11 甲府城趾[# 目次では「跡」となっている]の謝恩碑

武田氏亡びて三百年、甲斐の統治者は徳川幕府でした。直轄地だけに大きな城はありませんが、柳澤甲斐守の居城の趾が今尚形を留めて居ます。
その二の丸に當る所にこの※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」]念塔が立つて居ます。
明治大帝は本縣累年の水害を憐欄に思召され、三十萬町歩の御料林を御下賜になりました。
この鴻思を※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」]念するため、六十萬縣民の赤誠の結晶がこの塔となつたので、決して水晶の廣告塔ぢやないんです。
塔は神金産の花崗岩で、高さ三十米全体が一つの石で作られ、エジブトのオベリスクにも比すべきもので、東洋第一の意義ある※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」]念碑です。
青空高く聳え立つ此の塔の如く、我が郷土の治山治水の實をあげ、皇恩に應へ奉るは吾等の責務です。

(角田 宏)


前頁  次頁