50 信玄橋と信玄堤[# 目次では「信玄堤と信玄橋」となっている]

信玄堤といふのは武田信玄公が治水上雁行堤を造り、[# 原本では改行されているため「、」がないので入れた]更に要所々々に十米乃至二十米の竹林或は森林地帶を造つて、堤防の破壞を防ぎ補充的設備を爲したもので、南三里に亘り築堤に際しては、大塚方面より粘土を運搬し、これを數千の男女工につかしめ、今のコンクリート代用としたもので、有名な「粘土お高やん」の音頭によつて工程は頗る順調に進捗した。粘土節はこの時の歌である。純情の田舍、土工のもつ民謠として、先きには日本青年館より推賞され、同館第二回大會に出場したのも無理からぬことである。左に[# 原本は縦書きなので[左に」となっている]粘土節一、二を紹介する。
粘土お高やんがこないなんて云へば廣い河原も眞の闇。
粘土つくにも紅白粉で堅い平打屋さんを迷はせる。

(小田切長英)


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