5 版畫の心

 以上で愈々一枚の版畫が出來上つた。自分で畫いた原畫を自分で彫り、自分で刷る。想像して見ただけでも愉快なことである。刷り上げたものは、調和のいゝ臺紙に貼り、或はマツトをとつて額に入れ、書齋や應接間を飾る事も出來よう。また刷り増して親しい友達への贈りものとし、交換し合つて畫集を作ることも趣味あることであらう。更に年賀状に、文集の表紙に、應接間のカーテンや、書齋のテーブルかけに、自分の考案した模樣が印刷され、また染め出されて、美の空氣が家庭の隅々まで浸潤して居つたなら、どんなに生活を和やかにするか判らない。
 かやうに趣味と實益とが織り成された版畫も、今迄は兎角我々の生活よリ遙か高い所に置かれ、我々はこれを仰いでゐた觀があつた。これは版畫が藝術的要求のみか、若しくは實用的要求のみに基いて製作された爲と、も一つは國民の意識が版畫と密接に接觸する所まで進んでゐなかつた、結果に外ならないと思ふ。
 版畫それ自身は、民衆藝術として尊き傳統を有し、この世に厚く交るものにして、貴賤の別なく、貧富の差なく、我々凡ての伴侶であるべきである。ブラツク、エンド、ホワイト[# ママ]の無裝飾的フオルムに、また階調に富む色彩に身を飾り、また各種の物に姿をかへて、味氣なき日々の生活も、又惱む時も、荒む時も生活を頒たうとしてゐる。これがほんとの版畫の姿であり心である。かやうに純朴の美をたゝへ、我々の所有し易い藝術價をもつた版畫が、多くの人々によつて製作され、[# 原本では改行されているため「、」がないので入れた]鑑賞され、日常生活に應用され、現代生活をもつと愉快に、もつと美しく創造し、我々のあぢきない生活が幾分でも救はれて行く事が出來たら、どんなに幸福なことであらうか、我々と版畫との心からなる握手は、そこに交換され、眞の國民版畫の誕生も亦そこにある。郷士愛の涵養や、郷土教育、と結びついて、社會と時代と教育とが圓融統合されて行くことは、更に意義あることではあるまいか。
 最後に各種版畫のため、貢献せられた人々の年代と、業績の一端を※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」または「しる」]して合掌擱筆する。

版畫に關する發明年表

前頁  次頁