲植えに使われる。2日目は、宮練り(墨付け)が行われる。3日目は早朝のとんど焼きでしめくくられ、各家のしめ縄とともにお焚きあげが行われ、歳徳神を送る。
 2017年は1月8日に行われ、雨が降る中、法被姿の男衆が担ぐ2基のみこしが方結(かたえ)神社を出発。「チョーサダー、チョーサダー」と掛け声を響かせて練り歩き、同行した墨付け役の女性たちが、玄関先の住民や地区外から集まった見物客の顔に、木炭の粉末や墨汁をお神酒で溶いた墨を輪切りにした大根などを使って次々に塗り付けて回った。墨はたくさん付くほど御利益があるとされるため、住民らは進んで顔を差し出した。
 浜辺に立てる「とんどさん」の飾りは、地区の当番の女性が地区の集会所に集まり、赤や緑の紙を縫い合わせるなどして袋状の飾りを作り上げた。(この項出典:美保関地域観光振興協議会HP、山陰中央新報など)
一年の無病息災
島根県松江市美保関町美保関 2023年年1月20日~1月29日 もち花祭り 美保神社、町の中心街 地域住民、商店主  昔の美保関では正月、各家庭でクロモジの木(当地では「もち花の木」や「ふくぎ」ともいう)を白い餅で飾り、神棚や床の間に飾っていた風習がある。今ではほとんど見られなくなっているため、伝統の風習を後世に残していこうと、祭りが始まった。旧暦正月にクロモジの木で「もち花飾り」を再現。この飾り付け期間を「もち花祭り」と称している。
 1月20日朝、美保神社参道で住民らが餅つき、もち花飾りを作り、青石畳通り周辺や地区へ配布し、街並みを飾った。まつり期間中、街なかの商店、食堂、旅館・ホテルでは「もち花飾り」を掲示してお出迎え、もち花茶・オリジナルクッキーの販売する。(この項出典:美保関地域観光振興協議会HPなど)
伝統の風習を後世に残す
島根県大田市五十猛町大浦地区 2013年1月11~15日 五十猛(いそだけ)のグロ 五十猛漁港の広場 地元住民  「グロ」は国の重要無形民俗文化財で約300年の歴史がある伝統行事。グロは竹や笹、木などで造った円すい形の大きな仮屋をいう。かつては同町の複数の地区で浜辺に作っていたが、現在は大浦地区のみが伝統を継承している。行事では歳徳神を迎え、その年の豊漁や無病息災を祈願し、最後に正月飾りとともに仮屋を焼き払う。
 11日は、地元の漁業者らが五十猛漁港の広場に集まり、高さ約25メートルの青竹の支柱を立て、周りを竹やササで囲い、天井にござを張るなど2時間程度かけて直径10メートルほどの円すい形の仮屋を設けた。内部には3か所の囲炉裏が設けられた。完成すると地元の子どもや高齢者らが早速中に入り、三つある囲炉裏で餅や干物などを焼いて味わっていた。
 グロでは15日まで、住民たちがいろりを囲み深夜まで歓談、1年の豊漁と無病息災を祈る。グロは15日、正月飾りと一緒に焼かれる。
1年の豊漁と無病息災
島根県大田市 1月5日ごろ 仮屋行事とんど 市内各地 地域住民  仮屋行事とんどは正月5日ごろ行われる。同市では仮屋は歳神を祀る仮の社の意味であるが、今では町内の常設の堂や民家が仮屋にあてられる。当日は餅つきや仮屋の飾りつけをするが、これを世話する家を仮屋当番という。
 餅つきは臼に長い綱をつけ、子供がそれを町内中引きまわしていくのを、杵を持った数人の大人が追いかけながらつく。飾りつけは、シンボコ(神木)とよばれる青竹を仮屋の門口に立て、そのまわりに注連縄を張りめぐらして仮屋を清める。次に座敷の正面に歳徳神を祀って、そのまわりに大田地方でカリヤ面と呼ぶ荒神面、鬼面、天狗面などを、町内から持ちよって並べる。神前にはつきあがった鏡餅や御神酒、野菜、鯛などを供える。
 子供たちは一日中この仮屋の中で遊び、夕方人々が集まると、神職が祝詞(のりと)を奏上した後、だんらんが始まる。翌日、神木や注連縄を焼くが、この神火にあたると風邪をひかないといわれている。鏡餅は小さく切って町内に配り、面はそれぞれの家へ返し、歳徳神の宮は翌年の当番が預る。この正月飾りを焼いて歳徳神を送る行事を「とんどさん」とよぶ。昔は正月半ばの14日に行われたが、最近は7日、8日ごろ行うところもある。 (この項出典:島根県観光連盟しまね観光ナビ)
歳徳神を送り住民が懇親。一年の無病息災
島根県江津市桜江町川越 2016年1月11日 とんど祭り 川越地域コミュニティ交流センター 地区住民ら約100人   川越地区青少年育成協議会が主催した。しめ縄や書き初めなどを持ち寄り、神事の後、子どもたちが火入れをして無病息災や家内安全を願った。参加者は、餅つきをして、ぜんざいを食べながら親睦を深めた。 一年の無病息災や家内安全
島根県邑南町高見 2013年1月14日 とんど 高原公民館 地域住民  町の瑞穂、羽須美両地域では、20年以上前から地元産のウラジロや稲わらなどを使ってしめ縄(長さ40センチ、幅30センチ)を製作。JA島根おおちを通じて、広島市や周辺に4トン出荷している。
 とんどは、スーパーの店頭で回収した3トンのしめ縄のうち1トンを燃やした。
 地元住民もしめ飾りや書き初めなどを持ち寄って焼き、一年の無病息災を願った。
一年の無病息災
島根県飯石郡飯南町頓原(とんばら) 2023年1月7日夜(2024年1月13日夜) とろへい 張戸(はりど)地区の各家 地域住民と子どもたち  「とろへい」は集落の各家庭に子どもたち神様の使者となって新春の福を運ぶ来訪神の伝統行事。福をもたらす手作りのわら馬を持って家々を訪れた子どもたちに、住民が菓子を贈り、さらに清めの水を浴びせかけて、一年の幸福や健康を願った。
 とろへいは「年の最初の満月の夜に福の神が来て、人々に祝福を与える」という古代の「望正月」の言い伝えに基づく行事。とろへいと同じような民俗行事は、中国地方の山間部で江戸時代には実施されていたといわれる。広島県では「とらへい」、鳥取県では「ホトホト」、山口県では「トイトイ」などと呼ばれている。かつては飯南町内各地で行われていたが一時途絶え、現在は同町頓原の張戸、長谷の両地区で開催されている。
 2023年に参加したのは地元の頓原小学校3年から高校1年までの11人。二手に分かれ、それぞれ4、5戸の家を回った。自分たちが来たことを知らせるため、「とろとろ、とろとろ」と大きな声を出して歩き、ワラで作った馬の親子を家の縁側に置いて、物陰に隠れて様子をうかがった。  住民は子馬をもらう代わりに、菓子などの供え物を親馬にくくり付け、家の中に戻る。子どもたちは、気づかれないように縁側に戻って供え物を抱えて逃げるが、住民は清めの水をひしゃくで容赦なくかけた。逃げ回る子どもたちのにぎやかな笑い声が集落に響いた。水にぬれた子どもは1年間、無病息災であるとされる。小学3年の児童は「水をかけられて楽しかった」などと取材記者に語った。
 家々で集めた供え物は福袋に入れて子どもたちで分ける。またワラの子馬は縁起の良い使者、家の守り神として床の間や神棚に保管される。牛を飼っている家では牛舎などに飾り、次の年のとんどさんで焚き上げるという。(この項出典:朝日新聞デジタル、毎日新聞WEB版,飯南町広報2018年1月号など) 
一年の幸福や健康を願う
島根県隠岐郡隠岐の島町 1月15日(毎年) 今津のとんど焼き 今津漁港 地域住民  前日に山から根が付いた竹を切り出し、御神木として漁港の岸壁に組み立てる。各家では「宝袋(さいふ)」と呼ばれる紙袋にしめ縄など正月飾りや古いお札やお守りをいれて、表に願い事や絵を書き入れ、高さ20mほどの御神木のやぐらにつるす。
とんど焼きは15日午前8時ごろから火入れが行われ、やぐらが燃え上がるまで太鼓が打ち鳴らされる。御神木が燃え上がり海に倒れこむと、「トンド切り」と呼ばれる下帯姿の男衆が、厳寒の海に飛び込み、神木(根竹)を奪い合う。引き上げた神木は祝い事があった家へ運ばれる。
(2012年1月15日、NHKニュース報道など)
無病息災
山口
山口県周南市 2017年1月14日 どんど焼き 市内各地 地域住民、子どもたち    周南市では1月14日、各地で小正月の伝統行事=どんど焼きが行われた。遠石小学校には多くの市民が正月飾りを持って集まった。遠石八幡宮の権禰宜による神事のあと、高さ1mほどに積み上げられたしめ縄や書初めの山に火がつけられた。どんど焼きの火にあたるとことし1年を健康に過ごせると伝えられている。
 2014年1月13日には、岐山地区コミュニティ推進協議会などが岐山小校庭で開催した。運動場に積み上げられたしめ飾りや破魔矢、書き初めなどに、年男、年女の小学生らがたいまつで点火し、住民らが見守る中、焚き上げた。会場では、ぜんざいも振る舞われた。
無病息災
山口県岩国市 2011年1月17日夜 錦帯橋とんど祭り 錦帯橋近くの河川敷 地域住民  山口県各地の小正月火祭りはどんど焼きと言われているが、岩国ではとんどと呼ばれる。錦帯橋とんど祭りは、錦帯橋近郊の自治会や消防団、子供会などで作る「西和会」が主催する恒例行事。会場には竹で作ったやぐら(縦、横各約7m、高さ約4m)が設けられ、神事を行った後、西和会長や岩国市長らがたいまつで火入れをした。
 約3000人の住民らが、しめ縄などの正月飾りを炎の中に投げ入れ、無病息災などを祈願した。
 燃え上がるやぐらの近くで、干支(えと)のウサギが浮かび上がる仕掛け花火や打ち上げ花火も行われた。
無病息災
山口県山口市阿東地福 2013年1月14日 国の重要無形民俗文化財「地福(じふく)のトイトイ」 地域の家々や店舗先 集落ごとの小中学生  「といとい」は、江戸時代中期から伝わり、毎年1月14日に行われる伝統行事。子供たちが家や店舗などの前に、縁起物のわら馬をざるに入れて玄関先に置き、「とい、とーい」と叫び、物陰に隠れる。
 家人は、ざるからわら馬を取り、代わりに菓子などを置き、家の中に戻る。子どもたちは家人に見つからないよう、そっと出てきて菓子などを持ち去る。見つかって、家人から水を浴びせられると、一年間つきがなくなるとも伝えられている。家々では、五穀豊穣や家内安全、無病息災など福が舞い込むように願って、もらったわら馬を縁起物として神棚や床の間などに1年間まつる。
一年間の福と五穀豊穣、家内安全
山口県山口市内 2023年1月15日 どんど焼き 市内の各神社 地域住民  山口市内では各神社で、1年の家内安全や無病息災を祈願する伝統行事「どんど焼き」が行われる。各神社では正月飾りやしめ縄、書き初めなどを家々から持ち寄り、1カ所に積み上げて燃やす。
 今八幡宮(八幡馬場)では15日(日)午前8時半から午後5時まで。くぐることで災厄やけがれをはらえるとされる茅の輪は午後2時まで設置された。山口大神宮(滝町)では15日の午前9時から午後3時まで実施。古い神札やお守りは、2月3日(金)の節分祭で焚き上げられるという。山口市内では、すでに1月8日や9日に実施済みの神社もある
1年の家内安全や無病息災を祈願
山口県山口市湯田地区 2010年1月9日 どんど焼き 市児童文化センター 地域住民   新年恒例行事の「三世代交流どんど焼きと七草がゆ」が9日、山口市湯田温泉の市児童文化センターで行われた。湯田地区の住民約150人が集まって、しめ飾りや門松などを焼く火を囲み、1年間の無病息災を願った。また、どんど焼きの煙に当たると良いとされている。
 湯田地区青少年健全育成連絡協議会のメンバーらが、各家庭から持ち寄った飾りなどで高さ2メートルほどの山を作り点火した。続いて住民に七草がゆが振る舞われた。
 
山口県柳井市阿月地区 2023年2月11日 阿月神明祭 東西2カ所の砂浜 地域住民  阿月神明祭は高さ約20メートルのご神体2基を燃やし、無病息災を祈る祭り。国指定の重要無形民俗文化財。コロナウイルスの影響で3年ぶりに開催された。 小正月の左義長や戦国武将・小早川氏の戦勝祈願祭が習合したとされ、小早川氏の流れをくむ浦氏が阿月地区に入った17世紀から続くと伝えられる。
 祭りは、ご神体を東西2カ所の砂浜で1基ずつ引き起こす「起こし立て」で始まった。白装束の若者らが地区を練り歩き、浜辺で松や竹、ヒノキで作ったご神体をロープやはしごを使って引き起こすと、新婚の仲間を次々に海に投げ入れる「水祝い」を繰り広げた。
新婚の仲間を祝い無病息災を祈る 
山口県熊毛郡上関町長島 毎年1月下旬(2020年は1月26日) 上関神明祭 竃戸八幡宮(かまどはちまんぐう)、沖の浜埋立地 地域住民  上関神明祭は、戦国武将小早川隆景が御神体を作らせて軍神を祀り、戦勝祈願したのが始まりとされ、慶長9年(1604年)に、小早川家の重臣浦景継が上関の領主として着任した頃から、無病息災を祈り、毎年行われるようになったという。
。神楽奉納の後、竹や松で作られた、高さ約12mの2体の御神体に点火される。 御神体は2本の巨大な松明で、松の葉で飾った「男神明」とシイの葉で飾った「女神明」。子供たちが矢尻に火を着けた弓引きにより着火し、炎が勢いよく燃え上がる。餅つきやうどんのふるまいなどもある。(この項:じゃらんjalan.netなど)
無病息災を祈る  
山口県下関市中之町 2011年1月15日 どんど焼き 亀山八幡宮 地区住民  新年の輪飾りや書き初めのほか昨年のお守り、お札などを持ち寄って焼く新春の行事。節分(2月3日)にも催す。
 亀山八幡宮の青年会が、供えられた餅を火で焼いて参拝者に振る舞った。どんど焼きの燃えかすは毎年2トントラックいっぱいになるという。
この1年の無病息災
山口県下関市豊浦町川棚 2023年1月22日夜 盗餅(とへ) 北村地区や周辺地区 地区住民、消防団員  「盗餅(とへ)」は地域の繁栄を願う小正月の伝統行事で、山口市の重要無形民俗文化財「地福のトイトイ」と類似の行事。いったん途切れた行事だが、約40年前に復活。コロナ禍での中止を経て、昨年に続いて実施された。地元消防団の男たちが「トヘー、トヘー」と声を上げながら、盆に載せたワラ馬を持って、前年に結婚や出産、新築などの祝い事があった家々を回った。盆に載せたワラ馬は祝儀をくわえていて、訪問先の家庭は祝儀を倍にして返す習わし。家族側は、祝儀を渡し終えると、水をかけて追い返す。幸せをすべて取られないように、との意味合いがあるという。
市教育委員会によると、盗餅の意味合いは諸説あるが、江戸時代には豊浦町宇賀地区で催されたとの文献が残っている。同市の蓋井島では、ダイコンを「牛」に見立て、水をかける代わりに墨を塗ったと伝わるという。(出典:朝日新聞デジタル2023年1月27日付け)
地域の繁栄を願い結婚や出産、新築祝い
山口県長門市青海島 2013年1月13日 どんど焼き 大日比地区 地域住民  どんど焼きは、約200年前から続くとされる地区の伝統行事。住民ら約100人が1年間の無病息災や家内安全、豊漁、豊作を祈った。
 どんど焼きのやぐらは、直径10センチほどの丸太で土台を作り、青竹を格子状に組んで内部にシダやワラを詰めて踏み固めた。その上から正月用のしめ飾りや書き初めの半紙、お札などを取り付けた。
 同地区では、やぐらが海側に倒れるとその年は豊漁、山側に倒れると豊作になると言われている。
 参加者がお神酒でやぐらを清め、西円寺の徳弘昌嗣上人が念仏と回向を行った。今年の年男や年女がたいまつで火を付けると、やぐらは激しい音を立てて燃え上がり、海側に倒れた。
無病息災や家内安全、豊漁、豊作
山口県山陽町 1月 どんど焼き 津布田会館 地域住民 高く積み上げられた竹と、各家庭から持ち寄った正月飾りを一緒に燃やす。 山陽町は2005年3月小野田市と合併し、山陽小野田市になった。  

【四国】
 
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
徳島
徳島県美馬市美馬町 2014年1月13日 「日本一のどんど焼き」 吉野川河川敷 神職、地域住民  地元の総合型地域スポーツクラブ「AMEMBO」が2011年から毎年、国土交通省徳島河川国道事務所から河畔に生えている竹の提供を受けて開いている。4回目の今年は昨年より約5千本多い過去最多の約2万本を使用。約20m四方、高さ約13mに積み上げ、正月のしめ飾りなどを載せた。やぐらの大きさで「日本一」としている。
 神事の後、クラブの代表は「年々増やしてきた竹の量は2万5千本が限界と思うが、伝承行事は継続ができてはじめて地域に根付く。これからも続けたい」とあいさつ。牧田久市長らが点火すると勢いよく燃え上がった。
 2016年は1月11日に行われ、約9000本の竹を積み上げて燃やした。約1600人の市民が集まり、今年1年の無病息災などを祈った。
1年間の無病息災や家内安全、五穀豊穣
徳島県御浜町 1月15日早朝(2007年) 左義長 大浜海岸 神職、山伏、僧侶 高く積み上げられた門松やしめ縄、書き初めを焚き上げる。 今年一年の無病息災を祈る。
徳島県鳴門市撫養町 1月13日 どんど焼き 岡崎海岸 東浜子ども会と市国際交流協会が主催し、留学生も参加。  高さ約5mの竹3本を砂浜に組み、中心に持ち寄った正月飾りや書き初めなどを積み上げて焼く。参加者は願いごとを書いた「吉書」を投げ入れたり、竹竿に刺したミカンを焼いて食べる。どんどの火で焼いたものを食べると、一年間健康で過ごせると言われている。甘酒も振る舞われる。
 平成23年には1月9日に行われた。会場には、市内外の約500人が持ち寄ったしめ縄や破魔矢、子どもたちの書き初めなどが積まれ、卯年生まれの小学生ら11人が点火した。書き初めを燃やすと字がうまくなるといういわれから、会場には書道コーナーも設けられた。

無病息災、諸願成就
徳島県徳島市庄町 2012年1月15日 どんど焼き 加茂名小学校 同小や加茂名南小の児童、地域住民ら約450人  児童は短冊に願い事を書き、門松やしめ飾りなどと一緒に積み上げた。どんど焼きの火で焼いた食べ物などを食べると1年間病気にならないといわれており、参加者はミカンをあぶったり、サツマイモを焼いたりして食べた。
 どんど焼きは加茂名まちづくり協議会が、地域の交流の場にし、子どもたちに昔からの習わしを教えようと初めて実施した。
1年間の無病
徳島県牟岐町西浦地区 2012年1月15日 左義長(町無形民俗文化財) 牟岐浦の西浦海岸 地域住民 しめ飾りの番をする「ぼたもち大将」と呼ばれる牟岐小・中学生の7人が、「左義長に火をかけ満天しよう」と大声を出して地区内を巡回。前日に約500戸から集め、午前6時に高さ約5メートルに積み上げたしめ飾りや門松に点火した。 無病息災
徳島県美波町日和佐浦 2016年1月15日 どんど焼き 大浜海岸 地域住民  県南地域では左義長(さぎっちょ)ともいう伝統行事。日の出前の午前7時すぎ、住民が持ち寄ったしめ飾りや門松を、スギで組んだ高さ2メートルのやぐらに入れて点火した。海岸近くの日和佐八幡神社の宮司ら4人が祈祷した。日和佐地区では神仏混交で行われるのが慣わしで、神職の傍らでは僧侶が般若心経を唱えた。太陽が海面に映り二つにつながったように見える「だるま朝日」も姿を現し、海岸に集まった住民は手を合わせて、この1年の無病息災、家内安全などを祈った。燃やした残りの灰は、家の四隅にまくと魔よけになるといわれている。 家内安全、無病息災
徳島県上勝町旭 2016年1月11日 どんど焼き 宿泊交流施設・山の楽校(がっこう) 町内外の家族連れ  上勝町の「どんど焼き」は、しめ縄などの正月飾りを燃やして無病息災などを願う伝統行事。間伐材を高さ1.5mに積み上げて作ったやぐらに、家庭で使ったしめ縄やお札などを入れて火を付け燃やした。どんど焼きの火で焼いた餅やミカンを食べると風邪をひかないとされている。子どもたちは長さ約3メートルの竹の先端に刺したミカンをつけて、火であぶり、熱々の実を食べた。 一年の無病息災を祈る
香川
香川県観音寺市粟井町粟井神社 2015年1月15日 とんど焼き行事「とうどうばやし」または「とうどばやし」 粟井神社 地元住民と子どもたち  とうどうはやしは、「古くからの小正月行事を次世代に伝えよう」と、粟井地区青少年育成会が自治会や消防団などとともに毎年、地元の小学生や保育園児を招いて実施している。地元住民と子どもたちが、「とんど焼き」の炎で、正月のしめ飾りや書き初めなどを燃やして、今年一年の健康と書の上達を祈る。
 この日は、粟井小の3年生12人と粟井保育所の5歳児11人が参加。神事子どもたちは大人に助けてもらいながら、「正月」「月日」「ひつじ」などと書いた書き初めやミカンを炎にかざした。
 燃えた書き初めが灰になって空高く舞うほど、字が上手になると言い伝えられている。子どもたちは高く舞い上がるたびに大きな歓声を上げ、熱々のミカンを頬張っていた。
今年一年の健康と書の上達を祈る
香川県高松市一宮町 2011年1月15日 どんど焼き 田村神社境内 地区住民  参拝者らが持ち寄ったしめ縄などの正月飾りや古いお札、熊手などをくべて、1年の無病息災などを願った。
 境内には、正月飾りが高さ約2メートルに積まれ、神事に続いて、氏子が門松の竹で火入れ。火は5メートルほどの高さまで燃え上がり、訪れた人たちはおはらいを受けた後、火に向かって手を合わせた。

 

無病息災
香川県仲多度郡多度津町三井 2011年1月14日1 どんど焼き 四箇小学校校庭 同小学校児童、四箇幼稚園児  同小では、2年生が生活科で伝統文化や行事を調べており、調査内容の発表の場として行事を開催。1、2年生と近くの四箇幼稚園児約140人が参加した。運動場では、家から持ち寄ったしめ縄などの正月飾りと、児童らの書き初めなどを積み上げて点火し、児童らは立ち上る火に向かい、ことし1年健康に過ごせるように、などと祈願した。
 児童らは竹に挿したミカンを火であぶったり、焚き火の周囲には、子孫繁栄を願う縁起物・ダイダイの代わりとして、アルミホイルをまいたミカンを並べたりして、火が消えた後にみんなで味わった。
一年の無病息災や、子孫繁栄を祈願する
香川県小豆島町 2023年1月15日 とんど焼き 二十四の瞳映画村 地域住民、観光客 二十四の瞳映画村では毎年、映画村と地元の自治会がとんど焼きを行っている。松や青竹などで作った高さ約6mのやぐらに、正月に飾ったしめ縄や門松などを巻き付けてとんどを作る。神事で無病息災や五穀豊穣を祈り、はま矢を四方に放ったあと、地域の住民や観光客など70人ほどが見守る中、やぐらに火が付けられた。青竹が大きな音を立てて燃え上がると、歓声があがった。残り火で餅やみかんを焼いて食べると1年間病気にならないといわれていて、訪れた人にふるまわれた。 (瀬戸内海放送KSB5CHニュースweb版) 一年の無病息災を祈願する。ミカンを焼いて食べると病気にならない
香川県小豆島町 2023年1月13日 餅花づくり せいけんじこども園 園児ら  園児らは、地域の人たちにきねの使い方を教わりながら餅つきを体験した。その後、1本ずつ配られた柳の枝に、小さく分けた紅白の餅をくっつけて、五穀豊穣を願う縁起物の「餅花」を作った。小豆島では小正月の1月15日に餅花を飾るなどの行事が行われている。  せいけんじこども園では、毎年この時期に餅つきを行いその餅を食べていたが、新型コロナの影響で2021年からは食べずに餅花を作るようにしたという。 (瀬戸内海放送KSB5CHニュースweb版) 五穀豊穣を願う縁起物づくり
香川県内海町(うちのみちょう)田浦 1月12日 とんど焼き 汐江海岸 地域住民、観光客  田浦自治会と映画村が毎年実施。前日、同地区内外の家庭から持ち込まれた門松やしめ縄など正月飾りを高く積み上げて、燃やす。高さ約六メートル、直径約五メートルほどになる。残り火で焼いたもちも振る舞われる。
(内海町は、隣町の池田町と2006年3月21日に対等合併して小豆島町となった)
一年の無病息災を祈願する
高知
高知県高知市 2017年2月4日 かいつり(粥釣り) 大橋通商店街 地域住民、親子連れ  小正月の伝統行事「かいつり(粥釣り)」を再現するイベントが高知市で開かれた。かいつりは、江戸時代から戦前まで高知県内各地で行われていた。旧暦の1月14日、仮装して家々を訪れる子どもが福の神として迎えられ、粥(かゆ)や菓子などをもらう行事。手ぬぐいやお面をかぶって仮装した子どもたちが、「かいつり、かいつり、かいつり祝うとうせ」と言って商店を訪れ、菓子などをもらった。
 戦後に入って廃れた行事を復活させ、商店街活性化につなげようと、地域の暮らしや民俗を撮影記録する「地域文化デジタルアーカイブ倶楽部(くらぶ)」や大橋通り商店街振興組合などでつくる実行委員会が初めて開催した。
商店街活性化を願った
高知県高知市 2020年2月9日 どんど 鏡川河畔「みどりの広場」 地域住民  「どんど」は年迎えの火祭りとして小正月(旧暦1月15日前後)に高知県内で広く行われていた年中行事。鏡川河畔のどんどは「土佐の暮らしの文化を守る会」が1991年から毎年開催している。
 午後6時開始で、青竹などで組んだ「ヤマ」に火入れした後、しめ縄や正月飾りを投げ入れて焼く。火に当たり、あぶった若餅を食べて、厄よけや無病息災を願った。(出典:高知新聞)
厄よけや無病息災をを願う
高知県南国市十市 1月15日昼 どんど焼き 新宮神社近く 地域住民、近所の幼稚園児200人  2mほどの高さに組み上げた竹とわらに、住民らが持ち寄った門松や、しめ縄などを積み上げた。神社の宮司が神事をしたあと、点火された。
 参加者は手を合わせて家族らの健康を願ったり、煙を手繰り寄せたりした。また、どんどの火を用意したコンロに移し、餅を焼いてぜんざいに仕立てて味わった。
 2014年は1月14日に行われ、地元の幼稚園児や住民ら約130人が参加し、立ち上る煙を体に浴びて1年の無病息災を祈願した。
健康を願った
高知県高岡郡四万十町大正 2017年1月14日 どんど焼き 梼原川河川敷 地域住民  「どんど焼き」では神職による神事のあと。正月飾りなどを燃やして無病息災を願った。
今年1年の無病息災
高知県安芸郡田野町 2011年1月16日 どんど焼き 二十三士公園 地域住民  どんど焼きは、同町の上地、日野地区の住民が1984年から続けており、今年で28回目。竹を積み上げて燃やす。


今年1年の無病息災を願う。
高知県安芸郡東洋町甲浦地区 2023年1月15日朝 どんど焼き 白浜海水浴場 地域住民  東洋町のどんど焼きは、しめ縄や門松などの正月飾りを焼いて1年の無病息災を祈願する伝統行事。住民や海外からの観光客など、およそ150人が集まって行われた。海水浴場の3か所に、高さ20メートルほどのもうそう竹が立てられ、およそ250軒の家庭から持ち寄られたしめ縄や門松などの正月飾りを、竹の周りに積み上げた。
 正月飾りなどがあらかた萌え終わった後は、中心に据えた竹柱を今年のえとの方角に倒し、1年の無病息災を祈願するのが習わしで、ことしのえとのうさぎの方角に竹を倒した。竹の先につけられた短冊を家の玄関などに飾ると健康に暮らせると伝えられていることから、集まった人たちが持ち帰った。行事に参加したインドネシアの男性は「1に健康、2に幸せ、3に家族みんなが幸せになりますように願いました」と話していた。  
今年1年の無病息災を願う
愛媛
愛媛県松山市道後湯之町 2010年1月10日・11日 初子祭(はつねさん)とどんど焼き、餅まき 湯神社 市内外から訪れた参拝客
 初子祭(はつねさん)は、湯神社が祭る大国主命がネズミに救われたという伝説に基づき「初子祭(はつねさん)」と名付けられ、旧暦11月の最初の子(ね)の日に合わせ祭が開かれるようになったという。現在は祝日に合わせて毎年1月第二日曜日と成人の日の二日間、神社関係者と地元の有志の手によって行われ、豊作・商売繁盛・家内安全を祈願する。当日は、縁起もちまきやどんど焼き、福引きなどが行われる。また地元有志による協賛行事として獅子舞、水軍太鼓、もちつきなどが行われる。(この項:松山市公式観光WEB、松山経済新聞WEBなど) 豊作・商売繁盛・家内安全を祈願する
愛媛県今治市大三島町宗方 2017年2月26日
とんどさん 大三島ふるさと憩の家広場 地区住民
 宗方の「とんどさん」は旧暦1月15日の前後の休日に行われる小正月の伝統行事。一時途絶えたが、35年ほど前に旧宗方小学校のPTAが復活させた。以降、近年は地区住民が帰省客も交えて総出で地区の絆を確かめる恒例行事として親しまれている。
 とんどは、木製の骨組みと「シャキシャキ」と呼ばれる常緑木で作り、「赤いサルの人形」や「わらじ」、三角の「ひうち」などを結びつけ、最上部に大きな日の丸の扇を飾るのが特色。住民や帰省客ら約140人が早朝にシャキシャキを山から切り出し、宗方八幡神社で高さ約8メートル、直径約3メートルのとんどを作り上げた。午後3時ごろから神社で神事が行われた後、「とんどくどき」を歌いながら、太鼓のリズムに合わせて、大三島ふるさと憩の家広場まで500mの道中を住民全員で引いて行った。
 広場でとんどに火が着けられると、住民らは、とんどの火で焼いた餅やバーベキューを食べ、ことし1年の無病息災や五穀豊穣、地区の発展を祈り、住民相互の交流を深めた。
今年の無病息災や五穀豊穣を祈願
愛媛県今治市野間 2014年1月12日
「大根だき」 野間寺 市内外から訪れた参拝客
 「大根だき」は、家内安全や無病息災などを願う新春恒例の行事。地元特産の野間大根で地域を盛り上げようと、同寺が2000年から毎年実施している。今年は檀家が大根約300本を奉納。11日から昆布やしょうゆ、砂糖などを加えて大鍋で炊き上げ、約1200食分を用意し、参拝客に振る舞った。 今年の無病息災を願った
愛媛県四国中央市 2021年1月10日,11日各日午前9時から どんど焼き 市内の小学校グラウンドなど 地域住民  四国中央市では、無病息災を祈る伝統行事「どんど焼き」を公民館の年中行事として地元の小学校グラウンドなどで開催している。市広報で「地域住民は正月飾り(松飾り、しめ縄など)や古い御札を持って、当日会場へお越しください」と事前告知している。ただし、有毒ガスの発生源となるものや、針金、釘、そのほか金物など、燃えない部分は取り除いて持参することとしている。
 【1月10日】豊岡公民館・豊岡小学校グラウンド、長津公民館・長津小学校グラウンド、小富士公民館・小富士小学校グラウンド
 【1月11日】土居公民館・土居小学校グラウンド、蕪崎公民館・蕪崎神社(出典:四国中央市広報
今年の無病息災を願う
愛媛県四国中央市土居町津根 2014年1月12日
どんど焼き 市立長津小学校グランド 地域住民と小学生
 各家庭から持ち寄られた正月のしめ飾りや昨年のお守りなどを集めて作った「どんど」が燃やした。無病息災を祈願した。 今年の無病息災を祈願
愛媛県今治市野間 2014年1月12日
「大根だき」 野間寺 市内外から訪れた参拝客
 「大根だき」は、家内安全や無病息災などを願う新春恒例の行事。地元特産の野間大根で地域を盛り上げようと、同寺が2000年から毎年実施している。今年は檀家が大根約300本を奉納。11日から昆布やしょうゆ、砂糖などを加えて大鍋で炊き上げ、約1200食分を用意し、参拝客に振る舞った。 今年の無病息災を願った
愛媛県西予市宇和町明間地区 2014年1月7日
どんど焼き 明間公民館裏の広場 地域住民約70人   明間地区のどんど焼きは「お注連(しめ)焼き」と呼ばれて親しまれている。かつては集落ごとに行っていたが、現在は少子化のため地区全体で実施している。時期も一般的な1月15日ではなく、子どもたちが参加しやすい冬休み中に繰り上げている。
 7日は、子どもたちが集めた約100戸分の正月飾りを約3mの高さに積み上げ、神事の後に火を付けた。
 明間小学校の児童や明間保育園の園児、住民ら計約50人が勢いよく燃えるやぐらを囲んだ。
新しい年の健康と平穏
愛媛県内子町内子の八日市護国地区 2014年1月13日
2008年は1月14日早朝。
どんど焼き 清正広場
海岸で
地域住民
 同地区町並保存会主催の伝統行事。同地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。祭場には高さ3mのどんどが組まれ、住民がしめ縄や門松などを持ち寄った。おはらいの後、参集者の最高齢、87歳の男性が点火した。家族連れらは竹の枝に挿した餅を焼き、ぜんざいに入れて味わった。 今年の無病息災を願った
愛媛県新居浜市大島 2009年1月12日早朝
2008年は1月14日早朝。
とうどおくり
市無形民俗文化財
同市離島の大島海岸 地域住民や観光客
 大島の「とうどおくり」は、300年以上の歴史があるとされる市無形文化財。とうどは、竹で作った土台にササやしめ飾りを積んで縄でしばった小屋に、無病息災を願って名前を書いたのぼりを扇状に飾って燃やす。
 とうどは高さ約10m。「蓬莱山左義長」と書かれたのぼり約50本を扇形に飾り、正月の注連(しめ)飾りやささ竹を積み上げて作る。
 まだ暗い午前6時から5基のとうどに次々と火がつけられた。とうどの中はワラを敷き詰めて部屋を作り、子供たちが入って遊ぶ。
 2008年は市内の子供たちが作ったとうどもあり、旧別子山村(2003年年4月に合併)の別子小学校の児童たちも油をしみこませた布を竹の棒の先に付けて、とうどに火をつけた。2015年は1月13日午前6時に点火された。火災除けに燃え残りの竹を持ち帰る人もいた。
今年の無病息災を願う
愛媛県八幡浜市矢野神山 2015年1月15日
鎮火祭 八幡神社 氏子
 鎮火祭は小正月の15日に毎年執り行われ、厄よけのお札などをたきあげる。宮司が人命や財産を奪う大火から市民を守る祝詞を奏上した後、焚き上げる。氏子らは境内で持ち寄ったしめ縄やお札を積み上げ、かがり火で燃やした。最期は宮司が清めの「ご神水」をかけて火を消した。 火事の起こらない安全で平穏な一年を願う
愛媛県伊予郡砥部町五本松 2020年1月13日
どんど焼き 村の駅五本松奥駐車場 観光客  村の駅五本松イベント実行委員会とNPO法人松山大学Museの協力で開催。松飾り、しめ縄、書き初めを預かり、午前7時半から焚き上げる。実行委員会ではどんど焼きの火で焼いた餅を食べたり、焼け残った灰を家の周りに撒けばその年の病は除き、また書初めを焼いた火が高く舞うと字が上達するとしている。(出典;砥部町観光協会ホームページ) 火事の起こらない安全で平穏な一年を願う

