49 宿塲の名殘り榎

三十年前、甲府と西郡との間を往復した人々にとつて、忘れ得ない存在は此の大榎である。當時この邊は家も殆どなく、わずかに二、三軒の煮賣屋があつたばかりだそうだ。
暑い夏の日に、寒い冬の日に、人々は此の榎茶屋にしばし憩つたものだつた。
やがて戸田街道をガタ馬車が、コト/\走るやうになつたがそれも姿を消して、その代りに大型青バスが目まぐるしく往復するやうになつた。今は電車さへ開通して榎に停留場が出來た。
鄙びた榎茶屋の面影は、一体どこへ行つてしまつたのであらうか。きつと馬車の笛と一しよに、遠い昔の時代の中に靜かに眠つてゐるのだらう。
只大榎のみはガソリンの煙と土埃にまみれ乍ら、默々として昔のまゝに街道の側に立つてゐる。

(深澤榮助)


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