【九州】
地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
福岡
福岡県福岡市早良(さわら)区大字石釜 毎年1月14日にいちばん近い土曜日 市指定無形民俗文化財「トビトビ」 石釜公民館と各家々 地元住民  石釜のトビトビは、小正月に行われる来訪神行事。石釜のトビトビ保存会が継承している。以前は正月14日に行われていたが、近年では14日に一番近い土曜日に行われている。夕方に男女の子供たちが公民館に集まり、世話役の大人とともに、各地区に別れて家々を廻る。
子供たちは頭にトビ(藁束の上部を結わえたもの)を被り、訪問した家の前で「トービ」と掛け声をかける。家人が出てくるとトビは輪注連(しめ縄を丸めたもの)を渡し、代わりに祝儀を受け取る。また家人は用意していた水をトビにかける。なお、この一年間に男の子が生まれた家には輪注連とともに藁馬を、女の子が生まれた家には藁海老が渡される。(この項出典・福岡市公式サイト)
この1年の幸せと出産を祝う
福岡県福岡市中央区 2015年1月10日から18日の午前 どんど焼き 市内各学校区の小中学校校庭や神社境内 地元住民  中央区では学校区を単位に家庭にある使い終わったしめ縄やお飾りなどを持ち寄って燃やし、1年の健康を願う行事としてどんど焼きを行っている。市では広報や市ホームページなどで市民に周知している。また、持ち寄る際に金属・ビニール・プラスチック・陶器類やみかんなどは外すよう呼びかけている。
無病息災
福岡県福岡市博多区 2023年1月8日から4日間 『正月大祭』かち詣り 十日恵比須神社 地元住民、観光客  十日恵比須神社は地元では『商売の神様』で知られる。『正月大祭』はことし1年の商売繁盛を願って開かれている。9日午後には、博多券番の芸妓たちが、十日恵比須神社に歩いて参拝する『かち詣(まい)り』が行われた。コロナ禍の影響で中止になっていた新春の風物詩が、3年ぶりに復活した。(券番とは芸妓の取り次ぎや花代と呼ばれる芸妓の出演料の清算などを行う事務所)(FBS福岡放送) この一年の商売繁盛
福岡県福岡市城南区東油山 2015年2月1日 かゆ開き 寺院「油山観音」 寺の住職と住民  「かゆ開き」は、今年の農作物の豊凶をご飯についたかびの具合などで占う、江戸時代から続く伝統行事。小正月(新暦1月15日)に炊いた小豆入りご飯を盛った三つの器を、納めていた本堂から、かみしも姿の世話人や住職らが運び出し、虫眼鏡などを使って、かびの色や臭いなどを丹念に調べた。
 今年は「かびがやや有り」「水分はやや少ない」が、「臭いはない」「食べられる」といった理由から、農作物の作況は9段階のうち上から4番目の「中の上」だった。  2016年のかゆ開きは2月1日に行われ、今年の農作物の出来具合は「上の中」で豊作と見立てがされた。占いに使うのは小正月の1月15日早朝にくんだ水で地元の米と小豆を炊いたかゆ。米の収穫時期ごとに「早田(わせ)」「中田(なかて)」「晩田(おくて)」の三つに分け、献粥箱(けんしゅくばこ)に入れ、本堂で半月間保管した。
今年の農作物の豊凶を占う
福岡県久留米市 1月7日夜 日本三大火祭り「鬼夜(おによ)」
(国指定重要無形民俗文化財)
大善寺玉垂宮(たまたれぐう) 鬼夜保存会、地元住民、観光客  鬼夜は、仁徳天皇五六年(三六八年)一月七日、藤大臣(玉垂命)が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、討ち取ったのが始まりだと言われる。1600年以上の歴史を誇る「鬼払い」の伝統行事。大晦日の夜から正月7日までの鬼会(オニエ)といわれる行事で、天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する。鬼会の最後の行事が鬼夜で、燃え盛る巨大たいまつを担ぎ上げて練り歩く。日本三大火祭りの一つといわれ、火の粉を浴びると、無病息災の御利益があると伝えられる。
 鬼夜祭では主神である鬼面尊神を安置して神殿で神事を行ったあと、尊神は鬼堂に渡り、祭礼が始まる。
 日が暮れると、褌に締め込み姿の裸の若者たちが集まり、神社前の川で汐井(しおい)をくんで社殿に納めた。午後9時半ごろ、モウソウ竹3本を芯にして、真竹で肉付けし、縄で結わえた大松明(たいまつ)6本に、大みそかに起こした御神火で点火された。燃えさかる紅蓮の炎の前で鉾取った、面取った、ソラ抜(ぬ)イダの赤・青の天狗による相克の魔払い神事が行われ「ソラ抜イダ」を合図に鐘や太鼓が乱打され祭りは最高潮となる。
 大松明の縄の結び目は365個で、1年間の災難を振り払うという願いが込められている。着火部分はスギの葉。大松明は1本が直径1m、長さ13m。重さは1.2トンにもなる。
 燃えさかる六本の大松明は、裸の若者たちがカリマタとよばれるカシ棒で支えあげて担がれ、若者たちは、火の粉を散らしながら本殿の周りを時計回りに勇壮に練り歩いた。
 午後十時ごろ一番松明は鬼堂の東側で火取りを行い、境内を下りて惣門(そうもん)をくぐり、汐井場で火を消す。それを見計らって鬼はシャグマの子どもや棒頭に護られて、密かに汐井場で禊(みそぎ)をし、神殿に帰る。
 2023年は過去2年がコロナ禍の影響で神事のみの開催となっていたが、1月7日、祭りを象徴する6本の『大松明』を作り、本来の形で3年ぶりに鬼夜が復活した。(大善寺玉垂宮公式HPなど)
天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願
福岡県久留米市御井地区 2017年1月14日 さぎっちょ祭り 御井小学校校庭 地元住人約400人  「さぎっちょ祭り」は御井地区の小正月の伝統行事。地元住人が参加して高さ約5メートルの竹のやぐらを組み、正月飾りや前年のお守りなどを焼き、今年1年の無病息災や家内安全を祈った。御井地区では戦後1度途絶えたが、1985年に若手農家らが復活させ、今は住民有志でつくる実行委が毎年、御井小のグラウンドで実施している。御井地区のさぎっちょ祭りは、先端を輪に結んだ竹の棒を火にくべて焦がし、それを「ぬすどん番」と呼んで厄よけにする特徴がある。 1年の無病息災や家内安全を祈る
福岡県久留米市城南町 2014年1月9日 十日恵美須(とおかえびす)祭 日吉神社 参拝客  「十日恵美須(えびす)祭」は、1年間の商売繁盛や家内安全を願う伝統行事。入り口にはえびす様の顔を描いた「福門」が設置された。
 参拝者は午前中から訪れ、えびす像に手を合わせて、縁起物などを買い求めていた。開運もちまきで、たくさんのもちを受け取った参拝者は「いい年になりそう」と笑顔を見せた。
 10日は午前11時から有馬押太鼓奉納。奉納後には開運もちまきが行われる。10日午後1時半と、11日午前11時、午後2時にもある。
その年の豊作
福岡県北九州市小倉南区 2014年1月8日 井手浦の尻振り祭(八日座祭) 井手浦公民館前 地域住民  尻振り祭は、お尻を振って豊作を祈る新春恒例行事。昔、平尾台にいた大蛇を神様が退治した時、切った大蛇の尾が井手浦に落ちて跳ね回り、その年は豊作に恵まれたという伝説にちなむ。
毎年8日に行われ、2014年には、わらで作った約4mの大蛇の前で地元住民2人と近くの東大野八幡神社の宮司1人がユーモラスにお尻を振ると、見物客からは「もっと振れ」という掛け声が飛んだ。
その年の豊作
福岡県北九州市小倉北区 2023年1月10日 小倉十日えびす祭『宝恵かご道中』 黄金市場 地域住民、観光客  小倉十日えびす祭『宝恵かご道中』は戦後に始まり、今回で75回目。鐘や三味線の音が響き渡るなか、商店街や企業などから選ばれた女性が芸者姿で小倉を練り歩いた。「商売繁盛、商売繁盛でヨ~!ヨイヨイヤー!ヨイヨイヤー!ヨイヨイヤー!」 掛け声に合わせ手拍子を打つ『小倉えびす締め』を受けた店は、1年間の商売が繁盛すると言われている。(FBS福岡放送) この一年の商売繁盛
福岡県北九州市門司区大字門司 2023年1月21日~1月22日 和布刈(めかり)神事 和布刈神社 神社神職  和布刈神事は旧暦元旦に海中の和布(ワカメ)荒布(アラメ)を刈り取り、神前に供える古式ゆかしい神事で、午前2~3時に行われる。3人の神職が関門海峡へと入り、ワカメを刈り取る。前夜23時から湯立神楽も奉納される。刈り取ったワカメは縁起の良いもので万病に効くと言われている。(和布刈神社公式HPなど) 万病に効く
福岡県春日市小倉地区 2022年1月14日夜 「嫁ごの尻たたき」 住吉神社 地域の子どもと若夫婦、住民  「嫁ごの尻たたき」は住吉神社で江戸時代から続くとされる小正月行事。前年中に結婚した夫婦を祝い、早く地域になじんでもらおうという祭礼で、の尻を子どもたちがワラを巻いて作った棒でたたくという風習。この行為には「嫁が家に居着くように」とか「子宝に恵まれるように」などといった願いが込められているといわれている。子どもたちは、わらを束ねた棒で新妻の尻をたたくことで、若夫婦の幸せを願う。住民によると「たたくのは乱暴だ」として、今は尻を優しくなでる。今回はコロナの感染拡大などで5年ぶりの開催となった。(この項:春日市広報かすが2010年2月号、西日本新聞電子版など) 若夫婦の幸せを願う 
福岡県春日市春日1丁目 2010年1月14日夜 国の重要無形民俗文化財「春日の婿押し (婿押し祭り) 」 春日神社 神社氏子、地域の子どもと若夫婦   春日市を代表する伝統行事である「春日の婿押し (婿押し祭り) 」 。 前年に結婚した新郎 ・ 新婦を祝うために、 毎年1月14日に春日神社で行われる。歴史は数百年を経るといわれている。行事は、平成8年に国の重要無形民俗文化財に指定され、その厳粛で勇壮な姿を見ようと、毎年市内外から多くの見物客が訪れる。
2010年は前日からの積雪が所々に残り、 時折みぞれが降るほどの寒さの中、4組の夫婦を祝うため、45歳以下の氏子で組織された「三期組合」の人たちを中心に 約50人が、ふんどしの締め込み姿で祭りを盛り上げた。
1.子どもの樽(たる)とり
春日地区子ども会に加入している小学生男子などが締め込み姿になり、 宿に置かれた樽を奪おうと三期組合の青年に飛び掛かる。 この樽は、 後の 「樽せり」 で神酒樽として使用するため、 青年は奪われまいと必死に守り抜く。
2.左義長(さぎっちょ)点火
子どもの樽取りが行われているころ、 神社鳥居前に積み上げられた、 高さ約3メートルほどにもなる左義長に点火される。
3.宿の行事
春日地区公民館内で、 厳粛なしきたりに沿って、 ①開会の辞②三期組合代表挨拶③氏子総代挨拶④自治会長祝辞⑤花婿挨拶⑥花嫁熨斗(のし)出し⑦前酒⑧婿と婿抱きの盃⑨閉会の辞—と粛々と進められる。
なお、 ⑧の 「婿と婿抱きの盃」 の際にあげられる御謡の3番が始まると、 樽を持つ青年団長と副団長が 「ヨーシ」の掛け声とともに宿を飛び出し、 神社拝殿で待つ宮司に樽を渡す。 受け取った宮司は、 その樽を神前に供える。
4.若水祭
氏子総代、 自治会長および役員が拝殿へ向かい、 宮司のもと神前行事を執り行う。その後、 神前の神酒樽が鳥居前に運ばれ、 宮司から神酒樽を渡された団長は中の神酒(三合三勺)を一気に飲み干す。
5樽せり
団長が神酒を飲み干し、 樽を片手に振り回しながら、 左義長を左へ3周回り終わると同時に、 氏子一同が樽に飛びつき、 御池に飛び込む。
いてつく寒さの中、 群集に見守られ、 男衆は樽を奪おうとぶつかり合う。人囲いの上に乗った氏子が次々に樽を踏み割ろうと幾度となく蹴り、樽が割られると、 五穀豊穣と開運を招くといわれる樽の木片を奪い合い、 樽せりが終わる。木片を入手した人は神棚にあげて五穀豊穣と開運を祈願する。
6.お汐(しお)い取り
樽せりが終わると、 一同は 「ワッショイ、 ワッショイ」 の掛け声で御汐井川側の九郎天神社まで走り、 参拝後に境内に供えた御汐井 (砂) を手でつかみ、 御池下まで走って戻る。 一同がそろうと、 境内の御汐井揚石にそれをあげて拝殿に向かう。
7.婿押し (婿揉み)
婿揉みには 「拝殿揉み」 と 「空揉み」 がある。いずれも花婿とその付き添いである婿抱きを囲み、「ワッショイ、 ワッショイ」 の掛け声とともに回りながら揉み (押し) 合う。
拝殿揉みでは、 音頭取りに合わせて祝い歌の1〜3番までが歌われる。 この際、 幼児たちが父親や知り合いの肩に乗せられる。
拝殿揉みが終わると、 一同は境内下の段へ向かう。 そこで祝い歌の2番を歌い、 再び婿揉みを行う (空揉み) 。 そのまま鳥居をくぐり、 火の見やぐら跡の下まで揉みながら移動する (このとき、 花婿と婿抱きは御池の外を回る) 。
8.若水祝い
一同は火の見櫓跡の下に集まり、 御池を回る花婿と婿抱きを待つ。 ここで花婿と婿抱きを輪の中に入れ、 祝い歌の3番を歌い、 「ワッショイ、 ワッショイ」 と揉み合いながら、 若水置台の下へ移動する。一同は花婿と婿抱きを囲み、 ほおかむりにしていた手拭いを手にして、 花婿の頭の上に投げかける。 全員で祝い歌の1番を歌い終わると、 三方から桶に入った若水が花婿に向けて打ち掛けられる。
9.千秋楽
若水祝いが終わると、 一同は手拭を振り回しながら、 左義長の火の回りを駆け巡り、 年長代表の音頭で3回の手打ちをして一連の行事を終える。(この項:春日市広報かすが2010年2月号、春日神社ホームページなど)
若夫婦の幸せを願う 
福岡県大牟田市 2023年1月9日 『臼かぶり』 三池本町祇園宮 地域住民  『臼かぶり』は真冬の夜に水の入った木の臼を頭からかぶる伝統行事。明治元年に地元で起きた大火事をきっかけに、火災よけの祈願として始まったとされている。日が落ちた境内の気温は約10℃と冷え込む中、最初に小学生が、臼の代わりにバケツに入った水を勢いよくかぶった。次に大人の臼かぶりでは、最も大きい臼は、水が入ると約100キロの重さがある。参加者が、大臼を持ち上げ、豪快に放り投げると、観客からは大きな拍手が送られた。(出典FBS福岡放送WEB) 火災よけの祈願
福岡県糟屋郡須恵町 1月7日 ほっけんぎょう(ほんげんぎょう) 地区内の広場 地域住民  若者が準備をする。孟宗竹、藁、女竹などをとんがり帽子のような形に立てる。高さは約5m。火をつけて祭る。その火は家のクドから持ってきたものを移して火を付ける。
 この火で焼いたコンブ、スルメ、モチなどを食べると病気をしないし、長生きする。書き初めの紙を燃やし、その紙が火の勢いで高く上れば上るほど、習字が上手になるといわれる。
 正月のしめ飾りもこの時燃やす。竹は完全に焼いておかないと、その燃え残りがヒラクチ(まむし)になる。荒神様の飾りモチをこの火で焼き、家に持ち帰って、味噌に砂糖を入れたものを付けて食べると病気にならない。
 (2002年須恵町役場『広報すえまち』)
習字の上達、無病息災
福岡県八女市 2011年1月10日 ほっけんぎょう 同市吉田の田んぼ 地域住民  市立長峰小学校のPTA経験者でつくる父親たちの団体「峰倶楽部」主催の新年行事「ほっけんぎょう」が今年で10周年を迎えた。会場には、住民約300人が集まり、燃えるやぐらを見守りながら食事や交流を楽しんだ。
 ほっけんぎょうは、地域では「どんど焼き」とも呼ばれ、家ごとに飾られた門松やしめ縄を集めて燃やし、神を送る行事。八女地域では昭和30年代まで各地で行われていた。
 峰倶楽部は1998年にPTA活動をしていた父親たちが、「年度が変わっても今のつながりを生かした活動をしよう」と発足。ほっけんぎょうは子どもたちが元気に外で遊べ、地域の一体感を生み出せる行事になればと2001年に始めた。
 会員は、子ども時代の記憶を頼りに毎年試行錯誤を続け、今年は青竹を高さ約15mまでくみ上げた巨大やぐら2基を設置して、燃やす。

 

子どもたちが元気に
福岡県宮田町磯光 1月13日 どんど焼き 地区内の広場 地域住民 各家庭から持ち寄ったしめ縄やお札を木のやぐらに入れ、ヒノキの葉で覆い、地区内の普光王寺に住職が祈願した後燃やす。ぜんざいやイノシシの焼き肉がふるまわれる。 無病息災
福岡県太宰府市 1月7日夜 鬼すべ、鷽(うそ)替え神事 太宰府天満宮 氏子、地域住民、観光客約2万人 鬼すべは、この一年の災難消除や開運招福を願い、地元氏子会が中心となって行われる勇壮な火祭り。神事は寛和2年(986)菅原道真公の曾孫にあたる大宰大弐 菅原輔正(すけまさ)によって始められたと伝えられる。法被に縄鉢巻き姿の氏子約400人が、鬼を退治する燻手(すべて)と、鬼を守る鬼警固(けいご)にふんして参加。午後9時過ぎ、燻手が境内にある「鬼すべ堂」の前に積んだ大量のワラと生松葉に火を放ち、立ち上る煙を大うちわで堂内に送り込む。これに対して、鬼は煙を外に逃がそうと、堂の板壁を木づちで打ち壊して応戦するが、最後は神職が豆を投げつけて鬼を退治する。燃え残った板壁は「火除けのお守り」として持ち帰り、玄関先に飾る風習がある。
鷽替え神事は同日午後6時より楼門横の天神ひろばの斎場にて行われる神事。 「替えましょ、替えましょ」の掛け声のもと、参拝者が暗闇の中で手にした「木うそ」をお互いに交換し取り替える。、知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神さまの誠心に替え、また、これまでの悪いことを嘘うそにして今年の吉に取り替えるという意味がある。「木うそ」はご自宅の神棚に祀り、一年間の幸福のお守りとなるという。(太宰府天満宮HP)
一年間の災難消除や開運招福を祈願
福岡県豊前市畑地区 2009年2月1-15日 おこもり小屋(市無形民俗文化財)、どんど焼き   畑どんど焼き保存会  おこもり小屋は形は、竹やわらで作った小屋(幅約4m、奥行き約5m、高さ約3m)が特徴。かつて小屋造りは地域の子供たちの手で行われていたが、現在は少子化のため「畑どんど焼き保存会」が引き継いでいる。今年は1日に会員約20人が約8時間かけて完成させた。
 市立角田小の児童らが見学し、地域の伝統行事を学びながら交流を深めようと毎年、家庭科と総合的な学習の時間に見学している。
 2009年には児童がおこもり小屋で地元の古老から地域に伝わる民話を聞いたほか、住民が焼いたウインナーやかき餅、会員が仕留めたシカの肉などを食べて交流を深めた。
どんど焼きは15日午後7時半ごろからの予定。当日は午前10時からつきたて餅の販売、午後5時半には神楽の奉納もある。
五穀豊穣、無病息災
大分
大分県別府市内 2022年1月15日 「どんど焼き」 市内の小学校など 地域住民、子どもたち  大分県別府市では、しめ縄などの正月飾りを燃やす「どんど焼き」が行われ、集まった人たちがことし1年の無病息災を願った。 別府市では小学校のグラウンドでどんと焼きが行われ、地域の人たち250人余りが集った。 はじめに地元の神社の神職が神事を行ったあと、積み上げられた竹やわらにろうそくで火をつけた。集まった人たちは、燃え上がる火に、この1年の無病息災や新型コロナウイルスの終息を願った。
地元では「どんど焼き」の火で焼いた餅を食べると1年間、健康で過ごせるとされているが、ことしは感染対策として代わりにインスタントのおしること、袋に入った紅白の餅がふるまわれた。参加した女性は、「コロナで子どもたちも大変なので、早く終息するようお願いしました」と話した。(この項:NHK大分WEB NEWS)
子宝に恵まれ、家族や夫婦が円満な1年になるよう祈る
大分県日田市天瀬町高塚地区 2015年1月14日夜 「福俵引き」 地区の約40戸の民家や商店 男衆と住民  「福俵引き」は地区内の各戸の玄関で七福神に扮した男衆と住民が福俵を引き合う小正月行事。長年途絶えていたが、地元有志が1977年に復活。現在は高塚福俵保存会が引き継ぎ、毎年実施している。
 色鮮やかな衣装のえびす、大黒、弁財天などに扮した男衆が「引いちょくれ」「祝(いお)うちょくれ」と言いながら、地区の家々や商店の玄関に五穀の入った福俵を投げ入れた。福俵を引き込むと福が来るとされ、住民は家族総出で俵に付いた縄を七福神と引きあった。俵引きが終わった後は日田式の手締め「打ち込み」をして家内安全や商売繁盛を願った。
家内安全や商売繁盛を願う
大分県大分市鶴崎 2023年1月11日 水行会 法心寺 僧侶、参拝客  「水行会」は僧侶が頭から何度も冷水を浴びて1年間の平穏を願う毎年の恒例の行事。水行は、冬場に行われる日蓮宗の修行のひとつとなっている。去年、100日間の荒行を積んだ7人の僧侶がお経を唱えながら何度も冷水を浴び、身と心を清めました。境内の参拝客は、修行に励む僧侶の姿を見守りながら1年の家内安全や交通安全を願った。 1年間の平穏を願う
大分県大分市 2017年1月14、15日 春節祭inおおいた ガレリア竹町ドーム広場 大分華僑華人会、住民や中国人留学生、観光客   春節祭は、中国の旧正月を祝う行事。1月28日の中国の春節を前に大分華僑華人会などが開催した。会場では立命館アジア太平洋大学の中国人留学生による獅子舞が披露されたあと、関係者がテープカットを行い、開幕を祝った。中国河南文化芸術団が伝統の武術や舞台劇、弦楽器・二胡の演奏を披露した。15日は日中の学生による民族舞踊や中国伝統衣装のファッションショーが行われた。 旧正月の春節を祝う
大分県九重町 1月13日夜、2015年は1月10日夜 どんど焼き(花火・ザ・宝泉寺) 宝泉寺温泉街 地元の温泉旅館組合  客の少ない冬場の呼び物として平成元年に始めた。
 約2000発の花火を上げるなかで、お祭り広場では、積み上げた杉や竹を燃やす。観光客には七草雑炊や甘酒が振る舞われた。
 2015年は「花火・ザ・宝泉寺巨大どんど」として開催。巨大どんどは、スギの支柱3本に竹約100本を立てかけ、7日に重機を使って1日がかりで組み立てた。2015年に合わせて高さは20・15mとした。数百の竹灯籠に灯がともり、花火2千発が打ち上げられた。
客の少ない冬場の観光客呼び物
大分県宇佐市上拝田 1月4日夜
(2007年)
鷹栖観音鬼会(たかすかんのんおにえ)=市無形民俗文化財、千日参り 鷹栖観音堂一帯 地域住民、観光客  1200年の歴史がある。毎年1月4日午後8時過ぎから、締め込み姿の男衆(2007年は約50人)がたいまつを手に駅館川(幅約70m)を胸までつかって渡り(先頭の若者は鬼面=市指定有形文化財=を首からつるしている)、観音堂を参拝。この後、高さ約15mの巨大な「どんど」に点火し、「赤鬼」と「青鬼」の2組に分かれ、松明をたたき合って、悪魔払いを行う。参拝客は火の粉を浴びて厄払いをする。
 地区外からの一般参加も受け付けており、開始前までに申し込みをすれば、ふんどしやさらしなどを貸し出す。女性の参加も可。
 一方、千日参りは1月10日午前8時ごろから、鷹栖観音堂で開催。この日に参れば千日参ったのと同じ御利益があるとされる。住職が参拝者の頭上で経典を広げ、家内安全や無病息災を祈願する。鷹栖観音は「知恵観音」とも呼ばれ、例年、受験生やその家族らでにぎわう。合格祈願のお札も用意する。
無病息災、五穀豊穣を祈願する
大分県豊後高田市 2019年1月6日 ホーランエンヤ(県選択無形民俗文化財) 中心部を流れる桂川 地域住民  「ホーランエンヤ」は江戸時代からの伝統行事。旧島原藩(長崎県)領だった地元では、年貢米を船で献上していた。行事は航海の安全と豊漁を祈願して始まったと伝わる。色とりどりの大漁旗で飾った宝来船が、河口付近から約1キロ上流の若宮八幡神社を目指して進んだ。
 宝来船には「漕こぎ手」を担う締め込み姿の男衆や、「囃子はやし方」、「踊り方」ら計約50人が乗り込んだ。「ホーランエンヤ、エンヤサノサッサ」という威勢の良い掛け声を上げながら航行し、船上から岸に向かって紅白の祝い餅をまいた。
航海の安全と豊漁を祈願する
大分県宇佐郡安心院町 2月9日 どんど焼き 安心院町辻 地域住民  安心院活性化が目的で、実行委員会が企画。祈祷師の無病息災の祈りのあと、竹を積み上げたものと正月飾りを燃やす。中にロケット花火を仕掛けて、勢いよくとばす演出もある。赤、白、緑、黄など色とりどりの持ちを長いたけひごに刺して、焼いて食べる。大人には、竹筒にあたためたカッポ酒をふるまう。会場の周りには餅を竹を割った竿に刺した花餅をたてて飾る。 無病息災
長崎
長崎県五島市内 2010年1月7日早朝 オンノホネ(鬼の骨)焼き 市内各地 地域住民  五島市内各地で7日早朝行われた。全国各地に伝わるどんど焼きと同じで一年の平穏と健康を祈る正月行事。
 約300世帯の半農半漁の集落・大浜地区では、大浜漁港内の空き地に地区民約100人が参加。午前6時ごろ、町内会や老人会などが青竹や廃材などを積み上げた高さ約3メートルのやぐらに点火し、火柱が上がった。
 門松やしめ縄などの正月飾りが火に投入され、青竹が破裂するたびに人々は「オンノホネ」とはやしたて、残り火で餅を焼いて食べ、一年の健康を祈った。オンノホネでは、餅を焼いて食べると健康で過ごせ、書き初めを燃やすと字が上手になるといわれている。オンノホネとは、やぐらの心柱を「鬼の骨」といって、これを大きな音をたてて、焼くことで悪鬼退散を願うとされている。
無病息災
長崎県五島市下崎山町 2009年1月16日、2014年は19日、2015年は18日 ヘトマト(国指定重要無形民俗文化財) 白浜神社ほか町内各所 地域住民  福江市下崎地区に古くから伝わる民俗行事で、起源や語源については全く不明という奇祭。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 ヘトマトは、白浜神社での奉納相撲で始まり、集落の通りで新婚の女性が酒樽の上に乗ってする「羽根つき」、体中にかまどのスス「ヘグラ」を塗った若者たちが、沿道の見物人にも塗り付けて回り、ワラで作った玉を奪い合う「玉せせり」、大綱引き、長さ3mの大草履に、観衆の中から見つけた娘さんを乗せて町中を練り歩き、最後に山城神社に奉納するまでの一連の行事がヘトマトと呼ばれる。
豊作豊漁、子孫繁栄、無病息災、子宝と安産を願う
長崎県長崎市 2015年2月19日(春節)~3月5日(元宵節) 長崎ランタンフェスティバル 主会場の湊公園ほか中華街など市内中心部 商店主や住民、観光客  長崎ランタンフェスティバルは長崎の華僑らの催しをもとに1994年に始まった。中国の旧正月に当たる春節を祝い、約1万5千個の中国ちょうちんを街中でともす。旧暦小正月の3月5日までの期間中、媽祖行列や中国雑技、中国獅子舞が披露されるほか、中華菓子などのグルメも楽しめる。90万人以上の人出を見込んでいる。
 2月19日には長崎新地中華街に近い湊公園で午後6時、えとの未(ひつじ)にちなんだ高さ10メートルのメーンオブジェが点灯された。  2018年には2月16日から3月4日まで開催され、市発表によると106万人の観光客などが訪れた。  
中国の春節(旧正月)に合わせて新年を祝う
長崎県長崎市 1月12日 どんどファイアーフェスティバル 新戸町公園 同市消防団第十六分団後援会と近隣自治会が開催。地域住民や子どもたち  高さ約八メートルに積み上げられた笹を燃やす。残り火で焼いたもちを、ぜんざいにしてふるまう。  
長崎県諫早市高来町 2016年1月9日 どんど焼き 自然干陸地 地域住民や子どもたち   地元自治会の役員らでつくる「どんど焼き伝承会」が毎年開き6回目。やぐらは昨年12月に同会メンバーらで竹などを組み立てて作製。高さ15メートル、13メートル、8メートルの3基のやぐらを設置した。住民ら約300人が集まった。
 やぐらに市立高来西小の児童の書き初めを張り、住民の正月飾りなども入れた。神事の後、同校の申(さる)年の男子児童がやぐらに点火した。住民は残り火で餅やサツマイモなどを焼いて食べ、親睦を深めた。
 
佐賀
佐賀県佐賀市 2013年1月6日夕 鬼火たき(ほんげんぎょう 市内各地 地域住民  鬼火たきは、住民が不用になった正月飾りを持ち寄って燃やし、無病息災を祈る伝統行事。兵庫小学校のグラウンドでは兵庫町子ども会と地域団体が協力し合って準備したやぐらの中に、しめ縄や門松を入れて午前6時20分に点火。参加者は炎で暖を取りながらぜんざいを味わった。 今年の無病息災や家内安全などを祈る
佐賀県佐賀市 1月15日夕 「お火たき」神事 佐嘉神社 地域住民  境内の照明が消され、やみに包まれた中で、白装束の神職らが「火きり」と呼ばれるきりもみ式の道具から火をおこす。この火は「斎火(いみび)」と呼ばれ、みこがたいまつに移して運び、神職が正月飾りや古い絵馬やお守りが積まれたやぐらにたいまつで点火する。
2014年には、境内には、丸太60本を組み、お札や正月飾りなど約5万体が納められた縦横4・5m、高さ3mの斎場が設けられ、参拝客約100人が訪れた。
今年の無病息災や家内安全などを祈る
佐賀県佐賀市 1月13日 ほんげんぎょう(鬼火たき) 北川副小グラウンド  自治会や婦人会など同校区の十六団体でつくるふれあい振興会主催。地域住民、こども約1000人 まくら木を青竹で囲ったやぐらを燃やす。集まった住民は燃え上がる炎に、正月かざりや昨年のお守りなどを次々と投げ入れた。  
佐賀県佐賀市 2014年1月5日 ほんげんぎょう(鬼火たき) 高木瀬小 PTAや子ども会、地区住民約500人  高木瀬校区では約30年前にPTAや子ども会が中心になって復活させた。
 地域では「ほんげんぎょう」は本来正月7日早朝に行い、「鬼火たき」などとも呼ばれている。円すい状に高く組んだ竹を住民約500人で囲み、子どもたちが午前7時にたいまつで点火。空高く炎が上がった。住民は暖を取りながら新年のあいさつを交わし、うどんや餅に舌鼓を打った。
 地域の「高木瀬を愛する会」の中間義博会長は「年の初めに多くの住民が顔をそろえ、地域のつながりを感じられる大切な行事。ずっと守っていきたい」と話していた。
無病息災、この火で焼いた餅を食べ、灰をかぶると、その年は病気にならないとされる
佐賀県佐賀市蓮池町見島地区 2016年2月13日夜 「見島のカセドリ」(国重要無形民俗文化財) 地区の各戸 住民   見島のカセドリは、約370年前から同地区に伝わる小正月の伝統行事で、未婚男性2人が、笠とワラ蓑をまとって神の使い「加勢鳥(かせどり)」というつがいの鳥に扮する。青年らは、地区の19戸の家々に勢いよく飛び込み、先を裂いた青竹を畳にガチャガチャと打ち付けて悪霊を払い、福を呼び込んだ。笠とミノで隠れたカセドリの顔を見ることができれば縁起がいいとされることから、家人は茶を振るまい、一所懸命に顔をのぞき込んでいた。
2018年には、文化庁の要請もあって、国内の類似の行事である10件の「来訪神」とともにユネスコ無形文化遺産に登録された。しかし、現在21軒の集落で守られてきた伝統行事だけに、観光客を受け入れるのは難しい面があり、「そっとしてほしい」などの意見も目立ったという。このため2019年1月、市は文化遺産登録後初の行事を前に、市広報誌の2月1日号で、行事中のフラッシュ撮影の禁止や、各戸の敷地に入り込んで見学しないよう求めることなどを記載したという。
2019年のカセドリは2月9日夜行われ、静かに執り行われたという。(この項、毎日新聞電子版などによる)
悪霊を払い、福を呼び込む
佐賀県伊万里市二里町大里 2023年1月3日夜 「取り追う祭り」  神原八幡宮 住民 「取り追う祭り」は火の粉を浴びながら、神社の供え物のにぎり飯を奪い合う伝統行事。コロナウイルス禍による2度の中止を経て3年ぶりに開催された。若い男衆が水をかぶって境内の舞台に攻め入ると、守り手は燃え盛る竹のたいまつを外から激しく打ちつけた。男衆は降りかかる火の粉にもひるむことなく、「打ちゃえんか(もっと打ってみろ)」と叫びながら立ち向かった。
 にぎり飯は無病息災の縁起物とされ、合戦後に見物客に配られた。祭りは600年以上前の南北朝時代、戦いに敗れた肥後の武将がこの地で再起を期し、火中で訓練をしたのが始まりとされる。 。(この項佐賀新聞電子版)
無病息災
佐賀県唐津市十人町 2014年1月7日夜 おんじゃおんじゃ 唐津天満宮 参拝客  「おんじゃおんじゃ」は、邪気を払う掛け声の「鬼じゃ 鬼じゃ」がなまったものと言われ、巨大なたいまつと正月飾りを燃やして鬼を天に追い払い、無病息災を願う伝統行事。
 おんじゃおんじゃは、長さ10m、直径1mの青竹でできたたいまつを、門松やしめ縄と一緒に焼く。江戸時代から続いているという。
 午後8時ごろ、地元消防団員に担がれ、町内を回ったたいまつが境内に到着。たいまつに火がともされ、境内を3周した後、正月飾りが積まれたやぐらに立てられると、炎が舞い上がった。
無病息災
佐賀県鹿島市浜町 2024年1月19日 ふな市と「ふなんこぐい」 酒蔵通り 市民  「ふな市」は酒蔵通りで300年以上続く伝統行事。二十日正月にフナを使った郷土料理の「ふなんこぐい」を供えてきたことからその前日の1月19日に毎年開かれている。天然のフナを買い求める多くの人で朝から賑わった。
 かつては多くの店で賑わった「ふな市」だが、フナを食べる人が減ってきて、フナの販売をやめる業者が相次ぎ、現在は1店だけとなっているという。会場では多くの人にフナを楽しんでもらおうと、昆布で巻いたフナをみそをこして作った汁で甘辛く煮た「ふなんこぐい」も無料で振る舞われた。(サガテレビ佐賀ニュース)
二十日正月を祝う
佐賀県三養基郡みやき町白壁 2019年1月5日 ほんげんぎょう 白石神社 住民  「ほんげんぎょう」は正月飾りやしめ縄を燃やす新春行事。今回で11回目。竹で組まれた高さ約18メートルのやぐらに住民ら約250人が持ち寄った正月飾りを積み重ね、神事の後、火がつけられた。住民らは燃えさかる炎に一年間の無病息災を願い、残り火で温めた御神酒をいただいた。
佐賀では 「ほんげんぎょう」は、地域によっては「どんど焼き」「ほうけんぎょう」などと呼ばれ、門松などを燃やし、その灰をかぶると、1年間は病気にならずに過ごせるなどと伝えられている。
一年間の無病息災を願う
宮崎
宮崎県 毎年1月7日 ななとこさん 都城市・宮崎市・日南町・高千穂町・延岡市・日向市など 地域住民  旧島津藩の都城(みやこのじょう)地方では正月の七日のことを「ななとこさんの日」という。昔、「ななとこさん」は子どもの成長を願い、数え7歳の子どもが晴れ着を着て近所の家を7軒回り、伝統の行事食である七草を炊きこんだ雑炊「七とこずし」をもらうという行事。
都城市では雑炊を「ずし」という。この日につくる雑炊は「七とこずし」と呼ばれていた。大根、人参、ごぼう、白菜、もやし、せり、しいたけなどの野菜と丸もち、米などを入れてつくる。
昔は、結婚式と同じくらい、盛大にお祝いをおこなっていた。近年では7軒の家を回ることは減り、神社などでお祓いを受けてすますことが多くなっているが、現在でも数軒の家から「七とこずし」をもらい、神社、寺院にお参りする。この時期は子どもたちが晴れ着を着てお参りする姿もみられる。(この項:農林水産省食文化課食文化室「うちの郷土料理」ホームページ)
子どもの成長を願う
宮崎県宮崎市青島 2023年01月22日朝 「裸まいり」 青島神社 地域住民  「裸まいり」は、ふんどしや白装束姿の参加者が真冬の海に入って身を清め、この一年の健康などを祈願する伝統行事。ことしはコロナ感性防止のため、県内在住の中学生以上に限定して一般の人たちも参加し、ふんどしや白装束姿の13歳から78歳までの100人ほどが神社前の真冬の海に入って身を清めた。このあと、海から上がって神社の本殿に移動し、神職が参加者にささを使って熱湯を振りかける神事を行い、新型コロナウイルスの収束などを願った。(出典:NHK NEWS WEB) 一年の健康などを祈願する
宮崎県宮崎市宮田町 1月14日夜 どんど焼き 宮崎八幡宮 地域住民約5000人  境内で正月で家庭で飾った門松やお守を燃やし、その火で竹の先に付けたもちを焼いて食べる。
 2011年には1月15日夕、どんど焼きを行い、地元の人たちが無病息災と家内安全を祈願した。
今年一年の無病息災、家内安全
宮崎県都城市 2015年1月14日夜 小正月行事「カセダウイ」 市内各地区 地域住民  「カセダウイ」は、顔にすすを塗り、蓑傘(みのかさ)をつけた福の神が家に上がってきて、物を売りつける都城地方の小正月行事。豊作や無病息災などを祈る行事として市内各地域で行われている。値段の交渉を無言で行うのがしきたりで、滑稽な身ぶり手ぶりで商談をまとめる。しかし、戦後、途絶える所が多く、各地で復活の動きがある。
 都城市丸谷町では、伝統行事を復活して今年で10年目。薄谷自治公民館壮年団の3人が福の神に扮し、11軒を訪問。「かせだ売り」と書いたボール紙を首に下げ、世間話や焼酎の接待を受けながらも、こっけいな身ぶり手ぶりで野菜や果物、花などをご祝儀相場で売りつけた。帰り際には家人から「田の水が枯れないように」との願いがこめられた水をバケツでかけられた。
今年一年の豊作、無病息災、家内安全
宮崎県都城市 2016年1月9日夜 おねっこ 都城市近郊の各所 地域住民  「おねっこ」は、竹でやぐらを組み、門松やしめ縄を持ち寄って焼く都城市近郊の伝統行事。宮崎では正月の火祭りを「鬼火たき」と呼ぶが、都城地方では「おねっこ」と呼び、旧薩摩藩ゆかりの地に伝えられている。竹が燃えて、はじける音が災厄の鬼を払うとされている。
 平塚町狐塚地区では狐塚自治公民館が主催して行われ、住民や子供が昨年末、田に高さ10m以上の竹やぐら二つを組んだ。一つは行事の開始を告げる予告用で簡易に作ったもの、もう一つは竹の量を増やした本格的なやぐら。9日は午後6時半に点火され、集まった人は今年1年の無病息災を願った。また、会場では温かいぜんざいや豚汁が振る舞われた。
今年一年の無病息災
宮崎県えびの市 2019年1月14日夜 餅勧進(もっかんじん) 市内各地の家庭 地区住民  「餅勧進」は、厄年の男性、女性の厄払いを行う小正月の伝統行事。派手な衣装を身にまとった男女5~6人のグループが、夜間に民家などを訪れ、踊りながら各家庭の無病息災・家内安産を祈願した。  餅勧進は、基本的に無言で行われ、家人の質問には首を縦に振るか横に振るかで意思表示する。訪問した家々で餅を貰う(勘進する)のが古来の風習だったが、最近ではご祝儀や焼酎などでもてなされ、出された焼酎は飲み干すのが作法とされている。(この項出典:宮崎県みやざき観光情報旬ナビなど)  
宮崎県えびの市原田 2011年1月7日午後6時10分ごろ どんど焼き 川内川河川敷 地区住民  厄よけ祭事「どんど焼き」で、青竹で組んだ高さ約15メートルのやぐらの支柱が突然倒れ、どんど焼きの様子を携帯電話のカメラで撮影していた近くの男性住民(54)の頭を直撃した。この住民は搬送先の病院で約2時間半後に死亡が確認された。
 県警えびの署によると、やぐらは4本の青竹の支柱と、角材を井げたに積み上げた四角柱状で同日午後6時過ぎに点火。風の影響で南側部分が激しく燃えて4本の支柱とも南側に崩れ落ちた。うち1本が男性を直撃した。
 
宮崎県延岡市須佐町 2022年2月20日 「歳頂火(せとき)」火祭り 熊野神社 地域住民、参拝客  歳頂火(せとき)は無病息災や五穀豊穣を祈願する旧暦小正月の伝統火祭り行事で、およそ1300年の歴史がある。旧暦の一年の最後の日(1月14日)の夜、ヤマと呼ばれる井桁に組まれた大きな生木に、神殿で古式に則りロクロで起した神火がつけられる。この神火で一切の厄を焼き払い、健康と五穀豊穣を願いながら、新しい年小正月(1月15日)を迎える。歳頂火とは年の始めの神火の意味という。古代の満月を祝う「望正月」の慣習を受け継ぐ行事と考えられる。歳頂火の木が燃え残ると不作の年になると言われており、夜を徹して燃やされるのが慣例となっている。現在では、旧暦の1月14日に最も近い土曜日に行なわれる。
 2022年の「歳頂火」は本来、旧暦の小正月の前夜に行われる日程を変更し、今回は新型コロナの影響で昼間に行われた。
 神社下に丸太で組まれた「井型」に火がつけられると、参拝客は、正月のしめ飾りやお守りなどを焼納した。地元では、餅を長い竹の先につけて焼き、この火で焼いた餅を食べると1年間健康で過ごせる、安産になると言われている。また、参拝者たちは、長引くコロナ終息を祈願していた。 (この項出典:MRT宮崎放送電子版、延岡観光協会公式サイト)
今年一年の無病息災、家内安全
宮崎県児湯郡川南町 2014年1月14日 もぐらたたき 町内各地区 地域住民と子どもたち  もぐらたたきは、100年以上前から続いている伝統行事。春の耕作期を前に畑を荒らすモグラを追い払って五穀豊穣を祈願する。この日は、子どもたちが家々を訪ねて竹棒で地面をたたいて回った。 今年一年の無病息災、家内安全
2024年1月19日 師走祭り 神門(みかど)神社 比木(ひき)神社と神門神社の神職、氏子、観光客   師走祭りは児湯郡木城町(きじょうちょう)の比木(ひき)神社と美郷町南郷の神門神社が合同で行い比木神社にまつられる百済王族の長男福智(ふくち)王と神門神社にまつられる父禎嘉(ていか)王が年に一度対面するという全国的にも珍しい形式の祭り。およそ1300年前に百済滅亡から逃れ、美郷町南郷に移り住んだ王族の伝説を受け継いでいる。以前は旧暦の正月に行われたことから、福智王が師走の挨拶に父を訪ねる様子を再現したものといわれる。
 1月下旬の金、土、日曜日の日程で、比木神社の一行が袋神(フクロガミ)を奉じて、約90kmにおよぶ決まりの道を、神門神社まで巡行し、そこに滞在して3日間を過ごす。初日の19日は「上がりまし」と言われ、比木神社の福智王の一行が、ゆかりの地を訪ねながら夕闇の迫るころ神門地区に到着した。一行は、田んぼの中に青竹や杉で組まれた二十数基のやぐらやたき物が天も焦がさんばかりに燃え盛る「迎え火」の中を、笛や太鼓の音と共に列を作り、神門神社へと進んだ。周囲には観光客が見守り、祭りの最大のみどころとなっている。
 初日の夜は、「舞い明かし」夜神楽などが行われた。2日目はご神体の衣替えの後、王族親子を助けた地元の豪族益見太郎(ますみたろう)(ドンタロさん)の塚の前での神事ほか、夕方から深夜まで神楽が奉納される。神楽は親子再会を祝う宴の舞いであり、人々の歓声に包まれる。
 最終日の朝、比木神社の一行を見送る「下りまし」が行われ、かまどのすすを互いの顔に塗り合う「へぐろ塗り」という行事がある。これは、別れの悲しみを笑いの中にまぎらすものだという。その後一行は神門神社を去っていき、神門の人々が、取るものもとりあえず、ショウケ(竹で編んだザル)やすりこぎなどを手に後を追い、「オサラバー」の声を上げ、別れを惜しんだ。「オサラバー」とは韓国の言葉で「生きてまた会いましょう」という意味だという。
 平成3年、百済王伝説が縁となり、当時の南郷村(現在の美郷町南郷区)と韓国忠清南道 扶余郡 扶余邑(プヨウプ・百済国最後の首都)の間で、姉妹都市の調印が結ばれた。(出典:MRT宮崎放送、美郷町公式HP、宮崎県公式HPなど)
異国の地で亡くなった百済王族を思う、地元の人々の温もりが受け継ぐ
宮崎県西臼杵郡高千穂町 2017年2月5日早朝 鬼の目はしらかし 荒立神社 地域住民、観光客 「鬼の目はしらかし」は、熱した青竹を破裂させる激しい音で鬼の目・邪気を払い、無病息災と五穀豊穣を願う伝統行事。「はしらかし」とは地元の方言で「はじかせる」「破裂させる」という意味。行事は、戦後一時途絶えたが、約30年前に復活し、現在は小正月の旧暦1月7日に近い日曜日に地元有志グループ、本組降神会が、神社の協力を得て開いている。
 午前5時過ぎ、雨の中だったが、境内に組んだやぐらに、ろくろで採火した火で点火。住民に観光客も加わり、長さ約3メートルの青竹をくべて熱し、頃合いを見て、地面に置いた石にたたきつけると青竹は割れて「パーン」という音が響いた。
無病息災と五穀豊穣
宮崎県西臼杵郡高千穂町 2019年1月8日 猪々掛祭(ししかけまつり) 高千穂神社 神社の氏子、地域住民  猪々掛祭は、荒神・鬼八(きはち)を退治した伝説にまつわる神事。霜害が続いたため里人がイノシシを供えて鬼八を鎮魂し、無病息災や五穀豊穣を願ったと伝わる。高千穂神楽の原形ともされ、毎年、旧暦の12月3日に行われ、宮司や参列者らが笹ささの葉を振って舞う「笹振り神楽」を奉納した。
 神社拝殿には住民ら約60人が参列。地元で仕留められた約40キロのイノシシ1頭を神前に供え、神楽を奉納した。
無病息災と五穀豊穣
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町 2010年1月10日夜 日本一高い「どんど焼き」 同町大字鞍岡字広瀬の広場 地域住民、観光客等  毎年、やぐらの高さでギネス記録に挑戦している。材木を大型クレーンを使って立て、周りに竹を何十本も束ねてやぐらを組み、結果37.212メートルを達成した。中に門松や注連飾りなど入れて焼納した。やぐらの火で餅を焼いて食べる。
 (NPOデジ研の全国調査の範囲では、やぐらの高さでは日本一の記録となります。)
(※町役場の奥村様から記録写真とともに情報提供していただきました。)
今年一年の無病息災
宮崎県東臼杵郡門川町 2015年1月11日夜 小正月行事「柳もち」作り 庵川東公民館 地域住民  「柳もち」は、柳の枝に紅白や緑色の餅を付けて家の内外に飾り、豊作と家内安全を祈る小正月行事。柳もち作りの体験講座は、牧山、庵川東両地区の農家でつくる「牧山・庵川東農業用地利用改善組合」が7年前から開いている。親子連れら35人が蒸したもち米約20キロを臼でついた後、親指大に丸め柳の枝に付けた。 豊作と家内安全を祈る
熊本
熊本県熊本市北区貢町 2014年1月12日 どんどや フードパル熊本 地域住民や観光客約7000人  小正月の火祭を熊本では一般に「どんどや」、「鬼火たき」と呼ぶ。フードパルの出店業者や西里地区の住民らでつくる実行委員会が毎年開いている。
 神事の後、青竹で作った高さ約20mのやぐらに点火した。参加者は、残り火で竹ざおにくくりつけた餅を焼いて食べた。会場では、お神酒のふるまいや神楽のほか、企業からパンやハチミツなど商品のプレゼントもあった。
一年の無病息災や五穀豊穣を願う
熊本県山鹿市菊鹿町阿佐古(あさこ)地区 2014年1月14日夜 「かせいどり打ち」 地区の各戸 小中学生14人  「かせいどり打ち」は約600年前から伝わる小正月の行事。かせいどりは、しめ縄にアワの穂を刺した縁起物で、「稼ぐ」と「取る」が語源とされ、豊作などの願いが込められている。
 この日は夕方、小学1年~中学1年の男女14人が今年の頭を務める蔵原君の家に集合。顔に墨を塗り合い神の使いに変身すると、地区の乙皇(おとすめ)神社で「かせいどり」を清め、4班に分かれて全戸を回った。
 子どもたちは、真っ黒な顔で「かせいどり、どっさりお祝いなー」と言って家々を訪問。かせいどりで玄関をたたき、家の人に手渡し、お礼のお菓子や餅をもらった。かせいどりは1年間、お守りとして各家に飾られる。
農作物の豊作を願う
熊本県球磨郡錦町 2014年1月11日 「しゅんなめじょ」 福島保育園 園児や保護者ら約100人  「しゅんなめじょ」は熊本県人吉球磨地方の伝統行事。農作物の豊作を願う小正月の行事で、木の枝に和紙の衣を着せた人形などを米俵に挿して飾る。錦町の福島保育園は、地域の伝統行事を子どもたちに伝えようと30年以上前から毎年続けている。
 この日は、園児や保護者らが、ネムノキなどの枝の先に顔を描き、色とりどりの絵柄を描いた和紙の着物を着せて人形を作り、米俵に挿した。紅白の餅を付けた木の枝も飾った。
 園児たちは運動場などで、もぐら打ちも体験した。
農作物の豊作を願う
熊本県上益城郡山都町 2016年1月7日 「鬼火たき」 二瀬本神社近くの広場 地区住民約20人  鬼火たきは、燃やした竹のはじける音で鬼を追い払うという正月の伝統行事で、山都町では毎年1月7日に行われる。2016年は7日午前6時に地区の住民約20人が広場に集まり、準備していた竹を燃やした。集まった人たちは、その火で餅を焼き、「1年間は病気にならない」と言って食べた。
 鬼火焚きの行事では、竹の先を割って地面に突き刺し、鬼が入るのを防ぐ「鬼の目はじき」や、竹を曲げて作る「花籠(はなかご)」と呼ばれる魔よけの飾りものも作られ、家の玄関に置かれた。
その年の無病息災
熊本県あさぎり町上北 2016年1月9日 「しゅんなめじょ」 あおぞら幼稚園 同園園児、卒園児  「しゅんなめじょ」は、人吉球磨の小正月行事。ネムノキの枝に紙の衣を着せた人形などを米俵に飾る。数が多いほど田植えの加勢や収穫が増えるといわれる。園児や保護者、卒園生ら約30人が参加。カラフルな動物のイラストなどを描いた人形を次々に差した。 五穀豊穣、園児の健康祈願
熊本県薩摩郡さつま町紫尾 2016年1月14日夜 「もぐら打ち」 集落の家々 紫尾小学校(児童数25人)の児童ら  もぐら打ちは、五穀豊穣(ほうじょう)などを願う小正月の伝統行事。子どもたちが、田畑の害となるモグラを追い払い、豊作などを願う。紫尾小学校の児童らが、数班に分かれ、集落の家々を回った。
 「モグラウチャモタンカ」などと歌いながら、先端にワラ束をくるんだ棒で地面を元気よくたたいた。家々ではお礼にお菓子をプレゼントした。
五穀豊穣祈願
熊本県阿蘇郡小国町 2019年1月14日夜 杖立温泉どんどや火祭り 桜橋下の河川敷 地域住民 「杖立温泉どんどや火祭り」は、五穀豊穣や子孫繁栄などを願う小正月行事。地元に住む年男たちが、松明(たいまつ)を灯しながら温泉神社から会場の河川敷まで走ったあと、桜橋の下にある大きな“どんどや”に点火した。
どんどやは、正月のしめ飾りや門松などを燃やすことで無病息災や家内安全を祈願する。また、温泉の湯を浴びる湯かけ神事なども行われた。
五穀豊穣や子孫繁栄
熊本県阿蘇市黒川 1月7日早朝 鬼火たき 黒川広場 地域住民  竹などを組んだやぐら(高さ約七メートル、直径約五メートル)を夜明け前、鬼を追い出すために火を入れ、バチバチと大きな音をたてて、勢いよく燃やす。七草かゆが竹筒に盛ってふるまわれる。 1年の無病息災
熊本県阿蘇市 2023年2月3日 節分祭 阿蘇神社 地域住民  阿蘇神社の節分祭は、高さ4mほどの円錐状の葦塚に悪霊を招き入れて、鎮めようというもので、江戸時代に京都から伝わったとされる伝統行事。神職の祝詞の後、護摩木約1200本が境内にまかれると、大人や子どもなど参拝客は競って護摩木を拾い集めて、燃え盛る葦塚に投げ入れた。護摩木を燃やした火にあたると、1年間、健康に過ごせるとされていて、参拝者は、護摩木を焚いて、無病息災を祈った。 1年の無病息災
熊本県阿蘇市 2021年3月13日夜 火振り神事 阿蘇神社 神社氏子、地域住民  阿蘇神社の火振り神事は国重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」の一つ。その年の五穀豊穣を願う「田作祭」の中でおこなわれる。阿蘇神社に祭られた神様の結婚を祝い、参道で多数の氏子らが、それぞれ火をつけたカヤの束を振って回し、火の輪を描いた。14日は阿蘇山ろくと北外輪山での一斉野焼きもあり、阿蘇の春を告げる炎があちこちで上がった。
 阿蘇の農耕祭事は、阿蘇神社および国造神社を中心として、神職、社家、町の人びとによって行われる農耕祭事。古式をよく伝承しているとともに、四季を通じて一連のまとまりをもって執行されており、重要無形民俗文化財となった。阿蘇神社では御田植神幸式、卯の祭、田作祭、火振行事、田作行事、風鎮祭、柄漏流行事、火焚行事、田実行事などが行われ、豊作祈願と収穫感謝が行われる。(この項朝日新聞デジタルなど)
その年の五穀豊穣を願う
熊本県阿蘇市黒川 2019年1月20日 どんどや 旧長陽西部小学校校庭 地域住民  東海大学の学生と黒川地区の住民合わせて35人が参加し、どんどやで交流を深めた。会場には学生と住民が作った高さ7メートルのやぐらが組まれ、学生の代表が火をいれた。参加した人たちはドンドヤの火で餅やサツマイモを焼いて食べながら交流を深めた。 参加者の交流を深める
熊本県上益城郡益城町 2017年1月15日 どんどや 木山神宮 地域住民やこども  益城町は熊本地震で大きな被害を受けてから9カ月がたった。小正月の伝統行事「どんどや」(どんど焼き)が木山神宮で開催され、被災者らは神火に今年の無病息災を願った。震災では木山神宮は神殿や鳥居が倒壊する被害を受けたが、神社では「被災した人の心の支えになるように」と秋の例大祭、元旦の歳旦祭などの行事を続けてきた。
 どんどやでは、境内に高さ4メートルほどのやぐらが組み上げられ、例年の青竹に加えて、震災で解体された家の木材が交じった。やぐらに点火されると、訪れた人たちがしめ飾りなどをくべた。また網ではさんだ餅などを焼いてたべながら、震災からの復興や平安を願った。(この項:朝日新聞デジタル版)
震災からの復興や平安を願った 
熊本県下益城郡美里町 2019年1月13日 みどりかわ湖どんど祭り 緑川ダム湖畔広場 地域住民やこども 「みどりかわ湖どんど祭り」は旧砥用町の行事を合併により継承した。間伐材や竹などで日本最大級といわれる高さ約20mのやぐら三基が組まれた。地元の人たちの正月飾りなどを積んだ後、子供会の代表らが点火した。残り火で鏡もちを焼く。祭り会場では、地域の特産物も販売された。  
熊本県玉名市 2013年1月17日 シシクイ祭り 滑石(なめいし)諏訪神社や公民館 地域住民やこども  同神社の祭神・建御名方大神(たけみなかたのみこと)が農作物を食い荒らすイノシシを鎌で退治し、その肉を農民に分け与えたことを起源に、千年以上の歴史を持つといわれる伝統行事。滑石諏訪神社周辺の5地区の持ち回りで行われる。
 当日は、神社で神事が行われた後、神社前にある御池(みいけ)に座元の男性が入り、池の中央に御幣(ごへい)を立てる。なぜ池に御幣を立てるかは不明。次に、神社に戻り今年と来年の座元が袴姿で向かい合い、世話役を引き継ぐ節頭渡しが行われる。
 神前に魚の口に梅の枝を刺したものが供えられるほか、柳で作った箸で刺し身を取り分けるなど、ユニークな習わしである。最後に、公民館などで地域の人に猪肉とゴボウの煮物が振る舞われる。
農作物を守り、五穀豊穣を祈る。多産で知られるイノシシにちなみ、子孫繁栄を願う。
熊本県天草市 1月7日 天草のおねび焼き 市内各地 地域住民  おねび焼きは、「鬼火焼き」がなまったもので、「悪魔退散」を願う伝統行事。大人たちはカシの枝や竹を煙にかざし、その枝などで体をたたく。「悪い所をたたくと病気が早く治る」と伝えられている。五和町鬼池宮津築では、門松を焼き、燃えさしが消えたところで、自宅に持ち帰り玄関の横に飾る。地元では「鬼の骨」と言っている。牛深市魚貫町では同じように屋根に挿す。(この項天草市立中央図書館WEB) 悪魔退散、病気が早く治るよう祈る
熊本県天草郡苓北町 2024年1月20日 裸まつり 町内の海岸 地域住民  裸まつりは二十四節気「大寒」の日に無病息災を祈願する伝統行事。400年ほど前、悪病が流行した際、山伏が海に入り、みそぎをして病魔を退散させたのが始まりとされている。新型コロナ対策が緩和されたことから、今年は4年ぶりの通常開催となった。
 今年の裸まつりには20代から80代の25人が参加。神事の後、神輿を担いで海に入り、大勢の人が見守る中「がんばれ」の声援を受け、約300メートルを泳ぎました。その後、地区の家を回り、1年間の無病息災を祈願した。(出典:KKT熊本県民テレビWEB)
病魔退散、1年間の無病息災を祈願
鹿児島
鹿児島県曽於市 2016年1月12日 「鬼追い」 熊野神社 地域住民、参拝客  「鬼追い」は、1200年以上の歴史があるといわれる新春の伝統行事。厄年を迎えた数えで25歳の青年たちが鬼にふんし、「鬼ん手」と呼ばれる棒を振り回しながら、参拝客の間を勢いよく駆け回る。鬼は御幣と呼ばれる白い紙を身にまとっていて、これを持ち帰ったり、鬼にたたかれたりすると、1年間、健康に過ごせると言われている。参拝客は、御幣を手に入れようと鬼を追いかけていた。 その年の健康
鹿児島県伊佐市菱刈前目 2014年1月13日 メノモチ 農産物直売所「まごし市場」 買い物客  メノモチは、餅を付けた枝先がしなう姿を、こうべを垂れる稲穂になぞらえ、五穀豊穣を祈る行事。2001年から毎年飾り付けている。
 今年も市場に出荷する生産者45人が早朝から100キロ分の餅を小さく丸めて、紅白、黄、緑4色の丸餅に作り、高さ4mのエノキの枝先に1個ずつ取り付けた。メノモチ飾りは、春の訪れを喜ぶ満開の花のよう。19日まで展示された。14日午前11時から、家庭用のメノモチを200円で販売した。同市場=0995(26)3755。 
その年の五穀豊穣
鹿児島県伊佐市大口原田 2014年1月12日 メノモチ 内田さん方 子や孫ら10人  内田さん方では、小正月の風物詩「メノモチ」を個人宅で守り続けている。部屋の一角を占領する巨大メノモチは、枝先に計30キロの丸餅が取り付けられる。2月中旬まで来訪者を楽しませる。
 内田家では、土台となる米俵のわら、中に詰める玄米、餅米まで自家製にこだわる。内田家は、この伝統を80年以上にわたって継いできた。12日、子や孫らが約10時間かけて、4色の丸餅をエノキの枝に刺して完成させた。
その年の豊作
鹿児島県伊佐市大口の山野地区 2023年1月13日 メノモチ作り 公民館 下之馬場自治会の有志「幸麗クラブ」のメンバー  「小正月」に、四角に切った白、赤、緑の3色の餅をエノキの枝に刺して飾り、五穀豊穣などを願う「メノモチ」。かつては地区の各家庭で見られたが、少子高齢化などもあり、今では減ったという。同地区では地域の自治会の有志「幸麗クラブ」が作って各家庭に配ることで、伝統が受け継がれている。
 翌14日には、全校児童42人が通う地元の山野小学校の3年生、4年生の子どもたち11人が、白、赤、緑、黄色の4色のメノモチ作りを行い、各教室に飾って伝統を継承した。
 また、伊佐市の大口東小学校では14日、小正月の伝統行事「穂垂れ引き」の飾りとなる「メノモチ」の飾り付けがあった。赤、白、緑、黄の4色に色づけした約400個の餅に児童が木の枝を刺してメノモチを作り、1年の健康や五穀豊穣を願った。同校区コミュニティは伝統を継ごうと初めて企画した。全児童70人が、用意された袋入りの餅を高さ3メートルほどのエノキの木にひもで結びつけた。以前は各家庭で作られていたが、高齢化などで取り組む家が減っているという。(MBC南日本放送、南日本新聞WEB版)
五穀豊穣などを願う
鹿児島阿久根市波留の倉津地区 2015年1月16日 麦ほめ 集落の各戸 子どもたち  「麦ほめ」は、子どもたちが家業繁栄を願って家々を褒めて回る小正月行事。同地区は漁業関係者が多い港町。麦ほめは戦前から伝わり、半農半漁で麦作が盛んだった時代は豊作祈願として「「ゆえもそかーい!(祝いましょうか)。ここの麦はええ麦」と褒めて回ったが、現在では麦作がなくなったため、「○さんの船はええ船。出さえすりゃ金千貫千貫(かねせんがんせんがん)」などとその家の家業繁栄などを願うように変化したという。
 少子化の影響で2009年以降は女子も参加している。同日夕、子どもたちは二手に分かれて各家を訪問。小学生は丁字形の杖を腹に押し当てながら、各家の玄関先で「金千貫千貫」の元気な声で唱えた。褒められた家の人は、子どもたちに祝儀を渡すのが慣例となっている。
 2013年は1月14日に行われた。(この項、阿久根市役所広報も参照)
その年の豊作
鹿児島県薩摩川内市下甑島 毎年の大晦日(12月31日)夜 ユネスコ無形文化遺産「甑島トシドン」 地域の子どものいる家々 甑島トシドン保存会、地域住民  「甑島のトシドン」は、下甑島に伝わる来訪神の行事。1977年、国の重要無形民俗文化財指定、2009年、日本で最初のユネスコ無形文化遺産に登録。トシドンと呼ばれる歳神に扮装した男性たちが子供のいる家々を訪れ、悪い子供を戒める。
 トシドンは、長い鼻に大きな口の奇怪な面を被り、藁蓑(わらみの)などを纏い、首なし馬に乗って現れる。。天上界から子供たちの日頃の行いを見ていると言い伝えられる。訪れた家では、大声で子供を脅かしたり、よい子になるよう諭したりし、最後に「年餅」と呼ばれる大きな餅を子供に与えて去って行く。年の初めや季節の変わり目に神々が訪れて人々に祝福を与える、あるいは、神々が訪れることで年が改まる、という日本人の民間信仰や神観念を伝える行事。
(この項出典文化庁文化遺産オンライン、wikipediaなどによる)
悪い子どもを戒め、大きな年餅をこどもに与える
鹿児島県薩摩川内市入来町副田 2014年1月14日夜 「かせだうち」 辻原自治会の各戸 地域住民  「かせだうち」は、七福神が新築の家を訪れ、珍料理でもてなしを受ける小正月の伝統行事。辻原自治会では本年度に3軒が新築し、約10年ぶりに行われた。七福神などに扮(ふん)した人々が新築世帯を回り、家内安全や繁盛を祈願した。
 昨年7月に新築した家では、ひょっとこやおたふく、大黒様のお面や安倍晋三首相のマスクを付けたユーモアあふれる姿の神様が登場した。おはらいの後は、カエルの卵や鶏の頭、オタマジャクシ入りのすまし汁といった珍料理で神様をおもてなしした。
家内安全や繁盛を祈願
鹿児島県薩摩川内市 2021年1月7日 「武射祭」 新田神社境内 地域住民 「武射祭」は、当年7歳になる子どもたちが的をめがけて矢を放つ伝統行事で、悪疫退散や五穀豊穣などを祈願する。600年以上の歴史があるといわれている。この日は、時折冷たい雨が降るあいにくの天気だたが、コロナ対策でマスクを着用した見物客は、和服にたすき掛け、鉢巻姿で真剣に矢を放つ子どもたちの様子を見守った。
的に用いられた和紙は、家内安全・無病息災のご利益があるとされていて、祭りが終わると、見物客が一斉に的の紙を争奪し、持ち帰った。(この項:鹿児島ニュースKTS)
悪疫退散、家内安全、無病息災、五穀豊穣を祈願
鹿児島県鹿児島市西千石町 2014年1月13日 「破魔投げ」大会 市民広場 住民や子どもたち27チーム約150人  正月行事「破魔(はま)投げ」は保存会が開催し、50回目を迎えた。木を輪切りにした破魔を先が曲がったボット(棒)で打ち合う遊び。藩政時代から約800年の歴史があるとされる。
 大会は5人1組で競う。見物客から「行け行け」「走れ」と声援が飛んだ。保存会では「伝統文化として今後も伝えていきたい」と話した。
その年の豊作
鹿児島県鹿児島市油須木町 2007年1月14日夜
カセダウチ 高齢者介護事業所「ほたるの里」 町内の住民有志  住民有志が太古から油須木に住むという神々に扮して、小正月に地域の新築の家をお祝いして訪問する。神々は滑稽な所作、問答をしながら大黒の置物や財宝を贈呈する。
 前年8月に開所した事業所側では、鶏の頭やオタマジャクシの吸い物などゲテモノ料理でもてなした。会場は爆笑に包まれた。
 2013年には14日夜、大工を営む家で行われ、家主が、オタマジャクシが泳ぐ吸い物など珍料理でもてなした。「出雲の国は何県?」「志村けん」などの軽妙な問答やナンコの掛け合いで、新居には笑い声があふれた。
新築を祝う
鹿児島県鹿児島市皆与志町の宮之平集落 2024年1月6日 鬼火焚き 集落内の田んぼ 住民  「鬼火たき」は青竹などで作った大きなやぐらを正月飾りとともに燃やし、1年を健康で過ごせるように祈る鹿児島の正月の伝統行事。宮之平集落は50世帯100人が暮らす集落。ここでは「鬼火たき」は正月飾りについてきた悪霊を追い払い、1年を健康で元気に過ごせるよう、無病息災を祈るという。青竹を束にして幅8m、高さ10mのやぐらに点火すると、火は勢いよく燃え上がり、住民らは「燃えー、燃えー」と声をかけた。子どもからお年寄りまで集落の内外から約60人が集まり、ぜんざいや焼酎のお湯割りが振る舞われた。(鹿児島テレビ鹿児島ニュースKTS) 無病息災、一年の幸せを祈る
鹿児島県霧島市隼人町内 2022年2月20日
「初午祭鈴かけ馬踊り」(国の無形民俗文化財) 鹿児島神宮 霧島市内外の馬踊り奉納団体、地域住民、観光客  鹿児島神宮の初午祭(はつうまさい)は毎年旧暦1月18日の次の日曜日に開かれ春の訪れを告げ、五穀豊穣を願う伝統行事。この日は市内外の数十の団体が参加して、馬を先頭にした踊り子たちが馬踊りを奉納した。一番手を務める姶良市の「 木田御神馬(ごしんめ) 」は桜の造花や米俵できらびやかに飾り付けられ、太鼓や鐘の音に合わせて馬が小刻みにステップを踏む「鈴かけ馬踊り」を披露した。首にかけられた大量の鈴の「シャンシャン」という音色が境内に響き渡った。
 馬踊りでは牛馬をはじめ家畜の安全や多産・五穀豊穣・厄除け・家内安全を祈願して、境内を練り歩く。2020年、「薩摩の馬踊りの習俗」として国の無形民俗文化財に選定された。例年は10万人の見物客でにぎわうが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で昨年に引き続き今年も規模を縮小して開催した。(出典読売新聞オンラインなど)
邪気を払い新型コロナウイルス収束を願う
鹿児島県姶良市下名 2021年1月10日夜
山田の里・鬼火たき 中川原橋近くの田んぼ 山田校区コミュニティ協議会、地区住民 山田校区の鬼火たきは高さ約3.5メートルの巨大鬼面をやぐらに飾り、邪気とともに焼き払った。かつては校区各地で実施されていた伝統行事の鬼火たきが途絶えつつあったため、協議会が再生し今年で3回目。
 会場では、子どもたちが巨大鬼面をみこしのように担いで登場。高さ約20メートルのやぐら側面に据え付けて、加治木高校2年で弓道部員が鬼面に矢を放って邪気を払ったあと、点火した。鬼火たきに先立ち、新型コロナウイルス収束を願う下名疱瘡(ほうそう)踊り、下名棒踊り、松原上まむし太鼓保存会、蒲生郷太鼓坊主の和太鼓演奏などの郷土芸能披露が行われ、鬼火点火にあわせ花火が打ち上げられた。 (この項:南日本新聞、協議会プログラムチラシなど)
邪気を払い新型コロナウイルス収束を願う
鹿児島県姶良郡姶良町三拾町 1月27日夜
(2007年)
姶良(あいら)ジャンボ鬼火焚き 町内の田んぼ 異業種交流で地域づくりに取り組む「あいらふるさとネットワーク」  1997年から開催している。町内の竹などを集めて鬼火やぐらを製作する。サイズは高さ約25メートル(2007年の場合)。このジャンボサイズの鬼火やぐらを燃やして、厄払いを行った。(主催者は世界一高い鬼火焼きを目標とし、ギネスブックに申請している)
 2007年には、午後5時から同町のまむし太鼓保存会などが太鼓演奏、同6時半から鬼退治の儀式を行った。鬼退治では、やぐらの下に設置された鬼の面に同町の重富、帖佐両中学校の弓道部員が矢を射た。
 鬼退治の儀式に使った巨大な鬼の面は、真竹で組んだ土台に新聞紙を張り付けて水性ペンキで赤く彩色した縦3m30cm、横2m30cmの立体的な面で、町内の竹細工工房で製作された。
 午後7時、厄年を迎えた地域の人たちが鬼火やぐらに点火。やぐら全体が炎に包まれた頃、約200発の花火が上げられた。(編注:2010年3月23日付けで同じ姶良郡の蒲生町・加治木町と合併して姶良市となった)
炎で厄をはらい、今年の無病息災と幸運を祈った。
 
鹿児島県指宿市山川の利永集落 2014年1月14日夜 「ダセチッ」 地区の新婚家庭 地域住民  「ダセチッ」は、子宝を願う小正月行事。子どもたちが新婚家庭などを訪問。祝いの言葉を唱えながら「ダセ棒」で庭の地面を突き、赤ちゃんの誕生を祈った。
 「ダセ棒」は、センダンの木で作り、長さ50~80センチほど。児童ら約30人は冷たい雨が降る中、集落内を練り歩き、「ダーセンダーセン、ツギナッタツギナッタ…」などと唱え、棒で何度も地面を突いた。
 昨年結婚した鹿児島市の会社員福元さんは、妻の実家で夫婦一緒に出迎え。お祝いを受けた後、お礼のお菓子を渡し、「楽しい新年を迎えられた。子どもは3人はほしい」と笑顔で話した。
 2021年は1月14日に行われ、利永小学校の児童や近くの保育所の幼児ら約30人が、昨年結婚した家族がいる7軒を訪れた。カシの木で作った1メートルほどの棒で突き、「ダーセンケボボ、ケボボガ…」などと唱えた。祝いを受けた家庭はお礼に菓子を配った。 例年は子どもの代表が家に招き入れられるが、新型コロナ対策で自粛した。自治会長は「結婚式も思うように開けない状況で、新婚家庭を区民に知ってもらう大事な行事。子どもたちが楽しみにしているので無事開催できてよかった」と話した。(※行事の形から「かせだうち」と「もぐらうち」が合体したように見える)(この項:南日本新聞などによる)
家内安全や繁盛を祈願
鹿児島県指宿市山川の利永集落 2019年1月20日夜 利永のメンドン 地区の家庭 住民 「利永のメンドン」は伊勢神宮の参詣を目的にした「伊勢講」に伴う、無病息災を願う小正月行事。2008年から1月の第3日曜日に催されている。
みこし行列に十数人の鬼やひょっとこの仮面をつけた着物姿のメンドン(面殿)が加わり、かねを鳴らして地区内を練り歩いた。住民がみこしにさい銭を入れて下をくぐり縁起物の白飯をもらうと、メンドンはダイコンの先につけたヘグロ(すす)を逃げ惑う住民らの顔に塗りつけた。すすを塗られて泣き叫ぶ子どもたち、大人たちの笑い声に  縁起物の白飯は健康をもたらすとされ、すすを塗られると1年間病気をしないと言い伝えられている。
一年の健康や無病息災を祈願
鹿児島県指宿市山川の浜児ケ水集落 2014年1月7日 サンコンメ 集落内 中学生や地域住民   「サンコンメ」は浜児ヶ水地区で毎年1月7日に鬼火焚きの前行事として行われている。「サンコンメ」は、中学生や住民らが小銭を詰めた竹筒を担いで舞い、一年の健康や豊作など地域の幸運を願う新年の伝統行事。
 竹は長さ2メートルほど。住民が見守る中、中学生らが「無病息災」などと書かれた半紙を張ったかさをかぶり、竹を担いで踊るように何度も回転。フラフラになりながら、竹を勢いよく地面にたたきつけた。割れた竹から小銭が飛び散ると、子どもたちが一斉に集まり先を競って拾い集めた。この小銭は家の神棚に供え「豊作」「無病息災」や「家内安全」など1年の幸福を祈る。
一年の健康や豊作を祈願
鹿児島県指宿市西方の尾掛集落 2014年1月5日 イシナト 公民館 小、中学生や地域住民ら20人  「イシナト」は、小中学生らが地面に置いたり、転がしたりしたダイダイなどの的に向かって竹矢を放ち、幸運や健康を祈願する伝統行事。
 射手は北指宿中1年と、魚見小6年男子2人。的のダイダイ、ボンタンは直径7~20センチ程度と小さく、2メートルほど離れた場所から竹矢を放つ。住民らが「イシナト、イシナト、何じゃなか、飛べよ」の掛け声を受けて、的を射抜くと、歓声が上がった。
一年の幸運や健康を祈願
鹿児島県枕崎市桜木町の小江平地区 2014年1月10日 破魔(ハマ)テゴ 小江平公民館 小、中学生や地域住民  ハマテゴは、子どもたちが転がるダイダイの的に矢を放ち、悪魔祓いと無病息災を祈願する鹿児島県南薩地区の正月伝統行事。地域住民が見守る中、かすりの着物に、げた履き姿の男の子たちが竹製の弓を持って、横一列に並び、太鼓の音に合わせ転がるダイダイに次々と矢を放った。ダイダイを射止めた男の子は、矢を揚げ「テゴテゴ」勝ち名乗りを上げた。この後、女の子や大人たちも加わって矢を放った。 一年の悪魔払いと健康祈願
鹿児島県日置市吹上町、伊集院町古城 2013年に吹上町では9月20日、伊集院町では11月7日 「もちひっぱれ」 各集落の田の神像前 子や孫ら10人  「もちひっぱれ」は、新米でついたもちの両端をくわえた2人が引っ張り合い、五穀豊穣(ほうじょう)を祈る伝統行事。伊集院町では約230年前から続くとされる田の神講の行事。
 吹上町では以前に数地域で行っていたが、小野地区だけが存続し、2012年春まで春と秋の年2回実施してきた。伊集院町では秋は毎年旧暦10月の最初のうしの日に行っている。
 2013年は吹上町の花田地区公民館が支援し、花田小学校1、2年生が参加して復活した。餅は「田の神像」全体にも貼り付けて供えた。その前で2人が四つんばいで向き合い、細長い餅を両方からくわえて引き合った。勝敗のルールは「自分に近い場所で切れたら負け」。伊集院町古城の行事では、周囲の人が「きばれ、きばれ」と盛り上げた。
その年の豊作
鹿児島県蒲生町下久徳 2010年1月14日夜 もぐらうち 地域の家庭の庭 三池原上子ども会の子供たち  伝統の小正月行事「もぐらうち」は、幼児から小学6年生まで27人が参加。自治会内約70戸で庭をたたいて農作物を食い荒らすモグラを追い払い、今年の豊作を願った。
 子どもたちは2班に分かれ、家々を回った。わらを束ねて棒状に巻いた長さ約80センチのもぐら打ち棒を手に、庭先で輪になって「もぐらうっで、ぼちょ(もち)くいやい」と掛け声をかけながら地面を力強くたたいた。
 各家庭ではお菓子やおもちを用意、子どもたちにプレゼントし、ねぎらった。(編注:蒲生町は2010年3月23日付けで同じ姶良郡の姶良町・加治木町と合併して姶良市となった)
農作物が豊作になるように願う。
鹿児島県菱刈町 1月13日
(2007年)
メノモチ飾り まごし市場前 市場に米や野菜など地元農産物を出荷する会員ら60人余り  メノモチは「繭の餅」の意味。早朝から100キロの餅をついて、紅白、緑、黄と4色に丸め、山から切り出したエノキの枝(高さ6m)に結びつけて飾った。1週間ほど飾る。
 翌14日は、市場前に鰯の味噌煮500食を用意して、朝9時からふるまった。魚や菜っ葉を包丁を入れずに煮て食べるという小正月の伝統食に則った行事。
繭や農作物が豊作になるように願う。
鹿児島県金峰町白川 1月6日、7日 白川おねっこ、鬼火たき   子供からお年寄りまで地域住民  モウソウ竹の骨組みを雑木で囲んだ高さ14メートルのやぐら(20畳の広さ)に夕方、小学生と大人約80人が集まり、ひざをつき合わせていろりを囲む。児童は学年ごとに歌や劇、今年の抱負を披露。大人は焼酎を酌み交わしながら拍手を送る。高学年児童や大人は、やぐらに火をつける7日早朝まで泊まり込む。  
鹿児島県山川町浜児ケ水 1月7日 サンコンメ、鬼火たき 集落内を練り歩く 地域の住民やこどもたち  サンコンメは15歳のニセ入り行事。集落の辻々で行う。笠をかぶった男子が、約2メートルの青竹に3650円分の硬貨を詰め込み、1人ずつ見物客の輪の中へ入り、青竹を肩に担いでぐるぐる回り、竹を地面にたたきつける。繰り返すうち、竹の裂け目から硬貨が飛び散り、取り囲んだ子供たちがわれ先に拾い集めた。
 このあと、住民は海岸に正月飾りの門松やしめ縄を持ち寄り鬼火たきをする。
1年の無病息災と五穀豊穣
鹿児島県南九州市知覧町東別府 1月14日夜 「鬼火たき」 地域の新築の家 新築の家の知人、友人  南九州市で一年の無病息災を願う 鹿児島 1/8(月) 19:32配信 KKB鹿児島放送 鹿児島放送  南九州市では7日夜、一年の無病息災を願う「鬼火たき」がありました。  鬼火たきは正月飾りなどをやぐらで焼き、竹が弾ける大きな音と炎で邪気を払う鹿児島の伝統行事です。  南九州市高田地域では、高さ約10mの本やぐらと子ども用の小やぐらが準備され今年の干支・辰年の住民らが火を入れました。  【見物客】 「今年の抱負は病気にかからないことです」 「子ども達と一緒に地区の(野球大会の)予選を勝ちきって県大会に出られようがんばりたいと思います」 「去年娘を出産したので、子育てと仕事と頑張りたいと思います」  また、花火も打ち上げられ、訪れた人たちは、燃え上がる炎と夜空を彩る花火の競演を楽しんでいました。 新築の家を祝福する
鹿児島県南九州市知覧町東別府 1月14日夜 小正月の伝統行事・カセダウチ 地域の新築の家 新築の家の知人、友人  カセダウチは「よく稼いだ家」の意味。新築の家に奇抜な格好で顔を隠した神々に扮装した知人、友人が大黒の置物とニセの財産目録を手土産に次々に祝いにやって来る。家の主人はとても箸をつけられない珍料理でもてなし、問答を繰り広げながら正体を暴こうとする。 新築の家を祝福する
鹿児島県南九州市知覧町 2023年12月20日~2024年1月小正月 正月の3段階門松飾り 市立知覧小学校 児童  知覧小の児童らは、知覧武家屋敷群一帯に伝わる「大正月飾り」を校門に設置した。正月の節目に大正月から小正月まで3段階で換える門松の最初で、年末から1月6日まで飾る。大正月飾りは門前に盛ったシラスの頂上部に松、竹、梅、ユズリハ、ウラジロを差し、回りに3本のまきを置くのが特徴。
「大正月飾り」は、「七日正月飾り」に姿を変える。この「七日正月飾り」は、1月7日~1月13日の期間に飾られる。「七日正月飾り」の由来は、六日・七日正月には魔払いの意味があることや、門飾りに使われる「タラノキ」の棘や,燃やすと音のする「モロ(イヌガヤ)」の葉は魔よけの象徴で邪気を払うといわれている。1月14日からは「小正月飾り」へと姿を変える。(出典知覧小ブログ、南日本新聞) 
魔よけ、邪気を払う
鹿児島県肝付町内之浦地区 2016年1月7日 「ドヤドヤサー」肝付町指定無形民俗文化財 内之浦漁協近くの砂浜 地域住民  ドヤドヤサーは「鬼火たき」の一種で、地域の小正月行事。孟宗竹(もうそうちく)を束ねた高さ約20メートルの竹柱の根元で正月飾りなどを燃やす。地域住民らが燃えさかる炎と竹がはじける「パン」という音に無病息災と悪疫退散の祈りを込めた。火と煙にあぶられた竹柱の笹(ささ)は葉が落ちないとされ、縁起物として家に持ち帰る。
 火の勢いに耐えきれなくなった竹柱が海側に倒れると、見守っていた住民らは笑顔で笹を取り合った。笹は神棚や仏壇にお供えするという。
 2023年は1月7日にドヤドヤサーが行われ、豊漁豊作祈願や七草祝いの子の厄払いに、地区内外の数え年で7歳になる子供13人や家族のほか、大勢の地元住民でにぎわった。内之浦町誌によると、語源は不明だが、新年季語「どんど焼き」に「サー(様)」がついたと考えられるという。同日は6本の大漁旗がはためく中、約21メートルのモウソウチクで柱を造り、根元にしめ縄などを集めて点火。福を招こうと、竹柱に張られた誕生月を表す12本の縄を引き合った。倒れた竹柱のササや装飾品は魔よけになるとされ、参加者が奪い合うように持ち帰った。(この項:南日本新聞373news.com)  
無病息災と悪疫退散
鹿児島県南種子町 1月15日 蚕舞(カーゴマー) 地区内の家々 集落の若者  種子島でも南種子だけに残る養蚕の予祝行事で、小正月の15日前後に集落の若者が蚕の化身(精霊)に女装し家々を回る。ネコヤナギの枝にさしたもちを蚕の繭として飾る。 養蚕農家がなくなった今も豊作祈願の風習として行われている
鹿児島県南種子町 1月20日夕 種子島どんど焼き 前之峯陸上競技場 地域住民  同町の上中本通り会が新しい種子島の行事にしようと2002年に初めて開催。正月に飾った門松やしめ縄などを持ち寄ってたき上げる。特産のインギー汁やぜんざい、つきたてのもちを無料でふるまう。 年間の無病息災や家内安全などを願う
鹿児島県屋久島町屋久島 1月7日 「祝い申そう」と「鬼火焚き」 地区内の家々 集落の若者、子どもたち、住民  屋久島では毎年1月7日七草の日、集落ごとに日中に門祝い行事「祝い申そう」、夕方に「鬼火焚き」の2つの伝統行事を行う。
 「祝い申そう」は、集落の子どもと若い衆が集落の家々を回って、めでたい福祭文である新年を祝う唄を歌い、その家の1年間の安全と繁盛を願う(新年の門祝い)。昔は各家で若い衆にお酒を振る舞ったが、今は各家で子供たちにお菓子、若い衆には金一封(千円ほど)を渡す。
 「鬼火だき」は各集落で夕方に行われる。お正月飾りのしめ縄や門松を持ち寄って燃やす。無病息災と一家の幸福を願う。鬼火焚きのやぐらは、若い衆がモウソウ竹を芯にして細いコサン竹とウバメガシの木を高く組み上げる。やぐらのてっぺんに鬼の絵を描いた紙が貼られる。
 鬼火焚きの点火は、七歳になる子どもたちが行う。ウバメガシは地元では「バチバチの木」と言われ、バチバチと音を立てて燃える。火の手が上がると、住民や子どもは鬼退治を行う。鬼の絵を目掛けて、石を投げる。弓矢を用意して、弓で射止めると縁起が良いという集落もある。(※屋久島「祝い申そう」の唄を末尾に引用)
この1年の厄払い、無病息災、幸福を祈願
鹿児島県奄美大島 2016年1月14日 「ナリムチ(餅花)」 奄美大島、徳之島 地域住民  「ナリムチ(餅花)」は奄美大島北部や徳之島などで見られる地域行事。小正月(1月15日)の前日にあたる14日に、各家庭でナリムチを飾って、五穀豊穣や家内安全を祈る。
 ナリムチは、白・赤・黄・緑の4色に着色して、さいの目に切った餅を、ブブ木(リュウキュウエノキ)の枝に花が咲いたように挿して、床の間や仏壇、墓などに飾る。ブブ木は枝を切れば切るほど伸びることから「繁栄」を、鈴生りの餅のように「お金がたくさん成るように」などの願いが込められているという。
 奄美市名瀬井根町の商店などでは、10日ごろからナリムチ飾り用のブブ木の枝などを販売。ナリムチ前日の13日には、各店で家庭用やお供え用にナリムチ飾りを買い求める人の姿が見られた。ナリムチは「正月送り」の18日に下ろされる。家によっては外した餅とサツマイモを混ぜて練った芋餅「ヒキャゲ」を作り、家族で食べる。(出典:南海日日新聞電子版など)  
1年間の五穀豊穣と家内安全
鹿児島県奄美大島 2021年1月18日 「ヒキャゲ」 奄美大島の各戸 地域住民  奄美大島では、小正月を過ぎ大寒へと向かう1月18日は、サツマイモとナリムチを練った芋餅「ヒキャゲ」を食べる風習がある。各種文献や島民の記憶によると、ヒキャゲは正月行事を終えるという意味や、餅状で粘りがあるため箸で挟んでおわんまで引き上げることができることから名付けられた、など諸説ある。14日に家に飾られた「ナリムチ」(餅を付けたリュウキュウエノキの枝飾り)を下ろし、枝から餅を外してサツマイモと一緒につぶしこね合わせて作られていた。現代では季節を問わず、家庭料理として食べる家もある。
シマのおっかん(島のお母さん)の手料理を提供する龍郷町幾里の宿泊・飲食施設「荒波のやどり」では、スタッフがヒキャゲを作りランチメニューの一品に加えて提供した。 (この項:南海日日新聞電子版)
正月行事を終えるという意味
沖縄
沖縄県 新暦1月1日、旧暦1月1日、旧暦1月16日 沖縄の3つの正月  県内 地域住民 沖縄では、新暦1月1日、旧暦1月1日、旧暦1月16日の3つの正月を祝う。日本風の新暦、古くからの伝統の旧正月。そして先祖を供養し、共に新年を祝う旧暦1月16日の十六日祭。それぞれの正月に意味があり、どれも大事な日とされる。
 一つ目の新暦正月は、日本本土と同じ新暦の1月1日を祝う。大みそかには沖縄そばの年越しそばを食べ、年が明けると、各家庭には年賀状が届き、子どもたちにはお年玉をあげる。初詣にも行く。那覇市の波上宮や宜野湾市の普天間宮などは初詣客でにぎわう。
 正月料理のメーンは豚肉料理。豚の内臓の入った中味汁や白みその甘みがおいしいイナムドゥチ、ラフテー(豚の角煮)などを食べる。
 二つ目の正月は旧暦1月1日。沖縄では新暦の正月が主流を占めるが、旧暦の行事も色濃く残り、旧正月の日は各地でさまざまな伝統行事がある。粟国島では大みそかに各家庭へ塩を売り、踊りをささげる「マースヤー」という行事がある。「神の島」として知られる南城市の久高島でも1年の健康祈願を行う「シャクトゥイ」が行われる。海人の町・糸満市では旧正月を盛大に祝い、糸満漁港では停泊している漁船に大漁旗が掲げられ、1年の豊漁を願う。地域によっては旧正月にお年玉をあげるところもあり、それらの地域ではこの時期までお年玉袋が売られている。
 旧正月は中華圏の春節となるため、観光が好調な沖縄の那覇市の国際通りや県内各地のスーパー、観光地などは中華圏からの観光客でにぎわうのが、最近の沖縄の新しい旧正月の風景となっている。
 三つ目の正月は、旧暦1月16日にあたり、沖縄では「ジュウルクニチー(十六日祭)」と呼ばれる。あの世(ウチナーグチでは「グソー」)の正月とも呼ばれる。ジュウルクニチーが盛んなのは宮古島地方や八重山地方。お墓の前に親戚が集まり、豚肉料理やかまぼこ、豆腐などを詰めた重箱を備え、先祖供養します。宮古島地方や八重山地方では最も大きな行事で、この日は多くの人が里帰りする。
 ジュウルクニチーの習慣が薄い地域でも、亡くなってから1年以内の人がいる家庭は例外。新暦の正月や旧正月は質素に行い、このジュウルクニチーを「ミージュウルクニチー(新十六日祭)」、あるいは「ミーサー(新霊)」と呼び、お墓参りをする。(この項出典琉球新報STYLE)
1年の健康と幸せ、先祖供養、大漁祈願
沖縄県那覇市 2014年1月15日 ドンド焼き 那覇市の波上宮 地域住民  那覇のドンド焼きは、正月飾りや、昨年のお守りやお札などを燃やす古神札焚上祭(こしんさつたきあげさい)として行われている。宮司は「燃やすことで、神様に1年間お守り頂いた感謝を伝える」と説明した。県内各地の家庭などから持ち寄った縁起物は約7トン。1週間かけて燃やす。
 神主4人が祝詞を読み上げお払いをした後、宮司が火をつけた。炎の中から、ぱちぱちと竹が割れる豪快な音が響き、参拝者約40人が見守った。
 波上宮は古来、海の彼方から幸福を持ち来る神々に祈る「ニライカナイ信仰」の聖地、拝所とされてきた。神のお告げで王府が熊野三神を祀って以降は琉球朝野の篤い崇敬を受けた。海上交通・豊漁などの守護としての御神威が高く、また近年は厄除け・安産・家内安全・商売繁盛など諸願成就の神として篤く信仰されている。
厄除け・安産・家内安全・商売繁盛など諸願成就
沖縄県那覇市小禄 2014年1月8日 ムーチー(鬼餅) 小禄南保育園 園児たち  ムーチー(鬼餅)は旧暦12月8日にあたる1月8日に行う(2014年)。沖縄県内では、練った餅粉をサンニン(月桃)やクバの葉などに包んで蒸したムーチーを仏壇や神棚などに供え、厄払いと健康を祈願する習わしがある。
 小禄南保育園では7日、園児27人がムーチー作りに挑戦した。子どもたちは、紅芋や黒糖を練り込んだ2種類の餅粉を手で転がしたりたたいたりしながら平たくのばし、丁寧にサンニンの葉で包んだ。
厄払いと健康を祈願
沖縄県糸満市 2015年2月19日(旧暦元日) 大漁祈願と拝所参拝  糸満漁港 地域住民  海人の町・糸満では旧暦の元日に、漁港で「大漁祈願と航海安全」を願う色とりどりの大漁旗を掲げた漁船がずらりと並ぶ風習が有る。
 2015年2月19日、同市糸満の白銀堂では、住民が祈願用の米や酒を入れた木箱「ビンシー」を抱えて、朝早くから参拝し、拝所に手を合わせて、この1年の家族の健康と幸せを祈願した。
 トゥシヌユールー(大みそか)の18日には、糸満市糸満の中央公設市場で、朝から旧正月用の食材や家の門に飾るしめ縄、ササの葉や松の枝、切り花、お供えの三色の紙「アカカビ」を買い求める客が訪れた。タイをかたどった色鮮やかなコーグヮーシ(らくがん)や鏡餅、かまぼこ、豚肉、年越しそばなどの正月用食材を購入した。
 2018年は2月16日が旧正月となり、糸満漁港では船に大漁旗を掲げ、一年の豊漁や安全を願う風景が見られた。漁師らは午前5時ごろ、船に米や酒を供え、旗を付けた。旧暦1月5日に当たる20日がハチウミ(一年で最初の漁)という。また、港近くの拝所「イービンメー」(白銀堂)には早朝から酒、水のほか、瓶や杯などの入った持ち運び用の御願道具「瓶子(ビンシー)」を提げた女性たちが無病息災を祈った。
大漁祈願、1年の家族の健康と幸せ
沖縄県南城市玉城百名 2015年2月23日 親田(うぇーだ)御願 仲村渠区 地域住民  南城市玉城百名の受水走水は琉球の稲作発祥の地とされる。仲村渠区の伝統行事「親田(うぇーだ)御願」は、区民らが田植えの儀式で豊作を願った。行事は毎年、旧正月後の最初の午の日に実施される。
この日は、地域の伝統行事を学ぼうと現地を訪れた百名小学校の児童約50人や区民らが見守る中、田植えの儀式を行った。
豊作を祈る
沖縄県宮古島市 2021年1月15日 どんど焼き 宮古神社 地域住民   宮古神社の境内の一角で正月飾りや縁起物などを燃やす「どんど焼き」が行われた。宮古神社は1590年(天正十八年)に建立された、国内最南端の神社。市民から持ち込まれた古いしめ縄やお守り、破魔矢などを火にくべて、向こう一年間の無病息災を祈願した。
 神社では平和と安全を祈る祭祀「月次祭(つきなみさい)」を執り行い、新型コロナウイルス感染の早期終息を願った後、神主がどんど焼きで古いしめ縄などに点火し、次第に燃えさかる火に塩をまいて清めたりした。(この項:宮古毎日新聞電子版)
1年間の無病息災を祈願
沖縄県宮古島市伊良部 2015年2月20日 「旧正月」の大漁旗掲げ 佐良浜漁港 地域住民  旧暦を重んじる佐良浜地区では漁師らが休漁し、漁船に大漁旗を掲げ、早朝から船霊(ふなだま)様に神酒や海の幸を供えて、向こう1年間の航海安全、大漁を祈願した。住民らは、先祖にごちそうを供えて親族で祝ったり、友達同士で盛大に祝杯を上げるなど、新年の喜びを分かち合った。この日は平良の池間地区などでも伝統の旧正月を祝った。
 佐良浜地区では、本家に分家の関係者らが盆にごちそうを乗せて訪れ、そのごちそうを神棚や仏壇に供えた。先祖に手を合わせて子孫繁栄を報告。祈願後、ごちそうを下ろして全参加者で会食した。
1年間の航海安全、大漁、子孫繁栄を祈願
沖縄県宮古島市上野地区野原集落 2014年1月30日 重要無形文化財「サティバロウ(里払い)」 集落内 子どもと女性  「サティバロウ(里払い)」は1993年、宮古島市平良地区島尻の「パーントゥサトゥプナハ」とともに「宮古島のパーントゥ」として、国の重要無形文化財に指定。毎年旧暦12月の最後の丑の日に行われる1年間の豊作祈願と悪霊払いの伝統行事。起源は不明という。子どもパーントゥを先頭に後方の女性たちが「ホーイホーイ」と唱えながら、集落内を練り歩き、厄払いをする。
この日、サティバロウの参加者は仮面をかぶった子どものパーントゥと小太鼓をたたく子ども、ほら貝を吹く子どもらを先頭に、クロツグとセンニンソウで組んだ草冠をかぶり、草帯を腰に巻いて、両手に悪霊払いのヤブニッケイの小枝をもった女性たちが続いた。
聖地の山嶽に向かってこの1年間の豊作を祈願したあと、行列を作って出発。集落の四辻では子どもらを囲んで女性たちが円陣を組み「ウルウルウルウル」と唱えた。
豊作祈願と悪霊払い
沖縄県宮古島市 2015年3月6日 あの世の正月「ジュウルクニツ(十六日祭)」 市内の各家庭 地域住民  十六日祭は宮古島市の伝統行事の一つ。旧暦1月16日(2015年は3月6日)に、あの世の正月「ジュウルクニツ(十六日祭)」を行う。宮古の家庭によっては仏壇に果実や菓子、豚肉・魚料理などのごちそうを供え、先祖に無病息災や子孫繁栄を祈る。
 十六日祭の前日の5日には、市内の各大型スーパーの食品売り場などでは、あの世のお金「ウチカビ(打ち紙)」や黒線香、切り花菊、天ぷら用の切り身魚、和菓子詰め合わせ、もちのパック詰めが並べられ、住民が買い求めた。
 2015年には伊良部大橋開通(1月31日)により、各大型スーパーには伊良部からの買い物客らでにぎわっていた。
先祖に無病息災や子孫繁栄を祈る
沖縄県宮古島市下地来間島 2013年9月25日 ヤーマスプナカ この1年に子宝に恵まれた家庭 島全体の住民  ヤーマスプナカは旧暦9月の甲午の日に行われる島最大の行事。生後1年未満の子どもの誕生を祝って島民が神酒を回し飲み、島全体で子孫繁栄を願う。その昔に来間島を救い、繁栄させたと伝えられる3兄弟の家元(長男スムリャーブナカ、次男ウプヤーブナカ、三男ヤーマスヤーブナカ)を中心に、2日間の日程で祭事が行われる。祭り期間中は沖縄本島や本土、八重山諸島から多くの出身者が集まる。15~16世紀から続く行事とされている。
 初日は3兄弟の家元で子孫の繁栄を祈願する「サラピャース」と「マスムイ」儀礼が行われ、島民が生後1年未満の子どもの誕生を祝って神酒を回し飲む。2日目は島民が棒踊りや奉納踊りを披露しながら集落内を練り歩き、向こう1年の五穀豊穣を祈願する。
 祭りの初日、長男のスムリャーブナカでは午前8時30分ごろからサラピャースが始まった。家主の長間さんらが家元で作った神酒を「ピサギ」に入れ、角が二つ、足が四つ付いた祝い皿(ツヌザラ)に注ぎ住民に振る舞った。住民は祝い皿を頭上に上げて神に感謝する。子宝に恵まれた1年を祝いながら神酒を回し飲む間は、老若男女を問わず全員で神詩を歌い、生まれた子どもの健やかな成長を願った。
 この後、マスムイが行われ、ここ1年で生まれた子ども9人が紹介された。父親らがあいさつに立ち、島から離れて暮らしていても温かく見守ってくれる島民に感謝しながら酒を回した。
子どもの健やかな成長、子孫繁栄、五穀豊穣
沖縄県宮古島市 2015年3月6日 あの世の正月「ジュウルクニツ(十六日祭)」 市内の各家庭 地域住民  十六日祭は宮古島市の伝統行事の一つ。旧暦1月16日(2015年は3月6日)に、あの世の正月「ジュウルクニツ(十六日祭)」を行う。宮古の家庭によっては仏壇に果実や菓子、豚肉・魚料理などのごちそうを供え、先祖に無病息災や子孫繁栄を祈る。
 十六日祭の前日の5日には、市内の各大型スーパーの食品売り場などでは、あの世のお金「ウチカビ(打ち紙)」や黒線香、切り花菊、天ぷら用の切り身魚、和菓子詰め合わせ、もちのパック詰めが並べられ、住民が買い求めた。
 2015年には伊良部大橋開通(1月31日)により、各大型スーパーには伊良部からの買い物客らでにぎわっていた。
先祖に無病息災や子孫繁栄を祈る
沖縄県宮古島市城辺比嘉 2024年2月29日 旧二十日正月祭(パツカショウガツ) 比嘉公民館前広場など集落内 地区住民  旧二十日正月祭は2頭の獅子を囲みながらクイチャーを踊り、比嘉集落の安全と繁栄を祈願する伝統行事。毎年旧暦1月20日に開かれている。明治時代、字有地の財産を巡って士族と平民が争った事件の解決を1912年に祝ったことが始まりとされる。
祭りは午後3時ごろに始まり、獅子と民俗芸能保存会のメンバーを先頭に公民館の周囲を歩いて清めた。多くの住民が参加し、頭にマーニ(和名・クロツグ)を巻き、三線や笛の音に手拍子を合わせて地域の安全を祈った。
公民館を清めると、住民たちは集落を一周し無病息災と五穀豊穣を祈願した。集落内を回った後、公民館前の広場に移動し、獅子を囲みながらクイチャーを踊った。住民のサトウキビ農家がが最近購入したトラクターを清めた。クイチャーは集団で声を合わせて歌いながら、手拍子を打ちつつ集団舞踏。国の無形民俗文化財に指定されている。 会場には多くの地域住民が参加し盛大に祝った。
 自治会の会長は「毎年恒例となっている地域の伝統行事。天気にも恵まれて良かった。素晴らしい厄払いもできる。先人たちがこれまで築き上げてきた伝統芸能。私たちは精一杯守り抜いて次世代につなげたい」と語った。
 トラクターを清めてもらった農家は「昨年の夏に購入した。厄払いをしてもらい安全無事故で農作業ができるように願っている。また、サトウキビの収量も上がってほしい」と話した。
集落の安全と繁栄を祈願する
沖縄県南城市久高島 2016年2月8日 神事「シャクトゥイ」 島の拝所 島民   久高島(くだかじま)は沖縄本島の南部東端にある知念岬から、東へ約5キロの沖合に浮かぶ島。琉球の創世神・アマミキヨが天から降り立って国造りを始めた地とされ、古くから「神の島」とも呼ばれる聖域。特に12年に1度行われる秘祭・イザイホーの島として知られている。
 「シャクトゥイ」は、島人が旧正月にこの1年の家族の健康を願う久高島の神事。「シャクトゥイ」が執り行われるのは外間殿(フカマドゥン)で、久高殿(ウドゥンミャー)と並ぶ島の二大祭祀(さいし)場。
 シャクトゥイでは島の男性が2人一組となって順番に殿に上がり、神役の女性たちが見守る中、神事用の器を用いて盃事(酌とり)を行う。シャクトゥイを終えた2人が殿の外に出ると、「明けましておめでとうございます」のあいさつの中、新年を迎えた喜びをカチャーシー(沖縄の手踊り)で演舞する。
 シャクトゥイは島を一年間守った神や神人らへのお礼が目的だが、現在では健康を願う祭事になっている。
家族の健康
沖縄県竹富町黒島 2014年1月31日、2016年2月8日 「黒島の旧正月大綱引き」 黒島の東筋と仲本集落 島の住民と観光客  「黒島の旧正月大綱引き」は、2014年旧正月の1月31日、豊作豊漁と住民の無病息災を祈願する伝統行事。
 黒島東筋部落会は31日午後2時すぎから、黒島伝統芸能館前で旧正月行事を行った。行事の開催を知らせるドラの音が鳴り響く中、「正月ユンタ」で会場を盛り上げ、南からヤリ、北からカマを持った勇者役が舞台の上に登場。勇者の戦いである勇壮なツナヌミンが披露された後、大綱引きが行われた。「北が勝つと豊漁、南が勝つと豊作」と言い伝えがあり、南の勝利で今年一年の豊作を祈願した。
 綱引きが終わると、南からツクドゥン(農民の最高位)、北からミリクが子どもたちを引き連れて登場し、ツクドゥンに五穀の種子が託された。
 会場には地域住民や郷友会員、観光客も参加した。仲本支会は同日夜、旧正月行事を行った。
 2016年には旧正月の2月8日に旧暦伝統行事の大綱引きが行われ、仲本集落と東筋集落が豊作豊漁を願い、綱を引き合った。会場となった東筋集落の黒島伝統芸能館前では住民や郷友会、観光客も交じって約300人でにぎわった。住民らは晴れやかに「あけましておめでとう」とあいさつを交わた。
 ドラとかねが打ち鳴らされた後、北と南に分かれた住民が正月ユンタを掛け合い、行事がスタート。巻き踊りや勇壮な武者がやぐらの上で争うツナノミンが披露された後、大綱引きが始まり、観光客も力いっぱい綱を引いて、伝統行事を楽しんだ。
豊年満作と住民の無病息災を祈願する
沖縄県島尻郡粟国村 2024年2月12日 粟国のマースヤー(塩売り) 集落の家々 集落の全住民  「マースヤー」は旧暦の大晦日12月30日の夕方から元日にかけて行われる粟国島の100年以上続く伝統行事。島では塩づくりが盛んで、マースヤーは塩売の意味。子どもから大人まで、島内の集落ごとに各家庭を一軒ずつ回って歌や踊りを披露して、縁起物の塩を配り、家内安全や無病息災などを願う。踊りが終わると家々から、ごちそうや菓子、酒が振る舞われる。
この日は本島や本土からも島出身者が集まり、島の人口が2倍近くに増えるといわれる。また、参加する中学3年生にとって、島には高校がないため、「マースヤー」はふるさとを離れる前の最後と行事となり、万感の思いを込めて踊ると言う。
浜集落では「村うくし」として行われた。午前8時ごろ、地域の男性が拝所ユノーサウガンで踊りを奉納。5カ所の十字路と観音堂でも踊り、その後は女性も加わって集落内の各小字(前組、西組、後組)に分かれて家々を訪ねた。(この項NHK沖縄NEWS WEB、沖縄タイムス)
家内安全や無病息災などを願う

 
【韓国】

地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
韓国
韓国 旧暦1月15日/2014年は2月14日 テボルム・정월 대보름(小正月)伝統行事 韓国の各地 地元市民、観光客  韓国では今でも旧正月(ソルラル)、秋夕(チュソッ)をはじめとした主要な名節(ミョンジョル)を陰暦(太陰太陽暦)で祝う。満月の日を祝うボルムナルの中でも1年の初めの満月の日を大ボルム(テボルム 정월 대보름)と呼び、この日を旧暦1月15日小正月として、月見などテボルム伝統行事を行う。韓国の人々にとって小正月とはまず新春の満月がイメージされるのである。
 韓国では月は女性であり、女神とみなされる。地にあって万物を生み出す地母神と力を合わせ、出産する力を持っている。月は豊かさの象徴である。それゆえに、1年の最初の満月の日は厄を払い、1年の豊穣を祈願する神聖な日で、2014年は2月14日がテボルムになった。旧暦のテボルムは毎年変動し、2015年は3月5日となる。
 正月デボルムナルは「上院(上元)」ともいう。上院は、道家で言う三元の一つで、三元とは、上院(1月15日)、中院(7月15日)、下院(10月15日)をいう。三元の日には天上の仙官が、人間の善悪を探るとされる。
 テボルム前日の14日に、五穀ご飯とムグンナムル(ゼンマイ、キキョウ、シイタケ、イワタケ、大根、モヤシ、豆モヤシ、かんぴょう、干し菜など9種の和え物)などを食べ、15日の朝は、松の実やクルミ、落花生などの木の実をかじることを吉例としている。これは一年間でき物や腫れ物ができがないようにというおまじないでプロムと言われている。

 旧暦1月15日の小正月に作って食べる特別料理のことを「サンウォンチョルシッ(上元節食)」という。その中で今でも韓国の各家庭でテボルムの日によく食べられるのが、「オゴッパッ(五穀ごはん)」や「ヤッシッ(薬食=うるち米にナツメやハチミツ、黒砂糖などをいれて炊いたもの)」、「イミョンジュ(耳明酒=耳をよくするお酒)」、「プロム(皮の硬い木の実=ピーナツ、胡桃、栗など)」など。

 テボルム当日の朝はピーナッツやクルミなどの「プロム」といわれる固い木の実類を噛みながら1年の健康を祈ったり、1年中良い知らせだけを聞けますようにと祈願する意味で「クィバルギ酒」と呼ばれる清酒を飲む。また、もち米や小豆、粟など5種類の穀物を一緒に炊いた「五穀米」とナムルを近所の人と分け合って食べたりする。
 この日は全国各地で畑や田に火をつけ、雑草や害虫などを駆除する野焼きとして行われる「チュイブルノリ」や、獅子の仮面を被って練り歩く獅子舞いの「サジャノリ」、「ダルジプ焼き」などが行われる。
 タルジプ焼きは集落ごとに住民が朝から集まり、松葉や、竹、わら、松の枝を積み重ねたタルジプ(タルチッ)と呼ばれる「月の家」を制作する。各村で月見をするのに良い場所がタルジプ焼きの場所に選ばれる。住民たちは、ダルジプに願いを書いた紙をつるし、厄除けのために古着を入れることもある。
 日が暮れて満月が昇ると、ダルジプに火をつけて満月とダルジプに向かってお辞儀をして、この一年の健康や幸せ、農作物の豊穣、商売繁盛などの願いが成就することを祈る。そして、人々は、ダルジプが燃え尽きるまで月見を楽しむ。
 ダルジプに竹を入れるのは、竹が燃えて飛び出る音で悪魔を追い払うためであり、火は悪いことを燃やして厄を取り除く意味がある。ダルジプ焼きで一年の平穏と安寧を祈願する。願いごとを書いた紙を一緒に燃やして、高く上がれば願いがかなうとされる。
 農村では、一年の最初の満月テボルムに行う月見は、1年の願いを祈り、その年の収穫を占う。月の光が赤ければ日照りになり、白ければ梅雨がある兆しとされる。

   小正月・テボルムの伝統風習
●半月夜明かし(보름새기/コルセキ()
 テボルムの前の夜、家の灯りをつけたまま夜明かしする。日本では大晦日の風習として知られているが、韓国では地方によって十五夜の夜に眠れば眉毛が白くなるとされる。家族の中に誰かが眠りに落ちると、いたずらで小麦粉などで眉を白く塗っておいたりする。
●クィバルギ酒(耳明酒)飲み(귀밝이술 마시기 / クィバルギスル マシギ)
 テボルム当日の早朝に冷たい清酒を1杯ずつ飲む。クィバルギ酒を飲むと、今年1年間耳が良くなる、良い知らせだけを聞きながら過ごせるといわれる。
●プロム噛み(부럼 깨기 / プロムケギ)
 テボルムの早朝に「プロム」と呼ばれるピーナッツやクルミ、松の実、栗、銀杏などの固い殻のある実木の実をカリカリと音を立てて食べる。プロム噛みをすると、今年1年間吹き出物が出ない、皮膚疾患にかかることなく健康に過ごすことができ、また歯も丈夫になるといわれる。また、豆をカリカリ食べる音で鬼を追い払う意味もあるという。木の実は、自分の歳の数だけ食べる慣習となっていて、日本の節分の豆まきに似ている。
●五穀米の分け合い(오곡밥 나눠 먹기 / オゴクパプ ナノモッキ)
 テボルムの前日の夜に5種類の穀物(米・アワ・キビ・小豆・豆)で作った五穀米を、テボルムの当日に9種類のナムルを添えて近所の人と分け合って食べる風習があります。五穀米を分け合って食べると今年1年の運が良くなる、農作業をうまく営み、豊かな食卓になると信じられている。
●小豆粥(팥죽パッチュッg)
 韓国ではパッチュッ(小豆粥)を「冬至(동지dongjiトンジ)」とテボルムで食べる風習がある。パッチュッの小豆の赤色には鬼や悪いものを寄せ付けない効果があるといわれ、テボルムの前日に食べる。
●薬食(약식 yagsigヤッシッ)
 ヤッシッとは、もち米をハチミツ、ゴマ油、しょう油で味付けし、クリやナツメ、松の実などを混ぜて炊いた甘味のあるおこわのこと。ヤッパッ(薬飯)ともいう。薄く伸ばして四角に切り分け、おもちのように食べる。またテボルムにはヤッパッを炊き、カラスに捧げる風習も伝わっている。
●陳菜食(첸채식 chenchaesig チンチェシッ)
 チンチェシッ(陳菜食)またはムグンナムルは、テボルムの日に食べる野菜のナムル。晩秋にワラビやシイタケ、豆もやし、カボチャや茄子、大根の葉などの野菜を収穫して、冬のあいだ天日に干し、ナムルの準備をする。冬の間に落ちていた食欲を取り戻すために伝わってきた風習とされる。オゴッパッと一緒に食べると夏バテしない、1年間無事に過ごすことができるといわれている。
●タルジプ焼き(달집 태우기 / タルジプテウギ)
 「タルチッまたはタルジプ(月の家)」は稲藁や松の枝、薪を積み重ねた小屋に願い事を書いた紙をつるす。月の家を建てるためのわらや松の枝は、集落の若者が各戸を回って集める。村によっては、農楽隊が戸別訪問して、地神パッキ(地神踏み)をして家を祝福する。小正月の「タルチッ」に火をつける「タルチッテウギ」(タルジプテウギ)は、厄を払い福を招くといわれている。
 ダルジプの形状は、一般的に3つの棒を適当な間隔で立てトップを一つにまとめて囲み、屋根ふき材料として、わら、松の枝などで作る。タルジプの燃え方によって、その年の農作物の作柄を占う。タルジプが均等に燃えればその年は豊作、タルジプが燃え崩れた方向にある村は豊年、ダルジプがよく燃えないと、その年は飢饉になるなどと言われる。ダルジプには青竹を入れて焼き、盛大にバーンと大きな音で爆ぜれば、邪気を追い払うことができるという。
 タルジプ焼きの前には、祭壇に捧げられた料理を捧げ、ご先祖様にお祈りを捧げる。また、月見祭として「月の火だ、月の火だ。月を燃やすぞお~」「タルボアッター(月をみたぞー)」と叫びながらお辞儀をし、願い事をする。その後、たきぎ、わら、松の葉などを高くつみあげたタルジプを燃やす。農楽を演奏して焚き火の周りで踊る「カンガンスルレ」で遊ぶ所もある。
●穀物立竿(볏가릿대세우기 / ピョッカリッテ )
 テボルムに藁や松に麦、粟、稗、小豆、きびなどの穀物を包んで木の枝に結びつけたあと、井戸や庭に高く立てかけ、豊作を祈る。旧暦の正月1月15日に立てて、同じく旧暦の2月の初旬に下ろすまではそのままにしておく。垂れ幕に「農者国之大本(農業は国の大本)」などと書いて掲げる。
● 虫追い野焼き・火振り(쥐불놀이 チュイブルノリ)
 テボルムの前日、畑の畝や田んぼのあぜ道に藁を置いておき、日が暮れたらそれに一斉に火をつけて燃やす。田畑の雑草を燃やすことで害虫の被害を防ごうとするもので、四方で火がごうごうと燃える様は壮観。
 また、テボルムの晩には、火のついた箱を振り回し、ねずみがいなくなって、豊作になりますようにと祈る。
● 地神踏み(지신밟기/チシンパルギ)  地神踏みとは、正月テボルムに農楽隊が演奏しながら家々を回り、その土地を踏んで土地を守る地神に祈りをささげることで家庭と村の安泰を願う祭祀。昔の人は土地を踏むと地神がその場所に住む人たちに福を与え、見守ってくれると信じていた。農楽隊が土地を踏んでくれると家主はお酒と食べ物でもてなし、感謝の気持ちを伝える。
●「サジャノリ」
 獅子の仮面を被って街を練り歩く獅子舞い。
●綱引き(줄다리기/チュルタリギ )
 正月テボルムの月見が終わると、男女がチームに分かれて綱引きをする。綱引きの勝敗でその1年の豊作を占い、女性チームが勝つと豊作だという言い伝えがある。ユネスコは2015年、稲作文化圏におけるチュルタリギの伝統文化的価値を高く評価し、人類無形文化遺産に指定した。
●タプキョ(踏橋)、タリパルキ(橋ふみ)
 歳の数だけタリ(橋)を踏めば、その1年間は足の病気をせず、すべての災いが追い払われるだけでなく、福も呼び寄せるといわれる。タプキョ(踏橋)は、毎年陰暦小正月1月15日前後の3日間の夜間に行なわれる。
●カンガンスルレ
 カンガンスルレは韓国固有の伝統遊びで、女性が手をつないで丸く輪を作り、歌に合わせてぐるぐる回りながら踊る。伝統的にソルラル(旧暦1月1日)・テボルム(小正月)・端午(旧暦5月5日)、秋夕(旧暦8月15日)などの韓国の年中行事に行われ、もっとも大規模に行われるのが秋夕。稲作文化に由来するカンガンスルレは昔ながらの重要な風習で、踊りをたやすく覚えることができ、協調性・平等・友情が感じられる貴重な民俗芸術であるとして、ユネスコは2009年、人類文化遺産に登録した。
(この項、韓国国立博物館、韓国観光公社、ソウルナビの各WEBサイトなどによる)
厄を払い、1年の健康、1年の豊穣を祈願する
光州広域市南区チルソクドン 2015年02月28日~3月1日 広州南区ゴサウム遊びフェスティバル2015 光州南区ゴサウム遊びテーマパーク 市民、観光客  毎年小正月に光州南区七夕(オトドル)村では、「ゴサウム遊び(綱引き祭り)」が開催され、観光客が参加してにぎわう。1983年第1回ゴサウム遊びフェスティバルが開始され、光州広域市南区の代表的な郷土祭りとして定着した。
 ゴサウム遊びは村の人々がわらで作った男性を象徴する東部と女性を象徴する西部の二手に分かれて戦いを繰り広げる。女性を象徴する西部が勝てば、その年の豊作になるという俗説がある。和合の象徴であるゴサウム遊びを通して村の人々は、その年農業の豊作と村の平安を祈願し、村の人々の協働と団結心を高揚して粘り強い覇気と強い闘志を育てる。
 ゴサウム遊びは稲作中心の全南道などで広く行われた綱引きで、三韓時代から始まり、七夕オトドル村に脈々と受け継がれてきた。しかし、1910年の日本占領以降、民族文化抹殺政策により通常の民俗遊びと同様にタブー視されたが、1960年代半ばから村の青年有志が再現に関心をいだき、村の有志と村出身ヒャンオの依頼と献身的な協力を受けた民俗学界の助けを借りて、1967年から学術的体系化がなされて、1968年の伝統民俗遊びとして復元・再現されるようになった。
 村の人々の熱心な復元の努力に力を得て、1969年、200以上の村の住民が参加した第10回全国民俗芸術競演大会で最高賞の大統領賞を受賞し、ゴサウム遊びは1970年7月、国の重要無形文化財第33号に指定された。ゴサウム遊び保存会が発足し、文化の伝授と教育のために人間文化財と技能保有者が指定されて伝授館が1987年に完成した。

 ゴサウム遊び祭りは前夜祭でジュウィブル遊び、ダンサンジェ、農楽が開かれた後、正月デボルムナルでは風物遊びである凧、板跳び、縄跳びなどの伝統歳時民俗遊びと、ゴサウム遊びの綱引きが一緒に構成されて、観光客も一緒に参加して楽しむ。
 (出典韓国観光公社) http://korean.visitkorea.or.kr/kor/inut/where/festival/festival.jsp?cid=292950
その年農業の豊作と村の平安を祈願し、村の人々の協働と団結心を高揚して粘り強い覇気と強い闘志を育てる
韓国京畿道(キョンギド)竜仁(ヨンイン)市器興区民俗村路 2014年2月8日~16日 韓国民俗村한국민속촌小正月テボルム 特別イベント 2014 韓国民俗村内の公演会場 市民、観光客  イベントでは、テボルム(小正月)の伝統であるピーナッツやクルミ、松の実などの「プロム」といわれる固い木の実類を噛みながら1年の健康を祈る風習や、もち米や小豆、粟など5種類の穀物を一緒に炊いた「五穀米」を分け合って食べることができる。毎年、観覧客達に人気の「地神パッキ」という家を守る神にささげる祭祀を行った後にお酒とお餅を食べるイベントも行われる。
●イベント内容
北青獅子遊び(獅子舞)、チュルタギ(綱渡り)、地神パッキ、ビョカリッテ立て、タルジプ焼き、ポルム料理試食、クィバルギ酒&プロム、願い紙書きなど

 2016年の陰暦小正月(チョンウォルデポルム)は2月22日。韓国民俗村では、新年初の満月を祝うイベントとして、厄を払い一年の幸福と豊作を願う伝統行事「タリチャオルンダ」を2月13日から2月22日まで開催した。「タリチャオルンダ」とは、韓国語で月が上がっているという意味。韓国では、旧暦小正月の満月(新春最初の満月)は豊穣の象徴とされ、タルチッテウギの火で厄災を浄化するとされる。また、小正月は満月を愛でる月見の日でもあり、一年の健康、幸福と豊作を祈願する日となる。
<2016年の主な小正月伝統行事>
●タルチッテウギ(月の家燃やし、タルジプテウギともいう)
21日15:30から竹や松の枝、ワラなどを積み上げた家を燃やし、1年の幸福を祈念する。タルチッ(タルジプ)とは「月の家」、月が昇る東の方向に門を付ける、テウギは 「燃やす」。「タルジプ焼き」は、松の枝や竹を積んだ薪の山「タルジプ」に火をつける小正月を代表する年中行事。山積みの薪を燃やし、悪い運を追い出して豊作を願うという意味が込められている。願いを書いた紙を入れて一緒に燃やし、1年の健康や平和を祈願することもできる。
●チャンスン(村の守護神)婚礼式
20日15:30から、チャンスンによる婚礼を行い、招福を祈念する。「チャンスン」は村の守りとして建てられる男女一対の木像
●地神パッキ祭り
20日、21日13:40から農楽(ノンアッ)とともに地面を強く踏みしめることによって地神を鎮めて、悪霊などを追い払って、この1年の無事、村の安泰や豊作などを願う
●五穀米、クィパルギスル(酒)の分かち合い
22日15:00から。
●ピョッカリッテ(稲穂竿)立て
22日13:00から、わらに稲穂や穀物をつけた竿を立て豊作を祈る。
●橋渡り(踏橋)
20日、21日13:30から。その年の災いを払うよう祈りながら歩いて橋を渡る。
●そのほか、小正月が立春に近い場合は、立春のお札を書く行事も実施する。立春のお札は、立春の日に「立春大吉」、「建陽多慶」など福を願う文句を書いて扉や柱、壁などに貼るもの (この項出典韓国民俗村公式サイトなどによる)
 厄を払い一年の幸福と豊作を願う
京畿道竜仁市 2015年3月5日夜(旧暦1月15日) 天灯   市民、観光客  天灯は中国文化圏で旧小正月を祝う熱気球。住民たちは家内安全と豊作を祈り、カラフルな天灯を空高く飛ばした。 家内安全と豊作を祈る
韓国京畿道水原市 2015年3月1日 大綱引き「コジャビノリ」 市内の道路 市民、観光客  旧暦1月15日の小正月(今年は3月5日)を控え、京畿道水原市では1日午後、市民たちが地域の平和と豊作を祈り、大綱引き「コジャビノリ」を行った。 地域の平和と豊作を祈る
韓国ソウル市北村韓屋マウル 2015年12月19日 「厄運をはらう小正月、冬至」行事 北村文化センター 市民、観光客  「厄運をはらう小正月、冬至」行事は、ソウル市が開催する市民イベント。1年で太陽が最も短い冬至(12月22日)を控え、19日午前10時から午後5時まで北村文化センターで、邪鬼払いのパズル合わせや冬至(동지dongji)の道具製作のほか、小豆粥がふるまわれるなど、多彩な市民参加のイベントが行われた。
 冬至の道具製作では、邪鬼払いに使う小豆の袋や虎の形の表札、鵲虎図の掛け軸など福を祈って「辟邪」(邪鬼をはらうこと)の意味を込めた伝統工芸品も作った。最も多くの市民が参加したイベントは、2016年丙申年の新年を迎える大型鵲虎図のパズルゲーム。鵲虎図は、元旦に邪鬼が入ってくることを阻止するために家々の門と壁にかけるカササギと虎の絵で、市民が、ソウル市無形文化財の金萬熙(キム・マンヒ)民画匠が描いた鵲虎図パズルを合わせ、新年を祈願した。
邪鬼払い
韓国ソウル市陽川区 2015年3月1日 チュイブルノリ 安養川河川敷 市民、観光客  チュイブルノリとは、火の付いた棒を持って野原や畑を回りながらネズミや害虫を追い払う伝統的な火祭り行事。その年の豊作や健康を祈る。1日午後、旧暦1月15日の小正月(2015年は3月5日)を控え、市民たちが「チュイブルノリ」を行った。 ネズミや害虫を追い払い、その年の豊作や健康を祈る
韓国ソウル市 2002年2月24日 「ピョッカリッテ」 南山韓屋村(ナムサンハンオクマウル) 市民、観光客  この年はテボルムナル(陰暦の正月15日)が2月26日となった。ピョッカリッテは、農家で豊作を祈るために軒下に建てる。24日には、南山韓屋村で、稲、キビ、アワなどの穂を包んだ長い竿を立てた風習を再現するピョッカリッテ立てが行われ、ワラビ・キノコ・カボチャなどのテボルムナル・ナムル(野菜の浸し物)の展示会、五穀パプ(五種の雑穀が入ったご飯)作りの試演などテボルムナルを再現する行事が行われた。
 26日午後5時には北青獅子(プクチョンサジャ)ノルム(正月15日に獅子の仮面をかぶって演ずる行事)とサルプリ(厄払い)、タルジプテウギ(タルジプ焼き)の月見の時に、わら、松の葉、薪を小屋の形に積み上げたタルジプを燃やし、農楽を演奏して踊りながら村の悪神を追い払う行事が行われた。
豊作を祈り、村の悪神を追い払う
韓国ソウル市瑞草(ソチョ)区 2002年2月26日 テボルムナルの行事 清溪(チョンゲ)山ヘリポート 市民、観光客  26日午後5時30分からチプルノリなどテボルムナル(陰暦の正月15日)の行事を行い、午後8時から良才(ヤンジェ)洞の農協ハナロマート駐車場でタルジプテウギ行事が行われた。
 
韓国ソウル市 2002年2月26日 テボルム民俗遊び 石村(ソクチョン)湖水近くに位置するソウルノリマダン 市民、観光客  25日午後5時から風物演奏(チャンゴ、プク、ケンガリ、チンの4つの楽器を使い、韓国特有のリズムを叩き表現する伝統芸能)、地神パッキ(農楽によって地神を慰め1年の家族の無事を祈る)、タルジプテウギ、京畿(キョンギ)民謡など伝統の民族遊びが行われた。
地神を慰め1年の家族の無事を祈る
韓国ソウル市 2003年2月15日 「オルス!(いいぞ!)月が昇る」テボルム祝祭 ソウル市・牛眠(ウミョン)山のふもとに位置する国立国楽院礼楽堂と広場 市民、観光客  15日午後5時から踏橋やタルジプテウギ(タルジプ焼き。月見の時にわら、松の葉、薪を小屋の形に積み上げたものを燃やし、村の悪神を追い出す意味がある)など、災厄を払い一年の豊饒を願ったテボルムの歳時風俗を公演した。
 1部では国立国楽院舞踊団がノッタリパルギ(慶尚(キョンサン)南道の安東(アンドン)や義城(ウィソン)地方などで陰暦の正月15日の夜に行われる女性の民族遊戯)を再現した。
 2部ではソンソリ(立唱)サンタリョン(山節)と南道(ナムド)民謡、時調唱、河回(ハフェ)別神(ピョルシン)グッ(巫俗信仰の儀式)仮面劇の他、踏橋遊戯を披露した。
 3部は出演者と観客の全員が広場に集まってタルジプテウギとカンガンスルレ(全羅(チョルラ)南道地方の伝統的な踊り)を行った。大勢の女性が円陣を組んで「カンガンスルレ」と歌いながらぐるぐると情熱的に踊り舞った。旧正月にロビーに設置された一年の計や願いを紙に書いた「福結び」をタルジプと共に燃やした。
災厄を払い一年の豊饒を願う
韓国ソウル市 2014年2月14日 「月の光あふれる小正月」 南山韓屋村 市民、観光客  テボルム(陰暦1月15日、小正月)である14日人々はどんと焼きをして今年1年の健康や家内安全を祈った。 (朝鮮日報日本語版) 今年1年の健康や家内安全
韓国京畿道始興市 2016年2月22日 小正月ダルジプ燃きで不良債権を焼却するイベント 始興ゲトゴル生態公園の芝生広場 始興市、ジュビリー銀行と500人の始興市民  京畿道・始興市とジュビリー銀行は2016小正月ダルジプ燃やす"のイベントで500人の始興市民と一緒に不良債権を焼却するイベントを開催し、約3億ウォンの不良債権をダルジプに乗せて帳消しとして、生計型債務者の新しい出発を支援した。
始興市とジュビリー銀行は、2015年12月に借金帳消しプロジェクトの業務協約を締結した。この日の小正月行事には始興市長とジュビリー銀行役員らが参加した。始興市が今回焼却した債権の規模は3億1000万ウォン相当として、ジュビリー銀行が始興市の職員が集めた寄付と始興市褒賞金の合計310万ウォンで購入した。また、借金帳消しプロジェクトの趣旨に共感した管内 の貸付け金業者が420万ウォン相当の不良債権を寄付した。
今回の債券焼却で債務救済を受けるのは14人、新しい出発の機会を与えられた。始興市の関係者は、「今回の焼却イベントは小正月を迎えて浄化を象徴する韓国固有の伝統行事のダルジプ燃きの楽しさにのせて、市民の招福の意味を再確認する」と語っているという。市は今後も負債の帳消しプロジェクトを継続的に展開していく予定だという。
 ジュビリー銀行は、今回のタルジプ焼き行事まで合計3900人の債務元利金約1400億ウォンを帳消しにしており、城南市、恩平区、光山区、ソウル市と全羅南道など地方自治団体と業務協約を締結して債務長期延滞者の借金帳消しと回復を助けてきたという。(この項ヘラルド経済デジタルニュース、)
債務長期延滞者の借金帳消しと回復を支援
韓国釜山市 2013年2月24日 テボルム(小正月)伝統行事タルジプ焼き ヘウンデ海水浴場の砂浜 市民、観光客  テボルム(陰暦1月15日、小正月)である24日、全国各地で焚き火をしたり、チュルダリギ(綱引き)をしたりするなどの行事が行われた。釜山のヘウンデ海水浴場の砂浜で行われた焚き火の行事では、市民や観光客が空高く燃える大型の焚き火を見上げながら今年1年の豊穣と安寧を祈願した。2010年には2月28日に行われ、20万人の参加者がそれぞれの願い事をした。(中央日報日本語版)
2019年は旧暦小正月の2月19日、釜山海雲台区松亭海水浴場で行われたダルジプ焼き行事で爆発事故が発生し、3人が負傷した。釜山消防本部によると、この日の午後5時44分ごろ、「ダルジプ」に火をつけようとした瞬間、爆発が起き、イベント関係者2人が顔にやけどを負った。他のイベントの関係者1人の事故の瞬間倒れ失神した。消防当局はダルジプを燃やすために置かれていた可燃性物質の一部が気化、爆発したと推定し火災経緯を調べている。
この日、全国の小正月行事場所260場所でジュウィブル遊びやダルジプ焼き、風燈飛ばし行事などが行われた。(出典news.chosun.com)
今年1年の豊穣と安寧を祈願
韓国慶尚南道昌寧郡霊山面(キョンサンナムド・チャンニョングン・ヨンサンミョン) 2012年3月3日午後 テボルム(小正月)伝統行事「霊山の網引き」 霊山面 市民、観光客  「霊山の網引き」は重要無形文化財26号に指定されている小正月と前後して行われていた農耕祭。現在は抗日精神を称える三一文化財行事として行われている。
綱引きは村を男性と女性を象徴する東軍と西軍に分かれて競い、その年の豊凶を占う。女性である西軍が勝つと豊年になると伝えられている。
綱引きは雌綱と雄綱の丸い輪を連結して始まる。この儀式は、多産を祈る農耕社会の風習とされる。(出典中央日報日本語版)
この1年の豊凶を占い、多産を祈願
韓国청도(清道郡) 2022年2月15日(予定) テボルム(小正月)タルジプ焼き 民俗ハンマダン 市民、観光客  清道(チョンド)郡の旧暦小正月テボルムの伝統行事청도 달집태우기(タルジプ焼き、月の家焼き)は全国最大の規模を誇る。コロナ禍の余波で「清道달집태우기(タルジブ焼き)」行事は中止となった。今年で4年連続して見られなくなった。
 清道郡によると、2月15日の正月大満月に合わせて開催予定だった民俗ハンマダン(広場)行事を全面取り消した。清道では、他の地域と同様に、正月大満の夜に松の木の枝(ソルガジ)を集めて作った月の家を燃やす風習が伝わっている。月の家造り伝承保存会は、500人を動員して全国最大規模の高さ20m、幅15m、重さ250tに達するタルジプ(月の家)を作ってきた。群民と観光客は「農業の豊作と家族の健康」を願ってきた。会場周辺では花火大会や伝統食のもてなしが繰り広げられるのが慣例だった。会場に訪れる観光客が数千人に達するほどだった。2019年には口蹄疫、2020年からは新種コロナウイルス感染症事態で行事が取り消され、4年間イベントを開くことができなくなった。
 これまでのデボルム祭礼では、初めにたいまつを持って丘に上り大満月の月見を行い、月の出にそれぞれがこの1年の豊作や幸せを願う。次にタルジプ(月の家)の周りで住民が農楽を鳴らして楽しく踊り、遊ぶ。タルジプがよく燃えれば村が太平で豊作になると言われ、万が一、タルジプの火が途中で消えたり、よく燃えなければ村に農業が凶年になると言われている。タルジプの火力が収まれば子供たちが鉄板で豆を炒めて食べたり、乗り残った炭を持って屋根に乗せておくと男の子を産むとも言われている。
 小正月行事の関連で行われる清道の綱引きは、規模が途方もなく、長年の伝統を持っている。老若男女の村人が山東と山西地方に別れて綱を引き合い、その年の吉凶を占う民俗遊び。過去には総10万段のわらを1千2百人余りが5日間動員されて、製作した綱の直径は1mを超え、長さは170mとなり、2万5千人の群民が参加して、綱引きを競った。(この項:慶北新聞WEB版など)
農業の豊作と家族の健康を祈願
韓国済州特別自治道済州市愛越邑 2023年2月9日から4日間 済州野火祭り(주들불축제) セビョルオルム 市民、観光客  済州野火祭りは、済州市が主催し、済州道内の中山間部の牧場地帯で農作物に被害を与える害虫を取り除くために、村ごとに野焼きをした昔の牧畜文化である「防愛」を現代的な感覚に合わせて再現した文化観光まつり。セビョルオルム一帯を燃やして、豊かさと発展を祈願する。オルム(오름)とは済州島の漢拏山(ハンラサン)の噴火に伴ってできた寄生火山で、小高い丘のような形状をしている。
 初日は済州市三星血で野火の火種採火祭礼を皮切りに、2日目には、セビョルオルム一帯で邑・面・洞の綱引きなどの伝統文化競演と済州道内の文化芸術家が参加する公演、豊かさと発展を祈願する希望祈願祭が開かれる。また、野火の火種点火とたいまつの大行進、月餅を燃やす行事が続く。馬上馬術公演場では馬上馬術公演と済州道無形文化財である済州農謡公演がある。  3日目には野火祭りのハイライトであるオルムの点火と上り火、花火饗宴が行われる。最終日には苗木配布、農水畜産物割引イベント、道民歌合戦などがある。祭り期間中は、祭り歴史館、リサイクル物資の分かち合い場、地域農特産物販売、郷土飲食のフードトラックなどが提供される。
 2023年の野火祭りは「希望を抱いた済州野火、世界を照らす」というテーマで開催されたが、空気乾燥による山火事警報が出されたため、オルムの点火、花火饗宴が取り消された。(出典:済州日報インターネット電子新聞)
地域の豊かさと発展を祈願する

  【台湾】

地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
台湾
台湾 2019年2月19日 元宵節 全国 市民、観光客 台湾では、旧暦1月15日に当たる19日、「元宵節」で旧正月(春節)を締めくくる行事が各地で行われる。ランタンフェスティバルをはじめとした多彩なイベントが大勢の人出でにぎわった。
◆台北市「台北ランタンフェスティバル」(台北灯会)
2月16日に開幕。西門町から北門、台北駅そばの広場まで会場一帯をさまざまなランタンが掲げられた。開幕式では台北メトロ(MRT)西門駅前に設置されたメーン作品が点灯され、干支のブタをモチーフにしたランタンがデジタル映像技術で披露された。最終日の24日午後にはパレードが催される。開園35周年を迎えた東京ディズニーリゾートが参加予定で、ディズニーキャラクターがパレードにお目見えするという。
◆新北市平渓「新北市平渓天灯祭り」(天灯節)
火をともしたランタンを空に飛ばす伝統行事が行われた。19日には干支にちなんだブタ型のランタンが飛ばされた。
◆高雄市「ランタンフェスティバル」
9日から始まった。16日には「国際の夜」と題して、熊本県のキャラクター「くまモン」が登場したほか、友好交流協定を結んでいる八王子市も参加した。(この項出典:「フォーカス台湾」など)
一年の無病息災を祈る
台湾 2021年2月26日元宵節 元宵節5大傳統習俗「北天燈」、「南蜂炮」、「東寒單」、「西乞龜」、「中火旁龍」 全国 市民、観光客 妞新聞 www.niusnews.com、によると、台湾の元宵節で必ず訪れるべき5つの傳統習俗として「北の天燈」、「南の蜂炮」、「東の寒單」、「西の乞龜」、「中の𪹚龍」をあげた。いずれも火花が飛び交う魅力的かつ刺激的(危険)な行事である。
 #「北天燈」
 「平渓天燈節 」は、新北市の平渓で開催される。人里離れた山間部の村人たちが天燈を打ち上げて村の平安を伝達したことに由来する。夜空に無数のランタンが放たれ、台湾各地で行われる元宵節の中で最も美しい祭りとして人気がある。
 #「南蜂炮」
 「鹽水蜂砲」は、台南市鹽水區武廟路で元宵節の夜に開催される。蜂が巣から飛び出したかのような過激な蜂炮(ロケット花火)と爆竹が激しく飛び交う祭り。清朝時代に大流行した疫病を終息させる奇跡を祈るために、鹽水の人々が爆竹を鳴らしたことに由来する。観客もロケット花火を浴び、1年間の無病息災を祈る。火傷を防ぐためフルフェイスのヘルメットを被り、綿の分厚いジャンパーと手袋を着用。首にはタオルを巻き、完全防備で足踏みしながら火を浴びる。
 #「東寒單」
  「炮炸寒單爺」(台東砲節)は台東県台東市で約50年の歴史を持つ。この祭りの主役である「寒單爺」は現在「玄武堂」に祀られる「武財神」(または富貴の神)であると言われている。非常に寒がりだったこの「寒單爺」に、爆竹を投げつけて体を温めてあげた事が祭りの由来と語り継がれている。旧暦1月15日の元宵節から16日にかけて「寒單爺」の「巡行」が行われる。毎年勇気ある20歳以上の男性が赤いショートパンツだけの裸に黄色の顔面目出しマスク、頭部を赤布で保護した「肉身寒單爺」に扮して街に繰り出す。この寒單爺へ向けて、民家や商店の人々が竹竿に巻き付けた爆竹を投げつける。爆竹が多いほど財運が良くなり、厄を払うと言われる。
 #「西乞龜」
  「澎湖乞龜」は澎湖県各地で元宵節に開催される。その昔、澎湖では住民のほとんどが海で生計を立てていたため、亀は自然に海の使者となり、長寿と幸運の吉兆となった。澎湖ではこの亀によって平安祈願を行う事が習慣とされ、元宵節では「もち米」「麦芽糖」「砂糖」などを使い、「肪片龜」という亀のお供えを作って廟に供えます。その後、筊(神様と会話をする為の三日月形の神具)を使い、お供えを家に持ち帰ると1年間幸運が続くと言われる。各地の広場では亀のオブジェが陳列され、観光客で賑わう。
 #「中𪹚龍」
 「苗栗𪹚龍(パンロン)」(𪹚の字は「火+旁」)は苗栗県苗栗市で開催される客家(はっか)村の十二大祭りの一つで、客家族の伝統文化イベント。また台湾龍舞を代表する祭り。 祭りには、「龍」、「点睛」、「迎え龍」、「馬上龍」、「炉上龍」、「変身龍」の6つのステップがある。 1989年から毎年開催されている苗栗𪹚龍シリーズイベントは、全国の注目を集め、世界的にも知られるようになった。人々に平和と幸運と豊作をもたらすために「𪹚龍」は爆竹を使って舞い踊る龍を爆破することです。爆竹とロケット花火を使ってドラゴンを爆破し、この一年の悪を排除する(古いものを取り除く)。
   (この項出典: 妞新聞 www.niusnews.comなど)
一年の無病息災や幸運を祈る
台湾台北市內湖區、士林区 2023年2月5日 夜弄土地公(Yenong Digong) 全国 市民、観光客 「夜弄土地公」は、旧暦1月15日の「元宵節」の夜(午後6時以降)に、土地公(地神)像が街中を巡行し、人々にこの1年の幸運をもたらす台北市内湖区と士林区で100 年間続く伝統的行事。
 農曆正月十五元宵節に土地公の石像が神輿に乗せられ、白いショートパンツだけの裸姿の輿担ぎにより街中を巡行する。沿道の商店では大量の爆竹を土地公に放って迎える。爆竹が爆発するほど商売が繁盛し幸運が訪れると言われ、街なかは轟音と火花で戦場のようになる。爆竹が終わると、店員は地神像の金紙や、爆竹の灰や粉を「富」を掃き出し、これらは縁起物として非常に人気が高いという。(この項台湾文民https://www.taiwanfolk.com/ceremony/、维基百科など)
一年の商売繁盛と幸運を祈る
台湾南部・台南市塩水区盬水鎮 2019年2月18~19日夜 奇祭「塩水ロケット花火祭り」(塩水蜂炮) 地区内 市民、海外から訪れた観光客 「塩水蜂炮」では、18日から19日まで2日2晩にわたって300万発以上、爆竹はその10倍以上が2日間鳴り響く。台湾を代表する過激で有名な180年以上も続く伝統的な元宵節行事。台南市政府観光旅遊局、塩水武廟が主催し、危険な世界三大民俗祭りの一つと言われる(その他は日本諏訪御柱祭り、スペイン牛追い祭り)。台湾では「平溪の天灯」と並び、「北の天灯,南の蜂炮」と並び称される。
街では至る所の店や家の前などに砲台が設置され、爆竹が火を放つ。ロケット花火は会場が指定されている。参加者はフルフェイスのヘルメットに厚手の防護服を着て、ジャンプしたり足踏みしながら、ロケット花火の火花を直接体に浴びて、悪魔払いと一年の無病息災を祈る。例年ケガ人が続出するが、行事の伝統が守られている。
「塩水蜂炮」の起源は、1885年の7、8月にまで遡る。当時、塩水街でコレラが大流行した時に、医療が未発達であったため、多くの人々が亡くなり街はパニックに陥った。そこで人々が関帝聖君に救いを求めたところ、関帝聖君は、元宵節の夜に周倉将軍を先導に、自ら神輿に乗り込んで信者らを従え、爆竹を鳴らしながら夜が明けるまで街中を巡回して、厄除けを行いました。その後、後代の人々は毎年恒例の行事として、元宵節の夜に関聖帝君を迎え街中を巡回するようになったのが、この行事の起こりだと言い伝えられている。
「塩水蜂炮」は郊外の巡礼から始まり、完全武装した神輿と神輿を担ぐ人たちが夜、街を練り歩く。この神輿集団を何万もの民衆と観客が見守る。神輿集団が店や家の前を通りかかると、当番が大小の砲台(砲城ともいう)を路上に運び出し、一斉に火を放つ。何万ものロケット花火が放たれるので、耳をつんざくような大爆音とともに、火の粉が至るところに飛んでいく。その光景は、大変迫力があり刺激的。国内はもちろん、海外からも多くの観光客を惹きつけ、ロケット花火の攻撃を受けに訪れている。 (この項出典:台湾観光局https://jp.taiwan.net.tw/、鹽水蜂炮.comなど)
悪魔払いと一年の無病息災を祈る
台湾北部・新北市平渓 2013年2月17日 平渓国際天灯節(スカイランタン・フェスティバル)ランタン打ち上げ大会 平渓中学校校庭 市民、海外から訪れた観光客  平渓国際天灯節(スカイランタン・フェスティバル)は、新北市政府が主催し、台湾の旧正月(春節)名物のランタンを空高く打ち上げる行事。天灯節では、表に願い事を書いた高さ1メートル余りの紙風船型ランタン(天燈)を熱気球の要領で夜空に飛ばす。会場ではバンド演奏が行われ、ランタンが10回に分けて空高く放たれた。
天灯は孔明灯との別名を持つ。中国三国時代の諸葛亮によって発明されたとの言い伝えがあり、当初は軍事通信用の道具として使われていたという。烽火台(のろし)とは異なり、天灯は熱気球の元祖と言われ、清朝の道光年代に台湾に導入された。毎年、元宵節は、田畑を耕す準備を始める目安とされていたため、農民は一年の願いを込めて天灯を空に放つようになった。昔の農家では、力仕事の任せられる男の子を望んでいましたので、廟でもよく「早生貴子(早く子供ができますように)」や「五穀豊收(実り多くありますように)」という祈願の言葉を天灯に書いて放す行事が行われた。台湾語で男の子は「添丁」といい、その発音が「天灯」と似ていたことから、後にこの行事は、「天灯」と呼ばれるようになったという。当初は、天灯を風にのせて飛ばし、先祖様に平穏無事を告げてご加護を祈っていた天灯でしたが、次第に、元宵節の行事として平渓地方に根付くようになった。
 この日は2013年の2回目の開催。目玉は高さ6メートルの巨大モザイク・ランタン。事前に市民や海外から訪れた観光客が色つきの紙に恋愛成就や商売繁盛などの願い事を書いたものを1632枚貼り合わせて作り、「我愛台湾」(私は台湾を愛す)の文字を浮かび上がらせた。このイベントには馬英九・総統と朱立倫・新北市長が参加し、景気回復や地方振興の願いも込めてランタンを上げた。
 このほか、何百ものランタンが夜空いっぱいに打ち上げられた。
 平渓のランタン祭りは台湾の春節行事として国際的に知名度が高く、ディスカバリーチャンネルでは世界第2の祭典として取り上げられたことがある。また、米CNNのトラベルサイトでは2013年のおすすめ世界観光イベント52の1つに選ばれたという。
(この項出典「フォーカス台湾」、台湾観光局jp.taiwan.net.twなどによる)
恋愛成就や商売繁盛。景気回復や地方振興を願う

  【中国】

地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
中国
中国各地 2015年2月19日~3月5日 旧暦正月の春節と元宵節 中国各地 市民、海外から訪れた観光客  中国では年初に正月を2度祝っている。新暦1月1日の新正月と、旧暦正月の春節(しゅんせつ、中国語: 春节 拼音: Chūnjié チュンチエ)を祝う。しかし、その2つの祝日としての重みは全く違う。新正月は1月1日だけ休日で、簡単に済ませる一方、正月として盛大に祝うのは春節である。春節とは中国の三大節句(春節・端午節・中秋節)のひとつで、旧暦の元旦(旧正月)のこと。2015年には2月18日、旧暦の大晦日を迎え、春節連休に入った。中国各地では旧正月を迎え、獅子舞や龍舞とともに年越しを祝って花火や爆竹を打ち鳴らし、今年1年の無病息災、農村部では五穀豊穣を祈る。
 爆竹鳴らしは「魔よけ」や「神を迎える」などの意味を持つ中国の伝統行事。近年は大気汚染防止の対策で、規制が強化されているが、都市部では大気汚染物質PM2.5の濃度が急上昇しているため、花火、爆竹の使用が制限され、静かな春節となっている。公安部(公安省)治安管理局のまとめによると、花火・爆竹の使用を禁止しているのは138都市、制限しているのは536都市に上る。
 上海では2015年の旧正月を祝うため、18日午後11時ごろから爆竹や花火が打ち上げられた。市民は「爆竹などを鳴らさないと、新年の雰囲気が出ません」と話した。

 春節の大晦日は、実家の親元へ帰省し、一家そろってごちそうを食べる慣習がある。これを「団圓飯」(トゥアンユェンファン)と呼んでいる。元日には東北部の地方では「年越し餃子(更歳餃子)」を作り、水餃子にして食べる。春節で餃子を食べて「金運に恵まれますように」と縁起を担ぐ風習があるという。南部の地方では餅(年糕ニェンガオ)を食べるのが一般的だとされる。子供にはお年玉(圧岁銭/ヤースイチェン)が渡される。
  新年の挨拶は、通常「新年快楽(シンニェンカイラァ)」と言いかわすが、旧正月時には「春節快楽(チュンジェカイラァ)」、干支に合わせて「鶏年快楽(ジーニェンカイラァ)」(2017年の場合)などとも挨拶を交わす。
 「元宵節(げんしょうせつ)」で新年行事のフィナーレを迎え、日常生活に戻る。中国の多くの家庭で、春節から旧暦正月15日の元宵節にかけて、赤い灯籠を掲げる。大きな灯籠は「繁栄と幸運」を意味し、赤は「福を招くおめでたい色」とされている。また、実を付けた金柑の木を、玄関や店頭などに飾り、枝に「紅包(ホンパオ)」という赤いご祝儀袋を下げる。「金柑」は「吉祥と富をもたらす縁起のいい木」とされている。玄関や部屋の壁に「福」の文字を書いた赤い紙を逆さにして貼るのも中国の昔からの風習。中国語で逆さを意味する「到(いたる)」とかけて、逆さにすると「天から福が落ちてくる、福にいたる」というまじないの印となる。
 中国では、旧暦の最初の月「元月」の15日を「元宵節」と呼んで慶祝する。日本の小正月にあたる。伝統的な旧正月の定義の最後の日である。「元宵節」の夜はその年の最初の満月が上がり、大地に春がよみがえる晩とされる。月を崇拝し、賞賛する日であり、春の到来を象徴している。また、元宵節は『上元節』とも呼ばれる。
 「元宵節」には、アン入りの甘い団子「湯圓」(タンユェン)を食べるのが通例である。
 中国では大晦日の夜から元日の未明にかけて、爆竹や花火で新年を祝うが、元宵節には飾り灯籠を家々の軒先や街頭に掲げて、龍舞、獅子舞などで春の到来を祝うのが漢朝時代からの伝統と言われる。近年では「天燈」という紙製の熱気球を空にあげて楽しむ「スカイ・ランターン・フェスティバル」も盛んになっていて、観光行事となっている。
春の到来を祝い、一年の無病息災や「魔よけ」を行う
(出典人民網日本語版、NOWnews.com/今日新聞網など)
中国雲南省・四川省 農暦(太陰暦)6月24,25日(グレゴリオ暦の7月末~8月上旬ごろ) 彝(イ)族火把節(たいまつ祭)新年祭 雲南・四川省のイ族自治州などの村々 住民と観光客ら  火把節(フゥオバチェ)は、太陰暦の6月24日から6月25日(グレゴリオ暦の概ね7月末から8月)の2日間、雲南省、貴州省、四川省の彝(イ)族の新年の平安と五穀豊穣、農業繁栄を願って開催される伝統的な火祭り。イ族の伝統文化の象徴であり、伝統の中で最も重要で壮大な祭礼である。元々はイ族の10月太陽暦の行事であり、1000年以上の歴史があると信じられている。火把節は「星回節」とも呼ばれ、イ族の十月太陽暦の新年祭に相当する。地域によっては太陰暦2月3日に開催される。
なかでも、雲南省の楚雄イ族自治州は、毎年恒例の新年火祭りの最も壮大な規模で行われる地域であり、2005年には「中国楚雄イ族火把節」が中国の国家級非物質(無形)文化遺産保護リストに掲載された。
 火把節の起源についてはさまざまな伝説があるが、その中で広く普及しているのは、イ族の若い英雄が神々や悪魔と戦い、悪や農業災害に対して人々を団結させる物語。また、火に対する自然崇拝と関係が深く、その目的は、たいまつの火を使って害虫を追い出し、作物の成長を保護することにあるとされるが、悪霊との戦いにおける人々の勝利を記念する祭りとも考えられている。
 火把節の主な活動は前夜祭から通常3日間で、集落の人々が新年を祈るために松明に火を灯したり、家や身の回りの汚物を片付けて幸運を祈ったり、焚き火を燃やして壮大な歌や踊りを楽しむ。集落の家々では祭礼を前に食べ物を準備し、お祭りでは、歌ったり飲んだりする。
 初日は火に出会うことを意味する「都载(ドゥザイ)」。この日、村では牛、羊や豚を屠殺し、火神、祖先に酒と肉で挨拶し、崇拝する。女性はそばや米麺を作り、村外に出ている人々は家に帰ってきて、家族と自家製酒を飲み、イ族の伝統料理である坨坨肉(トゥオトゥオ肉)を食べ、幸せを分かち合う。夜になると、近隣の村の人々がお年寄りが選んだ場所に祭壇を設置し、伝統的な方法で火打ち石を打ち、聖火を灯し、毕摩(ビモ=祭司)が経を唱えて聖火を讃える。どの家でも老人がヨモギの棒で作った松明を灯し、子供や孫が家の隅々まで照らしてから、田畑などで「たいまつの火で病気や災害を追い払ってください」と唱えて回る。 
   2日目は、火を唱えて詠唱する「都格(トゥジ)」で、夜明け直前、男性、女性、子供たちがお祭りの衣装を着て、調理されたトゥオトゥオの肉とそばパンを持ってきて、祭壇の聖火の下に集まり、さまざまな伝統的なお祭り、競馬、格闘、歌、美人コンテスト、棒のぼり、射撃、闘牛、闘鶏などを楽しむ。若い女性たちは美しい服を着て「朵洛荷(ドロホ)」を踊る。この日は男女が愛を告白するときでもあり、东方的情人节(バレンタインデー)とも言われる。
 3日目の行事、イ語で「朵哈(ドーハ)」、「都沙(トゥシャ)」と呼ばれ、火を送ることを意味し、たいまつ祭り全体が終了する。日暮れとともに火神にいけにえを捧げた後、村の住民が火をつけた松明を持って、広場の祭壇に集まり、世界に豊作と喜びを与えるように祈る。松の木が積み上げられた櫓に点火されると、人々は松明を持って踊り、「疫病を燃やし、飢えを燃やし、病魔を燃やし、そして幸せな収穫の年をください」と祝福を唱え、「家の平安と五谷丰登(五穀豊穣)、6種の家畜(牛、豚、羊、馬、鶏、犬)の繁栄と農業繁栄」を祈る。【"烧死瘟疫,烧死饥饿,烧死病魔,烧出安乐丰收年"以祈求家宅平安、五谷丰登、六畜兴旺】祭りの大きな焚き火で悪霊と病神も焼かれ、全員が団結して自然災害から共同で防御したことを示しているという。
 祭礼では、乾いた松の木で大きな松明が村の広場に建てられ、各家の前には小さな松明が建てられ、夜に火が灯される。たいまつ祭りの夜には若い男女が松明を持って村内を行進する。村の境界や田畑の隅に松明を建て、遠くから見ると、たいまつの火が竜のように曲がりくねり波打ち、感動的な光景となる。
(この項出典:中華人民共和国文化部外联局「中国無形文化遺産」 https://web.archive.org/web/20131019120518/http://www.chinaculture.org/gb/cn_whyc/2006-10/19/content_87197.htm、云南省文化和旅游厅など )
 病魔や飢餓をなくし、幸せな収穫の年を祝福し、「家の平安、五穀豊穣、農業繁栄」を祈る。
中国雲南省弥勒県の紅萬村 太陰暦2月3日(グレゴリオ暦の3月初めごろ) 彝(イ)族阿细祭火節(たいまつ祭) 村内の各地と広場の祭壇 住民と観光客ら  阿细(アシ)族は彝(イ)族系の少数民族。阿细の祭火節は火の神にこの1年の収穫と良い暮らしを願う古代からの伝統行事。村の若い男たちが、大地を表す5色の絵の具で鮮やかなボディペインティングを施し、腰をシュロの葉や樹皮などで覆い、頭はさまざまな雑草、作物、野生の果物で飾りった古代人を模倣した姿で神火の周りを乱舞する。
 火祭りの早朝、アシの女たちは来客のために酒や肉料理を準備し、古い火を消し、灰を取り除いて祭りの準備する。午後になると、祭司である畢摩(ビモ)ほか村の長老の指導の下、犠牲式が行われる。ビモは祭壇で聖典を唱え、火種を起こす。この火種から松明に火を付け、無病息災を祈って村を一周する。村の広場まで戻ると、かがり火をたき、ボディペインティングの男たちは火の回りを乱舞して夜を過ごす。紅萬村(ホンワン)村では、火に犠牲を捧げる古代の習慣はまだ比較的損なわれておらず、人類学を研究するための生きた化石になっているという。2006年に紅萬村祭火節は雲南省無形文化遺産リストに記載された。
(出典:雲南省旅游局、昆明信息港 https://m.kunming.cn/news/c/2016-03-12/4198943.shtml、中國旅遊https://www.travphotos.com/など)
 1年の収穫と良い暮らしを願う
中国・内モンゴル自治区フルンボイル市オロチョン自治旗(Oroqen Autonomous Banner) 毎年6月18日 かがり火祭り 村内の広場の祭壇 住民と観光客  「かがり火祭り」はオロチョン族の伝統行事。本来は嬉しいことやめでたいことがあると、かがり火を焚いて夜中まで歌い踊るという火の神を祀る行事が発展したものであると言われている。祭礼では族長が祭壇で薬草の葉で酒を振りかけながら祈祷をしたあと、オロチョン族の人たちとかがり火に点火した。
オロチョン族は消滅が危ぶまれる中国の三少少数民族(オロチョン族、ダウール族、エベンキ族)の一つ。人口は1万人にも満たず、現在は中国の東北地区に居住している。
(出典:CNS=China News Service、AFPBBNews日本語版)
  
中国福建省莆田(Putian)市 2019年2月23日 上刀梯下火海 莆禧(Puxi)古城 住民と観光客   「上刀梯下火海」は高いはしごに上り、焚き火を飛び越える伝統行事。莆田市で元宵節に行われ、新年の幸福を祈願する。はしごの階段は刀剣でできており、このはしごを登り、火の海を飛び越えることは、古代に倭寇(日本の海賊)と戦った人々の勇気を表しているといわれている。頭巾をかぶり、刃のついた輿を担いだ若者たちが次々と焚き火を飛び越え、新年の景気や健康などを祈った。
莆田の元宵節の祭り行事は旧暦正月6日から2月2日まで、国内最長のまつりと言われている。(出典:中国新闻网news.sina.com.cn)
 新年の幸福、景気や健康などを祈る
中国香港 2015年2月19日(旧暦元日・春節) 2015 キャセイパシフィック 旧正月インターナショナル・ナイト・パレード 九龍半島のチムサアチョイの目抜き通りなど各地 市民、海外から訪れた観光客  イベントは香港政府観光局が開催し、1996年の開始以来、人気の一大観光イベントに成長した。2015年は国内外から34のライトアップされた山車やパフォーマー団体が参加し、目抜き通りをパレードする。
 日本からは、沖縄観光コンベンションビューローが沖縄の伝統芸能であるエイサーの創作演出と琉球王朝時代に執り行われていた古式行列を組み合わせたパフォーマンス「沖縄元気太鼓舞EISA」を行う。
 観光局では、サプライズプレゼントとして、旧正月の最初の7日間(2月19~25日)に香港国際空港に到着した観光客29万8888名に、フェリー乗船券やトラム乗車券を含む観光施設、お土産などのお年玉クーポンをプレゼント。また、パレード沿道の9万8888名に、Maximのケーキ30香港ドル分の金券やスナック菓子をプレゼントする。
旧暦正月を祝う
中国上海市 2016年の春節~元宵節 元宵節の花火、爆竹を条例で禁止 市中心部 市民   中国で元宵節は新年行事のフィナーレを飾る日として、邪気払いとなる花火や爆竹鳴らしが欠かせないイベントだった。その中で大気汚染や騒音問題の悪化により、中国上海市では2016年から春節以来、条例で元宵節の花火も爆竹も“ご法度”となった。
 上海市では、8日の春節(旧正月)を前に、花火や爆竹を市中心部で禁じる条例が施行され、条例に違反した住民らには、最大で500元(約8900円)の罰金が科せられるという。また、市内の集合住宅では住民に対し、「花火や爆竹はしません」と署名させる動きが広がった。
 旧暦の大みそかとなる2月7日から、警察官や地元ボランティアら計30万人態勢で監視にあたった。元宵節前日の21日には、上海の住宅街では、警官らが監視の目を光らせて、「花火や爆竹を見たら聞いたら警察に通報するよう呼びかけたという。
大気汚染や騒音を防止するため花火、爆竹を禁止
中国浙江省舟山市 2015年3月5日 元宵節の祝賀イベント 市内各地 市民  元宵節は中国の伝統的な旧暦小正月の祝日に当たる。全国各地の人々は様々なイベントを行い、これを祝う。
 浙江省舟山市では、住民16チームが龍舞、獅子舞、ヤンコ踊りなど多彩な民俗芸能を披露した。龍舞や獅子舞は地元の人々にとって、縁起の良い踊り。この1年の天候の順調と五穀豊穣を祈る。
 (中国国際放送日本語版等による)
1年の天候の順調と五穀豊穣を祈る
中国陝西省西安市 2015年3月2日夜 元宵節を祝う飾りちょうちん祭り 西安大唐芙蓉園 観光客と市民ら  西安大唐芙蓉園で開会する飾りちょうちん祭りは、元宵節に先立って行われ、西北地域の最大規模を誇る。様々な飾りちょうちんは元宵節の雰囲気を盛り上げ、多くの観光客と市民が訪れる。
(新華ニュース日本語版)
 
中国福建(Fujian)省 2018年3月8日夜 元宵節を祝う儀式「吃花」 福建省の村々 住民と観光客ら 「吃花」儀式は、上半身裸の男たちが花火の火花を浴び、悪霊を払い新年の幸運を願う儀式。福建省の村々では、古来の慣習や地域の神々に関連した春節(旧正月、Lunar New Year)の儀式が毎年数多く行われる。
 選ばれた男たちは地面に置かれた花火から噴き出す白い火花に身を乗り出し、火花に身をさらしながら、集まった大勢の観衆に向けて小さな旗や扇を振った。中には10秒間も火花を浴びる人もいた。男たちは口を開け、火花を「食べる」ふりをする。そのため、この儀式は「吃花」(花を食べる、の意)と呼ばれている。
(この項出典 AFPBB News)
 悪霊を払い新年の幸運を願う

  【東南アジア・インド】

地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
ベトナム
ベトナム 2019年2月5日 旧暦正月「テト」 全国 国民   ベトナムでは、旧暦正月Tet Nguyen Dan(Tet、テトと略称)を一年で最も重要な休日として祝う。テトは中国の旧正月「春節」の習俗にならい、春の初日と考えられており、Hộixuân(春祭り)とも呼ばれて、春の到来を祝い、この一年の幸福を願う。2019年のテトは2月5日(火)で、政府は祝日期間を2月2日から10日と定め、大型連休となった。
◆テトの準備
テトの準備は、1〜2週間前から始まる。家の大掃除を行い、テトのための飾りつけが行われる。伝統的なテト料理の準備のためや、子どもたちが新しい年を、新しい服で迎えらるようにするため、商店や市場に買い物に出かける。テトの間は店が閉まるので、大晦日ごろには街が大混雑となる。また、借金がある人々は、大晦日までに返済して、テトを迎えようとする。また、伝統的に、各家庭では3人の台所の神(ÓngTáo)がいて、旧暦の12月23日に天国に戻り、家族についての年次報告を皇帝に伝える。このために台所を掃除したり、供え物をする儀式も行われる。
◆テトは家族とともに過ごし、テト料理を食べる
 人々は通常Tetの間に故郷の実家に戻り、家族とともに過ごすことを大事にしている。テトの間、家庭ではbánhchưngバンチュンと呼ばれるもち米と豆の詰め物をドング( Phrynium placentarium)の葉で包んだ四角いチマキ料理など特別なテト料理を食べ、新年の幸せと喜びをお互いに共有する。砂糖漬けの果物が、家を訪れるゲストを歓迎するスナック菓子が用意される。
◆新年の最初の訪問者が家族に運を決める
 ベトナムの人々は、テトで家にやってくる最初の訪問者がその年の家族の財運を決定すると信じているので、訪問客は招待されずにテトに家に入ることはできない。テトの最初の訪問客になる行為はxôngđất、xôngnhàまたはđạpđấtと呼ばれ、テト時代の最も重要な儀式の一つとなる。ベトナムの伝統によると、旧正月の最初の日に良いことが家族にやってくると、その年も祝福でいっぱいになる。通常、気分が良く、道徳的で、そして成功した人が、最初に家の中に招待される。テトにやってくる幸運を逃さないよう、テト中は掃除をしてはならないとされる。
◆テトは先祖供養の祭り
 テトは先祖を供養する祭りでもある。実家の祭壇で先祖に礼拝し、または寺院を訪れて先祖の墓にお参りし、この一年が良い年になるよう祈る。ベトナムの家族は通常、先祖に敬意を払うために家に祭壇を設置する。祭壇の上には「NgÿQuả」と呼ばれる5つの異なる果物のトレイを設ける。テトの間に新しい供物がそこに置かれる。
◆ベトナムのお年玉
 テトでは、子供たちは新しい服を着て、年長者から赤い封筒に入れたお祝いのお金(lìlì xì)を受け取る。そして、年長者に伝統的なテトの挨拶をする。伝統的な挨拶は、 "Chúc Mừng Năm Mới "(新年あけましておめでとうございます)と " Cung Chúc Tân Xuân"(新しい春おめでとうございます)など。人々はお互いに繁栄と運を願うために、一般的な挨拶は
• Sống lâu trăm tuổi (100年の長寿命になりますように):年長者のために子供たちがうやまって口上する。
• An khang thịnh vượng (健康、繁栄がくるように)
• Vạn sự như ý(すべてのことがあなたの思うとおりになるように)
• Sức khỏe dồi dào(健康が充実するように)
◆テトの悪霊払い
 新年は爆竹、太鼓、鐘、ゴングを打ち鳴らしながら街で赤と黄色のmua lan(ムア・ラン)という獅子舞・龍舞パレードを行い、悪霊を追い払い、人々に幸福をもたらす。この踊りは月の饗宴である満月祭・中秋節(Tet Trung Thu)にも行われる。家や会社を訪問して、ご祝儀をもらう。このパレードには、「Ôn Địa、Thổ Công、Thổ Thần(大地神)」と呼ばれる大きなお腹と笑顔の「仮面仮装神」が幸運を振りまいて回る。大地神は地域の貧しい人々を助け、人々が豊かに暮らせるよう手伝ってくれると信じられている。
◆テトの花飾り
 テトの飾りは、他のアジア諸国のように、赤と黄色の色が幸運をもたらすと信じられている。テトの準備のために、人々はモモの花の木、キンカンの木、オレンジの木、マリーゴールド、パンジー、菊や蘭などの家を飾るために花を買う。人々はこれらの花を植えて家の前や中の美しい鉢に入れて飾る。(この項出典:VIETJOニュース、華南朝刊scmp.com、wikipediaなど)
春の訪れを祝い、一年の幸福幸運を呼び込む
ベトナム
ベトナム国ハノイ、ホーチミン 2016年2月17日 「富の神様の日(ngay Via Than Tai)」 各地の宝飾店 市民   ベトナムでは、テト(旧正月)が明けた旧暦1月10日は「富の神様の日(ngay Via Than Tai)」を祝う。この日に当たる新暦2月17日は、多くのベトナム人がゴールド(金)を買い求めて宝飾店を訪れた。サイゴンジュエリー(SJC)、フーニュアン・ジュエリー[PNJ](Phu Nhuan Jewelry)、ドジ(Doji)、フークイ・ジュエリー(Phu Quy Jewelery)、バオティンミンチャウ(Bao Tin Minh Chau)など、金製品を扱う企業は、複数の新商品を発表した。PNJは、前年の2倍に当たる10万点の商品を販売するという。目玉商品として、十二支をそれぞれ刻印したものやゴールドのコイン、ペンダント、富の神様を刻印した金の延べ棒などが挙げられる。
 「富の神様の日」は、ベトナム南部に住む中華系の人々の行事だが、近年は多くのベトナム人の間でも祝うようになってきている。この日は、この1年間、家族を支えてくれた富の神様に感謝する日で、新しい年に家族に祝福をもたらすように富の神様に器に盛った雷魚や豚の丸焼き、エビ、カニ、酒、果物などを捧げてこの一年の金運を祈る。
(この項出典「VIETJO」)
一年の金運を呼び込む
タイ
タイ 2017年4月13~15日 「ソンクラーン(水掛け祭り)」 全国各地の表通り、繁華街、観光地 市民  ソンクラーン とはタイの旧暦正月のことで、新年の始まりとして国民の祝日となっている。ソンクラーンは、政府によって毎年4月13日から15日(西暦)の3日間に固定されている。ソンクラーンの前後約10日間はテーサカーン・ソンクラーン(ソンクラーン期間)と呼ばれ、休日ではないが祭典が行われる。サワディーピーマイ(タイ語で新年おめでとうの意味)などの挨拶を交わす風習がある。
ソンクラーンは、太陽の軌道が12ヶ月の周期を終え、新たに白羊宮(おひつじ座)に入る時期を祝う伝統行事。もともとは、仏像や仏塔、さらに年長者などの手に水を掛けてお清めをするという伝統的な風習が受け継がれて来た。家族が一堂に集って共同で仏像のお清めを行ったり、亡くなった人をしのぶ儀式(バンサクン)、目上の人や尊敬する人を訪れて、手によい香りのする水を注いで祝福したりする儀式(ロッド・ナーム・ダム・フア)などを行ったりする。

 現在では、日中40度にもなる一年で最も気温の上がる季節の、暑さしのぎの水掛け祭りという色彩が強くなり、海外からの観光客も多く訪れるようになった。バンコク、アユタヤ、チェンマイ、プラパラデーンなどが有名。祭りでは、人々が水鉄砲を持って街に出て、見ず知らずの相手と全身びしょぬれで水を掛け合う「無礼講」を楽しむようになった。水かけにはお清めの意味があるため、僧侶以外には誰でも水を掛けて良いとされており、観光客も水をかけられても文句をいうことができない。
 水の掛け合いには商店で購入した水鉄砲を用いる。水鉄砲の補充のため、家の前に水の入ったドラム缶を置くこともある。また家の前に水道のホースを引き出し、道行く人に水をかけたり、ピックアップトラックの積み荷部分に水の入ったドラム缶を載せ、町中の人に水をかけ回ったりする例もある。
 なお、同じ趣旨の祭日「ソンクラーン」はミャンマー、スリランカ、カンボジアやラオスでも行われているという。 (この項出典「タイ国政府観光庁公式サイト」「WKIKIPEDIA日本語版」など)
一年の幸運を呼び込む
インド
インドほか南アジア各国 2019年10月27日から5日間 ディワリ祭(ヒンディー語: दीवाली, dīwālī) 全国各地 国民  新年を祝う“正月行事”として、インドでは最も待ち望まれており、最も祝われているディワリ祭は2019年10月27日に始まり、5日間の祝賀行事を祝った。ディワリはインドのヒンドゥー教のお祝いで、別名「光のフェスティバル」とも呼ばれ、暗闇に対する光、悪に対する善の勝利を祝い、また冬が来る前の収穫をお祝いするための祝祭。ヒンドゥー暦のカールッティカ月の新月の夜(グレゴリオ暦では10月から11月)に祝われるため、毎年開催日が移動する。
 ディワリの行事では幸運を呼び込むために部屋を掃除したり、新しいキッチン用品を買い込み、キャンドル(ディヤ)を買って家を光で飾ります。色粉または砂を使い、Rangoliという模様を床に描く風習も広く行われています。家々では、親戚や友人が集まり、プレゼントの交換やミターイ(methai)という甘いお菓子を、マサラチャイと一緒に楽しむ。
 祭礼では、街中がろうそく(ディヤ)やLED照明で飾られ、夜になると街が光の海のようになります。また、健康と富を召喚するためのラクシュミ、ガネーシャの礼拝、クラッカーを鳴らすなどして祝った。
 もともとヒンズー教の祭りであったディワリ祭は、ヒンズー教徒以外でも祝われ、インド、ネパール、スリランカ、ミャンマー、モーリシャス、ガイアナ、トリニダードトバゴ、スリナム、マレーシア、シンガポール、フィジーの公式の祝日となっている。
(出典Society for the confluence of festival of India/https://www.diwalifestival.org/ 、The IndianExpressWEB版、WIKIPEDIA日本語版など)
暗闇に対する光、悪に対する善の勝利を祝い、また冬が来る前の収穫をお祝いする
インド・パンジャブ州ほか 1月13日 ローリ祭りと焚き火 各地の農村集落 住民 ローリ(Lohri)祭りは毎年感謝祭の日であり、全国各地で収穫期と寒い冬の終わり、そして新年と春(夏)の到来を祝う収穫祭。南部のPongal、アッサムのBhugali Bihu、Andhra PradeshのBhogi、そして国の中央部のSankrantiと呼ばれる。特にパンジャブ州が盛ん。ヒンズー教のカレンダーによると、ローリは1月中旬(1月13日)に行われる。この時点で太陽から最も遠い地球は冬至を過ぎ、再び太陽に接近するため、年間で最も寒い月を終え、夏の季節が始まる。1月になると、パンジャブの畑は小麦が実り、農民たちは刈り込みや収穫の前の休息期間中に巨大な焚き火でローリを祝う。また、人々はローリを祝う挨拶状を交換する。
ローリは1月13日に、男性、女性、子供たちが乾いた木の枝を集めて焚き火を行う。焚き火が大きければ大きいほど、Lohriのお祝いは優れているといって競う。夕方になると、収穫された畑や家屋の前庭で巨大な焚き火が照らされ、人々は燃え盛る炎のまわりで集まり、焚き火のまわりを回って(parikrama/パリクラマ)、ポップコーン、ポップライスなどのお菓子を火に投げつけて叫ぶ。「貧困が消えて光栄がきますように」。そして、民謡を歌う。男性によるバングラダンスは焚き火への供物の後に始まる。ドラムのビートの中で新しいグループが加わり、ダンスは深夜まで続く。
パリクラマの後、人々は友人や親戚に会い、挨拶や贈り物を交換し、そしてプラサド(神への供え物)を配ります。プラサドは5つの主要なアイテムから成り立っている。チル、ガジャク、ジャガリー、ピーナッツ、そしてポップコーン。たき火の周りでは、伝統的なmakki-ki-rotiマッキキロチ(キビの手巻きパン)とsarson-ka-saagサルソンカサーグ(マスタードハーブの料理)の冬の香りを楽しむ。
(この項出典:ローリ祭サイトwww.lohrifestival.org、Wikipediaなど)
収穫期と寒い冬の終わり、そして新年と春(夏)の到来を祝う
インド 2016年3月24日 ホーリー祭 インド、ネパール 国民  ホーリー祭(Holi)は、インドやネパールなどで行われるヒンドゥー教の春祭り。インド暦第11月の満月の日の移動祝祭で(2016年は3月24日、2017年は3月13日)、午前中がクライマックスとなる。祭りの間は、知人だけでなく見知らぬ人にも色粉を塗りつけたり、色水をかけ合ったりして祝います。
 ホーリー祭はもともと豊作祈願の祭りであったが、その後クリシュナ伝説などの各地の悪魔払いの伝説などが混ざって、現在のような町ぐるみのどんちゃん騒ぎとなり、街では飲酒で酔いつぶれる人も。
 ホーリー祭の特徴である色粉や色水を掛け合う由来は、カシミール地方の伝承でこの日に人家に押し入ってくる悪鬼ビシャーチャを追い払うため泥や汚物を投げつけたのが始まりとされる。
 祭りの前週から繁華街には色粉や水鉄砲(主に子供が使う)を販売する露店が多数出店する。人々は色粉などを購入して準備し、地域の人たちが集まって祭りが始まると、友人、知人はもとより通りがかった見知らぬ人にまで顔や身体に色粉を塗りつけたり、色水を掛け合ったりして、春の到来を祝う。
豊作祈願と悪鬼を追い払う
インド 2020年1月15日~18日 ポンガル タミル・ナードゥ州 住民  ポンガルはインド東部のタミル・ナードゥ州で行われる収穫祭で、祭典は4日間続く。住民らは彼らは、農民の生活が依存している作物を育てるエネルギーを提供してくれた太陽神スーリアに感謝する。伝統によれば、この祭りは冬の終わりを意味し、太陽が黄道帯のマカラ(山羊座)に入る6か月間の北への旅(ウッタラヤナム)の始まりとされる。祭典は「煮る、あふれる」という意味の儀式「ポンガル」にちなんで名付けられ、新しく収穫された米をジャガリー(生砂糖)を加えた牛乳で煮た伝統的な料理を指す。祭りを記念して、ポンガルの甘い料理が用意され、最初に神と女神(ポンガル女神)に捧げられる。 (出典・フィナンシャル・エクスプレス2020/1/13、wikipedia) 太陽神に感謝する
インドネシア
インドネシア 2015年3月20日
2016年3月9日
オゴオゴ(ogoh-ogoh) バリ州(バリ島)各地の村や町の広場や路地 住民、観光客  オゴオゴは、バリ島で「サカ暦」の新年の元日ニュピ(Nyepi)を迎えるための伝統的宗教行事。悪魔が人間の生活を妨げないように、人々はオゴオゴという悪魔の大きな化身としての人形を引き回して町中を練り歩き、町を清めて翌日のニュピの日を迎える儀式が行われる。ヒンドゥー教徒たちは、御神体のオゴオゴという悪霊(悪鬼)の姿をした人形を引き回して町中を練り歩いた後、町を厄払いし、浄化するために寺院でオゴオゴを燃やす。
 翌21日のニュピ(2015年では日本の春分の日に当たる)は、バリ島全域のバリ・ヒンドゥー教徒にとって、新年を迎え、精神修養に専念する最も重要な日で、人々は家の中で瞑想してバリ島から悪霊が去るのを待って一日を過ごす。インドネシアの国の祝日にもなっている。
 この日、島内では火や電灯が一切使われないほか、外国人観光客も含めて、人々は食事も仕事もいかなる活動をしてはならず、レストランや商店等も一切営業が禁止される。警察、医療機関、消防等の治安・人命にかかわる緊急を要する場合を除き、バリ島内の屋外での行動が一切禁止され、航空機の離発着や交通機関も制限される。
 (この項 ジャカルタプレス、インドネシア観光省、Wikipediaなどによる)
悪魔払い、町の浄化

  【中欧・北欧・中東・中央アジア・米国・アルゼンチン】

地域 実施日 名称 場所 参加者 内容 趣旨
欧州
中欧・北欧の各国 毎年4月30日 「ヴァルプルギスの夜と焚き火」(Walpurgis Night and bonfire) 各国の集落広場 住民、観光客  歴史的なヴァルプルギスの夜は、キリスト教到来以前の異教の春の風習にちなんでいる。ヴァルプルギスの夜は4月30日夕方に始まり、5月1日夕方に終わる。古代ケルトにはバルティナあるいはケートハブンと呼ばれる春の祭りが5月1日にあり、この祭りの前夜がヴァルプルギスの夜などと呼ばれた。
悪霊を村から遠ざけるために、ドイツ、イギリス、イタリア、フィンランド、スウェーデン、エストニア、チェコなどの田舎の人々は、通常、魔女やほうきを表す人形を燃やすために大きなたき火が行われる。この儀式は「魔女焼き(Burning of the witches)」と呼ばれ、魔女たちがサバトを開き跋扈(ばっこ)するのを防ぐためなどと伝えられている。魔女焼きの炎が高ければ高いほど、悪に対する防御の力は高くなる。このため、ヴァルプルギスの夜の直前には、コミュニティ全体ができるだけ多くの木の枝や木材を集めるために努力する。
 古代ケルト人たちは一年を暖季(夏)と寒季(冬)の二つにわけ、暖季を迎えるこの日を光と太陽が復活する日(メーデー)として大切にしていた。
 古代ノース人の風習では、ヴァルプルギスの夜は『死者を囲い込むもの』とされていた。この日の夜、各地の広場でかがり火を焚いて、生者の間を歩き回るといわれる死者と無秩序な魂を追い払うためにたかれ、光と太陽が戻るメーデー(5月1日,the May Festival, May day)を祝う。
(この項、wikipediaなどによる)
春の到来を祝い、悪霊を払う
英国
英国・アイルランド 2019年2月1~3日 インボルク火祭り(聖ブリジット祭) 各地の集落 住民、観光客   インボルク火祭り(Imbolc Fire Festival)は、2月1日から5日にかけて、英国とアイルランドの各地で行われた。冬至と春分点の中間(日本の立春に相当)で、春の到来と冬の終わりを祝う、古代ケルトの祝祭とされる。
 イングランド北部ハッダーズフィールド近郊のマースデンでは、ドロイド僧(古代ケルトの宗教)に仮装した人々がたいまつ行列を行い、雪原の火祭りの会場に聖火を運んだ。それは太陽の戻りを象徴する儀式で、会場では2人の仮装巨人がいて、1人はJack Frostとして冬を象徴し、もう1人はGreen Manとして春と作物の豊穣を象徴する2人が戦い、グリーンマンが勝利し、たいまつを振り回す火振りや花火が上げられ、祭典は最高潮となった。
 アイルランドのインボルクでは、ケルト神話の火の女神「聖ブリジット(goddess Brighid)」の祝祭とされている。女神ブリジットは癒しの女神とみなされ、赤ん坊、鍛冶屋、船長、酪農家、両親が結婚していない子供、父親に虐待されている子供、船員の守護聖人ともされている。聖ブリジットの日(またはImbolc)では、各家庭で少女や未婚の若い女性が、聖ブリジットの人形(ブリデオグ)をトウモロコシで作り、1年の幸せを願って、人形が寝るためのベッドを作る風習がある。インボルク当日、少女たちは「ブリデオグ」を持って、隣近所を家から家へとめぐり歩く。各家庭では、ブリデオグがやってくるのを迎え、お金やお菓子を与える。(この項出典:independent.ie、BBCニュースnews.bbc.co.uk、デイリーメイルニュースdailymail.co.uk、wikipediaなど)
春の到来を祝い、一年の豊穣と幸せを願う
英国・アイルランド 毎年4月30日ー5月1日 「ベルテーン(Beltane)火祭り」 各地の集落 住民、観光客  ベルテーン火祭り(Beltane Fire festival)は、英国やアイルランドで毎年4月30日日没に始まる前夜祭と、5月1日の祝祭の2日間にかけて行われる。祭典では光と春と生命の誕生の現れとされる「メイ女神(May Queen)」を迎え入れ、春の復活や子宝、この1年の牧畜繁殖や作物の豊穣を祈る。また性と官能、活力と喜びが表明される。古代には、老若男女のカップルがベルテーンの日に求愛し、森や野原で夜を過ごしたとされる(グリーンウッド結婚)。
Beltane は「明るい火」であり、アイルランド、スコットランド、そしてマン島の至る所で様々な形で祝われる。なかでも「エディンバラのベルテーン火祭り」はエディンバラ市内のCalton Hillで盛大に行われ、若い男女が裸体で乱舞するなどして奇祭として知られる。夏の光を象徴する「メイ女王」を迎えるため、若い男女が肌を赤く塗って下帯(ふんどし)だけの裸体になる。男女は、祭場をドラムを打ち鳴らし乱舞したり、燃え盛るたいまつを手に持って振り回す(火振り)をしたり、人間タワーを作ったりして、メイ女王とグリーンマンの神聖婚礼を盛り上げる。

 古代ケルトからの伝承によると、ベルテーンでは、人や生物の生命と大地の繁殖・動物の受胎エネルギーがピークに達すると考えられ、あらゆるレベルで人間や家畜、農作物の繁殖力が中心的なテーマになる。ベルテーンの祭礼では、緑の大地を象徴する「グリーンマン」が登場し、メイ女王と恋に落ち、手を取って結合(union)が完成すると、メイ女王が妊娠するという神話劇が演じられ、5月の「神聖な結婚(Heiros Gamos)」とされる。
 ベルテーン前夜祭の火祭り儀式では、火は浄化と癒しの神聖な力を持つと信じられ、牧畜、農作物、そして人々を守り、浄化し、成長を促すために火祭りが行われる。ベルテーンの炎、煙そして灰は牛や作物を保護する力を持っていると見なされた。人々は家畜とともに焚き火のまわりや2つの焚き火の間を歩き回り、時々炎や燃え差しを飛び越えて、豊穣を祈る。この夜は男女の求愛の機会と考えられ、安産祈願も行われる。
 ベルテーンでは、メイポールが祝祭場に立てられる。これは白樺などの木で作られ男根棒(陽物)とみなされ、神の力を表す地球に挿入される。メイポールの上部で交差する花の輪は、肥沃な女神(陰物)を表している。色とりどりのリボンで飾られ、メイデーの祭典で、人々はメイポールの周りでくるくる回りながら踊る。生命の螺旋と女神と神の融合、大地と光の融合を象徴しているという。
 古代ケルト人たちは一年を光の暖季(夏)と闇の寒季(冬)の二つにわけ、暖季を迎えるこの日を光と太陽が復活する日として大切にしていた。2つの季節の間の境界線はベルテーン(Beltane)とサマイン(Samhuin)と呼ばれた。サマインは10月31日の前夜祭とと11月1日の祝祭の2日間である。それぞれメイデー、ハロウィーンとも呼ばれる。
  古代では日没から日没までが1日とみなされていた。中世には、サマイン(ハロウィーン)とベルテーンの両方の夜で、生と死の世界の間のベールが最も薄くなると信じられていて、死者の幽霊だけでなく、悪魔、妖精が現世に現れる。特にベルテーンには、魔女が最も力を振るうため、人々は魔女を追い払うことに注意を払った。また冬への変わり目であるサマイン(またはハロウィーン)では、焚き火で収穫を祝い、悪霊などを追い出す。

 2019年のエディンバラのベルテーンでは、祭典の中心人物であるMay Queenが、石油の流出と森林破壊を描くためにリサイクルされた材料で作られたコスチュームを着用し、人類が地球に行っている環境破壊に対する怒りを表現し、環境メッセージを強調した。
(この項出典:スコットランドベルテーン火祭り協会beltane.org,.グラストン巡礼情報センターunitythroughdiversity.org、アイルランドニュースextra.ie、BBCニュースbbc.com2019/4/30、wikipediaなど)
春の女王を迎え、人の子宝、牧畜や作物の豊穣を祈る
英国スコットランド北部のバーグヘッド 2020年1月11日 クラヴィー焼き(Burning of the Clavie) 各地の集落 住民、観光客  クラヴィー焼きは地域伝統の新年を迎える火祭り。英国で1750年代にユリウス暦からグレゴリオ暦が導入されたため、バーグヘッドの人々は1月1日と1月11日に新年を2回祝うこととした。1月11日の旧新年の祝いには火のついたClavie(燃料のタールと木片でいっぱいの樽)を住民が担いで、街中を練り歩いた。
 担ぎ手の人々は、「ピートの道をあけろ」「ヒップヒップ(hip,hip)」などの掛け声をあげながら、燃えてくすぶっているClavieの黒い破片を、各家の住民に手渡して歩いた。村人たちは「焼けたクラヴィーの破片を受け取ると新年に幸運をもたらす」と信じているという。
 クラヴィーは、火祭りの会場である古代の砦の城壁にあるDoorie Hillに運び込まれ、並べて置かれると「ヒップヒップ」の掛け声で次々に点火された。クラヴィーが燃え上がると幻想的な光景が広がり、会場の観光客を感動させた。観客はその後、新年の幸運を確保するために、焦げた木片を拾って持ち帰ったという。
(出典:Press and Journal-2020/01/12、wikipedia[Burghead])
新年の幸運を願う
英国スコットランド・シェトランド州ラーウィック 2020年1月28日 アップ・ヘリ―・アー(Up Helly Aa) ラーウィック各地の 住民、海外からの観光客  アップ・ヘリ―・アーはヨーロッパ最大の火祭りとされる。厳しい冬に別れを告げ、春の到来を祝うため、1,000年前にシェトランド諸島を支配していたバイキングの伝統文化に則って、1月の最終火曜日に開催されている。
 祭典では、スコットランド諸島の住民が古代のバイキングの衣装をまとって、祭典の主役である勇者ガイザー・ジャールと戦士チームに扮装し、47部隊の編成で街の通りを練り歩いた。ところどころで、チームの役者は前年の出来事を風刺劇で再現して見せた。
 日暮れ後、バイキングのチームはたいまつを掲げて、町の通りをバイキングの長い船(ロングシップ)の実物大レプリカを引いて、祭りの会場に入った。会場では、バイキングの文化を誇りとする戦士チームがUp Helly Aaの歌を歌い、ガイザーと戦士がおよそ1000本のたいまつを一斉にロングシップに投げ込むと、船は大きな炎をあげて燃え上がった。火祭りのあとは町のコミュニティホールで徹夜のパーティが開かれ、住民や観光客が交流を深めた。
(この出典:Up Helly Aa委員会公式ウェブサイトhttps://www.uphellyaa.org/、BBCニュース電子版、https://www.shetnews.co.uk/など)
春の到来を祝う
エストニア
エストニア 毎年4月30日 「Volbriöö・ボルブリエ」 各地の集落 住民、観光客  エストニアのボルブリエは、4月30日の夜と5月1日に行われる「春の日」と呼ばれる祝日である。Volbriööは、田舎での春の到来を祝う重要かつ広く知られた焚き火と踊りの祭典。夜は魔女の集まりとして、人々は魔女に仮装してカーニバルのような気分で通りをさまよう。エストニア南部の大学街、Tartu(タルトゥ)で特に盛大に行われる。(この項、wikipedia) 春の到来を祝う
リトアニア
リトアニア 毎年4月30日 Масленица(マスレニツァ、ざんげ節) 各地の集落 住民、観光客  ざんげ節はロシアや東スラブの伝統的な移動祝祭日で、キリスト教四旬節の前の週に祝われる。このため毎年、ざんげ節(パンケーキウィーク)の日は、イースターに応じて変わる。2020年には、パンケーキウィークは2月24日に始まり、マスレニツアが3月1日に祝われた。
キリスト教以前の時代には、マスレニツァの祭典は春分の日に合わせられていた。マスレニツァの日、人々は過ぎ去る冬を見送り、春を迎えるとされる。
キリスト教の採用後、教会は異教の祝日を奉献し、それを新しい意味で満たした。マスレニツァ祭はレントの準備の最後の段階であり、教会の伝統によれば、休暇中、正教会の信者はすべての侮辱の許しと他者との和解に近づくことが求められる。
古代には、ざんげ節はチーズウィークとも呼ばれていました。この日は乳製品と魚だけが食べられ、肉は厳しく禁止された。各家庭では伝統食としてパンケーキを焼いて食べる。
ざんげ節の終わりの日である「許された日曜日」には、親類や友人に古い不満を許すことを求めるのが習慣で、この日、かかしが焼かれる。この儀式は、冬の追放と春の到来を意味し、かかしを焼いた灰を畑に撒くとこの一年が豊作になると信じられている。 (この項:Sputnik Литваニュースによる https://lt.sputniknews.ru/society/20200208/11278911/Maslenitsa-glavnye-traditsii-i-obychai-Chto-mozhno-delat-i-chto-nelzya.html )
春の到来を祝い、一年の豊作を祈る
ロシア
ロシア 2019年3月4日~10日 マスレニツァ モスクワほか全国各地 住民、観光客   「マスレニツァ((英語Maslenitsa、露語Масленица)」またはパンケーキ・ウィークが、2019年は3月4日(月)から3月10日(日)まで行われた。マスレニツァは、春の訪れを祝う古代スラブ民族の異教徒の祭典とされ、キリスト教の伝道により、正教会の典礼として四旬節(復活祭前の46日間)の直前に行われる謝肉祭(カーニバル)の行事と、スラブの民俗行事が習合したものとされる。復活祭が、基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、マスレニツァも年によって2月から3月にかけて、日付が変わる移動祝日となる。
 長い冬を過ごした後、ロシアの人々はお祭り気分で、月曜に始まる1週間を寒い季節の終わりと春の到来をマスレニツァで盛大に祝う。期間中、各家庭ではパンケーキにはちみつなどをつけて食べる風習がある。
 最終日は「許しの日曜日(カトリック教会などのシュローブ、マルディグラに相当)」と呼ばれ、親戚や友人はお互いに許しを求め、贈り物をする風習があります。また、街の公園や人場ではマスレニツァ祭が行われ、ステージで歌や演劇、漫才などがあります。
 祭りの集大成はマスレニツァ人形焼きで、冬を象徴する女性の人形(Maslenitsa Effigy)をたき火で燃やし、長かった凍てつく季節に別れを告げる。人々はパンケーキを火の中に投げ込んで、今年の豊穣、豊作を祈る。マスレニツァの灰を畑にまくと、収穫がよくなるともいわれている。
 子どもたちは公園などでトロイカ(3頭立ての馬そり)乗り、雪そり遊び、回転するブランコ(スイング)で遊び、大人はボクシングを楽しみます。公園にはテントの飲食屋台が立ち並び、パンケーキやクレープの他にピロシキやリンゴ飴、蜂蜜のお酒(Medovukha、Kvass)を楽しむ。(この項出典:スプートニクインタナショナルsputniknews.com、wikipedia英語版など)
春の到来を祝い、作物の豊穣を祈る
オランダ
オランダ 毎年4月30日 「ワルプルギスの夜のたき火」 各地の集落 住民、観光客    Walpurgisnacht(ワルプルギスナハト)は、住民たちが日暮れ近くに、焚き火を燃やし、冬の残りの寒さを追い払い、春を歓迎する祭典。(この項出典:wikipedia英語版) 春の到来を祝う
スウェーデン
スウェーデン 2014年4月30日 ヴァルボリ(Valborg)」の火祭り スウェーデン各地の集落広場や砂浜 住民、観光客  スウェーデンでは、4月3日に北欧や中欧各地で祝うヴァルプルギスの夜をヴァルボリスメッソアフトン (Valborgsmässoafton) またはヴァルボリ (Valborg)と呼んで、祝日としている。
4月30日、全国各地の広場や砂浜に住民が集まり、青年や子供たちが松明(たいまつ)パレードを行い入場する。春を迎える歓迎スピーチを行い、聖歌隊や合唱団が「春の歌」を歌う。そして、「春の歌」を歌った後、大きな焚き火を囲んで、深夜まで酒を飲み、ソーセージなど食べ物を食べて、この1年の健康と春の訪れを祝う。
(この項、ヘルシンボリ・ダグブラッド紙) http://hd.se/hoganas/2014/04/29/har-firas-valborg-i-kullabygden/
北欧のヴァルボリ焼き火祭りの画像はこちら
http://goo.gl/APNjmO
春の到来を祝い、今年1年の豊穣と悪霊を払う
ルクセンブルク
ルクセンブルクとその周辺地域 キリスト教四旬節の第1日曜日(早ければ2月8日、遅くとも3月14日) バーグブレンネン(Buergbrennen)の火祭り ルクセンブルク各地の集落広場や砂浜 住民、観光客  Buergbrennenは「小屋燃やし」の意味で、ルクセンブルクとその周辺地域のに行われる巨大な焚き火を中心とした火祭。ドイツ、フランスとベルギーでも行われ、冬の終わりと春の到来を表す古い伝統に基づき、3月21日の春分に関連した異教の饗宴が起源とされている。もともと焚き火は木の枝と藁を積み上げて作られていたが、現在は中央に木の柱が立てられている。柱の上部近くに十字架が取り付けられる。
 バーグブレンネンはかつて村の男性だけが祝い、最近結婚した男性が焚き火のやぐらに火を灯すという名誉を担う。新婚夫婦はまた、火祭りのために木材を集めるか、仕事を手伝うために他の人にお金を払う責任がある。19世紀には高額な費用がかかるため、伝統は廃れていたが、20世紀には地方自治体が伝統を復活させ費用を負担している。(出典:wikipedia英語版など)
春の到来を祝い、新婚の家庭を祝う
ドイツ
ドイツ・ハルツ(Harz)地方 2019年4月30日~5月1日 ヴァルプルギスの夜(独:Walpurgisnacht)と火祭り ブロッケン山麓のヴェルニゲローデ、ターレ、ゴスラーなど20余りの町 住民、観光客  「ヴァルプルギスの夜」は、ブロッケン山中で、1年に1日だけ開かれるという魔女たちの春の祝宴。キリスト教伝来以前の伝説に基づいて、山麓に広がるハルツ地方の町では、中世を再現したマーケットや大道芸、音楽やショー、魔女や悪魔の仮装パレードなどが行われる。夜になると音楽祭でにぎわうほか、広場で焚き火を燃やし、仮装した魔女たちが歌い踊り、盛り上がった。特にヴェルニゲローデやブロッケン山中のシールケの祭りが著名で、大規模のWalpurgisパーティーが行われた。 (この項出典:ヴェルニゲローデ観光局wernigerode-tourismus.de、ドイツ・ニュースダイジェストnewsdigest.deなど) 春の到来を祝う
ドイツ・バイエルン(Bayern)自由州ヴァルトキルヒェン 2015年1月5日 ヴァルトキルヒェンの12夜(ラウナハト、 Waldkirchen Rauhnacht) ヴァルトキルヒェンのマーケット広場など市街地 住民、観光客  ドイツのクリスマスは12月25日の日没に始まり、1月5日の公現祭(エピファニーEpiphany)の日没までの年越しの12日間をいう。オーストリア、チェコ国境近くの街ヴァルトキルヒェンでは、クリスマス最終日の1月5日夜にラウナハト(12夜祭)が行われる。角が生え、牙を持つ悪鬼のマスクをつけ、ふさふさした毛の衣装を着けた人たちが恐ろしい声で叫んだり、太鼓を鳴らして、街を練り歩く。人々は街から悪霊を追い払う悪魔を信じる人々は、その影響から身を守るためにもてなし、贈り物によって霊をなだめるか、恐ろしい仮面、騒音、煙によってすべての悪霊を追い払うとされる。ラウナハトの鬼は、日本のナマハゲ、アマハゲに類似したデザインである。 (この項の出典:Waldkirchen市公式サイト http://www.waldkirchen.de/index.php?id=332 、ヴァルドキルヒェン観光ビューローTourismusburo Waldkirchenなど) 悪霊を払い、新年を迎える
ドイツ・バイエルン自由州ヴァイデン 2015年1月5日 ヴァイデン第1回12夜のゴースト狩り ヴァイデンの旧市庁舎広場 住民、観光客  ドイツのクリスマス12夜は冬至の期間と重なり、その年で夜が最も長く、最も寒い時期にあたる。悪鬼のマスクと長い毛の衣装をまとったオーバープファルツ城のクランプス(悪鬼)が、たいまつで悪霊を追い払い、象徴的に冬を追放するために市街地を練り歩く。2015年に伝統行事を復活させた。 (この項出典:オーバープファルツTV Weiden in der Oberpfalz) 悪霊と冬を追放する
ドイツ・アイフェル(Eifel)地方 2016年2月14日 ヒュッテンブレンネンとラッドシーベン(Hüttenbrennen, Radschieben) アイフェル丘陵のビットブルク、プリュムなどの町々 住民、観光客 Hüttenbrennen(小屋燃やし)は、 Burgbrennen(城燃やし)とも呼ばれ、ドイツのアイフェル山脈の多くの集落で伝統の焚き火行事。小屋はわらや木の枝を積み上げて作り、材料は子供や若者たちが前の年の暮から農家を回り、収集する。積み上げられたわらや木の枝の中央に十字架を立て、わらを巻きつけて飾られる。
村の若者は家々を回って、火祭に対するお祝いを集める。お祝いは通常、卵か金銭で、卵はスクランブルエッグ、ベーコンの形で集められて若者たちは一緒に食べる。
 火祭では集落で最近に結婚した夫婦によって小屋に点火され、結婚を祝う。火の車押出(Radscheewen)では、燃え盛る火の車が山を転がり落ちる。火の車は生命を与える春の太陽を表しており、喜びのホイールと言われる。その方向で冬がどれだけ早く追い払われるかを推測する。(出典:https://www.volksfreund.de/ wikipedia英語版)
春の到来を祝い、冬を追い払う
ドイツ北部地方 毎年2月21日 ビイケブレネン(Biikebrennen)焚き火祭 ドイツ北部の北フリジア、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州、デンマークの南ユートランドの集落 住民、観光客 ビイケブレネン(Biikebrennen焚き火)は、ドイツ北部の北フリジアなどで毎年2月21日の夜に行われる共同体火祭。伝統的に悪霊を追い払い、新しい作物を保護する。北フリジアのズィルト島、アムルム島、フェール島、シュレスヴィヒホルシュタイン州のハリゲン島、および北フリジア本土の大部分で、毎年60以上のバイクが点火される。2014年にユネスコの無形文化遺産に登録され、世界的に知られるようになった。
 Biikebrennenの起源は不明だが、祭りのルーツは異教時代に遡るとされる。北フリジア人の一体感と伝統感の象徴とされている。火祭りのやぐらは、消防士や地域の住民がわら、木やブラシウッドを集めて山のように積み上げて作る。冬のシンボルとして、藁人形であるパイダーが上に置かれることもある。
「Biiki」は北フリジア語で「ビーコン」火災信号を意味する。消防士は浜辺に大きな木片とブラシウッドの山を積み上げます。「Tjendi Biikiön」(「ビーコンに火をつけろ!」)の掛け声で点火される。子供たちはお祭りを利用して、すすを塗ったいたずらをする。(出典:Wikipediaドイツ語版、NDR放送https://www.ndr.de/、ユネスコ・ドイツ無形文化遺産リストなどによる)
冬に別れを告げ、悪霊を追い払う
フランス
フランス 毎年1月中 ガレット・デ・ロワ(galette des rois)の祝い フランス国内の菓子店、パン屋、各家庭 国民  ガレット・デ・ロワは新年を祝うフランスのお菓子。折りパイにフランジパーヌ(アーモンドクリーム)が入っている。1月6日の「公現祭」(エピファニー:Epiphanie)をお祝いして食べるお菓子とされているが、1月中であれば家族や友人たちが集まる際に、切り分けて食される新年には欠かせないお菓子となっている。フランスでは、年が明けると、お菓子屋さんやパン屋さんの店頭は「ガレット・デ・ロワ」で埋め尽くされる。
「ガレット・デ・ロワ」は紙製の王冠が添付されるのが通常で、菓子の中に「フェーヴ」(Fève)という小さい陶器の人形が隠されている。それが当たった人は、その日、“王様”または“王妃様”になり、王冠をかぶり、皆から祝福される風習がある。フェーヴが当たった人は幸運が1年間継続すると言われている。 (この項出典:クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ、http://www.galettedesrois.org/ などによる)
一年間幸せになれる
オーストリア
オーストリア・スティリア州エブラルン 毎年12月上旬 ユネスコ無形文化遺産「エブラルンのクランプス祭(Öblarner Krampusspiel) 」 集落の農家、町市場の広場 住民、観光客  エブラルン(Öblarn)のクランプス( Krampusspiel )は少なくとも200年前から伝わる仮面、仮装の異人グループによる伝統文化行事。2015年にユネスコ文化遺産に登録された。12月上旬に集落の農家を訪問し、村市場の広場でも演技が行われる。登場するのは聖ニコラス(サンタクロース)、クランプス(オニの仮面とフサフサの毛皮に身を包む)、スカブ(Schab、巨大な角を持つ藁人形、穀物の精霊)、ハバーガイス(Habergeisヤギの仮面と毛皮を着た精霊)、死(骸骨の仮面と黒マントに身を包む死神)、森の精霊などが登場し、農業を襲う厄災との戦いと復活、人生の勝利などを表現するという。
(この項出典UNESCO、wikipediaなどによる)
農業を襲う厄災との戦いと復活、人生の勝利などを表現
オーストリア・ザルツブルク州ブルック 2015年12月6日 ブルッカー・クランプスBruker Krampus 市内中心街 住民、観光客  ブルッカー・クランプスは、18周年を迎え、プレ・クリスマスイベントとして開催された。民間伝承の角の生えた怪物のマスクや衣装に身を包んだ約400人の祝祭者がパレードした。通りには約2,000人が見物に訪れた。仮装した祝祭者のうち、酒に酔ったグループが、沿道のティーンエイジャーを、激しく白樺の枝や鞭で打つ暴力行為をしたため、5人の少年少女がミミズ腫れや血を流す怪我を追って、救急車で病院に搬送された。伝承では、クランプスは悪い子にお仕置きをすると言われるが、負傷した15歳の少女の父親は憤慨しながら、「この暴力は伝統とは何の関係もありません」と語った。
(この項出典The Local:Austrian news website)
 
スイス
スイス・バーゼル市 2019年3月11日〜13日 バーゼル・ファスナハト(Basler Fasnacht/Basel Carnival )
2017年ユネスコ無形文化遺産に登録
市内中心街 住民、観光客  バーゼル・ファスナハトはスイス北西部のフランス、ドイツの国境にある国際都市バーゼルで開催されるスイス最大のカーニバル。14世紀以前までさかのぼる歴史を誇る。ほとんどのカーニバルの習慣と同様に、バーゼル・ファスナハトのルーツは、先祖崇拝、豊作を願う農耕儀礼、冬の追放に関連する古代ケルトとゲルマンの起源と慣習にまでさかのぼるが、現在では都市型の国際観光イベントとして発展している。ファスナハト委員会が主催している。
 祭典はキリスト教の「灰の水曜日」後の月曜日、早朝4時からのパレード「モルゲシュトライヒMorgestraich」で幕をあける。日本のねぶた祭りのような装飾を施した大きな灯籠をもって暗闇を練り歩くパレードに始まり、市民約2万人が参加する仮装したグループと楽団のパレードなどが72時間続けて行われ、3日後の水曜日午前4時きっかりに終了する。地元では「1年で3日間の最高の日」と呼んで、街の誇りとなっている。
 月曜と水曜に行われるメインのパレードには、10000〜18000人の仮面と衣装をまとった市民によるいくつもの部隊が、太鼓隊、ピッコロ隊、ここでは“グッゲGugge”と呼ばれる“グッゲンムジークGuggenmusik“の音楽隊とともに、カラフルな大量の紙吹雪をまき散らし、“スジェSujets(仏語でテーマ)” に関わるユーモアと皮肉たっぷりの風刺をこめたメッセージなどを配りながら、市内を練り歩く。
 モルゲシュトライヒの伝統メニューとして知られる、小麦粉スープ「メールズッペBasler Mehlsuppe」、チーズやオニオンをピザのような薄い生地にのせたパイ「ツィーベルヴェーZwiebelwähe」「ケーゼヴェーKäsewähe」なども観光客に提供される。(この項出典:スイス政府観光局日本語版、WIKIPEDIA英語版など)
先祖崇拝、豊作を願う農耕儀礼が観光イベントに変化 
スイス・チューリッヒ 4月第三月曜日 ゼクセロイテン(Sechseläuten鐘が六時に鳴る)火祭り 市内中心街、ゼクセロイテン広場 住民、観光客  ゼクセロイテンは、春分後の最初の月曜日にベーグ(Böögg)と呼ばれる冬を象徴する人形を燃やして、春を迎える伝統的な火祭り行事で、現在は毎年4月の第3月曜日に開催されている。火祭りは前の週の金曜日から4日間の日程で開催され、最終日にメインイベントのベーグ焼きが行われる。
 子供たちのパレードは子どもの健やかな成長を願って1862 年に初めて開催され、現在ではゼクセレイテンの前の日曜日に開催され、伝統的な衣装や制服を着た数千人の子どもたちが街をパレードする。5歳から15歳までの子供なら誰でも参加できるという。
 ゼクセロイテンの名前は、1525年の議会決議で定められ、春分の日の後、グロスミュンスター教会の鐘が夏の仕事の終了時間を午後6 時に告げたことに由来するという。祭りではツンフト(Zünfte)とよばれるチューリッヒの25の職人組合のパレードが月曜日の午後に行わる。伝統的な色彩豊かな衣装や制服を着た約3,500人のギルドのメンバーや350人以上の白馬に乗った騎士、約50台の馬車、音楽隊が街の通りをゼクセロイテン広場まで盛大に行進する。
 広場のベーグは薪や木の枝、わらなどを20mほどの高さに積み上げ、頂上に午後6時に冬を象徴する雪だるま人形が置かれる。午後6時に点火され、騎士たちがチューリッヒ市の公式市歌「ゼクセルロイテン行進曲Sechseläutenmarsch」の音楽に合わせて、火の周りを3周する。恒例の年占では、爆竹で満たされたベーグが急速な爆発すれば暖かく晴れた夏、長い爆発は寒くて雨の多い夏を約束するという。記録上の最短時間は1974年の5時間07分、最長時間は2023年の57分00秒だった。
 ベーグ焼きの火勢が落ちつくと、人々がシャベルで火から残り火を取り出し、それを使って持参した食べ物を焼いて食べる「バーベキューパーティ」が行われている。(出典:academic-accelerator、Wikipedia独語版ほか)
子どもたちの成長と春の到来を祝い、年占(としうら)その年の天気を予想する 
チェコ
チェコ 毎年4月30日 「魔女燃やし」 集落の丘や牧草地 住民、観光客  チェコのPálení čarodějnic(パレニセロドニク・魔女燃やし)またはčarodějnice(パレニセロドニチェ魔女)は、5月1日の「ヴァルプルギスの夜」の前夜に全国的に行われている冬を追い払い、新春の到来を祝う民俗行事。集落の丘や畑で、木の枝などで作った巨大なやぐらを燃やし、魔女の姿の人形が焚き火に投げ込まれる。キリスト教以前の異教徒時代以来の風習とされている。
 関連する行事として、魔女燃やしの日が収まったころ、若い女性は桜の木の下で、若い男性からキスされる風習がある。5月1日は「恋人の日」として祝われる。(この項、wikipedia)
魔女を焼いて冬を追い払い、春の到来を祝う
チェコ・カプリーチェ Czech Republic Kaplice 2015年12月12日夜 第4回カプリーチェ・クランプスショー 市内中心街、クランプスセンター 住民、観光客  クランプスはドイツ、オーストリアの伝統行事だが、チェコ共和国でも近年、人気が高まっている。イベントは自治体の観光振興イベントとして開催され、悪鬼クランプスに扮した29チームの約400人がパレードした。ほぼ2万人の観光客が訪れ、会場の通りを埋めた。通りには地元のレストランやカフェが屋台を出して、イベントを通して熱い食べ物を提供し、クランプスのモチーフにした記念グッズも販売された。「クランプスショーは、伝統あるチェコの新たな観光ブランドであり、カプリーチェの未来に繁栄をもたらす」と市役所の担当者は語っている。
(この項出典 Kapliceカプリーチェ市公式サイト)
悪魔払い、地域の観光振興
ハンガリー
ハンガリー南部のモハーチ(Mohács) 2月の復活祭の日曜日、告解の火曜日(またはマルディグラ)を含む6日間(移動祭日) ユネスコ無形文化遺産「ブショーヤーラーシュ・カーニバル」 市内中心街 住民、観光客  ブショーヤーラーシュ( Busójárás Carnival )は、冬を追い払い、春の到来を祝う伝統行事。2009年にユネスコの無形文化遺産に登録された。通常、祝祭は2月下旬のカーニバルの季節に行われ、復活祭の日曜日、告解の火曜日(またはマルディグラ)を含む6日間行われる。イベントではブショー(Busós)と呼ばれる仮面神が街を練り歩く。街中の露店で飲食の提供、民俗音楽、パレードやダンスが行われる。
 ブショーは日本のオニのような恐ろしい木製マスクと大きなふさふさの毛皮マント、農具を身に着けた男たちが練り歩く。祭典の最後は、中央広場の焚き火で冬を象徴する棺桶の上に木の枝などを積み上げたやぐらを作り、ブショーによって点火される。焚き火により冬を追い払い、「Langoランゴ」というチーズとトマトソースがのったピザを食べたり、スパイスワイン、pálinka(フルーツブランデー)などを飲みながら、春の到来を祝う。祭典はパレードや音楽を通じて地域のアイデンティティと多民族団結の強い感覚を作成し、地域の住民に自己表現の機会を提供する意義があるとされる。
 (この項出典UNESCO、wikipediaなどによる)
冬を追い払い、春の到来を祝う
セルビア
セルビア 2023年1月6日 クリスマス・ツリー焼き(paljenje badnjaka) 各地の正教会 住民、観光客   セルビア共和国各地の正教会では1月6日、「クリスマス・ツリー焼き」(paljenje badnjaka)でユリウス暦のクリスマスイブ(BADNJI DAN)を祝った。ユリウス暦ではクリスマスは1月6日(常用時)の日没から7日(常用時)の日没までが1月7日=クリスマス。クリスマス・イヴは6日(常用時)の日没から6日(常用時)の24時(=7日の0時)までとなる。
 セルビア南部のニシュ市(セルビア語: Niš/Ниш)を構成する5 つの自治体の1つであるメディジャーナ(Medijana)では、正教会の信者がニシュ大聖堂でクリスマスの礼拝の後、広場に設置された樫の木のクリスマス ツリーに点火し、キリストの生誕を祝いました。また、正教会の信者や市民が配布されたニンニクを割って、この一年の平和、健康、幸福などを願う儀式を行った。広場に集まった参加者には伝統に従って、ワイン、お茶、ドライフルーツが提供された。
(出典:niskevesti.rs他)
キリストの生誕を祝い、この一年の平和、健康、幸福などを願う
ブルガリア
ブルガリア・シミトリ 2016年1月16日 Kukeri(クケリ)祭典 市内中心街 住民、観光客  クケリ(Kukeri)またはバブゲリ(babugeri)は数千年前から伝わると言われるトラキア起源のブルガリアの古いユリウス暦による新年を迎える伝統的儀式。儀式は元旦を中心にクリスマスの間に行われ、クケリはヤギ、クマ、悪魔など怖いマスクをつけて、毛皮の衣装など仮装し、腰につけた鐘、ベルを鳴らし、村内を歩いて悪霊を追い払い、この1年の良好な収穫、人々の健康と子宝、そして幸福をもたらす。
 伝統的にクケリは、夜に人々の家を訪問する。特にクマの来訪では「クマが来て足で拾ってもらうと、あなたに良いことが新年に起こる」と言って喜ばれる。(日本の獅子舞いで「獅子に頭を噛んでもらうと、この1年健康になるなどいいことが起こる」という風習に類似)
 村を回った後、広場に集まり、極寒や寒い冬を脅かして追い払うために剣や棒を持って乱舞する。同様の儀式はルーマニア、セルビア、イタリア、スペインで見られるという。
 シミトリはブルガリア南西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体でブラゴエヴグラト州に属する。2016年クケリ祭典には全国からクケリの伝統を継承する34グループの3000人以上のが参加し、大きな観光イベントとなっている。同様の祭典は南西ブルガリアのバンスコ、ラズログでも開催される。
「この項出典ブルガリア・フォーカスニュース、pluska・plus-7-dni、Strumaニュースなどによる」
悪魔を払い、この1年の豊作、人々の健康と子宝に恵まれるよう祈願する
北マケドニア(North Macedonia)
北マケドニア南西部のベブチャニ(Vevchani)村 2014年1月13日 ベブチャニ・カーニバル(Vevchani carnival)のヴァシリチャリ 市内中心街 住民、観光客  ベブチャニ・カーニバルは、年齢制限がなく、村人は誰でも恐ろしげな悪魔や思い思いのキャラクターの仮面をつけて仮装し「ヴァシリチャリVasiličari」となって、村の通りを練り歩く伝統行事。1400年の歴史があり、マケドニアで最も古い文化行事。バルカン半島で最も有名な村の祭りとしても知られ、1日に5万人もの客が訪れる一大観光イベントになっている。ユリウス暦の新年に当たる14日、聖バシリウス(Saint Basil)の祝祭日の前日に毎年行われ、旧暦に従って新年の到来を祝っている。
カーニバルは、ヴァシリチャルスコ オロ (伝統的な民俗風刺劇) も行われ、村の中心で仮面を燃やすことで終わる。このマスクの焚き火で悪霊が滅ぼされるという言い伝えがあるという。誰もが仮装して村をパレードし、別人になることが許されているという。なおマケドニアは2019年1月に国名を北マケドニア共和国に改名。(この項出典:AFP通信電子版、macedonia-timelessなど)
悪魔を払い、この1年の健康を祈願する
ブルガリア・ラズログ 2017年1月13、14日 国際クケリ・マンマー・フェスティバル「スターシェバッタ」 ラズログ市内 住民、国内外の観光客 スターシェバッタ(Starchevata)は、2008年から毎年1月中旬に行われている。このフェスティバルは、数百年前から町で行われてきた伝統行事が観光イベントとなった。欧州カーニバル都市連盟の支援を受け、ラズログRazlogの自治体(Municipality)が主催している。イタリア、フランス、トルコ、マケドニア、セルビアなどから、日本のナマハゲやナモミのようなふさふさの衣装を着た「鬼」に仮装したグループが、フェスティバルに参加する。カーニバルを通じて民間伝承のブルガリアの異なる領域に固有の伝統マンマー(mummers)が交流し、豊かさと多様性を促進するのが開催の趣旨。
 ラズログのマンマーは、ショーシ(Chaushi)または「老人」とも呼ばれ、その仮装衣装はヤギの皮で製造されており、頭の角は2メートルの高さで馬の尾がついている。衣装には40〜50kgのベルが付けられている。
 スターシェバッタに参加した各グループは、クケリやマンマーの伝統の紹介、グループ地域の地方の習慣の提示方法、グループの衣服や芸術的能力に基づいて、審査員によって評価されます。フェスティバルの規則によれば、各ブルガリア・グループは50人以下の参加者が参加でき、各外国人グループの参加者は30人に制限されている。
   祭典パレードは、午前10時からコミュニティセンターで始まる。公式ゲストの行列はコミュニティセンターから中央広場の通りで、午後3時から7時まで続く。参加者がブルガリアの民間伝承と魅惑的な衣装の美しさを競った。
(この項出典ブルガリア観光公社、dariknews.bgなどによる)
ブルガリアや欧州各国の仮装来訪神(精霊)の民間伝承、固有の伝統の豊かさと多様性を促進する
イタリア
イタリア・サルディーニャ 通常2月下旬の告解の火曜日(またはマルディグラ)を最終日とする6日間行われる サルディーニャ(Sardegna)の仮面・仮装カーニバル 島内の各地 住民、観光客  サルディーニャでは島の各地で、キリスト教の「四旬節」に入る直前の祝宴であるカーニバル(謝肉祭)の期間中、木製の仮面や羊などのフサフサの毛皮で仮装した人々が街を練り歩く。
 人々が仮装してパレードする慣習は、1000年以上の歴史があるとされ、サルディーニャの農耕儀礼と考えられている。暗い冬に別れを告げ、新たな収穫につながる春を祝福する機嫌取りの儀式と考えられている。仮装した異人たちは、多数のカウベルを腰の回りや背中につけて、大きな音を鳴らしながら、練り歩く。
 仮装異人たちはカーニバルで登場するほか、1月17日の聖アントニオ・アバーテ(Saint Anthony Abate)でその年の初のお披露目があり、街の広場でたかれる多数の「焚き火」を囲んで、踊りながら回る。行事として日本の小正月行事「どんど焼き」と類似である。以下にサルディーニャの代表的な仮装行事を示す。

  ◎マモイアーダのカーニバル
 仮装異人を「マミュソーンネ(Mamuthones)」と呼び、1月17日の聖アントニオ・アベーテ(Saint Anthony Abate)でも登場し、マモイアーダ広場でたかれる「焚き火」を囲んで踊る。

オッターナ(ottana)のカーニバル
「ボワズ、メルデュールズ(Boes、Merdules)」というペアの仮装異人グループが街に現れる。ボワズの仮面は羊や鹿などを象徴し、メルデュールズは黒い木製仮面をつけた牛飼いを象徴していると考えられる。ボワズ、メルデュールズは街の通りで戦いを演出し、動物的本能と人間の理性の間の闘争を表す古代の儀式とされる。さらに悪魔払いと人生の不幸を追い払うとも考えられている。オッターナの人々にとって、来訪異人のカーニバルは年の初めの重要な行事であり、自分たちの農文化のアイデンティティを現していると考えられているという。

アウスティスのカーニバル
仮装異人はソス・コロンガノス(Sos Colonganos)が登場する。シカやイノシシなどの仮面をかぶり、仮面には木の葉で飾られる。サルディーニャの他地区ではカウベルを背負うが、アウスティスでは動物の骨を肩にぶらさげ、街を練り歩くときにはガラガラと不気味な音をたてる。
(この項出典サルデーニャのマスケラサルド公式サイトmascheresarde.com、wikipediaなどによる)

暗い冬に別れを告げ、新たな収穫につながる春を祝福する
イタリア・サンマルティーノアルチミーノ-バーモント州バニャイア 1月16日 バニャイアの聖アントニオの聖火祭 バニャイアの中央広場 住民、観光客  "Fuoco di Sant Antonio"(聖アントニオの火祭り)は、バニャイアと呼ばれる小さな村が、1月16日の夕方に聖アントニウスを記念して祝う伝統的な火祭り。焚き火によりこの一年の悪と病気を打ち負かすとされる。たき火は、高さ8メートル、幅30メートルで、イタリア最大のたき火の一つとされる。
バニャイア聖アントニウスの聖火祭り委員会は、1月16日の一連のイベントを企画するために18から30歳の間のヴィテルボ近くの小さな村からのおよそ60人の人々で構成している。伝統的に聖アントニオは火の守護聖人と考えられていた。この儀式は、焚き火が縁起の良いと考えられていたキリスト教以前の文化との重要な関係を示している。焚き火は広場の真ん中で燃え、火を囲んで人々は音楽、ダンス、歌、そして地元の食材、特に地元のソーセージやワインの飲食を楽しむ。
(この項、バニャイア聖アントニオ聖火祭委員会公式サイトhttp://www.sacrofuocosantantonio.it/などによる)
この一年の悪と病気を打ち負かす
イタリア フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 2018年1月5,6,7日 公現祭の火祭り(エピファニー・ピニャルル)とクランプスの夜 州内各地の表通り、畑 住民、観光客  エピファニー(Epifania公現祭)の火祭り(pignarûlピニャルル)とクランプス( krampus)の夜はヴェネチア近くのリニャーノの海岸からリヴィニャーノコッロレード・ディ・モンテ・アルバーノなどオーストリア国境近くまでの数百か所のコミュニティで住民によって開催され、麦わらや木の枝などを積み上げた大きなやぐらを燃やして、神火にコミュニティの浄化を祈った。
 火祭りに先立って、コミュニティの表通りでは、クランプス、またはBefana(ベファーナ)の夜が行われた。ベファーナはホウキに乗った魔女の一種。「クランプス鬼」や「魔女」に仮装した住民が「悪い子はいないか」と子供たちを戒めて、火祭り会場まで練り歩いた。
 ピニャルルは、古代ケルトから伝わったとされる新年の神火による悪魔払い儀式の1つ。春分や夏至、冬至の機会に住民が集まって、大きな焚き火を行う習慣は、光の神ベラヌ(Belanu)とその仲間の火の神ベリスマ(Belisma)の崇拝に基づくものとされている。イタリアのpignarûlは古代のケルト人の宗教儀式を受け継いだものとされている。
 ピニャルルは、日本のどんど焼き行事と同じ形式、同じ趣旨で行われる。住民は麦わらや木の枝と杭とブドウの枝などで、年末からピニャルルのやぐらを作る。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州では、住民にとって火は常に浄化と再生の象徴である。この風習は、キリスト教が社会を支配するようになっても、今日まで生き残った。この火祭りは、地域によっては異なる名前があり、ピニャルル、カボッサ、フォゲラ、カセラ、パンエヴィン、セマ、 パラビン 、 フガリッセ 、フォガロン “pignarûl”, “cabossa”, “foghera”, “casera”, “pan e vin”, “sema”, “palavin”, “fugarisse” , “fogaròn”などと呼ばれる。
 悪魔払いのため、藁や木の枝を積んだやぐらの頂上に魔女の人形が建てられることがある。ピニャルルの火とともに焼かれる。ピニャルルの火で、日本のどんど焼きと同じように、この1年の農業の「年占い」が行われ、ピニャルルの煙が西へ行くなら、袋を持って世界に移住してください(西に向かえば凶作)。煙が東に行くなら、袋を持って市場に行ってください(東に向かえば豊作)などといいながら、豊凶を占う。
 ピニャルルの伝統では、焚き火の周りには、食べ物やワインの売店が出て、住民全体が参加して赤ワインに香辛料やシロップをまぜて温めたVin brûlé(ヴィンブリュレまたはグリューワイン)やホットチョコレートを飲んだり、伝統食のピンサ(pinza)というコーンミール、松のナッツ、乾燥イチジク、レーズンを焼いた平たいパン(フォカッチャ、focaccina)を焼いて食べる。2日間のお祝いの間には、バンドによる音楽公演や様々なエンターテイメントが行われる。
 2021年にはタルチェント(Tarcent)で1月9日、公現祭の火祭りピニャルル・グラントが観客なしで行われた。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの暗闇のなかで、地域社会全体に再生を呼びかけるシンボルの火としてのピニャルルを焚きげました。地域評議会の議長であるピエロ・マウ・ロザニン氏は「この火が、パンデミックの暗闇の後の光を表していることを願っています。この火は、第二次世界大戦と地震の後、すべての市民、特に政治に携わる人々にとって確かに倫理的なリマインダーです」と伝統行事ピニャルルを無観客の中でも行う意義を強調し、ピニャルルの火が灯る前に、マウロ・ステッカティ市長らとともに、パンデミックで亡くなった人々に黙祷を捧げました。
(この項、IL Gazzettino.it,FRIULANI.NET、イタリアANSA.it Friuli Venezia Giulia、Wikipediaイタリア語版などによる)
この1年の豊穣と悪魔払い
イタリア・ヴェネト州ヴェネチア 2020年2月9日~25日 ヴェネチア・カーニバル(Carnevale di Venezia) ヴェネチア市街 住民、観光客  ヴェネチア・カーニバルは毎年、イタリアの水の都ヴェネチアで開催される、キリスト教の「四旬節」に入る直前に行われる祝祭。ことしのテーマは「愛」と「愚かさ」で、仮面(マスケラ) とコスチュームで仮装した人々がカナル・グランデ(大運河)でゴンドラに乗ったり、サンマルコ広場を練り歩いたりする姿が見られた。祭典は「キリスト教告解の火曜日」の25日まで開催され、さまざまなイベントが展開される。例年期間中に世界中から訪れる観光客は300万人に達するといわれ、今年は新型コロナウイルス感染症の拡散により、23日に中止が決定された。
 ヴェネチアのカーニバルはブラジルのリオデジャネイロとともに世界で最も有名なカーニバルとして国際観光イベント化しており、2月9日からプレイベントを開催し、カーニバル本期間を15日~25日として、世界の人を楽しませるイベントが盛りだくさんに組まれている。
 見どころは、マリア達の行進(15日)、天使の飛翔(16日)、仮面コンクール(15日~25日)など。住民も観光客も誰もが伝統のベネチアン・マスク(仮面)とコスチュームで変装して、祭典に参加できることがヴェネチアカーニバルの特色となっている。祭典はサンマルコ広場(Piazza San Marco)で人形が燃やされ、クライマックスを迎える。 (この項、(出典:イタリア政府観光局(ENIT)日本語版公式サイトhttp://visitaly.jp/、WIKIPEDIAイタリア語版、NHK NEWS WEB2020年2月9日などによる)
観光行事として世界の人を楽しませる
スロベニア
スロベニア Slovenija 通常、2月下旬のカーニバル(謝肉祭)の期間中 クレントバンエ(Kurentovanje)ユネスコ無形文化遺産 スロベニア各地の市街地 住民、観光客 カーニバルの祝祭で冬を追い払い、この1年の豊穣を祝福する「春と豊穣の祭典」(The rite of spring and fertility)を祝うために、伝統的なマスクや衣装を着用した「スコロマチ(Škoromati)」または「クレント(Kurent)」がスロベニア各地の街を練り歩く。この祝祭はKurentovanje(クレントバンエ)と呼ばれる。UNESCOは2017年、クレントカーニバルのコスチュームをユネスコ無形文化遺産に登録した。
スコロマチは、スラブ民族の伝統行事とされ、クレントバンエは14世紀前半に始まったともいわれる。木製の仮面をつけるか、顔に墨を塗り、大きな羊の毛皮やパレードでガラガラと音を鳴らすために取り付けられた多数の鐘を身に着けている。
 彼らはまた、赤や緑、黄などの色鮮やかなリボン飾ったそびえ立つ帽子と重いブーツを着用します。スコロマチは街の通りで女性に出会うと、彼女らの顔に墨をぬり、祝福する。
 街の人々の楽しみは伝統的なカーニバル料理を楽しむこと。特別な食べ物として甘いドーナツやクレントスープが振る舞われる。ガチョウ肉、おかゆなど様々なスープ野菜である。ロースト、ソーセージ、ザウエールなど肉料理も振る舞われる。
 なかでもスロベニア北東部、シュタイエルスカ地方にあるプトゥイ( Ptuja)のカーニバルが有名で、2016年には、プトゥイの通りや広場の周りの行列では、9カ国から2,500名以上の仮面で仮装した人々が参加する国際的なイベントとなり、40,000人以上の観客を集めたと発表された。過去には日本からもナマハゲの仮装グループが参加したという。 (この項出典wikipedia、スロベニアkurentovanje.net、24ur.comなどによる)
冬を追い払い、この1年の豊穣を祝福する
スペイン
スペイン・サンバルトロメ・デピナレス(San Bartolome de Pinares) 2014年1月16日夜 火祭り「聖アントニオ祭」の前夜祭 町の通り 住民、観光客  サンバルトロメ・デピナレスはスペイン中部にある人口およそ600人の小さな町。動物の守護聖人とされる「聖アントニウス(Saint Anthony)」をたたえる「聖アントニオ祭」の前夜祭で、150頭の馬が燃え盛る炎を飛び越え、人馬一体となって町の通りを駆け抜ける火祭りが行われた。
  300~500年の歴史を持つともいわれるこの伝統行事では、狭い石畳の町の通りを舞台に、勢いよく燃え上がる薪(まき)の山を人馬が順に飛び越えていく。 参加者によると、かつて伝染病で町の馬全てが死亡してしまったことから、馬たちを清め、悪魔から守ってくれるよう聖アントニウスに祈願したのが祭の起源という。(この項出典:AFP電子版)
悪霊を追い出す
スペイン・マジョルカ(Mallorca) 2019年1月21日 火祭り「コレフォック」 パルマデマジョルカ 住民、観光客 スペイン・マジョルカ(Mallorca)島のパルマデマジョルカ(Palma de Mallorca)で2019年1月21日、伝統の火祭り「コレフォック(Correfoc)」が行われた。悪魔に扮(ふん)した参加者らが、花火やたいまつを振りかざしながら街中を練り歩いた。善と悪の戦いを表現し、悪魔が悪霊を追い払う行事とされ、火の粉をあびると厄(悪霊)払いができるとされている。
2020年1月26日夜、サンセバスティアフィエスタ2020のフィナーレとなる伝統の火祭り「コレフォック(Correfoc)」が行われた。
 コレフォックパレードでは、7つの「ディモニス(悪魔)」のグループ、3匹の怪獣グループ、太鼓のバトゥカダなど478人が参加し、6,800台の吹き出し花火や松明が燃やされた。街中が火と煙の海となり、轟く爆竹、ドラムの乱打で「この世の地獄の様相」となった。お祝いの開催事業総予算は22,000ユーロということです。
 主催者は、毎回観客が大量の火の粉を浴びて顔や頭を火傷し、衣服を焦がす人が続出する危険すぎるイベントのため、観客に対して、火の粉から身を守るために綿の服、ズボン、長袖、耳栓の着用、パレードから安全な距離を保つことなどを呼びかけたという。(この項出典:AFP電子版、Majorca Daily Bulletinなど)
悪霊を追い出す
スペイン・バレンシア州(Valencia) 2019年3月15日~19日 春の火祭り「ラス・ファジャス(Las fallas)」とクレマ(人形焼き) バレンシア各地 住民、観光客  バレンシアではラス・ファジャスの火祭りで春を迎える。各地の街の通りはボール紙で作られた数々の巨大な張子人形で飾られ、春の到来を祝う一時的なストリートアートミュージアムに変えられ、最終日に火の浄化の儀式により街中で燃やされる。 この火祭りは、2016年にユネスコの無形文化遺産に登録され、世界中から見物客が訪れる国際観光ショーとして人気を集めている。
ラス・ファジャスに先立ち、 「マスクレタ(mascletás)」と呼ばれる爆竹ショーが3月1日より連日14時に市庁舎広場で行われる。3月15日の夜、火祭りの伝統的な「プランタ(plantà)」が行われ、全ての張子人形が配置される。 街中や広場に「ニノット(ninot)」と呼ばれる巨大な張子人形700体を配置する作業が一晩中続く。 高さが20メートルにもなる巨大な人形もある。 この祭りは、昔、大工職人達が冬に仕事場の照明として使っていた「パロット(parot)」と呼ばれる木製のランプを春になるとサン・ホセ(聖ヨゼフ、キリスト教イエスの父親の職人)の日の前夜に街中で燃やしていたことがその起源であると言われている。
 サン・ホセの日の19日から20日の未明にかけて、火祭りのクライマックスである「クレマ(cremà)」と呼ばれる人形焼きが行われ、街は焚き火と音楽と花火のショーが行われる。焚き火には爆竹が放り込まれて凄まじい火勢になり、消防車が周囲の建物に放水しながら焚き火を続行する会場もあるという。
 この祭典では17、18日にラス・ファジャス委員会メンバーが守護聖人である高さ14メートルの聖母像にカーネーションの花を捧げるオフレンダと呼ばれる献花パレードも目玉イベントとなっている。(出典・スペイン政府観光局日本語版サイト、WIKIPEDIA英語版など)
春を迎え、冬を追い払う
スペイン・バレンシア州(Valencia)バレンシア県パテルナ 2022年1月29日 コレフォック(Correfoc)とサンアントニオの焚き火 市街地の通り 住民、観光客  バレンシアのサンアントニオ祭りは1月17日(サンアントニオアバド)に最も近い週末に開催される。動物の祝福とキャラクターのカーニバル、その他コルダ(La cordàロケット花火発射)、食事の提供が行われる。パテルナのコレフォックとサンアントニオの焚き火はインターペニエ連盟と市議会と協力してによって行われているサンアントニオ・アバドを称える伝統行事。街中が爆竹やロケット花火の火粉で埋め尽くされた。23日の日曜日にサンアントニオ・アバド同胞団が主催したミサと町の広場でのペットの伝統的な祝福で始まった動物の守護聖人の祭りを祝うためにプログラムされた活動を締めくくる行事でもある。
ロケット・爆竹花火はCalle MayorとCalle San Antonioの交差点(Cuatro Esquinas)からPueblo広場までパテルナの通りを通り、同時に伝統的なかがり火も灯された。昨年はコロナウイルスの影響で中断されたが、パレルナのコルダ(La cordà de Paterna、8月に開催されるロケット花火祭り)が無形文化遺産に登録されたことを受け、サン・アントニオ・アバドに敬意を表して、火薬や火とこの街の特別な関係を再び証明するためにコレフォック、焚き火が開催されたという。(この項:バレンシアwww.lasprovincias.es/)
サンアントニオ・アバドを称える
スペイン・バレンシア州(Valencia)バレンシア県セルダ(Cerdà) 2022年1月22日 サンアントニオの焚き火 スペイン広場 住民、観光客    各地で行事の中止が発表されている中で、バレンシアのセルダでは過去2週間にコロナの感染症例が記録されていないため、動物の守護聖人サンアントニオアバドを記念する伝統行事のサンアントニオの焚き火(hoguera de Sant Antoni) が行われた。行事は1月22日土曜日に始まり、広場でファミリーの魔法シ​​ョーがあり、人気のダンスグループColla ElCresolがDansàを提供した。焚き火に夜に燃やされた。23日日曜日には、正午にに聖体拝領を伴う宗教的行為が行われ、その後、祝福されたパンが出席者に配布された。マスクレタ(爆竹)が盛り上げた。午後5時に動物の祝福があり、聖人をイメージした行列は午後7時30分に行われ、花火大会でプログラムが終了した。 サンアントニオ・アバドを称える
アンドラ公国
アンドラ公国アンドラ・ラ・ベリャ(Andorra la Vella) 2018年6月23日- 24日 聖ヨハネのファレール(FALLES DE SANT JOAN)と火振り 市内のストリート 住民、観光客 アンドラ公国はピレネー山脈の中にある、フランスとスペインに挟まれた小国。 アンドラ公国の首都であるアンドラ・ラ・ベリャのファレールは、隣国スペインの伝統行事ファジャスの風習を共有している。2015年、ファレールは「ピレネー山脈の夏至の火祭り(Summer solstice fire festivals in the Pyrenees)」として、ユネスコによる人類の無形文化遺産に登録された。
 祭典では、若者たちが白樺などの樹皮から作られたたいまつを持って、街の通りへ繰り出して勇壮に「火振り」を行う。若い未婚の少女たちは、ワインと甘いペストリー(パン菓子)で村に松明を持った若者たちを待っている。翌朝、人々は残り火や灰を集めて家や庭を守る風習がある。 (この項アンドラ・ラ・ベリャ観光局https://www.turismeandorralavella.com/en/events/falles-sant-joan/、ユネスコ無形文化遺産代表リストhttps://ich.unesco.org)
一年の家族と家の安全を守る
トルコ
トルコ 毎年5月6日 ヒドレレス( Hıdırellez)
2017年ユネスコの無形文化遺産代表リストに登録
国内各地 住民、観光客 ユネスコ無形文化遺産「ヒドレレス」は伝統的な春を迎える祭りで、トルコ各地の集落を単位に盛大に祝われる。トルコと北マケドニアの協調的な取り組みにより、ヒドレレスは2017年に「ユネスコ無形文化遺産国家目録」に登録された。また、ヒドレレスはアナトリア、クリミア、アゼルバイジャン、そして今日の中東とバルカン諸国(Anatolia, Crimea and Azerbaijan, and in the Middle East and Balkan countries)でも休日として祝われている。また、ロマ(Roma:英語Gypsy、独語Zigeunerとも)の人々もヒドレレスを休日として祝い、この日を「カカバ(Kakava)」と呼んでいる。
ヒドレレスの日は、2019年には5月5日に始まり、5月6日月曜日の午後の祈りで終わった。地球と植物の生命を象徴するヒズル(Hidir)が、海と水に関連するイリヤス(Ilyas)に年に1回出会う日とされる。ヒズルとイリヤスは、大地と水の保護者である。彼らは豊かさと豊饒を象徴しているので、彼らが踏むすべてが緑になり、彼らが触れるすべてが実り豊かになり、癒されると信じられているので、人々はバラの枝や木に願い事の布を結び、病人が草の上を転がり、その夜の水で洗って浄化するなどの風習が生まれた。彼らは豊穣と癒やしを必要とする個人、家族、コミュニティの支援者であると考えられている。このため、ヒドレレス祭りでは、この一年の家族と地域社会の幸福、繁栄、家畜と作物の豊穣を願う様々な儀式が行われる。

ヒドレレスの代表的な風習は、新鮮な春の野菜を食べること、花やハーブを野原から集めて煮たハーブ茶を飲むと、すべての病気がよくなるといわれている。また、春の最初の子羊、特に子羊の肝臓を食べて、活力と健康をもらう。この一年の暮らしが良くなるように食品容器、倉庫、お金の袋の口は開けたままにしておく風習もある。
ヒドゥレレスのお祝い祭典の会場では、トルコ料理の豊かさが示される。ヒドゥレレス・スープ、ケシュケク(子羊またはチキンと粗挽き小麦の料理)、ライスプディング、ハルバ、ガタ(アルメニアのペストリーまたは甘いパン)、パイ、バクラヴァ、ペストリー、串焼きの子羊、卵、チーズ、gözleme(フランネルケーキ) 、野菜の詰め物、トルコ料理、ピタ、ラビオリ、チキンの詰め物、アンチョビの蒸し焼き、ミュラマ(伝統的なコーンマッシュ料理)、バンディルマ(伝統的なライスとチキンの料理)、カイマクチーナ(マケドニアの砂漠)、およびスピート(伝統的なコソバンの砂漠) )はテーブルで提供されます。テーブルの豊かさは、ヒドゥレレスの豊かさと豊饒の願いに関係している。
家や車が欲しい人は、ヒドレレスの夜にバラの木の下に欲しいものの小さなモデルを置くと、ヒズルがかなえてくれるといわれる。同時に、人々は願いを書いた紙(願い紙)を赤いリボンに結び付け、バラの木に掛けておき、願いを叶えるために一年かけておく。また、地域によっては願い紙を石でくるんで海に投げたり、川に流したりもする。
健康と治療を求めるための他の儀式は、古い持ち物や枝を集めて燃やすヒドレレスの火を飛び越える儀式を行う。祈りとなぞなぞを言いながら、人々は少なくとも3回火を飛び越える。ヒドレレスの火にあたると、この一年は病気にならないと考えられている。
祭りのハイライトは街の広場で行われる「ヒドレレス焼き」で、人々は木材や木の枝で組まれたやぐらに点火し、一年の幸福を願う。人々はたき火の周りで踊り、音楽、食べ物、飲み物を楽しむ。
(出典:Hurriyet Daily News電子版、DailySabah電子版https://www.dailysabah.com/life/2019/05/07/from-hidrellez-to-kakava-spring-fever-takes-over、WIKIPEDIA英語版https://en.wikipedia.org/wiki/H%C4%B1d%C4%B1rellezなど)
一年の家族と地域社会の幸福、繁栄、家畜と作物の豊穣を願う
中近東
イラン 2016年3月20日(春分の日) ノウルーズとチャハールシャンベ・スーリーの焚き火 イランなど中近東の諸国 全国民  ノウルーズ(Nowruz=New Day)は、春分の日(vernal equinox)をイラン暦ファルヴァルディーン月1日(元日)として、春の新年を祝う。古代のゾロアスター教を起源として、この祝祭は、3000年以上の伝統を有するといわれ、イランほかアフガニスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、イラク、アゼルバイジャン、トルコの国々で行われている。
 ノウルーズは人類の文化遺産としての価値も高く評価されている、国連では2009年、ノウルーズを正式にユネスコ無形文化遺産に登録した。さらに国連総会は、ノウルーズが宗教や国境を越えて、さまざまな民族を団結させることにより、世界における人間的な価値の拡大を促進するとして、2010年に「ノウルーズ国際デー」を正式に承認し、「希望と生命の再生」という、ノウルーズの基本的なメッセージを世界に拡大すべきだとした。
 ノウルーズは春の訪れとともに始まることから、人々は、自然と同様に、服や身の周りのものを新しくして、新年を迎える。特に絨毯の洗濯はこの時期の大事な作業となる。伝統的なノウルーズでは、人々はみんなが、喜びにあふれ、親戚に会いに行って、一緒に楽しく過ごすとされている。
 イランではノウルーズの前の「赤い水曜日のイブ」にチャハールシャンベ・スーリー chahar shanbeh suriという儀式を行う。家の前かみんなが集まる街の通りで焚き火が燃やされ、人々は火の上を飛び越え、「私にあなたの美しい赤をください。私の(肌の)蒼白をもっていけ」と唱えながら、新年の到来を祝い、この1年の健康を祈願する。
 イラン独自の習俗としてはハフト・スィーン(Haft Seen)があり、頭文字がペルシャ語のスィーン Sで始まる7つのものを集めてテーブルに飾って祝う。代表的なものは、麦などの青草(Sabzeh 命の再生の象徴)、甘いプディング(Samanu 裕福の象徴)、野生オリーブの種(Senjed 愛の象徴)、ニンニク(Seer 薬と健康の象徴)、りんご(Seeb 美の象徴)、スーマックの果実(Somaq 日の出(の色)の象徴)、酢(Serkeh 高齢と忍耐)。
 このなかでSamanu(サマヌー)はノウルーズになると大きな鍋で大量に作成される。伝統的に、女性は夜の間にサマヌー作成のために集まり、日没から翌日の日の出までに伝統的に伝わるサマヌーの歌を歌いながらサマヌーを作る。タジキスタンやアフガニスタンでは、女性は次のような歌を歌う。「Samanak dar Jūsh u mā Kafcha zanēm - Dīgarān dar Khwāb u mā Dafcha zanēm」(意味: サマナクは茹だり私たちはかき混ぜる。他の人は眠り、私たちはダフで演奏する) 近年では、サマヌーは家族ごとに集まって作るようになっている。
(出典:IRIBイランイスラム共和国国営放送・国際放送ラジオ日本語版、wikipedia英語版「Nowruz」、アメリカvox.com、Wikipedia日本語版などによる)
新年の到来と「希望と生命の再生」を祝い、この1年の健康を祈願する
アルバニア 3月14日 ディタ・ヴェラス(DitaVerës、夏の日)
国民の祝日
国内 国民 ディタ・ヴェラス(DitaVerës、夏の日)として、冬の終わりと春と夏の始まり、そして自然の目覚めとこの一年の豊穣を祝う。ディタ・ヴェラスは、ユリウス暦の 3月1日(グレゴリオ暦3月14 日)を新年の最初の日であり、2004年に国民の祝日となり、キリスト教徒とイスラム教徒の両方によって祝われている。
 祝賀行事では各地の町や村でパレード、コンサート、たき火が行われる。もっとも盛大に祝うのはエルバサンで、人々は甘いお祝いのお菓子を食べる。特にバラク、砂糖、コーンフラワー、卵黄で作られた大きなクッキーであるバラクーメが有名である。家族や友人が集まり、森や公園で屋外でピクニックのランチを楽しむ。夕方には、干しイチジク、クルミ、七面鳥の足、ゆで卵、シミテ(街の典型的なサンドイッチ)などの伝統食が出される。
 年配の女性は通常、子供に与えるためのお守りとして白と赤の糸を編んでブレスレットをつくったり、子供のクッションに草の葉を置りたりする。これは、生命の再生と一年間の健康を象徴する儀式だとされる。(この項:Wikipedia英語版、EastJournal https://www.eastjournal.net/archives/81961などによる)
 一年の豊穣や健康を祝う
カザフスタン 3月21~23日 ナウルーズ(春分新年祝祭) 国内 国民すべて カザフスタンは、ナウルーズを中央アジアからトルコにかけて広く祝われる春分元日として祝う。この日には,「ナウルーズ・コジェ」と呼ばれる,小麦,きび,冬用保存肉,ヨーグルト,牛乳など 7 種類以上の材料で作られた雑炊を食べる習慣がある。(出典:在カザフスタン日本国大使館「アルマティ案内」2018年1月) 春分元日を祝う
イスラエル 2016年10月2日日没~4日日没 ローシュ・ハッシャーナー (ユダヤ暦の新年祭) イスラエルと各国のユダヤ教信徒 ユダヤ教徒 ローシュ・ハッシャーナー(ティベリア式ヘブライ語ראש השנה, Rō’š hašŠānāh)はユダヤ暦の新年祭。2016年のユダヤ新年は、西暦の10月2日(日)の日没から4日(水)の日没まで。広義には、ユダヤ暦1月のティシュレー1日から10日のヨーム・キップールまで続く期間を指すが、狭義には特に1日・2日を指す。ヨーム・キップールは、ユダヤ教における最も重要な祝日である「贖罪の日」であり、神に一年間分の罪の許しを請う日となる。さらにその5日後から8日間は「仮庵祭」(ユダヤ人がエジプトを脱出し(紀元前の出エジプト記)、イスラエルに着くまで旅をしたことを記念する祝日)となる。このため、ユダヤ歴新年の月はイスラエルの大型連休が続く月となる。2017年のユダヤ新年は9月20日から22日となる。ユダヤ歴では1日は日没から始まり、次の日の日没に終わる。
 イスラエルでは、ユダヤ新年の2日間は原則として公共交通機関がストップし、新聞・官公庁・ほとんどの会社も休みとなる。このため、人々は家で家族と過ごすことが重視され、エレブ・ロシャ・ハ・シャナ(新年の晩)には、各家庭で、お祈りを捧げながら「年の頭」に因んで魚の頭を食べたり、甘い(良い)新年を願って、蜂蜜をかけたリンゴ、ハッラー(ねじりパン)、柘榴の実などを食べる。ユダヤ教徒のあいだにおける新年の挨拶はヘブライ語で「良い1年でありますように」を意味する「シャナー・トバー(שנה טובה)」である。
 日本や諸外国と同じように、親戚や親しい友人同士でプレゼントを贈り合う習慣がある。典型的なものはワインとチョコレートの詰め合わせや、蜂蜜の詰め合わせなど。企業では社員や従業員にギフトパッケージや商品券を贈る習慣がある。
(出典:wikipedia日本語版、地球の歩き方T&E・WEB版、Jewish Holidays英語版などによる)
新年の到来を祝い、この1年の罪の許しを請う、良い1年であるよう祈願する
アメリカ
アメリカ 2014年12月6日 クランプスパーティとクランプスパレード アメリカ各地 住民、観光客  クランプスはクリスマスの悪魔で、聖ニコラス(サンタクロース)の相棒である。古いオーストリアの民間伝承が米国に伝わり、クランプス・パーティーとパレードとして12月6日にアメリカ合衆国全体で行われるようになった。聖ニコラスは、子供にお菓子を与える親切な人だが、クランプスは対照的に、悪い子供を白樺の棒でぶって、こらしめる。
 厳粛なカトリック教会ではクランプスを禁じていたが、オーストリア、ドイツ、ハンガリー、スロベニア、チェコではKrampusnacht(クランプスの夜)を祝う習慣が復活し、仮装した男たちが通りの歩行者を追いかけるようになった。
 (この項出典:National Geographicなどによる)
悪い子を懲らしめる
アルゼンチン
アルゼンチン 2015年8月23日 ドンド・マツリ(DondohMatsuri) ブエノスアイレス・パレルモ公園内日本庭園 住民、観光客  日本の小正月の火祭り行事の「ドンド・マツリ(どんど焼き)」が南半球の大寒に入った8月23日、ブエノスアイレス市の日本庭園で行われた。現地では、冬季の恒例行事となっている。現地では、日本の古式によるドンド・マツリは、火の神invocamonの火のセレモニーで、地球神は冬の眠りから目覚めるとされる。またDONDOH-火のセレモニーでは、過去の人々の不幸(健康、経済的)を克服し、新しいプロジェクトに祝福があるよう祈りを捧げる。
 来場者は庭園の入り口で木片(薄い木の板)を受け、これからの一年の「無病息災」「商売繁盛」「厄払い」などを祈願してたき火に投げ込んでいった。寒中の行事であるが、この日の来場者は4千人に達したという。大部分は非日系人で、「なかなかいい東洋の伝統だ。私は静かに火の前で神様に対して感謝と願いを祈った」という老婦人の声も聞かれたという。
 午後は沖縄武術の演武会があり、ニテンキ道場と昭平流沖空会による空手のほか、アルゼンチン相撲協会による乱取りが披露された。
 会場の日本庭園は、亜日文化財団が運営している。ブエノスアイレス市のパレルモ公園内にあり、広さは2・5ヘクタールで、同国の文化財に指定されている。
 (この項出典Revista planetarioWEBSITE、琉球新報WEBなどによる)
一年の「無病息災」「商売繁盛」「厄払い」

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